作家でごはん!鍛練場
綺麗の綺

『道先』 『駅前の時計台』

『道先』

夜の公園は静寂に包まれていた。街灯がぼんやりと長く冷たい影を地面に落としている。遠く、木々の間を風が静かに通り抜け、その音だけが響いていた。空気はひどく澄み渡り、時間が止まったかのようだった。夜空に散らばる星々は、はるか昔の光を受け継ぎながら、今も消えずに瞬いている。

少年は公園のベンチに座っていた。その理由を、彼自身もうまく説明できなかった。ただ、目の前に広がる道がどこへ続くのか、分からず確信を持てないまま、座り込んでいた。何かを考えようとすればするほど、思考は霧の中に迷い込み、答えにたどり着けないまま宙を漂っている。

「こんな夜の公園に人がいるのは珍しいな」

不意にかかった声に、少年は振り返った。そこに立っていたのは白髪の老人だった。ゆっくりとした足取りで、だが確かな意志を持って歩いてくる。彼の目は、少年には見えない何かを見通しているようだった。

「あなたも、ここで考え事ですか?」

少年はどこか無機質な調子で尋ねた。老人はにっこりとほほ笑み、ベンチに腰を下ろした。その表情には、長い歳月を生きてきた者だけが持つ深い味わいがにじんでいた。

「考え事だよ。夜が深くなると、人はつい物思いにふけるものさ。でも、考えを言葉にしてみると、時に自分を縛ることにもなる」

老人の言葉の意味を、少年はすぐには理解できなかった。ただ、その響きが妙に心に引っかかり、すぐに消えることはなかった。

しばらくの沈黙が訪れた。夜風が二人の間を通り抜け、葉擦れの音はかすかに聞こえる。その静寂の中で、少年はふと、自分が何を求めてここにいるのかを考えた。

「僕は、何を夢見ればいいのか分からないんです」

ぽつりと漏れた言葉に、老人はゆっくりうなずいた。その視線は、少年をじっと見据えていた。そして、やがて老人は低い声で語り始めた。

「昔、私はある場所に迷い込んだことがある」

唐突な老人の言葉に、少年は耳を傾けた。老人は少し間を置き、続ける。

「その場所には、二つの道が交差していた。一つは、見通しの良い道。どこまでも続いているように思えた。もう一方は、先に壁が見えている道。しかし、私は道を前にしてそのどちらにも足を踏み入れなかった」

少年はその話に、微かな驚きを覚えた。

「どうして選ばなかったんですか?」

「どちらを選んでも、たどり着く場所は同じだったからさ」

少年はその言葉を胸にしまい込み、しばらく黙っていた。老人の言葉は、遠くの音楽のように響いていたが、その全てを理解するにはまだ彼は若すぎた。だが、心の中で何かが変わり始めていることは確かだった。

「道というのは、選ぶものではなく、気づけば歩いているものなんだよ」

少年は、これまでの老人の言葉を理解することはできなかったが、その言葉だけは静かに少年の胸に落ちた。

「でも、選ばずにいることは不安ではありませんか?」

少年は思わず口を開いた。老人はその問いに、静かに笑った。その笑みには、どこか懐かしさと諦念が入り混じっていた。

「不安こそが、生きるということさ。迷いながら、それでも歩く。それが大事なんだよ」

少年は何も言わず、その言葉を胸にしまい込んだ。老人はゆっくり立ち上がり、歩き出した。

「それじゃあね」

夜の静寂の中に、その言葉だけが溶けていった。

──翌朝。

少年は何気なく街を歩いていた。そのとき、近所の婦人たちの会話が耳に入った。

「昨日、隣町の老人が息を引き取ったんですって」

少年は足を止めた。胸の奥に、何かが込み上げる。しかし、それが悲しみなのか、喪失感なのか、はっきりとは分からなかった。ただ、昨夜の言葉が、遠くの灯りのように心の中にともっていた。

その日の夕方、少年は公園に足を運んだ。いつものベンチに、老人の帽子は置かれていた。誰が置いたのかは分からない。だが、それは老人がまだそこにいるかのように、静かにたたずんでいた。

少年はそっと帽子を手に取る。そして、ゆっくりと公園の出口へ向かって歩き出す。

道は続いている。その先に何があるのかは分からない。けれど、いつか自分の歩むべき道が明確になり、その先に光が見えることを、彼は確信してた。

〈了〉







『駅前の時計台』

駅前の広場には、ひときわ目を引く時計台がそびえていた。昼は時間を告げる鐘が鳴り、夜には沈黙し、街の風景に溶け込む。
駅を利用する人々は、その音に耳を傾け、時刻を確かめながら足を進める。彼らは意識していないようでいて、時計台に支配されていた。

広場に立ち、何気なく周囲を見渡すと、目に入るのは、いつものように腰をおろしている老人だった。名前も知らないその男は、毎日同じ場所で同じ格好をしている。ぼろぼろのスーツに、ゆるんだネクタイ、そして焦げ茶色の帽子。それが彼の特徴だ。

彼の横には、今日もまた古びたリュックサックが転がっている。その中には何か重いものが詰まっているのだろう。彼にとっては、何の価値もないもののようだが、側から見れば唯一の財産のように映る。通り過ぎる人々は彼を見ても、無視して立ち去るのが常だった。

その日も、老人は時折うなだれながら煙草を吸い、空を見上げていた。煙が空に舞い上がると、時折風がその煙を吸い込み、街の片隅に消えていく。

「君、少しだけ話をしないか?」

突然の声に立ち止まったのは、一人の若い男だった。顔には疲れの色がにじみ、歩き方にもどこか力がない。

「君が話したいことがあれば、聞くよ。」

男は少し立ち止まり、考え込んだ様子を見せた。やがて、老人の横に腰を下ろしたが何を話せばいいのかわからないようだった。

時計台の鐘が鳴る。人々は足早に通り過ぎ、誰も二人には目を向けない。

老人はゆっくり煙草をくゆらせ、男の様子を見つめていた。しばらくの沈黙の後、男が口を開きかけたとき、老人がぽつりと言った。

「お前は、何がしたいんだ?」

男は開きかけた口を閉じ、それからしばらく考え、答えた。

「僕は、どうしても自分の人生に意味を見つけられなくてね。」

老人は驚いた様子もなく、ただゆっくりと煙草の火をくわえなおした。

「それは不思議なことじゃない。誰だってそうだ。ただ、問題はその『意味』を探し続けることに意味があるかどうかだ。」

男はその言葉に何も言わず、前を見つめた。老いた男の目は、どこか遠くを見つめているかのようだった。

「君の人生に意味があるとすれば、それはどこで見つけるものだと思う?」

男の答えは簡単だった。

「まあ、どこでもいいさ。僕はただ、何かを見つけたいだけなんだ。」

老人はにやりと笑い、煙を一息に吐き出す。

「君が求めているものは、結局、君自身の中にあるものだ。だが、どうしてもそれに気づけないのは、きっとその答えが君にとって重すぎるからだろう。」

男はその言葉を呑み込むように静かにうなずいた。そのとき、時計台が鳴る音が広場に響いた。老人もその音に耳を傾け、目を細めた。

「お前、時間に縛られていることに気づいてるか?」

男は驚いたように顔を上げた。

「いや、そう言われても…時間に縛られるってどういうことですか?」

老人は、しばらく黙った後、ふっと笑った。

「この広場にいる限り、君は永遠に時間の奴隷だ。ただし、君の時間がどう使われようと、それを誰も評価しないし、見ていない。だからこそ、お前の『意味』を見つけようとするその行為が、実はすべて無駄だということに気づかないんだ。」

その言葉に男は驚き、次第に沈黙が流れた。

しかし、老人は続けた。

「君が求める『意味』というのは、結局のところ誰かが作り上げたものにすぎない。自分自身が求めた意味を見つけることこそ、逆に言えば『それを求めること』が一番無意味なことだと分かる時が来る。それが人間だ。」

男は考え込んだまま、やがて時計台を見上げた。

「さて、君にはもう十分だろう。この意味が分かったら、もう行け。」

男はただ一言「ありがとうございました。」とつぶやき、立ち上がった。足早に歩き出し、もう振り返ることはなかった。

老人はその背中を見送りながら、再び煙を一息に吸い込んだ。やがて、煙がふわりと風に乗って広場の隅に消え去り、時計台の鐘の音が静かに鳴り響いた。

それが最後に響いた時、老人はついにそのリュックサックを開けた。中身は予想外にも、たくさんの紙切れが積まれていた。その一枚一枚には、かつては意味があると思い込んでいた「価値」が書かれていた。だが、それは今はただの文字の羅列になっている。

老人はその紙をゆっくりと引き抜き、風に乗せるように撒き散らした。

時計台の鐘が最後になる時、その紙切れはひらひらと舞い、広場の隅へと消えていった。

「これが、人生だ。」

老人はそう呟き、静かに目を閉じた。

〈了〉

『道先』 『駅前の時計台』

執筆の狙い

作者 綺麗の綺
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伝えたいことを全面に出し過ぎて、哲学的になってしまった作品たちです。
どちらが興味深かったについても、教えていただけると幸いです。

コメント

夜の雨
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綺麗の綺さん「『道先』『駅前の時計台』」読みました。

たしかに人生哲学が描かれていますね。
二つの作品とも、意味が深いのでわかりにくさはありますが。
『道先』のほうが、話がストレートだと思いましたので、こちらのほうがわかりよい。
ただ、内容の深さは『駅前の時計台』ですね、なので、こちらの作品が好みです。

>伝えたいことを全面に出し過ぎて、哲学的になってしまった作品たちです。<
まったくその通りで、楽しんで読むことができません。
言葉の意味を探らなければならないので。


なので「哲学的」な言葉の意味があるところは、立ち止まって考えました。
小説は、これではだめだと思います。
いちいち立ち止まって意味を深く考えていると、楽しめないので。
学術書ではありません。


『道先』について。

公園のベンチに座る少年の目の前に広がる道の意味は「これからの人生」です。
「広がる道」なので、少年にとっては「未来がある」ので、「人生は広がっている」。

>どこへ続くのか、分からず確信を持てないまま、座り込んでいた。<
何を目指したらよいのか、少年は、まだ考えていない、という事になる。
本来なら、親が自分の子供に教育を与えて、「広がる道を自由に選択できるように、土台を作ってあげる必要がある」。そうすると、未来の光が見える。

>考えを言葉にしてみると、時に自分を縛ることにもなる<
その通りで、とくに自分以外の者に話すと「自分を縛ることにもなる」。
なので、意味がある言葉は軽々しく他人に話すことは注意をしたほうがよい。
逆に言うと、「目指すもの」があれば、それを言葉すれば自分を縛るので、「へこたれなくなる」という事もある。

二つの道の意味。
結局行きつくところは、死なので、「途中の道は花が咲いているか、枯れているか」のどちらか。
要するに、道中の楽しみ方しだい。
このあたりは人生をどう考えているのか、というところ。


>どちらも選ばなかった<
選ばなくても「人生の時間は止まらない」ので、歩く必要がある。
行く末は死になるが、目的も持たずに人生を歩き終えることに意味はあるのか、という事になる。
なので、子供の時に教育を受けて未来の可能性をひろげておくと、目的をもった人生を歩くことができるのでは。
しかし、産まれてくるときに、子供は親を選ぶことができないからな。


A>「不安こそが、生きるということさ。迷いながら、それでも歩く。それが大事なんだよ」<
で、老人は、人生を終える死を前にして、Aをいったが、これは、自分が自由に歩んだことに、後悔をしないため。

>公園に足を運んだ。いつものベンチに、老人の帽子<

これはたしかに老人が存在していたという意味。
そういった意味ではこの老人は少年と会話を重ねたことは存在していたという意味にもつながっているので、良かったのでは。

話が長くなりましたので、これぐらいで。

『駅前の時計台』については、明日にでも。


お疲れさまでした。

綺麗の綺
KD106154140117.au-net.ne.jp

コメントありがとうございます。
『道先』と『駅前の時計台』の両方について、丁寧に読み解いていただき、とても嬉しいです。

小説としての「楽しさ」と、哲学的な思索の「深さ」のバランスは、いつも悩むところです。
今回は伝えたいことを優先したため、どうしても「考えさせる」作りになってしまったかもしれません。

『道先』についての解釈も、なるほどと思いながら拝読しました。
特に、**「言葉にすると自分を縛るが、それが逆に強さにもなる」**という部分は、まさに意図したことの一つです。言葉にすることで生まれる不自由さと、それによって生まれる覚悟。
その二面性を、感じ取っていただけたのが嬉しいです。

また、**「選ばなくても時間は進む」**という点についても共感します。どの道を選んでも、最終的には「終わり」に向かうのが人生ですが、その道中をどう歩むのかは自分次第。だからこそ、少年と老人の対話の中で、「迷いながらも歩くこと」そのものの価値を伝えたかったのです。

そして、ラストの帽子の描写についても、「たしかに存在していた」という意味に触れていただき、嬉しかったです。人の記憶に残ること、その存在が確かにあったと感じられること。
そういうものが、人の生きた証になるのではないかと思っています。

『駅前の時計台』についての感想も、楽しみにしております。
こちらの作品のほうがより「深い」と感じていただけたようで、どの点がそう思われたのか、ぜひお聞かせください。

改めて、じっくり読んでくださったことに感謝します。

夜の雨
ai195112.d.west.v6connect.net

『駅前の時計台』について。

こちらの作品は「人生に意味を見つけられない青年」と、「人生をほぼ終えている老人」のお話になっています。
今回こちらの感想を書くために二度読んで、御作が「抽象的」なのがわかりました。

「人生の意味」について、言葉の上だけで会話を重ねているので、本質がわかりにくくなっています。

つまり青年にしても老人にしても彼らが、それまでにどういった生き方をしてきたのかを描かないことには、「人生の意味」を問う二人のエピソードにはつながらないのでは。

老人はリュックサックに紙幣をしこたま詰め込んでいたというオチになっているので、仕事で金を稼いだそれが老人の人生の評価だった、ということになっています。
つまり「金を稼いだのは何のため」という事になります。
老人は紙幣をリュックから出してばらまいているので、金を稼ぐ人生と使う人生のバランスを間違ったという事になるのですよね。

青年については、まったく背景がわかりませんが。

なので、今回の登場人物に「家族」や友人をエピソードで絡ませる必要があるのでは。

青年については、家族や友人のほかに恋人でもよい。

そのあたりの人間関係と社会に出るまでにどんな夢があったのか、どうして夢を実現させようとしなかったのか、を描く必要があるのでは。

そういった二人の背景部分を描かないで、「人生の意味」という「言葉遊び」だけをしても、奥行きが出るような作品にはならないのでは。

>彼らは意識していないようでいて、時計台に支配されていた。<
と、冒頭直後にあるので、時間に支配されていたという暗喩があるのでしょうね。
青年はまだ、これからの人生は長いですが、老人は時間に支配されて、その時間との交換で紙幣を大量に稼いだのだと思います。
そして本来なら豊かな生活が待っているはずなのですが、どうやら家族とか友人はいないようで、残り少ない人生をどうまっとうするのか、というところだと思いますが。
それにしてもリュックの中の紙幣をばらまく必要はないと思いますが。
使い道はいろいろあります。

といっても、『道先』に登場している老人と同じ人物らしいので、そうなると、もうすぐという事になりますね。
やはり、紙幣はすでに必要ないのか……。

どちらの作品も中途半端ですね。
可否がつけがたいです。

まあ、作者さんはわかっておられるようですが。


お疲れさまでした。

綺麗の綺
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コメントありがとうございます。

「駅前の時計台」に関して、「人生の意味」を問うためには、青年や老人の背景をより描くべきではないか、というご意見は、確かに一理あると感じました。本作ではあえて二人の過去を詳細に描かず、会話の中から滲み出るものに委ねる構成を取りましたが、それが「抽象的」と映ったのかもしれません。

また、リュックいっぱいの紙幣の扱いについても、「稼いだ金をどう使うべきだったのか」という視点があることは、まさに本作が提示したかった問いの一つです。老人がそれをばらまいたことについて、「もっと他の使い道があるのでは」というご指摘も、ごもっともだと思います。ただ、老人自身が「時間と引き換えに得たもの」をどう扱うかを考えた末の行動として、あの場面を描きました。

青年の背景については、確かにもう少し踏み込んで描く余地があるかもしれません。ご指摘のように、家族や友人、恋人といった存在を通じて、彼がなぜ「人生の意味」を見失っているのかを描くことで、より奥行きが出た可能性があります。この点は、今後の作品作りの参考にさせていただきます。

「道先」との関連についても触れていただき、ありがとうございます。同じ人物として捉えていただいたのは嬉しい限りです。二つの作品を通じて「人生を終えようとする者」と「これからを見つけられない者」の対比を描こうとした意図が、読み取っていただけたのだと感じました。

「中途半端」とのご指摘については、確かにまだ完成しきれていない部分もあるのかもしれません。ただ、作品の意図として、人生の答えを一つに定めるのではなく、読む人の視点によって感じ方が変わる余地を残したかったというのが正直なところです。それが「言葉遊び」に見えたのであれば、もう少し実感を持たせる工夫が必要だったのかもしれません。

貴重なご意見、ありがとうございました。今後の創作に活かしていきたいと思います。

渡辺沙羅
114-134-212-157.fnnr.j-cnet.jp

こんな風に書けばいいのにと自分が小さくなりました。
この密度この語彙この雰囲気全て作者のものです。
私はいちいち指摘する頭はありません。
哲学のようであり化学とはちがう。

生み出す言葉の何と水水しいことでしょうか。
美しいとは何かそれがこれ。

散文でこのような遠い世界を提示してくれる素晴らしい筆致。

私にはこれとしか言いようがない・

綺麗の綺
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コメントありがとうございます。
「こんな風に書けばいいのに」と思っていただけたこと、嬉しいです。
けれど、「小さくなる」必要はないと思います。文章はそれぞれのものであり、誰にも真似できない「密度」や「語彙」や「雰囲気」があるはずです。
私の言葉は私のものであり、あなたの言葉はあなたのもの。

それでも、そんなふうに感じてもらえたのなら、私はただ「書いてよかった」と思います。
言葉が届いたのなら、それで十分です。

渡辺沙羅
114-134-212-157.fnnr.j-cnet.jp

私はこれを読んで作家をあきらめました。
貴方のような作品はもしも私の筆致でも書けません。パクりでなく。
純粋に彫刻していく貴方の良さにノックダウンしたんです。
私は今年65歳。これからはROMに徹します。

綺麗の綺
flh2-133-200-164-97.tky.mesh.ad.jp

コメントありがとうございます。
65年間の人生を歩まれた方にそう言っていただけるのは、身に余る光栄です。ですが、もし書くことを好きでいらしたのなら、どうか筆を置かないでください。

創作は書くことだけではなく、読むこともまた、その一部だと思っています。読むことで物語に命を吹き込み、新たな解釈を生み出し、時には時代を超えた意味を持たせることもできる。物語は、読んでくれる人がいてこそ完成するものだから。

もしこれからは読むことに徹するとしても、その姿勢が物語を支えているのだと思います。どうか、これからも物語を楽しんでください。そして、いつかまた、言葉を紡ぎたくなったときは、ぜひ書いてみてほしいです。

名無し
118.103.63.150

綺麗の綺さま

いいですね〜!
久しぶりに、ありのままの老人を想起しました。
小生(星)も、ちょうど「いま」そのような老人と遭遇しているので、筆の成る作品意欲が湧きました。
この場を通じ、感謝お礼申し上げます。

内容についての感想
一つずつの感情を青年という自分が拾い上げ、また老人といういつかの自分でもある作品ですね。

ただ、このような作品は案外多いのです。
安部公房が、売れる前の作品を読んでいる匂いがしました。

ここから、あなたがあなたの人生を歩んでいくうえでどのような作品と変化するか、どのような人生になるのか、小生(星)という老人は楽しみにしております。

綺麗の綺
flh2-133-200-164-97.tky.mesh.ad.jp

コメントありがとうございます。

「ありのままの老人を想起した」とのお言葉、とても嬉しく思います。
私自身、この作品を書くうえで、老人という存在をどこまで等身大に描けるかを模索しておりました。青年が老人の言葉を拾い上げる一方で、老人もまたかつての自分を重ねながら語る——そんな関係を自然に描けたなら幸いです。

また、「安部公房が売れる前の作品を読んでいる匂いがした」というご指摘、大変興味深く拝読しました。私の中にはまだ明確な作風というものがなく、書きながら形を探っている状態ですが、その過程でこうした評価をいただけたことに驚きとともに喜びを感じています。

この先、私がどんな作品を書き、どんな人生を歩むのか。正直なところ、まだわかりません。しかし、この一つひとつの言葉が、確かに私の道を照らしてくれるのだと感じています。

温かい言葉を、本当にありがとうございました。

名無し
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綺麗の綺さま


https://note.com/laughtale_farm/n/n7a053281078e
私という自我の解釈により私の老人を描いてみました。

お暇がある時に、拝読いただければ幸いです。

綺麗の綺
KD106155005047.au-net.ne.jp

拝読しました。
非常に深遠で象徴的な要素を多く含んでおり、読み手に強い印象を与えいる感じが伝わってきました。

特に印象的なのは、物語全体に漂う「無常」と「再生」のテーマです。
空茗が登る六百六十六段の石段は、物理的な障害を超えた精神的な試練を象徴しており、最終的に「遍照金剛の一部成り」として彼が成長し続ける様子が示唆され、余韻を残す終わり方ですね。
また、老人の杖やその奇妙な漢字、空茗が掲げる「病は心に拠らずば癒ゆ」という言葉が、人生における癒しや成長の力を語る重要なキーとなっています。

文体においても、古文の影響が感じられ、詩的で重層的な表現がお見事だと思いました。
特に「眼は宇宙なり」「杖は微かに震え、過去と未来を繋ぐが如し」などの比喩表現が、空茗の内面の変化や精神的な境地を繊細に表現していると言えますね。

西山鷹志
softbank126077101161.bbtec.net

拝読いたしました。

二つの物語で共通しているのは老人の登場ですね。
まるで道先案内人のようです。
作者さんが言うように確かに哲学的な内容ですね。

道先ではどこへ進めば分からない。
確かに道は人生と同じ、ただ道は右に行くか左に行くかで人生は大きく変わります。
例え話ですが、親友同士だったのに、同じ道を行こうと言ったのに、意見がぶつかり
二人は別々の道を歩み始めました。その一人が
「どうしても同じ道を進めないのか、もしお前がその道を進めば、もう俺たちは交じるわる事はない永遠な」
そう言い残し去っていった。

人生は道そのもの、私も何度も進む道を迷いました。
未だに後悔することが多々ありました。
もし違う道を進んだら別な人生もあっだろうと良かった悪かったか(笑)。



「駅前の時計台」はまたの機会に。

fj168.net112140023.thn.ne.jp

拝読しました。

難し過ぎて評価のしようがありません。皆さん良く読めたと感心いたしております。
私は一話目の『道先』から進めません。

本来、このような物語の場合「岐路」と表現するところ、「交差する二つの道」との言い回しに意味があるのかと思ってしまいました。
これは二者択一ではなく、ある場所で二つの道が交わり、一方からも他方からも進入することができる状況を指します。この場合、見通しの良い道と壁が見えている道の交差は、色々な選択肢が生成される特別な瞬間を象徴しています。

見通しの良い道は、明るく開けた道が続いて、道の先には何も障害物がない。この道は希望や楽しみ、自由を象徴している。周囲には緑が豊かで、爽やかな空気が広がっているかも知れない。進んでいく先には新しい発見や冒険が待っている可能性があります。

一方、壁が見えている道は行き止まりのようで、目の前にそびえ立つ壁が視界を遮っています。ここは不安や閉塞感を感じさせる場所です。この道を選ぶことは、例えば困難や試練に立ち向かうことを意味するかもしれない。進んでいくことで新たな教訓や成長を得られる可能性もある、真実を追及する人間形成の道。

どちらの道にもそれぞれのメリットやデメリットがあり、選択によって今後の人生や経験が大きく変わるかもしれません。この瞬間は、その後の道筋を決定づける重要なポイントとなります。選択すること自体が冒険であり、いくつもの可能性が開かれていることを意味しています。

一方で、交差点に立った時、どちらの道も選択しないという選択もあります。
この場合、立ち止まって考える時間を持つことが重要なのでしょう。自分自身を見つめ直し、次の一歩を踏み出す準備をするための貴重な時間です。
ここからの選択肢はいくつかあります。立ち止まって、周りの環境をよく観察してみる。どちらの道にもそれぞれの特徴や感じる雰囲気があります。周囲の風景や音、匂いを感じ取り、新たなインスピレーションを得られるかもしれません。また、自分の気持ちや考えをじっくりと整理し、どちらの道が自分にとって本当に大切なのか、何を求めているのかを考えることもできます。日記を書く、深呼吸をする、瞑想するなど、心を落ち着ける時間を持ってみるなどね。

また、直感的にどちらの道も選びたくないと感じた場合、自分にとって新しい選択肢を考えてみるのもひとつの方法だと思います。たとえば、一時的に道を外れて周囲を探検する、別の方向に進んでみるなど。固有の選択肢に縛られず、自分独自のルートを見つける過程です。

あとは、信頼できる友人や家族に意見を求めてみるという選択もあります。他者の視点からのフィードバックが、新しいアイディアや選択肢を提供してくれることもあるでしょう。
このように、結局のところ、選択しないことも一種の選択です。

と考えると、読者は、作者の思惑にまんまとはまっている気がしてなりません。
というのは、一般的に考えてみて、会話文が成立しているようには思えないからです。

>「どうして選ばなかったんですか?」

>「どちらを選んでも、たどり着く場所は同じだったからさ」

なぜ、この時点で断言できるのでしょうか。同じだったと思ったからさ――ならば府に落ちます。

問題は次の描写です。

>「道というのは、選ぶものではなく、気づけば歩いているものなんだよ」
>少年は、これまでの老人の言葉を理解することはできなかったが、その言葉だけは静かに少年の胸に落ちた。
>「でも、選ばずにいることは不安ではありませんか?」

ここがこじつけのように感じます。
普通ならば、少年は「気がつけは歩いている」その道の探し方を知りたいのですから。

で、

>「不安こそが、生きるということさ。迷いながら、それでも歩く。それが大事なんだよ」

とくる。

全く会話が足りていないと感じるのです。

へんてこな感想で申し訳ありません。

書いていて、またわからなくなってきた。

トホホです……

fj168.net112140023.thn.ne.jp

府に落ちます



《腑》に落ちます

失礼しました。

そうげん
101-142-142-238f1.shg1.eonet.ne.jp

文章を長く書いてこられた方でしょうか。それとも書きはじめて間もない方なのでしょうか。
とりあえず最初の段落を見ただけでも、気になる箇所が散見されましたので指摘させていただきますね。



〈夜の公園は静寂に包まれていた。街灯がぼんやりと長く冷たい影を地面に落としている。遠く、木々の間を風が静かに通り抜け、その音だけが響いていた。空気はひどく澄み渡り、時間が止まったかのようだった。夜空に散らばる星々は、はるか昔の光を受け継ぎながら、今も消えずに瞬いている。〉



〈夜の公園は静寂に包まれていた〉という風に、場面は〈静寂に包まれていた〉とあるのに、つぎの文では〈遠く、木々の間を風が静かに通り抜け、その音だけが響いていた〉と、〈その音だけが響いていた〉とあります。音が響いていたのであれば、それは〈静寂〉ではありません。一文目と三文目の間に、あきらかな矛盾が生じています。

〈街灯がぼんやりと長く冷たい影を地面に落としている。〉二文目。〈ぼんやりと〉と〈長く冷たい影〉という言葉が連続しますが、〈ぼんやりと〉という言葉は余韻を残す性格を持っています。反面、〈長く冷たい〉という言葉はエッジが利いていて状況を的確に切り取ります。この二種の言葉を並用されると、散文として読んだときに、どうしてもちぐはぐ感が生じます。一読者としては、この場面は、緩めたいのか、引き締めたいのか、いったいどっちなんだと戸惑わされます。

〈遠く、木々の間を風が静かに通り抜け、その音だけが響いていた。〉〈遠く〉は、〈響いていた〉に係るのでしょうけれど、文章中の距離が開きすぎていませんか? 間に挟んだ言葉、〈木々の間を風が静かに通り抜け〉という言葉と、〈その音だけが響いていた。〉も、〈風が〉、〈その音だけが〉と、構文的にスマートでないし、むしろ渋滞する印象を感じさせます。

〈夜空に散らばる星々は、はるか昔の光を受け継ぎながら、今も消えずに瞬いている。〉〈星々は〉〈はるか昔の光を受け継ぎながら〉と書いていますが、星々の光は、他の存在から〈受け継いだ〉光でもっていま光っているのですか? それはあり得ないと思います。何百光年あるいは何千光年と離れていても、それは、何百年前何千年前にその星が発した光が、それだけの時間を経て、いまこの地球で夜空を見上げるわたしたちの目に映っているのではありませんか? それは何物かから受け継がれた光ではないはずです。論理矛盾を起こしていると思いますよ。


 最初の段落だけでもこれだけ気になる箇所がありました。自分の書く文章とその意味にもっと意識的になって表現活動に取り組まれるのがよいと存じます。

 先に感想を書かれた方は、わたしが疑問を生じた箇所などまったく意識せずに読み飛ばされたのでしょうか。
 気になりました。

綺麗の綺
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西山鷹志さま

コメントありがとうございます。

確かに、二つの物語には人生の道を示すような老人が登場しますね。道を進むということは、必ず選択を伴い、その選択が人を大きく変えていく。そう考えると、人生は本当に「道そのもの」なのかもしれません。

親友同士が別々の道を歩み始めるというお話、とても印象的です。選んだ道の先に何があるのか、それは進んでみなければわからないものの、振り返れば「あのとき違う道を選んでいたら」と思うこともある。きっと、それは誰しもが抱える思いなのでしょうね。

私自身、物語を書く中で「選択」や「分かれ道」というテーマに自然と惹かれているのかもしれません。『駅前の時計台』についても、またお読みいただける機会があれば嬉しいです。

綺麗の綺
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凪さま
コメントありがとうございます。

「交差する二つの道」について、非常に興味深い解釈をしていただきました。確かに「岐路」という言葉が一般的ではありますが、「交差点」とすることで、ただの二者択一ではなく、より広がりのある選択の可能性を表現できるのではないかと考えました。見通しの良い道と壁のある道の対比についても、まさに人生の選択そのものですね。進む道によって得られるものが異なり、選択そのものが冒険になるという視点には共感します。

会話の部分についても、率直なご指摘ありがとうございます。「どうして選ばなかったんですか?」と問われた老人が「どちらを選んでも、たどり着く場所は同じだったからさ」と断言するのは、確かに強すぎる表現かもしれません。「同じだったと思ったからさ」とすることで、より主観的なニュアンスが加わり、読者の解釈の余地が広がるかもしれませんね。

また、「道というのは、選ぶものではなく、気づけば歩いているものなんだよ」というセリフが、少年にとって唐突に感じられる点もなるほどと思いました。少年の反応としては、たしかに「その道の探し方」を問うほうが自然かもしれません。ここはもう少し掘り下げて、会話の流れをスムーズにできるよう工夫してみる価値がありそうです。

へんてこな感想だなんてとんでもありません。むしろ、こうして細かく読み解いていただけることが嬉しいです。読みながら考えが深まるのは、まさに物語の醍醐味ですね。

綺麗の綺
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そうげんさま

コメントありがとうございます。

まず、「静寂に包まれていた」と「その音だけが響いていた」の矛盾についてですが、確かに「静寂」と「音が響く」は対立する要素です。しかし、ここで意図したのは「喧騒のない静寂の中で、風の音だけが際立つ」という状況でした。ですが、表現が不十分で、読者に違和感を抱かせてしまったのだと思います。改善の余地がありますね。

また、「ぼんやりと」と「長く冷たい影」のちぐはぐ感についても、ご指摘のとおりです。「ぼんやり」とした柔らかい表現と、「長く冷たい」という鋭い表現が共存すると、読者が戸惑う可能性があります。この場面の雰囲気をより統一感のあるものにする必要がありそうです。

「遠く、木々の間を風が静かに通り抜け、その音だけが響いていた。」の構文についても、たしかに「遠く」がどこにかかるのかが曖昧になっており、文章が渋滞してしまっています。「遠くで、風が木々の間を静かに通り抜ける音だけが響いていた」とすれば、もう少しすっきりするかもしれませんね。

そして、「星々は、はるか昔の光を受け継ぎながら」の部分ですが、ここは「過去の光が今も届いている」ということを詩的に表現したつもりでした。ただ、「受け継ぐ」という言葉を使うことで、まるで光が何かから引き継がれたかのような誤解を招く表現になってしまったのは、その通りだと思います。「星々の光は、はるか昔に発せられたものだが、今もなお瞬いている」のように修正すれば、より正確な表現になりそうです。

私は、まだまだ執筆初心者で文章には書き慣れておらず、『道先』が2作目、『駅前の時計台』は3作目です。

細かく読んでいただいたおかげで、自分では気づけなかった矛盾や表現の甘さを見直す機会になりました。ご指摘、本当にありがとうございます。表現の精度を高めるため、今後も意識して書いていきたいと思います。

えんがわ
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もう少し個性があっても良いかなと思います。
道についてはどのような道をどのように進んできたか、時計台についてはどのような時をどのように過ごしてきたか。
そういうものを具体的に書こうとすれば、その作者の体験や人格というのはもっと反映され、文章をユニークなものにすると思います。エピソードを中心に描くということ。

今回は今回でこういうあっさりした方が「考えさせる」のかもしれないし。
こういうのは自分の好みなんですけど。

綺麗の綺
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コメントありがとうございます。
たしかに、道や時計台の描写をより具体的に掘り下げれば、物語全体の独自性が増すし、読者が登場人物の生き方や価値観をより深く感じ取れるかもしれませんね。

今回は余白を残すことで、読者自身に考えさせる形にしましたが、よりエピソードを中心に据えた表現も試してみたいと思います。どの程度まで具体的にするかはバランス次第ですが、次回はもう少し踏み込んでみるのも面白そうですね。貴重なご意見、ありがとうございます。

飼い猫ちゃりりん
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綺麗の綺様。最初から力みすぎですよ。
>夜の公園は静寂に包まれていた。街灯がぼんやりと長く冷たい影を地面に落としている。

飼い猫修正案
>公園は静寂に包まれ、街灯がぼんやりと影を落としていた。

後で「街灯の影」が出るから「夜の」は不要。
「長く冷たい」も不要。街頭は長いし、「冷たい」は描写で表現する部分。
「地面に」も不要。地面しか場所はないから。

後も修正したい部分が山ほどありますが、これ以上言うと、嫌がらせだと思われるのでやめておきます。

飼い猫ちゃりりん
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要するに「書かない効果」を利用しなきゃ損。
書かないと読者は想像できるから、文章がアクティブになる。書きすぎると、読者は完全に聞くだけでつまらない。
でも、難しいところは、読者に考えさせてはいけない。つまり、理性を発動させてはいけない。想像はいいけど、理論的思考をさせてはダメ。ただただ感じさせ、想像させる。
小説は絵画音楽。

界隈
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そうげんと猫の指摘についての考察

・本質を捉えていない
舞台である「夜の公園」の描き方はあまりにも絵空事で手触りがない
書く際にその風景をどのくらい考えたのか、風景と言葉との距離感を掴めていないなど、圧倒的に思考が足りていない
つまり書く以前の問題である
浮ついた文章をとれだけ弄り回しても仕方がないのに、そうげんと猫の指摘はそれに終始している

小次郎
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難しいですね。
どうして、二つの道、どちらも同じ場所にたどり着くんでしょうか?
細かいことですが、導入部は凡ミスではないですか。
街灯が
ではなくて、
街灯の光が
では?

小次郎
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再訪問失礼いたしますね。
地面も気になりますね。
公園の地面って、土の場合もあれば、芝生の場合もあると思うのですが?
他の人も文例置いていますが。
最適解ではないですけど。
僕なりに文章を置きますね。

夜の公園は物音一つない。一本だけある街灯の明かりが、ぼんやりと周囲を照らしている。細長い自らの影を、芝生に落とし続けている。少年は感じた。周囲の暗闇よりも、孤独で、冷たい。

下手ですが。
導入部、情報もっといれた方がよいような?

小次郎
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二律背反も気になります。
静寂に包まれているのに、風の音していますが?

木々の間を風が静かに通り抜け

を、の次に主語は親和性が低いです。
後ろに、動詞だと、親和性が高くなりますね。
もちろん、を、の次に主語でも意味は通りますが。

突然、風が穏やかに吹く。布に刺す針のように、公園の外にある木々が、縫われる。多くの葉が擦られる。静寂が破られた。

とか? すごく、下手ですけど。

細かいこと言うとまだあるんですけど、いっぱい文章の事を言っても意味ないような気がしています。

ただ、意識しているポイントが全体的に弱いかもです。

ところで、遠くに木々はあるみたいですけど、公園の外かなって思ったり。
こういうのは、言うのは、簡単。
書くのは難しい。
僕はだいぶん未熟だったりします。

界隈
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>細かいこと言うとまだあるんですけど、いっぱい文章の事を言っても意味ないような気がしています。

そうだよ
どこでもいいんだけど家の近くにある木なんかを文章化、要は言葉にして描写する難しさを痛感しないことには、いつになっても当たり障りのない定型文や比喩表現なんかを上手く繋げ合わせることに徒労するのだろう

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