故郷の憂鬱
パソコンの画面を見つめながら、キーボードを叩き、資料を作成していく。画面には文字が並び、じっと見ていると、ミスがあったことに気が付き、修正をした。ふと視線をそらすと社内は閑散としていた。窓の外から東京の夜景が見える。僕はしばらくの間、作業を行っていたが、期日まではまだ余裕があるので、年が明けてから残りをすることにした。ノートパソコンの電源を落とし、バッグに入れる。バッグの中は様々な書類が乱雑に入っていたので、後々整理しようと思った。
オフィスを後にして、エレベーターの前で待っていると、同期の田中美緒がちょうどやってきたところだった。時刻は九時を回り、今年最後の仕事だ。田中は僕に手を振るとこちらにやってきた。
「もう今年も終わりだね。年末は何するの?」と彼女は言った。
「実家に帰るよ」
「実家どこだっけ?」
「奈良」
「奈良かー。修学旅行で行ったことあるな」
「田中は?」
「私は北海道でスノボをやるんだ」
僕らがそんな会話をしているとエレベーターはやってきた。中には人がいなかったので、二人で一階まで向かう。
「実家には帰らないの?」と僕は聞いた。
「帰ってきてから顔を出そうかなと思ってる。私の実家は千葉だからさ。時々帰ってるんだよね」
「そっか」
エレベーターは一階に着き、僕らは降りた。ビルの外に出ると冷たい風が吹いている。僕らはビルから駅に向かって歩き始めた。田中は寒そうに首元をすくめていた。東京の空には雲一つなく星がまばらに輝いている。地元のことを今でも時々思い出すことがある。
「じゃあまた」と駅に着くと田中は言った。
「またね」と僕も手を振った。
駅のホームの階段を上り、ちょうど電車が来ていたので乗った。手すりに掴まりながら、窓の外の風景を見ていると、スマートフォンが振動した。メッセージが来ていて、佐々木京子からだった。京子は実家がすぐ近くにある幼なじみで幼稚園から高校まで同じだった。今は体調を崩し、実家で療養をしていると言っていた。
「久しぶり」とメッセージが来ていたので、「久しぶり」と僕も返した。
「年末は帰ってくるの?」
「明日帰るよ」
「そっか。一回どこかで会わない?」
「いいよ。食事でもしよう」
やり取りが終わり、スマートフォンをポケットに仕舞うと彼女の幼い頃の面影を思い出した。小さい頃から一緒にいるから、僕らは親しかったが、彼女は病気になり、しばらくの間会っていなかった。
東京駅から新幹線に乗り、窓の外の移り変わっていく景色を眺めていた。家々が立ち並び、郊外の住宅街の景色が見えた。スマートフォンには京子から来たメッセージが残されている。車内で先ほど買ったビールを開け、弁当を食べ始めた。アナウンスはもうすぐ次の駅に着くことを告げている。
弁当を食べながら、窓の外の風景を時々眺め、段々と風景が閑散としていくのを感じる。僕は東京から地元に帰る度にこの景色を眺め、その時自分に起こったことを思い出していた。
弁当を食べ終えると、ビールの缶を飲み干し、ビニール袋の中に仕舞った。席を少しだけ後ろに倒し、目を閉じる。今までの記憶の断片が蘇り消えていく。
京都駅に着くと、僕はバッグを持って降りた。懐かしい光景が目の前に広がっている。学生の頃、よく京都に遊びに来ていた。
在来線に乗り、実家まで帰った。車内は空いていたので端の席に座っていた。駅に着くと、バスに乗って、実家まで向かう。慣れ親しんだ住宅街が続いていて、バスを降りると、昔から馴染みのある道を歩いて行った。
所々昔とは変わって、新しい家や店が建ち並んでいる。実家のインターホンを押すと、母親が出た。
ドアが開くと、「おかえり」と母親が言ったので、「ただいま」と言った。
階段を上り、自分が昔使っていた部屋に行く。勉強机や本棚などが今も置かれていて、懐かしい気持ちになった。
リビングへ降りていくと、母親がお茶を淹れていた。
「帰って来たのは夏以来だね。元気にやってる?」
「それなりにやってるよ」
僕は母親が淹れてくれた緑茶を飲んだ。リビングは前に来た時と変わっていない。カレンダーがあり、時計があり、ソファがあり、テレビがあった。
母親は僕の向かいに座り、緑茶を飲んでいた。
「京子は元気?」と僕は聞いた。
「今は休んでいるみたいね。いろいろ大変みたい」
「そうなの?」
「この間、体調を崩して入院したみたいよ」
テレビを付けるとニュースがやっている。僕はしばらくの間、母親と取り留めのない話をして、自分の部屋に戻った。
ベッドに寝転がりながら天井を眺めていると、不思議な気持ちになった。昔はこうして毎日ここで過ごしていたが、今は遠くに住んでいる。あの頃は将来こうなるなんて予想もしていなかった。特に将来について考えないまま、地元の大学を卒業し、就職と共に上京した。こうして家に帰ってくると心が休まる気がする。知らず知らずのうちに抱えていた緊張感がほどけるような気がした。
部屋の中で小説を読みながら、ぼんやりと様々なことを思い出していた。昔から使っていた本棚には好きな小説が残っている。窓の外は日が暮れ始めて、オレンジ色の夕日が見えた。小説を途中まで読むと、起き上がり、リビングへ行った。母親がソファに座ってテレビを見ている。冷蔵庫からチョコレートを取り出して、テーブルに座って食べながらテレビのニュースを見ていた。部屋に戻ると、スマートフォンに連絡があった。
明日の昼に京子と会うことになり、僕はスマートフォンを置くと、天井を眺めた。様々なことが過ぎていく。いつの間にか自分は大人になり、今の生活をしていた。
夕食は母親が作ってくれたとんかつを食べ、風呂に入り、歯を磨き、その日は夜の九時に眠った。
目が覚めると、朝の七時だった。洗面台で顔を洗い、歯を磨く。母親が朝食を作り終わった頃だったので、朝食を食べた。父親も休みのようで三人でテーブルに座って、食事をした。テレビではニュースがやっていて、ちょうど天気予報が始まった。今日も明日も晴れるようだ。
午前中は近所を散歩した後、昼になると駅前に向かった。駅前には焼きたてのパンを出すレストランがあり、そこで京子と待ち合わせをしている。
時間になると、京子がやってきた。ダウンジャケットを羽織り、寒そうに首をすくめながら、こちらへ歩いてきた。
「久しぶり」と僕は声を掛けた。
「久しぶりだね。元気だった?」
「それなりに」
レストランの中に入ると、中は暖房が効いていて暖かい。二人掛けのテーブル席に通されたので、コートをハンガーに掛けた。
向き合って座っていると、京子は以前よりも大人になっている気がした。僕らは小さい頃から一緒に過ごしてきたが、お互いが変わっていくのを見ていたので、時間が経つのは早いと感じる。
ランチのコースを頼むと、パンが運ばれてきたので、バターを塗って食べた。前にも来ているがそれなりにおいしい気がする。
京子は僕の方をぼんやりと見ていた。僕は何を話そうか考えていた。
スープが運ばれてくると、食べ始めた。
「体調はどうなの?」と僕は話し始めた。
「あんまり安定しないんだよね。この前も入院したし」
「良くなってはきているの?」
「微妙なところかな」
スープを食べ終えると、サラダが運ばれてきたので食べた。僕は京子のことを見ながら、食事をしていた。以前に比べると少し痩せているかもしれない。その日は昼食をレストランで食べ、家に帰った。
実家から帰ってきたのは午後の五時だった。窓の外は日が暮れて暗くなり始めている。部屋のカーテンと窓を開け、ベランダから街の風景を眺めていた。スマートフォンが振動したので出ると、京子からだった。
「もしもし」と声がした。
「どうしたの?」
「いろいろあったけどさ、来年から就職しようと思うんだ」
「それはよかった」と僕は言った。
電話をしながら、冷蔵庫を開けビールをソファに座って飲んだ。京子は今までの仕事の経験を生かし、就職活動をするつもりだと話していた。
「いろいろあったけどさ、人生はわからないよ。でも最後はなんとかなる気がするんだ」
京子はそう言うとしばらくの間、黙っていた。それから電話を切り、僕は夕食を作ることにした。
冷蔵庫から野菜と肉を取り出し、カレーを作る。カレーを鍋で煮ている間に、テレビで最近起きている事件のニュースを見た。
時間はあっという間に過ぎていく。ぼんやりと過去のことを思い出しているうちに眠くなってきたので、カレーの鍋の火を止めて、ベッドに寝転がった。
仰向けで天井を見ていると、幼少期の頃の情景を思い出す。京子と一緒に川で遊んでいた。あの頃は今の自分がこうなるなんて想像もしていなかった。
当たり前のように毎日を過ごし、学校では友達と遊んでいた。京子が今回こうなったことは、僕にとっては意外だったが、仕方のないことかもしれない。
そういえば大学の友達で弟を自殺で失った人がいた。彼は明るいタイプで誰とでも仲良くなれるような人だったが、酒を飲みながら弟の話をしていると泣いていた。
もしかしたら京子だって危ないかもしれないと、その経験から思う。人生は何事もなく進んでいくことの方が珍しいかもしれない。
カレーが出来上がると、皿によそい、テーブルに座って食べ始めた。テレビではクイズ番組がやっていて、なんとなく見ていた。時間は過ぎていき、風呂に入って眠る時間になった。
ベッドの中で目を閉じていると、レストランで会った京子の顔を思い出す。もしかしたら今も辛いのかもしれない。僕は果たして適切に彼女と接することができたのだろうか。
しばらくすると僕は眠りに落ちた。夢の中で、京子がメリーゴーランドに乗っている。僕らはまだ子供だった。遊園地の中で、二人で遊んでいると、京子がいなくなってしまった。僕は一人で遊園地の中を彷徨った。その時不安を感じ、目が覚めると夜中の二時だった。
執筆の狙い
純文学を書いてみようと思いました。村上春樹の「ノルウェイの森」に若干影響されています。