おじいちゃんの神風
三年前に母が他界し、両親の介護が終わりました。
長らく親に付き添い、貯金に手をつけていなかったので、日々の生活に支障はありません。贅沢はできませんが、ささやかな楽しみを見つけて暮らしています。
私は独り身なので、今年もタマとふたりきりで年を越します。除夜の鐘を聞きながら、タマと一緒にお参りに行くのです。
母の終末期にタマと出会いました。母に桜を見せていたら、縁側にタマが現れ、それ以来ずっと一緒に暮らしています。
こんな生活を続けていても、自分は幸せだと思っています。
また餅が食べれるし、みかんも食べれる。タマと一緒にこたつに入り、のんびりと正月を過ごせる。
そして何よりも、私は生きている。生きていれば太陽を拝める。朝日を浴びて風を感じ、タマと一緒に河原を散歩していれば、やがて夕日が差して星空が広がる。
祖父が「生きているだけでいいんだ」と教えてくれました。
小学生のとき書いた作文に、祖父のことが綴られています。年末になると読み返し、その面影を偲ぶのです。
四年3組 吉村武史
僕のヒーローは、おじいちゃんです。
おじいちゃんは、僕の自転車を修理してくれました。チェーンがはずれると、すぐに元通りにしてくれました。
僕がお願いすれば、いつでも好きな形に変えてくれました。だから僕の自転車は、いつも一番カッコ良かったんです。
おじいちゃんは洗濯機や冷蔵庫も直せたし、お父さんの車だって修理できたんです。
おじいちゃんは毎朝散歩にいき、喫茶店によってから帰ってきました。
でも、お医者様に、おばあちゃんはもう長くないって言われると、おばあちゃんの横にずっといるようになりました。
「文子。今年もたけ坊をつれて花見に行くぞ」
「おばあちゃん。また桜を見にいこうね」
「ありがとう……」
おばあちゃんが亡くなると、おじいちゃんは元気がなくなって、よく物忘れをするようになりました。
縁側で歌を歌っても、なかなか歌詞が出てきませんでした。
「さくら、さくら…… たけ坊。次はなんだったかな?」
「また忘れたの? のやまもさとも、みわたすかぎり、だよ」
「かすみか、くもか…… たけ坊。次は?」
「もー。あさひににおう、だよ」
「朝日か。あいつ、本当に死んだのかなぁ……」
「あいつ?」
「じいちゃんの友達だよ。あの日、あいつは朝日に向かって飛んでいったんだ」
お父さんと、お母さんは、おじいちゃんは老人ホームで暮らしたほうがいいって、いつも言っていました。
でも僕は、そんなの絶対いやでした。
「おじいちゃんと一緒じゃなきゃいやだ!」
「もういい加減にして!」
「おじいちゃんが可哀想だよ!」
「おじいちゃんにとっても、その方がいいの。そこにいれば、いつでも面倒を看てもらえるんだから」
おじいちゃんと近所の公園まで散歩をしたときのことです。
ふたりでベンチに座って水筒のお茶を飲んでいると、おじいちゃんが財布から写真を出して、見せてくれました。
「これがじいちゃんで、こいつが高橋。おかっぱ頭の女の子が文子ばあちゃんだ」
「どうして、おばあちゃんがいるの?」
「ばあちゃんは高橋の妹なんだ。八つも年下だから、子供みたいに見えるけどな」
おばあちゃんは、お団子を持っていて、おじいちゃんと高橋さんは、茶わんを持っていました。
「なんで茶わんを持っているの?」
「高橋と酒を飲んでいたんだ。雪みたいに桜が散って、綺麗だった……」
「吉村。上官が酒をくれたんだ。飲んでみるか?」
「上官が酒をくれた? どんな風の吹き回しだ」
「まあいいじゃないか。それより、お前、この戦争に勝てると思うか?」
「高橋。正直言うと、俺は勝てないと思っている。体当たり攻撃で、敵の艦隊を追い払うことはできん」
「吉村。実はな、俺も志願したんだ」
「馬鹿なことしやがって! お前には文ちゃんがいるんだぞ!」
「お前だって志願してるじゃないか。俺にだけ残れと言うのか」
それから、おじいちゃんと高橋さんは、九州の知覧という飛行場に行くことになりました。
「たけ坊。じいちゃんたちは零戦で海の上を飛んだんだ」
「ぜろせん?」
「零戦は世界一の戦闘機だ」
「カッコいいね!」
おじいちゃんはグラマンっていう飛行機と戦ってケガをしてからは、零戦の修理ばかりしていたそうです。
「高橋。すまん。俺は修理さえしていればいいが」
「気にするな。それより、お前に頼みたいことがあるんだ。俺が死ねば、文子は孤児になってしまう。頼む。文子を守ってやってくれ」
高橋さんが飛び立ったすぐあとに戦争は終わったけど、高橋さんは帰って来なかったそうです。
去年の春のことです。
おじいちゃんが新聞の切り抜きを持って、お母さんたちに何かを頼んでいました。
「どうしても見たいんだ」
「疲れると心臓に悪いわよ」
「お父さん。またの機会にしましょう」
おじいちゃんが握りしめていたのは、海の近くで開かれる航空ショーの記事でした。
「おじいちゃんが可哀想だよ。みんなで見にいこうよ」
車から降りると、飛行場のまわりには桜がいっぱい咲いていました。
僕が「きれいだね」って言うと、お父さんが「すぐに散ってしまうけどな」って言いました。
でも、おじいちゃんは、「たけ坊。桜は散ってしまうから綺麗なんだ」と教えてくれました。
カメラを持った人たちが沢山見物に来ていました。
マイクを持った男の人が、「あちらをご覧ください!」といって海のほうを指差すと、緑色の飛行機が音をたてて飛んできました。
すると、おじいちゃんが叫びました。
「零だ! わしが整備したんだ! あれに乗り、みんな散ってしまったんだ!」
飛行機が着陸して、みんなが写真をとり始めると、マイクを持った男の人が、「さわってもいいですよ」って言いました。
飛行機をなでるおじいちゃんの手がふるえていました。
「これが見たかったの?」
「わしが整備したんだ。これに乗り、みんな散っていったんだ」
イベントが終わって帰ろうとしたら、おじいちゃんがいませんでした。
「やめろ! なにしてるんだ!」と声がして、ふりむくと、作業服を着た人たちが飛行機を追いかけていました。でも飛行機は、青空に向かって飛んでいったんです。
自衛隊の人たちが飛行場に大勢来て、お父さんと、お母さんに説明をしていました。
「原発はつい先日事故を起こし、大規模な修理をしているところなのです。燃料と空砲用の火薬を積んだ機体が墜落すれば、大惨事になる可能性もあります。そのときは非常手段をとるかもしれません。だから何としても、お父様を説得して欲しいのです」
お母さんは無線機を持って呼び掛けました。
「お父さん! 馬鹿なことはやめて!」
「慶子。父さんに出撃命令が出たんだ」
「なに言ってるの! 今はもうそんな時代じゃないのよ! 戦争はとっくの昔に終わってるのよ!」
「慶子! 田んぼが見える。川も見える。雲の狭間に虹が掛かっているぞ。これが日本なんだ。海に散ったやつらの故郷なんだ!」
「馬鹿なことは、もうやめて!」
「おい慶子! 高橋がわしに手をふっているぞ。おーい! お前、生きていたのか!」
自衛隊の人が、「それは自衛隊の戦闘機です! 誘導に従って下さい!」と言うと、お母さんは泣きながら、「頭が昔に戻っています」と言いました。
自衛隊の人が、「なんとか説得して下さい。もうすぐ原発の上空に達してしまいます」と言うと、おじいちゃんの声が聞こえました。
「海に敵の基地が見えるぞ。いつの間にこんなものを……」
「それは原子力発電所です!」
「そうか。敵の燃料補給基地だな。よし! 体当たり攻撃をするぞ! 慶子、さようなら。たけ坊にもよろしく言ってくれ!」
「1号機より現地本部。目標が原発に向かって降下を始めた」
「司令! 撃墜の許可が出ました!」
「1号機、目標をロックオン」
「2号機、目標をロックオン」
「司令! 指示をお願いします!」
お母さんが「やめて!」と叫ぶと、お父さんが「こんな死に方をするなんて」と声をもらしました。
でも僕はおじいちゃんが大好きだから、僕が話すと言ったんです。
「おじいちゃん。僕だよ。たけし。友達とサイクリングに行く約束をしたんだ。でも自転車がこわれちゃって、僕だけ行けないんだ」
「なんだと! たけ坊だけが行けないのか。よし! じいちゃんが修理してやる!」
次の日から、おじいちゃんは老人ホームで暮らすことになりました。
「お母さん。おじいちゃん、いつ帰ってくるの?」
「おじいちゃんは、ずっとそこで暮らすのよ」
「武史。おじいちゃんが怪我をしたら可哀想だろ。そこなら安心して暮らせるんだ」
僕が自転車に乗って会いにいくと、おじいちゃんは、いつも自転車のことを聞きました。
「たけ坊。自転車の調子はどうだ?」
「大丈夫だよ。すごく調子いい」
夏休みの宿題は、おじいちゃんの部屋でしました。
「戦争は八月十五日に終わったの?」
「そうだよ。でも隣の部屋のばあちゃんは、まだ旦那の帰りを待っているんだ」
クリスマスは、おじいちゃんと一緒にケーキを食べました。
おじいちゃんに零戦のプラモデルをプレゼントして、約束をしました。
「僕、立派な大人になるからね」
「たけ坊。立派になんてならなくていい。生きているだけでいいんだ」
お正月は、お母さんが作った御節料理をもっていって、おじいちゃんと一緒に食べました。
「おいしいね」
「うん。文子と同じ味だ」
「おじいちゃん。春になったら花見をしようね」
「花見か。花見はいいなぁ」
春になると、老人ホームのまわりは桜で真っ白になりました。
でも、おじいちゃんは、ベッドから起き上がれませんでした。
「おじいちゃん。見える?」
おじいちゃんは顔を横にむけて、桜をずっと見ていました。
「雪みたいで綺麗だね」
おじいちゃんの手を握っていたら、いつの間にか、部屋に夕日が差していました。
「おじいちゃんは、いつまでも僕のヒーローだよ」
「たけ坊……」
おじいちゃんは少し涙をこぼし、目を閉じました。
おわり
執筆の狙い
原稿用紙10枚の作品です。
よろしくお願いします。