何もできない勇者(あなた)が好き
「冒険者ギルドの登録、無事完了いたしました。ランクなどの記されたギルドカードが新規に発行されますので、しばらくお待ちください」
「ご丁寧に、ありがとうですわ。準備ができたら、大声で叫んでくださいまし」
「……すみません。声が小さくて、そういうのはちょっと」
「ふふ。冗談ですわ」
愉しそうにほほ笑む、貴族の娘らしき女性に対し、何やらもごもごと呟きながら、受付嬢はカウンターの奥へと引きこもってしまう。
咀嚼音や食器の擦れ合う音ばかりが目立つ閑散とした館内に、そんな女性二人の会話が、物静かに過ごす男たちの耳へと響き渡る。
世にも珍しい女冒険者の存在に若干の高揚感を感じつつも、彼らは皆一様に、無垢な少年のように純粋な好奇心でもって彼女のことを眺めていた。
全体としての印象は、まさしく煌びやかの一言に尽きる。
白くて滑らかな乙女の肌をすっぽりと覆う、赤色の絹のドレス。
彼女はその上に、もこもこした茶色い毛皮の外套を羽織っている。
足元からは先の尖った革靴が、ドレスの裾から見え隠れしている。
両手には純白の手袋。これは未婚の貴族女性の証とされていた。
ブロンドの髪は緩やかなカーブを描き、肩まで下りている。
透き通るようなベール付きの帽子を被り、金色のイヤリングを携えている。
薄ピンクのチークと紅のルージュは、女の整った顔の造形をより一層際立たせていた。
その高圧的な絢爛さは、彼女が一般的な女性より一回り背丈に恵まれていることにも支えられている。
細身ではあるが、ドレスがゆったりとしているのもあってか、目の前にした時の印象は美しさというより畏怖の念が強い。
貴族が冒険者ギルドに出入りすること自体、さして珍しいことではない。
しかし、うら若き令嬢が、しかも単身で乗り込んでくるなど前代未聞だ。
建物に上がり込んできてから受付との会話が終了するまで、男たちは呆けた表情でただ無心に眺めやっていたが、徐々にきな臭さが漂い始め、互いに警戒心を強めていた。
「もし、そこの殿方」
声をかけられた十五歳前後の冴えない服装をした若者は、全身に纏わせていた鋭い針の山をすっかり粉砕され、猛獣にばったり出くわした哀れな小鹿のように縮こまってしまう。
「なんでしょうか」若者の弱々しい声は、貴族女が大げさに詰め寄ってきた際の風圧によって一瞬にして吹き飛ばされてしまう。
「その様子ですときっと暇を持て余しているでしょうから、ちょっと質問させていただいてもよろしくて?」
「なんでしょうか」
「これは、他の方には絶対に内密にしていてほしいのですけれど。私、本当に勇者としてデビューしてしまいましたのよね? 冒険者なら誰もが憧れる、最強伝説のプロフェッショナルとして!」
「……はい?」
若者が口をあんぐりと開けて呆気に取られている間、女はただじっと、真正面から彼と顔を向き合わせるばかりだった。
彼が何も言えなかったのは、距離感近めな彼女の動きに、あまり女慣れしていない彼の実直さが剝き出しになってしまった所為もある。
若者に関しては可哀そうという感想以外出てこないが、彼女の発した「勇者」という単語に、男たちの体がぴくっと反応する。
女から感じる何とも言えないうさん臭さは、彼らの中でますます増していくばかりだった。
やがて女は不敵な笑みを浮かべた後、恍惚とした表情で姿勢を戻した。
どうやら最初から、あの若者の答えには興味がなかったものとみえる。
女は軽やかな足取りで若者の元を離れ、空いている席におもむろに腰掛ける。
同席する男は、先ほどの若者とは違って鋭利な佇まいを崩さない。
冰上武尊(ひかみ たける)という名のこの男は、女のふてぶてしさに多少ともたじろいだが、表には出さず、あくまで冷静さを装って目の前の令嬢を睨んでいた。
テーブルにはナッツが山盛りで置かれていた。
武尊はナッツが大好物で、ギルドに立ち寄ると毎回頼んでしまうのである。
女の目は、武尊ではなくそちらに釘付けになっていた。
彼女はわざとらしく自分のお腹をさする。
「よろしければ、半分ずっこでも、よろしくて? もちろん、頂いた分の代金はきちんと払いますわ」
女のぶしつけな質問もとい確認に、どのように答えようと思案する間もなく、女は皿を自分の方に寄せると、躊躇いなくナッツを口に放り込んだ。
武尊は静かに腕組みをし、自分の注文したナッツがみるみる少なくなっていくさまを凝視するばかりであった。
ぼりぼりという咀嚼音がようやく落ち着きを見せ始めた頃、女は急に思い出したかのように恍惚とした表情を見せる。
「はあ……私は今、幸せの真っただ中にいますわ。面倒な修行を全部すっ飛ばして勇者になりおおせたのも、きっと神のご加護ですわね」
彼女のこの一言に、ギルド内の様子が一変する。
これまで他人事のようにめいめいの時を過ごしていた冒険者たちは、急に眉を顰め、目配せをする。
貴族といえども今の発言は、冒険者にとってあまりに許しがたいものだったのである。
ナッツを横領された武尊も例に漏れず、女を一層きつく睨みつけていた。
この世界で【勇者】として名乗るには、いくつかの段階を踏む必要がある。
志す者は皆、下級職である【楯持ち】から始めなければならない。
上級職である【騎士】を補佐する役目を負い、彼らの徒弟として、文字通り楯などの武具を管理したり、遠征に同行したりする。
楯持ちとしての務めを果たす間、彼らは各種スキルの底上げに励む。
その一、剣・槍・楯など武具全般の習熟。
その二、弱き者を助け、貴婦人に忠誠を誓う精神面の鍛練。
その三、戦士にとって生涯の相棒となるであろう、馬の飼い馴らし方と乗馬訓練。
これら「武術」「信仰」「馬術」のスキルを磨き上げ、来るべき時に備える。
やがて仕えていた騎士に実力を認められ、世界規模で実施されている試験に合格しなければならない。
こうして晴れて、下級職から卒業できるのだ。
次に彼らを待ち構えているのが、中級職である【傭兵】である。
ここからは実地での訓練が主となる。
傭兵は、騎士に個人的に仕える楯持ちとは違い、雇い主が別にいる。
同じ雇い主の元、騎士の下部組織として働くこともある。
日々の食事くらいしか分け前のなかった楯持ち時代と異なり、日ごとの給与が発生する。
基本的に短期雇用で、安定性には欠けるが、きちんと生活費が支給されるのだ。
上級職である騎士の道に進まず、理由はともあれ傭兵職に留まる者は数多くいる。
実力を認められれば、街や城館の衛兵として雇用されたり、都市の警察組織として夜間の見回りを務めたりもできる。
働き口はそれなりにあり、昇進にこだわる必要はないのだ。
そんな中、あえて上級職に進みたい者とは誰なのか。
ここで【勇者】の話が出てくる。
勇者というのは厳密には職種ではない。あえて職と定義づけるならば、それは特別職にあたる。
ある一定の条件を突破した騎士階級の者が冒険者ギルドに登録することで得られる、一種の称号のようなものというのが実態に近い。
近年、世界を慢性的に苦しめていた寒冷期が過ぎ去り、温暖期がやってきた。
食料の供給が安定し、人口は以前の五倍以上に膨れ上がり、それに伴い技術開発も進歩していった。
人々は住む土地を求め、未開の森を切り開き、ひいては世界が人間の手によって侵略されつつあった。
その最中で人類は、伝説やおとぎ話でしか目にすることのなかった珍しいものを発見する。
地下の奥深くへと続く、底なしの巨大洞窟。
現代の技術レベルでは説明のつかない、高度な文明によって建てられた天空の塔。
永遠に燃え続ける魔法の森など、数え上げればきりがない。
人類はそれらを【ダンジョン】と呼び慣わし、世界中で探索が進められた。
これらダンジョンに公的に挑むことができるのが、勇者なる称号を得た者である。
その危険性の故か、勇者によるダンジョン攻略に関してはどのような些細な情報であっても完全に秘匿されている。
ギルドの許可なしにダンジョンに踏み入る者がいたとしても、実力もなしに攻略できるはずもなく、それどころか戻ってきた途端に拘束され、即刻処刑されるとのこと。
実際に処刑現場を見たという者もおり、ダンジョンや勇者なる存在については疑う余地もないが、それらに関する途方もない噂ばかりが飛び交っているというのが現状である。
勇者になるには【騎士】階級が前提だが、騎士になることがまた難しい。
前提として伯爵以上の貴族による後ろ盾が不可欠であり、その上で国が開催する、正式な叙任式を受ける必要がある。
志す者の立場が元々貴族階級にあるものであれば話は早いが、そうでなければ既存の騎士を介して貴族に気に入られるしかない。
でなければ重要な戦争で功績を上げ、実力でのし上がっていくしかない。
無論、貴族といえども楯持ち時代、そして三科目の試験を省略することは許されていない。
そして基本的に、貴族は楯持ちをやりたがらない。
女ともなればなおさらだ。
もし騎士を自称する貴族がいても、冒険者ギルドは全て把握している。
勇者としての登録は、絶対にできないようになっている。
よって、自分のことを勇者であると吹聴して回るこの女は、明らかに嘘をついている。
この確信が、徐々にギルド内に浸透していった。
ある意味世間知らずの貴族様が、勘違いからぬか喜びをする図が、男たちの間に共有されていったのだ。
安堵した冒険者たちは、無邪気な娘を見守る父親のような表情で、それぞれの酒と噂話に戻っていった。
だが、女と同席するこの男は違う。
冰上武尊は大きな音を立てて立ち上がり、女のそばへと詰め寄る。
黙ったまま立ち尽くす男に気づいた女は、幸福に満ちた笑顔を崩さず、しかし確固たる意志でもって彼と対峙する。
「あら、勇者であるこの私に、へっぽこ冒険者であるあなたが何の用ですの? あなたにできることといえば、せいぜい私の楽しみの邪魔をしないことだけですのに」
女の高圧的な、だがどこか憎めない物言いに武尊は挫けそうになったが、腹に力を込めてぐっと堪え、勢い任せに声を張り上げる。
「……おそらくあんたは貴族のお嬢様で、俺なんかが面と向かって話しちゃいけないんだろうなってことはわかる。けど、ここじゃ等しく冒険者だ、遠慮なんてものはねえ。俺たちを揶揄うのが目的なら、勝手にすりゃあいい。けど、もし勇者になるのが簡単なものだって本気で思っているんなら、考えを改めた方がいいぜ。世界の謎を解き明かす勇敢な戦士を蔑ろにする態度は、もうちょっと控えるべきだ」
武尊の言葉に並々ならぬものを感じたのか、ふやけていた女の口は真一文字に締められた。
「そんなこと、私は微塵も思っていませんわ。むしろこの場にいる誰よりも、勇者という人種を尊敬しておりますの。それに私、現に勇者ですしね。先ほど手続きを済ませ、勇者としての登録を正式に済ませたところですわ。これからは私だけの力で、未知のダンジョンを攻略してやりますの。そして最後は、お父様のような立派な冒険者として、神に命を捧げるのですわ」
女の目はいたって真剣だ。
だからといってそれが、勇者であるという嘘の免罪符にはならない。
「お前の父親がどれだけ立派だったかなんて、俺には関係ない。そもそもお前、勇者である以前に冒険者としてどうなんだ。俺たちはチームを組むことが前提だ。素性もわからないお前と組んでくれるような的外れがいれば、話は別だがな」
「意外と私のこと、心配してくださっていますのね。痛み入りますわ。あっ、先ほどはごちそうさまでした。お礼はまた、別の形で差し上げたいと思いますわ」
女は立ち上がり、ばか丁寧に深いお辞儀をする。
マイペースな女の挙動に、武尊はまたもやたじろいでしまう。
「食べた分はしっかり払ってもらうから、礼を言われる筋合いもないな。そもそもお前みたいな人間が、一人でこんなところに出入りしていいのか? 貴族のお嬢さんらしく、部屋の片隅で読書に耽っていた方がよっぽどいいだろ」
「あら。あなたって案外、オールドファッションですのね。若いのに、残念ですわ」
そう言うと女は、あの不敵な笑みを浮かべて武尊の胸元へと接近した。
品定めするかのように、武尊の顔を覗き込んでいる。
「もしかしてあなた、この私を羨んでいますの? どうしてもというのでしたら、私の仲間に入れてさしあげても構いませんけれども」
「馬鹿言うな。俺はただ、真面目に冒険者やってる人間に対して、さっきの物言いは失礼だったんじゃないかって伝えたいだけだ」
「結局、言いたいことはそれだけですの? 回りくどいことこの上ないですわ」
女は退屈とばかりにあくびをした。
いよいよ手が出てしまいそうになったところで、こちらを呼び止める、か細い声が離れたところから聞こえてくる。
声のした方に二人して振り向くと、ギルドの受付嬢が控えめに手を上げていた。
「そちらの冒険者様。お名前は、えっと……花園千景(はなぞの ちかげ)様、ですね。お話し中のところ申し訳ありません」
受付嬢はカウンターを出て、花園千景と呼ばれた女の方角へふらつきながら歩いてくる。
言ってしまえば普段からこんな調子ではあるが、今日はいつも以上におどおどしている様子だった。
女はもはや武尊への興味を失い、受付嬢の方へと体を向け直す。
背筋をピンと張り、いかにもお嬢様らしいおしとやかな雰囲気を演出しているが、もはや手遅れだろう。
武尊が見守る中、受付嬢は女の正面まで来ると、手元にあったカードを両手で渡した。
花園千景はそれを同じく両手で受け取ると、ぱっと顔を輝かせた。
「お待たせして申し訳ございません。こちらが、千景様のギルドカードとなります。勇者であることを示す書類でもありますので、くれぐれも紛失しないよう、お願いいたします。万が一の場合、再発行に手数料がかかりますのでご注意ください」
「ふふ。これからよろしくですわ」
満面の笑みを浮かべる千景のすぐ脇で、武尊はがっくりと肩を落とす。
どんな手を使ったのかはわからない。だが、彼女が勇者であることは紛れもない事実のようだ。
本物の勇者の登場に興奮し、女の周りに群がる男たちに武尊は押しやられ、勝ち誇った笑い声だけが武尊の頭にぷすぷすと突き刺さった。
執筆の狙い
長編ファンタジー小説の第一話です。
11、12世紀頃の中世ヨーロッパを時代背景とした小説を書きたいと前々から思っていたのですが、いきなり書こうとしても失敗するだろうと思い、執筆の感触を思い出すために書き始めたのがきっかけです。
10年前からお世話になっている「小説家になろう」というサイトに投稿するつもりですので、そこで好まれているキーワード、冒険者・勇者・ダンジョンなどを設定して書き始めました。
第一話の目的としては、これを読んだ方に世界観を掴んでもらうこと、登場するキャラクターを好きになってもらうこと、勇者にまつわる謎を提示して物語全体に興味を持ってもらうこと、以上三つがあります。
ご意見ご感想、お待ちしています。