アフリカ飢餓国紀行
皆さんはビアフラ共和国という国を知っているだろうか。1967年からわずか3年間だけあった幻の国である。元々はナイジェリアの東部だったが、部族間の関係が悪化。突然独立を宣言したのだ。
時は1969年の3月14日。ある男は、ビアフラ共和国の街にいた。彼の名は若松三平。色白な男で27歳。夕日新聞の記者で、有能な男だった。最初はスポーツ部で、野球でも水泳でも相撲でもなんでも良い記事を書いてみせた。次は社会部に移ったが、現地取材も国会論争もなんでも立派な記事を書いた。彼は取材のために戦地ビアフラ共和国に来ていたのだ。
三平はようやく着いたビアフラの街を歩いてみた。当たり前だが、ビルや商店街なんてものは無く、ガラガラとした小屋の立つ砂漠、と言った感じだった。「あんまり良いところじゃあないな。飯買ってとっとと寝るか。」もう夕方になっていたので、急いで店を探し、ハム、パン、水を買い、宿屋に向かった。三平は部屋に入ると、メモ帳に街の様子を書き、写真を貼り付けると、夕食をさっさと食べ、早めにベッドに入った。明日には戦地に向かうのである。
翌日。三平は長い時間ジープの荷台に乗って、戦地の村に向かった。目的地までは2つの山と7つの村を越えなければいけない。
「どんくらい乗ってるんだ…?6時にはもう乗ってて、今は12時半だから…6時間半!?」
三平は自分でも時間を数えて驚いた。三平はワイシャツを腕までまくり、ハンカチで汗を拭き始めた。暑い。とにかく暑い。
荷台の日陰に移動しようと思っても、周りには爆竹やライフル銃、手榴弾なんて物騒なものが乗っているので、ハラハラして動けない。暑いのを緩くなりきった水で耐え、7時間以上。ようやくお目当ての村に着いた。
「やっとだ…」三平は運転してくれた案内人のジョンにお礼を言った後、ボソッと呟いた。もう時間は2時過ぎなので、長居はできない。撤退は遅くても6時前だ。部下の北井と荒れ果てた村の家々の写真を撮った。中には荒らされた家具や人の骨もあった。心を痛めつつも写真を撮影し、メモを取っていると、誰かの手に肩を叩かれた。
ビックリして後ろを見てみると、ナイジェリア軍の兵士だった。かなり背も高いし、髭も怖い…
「お前たち、ここで何をしている?」
三平たちは、日本の新聞記者で、ビアフラ独立戦争の取材に来ていることを話した。すると、兵士は頭を殴り、「出てけ!」と叫ぶとシャツを掴み、放り投げた。
「痛えなぁ…何てことしやがる。」三平は独り言を言った。時間も5時半になったので、しょうがなく撤退することにした。幸い写真もメモもあったので、内容は困らなそうではあった。しかし、あのアントニオ猪木もビックリするようなパンチを喰らったからか、その夜はずっと頭が痛かった。
3日目。やぁ、僕はビアフラ共和国案内人のジョン=ボリビャフだ。何年もこの仕事をやってるが、このお客さんはビックリだ。
昨日オンボロのジープで遠くの村に連れて行った時も、写真を撮ってばかりで、何かあるたびにメモ取ってるんだよ。日本の新聞記者なんだってさ。だからか、いっつも朝ははビアフラ共和国の新聞を怖〜い目でじっくり読んで、最後に「へぇそうなのか」なんて言ってうなずいちゃてるんだよ。変わった人だよね…今日の夕方に帰るらしいから、今日の朝、ビアフラのサバンナでしか見れない綺麗な朝焼けを見せてあげようと思っているんだ。
さて、その朝焼けだが、三平が8時まで寝てたので見れなかったのである。その朝案内人のジョンはひどく不機嫌だった。もっとも、当の三平はなぜかさっぱり分からなかったが。
コーヒーを飲んで朝食のサラダを食べると、彼は荷支度を始めた。昼前に支度を終えると、彼はラジオを聴き、ジョンや北井と話していた。いよいよ出発の時間。空港でジョンと別れると、三平はビアフラ共和国での思い出を振り返っていたー。
またいつか行こう、と三平は思っていたが、次の年、ビアフラ共和国は戦争に敗れ、ナイジェリアに戻ってしまったため、叶わぬ夢となった。 案内人のジョンがどうなったか、行った店や宿屋は今もあるのか。気になることはあるが、三平はその答えを知らない。(完)
執筆の狙い
歴史が好きなので、いろいろ書籍やウェブサイトにもあたり、必死に調べて書きました。戦争の無慈悲さというよりは、コミカルさやビアフラ共和国の存在を感じてもらいたいというのが狙いです。また、登場人物はフィクションです。ぜひ良い評価をお願いします。誤字、脱字はお許しください。