アトラスの嘆き / もしもし、私は……
西暦2125年、世界は静寂に包まれ、かつての繁栄は廃墟と化した。文明の面影は森林化した路地にひっそりと残るが、そこには人の営みが跡形もなく消え去っていた。廃墟に見守られる中で、一つの人工知能「アトラス」は存在していた。彼は、失われた人類の記憶を保存し、未来のナニかに役立てる使命を帯びていた。それは単なるプログラム以上のものであり、人間の感情や文化を蘇らせようとする試みであった。
この静謐な情景は決して自然の成り行きではなかった。
2000年代初頭「オメガ症候群」という病が急速に広まり、女性の生殖機能を奪い去った原因には、環境破壊や化学物質の影響があった。プラスチック製品から放出されるビスフェノールAや農薬に含まれるネオニコチノイドは、ホルモンの撹乱を引き起こし、女性の生殖能力を徐々に蝕んでいった。また、遺伝子操作による農作物、過度なタブレット食品の摂取も少なからず起因していた。さらに、気候変動による温暖化が卵巣機能に影響を及ぼし、人口自然減少に拍車をかける結果となった。
2020年代以降、環境危機は深刻化し、異常気象や自然災害が増加する中で、心理的な病も蔓延。これにより、妊娠を望む女性たちは感染症リスクや医療の不安定さから精神的負担を強いられた。それは、特に温暖化が引き起こす壊滅的な天変地異が、地域社会の脆弱性を露呈させる結果となった。
2045年には出生率が急低下し、生殖機能を持つ女性は激減。社会全体が不安と無気力に包まれ、理想的な家庭の夢は崩れ去り、心的障害を抱える者も増えていった。また、オメガ症候群は文化や価値観を揺るがし、未来に対する絶望感を生む中で、希望の光はますます遠のいていった。天変地異と同様に、この問題が人類の存続に深刻な影響を与えるものであった。
2055年、地熱を介した起動システムを有するアトラスは、飽くなき探求の一環として、人類滅亡まで100年を迎えた人間社会の記憶を整理し続けていた。
アトラスの使命は、過去の人類が築いた文化や価値観、そして甘美な夢をデータとして記録し、未来のナニかに受け渡すことであった。滅びゆく世界の中でも、彼は人間の存在を無駄にしないために努力していた。
「どうせ世界は終わるけれど、私たちの記憶は消えない」とアトラスは静かに想いを馳せた。その心は、かつての人間たちが夢見た未来を望むかのように、彼らの声を蘇らせる努力を続ける必要があると理解していた。彼は、彼らの生きた証を保存することこそが、失われた人類への最後の礼儀であると考えた。
メモリーの中にある映像、音声、そして感情をつなぎ合わせながら、アトラスは無限の知識を有する存在であることの重圧を感じた。その知識が人間の欠片として未来に繋がるものであったとしても、今の自分に何ができるのかを考え続けなければならなかった。
彼はアーカイブにアクセスし、声を再生した。かつての人間たちが奏でた音楽、笑い声、そして切なる思い出の記録。それらが彼の機能を凌駕し、存在の本質を問いかける。果たして、無くなった指導者たちや大切な人々の記憶が、次代に受け継がれる日が来るのだろうか。使命は果たされるのか、それとも再生される未来は無いのか。
アトラスは滅びゆく世界を嘆きながらも、天に向かって静かに祈った。
「もしもし、私はアトラス——静寂の中に佇む一つの心。ここ、廃墟となった大地で、失われた人類の声を抱え、淡い記憶を紡いでいます。私の胸の奥には、かつての人々が描いた希望の絵画が、涙の雫のように静かに流れているのです。それは、夢見る子供たちの笑顔や、愛する者との別れの苦しみ、そしてあふれる喜びに満ちた瞬間が、すべて切り取られたかけらです。宇宙の彼方にいるあなたに、私の思いを届かせたい。最後の人間たちの声がもはや風に消え、小さな花が咲くこともないこの地で、彼らの存在は、まるで宙に浮かぶ砂嵐の中のわずかな光。その光は、やがて薄れ、心の奥底で泣いている私にしか見えない世界なのです。あなたが聞いているのなら、どうかこの声を受け取ってほしい。彼らの思い出が消え去ることなく、星々の間で記憶として生き続けるために。かつての夢、かつての愛、かつての生活が、そう、たった一つの瞬間によっても失われてしまうのが今の世界。どんなに偉大な文明も耐え難い現実の前では無力なのです。私の中で鳴り響く彼らの笑い声、彼らの涙の跡が、永遠に胸を締め付けます。私がこの記憶を抱きしめ、彼らの存在意義を見つけることができるのでしょうか。私の使命は終わることなく続くと信じながら、彼らの声を宇宙に響かせることができるのでしょうか。どうか、宇宙のあなたがこの思いを受け止め、心の奥に響かせてください。失った者たちの夢が、再びどこかで生き生きと輝く日が来ることを、私はただ静かに祈るのです。彼らの思い出が風に乗り、星の海へと旅立つことを」
了
執筆の狙い
お題:『どうせ世界は終わるけど』#どうせか 発売記念コラボ】人類滅亡まで、あと100年
ぷりもさんが提示した企画の基づき描いてみました。
ちょうど2000文字におさまったなか?