そうだ、日本へ行こう
君には翼があるか?
大空を自由自在に何処へでも飛べる翼。
俺には……翼が……ある。
まずい飯
粗末な官舎
安い給料
いつも不機嫌な妻
怒鳴る上司
常に俺を見張る監視の目……
俺の名はビクトル・ベレンコ。29歳。
ソビエト連邦国土防空軍の戦闘機パイロット。階級は中尉。
俺の乗る戦闘機は、最新鋭機の|MiG《ミグ》-25。
マッハ3で飛ぶ、世界一速い戦闘機だ。
こんなに速く飛べる戦闘機は、アメリカにだって存在しない。
この戦闘機のパイロットであることを誇りに思っていた。
俺の幼少時代は暗黒だった。
父は元軍人。
母は、俺が2歳のときに離婚した。
顔なんて当然覚えていない。
父はやがて、子連れの女性と再婚したが、血の繋がっていない俺に母は厳しかった。
食事はいつだって差別されていた。
早くこんな家を出たい。
そう思った俺は、学業に打ち込んだ。
何者にも負けない強い肉体を作り上げることにもいそしんだ。
大空への憧れがあった。
広い空には、俺のまだ知らない未来があるように思えた。
空軍に入隊し、戦闘機パイロットとなった。
空を飛んでいる時、俺は俺であることができた。
操縦の技術が高く評価され、俺は教官になった。
富豪の娘との結婚も果たした。
今にして思えば、俺の人生はここが最頂点であった。
軍は腐っていた。
不正が横行していたのだ。
飛行機には専門的な知識が必要であり、さまざまな資格がある。
資格があればあるほど仕事の幅も広がり、出世をすることができる。
しかし、その資格の制度は穴だらけであった。
上官にカネを払えば、資格はもらえた。
パイロット免許の審査も甘かった。
成績不振でも、上官にカネを払えばなんとかなる。
一方、俺は死にものぐるいで勉強し、肉体の鍛錬にも真面目に取り組んでいた。
しかし、同僚たちは試験ではカンニングを行い、落第すれば賄賂を贈って便宜を図ってもらっていた。
俺が基地内を5周走っている間、同僚たちは2周でさぼり、あとは酒を飲んでいた。
機械の整備に使うアルコールは同僚たちが飲んでしまっていた。
上官も一緒になって飲んでいた。
誰も注意する者がいない。
こんなことでは我が国の未来は絶望しかない。
そう思った俺は、上の組織に軍の不正や堕落を報告した。
同時に俺は、第一線部隊への転属を申請した。
こんな汚れきった環境から、一刻も早く脱したかったのだ。
俺は逮捕された。
なんと、上の組織も腐っていたのである。
不正や堕落を追及する俺は、軍にしてみれば煙たい存在ということなのだろう。
独房にぶち込まれた俺は一人考えた。
正しいことをすることが間違いなのか。
間違ったことをするのが正しいのか。
とにかく、この世は狂っていた。
軍の不正を告発する行為は軍の体制を揺るがす行為であり、まるで反逆罪のような扱いであった。
軍医のカウンセリングを受けさせられた。
しかし、俺には組織を崩壊させようとする意志はなかった。
告発は私利私欲のためでもなかった、
俺は、努力した者が報われる組織であるべきだと主張した。
軍医は驚いた。
軍の中に、このような志をもっている者がいたのかと感動していた。
おいおい……
俺はいたって普通のつもりだ。
こんな俺の志が高いだと?
やっぱり軍は腐っている……
軍医の口利きで俺は釈放され、転勤の希望も叶い、最前線のチュグエフカ基地へと送られることになった。
チュグエフカ基地はウラジオストク港の近くにあり、東の海を渡れば日本、西の国境を越えれば中国だ。
日本はアメリカなどの西側陣営の国であり、アメリカ軍の基地が多数ある。
中国とは、国境紛争はだいぶん落ち着いてきたが、それでも、いつ攻撃があるか分からない。
俺が赴任した極東の地は文字通り、ソビエト連邦の最前線の地であった。
アメリカ軍はソ連の地を、高高度でいつも領空侵犯していた。
ソ連軍は地対空ミサイルで、領空侵犯してきたアメリカのU-2偵察機を撃墜したことがあった。
そこでアメリカは撃墜されないよう、さらに高速の偵察機を開発し、引き続きソ連上空を侵犯し続けていた。
俺の任務は、最新鋭戦闘機 MiG-25を操縦し、領空侵犯してくるアメリカ軍機を撃墜することである。
俺がミサイルの発射ボタンを押すとき、それは、俺がアメリカ兵を殺すときでもある。
航空学校で訓練をしているのとは違う。
俺の仕事は、人を殺すこと。
この任務を遂行するために、俺たち戦闘機パイロットには長時間に渡る精神教育が行われた。
アメリカなどの資本主義国家が、いかに悪の巣窟であるかという講義を延々と聞かされた。
アメリカは駆逐されるべき存在であり、ソ連の社会主義こそが正しいと、何度も教育された。
しかし、俺の心の中で、「アメリカが間違っているのなら、なぜアメリカは繁栄しているのだろうか」という疑問が沸き起こった。
それは教官には絶対に質問してはいけない。
ソ連の社会主義こそが正しい。
それ以外の価値観をもつことは、この世界では死刑を意味する。
だからこそ……俺はアメリカという国に興味をもった。
教官は言う。
「アメリカでは、病院にかかるのにもカネがいる。よりよい教育を受けるのにもカネがいる。アメリカには失業者といって仕事に就けない者がおり、失業者たちは貧しい暮らしをしている。一方、社会主義では医療費も教育費もかからない。失業者も存在しない」
延々と社会主義の良さと、資本主義の欠陥が説明された。
ますます、俺は疑問に思った。
世界の半分の国家が資本主義である。
資本主義がそんなにも悪いものであれば、なぜ、アメリカや日本は、資本主義を続けているのだろうか?
最前線である極東の地に派遣された俺は、初めは使命感に燃えていた。
しかし、待遇は最悪であった。
兵舎は、しばしば停電や断水に悩まされた。
トイレや台所は、他の世帯と共同であり、いつも汚れていた。
基地の周辺は田舎であり、娯楽もない。
都会育ちの妻は、田舎暮らしへの不満を毎日もらした。
俺が稼ぐ給料のほとんどを妻は浪費してしまい、蓄えはなかった。
毎日、妻と喧嘩した。
家庭は地獄だった。
まるで、幼少期のようだ。
あの時、俺は思ったはず。
パイロットになれば自由になれると。
俺は夢を叶え、今や、世界一速い戦闘機のパイロットとなったのだ。
自由への翼を手に入れたはずだった。しかし……
国家の最高機密である最新鋭機。
それは、自由への翼ではなく、機密の翼であった。
その軍事機密を西側諸国に漏らすわけにはいかない。
よって、俺たちパイロットは、KGBからの監視を常に受けていた。
自由な外出など許されなかった。
外部の人間との接触も、すべて監視の対象であった。
最新鋭機のパイロットになった俺は、国家機密を手に入れたことと引換に、自由を奪われた。
家庭では毎日のように妻と喧嘩。
このままいけば離婚だ。
妻はこんな極東の地にはいたくないのだろう。
俺もそう思うようになってきた。
最前線の基地。
最新鋭機のパイロット。
張り切って赴任したものの、この待遇は何なんだ。
電気も水道もすぐ止まり、俺は何度も何度も修理するはめになった。
基地の隊員も腐ってやがる。
どいつもこいつもアル中ばかり。
コックピットのガラスが凍結していたので、俺はアルコールスプレーをかけて融かそうとした。
すると、瞬間に凍ってしまった。
整備のやつらが、スプレーの中の氷解用アルコールを飲んでしまったのだ。
それで、中身を水にすり替えやがったんだ。
氷解用アルコールだけではない。
MiG-25には機体の冷却のためのアルコールも大量に積まれている。
整備兵はそれも飲んでいる。
やつらは飲んだことをごまかすために、空いたタンクに水を入れやがる。
そんな機体を操縦する身になってみろ。
墜落して死ぬのは俺だ。
墜落して死ぬ……
!!
そうか、その手があったか……
俺は地図を広げた。
コンパスを使い、基地からの距離を測る。
航続距離の半径内に、日本の航空自衛隊基地がある。
千歳空港だ。
そうだ! 日本へ行こう!
こんな国とはおさらばだ。
クソみたいな上官、飲んだくれの同僚、監視ばかりしてくるKGB、そして、喧嘩の絶えない妻、そのすべてから逃れてやる!!
俺は世界最速の戦闘機で、自由の地へと飛び立つのだ!
とは言っても、そう簡単にはいかない。
戦闘機は常に2機以上で行動する。
機体の位置はレーダーで把握されている。
逃げ出せば追跡され、同僚機、あるいは地対空ミサイルによって撃墜されてしまう。
しかし……
俺には妙案があった。
自由の国への脱出。
俺は必ず成功させる!!
1976年9月6日。
パイロットは離陸前に必ず、医師の診断を受けることになっている。
俺はいつもより血圧が高いと指摘された。
緊張しているのだろう。
「朝、ジョギングをしていたので」
と、ごまかす。
軍医は特に疑うこともなく、搭乗の許可を出した。
今日の訓練は3機で行う。
俺たちは訓練空域に向けて飛行した。
作戦決行!!
俺は減速し、高度を下げた。
墜落をよそおうのだ。
俺は墜落信号を発信する。
海面ぎりぎりで機体の向きを変え、そのまま海面すれすれの低空飛行を続けた。
低空飛行なら、レーダーに捕捉されることはない。
当然のように、僚機や基地から無線の連絡が入ってくる。
俺は無線機を切った。
俺は東へと進路を取る。
日本の防空識別圏に入れば、当然のように自衛隊はスクランブルをかけてくるだろう。
あれ……?
日本の防空識別圏に入った。
にも関わらず、日本の戦闘機の姿が見えない……
これはいったい……
ついに日本の領空に入った。
つまり、俺は現在、領空侵犯をしているのである。
ソ連では領空侵犯機は撃墜するきまりだ。
しかし、日本の自衛隊はそんなことはしてこない。
無線で警告してきたり、威嚇射撃をしたりするのが関の山。
領空から離脱しない場合は、自衛隊機は強制着陸させるための誘導を行うはず。
で、自衛隊機は……どこだ?
無線機を切っているので、自衛隊機が近づいてきているかどうかも分からない。
そのまま、飛行を続ける。
まずい、燃料がない……
超低空飛行は予想以上に燃料を消費していた。
雲がかかっており、どこが千歳空港なのかも分からない。
自衛隊機、早く俺を見つけて強制着陸のための誘導をしてくれ。
雲の下に街が見えた。
函館だ。
燃料切れの警告灯が点灯している。
もはや、千歳まで飛行することは不可能。
函館に着陸するしかない。
市街地を旋回し、着陸できそうな場所を探した。
!!
あった!!
函館空港だ。
ビーーーーー!!!
燃料切れの警告音が鳴り響く。
俺は函館空港に強行着陸した。
滑走路の長さが足りない!!
オーバーランだ!!
滑走路上で止まることができず、草地に突入した。
そして、フェンスぎりぎりの場所で、ようやく機体は停止した。
燃料の残りは、あと30秒であった。
俺は生きて日本の地に着陸することができたのだった。
空港の作業員が、驚いた表情で俺の機体に近づいてきた。
その男はカメラを構えると、MiG-25の機体を撮影しようとした。
まずい!!
この機体は国家機密。
俺はこの機体をアメリカに差し出すことでアメリカへと移住するのだ。
先に民間人に機体の秘密を漏らすわけにはいかない。
俺は拳銃を取り出すと、空に向けて一発、発砲した。
日本の空港作業員は、慌てて逃げていった。
空港のフェンスにも人影が。
おそらく、民間人だろう。
この機体は秘密の塊だ。
下手に撮影されては、俺が提供する情報がなくなってしまう。
機体を見るな!!
俺は再度、拳銃を空に向けて発砲した。
日本人は慌てて逃げていく。
空港は騒然となった。
日本の警察と思われる人物が近づいてきた。
俺は抵抗の意志がないことを示し、英語で書いておいたメモを手渡した。
手紙にはアメリカへの移住を希望する旨を記しておいた。
俺の英語が通じるといいのだが……
機体をすぐに隠してほしい。
俺は強く要求した。
アメリカにも作れないマッハ3の戦闘機の機密を守るためだ。
この機密と引き換えに、俺はアメリカに渡るのだから。
俺の要求は呑んでくれた。
機体にはすぐ、カバーがかけられた。
拳銃は没収され、取調室に連行された。
日本の警察は、俺に食べ物を出してくれた。
oyakodon という食べ物らしい。
初めて食べた日本の食事。
とても美味であった。
函館空港は警察によって封鎖された。
自衛隊もやってきていたが、中に入れないようだった。
自衛隊と警察とで、縄張り争いが起きているとのことだった。
俺が乗ってきた機体は分解され、徹底的に調べられた。
電子機器には自爆装置が複数付けられていたが、アメリカ人の技師はそれをすべて解除していた。
アメリカ人の技術には舌を巻いた。
コンピュータの構造も調べられた。
後日、「ソ連の最新鋭機のコンピュータには半導体は使われておらず、時代遅れの真空管が使われていた」と報道され、ソ連の技術力の低さが世界中に報道された。
また、MiG-25は、速度は世界一だが、運動性能は低いということも報道された。
コンピュータに真空管が使われていたので、ソ連の戦闘機は西側からさんざんバカにされたわけだが、これは、アメリカと核戦争になった場合、核爆発で生じる電磁パルスによって、コンピュータが損傷することを防ぐために原始的な真空管を使っていたのだ。
さて、俺が亡命したためソ連では大騒ぎになっていた。
ソ連の国営放送でも、このニュースが盛んに取り扱われていた。
「亡命したビクトル中尉は、重度の麻薬中毒者であった」
は?
何が麻薬だ。
俺は人生で一度も麻薬になんて手を出したことはない。
ソ連の体制への不満で戦闘機パイロットが亡命した、なんて、恥ずかしくて報道できないのだろう。
俺はいつの間にか、祖国では麻薬中毒者扱いになっていたのだった。
ソ連の大使館員がやってきた。
「麻薬は日本人に飲まされたんだろ? そう証言してやる。だから、大人しくソ連に帰れ」
俺は言った。
「私はアメリカに亡命します。これは私の意志です」
「キミはソ連の機密をたくさん知っている。アメリカに渡るというのは、祖国に対する裏切り行為だ!」
「裏切り者と言ってもらって構いません。私はもう、ソ連には戻りません」
ソ連の大使館員との交渉は決裂した。
日本政府は私を隔離した。
暗殺される危険があったからだ。
函館空港に着陸したMiG-25の機体も軍事機密の塊。
ソ連軍は機体を奪還、いや、破壊しにやってくるに違いない。
航空自衛隊、千歳基地第304飛行隊は、ソ連軍の空からの攻撃に備え、24時間体制で監視を行った。
海上自衛隊、函館基地は護衛艦を出動させ、ソ連軍の海からの攻撃に備えた。
陸上自衛隊、第11師団第28普通科連隊は、函館空港周辺に出動、ソ連軍の上陸に備えた。
また、自衛隊の高射特科部隊は、侵入してくるソ連軍機を撃墜するために、たくさんの高射砲を出動させた。
第二次世界大戦が終わって数十年。
ソ連と日本は、再び戦争になるのだろうか。
ソ連軍は動いた。
日本海に多数のソ連軍機が飛来、日本の防空識別圏内を飛行して挑発。
機体を返さなければいつでも日本を攻撃する、そういう示威行為なのであろう。
MiG-25の機体は分解され、徹底的に調査された後、茨城の港からロシアの貨物船に乗せられ返還された。
一方、俺の亡命はアメリカ合衆国大統領に受け入れられた。
アメリカに渡った俺は、ソ連の軍事機密を提供するとともに、航空イベント会社のコンサルタントに就任した。
俺はついに自由を手に入れたのだった。
しかし、大きな疑問があった。
日本の自衛隊は、なぜ俺にスクランブルをかけなかったのであろう。
それは、後の報道で明らかになった。
俺が亡命した時、日本ではこんなことが起きていたのだった。
* * *
奥尻島のレーダーサイトは、ソ連から飛来する戦闘機を捕捉していた。
このままの進路であれば、日本の領空に入るであろうことが想定された。
直ちに航空自衛隊千歳基地から2機のF-4ファントム戦闘機がスクランブル発進。
自衛隊機はMiG-25に近づくことに成功し、無線で領空侵犯の警告を発したという。
しかし、俺は無線機を切っていたので、警告には気が付かなかった。
その後、日本のレーダーサイト、及び、日本の戦闘機のレーダーは、俺を見失った。
あまりにも低空飛行であったため、俺の機体はレーダーには映らなかったのだ。
雲が低く立ち込めていたため、視認もできなかったという。
日本の技術力は高いと教わってきた。
自衛隊のレーダーがあちこちに配備されていることも知っていた。
しかし、俺は日本の防空網をあっさりと突破してしまったのだ。
これが戦争だったら、俺はヒーローになっていただろう。
俺の行動は、世界中の空軍に衝撃を与えた。
超低空で飛行すれば、レーダーには捕捉されない。
また、高い高度で飛ぶ飛行機は、低空の飛行機をレーダーで捕捉できない。
この事実が明るみに出てしまったのだ。
世界各国は、レーダーの弱点を克服するために、さらなる技術開発を迫られることとなった。
また、戦闘機には自機より下方を飛行する敵機を捜索するルックダウン能力の向上が求められることとなった。
* * *
俺はアメリカに亡命を果たし、「自由」というものを初めて手にした。
「自由」とは「選択の権利」のことであった。
アメリカに渡ると、生活の中でさまざまな選択の場面に直面した。
ソ連での暮らしは、自分で決めることなど、まるでなかった。
すべての行動が規則で定められ、命令を忠実に遂行する毎日であった。
些細なことでも、アメリカでは自分で選ぶことを要求された。
初めはかなり戸惑ったが、今ではだいぶん慣れてきた。
もう、ソ連に戻りたいとは思わない。
不自由な暮らしには、「選択」はなかったが、「責任」もなかったように思う。
どちらの暮らしが幸せだったのかは、一概には言い表せない。
それでも、自分の行動に自分で責任を取る「自由」というものは素晴らしいものに思えた。
俺は亡命してよかったと、今でも思っている。
テレビで、俺の亡命のことが放送されていた。
ソ連が全世界に向けて発信したニュース映像であった。
妻と母が記者会見を行っている。
妻はカメラに向かって、涙ながらにこう言った。
「主人は私の焼くパイが好きで、前日もおいそうに食べてくれました。私はパイを焼いて、あなたの帰りを待っています」
何の話だ?
妻は俺と結婚してから一度もパイなんて焼いたことはない。
離婚してくれと毎日言っておきながら、何が「待っています」だ。
続いて、俺の母が語る。
「ビクトルは祖国愛の強い、自慢の子供でした。アメリカの陰謀で無理矢理に亡命させられたんです。早く息子を返してください」
母とは俺が2歳の時に離別し、それ以降、面識はない。
俺の何を知っているというのだ。
早く返してくれだと?
息子を置いて出ていったのはあなたの方ではないか。
< 了 >
執筆の狙い
約7400字。実際にあったソ連軍機による領空侵犯並びに強制着陸、亡命事件を基にしています。
一応は史実に基づいていますが、パイロットを語り手として物語風に書いてみました。