作家でごはん!鍛練場
ホープ

秋の日

 石鹸の香りがした。冷え込んだ空気は、匂いを鮮明に思わせる独特な感性を尖らせていた。
 町ですれ違う人々には、それぞれの香りがあった。夏から秋へ移る瞬間に、それが強調されてくるのであった。
 秋の日。左様、日光は暑く、風は冴えて冷たかった。
 この、残暑と初冬を練り込んだような気候が、また一層に複雑な風景を作り出していた。
 妙に黄味がかった日であった。
 私はこの頃、歩きやすい天気の時は散歩をする事があった。
 その道中、里山を越える場所がある。人の往来も少なく、その閑静な道が好みだった。
 熟れた果実の匂いや、金木犀、乾いた土が、それぞれ匂いを発していた。
 それは、例えば学生の時分、諧謔心から種々の絵の具をごちゃ混ぜにした時のような色彩的感覚に似ていた。
 重そうなザクロが枝をしならせている。その横に栗の木があるが、近所の人が掃いたらしく、栗の殻、防御性の権化というものは道の端に追いやられていた。その上を見ると、柿の木に熟した柿が、山吹色に染まって点々と成っていた。
 重力に侵された柿が道で潰れている。
 美味そうだ、と思った。秋の幻惑であった。それら実りというものは、種々の匂いや独特な感覚を以て、私の本能を、絶妙な塩梅で刺激していた。
 私は、道端に潰れた柿の実を、拾って舐めてみたいような心持に襲われていた。
 こういった場合には、色々な妄想が心内を交錯するのであった。
 少し中身を抉って、なるべく綺麗な所を舐めてみる。また、一旦、何も考えずに口に含んでみて、味だけを楽しみ、飲み込まずに吐き出してみる。
 私は立ち止まってまで考えた。この哀れな柿をどうするか。
 食べてみることは別として、その匂い、熟れた甘い匂いが漂っていたので、それを嗅いでみようと、しゃがんで柿を取り上げた。
 やはり、いかにも陳腐で秋らしい匂いは、柿からよく滲んでいた。顔に柿が近づくと、えづくような、抗いようのない食欲が現れ始めた。すると、私は、根底の記憶を思い起こした。
 私は幼少の頃、ホトケノザという花の蜜を吸うのが好きであった。その時分では、友人らと良く蜜を吸っていた。それが当たり前でもあった。しかし、それ以上に、道端に生えている雑草の、柔らかな甘みが好きだった。
 幼いながらも衛生観念が波及してきた頃、友人らが吸わなくなっても、私は依然として花の蜜を楽しんでいた。
 そして、蜜を吸うことは、しばしば友人に馬鹿にされるようにもなった。
「その花に、犬の小便が掛かっている!」
 と言われたことを契機に、私も吸わなくなった。
 私は、このことを思い出すと、衝動がみるみる滑稽になっていき、潰れた柿が私の手から滑り落ちた。
 柿の濃密な果汁が、指にまとわりついていた。私はそれをハンカチで拭い取った。
 両側に木々が肉薄する小路に入ると、紅葉して落ち始めた葉の間から神社が見えた。
 私は、その神社の前を何度か通ったことがあり、その度、老婆が手を合わせていた事を思い出した。
 氏神様なんだろう、と思った。階段を登った少しの高地にあり、その方は、階段の手前で手を合わせていた。
 あれは日常であった。最も純朴な信心と、慣れた祈りの姿が思い出された。
 里山を抜けると、地面はアスファルトになり、私に誘惑を持ち込む不吉な秋の果実は姿を消した。
 そして再び、人々の石鹸の香りが漂ってくるのであった。

秋の日

執筆の狙い

作者 ホープ
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お世話になります。1400字です。
秋の寂しさや哀愁を表現したく書きました。
 よろしくお願いいたします。

コメント

青井水脈
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読ませていただきました。
のどかな町、里山の風景描写の習作的な位置づけでしょうか。

>その横に栗の木があるが、近所の人が掃いたらしく、栗の殻、防御性の権化というものは道の端に追いやられていた。

権化、他には諧謔心、左様はサザエさんで波平もたまに言ってたので、全く馴染みない言葉ではないですが。表現は堅いといえば堅いですね。
石鹸の香りで始まり、石鹸の香りで終わるなど、技術的な面で言うことはなし。これで短編や中編で、ストーリーに動きのある小説を書かれてみると、化けるかもしれないと思いました。

神楽堂
p3339011-ipoe.ipoe.ocn.ne.jp

>ホープさん

『秋の日』、読ませていただきました。

秋、一辺倒で行くのではなく、冒頭、石鹸の香り。
秋とは無関係であり、
人間の生活感のある香り。
主題から離れているかと思いきや、主人公は自然の中に入る。
そこで、柿と出会い、老婆の日常を思い出す。
最後、街に戻ってくると石鹸の香りがする。
つまりは、街→山→街 という主人公の行動を
石鹸 → 柿 → 石鹸
という香りの変化で表現していると解釈しました。
少ない文字数で、このように香りを通じた場面転換とは、実に工夫されていると思いました。

違和感としては、山の場面での香りの描写が弱いところでしょうか。

> 熟れた果実の匂いや、金木犀、乾いた土が、それぞれ匂いを発していた。

ちょっと散らかっている感じがしますね。

>やはり、いかにも陳腐で秋らしい匂いは、柿からよく滲んでいた。

陳腐という評価を下した主人公、
秋を香りを堪能できたのでしょうか?
どうも「秋」というよりは、

>しかし、それ以上に、道端に生えている雑草の、柔らかな甘みが好きだった。

主人公の思い出話に引っ張られており、秋とは関係ない要素が続いている感がありました。
もっと、秋を意識した描写をメインにしてよいかと。

>ホトケノザ

春の七草ですよね。
回想で春の草を中途半端に出すのはいかがなものかと。
こういうところで、主張が散らかっている感じがしてしまいます。

あと、気になった点としては、

>あれは日常であった。

老婆にとっての日常、ということですか?
それとも、主人公にとっての日常、ということですか?

全体を通じての感想ですが、
ほぼ、すべての文が過去形になっています。
~~~た。
で終わる文ばかりで単調です。
現在形で書くという方法もあります。
詩的に表現するために、ところどころ
体言止めを入れてみるのはいかがですか?
あと、倒置法などもアクセントとして使ってみるのもいいと思います。

と、いろいろ指摘してしまいましたが、
構成に工夫が見られ、ただの風景描写に終わらない作品だったところが私には面白く感じられました。
読ませていただきましてありがとうございました。

水野
fp8393d766.chbd309.ap.nuro.jp

『秋の日』読みました。

文末の単調さについては、これくらいの長さの小説であれば個人的にはあまり気にならないですし、むしろ古風さを演出するという意味で効果的だと思います。
淡々と進んでいく感じが、秋の侘しさだったり哀愁さだったりを読者の記憶の底から掘り起こしてくれています。
その点、執筆の狙いは達成されているものと思います。

あとは細かい点になりますが、まず冒頭の「冷え込んだ空気は、匂いを鮮明に思わせる独特な感性を尖らせていた」。
ここは「思わせる」と「尖らせていた」の二つの述語が来ているため、少しもたついています。
また「夏から秋へ移る瞬間に、それが強調されてくるのであった」の一文から、この小説の舞台が秋初めあたりと予想ができますが、寂しさを強調させるのであれば、どちらかというと秋の終わりから冬にかけての方がしっくりきます。

もしかすると「夏」の字自体が、全体の雰囲気を逆撫でしているのかもしれません。
この考え方でいくと、「秋」や「冬」の字に関しても、住んでいる地域や今までの人生観で感じ方が異なってきます。
いっそそういった安易な記号を用いずに書くというのも手かもしれません。

「日光は暑く、風は冴えて冷たかった」。ここもつい立ち止まってしまいます。
日光が暑いのは当然ですし、寂しさを表現するには少し重たい気もする。
風が冷たいのは冒頭の「冷え込んだ空気」ですでに言及されています。
そしてここでも、「冴えて」と「冷たかった」と二つの述語が来てしまっています。
風が冴えているという言い方は面白いので、これはそのまま残したうえで、別の言いかえを模索したいところです。

「妙に黄味がかった日であった」はいいのですが、その後に来る「私はこの頃、歩きやすい天気の時は散歩をする事があった」は蛇足に思えます。
語り手が散歩をしているのは言われなくても何となくわかるので。
また以前に「町ですれ違う人々には」と語られており、その上で「人の往来も少なく」とその後に書かれてあるので、語り手はこの短い期間にかなりの距離を移動していることがわかります。
それならばいっそ、最初から「人の往来も少なく、その閑静な道」から話を始めた方がすっきりしそうではあります。
そうした場合、「私はこの頃、歩きやすい天気の時は散歩をする事があった」はこの小説の冒頭を飾る、第一文目としての資格を帯びてきます。
しかしそうなると、「そして再び、人々の石鹸の香りが漂ってくるのであった」のラストシーンに意味がなくなってしまいます。
日常から非日常、そしてまた日常へ…という単純な構図に置き換えれば、この小説は纏まりを持っています。現状のままでいいのかもしれませんね。

「種々の絵の具をごちゃ混ぜにした時のような色彩的感覚」とありますが、これを活かすのであれば、以前の「妙に黄味がかった日であった」が邪魔になると思います。
「黄味」は「日」にかかっており、「種々の絵の具」は「匂い」にかかっています。
「匂い」は「日」の要素の一つなので、「黄」という具体的な色味が、匂いに関しての雑多な感覚を阻害してしまっています。

栗については「近所の人が掃いたらしく」とありますが、せっかく「人の往来も少なく、その閑静な道」という思索をするには絶好の環境を据えているのですから、ここで人の気配を出すのは悪手に思えます。
「私は、道端に潰れた柿の実を、拾って舐めてみたいような心持に襲われていた」の部分は、梶井基次郎『檸檬』みたいな茶目っ気があっていいですね。
またここは、この小説を物語として見た場合の重要な転換点となっています。
食べる際の妄想部分は若干マニアック(=エロティック)な要素を含んでおり、もう少し長く、詳細に語ってほしいところではありました。個人的な趣味ですが。
「私は立ち止まってまで考えた」の「まで」は、少々わざとらしいのであまり好みません。
幼少期を思い出すシーンは、プルースト『失われた時を求めて』っぽくて好きです。

柿の実を頬張りそうになるという出来事を機に、里山という異界に囚われそうになったところ、幼少期の苦い記憶を頼りに脱出を図るという物語には象徴性がありますね。
最後に神社が出てくるというのも、現実と異世界を繋ぐ扉のようなものと捉えることができます。
意図しているのかどうかはわかりませんが、過去の名作へのリスペクトが端々から感じられたのも好印象でした。
総じて面白かったです。

夜の雨
ai224198.d.west.v6connect.net

「秋の日」読みました。

>秋の寂しさや哀愁を表現したく書きました。<
 作品全体に五感を伴って描かれているので主人公の「私」の気持ちが伝わる文章になっているのではないかと思います。
具体的には、
>石鹸の香りがした。冷え込んだ空気は、匂いを鮮明に思わせる独特な感性を尖らせていた。<
「香り」、「冷え込んだ空気」、「匂いを鮮明に思わせる独特な感性を尖らせ」

 >町ですれ違う人々には、それぞれの香りがあった。夏から秋へ移る瞬間に、それが強調されてくるのであった。<
この文章などは、「町ですれ違う人々」の「香り」におよび、それが「夏から秋へ移る瞬間に、それが強調されてくる」と人々との間接的な関りを描いているところに『主人公の私の寂しさや哀愁があるのでは』。

 >秋の日。左様、日光は暑く、風は冴えて冷たかった。
 この、残暑と初冬を練り込んだような気候が、また一層に複雑な風景を作り出していた。<
これなどは、最近の気候変動を現わしているのでは。
ややっこしい地球環境になってきました。天気予報などでも毎日のように可笑しな気候のことを知らせています。
御作の場合は、それら気候が地球環境どうたらというようなお話にはならずに、「自己の中で完結している」ので、ある意味、凡人(一般の大勢の人々)が生活の中で感じている日常を描いているのだろうなぁと。

 >熟れた果実の匂いや、金木犀、乾いた土が、それぞれ匂いを発していた。
 それは、例えば学生の時分、諧謔心から種々の絵の具をごちゃ混ぜにした時のような色彩的感覚に似ていた。<
ここなどは、「匂い」が学生時代に感じた「ごちゃまぜの色彩」と関連させており、「私のなかの記憶が懐かしく思われる」のでは。
しかし、学生時代の記憶に迫りながらも、それ以上は深入りしないところが、『御作を、ドラマチックというか、物語として動かす気がなかった』、という事でしょうかね。
たとえば、「このごちゃまぜの絵の具の色彩感覚から、学生時代の仲間やら素敵な女友達のことを思い出していたら」、御作はドラマになるところでしたが。

柿の実の熟したうんぬんというようなところから私が味わうという流れになっていましたが、これなども日常の所感であり、エッセーに近い作りでは。

 >両側に木々が肉薄する小路に入ると、紅葉して落ち始めた葉の間から神社が見えた。
 私は、その神社の前を何度か通ったことがあり、その度、老婆が手を合わせていた事を思い出した。<
「老婆が神社で手を合わせていた」というくだりですが、こういった人間の祈りのようなものが御作に入っているのと入っていないのとでは作品の深さが違ってくるのではと思いました。
これなども、もう一歩突っ込んで、主人公が私の中の願いとか祈りを描いていれば、面白くなるかも。例えば、「家族の事」とか「老い先の事」とか。あくまでも「自分の近辺のことを話題にする」とよいかなと。

>>秋の寂しさや哀愁を表現したく書きました。<<
で、これですが、「寂しさや哀愁」を「秋」という季節がらみで描いていますが、もう一歩突っ込むと、物語性が出て面白くなると思いました。


お疲れさまでした。

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申し訳ないですが、御作の浅い筆致では私には何も響いてこなかったです。テーマやストーリーなどの問題ではなく、文章のそれです。国語の授業で、模範解答となるような作品でした。

ホープ
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 青井水脈様

 ご感想ありがとうございます。

 >のどかな街、里山の風景描写の習作的な位置づけでしょうか。

 恥ずかしながら、全くその通りです。この風景描写を通して、語り手の心持ちを表現したいという挑戦がありました。

 堅い文章は、推敲の段階で思いましたが、この印象の方が古風で、秋らしさが文体から伝わるのでは、と思い、そのままにしました。

 ご感想をもとに、もっとストーリーを盛り込んでみようと思いました。

 読んでいただきありがとうございました。

ホープ
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 神楽堂さま

 ご感想ありがとうございます。

>陳腐という評価を下した主人公、
秋を香りを堪能できたのでしょうか?

 これは、私の言葉足らずでしたが、雰囲気としては、
「大それた事ではなく、こういうありきたりな秋の香りで良いんだ」という心持ちを表現したく挿入した文章です。

秋を通して、語り手の心持ちを表現できたらと思い、この物語を書きましたが、それがかえって混乱を招いているようでした。
 秋や香りの描写をもう少し詳しく書いて、そこから語り手の心持ちを浮き彫りにさせれば良くなったのかな、とご指摘を受けて思います。

 要素が散らかっている、というご指摘は、言われて初めて気が付きました。
 ホトケノザに関しては、私も、秋の日に春の花を出すのはだめだ、と思いましたが、どうしても、ホトケノザの代替が思い浮かばず、もうこのままにしちゃえと開き直って投稿しましたが、もう少し煮詰めたほうが良かったと思います。

>老婆にとっての日常、ということですか?
それとも、主人公にとっての日常、ということですか?
 これは、老婆にとっての日常、ということです。
 ここも、不親切であったと思います。

 文体が単調というご指摘は、全くその通りで、体言止め、これを使ってみても良いと思いました。

 参考になります。
 読んでいただきありがとうございました。

ホープ
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水野さま

 ご感想ありがとうございます。

 文法の誤りは、私の推敲不足でした。お見苦しい文章をお見せしてすみません。

「夏から秋へ移る瞬間に、それが強調されてくるのであった」

 これに対するご指摘は、なるほどと思いました。
 読み手の感じ方次第で物語の雰囲気が損なわれるのは良くありませんから、参考になります。

「日光は暑く、風は冴えて冷たかった」

 この部分は、投稿する寸前に、この文も入れてみようと、思い付きで入れたものですから、ご指摘を受けてドキッとしました。
 初秋の、夏のような日差しに、冬のような冷えた風というような雰囲気に最適だと思いましたが、言葉足らずで、また、前の文章と二重になっている所を見落としていました。
同じように、「妙に黄味がかった日であった」という部分も、後付けですから、不自然さが目立ってしまったと後悔しています。

>栗については「近所の人が掃いたらしく」とありますが、せっかく「人の往来も少なく、その閑静な道」という思索をするには絶好の環境を据えているのですから、ここで人の気配を出すのは悪手に思えます。

 これに関しては、確かに人の気配があるし、いた痕跡もあるが、今はいない。という方が、寂しさや秋らしさの演出になるのでは、と思って挿入しました。

 柿を舐めるかどうかの葛藤は、私も、書いていて楽しかったです。もう少し書いてみても良かったと思います。

>「私は立ち止まってまで考えた」の「まで」は、少々わざとらしいのであまり好みません。

 おっしゃる通りです。これから気をつけます。

 プルースト「失われた時を求めて」は、不勉強で読んでいませんが、梶井基次郎は明確に意識した所です。
 最近、物語が浮かばず、言葉も出てこない状況で、四苦八苦した末のこの物語なので、

>過去の名作へのリスペクトが端々から感じられたのも好印象でした。

 というお言葉を頂けて非常に嬉しく思いました。

 読んでいただきありがとうございました。

パイングミ
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拝読しました。一歩離れた距離から語っているような主人公の飄飄した様子はある種のユーモアを感じさせますし、短文を重ねる構成も独特のリズムを生み出していることに成功しているのではないでしょうか。なんだか梨木香歩さんの「家守綺譚」を少し連想しました。そう意味もあり、個人的には少し堅い言葉はありというか世界観を上手く作っているなと思います。

散歩で落ちている柿を舐めたくなる、といったある意味起伏の少ない展開でここまで書けるのは、素晴らしいと思います。良い掌編ありがとうございました。

偏差値45
KD059132061016.au-net.ne.jp

>石鹸の香りがした。
余程、鼻がいいのかな。
個人的には他人の香水は分かるけど、石鹸は分からないですね。

>柿
今まで、うーん、なんと言ったらいいか。
落ちた柿を食べたいか。そんな誘惑が……。
個人的には、今まで無制限に食べていたので、もはや食べる気がしない。
その感覚は分からないですね。

>最も純朴な信心と、慣れた祈りの姿が思い出された。
本当に信心があるのか。個人的には疑問ですね。
僕は「そういうもの」という所作に過ぎない気がするからです。
あえて言えば、見知らぬ人でも山であったら「こんにちは」というレベルかな。
そんな気がする。

総じて言えば、まあ、貧乏くさい話かな。
そこにたくましさを感じられたら、良かったかもしれない。

ホープ
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 夜の雨さま

 ご感想ありがとうございます。
 レスポンス遅れてすみません。

 小説や物語よりも、随筆やエッセーに近いようになったと、書き終えてから思いました。
 
 それぞれ、ご感想やご指摘は非常に参考になります。よく読んでいただきありがとうございます。

>これなどは、最近の気候変動を現わしているのでは。
ややっこしい地球環境になってきました。天気予報などでも毎日のように可笑しな気候のことを知らせています。
御作の場合は、それら気候が地球環境どうたらというようなお話にはならずに、「自己の中で完結している」ので、ある意味、凡人(一般の大勢の人々)が生活の中で感じている日常を描いているのだろうなぁと。
 
 気候変動の事はあまり考えていませんでした。ただ、最近散歩している時に、風は冷たいのに陽射しは暑くて、上着を脱ごうか迷った事が何度かあり、そういった、どっちつかずの気候も、秋らしさがあり、あるいは雰囲気の演出になるのではないか、と思い、後付けしたところでした。
 なので、本当に凡人が感じる日常というご感想がしっくりきました。

>ここなどは、「匂い」が学生時代に感じた「ごちゃまぜの色彩」と関連させており、「私のなかの記憶が懐かしく思われる」のでは。
しかし、学生時代の記憶に迫りながらも、それ以上は深入りしないところが、『御作を、ドラマチックというか、物語として動かす気がなかった』、という事でしょうかね。
たとえば、「このごちゃまぜの絵の具の色彩感覚から、学生時代の仲間やら素敵な女友達のことを思い出していたら」、御作はドラマになるところでしたが。

 ここを発展させることは、考えていませんでした。というより、風景描写の深みを持たせるために挿入した文ですから、そこまで首が回らなかったです。
 個人的に、秋と言えば懐かしさを感じる季節で、紅葉や、夕陽といったイメージがあり、それがノスタルジーと合致するのではと思いました。
 ドラマや映画の回想シーンは、どれも黄味がかった印象ですから、暖色の秋のイメージと合うかなあ、と思っただけでした。
 物語として動かす気がなかった、というのは、その通りです。風呂敷を広げてしまうと、あとで収拾ができなくなると思い、これは、他の方にも同様のご指摘をいただきましたが、心理描写と風景描写を絡ませて書いてみる習作といった位置にありました。

>柿の実の熟したうんぬんというようなところから私が味わうという流れになっていましたが、これなども日常の所感であり、エッセーに近い作りでは。

 これは私も思うところでした。物語に動きが無く、また、私の感じた事をそのまま文字に起こしているだけですから、エッセーに近く、小説とは少し遠いものになりました。
 筆者の狙いの所に書こうと思い、忘れていました。

>「寂しさや哀愁」を「秋」という季節がらみで描いていますが、もう一歩突っ込むと、物語性が出て面白くなると思いました。

 痒いところに手が届かない、中途半端な物語になってしまったと思います。

 読んでいただきありがとうございました。

ホープ
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ゐさま

 ご感想ありがとうございます。

 かなり冷静な筆致で書けたのでは、と意気込んでいましたが、私の技術不足でした。
 これから精進します。

 読んでいただきありがとうございました。

ホープ
sp49-97-78-9.mse.spmode.ne.jp

パイングミさま

 ご感想ありがとうございます。

 ほめていただいて、ありがとうございます。
 梨木香歩さんの「家守綺譚」は不勉強で、読んでいなく、先ほど調べて初めて知りましたが、中々、面白そうです。
 少し堅い言葉や、短文を重ねるなどは、私が意識して書いたところなので、大変うれしく思います。

 読んでいただきありがとうございました。

ホープ
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偏差値45さま

 ご感想ありがとうございます。

>総じて言えば、まあ、貧乏くさい話かな。

 ご感想いただいて、初めて意識したところでした。
 お恥ずかしいですが、家があまり裕福ではなく、小さい頃はあまり柿を食べたことがありませんでした。
 いつも、なにかしらお腹を空かせていたものですから、秋は、大変でした。食べ物が、そこら中にあるものですから。
 この気持ちがあるせいか、今も、秋になり、栗が落ちていると、たまに家に持って帰ってしまいます。

 石鹸の香りも、当時の憧れからきているな、と、考えてみて、思いました。
 祈りの姿も、なんだか豊かな生活なような気がしていて、小さい頃はよく、真似て参拝したことがあります。
 
>僕は「そういうもの」という所作に過ぎない気がするからです。

 確かに、そうですね。これは、私の書き方が悪かったと思います。私も、慣れた祈りの姿は、そのように思います。しかし、それ以上に、わざわざ祈る、参拝するということは、少なからず、信心があるのでは、と思います。

 そして、この物語が、エッセーに近いような話になりましたから、余計に、このような貧乏臭さが際立ってしまったのかもしれません。
 今まで気づけなかった視点に気付くことができました。

 読んでいただきありがとうございました。

小泉後次郎
202-231-88-167.east.ap.gmo-isp.jp

 ホープさん、読みました。
 秋を感じさせようとして試行錯誤された作品ですね。一点だけ書かせてもらいます。とても表現豊かに書かれているのですが、字数を費やしたわりにシーンが立ち上がってこない、柿がビジュアル的に迫ってこないのですよね、ということを思いました。

ホープ
126.249.185.65

小泉後次郎さま

 ご感想ありがとうございます。

>字数を費やしたわりにシーンが立ち上がってこない

実体が湧かないというか、そのシーンのイメージができない、ということだと思います。
読み返してみて、なんとなくわかるような気がしました。抽象的で、どういった状態なのかというところを、書き損じてしまったと思います。

 もう少し、考えて書いてみようと思います。

読んでいただきありがとうございました。

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