隣人
大学の昼休み、明るい陽射しが差し込むカフェテリアで、静香は友人の美咲とテーブルを囲んでいた。何気ない会話が続く中、静香は急に声を潜め、身を乗り出して言った。
「ねえ、隣の部屋の人、ちょっと気持ち悪いんだよね」
「また?」と美咲は苦笑いした。「前もそんなこと言ってなかった?」
「いや、今回は本当にヤバいって。夜中に壁越しに叫び声みたいなのが聞こえるし、たまにベランダから覗き込んでる気がするし、廊下で顔を合わせる回数も多いしさ、それにデブだし」
隣の席でそれを聞いていた直也は、手元のスマートフォンから顔を上げることもなく耳を傾けていた。直也は静香の隣の部屋に住んでいる。まさか自分がそんな風に思われているとは想像もしていなかった。胸が締め付けられるような感覚に襲われる。
「まあ、仕方ないよね」と美咲がフォローする。「あんなに家賃安いんだから、変な人くらい我慢しなきゃ。」
静香はため息をつきながら頷いた。「そうだよね。でも私は角部屋だから、片方にしか隣人がいないだけマシかも。」
その瞬間、直也は眉をひそめた。角部屋? 自分の部屋は確かに角部屋だ。もし静香も角部屋だと言うのなら、話が合わない。
「待てよ……どういうことだ?」直也は心の中でつぶやき、頭を巡らせた。しかし、考えがまとまらないまま、静香たちの話は別の話題に移り、直也はそれ以上考えるのをやめた。
その夜、直也が家に帰ると、思いがけない光景に出くわした。直也の部屋の隣、つまり静香の部屋のドアが開き、静香が廊下に出てきたのだ。彼女の姿を目にした瞬間、直也の胸は高鳴った。
「こんばんは!」彼は思い切って声をかけた。
しかし静香は足を止めることなく、そのまま彼を無視して歩き去ってしまった。その冷たい態度に、やはり昼話していたことは自分だったのかと絶望した。しかし、ああも完璧に無視されると、逆に清々しさを覚える。
そして、静香の部屋の前を通り過ぎ、自分の部屋に戻ろうとしたその瞬間、直也は足元に違和感を覚えた。
「あれ……?」
廊下の床が薄く透け、下の風景が見えている。いや、違う――自分自身が宙に浮いているのだ。
直也は愕然とした表情で振り返る。静香の部屋のドアの前、ちょうど彼が立っているこの場所は、かつて彼が飛び降りた場所だった。廊下には彼の記憶が薄暗い影のように残っている。自殺の瞬間の感覚が、肌を刺すような冷たい風となってよみがえった。
「俺、ここで……」
直也の視界が暗く揺らめき、現実感が遠ざかる。静香が彼を無視した理由が理解できた。自分は既にこの世の住人ではなく、あの時からずっと、ここに縛られていたのだ――静香の部屋の前の廊下で。
執筆の狙い
オチがあるあるですが、アパートの隣人の話を友人としているときにこの話を思いつきました。