湖畔の宿
もう何度も夫の悟(さとる)さんの誘いを断っている。これではいけないと分かってはいるが、心が開かないのだ。特に病気でもないのに……敢えて言うなら心の病なのです。いつも鬱病患者のように塞ぎ込んでいて、何とかして元気を取り戻どそうと努力はしているが、明るい気持ちになれない自分が辛い。
この半年間、外出したのは、ときおり買い物に行く時だけ。それも重荷になるので夫に申し訳ないが仕事の帰り、電話で食材を買って来てもらう。そんな日々が続いている。夫はやはり鬱病じゃないかと何度も私を病院に誘ったが、鬱病じゃないと頑なに断って来た。原因は分かっている。確かに鬱病だと言われても仕方がない。でも鬱病じゃない。私の心の問題だと言い聞かせている。
そんな私を夫は見かねたのか、これでは本当に駄目になると夫が私を旅行に誘った。これで三回目だ。しかし行きたとは思わないと返事を返す。それでも「君の為だ。君が元気じゃないと俺まで駄目になる」夫まで駄目にさせる訳には行かな。そう言われれば嫌と言えなくなって四回目でやっと行くと返事をした。
この湖畔の宿を予約したのは一ヶ月半前の事だった。十和田湖の紅葉の季節は人気が高く早めに予約しておかないと取るのは難しい。やはり大きなホテルは取れなかった。仕方がなく小さな旅館を予約する羽目になった。
だが今年は猛暑が続いたが十月になったら大幅に気温が下がり、十一月の初旬にもかかわらず霜が降りる日々が続き、紅葉の時期は過ぎ去っていた。多くの人たちは予想が外れ、予約を取り消した人も多いだろう。だが私たちは予定通り旅を強行した。
たとえ紅葉の季節が終わり旅行をキャンセルしたら、私は二度と旅に出る気になれないだろう。十和田湖のもみじの葉も枯れ落ちて、冬の備えと移り変わりつつある。
枯れる……まるで私の心のように、涙も枯れ落ちたようなそんな気分になった。
落ち込んだ私を勇気づけようと、悟さんは私に精一杯の気を使ってくれる。
私も分かってはいるが立ち直れず廃人のような毎日を過ごして来きた。
今回は夫の誠意に応えるつもりで、私は重い腰をあげて夫と旅に出たのだった。
私は少しでも忘れようと努力した。でもその度に忘れてはいけないと自分に言い聞かせ常に心は揺らいでいた。
私たちはお昼前に東京駅から東北新幹線に乗った。電車に乗るのは二年以上も前だ。普通ならウキウキ気分になるのだが、とてもそんな気分になれない。隣には悟さんが座っている。暗い顔をしてはいけない。分かっているがこの沈んだ気持ちが晴れないのだ。悟さんに声を掛けられた時は一瞬だけ笑顔を作るが、またすぐ暗い表情に戻る。
悟さんは東京駅で駅弁とお茶を買って来た。新幹線は福島を過ぎた頃、悟さんは弁当を広げ私の分も渡してくれた。普段は明るくなかなかの二枚目で私には勿体ない程の夫。私のせいで明るい夫も笑顔が減った。本当に申し訳がない。
「まもなく東北に入るよ。そろそろ弁当を食べようよ。食欲はあるかい」
「ありがとう、食べるのは美味しく食べられます。ごめんなさいね。気を使わせて」
「気にするなよ。なぁに場所が変われば気分もよくなるかも知れない。気楽に行こう」
新幹線は仙台を過ぎて盛岡駅で下車した。ここから高速バスに乗り換え十和田湖に向かう。私は車窓から外の景色を眺めて気づいたことがあった。民家の作りが関東と変っているのに気づいた。思わず悟さんに声をかけた。自分から夫に声をかけるなんていつ以来だろう。
「ねぇ貴方、民家だけど玄関が二重になっていない」
「良く気づいたね。寒い地方の特有の作りなんだよ」
「どうして理由があるの」
「真冬になると寒いだけじゃなく雪も降るだろう。寒さも半端じゃないから玄関を開けた途端、家の中まで冷気が入り込むから二重にしたのさ。最初の玄関を開けて中に入ったら最初の扉を閉めて次の玄関のドアを開ければ直接冷気が入らないようにする為さ」
「なるほど生活の知恵ね。私たち東京の人間には想像もつかない事ね」
「ほら旅行に来て良かったろう。新しい発見だよ」
夫の言う通りそうかも知れない。確かに新しい発見かも知れない。旅に出て思い知らされた。私も早くこの呪縛から解放されたい。この旅が私を変えてくれたらどんなに良いか。
そして目的地の十和田湖畔に着いた。紅葉の季節は終わり十和田湖の湖畔はひっそりとしていた。もちろん湖畔は人影もまばらで、今夜泊まる宿も四組だけらしい。
それでも私たちはこの宿に泊まった。ただ体が休まればそれでいいのだ。
夫はガッカリしているが、私はたとえ紅葉が真っ盛りでも楽しめたかは疑問だった。
旅館のホールは十畳ほどしかなく閑散としていた。
「ようごそ、遠い所をおづかれ様でした。え~と東京からお越しの坂本様……承っております。紅葉は終わりましたが、せいいっぱいおもてなしをさせて貰いますで」
東北訛りの女将さんの受け応えが、東北を旅している実感がする。
ここは東京と違って寒い日が長い。でも寒い分だけ、この地方の人たちは心が暖かいのだろうか。
それが早速実証される事になった。それは私たちを担当した年配の仲居さんだ。
「いらしゃいます。おぎゃぐさん東京からだっぺすか、ほんにお疲れ様だす。ゆっくりしてくんなさいな。紅葉の見所も過ぎ十和田っ湖はなぁんも無いけど料理だけは、ずまんすっから」
六十歳後半と思われる仲居さんは前歯が一本抜けていた。それが飾らなくて愛らしい。
身長は百五十六センチ前後で顔は少し丸顔だ。しかし何処となく愛嬌がある風体だ。
「おぎゃぐさん、お風呂はどうでがすだか。まぁ大きなホテルと違って小さい露天風呂だけんど流し湯だけがずまんでなす」
「ええ、とっても良かったですよ。リンゴが入っているのには驚きましたが」
「ああリンゴはここの旅館の女将さんのリンゴ畑から取ってきたもんで疲労回復、美肌、冷え性の予防に効くんで評判いいでなす。無農薬だども売るほど作っている訳でもないんで、風呂に入れてますだ。良かったら味見してみんかい」
「まぁ是非、本場のリンゴを食べてみたいわ」
「ほんじゃ後で持って来やすで」
この旅館の食事は大広間のような食堂ではなく部屋に料理を運ぶ。
料理の隣にリンゴが置かれていた。料理を揃え終えてから、仲居さんは自分の手提げ袋から何やら取り出した。
「今日はおぎゃぐさん特別だぁ。オラが作った自慢の漬け物だんども食べてけろ」
そう言って料理とは別に、自分で作った物をサービスで置いていった。
夫と私は思わず笑った。屈託のない仲居さんだ。とても暖かい気分になれた。
その仲居さんの作った大根の漬け物は確かに絶品だった。最初見た時はこれが漬物なのかと疑った。見た目は石炭の欠片のよう形をしている。大根でも沢庵とはまったく別物だ。食べて見ると驚くほど美味い。自慢するだけの事はある。仲居さんは食事が終わってお膳を下げるついでに、暇なのか世間話して笑わせてくれた。
「おぎゃぐさん。寒くないがすか? 急に冷え込んできたもんで暖房が弱いじゃないかと思いましてなぁ。どんでがすか、あんばいは。あっそれでも寒ければ湯たんぽを持ってきますだ」
方言といえばそれまでだが。通訳が必要なくらいに聞き取るのに苦労したけど、なんとなく意味は分かった。それにしても湯たんぽとは今であるのだと思った。これもおもてなしの一環なのだろうか。
「ええ大丈夫です。お気遣いありがとう御座います」
「さっきから聞いているけんど都会の奥様って。なんて美しい言い方でなっす。まるでオラが御奉公に上がっている時の社長夫人のように思えてきますがな」
「ええ? アタシが社長夫人。はっはは。とんでもない。ごくごく普通の主婦ですよ」
「そんですがすかぁ、べっぴんだす旦那様もそこに惚れたじゃないすか。きっと幼い頃は裕福な家庭のお嬢様として育ったんじゃ?」
「またまた仲居さん。お世辞が本当にお上手。それじゃあ今夜だけ良家のお嬢様育ちという事で夢を見せて貰いますわ」
「いやいやお世辞じゃありまへん。オラが若い頃、東京の社長さんの家でお手伝いをやっていた時の奥様に感じが似ていて思い出してしまって。品の良い奥様で旦那様も幸せ者でなっす。そんな人に田舎の婆さんが作った漬け物を喰わせるとは申し訳ない事したべか」
すると夫の悟さんが言った。
「とんでもない。びっくりするくらい美味しかったですよ」
「まぁまぁ旦那様もお世辞が上手い事。まぁ冗談でも嬉しいがす。おっと! せっかくの旅の夜。邪魔してしまって、ほんじゃまぁお休みなさいます」
陽気というか東北の温もりというか、私の沈んだ心が取り払われたような心地がした。
旅館は古く小さいが、あの仲居さんのお蔭で心が安らぐ。
そしてフワフワの布団の中に入った。大きな枕が置いてあったが私はそれを退かして旅行バッグの中から小さな枕を出した。
キティちゃん刺繍がしてある。私はそれを抱きしめ、また涙が零れる。
「康子、まだ忘れられないのか?」
「惨い事を言わないで。私たちが忘れたらあの子が生きた証が無くなるでしょう」
「それは分かるが、君が可哀想で見てられないんだよ。旅をしている時くらい忘れて欲しいよ」
「ごめんなさい。でも真理の枕で寝ると一緒に居るような気がするの」
二年前の事だ。もともと私の娘、真理は肺が悪かったが、肺炎がこじれ咳が止まらず僅か五年の生涯を閉じてしまった。それから私は廃人のように生きてきた。
夫はそんな私に誠心誠意尽くしてくれた。自分でも分かっている。早く立ち直らなければと。真理が亡くなってから、私は一日とて外泊した事がなかった。
真理の匂いがする枕。その匂いが取れないよう特製のビニールのカバーを掛けて私はいつも、その枕で寝た。だから旅に出てまで持って来たのだ。
いつまでも経っても娘の思いが忘れられない私。本当に夫には申し訳ないと思っている。
夫は私の為に貴重な休みを使って旅に連れて来てくれた。夫の努力に報いる為にも出来るだけ明るく振る舞いたい。けれでも真理を忘れたくない。せめて真理の匂いのする枕で寝ると、添い寝している気分になれる。
その翌朝の事だ。あの歯っ欠けの仲居さんがやって来た。
「おぎゃぐさん、お早うごぜいます。ゆんべは良く眠れましたかなっす? あんりゃまぁ可愛いまくらっ子じゃなっすな。なんすて持って歩いているんでがすか」
私はその仲居さんの人なつっこさに、つい娘の想い出の枕だと言ってしまった。
熱心に聞くものだから真理が亡くなった経緯を話すと、仲居さんは目頭を熱くしてとうとう、ポロポロと涙を零し泣き出した。
「おぎゃぐさん。オラの孫も丁度五歳で亡くなったでがんす。ほんに淋しいもんでがすなぁ。娘もおぎゃぐさんのように暫く立ち直れず慰めるに大変でがすた。オラの娘も早く結婚したんでオラが五十過ぎに孫が出来たんでがんす。だども可愛い孫が亡くなってなす。おぎゃぐさんの気持ちは痛いほど分かるんでがんす」
その仲居さんは我が事のように、涙しながら私に同情してくれた。
朝食を食べて終えてからも余ほど暇なのか一時間ほども仲居さんと話した。
互いに悲しみを共有することで、すっかり意気投合した私たちだった。
「だどもお客さん。気持ちは痛いほど分かるけんど。お客さんがいつまでも悲しんでいたら亡くなったお嬢さんが可哀想じゃ」
「えっ? どうして。娘を忘れない事があの子への供養じゃないんですか」
「そりゃあ違うだっべさ。お客さんが毎日悲しんで居たら天国のお嬢さん、きっと泣いてるべさ。お客さんが明るくなってこそ、お嬢さんは喜ぶに決まってべっさ。今日一日楽しかった事を報告してやれば喜んでくれるに決まってべっさ。オラは孫にいつもそう報告してるべっさオラの娘も、もっともだとやっと立ち直れたんでがんすよ」
いつの間にか(おぎゃぐさんから、お客さん)と発音が良くなっていた?
長く話している内に饒舌になり口が滑らかになったのか、それとも東京でお手伝いとして働いたのだから、嫌でも標準語で話さなければならない。たとえ田舎に戻ったとしても標準語を話せない訳がない。だとしたら、あの訛りは演技なのか? 旅をしていれば、方言を聞くのも情緒があり一つの楽しみ。それを承知で訛りの強い方言を使っているのだろうか。だとしたら強かな仲居さんだ。いや役者と言っても良い。
ともあれ、この時以外は東北訛りの、おぎゃぐさんに戻っていた。
外は冷え冷えとしているが、湖畔の宿は暖かい。いや仲居さんの心が温かい。
仲居さんが帰ったあと、夫が納得したように語った。
「なるほど。流石は年の功。なんか君の心が見透かされたようだな」
「ほんと、仲居さんの言うとおりね。確かに私が立ち直らないと娘が悲しむものね。私が間違っていたわ。それにしても、あの仲居さん人の痛みも取り除いてくれ魔法を持っているのかなぁ。本当に来て良かったわ」
「そうだよ。あの仲居さんは明るくなって娘に報告する事が良いといっている」
「そうね、私が勘違いしていた。悲しむ事が娘の供養だと思っていたわ。私が明るくなる事で娘が喜んでくれるのね。仲居さんに教わったわ」
仲居さんの飾らない方言と、娘を亡くした私、孫を亡くした仲居さん。悲しみを共有する事で、とても親近感が持てた気がする。あの仲居さんのお陰で呪縛から解放された気分になれた。
あの仲居さん、まだ戦後と言われた時代に生きて来た人たちだ。年は知らないが少なくても六十代後半だろう。親兄弟、友人などと死の別れを何度も味わってきたのだろう。
私はまだ親も兄弟も健在だ。それだけに娘に逝かれた事はショックだった。
だけどあの仲居さん、そんな中で生き抜いてきた人たちだ。免疫が出来ている。だから説得力があったのだろう。
もちろん、あの言葉で全てが立ち直れた訳ではないが、子供を亡くしたのは私だけじゃないんだ。それでも世間の人々は、乗り越えて生きている。だから私にも出来る筈と悟った。
確かに仲居さんの言う通り。悲しんでばかりでは娘も悲しいだろう。私が明るくなれば娘も嬉しいだろう。何故気づかなかったのか、仲居さんがそれを教えてくれた。やっと呪縛がから解放された。
私たちは十和田湖温泉を後にした。その帰りの新幹線の中での会話は、勿論、あの仲居さんの話題ばっかりだった。
「いやぁ本当に安心したよ。君がこんなに明るくなってくれるとは夢のようだ」
「ええ、貴方のお蔭よ。小さく古い宿だったけど、あれが日本のおもてなしの心というのかしら。いやあの仲居さんは特別……あっ肝心な事を忘れていた。あの仲居さんの名前を聞いてないの、どうしよう」
「はっはは、心配ないさ。帰ってからお礼の電話をする時にでも聞いておけばいいよ」
私たちは今回ほど楽しかった旅行はなかった。真理が亡くなって二年、しぶしぶ夫の誘いで行った旅行が塞ぎ込んだ心の扉を開いてくれた。それが嬉しくて、あの仲居さんにお礼の電話を入れた。
あの仲居さんの名前は早乙女さんと言う事が初めて分かった。
私は何度もお礼を述べた。貴女のお蔭で立ち直れたと。すると仲居さんは私以上に喜んでくれた。
「ほんにまぁ、オラは長い間、この旅館で働かせてもらってけんど、こんなに喜んでくれた、おぎゃぐさんは初めてだぁ。ほんにこったに嬉しい事はながったなし。またお出でくださいな」
それから間もなくあの仲居さんから小包と手紙が届いた。送り主名だが仲居さんの名前を見て笑ってしまった。(早乙女しおり)誠に失礼ながら想像も出来ない女優さんのような名前。いや彼女こそ名女優かも知れない。
お婆さんなのだが人情は天下一品の美人だ。
それから何度も互いに手紙と贈り物を通して交流が続くようになった。
その手紙には送られてきた、あの漬け物の名前が書いてあった。ガックラ漬けというそうだ。麹と塩とさきイカを入れ、あとたっぷり水を入れるそうだ。樽の半分は水で埋まるくらい。名前の由来は鉈でガックリと割ったように大根を切るから。
石炭の欠片のような形だ。見た目は豪快な切り口で一つとして同じ形のものはない。
本当は真冬ほど美味く漬かるそうだ。樽ごと凍るそうで、その氷をハンマーで割って取り出して食べるらしい。まさに豪快な食べ物だ。
届いたガックラ漬けはアッサリした味と大根の旨味がマッチして美味い。
本当に不思議な縁だった。旅は道連れ世は情け。日本には素晴らしい諺がある。
今ではもう東北のお母さんという感じだ。私も何度も贈り物と手紙を添えて出していた。
私たち夫婦、来年こそ十和田湖の紅葉を見ようと、しおり婆さんへ情報を聞いていた。
その情報は見事に当たった。もちろん紅葉も楽しみだったが、しおり婆さんと逢うのが何よりの楽しみだった。
そして今年で三年目。私たち夫婦はあの旅館に向かう。娘の枕は置いていく。もう悲しみも薄れ娘の楽しかった想い出だけが残っている。湖畔の宿でまた仲居さんに会える。そして娘にも報告しよう。東北の素敵なお婆さんの事を。
湖畔の宿。今では私の心を癒やしてくれる大切な宿、そして仲居さんである。
了
執筆の狙い
改めて本年も宜しくお願い致します。
これぞ人情小説と思って頂ければ幸いです。
7000字の掌編です。
冒頭部分で主人公が悩み塞ぎ込むシーンが少し長すぎたと危惧しておりますが。
構成上、重要と思い、このようにしました。メーンは仲居さんの人柄です。
他にお気づきの点がりましたらご指導ください。