作家でごはん!鍛練場
上松煌

黄泉比良坂考(よもつひらさかこう)=帰れなかった男の話

八王子から多摩川を渡り、あきる野市に抜ける街道筋に「七曲り峠」がある。
滝山丘陵が多摩川の河岸段丘に落ち込むけっこう急峻な峠道だ。
有名な「日光いろは坂」のようにクネクネと折れ曲がり、平成の末に大改修されるまでは名前のとおり7つの急カーブがあった。
この道はネットでも話題になっていて、かたわらに寺があり、かなりでかい墓地が峠に沿って展開するため、
「真夏の夜中にそこを通ったら浴衣を着た人がたくさんいて、祭りでもあったのかと思って通り過ぎたら、忽然と消えうせた」
などという話が拡散されていた。
周囲は物寂しく鬱蒼としていたから、そのような怪談が作られたのだろうが、改修後は道幅も広げられ、カーブも3ヶ所程度になって、明るく近代的な峠道に変化したため、そんな話も消えうせたようだ。

自分は料亭をハイヤーで出た。
けっこういい気持ちに酔っている。
年に1~2度、事業家仲間で八王子や神楽坂の色町に集まり、「芸者を上げ」てその歌舞音曲を楽しむ。
彼女らは芸者というだけあって、歌、舞踊、三味線、話術などに巧みで、ちょっぴりエッチな「お座敷ゲーム」などにも付き合ってくれる。
令和になっても楽しめる古き良き「芸者遊び」は、コンパニオンなどとは違った日本情緒と面白みがあるのだ。
現在は外国人旅行者に大人気だそうだが、日本人でもこうした伝統芸能を楽しまなければもったいない。
芸者としけ込むのを「芸者買い」というが、自分たちは飲食しながらごくマジメに芸とゲームだけを堪能して帰るのだ。


その八王子からの帰り道。
自分は爆発音のような音と衝撃を受けた気がして目が覚めた。
だが、車は七曲り峠を問題なく走っているから、酔った挙句の夢だ。
「あの、運転手さん。ちょっと」
ためらいながら呼びかけていた。
さっきから、腹が渋っている。
家まで持ちそうにない。
「あの、そこの寺の東司(とうす=トイレ)につけて。岩牡蠣を1ダースも食っちまって……」
「あはは。わたしも経験ありますよ。チュルチュルいくらでも食べられちゃう。ヨーロッパ人なんかフツーに3ダースは食うって言うけど日本人はムリですね」
気軽に笑って峠の中腹の山寺に車を入れてくれる。
小高い山門の右には参拝客用のトイレが設けてあり、七曲峠だけでなく交差する旧滝山街道からも見えるのだ。

「ヘッドライトと車内灯は付けときますから。いってらっしゃい」
駐車場はけっこう暗いので、そんな親切を言ってくれる。
自分は礼を言って石段を上がり、山門の石畳をトイレの常夜灯を目指して突き進む。
歩きながら右下を見ると、ハイヤーの明かりと深夜でも峠を越える車のテールランプが複数見え、なんとなく安心感を与えてくれる。
個室が1つと手洗いだけの小さな東司だったが、新しくて清潔だった。

程なくサッパリして手を洗い、酔って喉が乾いたので水道水を一口飲んだ。
井戸水なのだろうか?
スッキリとけっこう美味かった。
今来た道を帰りかけると、
「ん?」
違和感。
石畳だったはずの道がただの地面になっている。
不安になって駐車場を見下ろすが、ハイヤーはおろか街道を照らす道路灯すら見えない。
ただの暗闇。
(ウソだろ?)
ちょっとビビッた。
酔っ払って道を間違えたのだ。
とっさにそう思った。
だが、山門を明るく照らしていたはずの防犯灯も見えない。

自分はどっちに進めばいいのか?
周りは丁度、「遭う魔が刻」のように全体に薄明るく静まり返って、山中ではよくあることだが深夜の霧でも出たのだろうか? ボウッと霞んで定かではない。
寺だから仕方がないが、墓石が並んでいるのがボンヤリ見え背筋がゾワゾワと騒いでいる。

声?
何だろう?
わらべ歌か御詠歌のようにあまり抑揚とリズムのない詩(うた)のようなもの。
いや、経文や念仏のように祈り唱える音階に近い。
本能的にギクッと耳を澄ませてしまう。
え? 
自分の声?
まさか!

♪七つ曲がりの峠道
 行きは下りで帰りは登り
 黄泉比良坂(よもつひらさか)七曲り

 墓場の道の突き当たり
 そこにあなたが居(お)ったなら
 帰るに帰れぬ七曲り♪

?????
湧き上がる疑問符。
一体何なのだ?
胸が通常でない速度で心拍する。

「あ、あの、運転手さん。ね? どこにいますぅ? ねぇ、ちょっと」
大声を出していた。
怖い。
ワケはわからないがとにかく怖い。
ここにいてはいけないのだ。

「はぁい、ど~しましたぁ?」
ハイヤーのドアがバタンと音を立て、こっちにやってくる気配に、今まで見えなかった山門が見えてくる。
何の変哲もなく今までどおりだ。
「い、いや、あの。え~、道間違えちゃったみたい」
バツが悪くて消え入りそうな声になった。
「ああ~。ありますよ。わたしなんかいつだったか、家に帰ったつもりで寝ていたら、なんと七曲り峠の中央墓地。ハイヤーほったらかしっぱなしで。多分、ここに腐るほどいるキツネ・タヌキの仕業でしょ。夜食のバーガーが食い散らされてましたもん」
大して気にもしていない返事にやっと安心する。
そして運転手さんの笑顔に「へへへへ」とテレ笑いを返した。

車はそのまま多摩川を越え、あきる野市、昭島市を経て立川市街に入った。
見覚えある住宅街の片隅で降り、チップの5,000円を手渡す。
「あ~、こんなにいただいて。ホント、すみません。ありがとうございます」
うれしそうな声音(こわね)にこっちまで楽しくなる。
ハイヤーは問題なく、いつもの町並みに消えていった。

改めて周りを見回す。
風の止んだ深夜の静かな住宅街はみんな寝静まって、窓明かりもほとんどない。
実に平和で平穏だ。
道路を隔てた裏のブロック塀、隣の生垣、エントランスへの5段の石段と屋根に暖炉の煙突を載せた特徴ある我が家。
大丈夫、普段どおりだ。
今夜も最愛の家内と猫様が上がり框(あがりがまち)で出迎えてくれるに違いない。

敷石を踏んで数歩進んだ足がビクッと止まる。
土、ただの地面。
怒涛のような違和感。
「えっ? 何だよコレ」
狼狽で眩暈がする。
「ウソだ、ウソだよな」
自分で自分に確認するが、状況は変わらない。
立ちすくむ目に「遭う魔が刻」の薄明かりとボンヤリした霧、立ち並ぶ墓石の群れ。

 七曲り峠にもどっている?
まさか?
つい、さっきまでは間違いなくいつもの町であり、自分の家の前だったはずだ。
夢なら覚めろ!
キツネ・タヌキなら、おまえらに与える餌はなにもないはずだ。
「運転手さぁん、ちょっとぉ。きてください、周りが変なんですぅ」
叫んでいた。
山寺の東司(とうす)の時のように気軽に助けに来てくれるのでは?

 だが、自分の声が宇久の薄暗がりに消えるだけで、なんの反応もない。
それが実に気味悪い。
何か尋常でないことが起きている気がする。
冷静になれ」
強いて自分を落ち着かせる。
「これが夢でないなら、こうなった原因を探るんだ」
つぶやいて記憶をたどる。
やはり、事の発端は七曲峠の山寺での歌声だろう。
それがすべての始まりだった気がする。

 ♪七つ曲がりの峠道
  行きは下りで帰りは登り
  黄泉比良坂(よもつひらさか)七曲り

  墓場の道の突き当たり
  そこにあなたが居(お)ったなら
  帰るに帰れぬ七曲り♪

 異様で意味深な歌詞。。
今の自分の状況を端的に表しているのでは?
だが、なせ? どうして? 

 この歌で聞きなれないのは「黄泉比良坂」という言葉だろう。
これはただの坂ではなく、この世とあの世との境で、古事記にすでに記載がある。
火の神を生んで亡くなってしまった「イザナミ」を追って、夫の「イザナギ」がこの坂を越えたのだ。
その場所は現在では島根県の出雲町が有名だが、群馬県にもあると言い、東京都直近の埼玉県所沢市にも存在するという。
ま、心霊スポット紹介本の記載ではあったのだが、それによると宮崎駿の「となりのトトロ」で一躍有名になった「将軍塚(トトロの森)」の北東側、北秋津に近い丘陵の一角らしい。
「このあたりだと言われている」という記述とともに、墓地が見える坂道の写真が掲載されてはいたが、そのあたりの寺はみんな坂の途中の山寺なので、どれも似たようなものばかりで特定は出来ない。

 では、七曲り峠も、いや、あの東司(とうす)付近にも黄泉比良坂があったということだろうか?
歌詞の通り、東司からの道は確かに下り斜面だった。
!!!!!
それに思い至った自分は、忽然とあることを思い出して硬直した。
「黄泉穢(よもつけがれ)」。
古事記の「イザナギ・イザナミ」物語に、イザナミが現世に帰れなかったのは、黄泉(よみ)の国の食べ物を口にしてしまったからだ、とある。
あの時、自分は酒に酔った乾きのままに、東司の水道水を一口飲んだ。
それが黄泉の水だとしたら!

 …………………。
帰れない。
自分は恐らく帰れないのでは?

 静かで空白的な絶望感がやってきていた。
目の前には黄泉比良坂の下り道が続いている。
その先には何があるのか?
念仏の教えで言う「三途の川」があり、そのほとりには衣領樹(えりょうじゅ)の木があって、脱衣婆(だつえば)が着衣を剥ぎ取り、掛衣翁(けんねおう)がそれを枝に掛けて罪の重さを量るのだろうか?

 抗いがたい力が自分を前に押し出す。
足はためらいながらも薄明かりの坂を下っていく。、 
「だめだ、行ってはいけないっ」
自分で自分を激しく押し留める。
「だれかいませんか? ねっ、だれかぁっ」
必死の声音(こわね)になった。
だが、返事はおろか何の気配もない。
ボンヤリと墓石が並んでいるのに反響すらせず、声や音など最初から存在しないかのようだ。
成す術はなかった。
 
「ん?」
なにかの息遣い。
何かいる。
だれか来る。
運転手さん?
いや、「イザナギ」を追ってきたという「黄泉醜女(よもつしこめ)」だろうか?
警戒心がマックスになるが、この際、だれでもいい。
たとえ化け物だろうが鬼だろうが、この現状を訴えて打開策を得たいのだ。
危機感が恐怖を超えた一瞬だった。

 身構えて凝視する自分の目に、その姿がボウッと見えてくる。
帽子と制服。
「運転手さんっ」
転がるように駆け寄っていた。
「来てくれたんですね。よかった。ここはどこ? 何でこんなことに? どういうことでしょう? 帰れますよね?」
矢継ぎ早の質問に少しの沈黙があった。
乱れて苦しげな息を整えている。
この先の坂は険しいのだろうか?
「ああ、お客さん。あなたもここに? いやぁ、ひどい事故でしたからね」
「え? 事故?」
記憶をたどるが思い当たらない。
いや、差し当たりそんなことはどうでもいい。

「とにかくここから出たい。帰りたいんです」
言いながら彼と並んで、もと来た道を引き返そうとする。
「うそだろ? 運転手さぁんっ」
つんざくような悲鳴になっていた。
足元は下り坂のままだ。
荒い息とともに登っていく運転手さんの背中は見えるのに、自分は下って行くのだ。
彼の足が一瞬止まり、心底気の毒そうな返事が帰ってきた。
「お客さん、ムダです。息をしていないでしょう?」
?????
謎の言葉だった。
そのまま彼の姿はかき消すように霧の向こうに見えなくなった。

 ♪行きは下りで帰りは登り♪
歌の一説が浮かぶ。
自分は帰りたいのになぜその願いがかなわないのか?
「どうして? なんで自分だけ?」
現に運転手さんは登り道を戻って行ったではないか。
頭をかきむしりたいほど理不尽だと思った。 

「冷静になれ」
再び、強いて自分を落ち着かせる。
パニックになっても事態は変わらないのだ。
「息をしていないでしょう?」
この言葉がよみがえる。
「息? 息なんてフツーに……」
!!!!!
ジットリと冷や汗がにじむ気がした。
意識して深呼吸をしているのに肺が膨らまない。
それどころか吸って吐いての通常の呼吸すら止まったままで復活できない。
自分は明らかに息をしていなかった。

 失望と落胆、そして茫然自失。
とてつもなく空っぽになった心に、今更ながら記憶がもどってくる。
あの衝撃と音は酔っ払いの夢ではなく、紛れもない現実だったのだ。
「しがみついてっ」
つんざくような運転手さんの絶叫だった。
七曲り峠に残った最初の急カーブ。
突然、真正面からの眩いハイピーム。
逆走? いや、車線をはみ出した対向車だ。
ハイヤーはガードレールを激しくなぎ倒し、跳ね上がった勢いのまま5メートル下の墓地に落下していた。

 すべての謎が氷解する気がした。
帰れない、もう、帰る術はないのだ。
山寺の東司、あそこで現世の澱(おり)を排泄し、末期の水を飲んでこの世と決別する。
あの時、助けに来てくれたはずの運転手さんも、家に帰り着いたと思ったのも、危篤状態で夢見るただの願望、いや、ほんの一時期、生に傾いた命のはかない現世の名残りだったのだろう。
一旦、黄泉比良坂に至ったとしても、助かる者は戻って行ける。
現に運転手さんは死線を脱して坂を登っていったではないか。
下り坂にいる自分は戻れない。
もう、帰ることはないのだ。

 それを自覚できない者はそこに留まるしかない。
「魂魄(こんぱく)この世に留まりて」の魂(こん)は空を飛び、魄(はく)は死んだところの地下にドロドロと溜まっているものだという。
魄は浮かばれない自縛霊を形作り、死を自覚できた魂は永久にこの世から飛び去るのだ。

 黄泉比良坂は現世のどこかに存在するものでは決してない。
生きとし生けるもののすべての傍らに、影が身に添う如く「在る」のだ。 
自分はトボトボと歩みを進める。
下り坂をたどって行く。 
「逢う魔が刻」の薄暗がりは永遠に暮れることも明けることもなく、生と死の狭間に在り続けるのだろう。

黄泉比良坂考(よもつひらさかこう)=帰れなかった男の話

執筆の狙い

作者 上松煌
M106073145001.v4.enabler.ne.jp

一昨年から、約1年半。
書けなくなって旧作を出し続けていたけど、やっと書きたい気分になった。
ただのオカルトじゃ芸がないので、薀蓄や考察・見解などをいろいろぶち込んでみたw
だけど、う~ん、出来悪いワ。

コメント

青井水脈
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読ませていただきました。
新作ということですね。文章では読みにくい点は、特に見当たらず。

>突然、真正面からの眩いハイピーム。
ハイピーム→ハイビーム

タイトルで、既にネタバレに近いのですが。
>その八王子からの帰り道。 自分は爆発音のような音と衝撃を受けた気がして目が覚めた。

読み進むにつれ、そういえばこの音と衝撃はなんだったんだろう、と思っていましたが、ラストで謎が解けました。
一旦無事に自宅周辺に帰り着いたと見せてからの、ラストまでの流れ。久しぶりにハラハラしました。

中小路昌宏
softbank060088094171.bbtec.net

 読みました。

 上松さんは、若いけど色々なことを知っていて、文章も巧みで、そして、たぶん事業でも成功していているようで、いつも羨ましく思っています。
 前に読んだ孤島の灯台守の話や、自衛隊の過酷な訓練の話など、衝撃を受けた記憶があります。
 その恵まれた才能は、遺伝的なものか努力によるものか、またはその両方なのか分かりませんが、自分と引き比べると・・・・

 いや、そんな事は言うべきではありませんね。運命だと思っている今の自分は、すべて前世からの自分の行いの結果だと、仏教では教えられています。
 
 私は幼児期に飢餓体験をし、そのため子供時代は病気がちで、青年期になっても青白い顔をしていて、ガリガリに痩せていて、猫背で、強度の近眼で、おまけに内向的な性格で、女の子にモテるわけはなく、なんと自分は不幸なんだろうと思っていました。

 その後人並みに見合い結婚は出来ましたが、壮年期になっても身体は弱く、とても長生きは出来ないだろうと思っていたのに、40代、50代ごろから次第に普通の人並みの身体になり、ゴルフやスキー、そして時には海外旅行も楽しめるようになりました。
 65歳で仕事を辞めてから一年くらい病気で寝込みましたが、その後体調は回復し、78歳で初めて下手くそな小説を書くという新しい趣味も加わり、80代の今ではむしろ、同年輩の人たちのうちでは元気な方になり、経済的にも特に不安は無く、なんと自分は幸せなのだろうか、これは若いときの苦労で前世からの業を償えてしまったのかと、勝手に思っています。
 でも、もう、あと数年、長くて7~8年の命です。体調はいいときと悪いときとあり、いい時にはパソコンに向かってこうして読んだり書いたり出来ますが、悪いときは何も出来ず、ぼおっと一日を過ごすだけの日もあります。

 ・・・・などと、つまらないことを書いてしまいました。年寄りの戯れ言と思って、お許しください。

上松煌
M106073145001.v4.enabler.ne.jp

おおお~、青井水脈さま、こんばんは

 本当にお久しぶりですね。
あなたのお名前は感想欄で時々目にするので、「ああ、お元気なんだな」と思っていました。


   >>新作ということですね。文章では読みにくい点は、特に見当たらず<<
     ↑
 読みにくい点がないということで安心しました。
1年半のブランクがあるので、自分では「出来が良くないなぁ」と感じていたのです。
最初の意図より、「ちょっと理屈っぽくなったかな?」という気がしてw
ま、おれの作品は知識や蘊蓄がないと、読みこなせないものが多いのも確かですが……。

   >>ハイピーム→ハイビーム<<
     ↑
 打ち間違いですね。
自分では気づきませんでしたw

   >>タイトルで、既にネタバレに近いのですが<<
     ↑
 ええ、これはわざとですね。
おれはタイトルは特別の意図がない陰り、その物語を彷彿とするものが望ましいと考えるからです。
「黄泉比良坂」は言葉自体を知らない人もいるでしょうから、ふりがなや副題も付けておきました。

   >>一旦無事に自宅周辺に帰り着いたと見せてからの、ラストまでの流れ。久しぶりにハラハラしました。<<
     ↑
 ハラハラしてくださり、とてもうれしく感じました。
読んでいただけて懐かしさもひとしおです。
ありがとうございました。


 青井水脈さまも昔のように、たまには作品を投稿してください。
感想返しをしたいなぁと思っています。
 

上松煌
M106073145001.v4.enabler.ne.jp

 えっ? 中小路昌宏さま?
な、なんとお懐かしい。
非常に意外で、正直言ってビックリしました。

   >> 上松さんは、若いけど色々なことを知っていて、文章も巧みで、そして、たぶん事業でも成功していているようで、いつも羨ましく思っています<<
     ↑
 いえいえ、知識があるように見えるのは記憶力が非常に良かった(5歳ぐらいまでは神童wと言われてました)だけで、20過ぎた今はただの人です。
うらやましいなんてとんでもない。

   >>前に読んだ孤島の灯台守の話や、自衛隊の過酷な訓練の話など、衝撃を受けた記憶があります。
 その恵まれた才能は、遺伝的なものか努力によるものか、またはその両方なのか分かりませんが、自分と引き比べると・・・・<<
     ↑
 いえ、中小路昌宏さまには中小路昌宏さまの良さも能力も美点もあります。
ごはんでみなさんの感想を集めたり、楽しくレスを交わしたり、心温まる時間を過ごしておられる。
とてもステキなことですよね。


   >>いや、そんな事は言うべきではありませんね。運命だと思っている今の自分は、すべて前世からの自分の行いの結果だと、仏教では教えられています<<
     ↑
 おれはソーカ(創価学会)は大嫌いなのですが、ソーカが勝手に利用している日本の日蓮の教えに、
【鷺の白きも鴉の黒きも、先業の染むる故なり】
というものがあります。
おれはソーカではありませんが、日蓮の教義はなかなか面白く「御書」とか言われるものを読んだことがあります。
つまり、先の日蓮の言葉は、
「現在の自分の姿は、先業(前世からの自分の言動や心理状況の結果)により、善にも悪にも、美にも醜にも、楽にも苦にもなる。すべて自らの心口意(しんくい=心の動き・口から出した言葉・自らの意思による行動)の三業の結果である」
と。
あなたと同じことを言っていますよね。


   >> 私は幼児期に飢餓体験をし、そのため子供時代は病気がちで、青年期になっても青白い顔をしていて、ガリガリに痩せていて、猫背で、強度の近眼で、おまけに内向的な性格で、女の子にモテるわけはなく、なんと自分は不幸なんだろうと思っていました<<
     ↑
 ♂は思春期から青年期にかけて女性にもてたり、マッチョで恵まれた体や、ちょい悪っぽい図太い精神などにあこがれを持ちますよね。
でも、あなたが上記のような特徴を持っていたのなら、逆にマンガやアニメやドラマの「秀才」の特徴に酷似しているので、他人から見れば自分が思う以上に魅力があったとも感じますね。


   >> その後人並みに見合い結婚は出来ましたが、壮年期になっても身体は弱く、とても長生きは出来ないだろうと思っていたのに、40代、50代ごろから次第 でも、もう、あと数年、長くて7~8年の命です。体調はいいときと悪いときとあり、いい時にはパソコンに向かってこうして読んだり書いたり出来ますが、悪いときは何も出来ず、ぼおっと一日を過ごすだけの日もあります。
に普通の人並みの身体になり、ゴルフやスキー、そして時には海外旅行も楽しめるようになりました。 65歳で仕事を辞めてから一年くらい病気で寝込みましたが、その後体調は回復し、78歳で初めて下手くそな小説を書くという新しい趣味も加わり、80代の今ではむしろ、同年輩の人たちのうちでは元気な方になり、経済的にも特に不安は無く、なんと自分は幸せなのだろうか、これは若いときの苦労で前世からの業を償えてしまったのかと、勝手に思っています<<
     ↑
 同年輩の方の中でも元気な方というのは素晴らしいです。
そうですね、>>若いときの苦労で前世からの業<< =(宿業といいます)を脱却してしまったのかもしれませんね。
来世は幸福の只中だったりして。
そう思うと死ぬのも楽しいですよね。


   >> でも、もう、あと数年、長くて7~8年の命です。体調はいいときと悪いときとあり、いい時にはパソコンに向かってこうして読んだり書いたり出来ますが、悪いときは何も出来ず、ぼおっと一日を過ごすだけの日もあります<<
     ↑
 そうですか、おれもまだ心臓手術後の10年生存率をクリアできていません。
苦しくて夜中に起きてしまうことがだんだんに増えていますので、「あ、こりゃダメかなぁ」と思うことが多くなってきました。
まだ、50前ですが、作品の「九月の葬奏」と「友だちを殺した」で出生の本懐はすでに遂げていますので、これからは余生と思って善良に慈悲温情を満ち、私利私欲なく、倫理正義を信奉し、言うべきこと・注意すべきことはきっちり言って、次世代への指針としたく思っています。


 中小路昌宏さまもご自分の体調により無理をなさらず、ぼーっとした時は楽しかった思い出などを思い起こしたり、古い友達に心を寄せてみたり、また、調子のいい時はご自分の作品を紐解いてみたり、ごはんその他に投稿してみたりと楽しくも有意義な時をお過ごしください。

   >>・・・・などと、つまらないことを書いてしまいました。年寄りの戯れ言と思って、お許しください<<
     ↑
 いえいえ、とんでもない。
久しぶりのレスに心が躍りました。

アン・カルネ
KD059132068113.au-net.ne.jp

面白かったです。ストーリーも特に「ん?」と思うところなく読めました。
ただ狙いに「だけど、う~ん、出来悪いワ。」ということなので、そこらあたりで思ってみました。
上松さんがどのあたりを「出来悪い」と思ったのかは分かりませんが、
>黄泉比良坂は現世のどこかに存在するものでは決してない。
>生きとし生けるもののすべての傍らに、影が身に添う如く「在る」のだ。 
この部分の座りが悪いということかな? と思ったりしました。
物語を読むと、最初に“ 「七曲り峠」がある ”と示唆があり、次に「七つ曲がりの峠道 行きは下りで帰りは登り 黄泉比良坂(よもつひらさか)七曲り」と歌があり、男自身も「七曲り峠も、いや、あの東司(とうす)付近にも黄泉比良坂があったということだろうか?」と言っているので、そうなると、場所限定、黄泉比良坂で事故に遭ったんだよね、と思えてしまう。要は七曲り峠は別名黄泉比良坂で、ここで事故に遭うと生きて帰れないことがあるよ、と受け取れてしまう。でもわざわざラストのパラグラフに
「黄泉比良坂は現世のどこかに存在するものでは決してない。生きとし生けるもののすべての傍らに、影が身に添う如く「在る」のだ」ともってきているのだから、それは、もしかしたら、道玄坂だろうと池袋交差点であろうとどこであろうと関係ない、時場所を問わず人は黄泉比良坂に“呼ばれる”んだぞ、という物語にしたかった、ということなのかな? そういうふうにストーリーを転がせていただろうか、と思って「出来が悪い」ということなのかな? と考えてみたりはしました。
でも蘊蓄を含めて面白く読めましたよ。蘊蓄なのにいかにも蘊蓄語り(鼻につく)になってないところが上松さんの持ち味で、情念を描くのが上手ですよね。

上松 煌
M106073145001.v4.enabler.ne.jp

 わ~い、アン・カルネさま、こんばんは

   >>面白かったです。ストーリーも特に「ん?」と思うところなく読めました<<
       ↑
 ありがとうございます。
あなたはいつおホメてくださるので、逆に「こういう読者ばかりじゃないんだぞ」と自らを戒めています。

   >>ただ狙いに「だけど、う~ん、出来悪いワ。」ということなので、そこらあたりで思ってみました。
上松さんがどのあたりを「出来悪い」と思ったのかは分かりませんが<<
      ↑
 おれが出来が悪いと書いたのは、「自分で思ってたより理屈っぽい仕上がりになったかなぁ?」と感じたからです。
アン・カルネさまは読める人なので、多少、理屈っぽくても、見慣れない語句の羅列であっても、面白く読んでくださるのですが、それをごはんのすべての読者に求めてはいけない。
そのため、フリガナを振ったり、副題をつけたりしましたが、まぁ、難しい話であることには変わらないので、それをもって「出来が悪い」としました。


   >>>黄泉比良坂は現世のどこかに存在するものでは決してない。>生きとし生けるもののすべての傍らに、影が身に添う如く「在る」のだ。 
この部分の座りが悪いということかな? <<
       ↑
 え~? ショックぅ。
この部分はおれが最も訴えたい部分でした。
この2節のためにこのお話を書いたようなものです。
>>座りが悪い<< かなぁ????

   >>物語を読むと、最初に“ 「七曲り峠」がある ”と示唆があり、次に「七つ曲がりの峠道 行きは下りで帰りは登り (よもつひらさか)七曲り」と歌があり、男自身も「七曲り峠も、いや、あの東司(とうす)付近にも黄泉比良坂があったということだろうか?」と言っているので、そうなると、場所限定、黄泉比良坂で事故に遭ったんだよね、と思えてしまう。要は七曲り峠は別名黄泉比良坂で、ここで事故に遭うと生きて帰れないことがあるよ、と受け取れてしまう<<黄泉比良坂
      ↑
 ウッソぉ~。
黄泉比良坂と七曲峠は全くの別物です。
一方は幽明異にする坂であり、もう一方は間違いなく現実として存在する坂です。
いや、おれ自身、「七曲り峠」が「黄泉比良坂」のイメージに重なって、この物語を書いたのですが、「七曲り峠」=「黄泉比良坂」に読めるなら、おれの失敗です。
事故にあったのは現世に存在する「七曲り峠」であって、島根県の出雲町や群馬県や埼玉県所沢市などに存在すると言われる「黄泉比良坂」はただ、「言われているだけ」です。
同じように主人公が「七曲り峠も、いや、あの東司(とうす)付近にも黄泉比良坂があったということだろうか?」と疑問に感じているだけで、おれは=(イコール)と書いたつもりはありません。


   >>「黄泉比良坂は現世のどこかに存在するものでは決してない。生きとし生けるもののすべての傍らに、影が身に添う如く「在る」のだ」ともってきているのだから、それは、もしかしたら、道玄坂だろうと池袋交差点であろうとどこであろうと関係ない、時場所を問わず人は黄泉比良坂に“呼ばれる”んだぞ、という物語にしたかった、ということなのかな?<<
     ↑
 はい。 
まぁ、呼ばれるのではなくて死に行く魂は自動的に(自然的に)「黄泉比良坂」に至ってしまう、ということです。
それが生死の「理(ことわり)」であると言いたかったのです。
そう書いたつもりでした。

 う~ん、こんだけ釈明するようじゃ、やっぱ出来よくねぇ~ワ。
エ~~~~~ン!

ぷーでる
pl19249.ag2525.nttpc.ne.jp

こんばんわ、植松さん拝読しました。
黄泉に、落ちてしまった話ですね。

<< う~ん、こんだけ釈明するようじゃ、やっぱ出来よくねぇ~ワ。
エ~~~~~ン!

<< 植松さんが、できがよくないからとかは多分関係ないと思います。( ̄▽ ̄;)そもそも大半の日本人が黄泉の事なんて知ら
   ないからです。てっいうか、親も学校の先生もそんな話しませんよね?

私も以前、黄泉の世界が出てくる話を書いたコトがあります。
最初、黄泉って地獄の事かと思っていましたが、しばらくして、死の世界である事を知りました。

一神教では、天国と地獄の話しか聞いた事がなかったからなんですよね。
仏教でも極楽と地獄の話が多い様な気がします。

神話では、ギリシャ神話やエジプト神話では黄泉の話がでてきます。
考えてみたら、宗教ではなく神話にしか黄泉の話は出てこないのかもしれません。

神道では、地獄はないそうです。
多くの宗教は、神は人を造った事になっていますが
神道では、人も神もこの世のあるゆる万物は自然から成り出たものという事になっています。

苦しみも喜びもすべて、人が生み出したものという考えになるとか。
残された人達が、亡くなった人を神として崇める事で、黄泉から抜け出すことができるのです。
そして残された人々を見守る存在になれる事で、それで魂が救われるらしいようで。
例えば、靖国神社とかがそれですよね。
仏教と違って、前世の罪とか生まれ変わりが、どうのこうのはないです。

とにかく、ところ変われば死生観が変わるんだなぁと思います。
ところで日本という国は世界一古い国だそうです。
今年で建国2685年です。だから、信仰もかなり古いという事になります。

創価学会…1930年
キリスト…2025年
仏歴…  2568年
日本建国…2685年

昔ながらの原始的な生活をする人々の信仰にも、地獄の世界観はありません。
亡くなったら、やはり残された人々を見守る存在になるようです。
天国とか地獄の思想は、大陸型の思想なのかもしれません。

上松 煌
M106073145001.v4.enabler.ne.jp

おお~、ぷーでるさま、こんにちは

 【母性の果て】に続く、2度目の訪問をありがとうございます。

   >><< 植松さんが、できがよくないからとかは多分関係ないと思います。( ̄▽ ̄;)そもそも大半の日本人が黄泉の事なんて知らないからです。てっいうか、親も学校の先生もそんな話しませんよね?<<
     ↑
 あはは、わざわざフォローしてくださり、お気持ちうれしいです。


   >>私も以前、黄泉の世界が出てくる話を書いたコトがあります。<<
     ↑
 ほう、そうなんですか?
差し支えなければ、ごはんに載っけてみてはいかがでしょう?
今は古参の人は本当に少なくなってしまって、寂しく思っているところです。
2,3回に分けて載せる程度の長さなら、まだ、読んでくれる人もいる気がしますよ。


   >>神話では、ギリシャ神話やエジプト神話では黄泉の話がでてきます。考えてみたら、宗教ではなく神話にしか黄泉の話は出てこないのかもしれません<<
     ↑
 なるほど、なるほど、確かに。
そのとおりですね。
でも、日本にしろギリシャにしろ神話ってバカらしすぎw
ガキのころ読んで、古代人のあまりの低能ぶりにぶっ飛びました。

 まぁ、ちょっとは許せるのが、日本神話の「国引き」。
「国来(くにこ)国来(くにこ)と引き給えば」
って、綱引じゃあるまいしと思ったんだけど、プレートごと引き寄せると考えれば、まぁまぁ荒唐無稽でもないw
現に伊豆半島なんか遥々、プレート・テクニクスに乗ってやってきて、最終的に日本のあの場所にブチ当たってしまったと言われているんだからww
学説によると硫黄島のあたりから流れ着いたものらしいですよ。


   >>神道では、地獄はないそうです。多くの宗教は、神は人を造った事になっていますが神道では、人も神もこの世のあるゆる万物は自然から成り出たものという事になっています。苦しみも喜びもすべて、人が生み出したものという考えになるとか<<
     ↑
 自然崇拝から始まった神道らしい考え方ですね。


 >>残された人達が、亡くなった人を神として崇める事で、黄泉から抜け出すことができるのです。そして残された人々を見守る存在になれる事で、それで魂が救われるらしいようで。例えば、靖国神社とかがそれですよね。仏教と違って、前世の罪とか生まれ変わりが、どうのこうのはないです<<
     ↑
 なるほどぉ。
靖国神社もその思想かぁ。
じゃあ、総理大臣の国葬もそれに準ずるものかも。

でも、先祖供養は多くの宗教で言ってますね。
おれは宗教関係者が金儲けと職業安泰のために唱えてる気がして気分が悪いです。


   >>ところで日本という国は世界一古い国だそうです<<
      ↑
 はい、この学説はかなり前に発表されていて、うれしく思っています。
「白髪三千丈」や「中華思想」の中国共産党が言いふらしていた「三千年」の歴史とやらが、どうも胡散臭いと思っていたところにタイムリーな研究でした。

   >>創価学会…1930年
     キリスト…2025年
     仏歴…  2568年
     日本建国…2685年<<
      ↑
 これは、こう並べちゃうとわかりにくくありません?

創価学会…1930年 創立年度
キリスト…2025年 前に成立
仏歴…  2568年 前に成立
日本建国…2685年 前に成立
と、なる気が?

  ちなみに仏教の成立はキリスト教よりはるかに古い、というとキリスト教徒は発狂して否定しますねw
面白いことです。


   >>天国とか地獄の思想は、大陸型の思想なのかもしれません<<
     ↑
 そうですね。
仏教が下々の者にも広まった平安初期には、まだ「化野(あだしの)」や「蓮台野」に死骸を捨てていた名残があったと言いますから。
でも、「墓じまい」が流行している現代の風潮はどうなのでしょうね。
先祖はぶっ飛んでいるのでは?

ぷーでる
pl19249.ag2525.nttpc.ne.jp

再訪失礼いたします。

<<差し支えなければ、ごはんに載っけてみてはいかがでしょう?
今は古参の人は本当に少なくなってしまって、寂しく思っているところです。
2,3回に分けて載せる程度の長さなら、まだ、読んでくれる人もいる気がしますよ

そうですか、機会があれば載せてみようかしら?


<<でも、日本にしろギリシャにしろ神話ってバカらしすぎw
ガキのころ読んで、古代人のあまりの低能ぶりにぶっ飛びました。


そういえば、神話じゃないけど
桃太郎は、桃から生まれましたという話は有名ですが、

実は、おばあさんとおじいさんが桃を食べて若返って
桃太郎を生んだという話だったとか。

明治政府は、学校の教科書に載せるには、教育上よろしくないと判断して
桃太郎は、桃から生まれた事にしちゃったのね。

もしかしたら、神話も書き残す作者が、勝手に書き換えてるかもしれません。


<< でも、「墓じまい」が流行している現代の風潮はどうなのでしょうね。
先祖はぶっ飛んでいるのでは?

うーん、これは仕方のないことかもしれません。墓の跡継ぎは長男と決まっている事が仇になってしまった様です。
子供が生まれても、娘さんしか生まれなかったら、どうしようもない。

だから「墓じまい」は、かなり昔からあったようです。
今は少子化が進んで、目立つ様になってきただけかと思います。

ちなみに、墓じまいする頃には先祖は、完全に成仏しているので供養の必要はないそうです。

上松 煌
M106073145001.v4.enabler.ne.jp

ぷーでるさま、こんばんは

 再訪歓迎ですよ。

   >>そうですか、機会があれば載せてみようかしら?<<
      ↑
 ええ、残っている古参の方々が懐かしがって、喜んで読んでくれると思いますよ。
もちろん、おれもw
あなたにプラスになるんじゃないかなぁ?


   >>実は、おばあさんとおじいさんが桃を食べて若返って桃太郎を生んだという話だったとか<<
    ↑
 聞いたことがあるけど、本当かなぁ?
桃太郎に関しては朝鮮人がとんでもない改竄(かいざん)話をネットで拡散してるので、おれはガキのころ読んだストーリー以外は懐疑的ですね。

 桃太郎の本当の話は朝鮮人が半島からやってきて村々を荒らしまわったので、その人々の難儀苦悩を見かねて桃太郎が立ち上がり残虐朝鮮人を退治たというものなのです。
それなのにネットのウソばなしでは、平和に暮らしていた朝鮮人を桃太郎が侵略した、と真逆の話になっている。
悪事を働いたから退治されたのに反省もなく、誤謬改竄を流すとは盗人猛々しいワ。

 現在の日本は結婚などで日本国籍を略取した朝鮮人だらけで、ちょっと昔なら考えられなかった悪質な犯罪やモラルハザード、いじめなどが蔓延している。
おれは朝鮮人は大嫌いです!!!!


   >>墓の跡継ぎは長男と決まっている事が仇になってしまった様です。子供が生まれても、娘さんしか生まれなかったら、どうしようもない<<
     ↑
 いや、これはかなり前から女子でも条件が整えば墓を継ぎますよ。
知人にそういう人が何人かいます。

   >>「墓じまい」は、かなり昔からあったようです<<
      ↑
 それは知りませんでした。
無縁墓になって、住職が墓地の一角にまとめて安置してるのは知っていましたが。

   >>ちなみに、墓じまいする頃には先祖は、完全に成仏しているので供養の必要はないそうです<<
      ↑
 あはは、なるほど。
一般的に33回忌でひとくぐりですものねw

えんがわ
M014008022192.v4.enabler.ne.jp

>この歌で聞きなれないのは「黄泉比良坂」という言葉だろう。

からの箇所は説明先行で、はらはらとした場面の中、少し臨場感が削がれた気がしました。
かと言ってこうした丁寧な説明がなければ、物語を十分には理解できないだろうな。自分は。
痛し痒しのところですね。

全体的にホラーのようでいて、日本的な田舎道の風景、闇の独特の感じ、あと歌の響きなどどこか詩的で情緒的な雰囲気があり、楽しめました。

あと文体が少し古風な感じを残しつつ、現代的なライトで読み味の良い感じに仕上がっているのは好きですよ。
巧いなぁと思います。

上松 煌
M106073145001.v4.enabler.ne.jp

わ~い、えんがわさま、こんばんは

 あなたがおれの「布良星(めらぼし=カノープス)の見える浜」に感想をくださって以来ですから、本当にお久しぶりですね。
わざわざ足跡を残してくださって、とてもうれしく有難く思っています。
えんがわさまはホラーが好きなのかな?ww

 どんな作者でもそうですが、やはり読者がどんな感想や感慨を(もちろん批判や不評も)持ってくれたかが、その後の作品や作風に影響を及ぼすので、作者としては気になるところです。


   >>からの箇所は説明先行で、はらはらとした場面の中、少し臨場感が削がれた気がしました。かと言ってこうした丁寧な説明がなければ、物語を十分には理解できないだろうな。自分は。痛し痒しのところですね<<
     ↑
 >>臨場感が薄れる<< う~ん、そうですね。
その通りだと思います。
ただ、おれの作品には常に「言いたいこと」「読み取ってもらいたい部分」があり、この場合は末尾の、
【黄泉比良坂は現世のどこかに存在するものでは決してない】
【生きとし生けるもののすべての傍らに、影が身に添う如く「在る」のだ】
この2点でしたので、これを導くために様々な蘊蓄や考察・見解を積み重ねたのですが、ちょっとまだるっこしかったり、難しかった部分もありますよねぇ。

 おれ自身、それがちょっと気になって「出来が悪い」としたのですが、あなたが、>>痛し痒し<< とおっしゃりながらも、的確に読み取ってくださっていたので、やっぱりキチンと書いておいてよかったなぁと思いました。


   >>全体的にホラーのようでいて、日本的な田舎道の風景、闇の独特の感じ、あと歌の響きなどどこか詩的で情緒的な雰囲気があり、楽しめました。あと文体が少し古風な感じを残しつつ、現代的なライトで読み味の良い感じに仕上がっているのは好きですよ<<
      ↑
 >>好き<< と感じてくださって、ありがとうございます。
とてもよく読み取ってくださり、作者冥利に尽きます。
おれの作品は「純文とエンタメの中間を行く」と言われていますので、出来ればその両方の長所を併せ持ちたいと願っています。


   >>巧いなぁと思います<<
     ↑
おホメくださり、少々、面映ゆく思っています。
1年半のブランクがあり、その間、全く作品を書かなかったので感性が鈍っているのでは? と自分自身不安に感じていたからです。
でも、あなたが気を使ってホメてくださったので、ホメられるのが大好きなおれはホッとしてうれしくなっていますw

 では、あなたの感想返しに行きますね。

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