リトルギャンブラー
ポテトフライを食べる。心持ち長い串に、薄茶の揚げ物が刺さっている。コロッケはすり潰したジャガイモを揚げたものだが、こちらはゴツゴツとしたジャガイモがほくほくとした食感となっている。上品ではなく、荒々しい。かけられたソースは安物で物足りない量だけど、それがしみじみと浸みる。
食べた後の発泡スチロールの四角い皿をゴミ箱に入れようとしたら、離す寸前に寒風にさらわれ、露店の集まりの方まで持っていかれてしまった。盛況とは言えないが、程々の密度の往来はみな、それを気に留めない。おでんやモツ煮をつついたり、新聞とにらめっこしている。このままでもいい、誰にも文句を言われない、とわかっていながら、半ばヤケな気持ちで風に飛ばされたゴミを追う。
浦和競馬場は南浦和駅から徒歩十五分、送迎バスならば五分のところにある。インターネットによる馬券購入などで、地方競馬は再び収支は増加傾向にある。かつての地方の場末での、寂れて廃れていくイメージとは遠くなった。
しかし、必ずしも地元の町興しとして歓迎されてはいないように思う。駅から出て、まず見えるのが東京には及ばないものの地方都市としてまずまずのビル街、駅横の大きめのタコヤキ屋。焼きの甘いせいか、皮がぐしゅぐしゅしているそれを突つきながら、駅前の商店街を行けば、街頭に取り付けられているのは「浦和レッズ」の赤いエンブレムの旗。定期でやって来る浦和競馬場直通のバスの案内は、小さな板切れ一枚のため見過ごしてしまい、道を迷った。
しかし頻繁にやって来る無料バスの乗客は多く、古い内装のバスにこれまた使い古されたような服の中年男が一杯に詰まり、椅子は全て埋まり、立たなければならないほどだ。今日は平日。一月九日水曜。第62回ニューイヤーカップが行われる日だ。そのレースは地方重賞に当たるSⅢで浦和競馬にしては大きめのレースだ。
バスは目的地に到着し、おじさんらは無言でぞろぞろ歩き出す。立ち読みしていた競馬新聞をバッグにしまい、その流れに混じる。バスを出ると競馬場がある。東京の府中のように入場チケットをどこで買おうか迷っていると、みな購入する素振りもなくゲートを通っていく。良く見ると、百円玉をチャリンと入れると、そのまま駅の改札のようなゲートを通れるらしい。それに倣う。
競馬場に入ると直ぐに馬にお目にかかることになった。パドックだ。レース前の馬たちがお披露目される小さなトラックのような円形コースだ。馬の状態を直前で見て、それが馬券を購入する際の判断材料の一つとなる。
馬が厩務員に引かれてパカパカ歩く。ときどき馬糞を落とす。馬糞を厩務員はひょいと避けてコースを回るが、馬たちは構わずにその上を悠然と歩いていく。客との距離も中央の競馬場よりも近く、集まっている人の数も少なく、最前列に立って間近で馬たちを見ることが出来る。
寒空に手をこすりあわせながら、地面を踏みしめ続ける馬を見る。どれも良く見える。改めて眼の前に来ると「大きいな」と思う。馬鹿みたいだけどそう思う。四百キロを超えるサラブレッドには、生命のパワーのようなものの詰まり方が人とは違うように思う。
どの馬も本に出てくる名馬のように見える。テレビ中継では解説者がしたり顔で、「この馬は歩様が」とか「イレコミが」とか言っていて、それを聞いていると自分も同じように競馬を分かったような気がする。しかしここで、馬と一対一で面してみると、自分の見る目の無さを実感する。この中に何十億と稼ぐオグリキャップが混じっていても、名前が示されなければ自分にはわからないだろう。
いや、馬どころか人を見る目もない。なんというか、物事を見る目も、場所を見る目もない。その目は曇っている。輝いていれば、新年早々、こんなところには居ないはずだ。
ポテトフライを買いに、露店の集まりに向かう。二百円ちょっとだった。
競馬場の建物内には、馬券売り場とちょっとした売店と観覧席がある。中央競馬の府中などはとても綺麗で清潔感があって、それこそデートだったり子供との家族サービスに使われそうな雰囲気があるが、どうも浦和競馬のそれは加齢臭がする。年季の入った地方都市の駅のホームのような、決して汚くはないが、拭えない庶民臭さが満ちている。ただ、それが心地よい。地味な、妻に買ってもらったようなそういう値引きされた感じのジャンパーやズボンを普段着で着こなしているおっさんらと調和して一つの空気を作っていて、「ああ、自分もその一員になってしまったんだなあ」と思ってしまう。それだけ、その安っぽさが心地良いのだ。
場内を見て回ったのは、それもあるだろう、また外の寒さ、今日は特に風が強く芯に来る、を避けたい気持ちも手伝ったのだろう。思ったよりも長くなり、レース発走が近くなってしまった。投票締め切り四分前のアナウンスがあり、走れば外のゴール前で観れる、のだが怠惰が勝ってしまった。もう何時の間にか興奮に急かされ走る年でもなくなっていた。
建物内の三階から、コースに面した全面のガラス張りの窓を通してレースを見る。アナウンサーが実況をするが、どうも音響が悪いのか、妙にかすれて遠くから聞こえている。コース全体を見下ろしていると、熱は冷め、子供の運動会の徒競走を見つめている気分になる。秋の日の当たる小学校で、赤白帽に短パンで、走る背の低い我が子。運動神経の鈍さは遺伝しなかったらしく、八人中の二番目でゴールした。二着の旗の前での笑顔に、なにか自分自身のあの頃がピカピカに磨かれて帰って来たような。微笑ましく、誇らしい気持ちになった。その子と会うことは、もう無い。
場内は静かで、窓で隔たれているせいか、野次も応援も飛ばずに、むしろ平常よりも静かに終わった。レース直後に「当たった当たった」と誰も聞いていないのに、繰り返しながら払い戻しに向かうおっさんがいた。濃紺のジャンパーを着た、なんだか呑気そうな背中だった。
イベントとして用意されたトークショーがあった。メインレースであるニューイヤーカップの予想だ。おっさんらに囲まれた女優は、少し美人な肌の白い何処にでもいそうな、でもアイドルとしては年をとり過ぎた顔だった。予想をクイズ番組に良くある紙に書こうとして風にあおられ「すいません」と言いながら、でも周りは迷惑そうにも、さりとて楽しそうでもなく、まるで観葉植物のようだった。
焼き鳥を買う。レバー百二十円。ボンジリ百二十円。注文してから網で焼く。たとえ二度焼きだろうが、目の前で肉が煙をたてるのが嬉しい。レバーは臭いがきつかったが、ボンジリのかりかりとした歯応えある食感は、なかなかだった。
メインレースの二走前。福寿草特別のパドックを見つめる。一番レインボーシャトル。二番エリノブリザード。眼の前に映るそれは凛々しく賢そうで、それこそ観客一杯の中央競馬の芝の上を駆け巡る馬らと変わらないように思える。冬だから毛は艶の良さはないが、年季のこもった歴戦のツワモノって感じがする。どの馬も良く見える。それなのに、ふとしたことか、どうしたことか。
黒毛の馬に、心を掴まれた。
正面から見た時に前脚の、首へと至る胸にある筋肉が隆々として力強かった。黒い姿が、陰影をよりはっきりさせたのか、他の馬よりも明らかに厚みのある立体的な姿をしていた。首を大きく動かすこともなく、歩様も穏やかなほどにゆっくりで、しかしはっきりした目は前を見据えている。特別に大きな体ではなく標準的で、しかし如何にも筋肉が締まっている印象を持った。柔らかな背のライン。七番の馬だった。
電光掲示板を見る。三連単、レースの一着、二着、三着を順番通りに当てる投票方法。その三連単の人気上位のオッズが並んでいるが、その中に七の数字はない。上から眺めたが、最後までない。パドックの奥の巨大な電光掲示板と、離れて奥へと向かう七番の馬を交互に見つめる。掲示板の表示が切り替わった。7番、ミスターソウルマン、場体重マイナス8。オッズは単勝94倍ほど。百円で一万円が帰って来るオッズ。万馬券にも近い大穴だった。
それを知った時、この黒い馬は単なる凡馬になると思った。人気薄の穴馬。色あせると思った。そしてその馬を確かめると、しかし存在感はより増し、ただ走りそうだった。それはどんどんと大きくなっていく。投票の締め切りは近くなっていく。ずっと七番を見つめていた。
本当はメインレースまで馬券は買わないはずだった。買ったにしても肩慣らし程度にするはずだった。だが、この気持ちを裏切っては嘘になる。この時を逃したら、ここに来ている意味がない。出会いに意味があるとしたら、この出会いにはきっと。
無我夢中で馬券売り場へと早足で向かい、一万円の七番の単勝を買った。七番がトップでゴールすれば、百倍の百万円。景色がドンドンと過ぎ、頭は一点に集中し、記憶をとどめず、ただ機械的に動いた。そのまま駆け足で再びパドックに向かい、号令がかかるまで七番を見つめ、騎手が向かうと、その青一面に黄の横縞が走ったレース服を頭に焼き付けた。そして馬がコースに向かうと、直ぐにゴール前に陣取るように立った。
興奮して寒さを忘れる、とよく言われる。しかし実際はそんなことはなく、ただ寒かった。冷たかった。手はかじかんでジャンパーのポケットに入れながら、手袋はすべきだった、無くても軍手でもと、ちりちりとした。耳や顔も寒気が刺さり、特に風が吹くと上半身全体に寒さが服を透けるように浸みた。風は吹きっ晒しの遮蔽物のないここでは容赦なかった。投票締め切り二分前のアナウンスから一分前のそれまでの時間が、ひたすら長かった。馬券が当たったら、百万円を手に入れたら、何をしようか。考えていた。百万円で何を買うかよりも、それを話のタネに子供とまた会えるのではないか。そんなことを。だけど、とにかく寒さが厳しく、早く終わらないか。そう、思考は沈んでいった。
ターフビジョン、ゴール板の後ろにある大型モニターに、チェスのナイトが映り、虹色のデジタルな線が突っ切り、プロモーションビデオのようなものが映った。それから少し。画面にスタートのゲートが映され、いよいよレースが始まろうとしていた。スタートは遠く、肉眼ではどれがどの馬だか良く分からない。まずスタートして、ゴール前のここを通り、コースを一周して、最後にここゴールを目指す。短い旅が始まる。集まった十数人たちと一緒に、ただ始まりと行く末を見守る。
レースが始まった。スタートした。ゲートが開いた。七番の馬は明らかな動きをした。
スタートが鈍い。その後の加速も鈍い。どん尻につけた。馬が車のように突っ切る中、最後に青の服が通った。向こう正面、はるか遠くに、レースの中盤になっても七番は後ろだった。「勝てない」。レースの山場前にわかってしまう。燃え立つこともないまま、挽回することもないまま、レースは進行していく。この寒空の空気を真っ向に受けて騎手は己の背よりも高く、高速で揺れ動く視界を見つめる。汗でびっしょりと背中を濡らしながら、鞭を振りかざす。そのような熱気あるシーンも、車が通り過ぎるのを遠くから見守るように、ただ滑らかに穏やかにゴール前の自分の目を駆けて行った。勝てなかった。虚しさや悔しさよりも、ただ「当然そうなるよな」という思いが一杯だった。風が冷たかった。
メインレースのニューイヤーカップになると、ゴール前には妙に頭が出っ張った本格的なカメラを携えたファンが、十人ほど陣取った。レースの第三コーナーを過ぎると、競馬記者専用のコースとゴール前の観客の間の、排水溝があるスペースに、ずらりと報道陣が並びシャッターを切っていた。予想は随分と気軽なものになっていて、金額も五百円だったが、やはり当たらなかった。結局はどこでどう賭けても同じだったのだろう。すっからかんだ。レース後に、随分と若い二人連れが、「盛り上がらないなー」と言った。確かに、興奮と野次の飛び交うあのお馴染みの競馬シーンとは遠いものなのだろう。出汁の薄い塩ラーメンをふうふうして、競馬場を後にした。
賭けには応えられなかったが、まだ七番の素晴らしい筋肉の固まりの、前脚から首にかけてのあの盛り上がり、馬体のライン全体の美しさを忘れられない。レース結果を見て、それこそ見た目だけだったと思う筈なのに、頭に浮かぶのはその筋肉が躍動しトップでゴールを目指す姿なのだ。それは恐らく最下位に終わったこと。最後に印象的に砂を蹴散らすのでもなく、淡々と、でも確かにゴール前を通り過ぎた姿を見たからかもしれない。
浦和競馬の常連になることはないだろう。だけど、これからの人生の節々に、様々なものを賭け、外していくだろう。そして、今の何処かすがすがしく、何かを失い、何かが満ちた思いは、きっと嘘をつくことはないだろう。肌に染み入る残念感。敗者の道を寒いけれど、ゆっくりと駅のホームへと歩いていく。
執筆の狙い
以前投稿したものです。少しだけいじりました。
よろしくお願いします。