もう一度だけ、約束を。
「俺、一週間後に引っ越すことになりました」
ある日の放課後、教室に忘れ物をしたことに気づき、扉の前に足を止めた時だった。辺りには蝉の声がこだまし、窓から差し込む陽の光が痛かった、真夏の日の教室。俺の耳に飛び込んだのは、幼馴染の七瀬新の声だった。思わず、一歩あとずさる。
「……え」
今、なんて言った?
一週間後に、引っ越す?
新は時折なんの前触れもなくすっとんきょうなことを言う癖がある。そこは、小学生の頃から少しでも変わっていなかった。
新は俺、柏木みなとのたった一人の親友で、幼馴染である。小学生の頃、新はいつも明るく優しいクラスの人気者だった。クラスで孤立している生徒——俺みたいなやつがいれば話しかけ、楽しそうに、時々声色を変えて話す新に涙が出るまで笑わせてもらった。新のおかげで俺はクラスメイトとも仲良くなれたのだが、気弱で人見知りな自分とは別に目みんなから愛されている新と一緒にいるのが俺でいいのか、と……なんとも言えない気持ちになったのを覚えている。
さらに、新はそれだけではなかった、頭脳明晰、運動神経抜群、おまけに顔がいいのだ、シュッと尖った輪郭、形の整った唇、優しさを映した瞳。自然に下ろした焦茶色の髪がよく似合う、爽やかな男子高校生だ。クラスの大半——いや、学年の大半が新の友人で、大半の女子が新のことを好きになっていた。
でも、なんとなく俺は察していた。
この人は、いつか壊れてしまう時が来る、と。
確証などなかった。でも、どうしても、新の笑顔が本当の笑顔に見えなかった。心の底から楽しそうにしている姿を、見たことがなかった。
俺の察した通り、新は六年生になった頃から変わってしまった。
春休みが終わり新学期が始まる頃、新の両親が離婚した、理由は父親の不倫。それに新の家はもともと貧乏で、一家の家計を支えていた父が夜逃げし、しばらく母親と二人で暮らしていたが、母親も限界だったのだろう、新を置いて家を出ていったと中学の担任の先生から聞いた。ずっと愛されてきた家族から打ち捨てられ、いつも明るく振る舞い光に満ちていた瞳から、光が消えた。今までかろうじて輝いていた太陽が目雲に覆われ光を失ってしまったかのように。でも、それでも新は笑顔を絶やさなかった。みんなに心配をかけないよう、黒く濁った瞳で、必死に笑顔を作って。
それから新とは話さなくなってしまった。なんの辛さも知らない俺が話しかけても、新をただ苦しめてしまうだけだと思った。目も合わさず自然に関係は壊れ、中学も別々になり、やっと同じ高校になって——いまだに関係は戻っていない。
「どうしてだ」
先生の声にはっとする。教室を覗くと、デスクに座った担任の矢崎先生を見下ろすように新が立っているのが見えた。窓の外から漏れ出すオレンジ色の夕陽が、新の背中に映し出されている。
「どうして……引っ越すんだ」
誰もが問うことだろう。だって、あまりにも急すぎる。こういうことはせめて——最低でも、一ヶ月前には言って欲しかった。新の過去を知らない先生には、特に。
しばらくの静寂の後、重たげな口を開く。
「俺、両親はいないって初めに言いましたよね。だから引き取ってもらう相手を探していたんですけど、田舎に住む親戚が『辛いならうちにおいで』ってしつこく言うもんで。自分のことを心配してくれてることが嬉しくて、なんとなく断れなくて。向こうでずっと暮らそうかなって考えてます」
「嬉しい」なんて言葉を口にしながら、まるで冷たい氷のように感情が抜け落ちた声だった。
「……本当なのか」
「本当です」
「いつから決まってたんだ」
「一ヶ月前です」
「まて……流石に急すぎる。一度整理してから話せ七瀬。何があって、どうして引っ越すことになったんだ。理由を説明してくれないと分からないぞ。それに一週間後って……もっと早く言ってくれればよかったものを」
「すみません」
「すみませんじゃないだろう。なんで今まで話してくれなかったんだ。確かに言いづらかっただろうし、七瀬は元から自分のことを口にしない性格だったが……話さなきゃならないことがあるだろう。少しは人に伝えるということを学びなさい。大体事情を話してもらわないと」
「——事情なんてどうでもいいじゃないですか」
小さく震えた呟くような言葉だったのに、驚くほど大きく教室に響き渡った。新の肩が小さく震える。
「俺だって難しい親が別れなければこんなことなかったですよ。でも……もう戻れないんです。何度も何度も、このこと言おうって思ってました。でも、現実は追いかけてくるんです。でも先生に迷惑かけたくないし、俺のせいでみんなに気を遣わせたくないし、迷惑かけたくないし——逃げても逃げても、現実は追いかけてくるんです。たくさん考えてたら時間だけが経ってて、もうどうしようって悩んでばっかりで、重くて、耐えきれなくて……やっと言えたんですでもやっぱり」
震えた大きな背中が、どうしようもなく弱く小さく見えるのは、俺だけだろうか。
「でも、やっぱり——」
心臓の鼓動が、速くなる。
「——本当は、もう一度だけ、あの頃に戻りたい」
執筆の狙い
小学5年生です。自分の実力試しのためにこの小説を書きます。
二人の失われてしまった友情を、引っ越すまでの残り一週間でどう取り戻すのか。二人の抱えた思いをどう伝えるのか、どう表現するのか。「思い」というところにスポットライトを当てて精一杯書こうと思います。
小説をあまり書いたことがないので、つまらないと思うかもしれません。ですが私なりに頑張って表現するので、応援よろしくお願いします。