作家でごはん!鍛練場
西山鷹志

マラッカ海峡漂流記

「船長、まずい事になりそうです」
「どうした? ……あれは海賊船じゃないか。この船ではすぐ追いつかれるかもしれんな。仕方がない、全員、小型ボートに乗り脱出するぞ」
「大丈夫ですかね。まあ一応十五人は乗れますが」
「乗組員は十一人だけだ。余ったスペースに出来るだけ研究資料と食料を載せろ。大丈夫だ。このボートは時速三十二ノットで走れる追いつけるわけがないさ」
「分かりました。大急ぎで準備します」
「大事な資料だ。出来るだけ持ち出せ。それと無線機を忘れるなよ。まもなく近くの警備艇が助けに来るはずだ。よしボートを出せ」
「そうですね。船は惜しいけど命には代えられない」
「分かりました。では早速小型のボートのエンジンをかけます」
「よし早く調査船から離れろ。全員乗っているな」
「ちょっと待ってください。ロビー・モレノが居ません」
「どういう事だ。奴は確か腹が痛いと言ってベッドで休んでいたな」
「呼んで来ますよ」
「駄目だ、間に合わない。海賊船が猛スピードで近づいてくる。仕方がない、モレノには悪いが、なんとか逃げのびてくれ。警備艇が助けてくれることを祈っているよ」
よく見るともう目の前まで海賊船が迫っていた。ボートは猛スピードで逃げてゆく。海賊船はボートを追わず調査船に乗り込もうと迫っていたが。
それから数分後、上空に黒い雲に覆われ竜巻が周りの海水を吸い上げている。それも大きな竜巻でスピードが早い。勢いを増した竜巻は海賊船と調査船を巻き込み船は木っ端微塵となった。間一髪脱出した小型ボートは逃げおおせたのだろうか。

マレー半島とスマトラ半島を隔てる海峡をマラッカ海峡と呼ぶ。幅は約七十km~二百五十kmの海峡である。南シナ海とアンダマン海を結ぶ主要航路で、年間の通過船舶数は五万隻を超えるそうだが一日にすると百四十隻になる。
大海原は静かな白い波を立てて、太陽の光を浴びてキラキラと輝いていた。その大海原に粗末な丸太を組み合わせたイカダが漂流している。すぐに何処か近い島か陸地に辿り着くと思っていた。どういう訳か潮の流れが速くマラッカ海峡を抜けてアンダマン海の大海原に入ろうとしていた。まずい事に漂流した時刻は真夜中だった。マラッカ海峡なら沢山の船を見かけるがアンダマン海は極端に広く船の往来も減る。更に航路から外れたらこんな小さなイカダではどの船も気づくはずもない。

その小さなイカダには二人の男が乗っていた。イカダの大きさは六畳ほどの面積があり長方形の丸太を縄で繋ぎ合わせたものだ。一人は屈強そうな三十歳前後と思われる男。おそらく身長百九十センチ、体重九十以上キロはあるだろう。顔も見るからに怖い感じだ。しかも筋肉隆々で竜の刺青が数ヶ所に彫られている。もう一人はその男と比較すると見劣りする。学者風の男は百八十センチ、七十五キロくらいだろうか。調査船の乗組員だ。
年齢も屈強な男と同じくらいだろう。その二人がイカダの両角に離れて座っている。海賊船と調査船は竜巻に巻き上げられ、生き残ったのは皮肉にも海賊船から一人と調査船から一人だけ。他の者はおそらく助からなかっただろう。但し調査船の乗組員はモレノを除き小型ボードで脱出してはずだ。遭難した船から拾い集めた材木、皮製の布、帆柱が折れて柱ごとイカダに拾い上げた。遭難した船から漂流している物を片っ端から拾い上げて、イカダの真ん中に積み揚げた。まだ中身が何か確認していない。
この二人は知り合いでもなんでもない。それどころか敵対関係である。マラッカ海峡は言わずと知れた海賊で有名な海峡であり、今も昔も海賊は存在している。その屈強そうな男の方が海賊船に乗っていた。言わずと知れたマラッカ海峡を通る船を狙う海賊船だ。その生き残りである。
神は悪戯したのだろうか、試練を与えたのか二人は何故か同じイカダに乗っている。
今は敵も味方もない。生きる為に仕方がなく一緒にイカダに乗っているだけだ。

「おい、おまえ! 殺されたくなかったら俺の言うことを聞け」
「……」
「ふん、俺が怖くて口も聞けんのか」
「偉そうに言うな。おまえの仲間もみんな死んだ。残ったのは俺たち二人だけだ。俺を殺せばおまえ一人では生きて行けないぞ、俺は覚悟を決めている。殺れるものならやってみろ。それとも協力しあって助け船に拾われるかだ」
屈強そうな男は黙った。その男の言う通りだからだ。黙っている男に追い打ちをかける。
「おまえらに天罰が下ったんだ。海洋調査船を襲ったおまえたち海賊に神はお怒りになったのだ。二十人近くもいた海賊で残ったのは、おまえだけじゃないか」
「それはおまえ達も同じだろう。おまえ達組員は何人いた? 残ったのはおまえだけだろう。神は平等だ。ワッハハ」
「残念だな。大きな調査船でもないし、俺たちクルーは十一人だけだ。おまえ達が来たので高速小型ボートで逃げたんだ。その後におまえ達が襲って来た。以前からこの海域は海賊が出るという噂があり、常に避難用の高速艇の小型ボートを用意していた。俺は最後に乗るつもりだったが俺だけ間に合わなかった。でも神はお怒りになり、竜巻となっておまえ達海賊船と海洋調査船を巻き上げたのさ。だから俺たちは誰も死んでいないんだ」
「ふん、理屈は結構だ。仕方がないここは力を合わせるしかなさそうだ。おまえ、名前は?」
「俺はロビー・モレノだ。メキスコ系マレーシア人だ。おまえは?」
「良く聞け。俺の名はレヴィアタン・フランコだ」
「なんだって笑わせるな! レヴィアタンは海の怪物と言われる伝説の生きもの。巨大な竜に変化して七つの海の守り神、竜伝説そんな名前を付ける馬鹿な親がいるか」
「そうだ。親父が付けた名前だ。親父からレヴィアタン伝説は聞いて気に入っている」
それから二人は互いに警戒しながらも、生きぬくために協力しあった。イカダの中央に
積まれた荷物を調べて行く。竜巻で叩きつけられた双方の船は木っ端微塵になり一瞬にして即死した者や、重症を負ってそのまま海の底に沈んで行った者、気がついたら二人だけになっていた。丸太や材木、手に触った物を手当たり次第に拾い揚げた。
互いに目的こそ天地の差があるものの、海を仕事場とする男は咄嗟に判断したのだ。
だから何を拾い揚げたか分からない。しかしこれが海の上で生きて行くための全てだ。

幌の切れ端、ロープ、鍋、フライパン、オイル缶、釣り糸、工具箱、ビニールシート、プラスチックの箱に入っていた缶詰が十数個、同じくランプに六本の水の入ったペットボトルなど簡単に見たらそんなものだった。それにしてもこれだけの物を拾い上げたものだ。
船の往来が多い、ここマラッカ海峡はいわずと知れた昔から海賊のメッカだ。
何しろマラッカ海峡は海賊海域と呼ばれるほど多く年間二百二十回も襲われている。
昨今では警備も強化され半分以下らしいが、各国も海賊対策には頭を痛めている。
ここを通る船は対策として武器を積み込んでいる。よって海賊たちも乗組員の多い船は
襲わないのが通常だ。それで小型の調査船が襲われた訳だ。
 
竜巻に巻き込まれたのはマレーシアの沖二百キロ付近だ。だが嵐でかなり流されたと思う。おそらくアンダマン海まで流されたと思う。二人とも海の男だ。そのくらいの見当はつく。それから一昼夜どのくらい流されたかは分からない。照りつける太陽と数十個の缶詰に六本のペットボトルでは三日と持たない。その間に此処を船が通るかは不明だ。ましてイカダでは近くを通っても発見されないだろう。生き延びるには一人なら六日生き延びられる。殺人を犯し一人になっても三日長くなるだけだ。よってフランコが襲うことは考えにくい。二人は破けた幌を繋ぎ合わせて、日除けのテント代わりにした。とにかく今は体のエネルギーの消費を防ぐために眠った。朝の日差しがイカダを照りつける。気温はどんどん上昇して行き、水を飲まずには居られない状況だ。たまらずフランコがペットボトルに手を掛けた。すかさずモレノが口を出した。
「おい! 我慢せよ。でないと水は三日どころか一日で無くなるぜ」
「うるさい! おまえなんかに指図される覚えはない。竜巻さえなかったらおまえは殺されていた身だぞ。それともここで殺してやってもいいぜ」
「ふん、まだ海賊のつもりでいるのか、今は一人だ。それも武器もなくて勝てるのか」
「なんだと~~その貧弱な体で勝てると思っているのか」
「貧弱かどうか、やって見なくては分からんぞ。俺だって空手をやって来たんだ。一対一なら負けないぞ。それでもいいのか」
フランコは空手と聞いて一瞬ひるんだが体格は圧倒的に有利だ。ハッタリを掛けていると思った。ここで優位に立たなくては水が飲めなくなる。フランコは立ち上がった。

「よせ! 無駄に体力を使ったら水や食糧がもっと欲しくなる、やめておけ」
「やっぱりハッタリか。ふん、おまえが居なくなれば水も缶詰も俺のものだ」
「一人で何日持つのだ。二人なら色々と知恵も回るぞ。良く考えろ」
しかし聞き耳は持たなかった。一気に突っ込んで行く。タックルするつもりらしい。だがタックルする筈の両足はなく、顔面に膝蹴りを食らった。ハッタリではなかったようだ。ひるまずに立ち上がろうとしたが、今度は顎を蹴られてもんどりうって倒れた。
「分かっただろう。外見だけで判断するな。一人の海賊で何が出来るんだ。やめろ!」
フランコにとって初めての屈辱だった。海賊船の中でもNO三と言われたフランコでも歯が立たなかった。
「くそっ! これでも喰らえ!」
パンチを放ったがやはり軽く交わされた。フランコは力だけじゃ駄目な事を初めて知った。互いに距離を置いて最初の頃のようにイカダの両端に座った。しかし太陽は容赦なく照りつける。唇はカサカサになり皮膚が水ぶくれになってきた。
雨が降ればすべてが解決するが、もう待ってはいられない。フランコは夜になるのを待った。モレノが眠りについたようだ。今がチャンスとフランコは襲い掛かった。
モレノを殴りつけペットボトルを奪った。不意を突かれたとはいえモレロは抵抗しなかった。すでに二本のペットボトルは飲み干して空になっていて残りは四本。四本ともフランコが奪った。そして一気に一本のボトルを半分ほど飲んだ。月夜に照らされたモレロの目はフランコを哀れみの目でみる。

「どうしたモレノ、衰弱して動けなくなったのか。ざまぁみろ死ぬのはおまえが先だ」
「……ではその後がおまえと言うことかフランコ。二日くらい後にはおまえも死ぬんだぞ。それも分からないのか? 最後くらい人の心を持てよ」
「何を言ってやがる。生まれた時から海賊一家で育ったんだ。人の物を盗るのが仕事だ」
「じゃあ教えてやろう。俺は水の作り方を知っている。伊達に海洋調査をやっていない」
「本当かよ? なら何故に最初に言わないんだ」
「最初に言っただろう。狭いイカダに二人だけで大海原で生きて行くには協力が必要だと」
「そんな事を言ってペットボトルの水が欲しいんだろう」
「そりゃあ欲しいさ、でも信頼関係を築くことが本当に生きる道だ」
しばらくフランコは考えていた。人から奪い取ることしか知らないフランコが。
「分かった……おまえに賭けるか、裏切ったら殺すぞ」
そう言ってフランコ一本の、ペットボトルをモレロに放った。
その水の入ったボトルを受け取り、ひび割れかけた唇に水を運んだ。三分一ほど飲むとモレノはニッコリ笑って、ありがとうフランコと言った。
なんだか知らないが、フンランコはありがとうの言葉が胸にズキンと響いた。
なんだ、この感触は? 人から怒鳴られても感謝された事がなかったフランコは驚いた。
フランコは照れくさそうに薄笑いを浮かべ、ありがとうの返礼に軽く手をあげた。

その夜は互いグッスリと眠った。その前までは警戒して熟睡が出来なかったのだ。
今日で三日目の朝を迎えた。四日持たせる予定の水も互いに一本のボトルの水が半分程度になっている。この暑さではどう節約しても夕方にはなくなる。モレロが言った信頼は少しだが芽生えていた。
「フランコ手伝ってくれないか、今から水を作る道具を用意する」
「ほっ本当にそんな物が出来るのか?」
「ああ、イカダに残っている物で作れると確信していたんだ。信用しろ」
フランコは最初から半信半疑だった。しかしモレノに賭けると言った以上、生きる道は
それしか残されていなかった。こんな状況に追い込まれても不思議と気持ちが安らぐのがフランコは不思議でならなかった。

「じゃあフランコ、透明のビニールシートをこんな風に切ってくれ」
次にモレノは大き目の鉄鍋を見つけた。その鍋の内側を工具箱から適当な物を見つけて磨く。
「おいおいモレノ、そんなのを磨いてどうするんだ」
「ああ、反射板にしようとしたが難しいなぁ」
「そんな事か俺に任せろって、こういうのは得意だ」
モレノは苦笑いを浮かべ、その作業を譲った。鍋の真ん中にコップを置きビニールを被せ海水を蒸発させるつもりだったが、やはり蒸発する程の熱は得られず無理があった。
次に考えたのがオイルランプの熱で蒸発させて蒸気と塩水を分離され、下に落ちた雫が真水となる仕組みだ。海水を蒸発させたがオイルランプの熱量で沸かしたが一日掛けて出来た真水はコップ一杯半程度だった。
さすがにモレノは焦りを感じた。出来た真水はコップ一杯分をフランコに渡してモレノはその半分の水で我慢した。ここでもフランコは熱いものを感じた。自分が我慢して水を自分に多くくれた事が不思議で、そして暖かいものを感じたのだ。

翌日は大きなガラス玉が浮いているのを大量に見つけた。漁船が使う灯り用のランプだ。バスケットボールほどの大きさの物が流れている。
「おお~~神は俺達に救いの手を差し延べてくれたらしい。これは使えるぞ」
二人は拾い上げ、それをレンズ代わりにした。灼熱の太陽が照り付ける熱を利用して鍋の中の海水を蒸発させ雫が真水になるはずだ。二人は沢山の浮き玉を旨く加工して、鍋に太陽光が当たるように工夫したのだ。まさに太陽熱を逆手に取った手法は功を奏した。一日でペットボトル二本ちょっと出来た。これで水の心配は解消された。しかし缶詰も底がつき掛けた。今度は海賊生活の知恵をフランコが発揮した。 
海賊は海を生きる糧としている。魚を獲るのもその得意分野のひとつだ。
ましてや父が漁師だったので魚を獲る事に関しては他の海賊仲間より群を抜いていた。
釣り糸を利用して魚を獲った。細い棒の先にガラス球を割って槍のように加工しモリを作り潜って魚も獲った。その間に二人は色々な事を話した。二人は生きる為の知恵をいかんなく発揮した。そんな日々がやがて二週間続く。モレノが真水を作る事が出来るなら、フランコだって得意分野がある。魚を取る手法もその一つだが、その魚の調理方法を知っている。

顔に似合わず料理が得意のようだ。調理設備の無い中ながら色んな料理作り出した。これにはモレノも舌を巻いた。愛情の代わりに人から奪うことしか教わらなかったフランコ。愛情、友情なんて皆無だった。それがいま変化しつつある。それをモレノが教えてくれた。
二人には友情が芽生え始めていたが、しかしもう漂流して二週間、焦りも出て来た。
フランコは思った。モレノのいう通り自分が一人だったら今頃どうなっていたのか、改めて殺しあわなくて良かったと思っている。
たとえ水と食料が一ヶ月分あったとしても一人では話し相手もいないし、いつまでも続くか分からない漂流生活ではいずれ水も食料も尽きてしまう。今はなんとか水と食料は海から獲ることができるのだ。そんな安堵している所へ、再び暗雲が漂い始めた。真っ青な空が厚い雲で覆われ始めた。ただ雨なら大歓迎だが嵐の予感が現実のものとなってきた。

「フランコ嫌な雲行きだなぁ、イカダをしっかり結び付け。流されないようにイカダの上の物をシートで覆いロープで縛ろうか」
「それもそうだが、俺達が流されたらお陀仏だぜ。とにかくイカダは舵取りも効かない。準備だけはやって置こうぜ」
それから一時間が過ぎ海面が荒れだした。風邪も強くなりスコールのような雨が降り注ぐ。皮肉な事に使え切れないほどの雨水がイカダに降り注ぐ。こんな状態でなかったらシャワー代わりになったのにとフランコが嘆く。次第に波が大きくなり風を強くなった。イカダは大きく浮き上がり高波に流され急上昇急降下を繰り返した。二人は救命浮き輪を付け、更に体をロープで縛ってイカダに腹ばい状態で凌いでいた。イカダが軋む度にモレノのロープが緩みイカダから落ちてしまった。
「お~い! モレノ!!」
フランコは叫ぶと同時にロープを自分の胴に括りつけた。だが流されて行くモレノまでは届かない。テントで覆っていたロープに自分を繋いでいるロープに足して救命浮き輪をモレノに向かって投げた。たが荒れる波でまったく届かなかった。
フランコは最後の手段に出た。荒れ狂う海に飛び込んだ。死ぬかもしれない、そんな事を考える余裕もなかった。ただ助けなくては、まだ幸いな事に昼下がりでアップアップしているモレノが時おり波の合間から見える。これが夜だったら助ける事は出来ない。
それを頼りにフランコは必死に泳ぐ、強靭的な力で荒れ狂う波なのに確実にモレノに近づいて行った。そしてついにモレノに辿り着く。モレノは半分意識が遠のいていた。
同じ海の男でも船の上で仕事するモレノと、海を自在に泳ぎ潜り、時には海の上で殺し合いもして来た海賊のフランコは正に海の竜そのものだ。親が付けたというレヴィアタンは守り神となって姿を現したようだ。

そのレヴィアタン・フランコは自分の側にモレノのロープを繋ぎイタガと繋がっているロープを手繰りながら徐々にイカダに近づいて行く。フランコの強靭な体力が完全にレヴィアタン伝説の竜が乗り移ったようだった。人は時に想像が付かない程の力を発揮するという。それが幸いして窮地を脱した。十五分後、二人はイカダの上に居た。皮肉な事に嵐は急激に過ぎ去って行った。
「俺は……生きているのか?」
モレノは殆ど意識が飛んでいたが、なんとか目覚めたようだ。
「おう、どうだ。地獄から這い上がった気分は」
フランコが冗談まじりで声を掛けた。
「フランコ……君が助けてくれたのか? ありがとう」
ありがとうの言葉、これで二度目だ。くすぐったい様な妙な気分だが心が温まる言葉だった。
「感謝される事じゃないよ。お前がいないと俺も生きられないからな」
「フランコ、俺たちは神に守られているのか? あの竜巻で船がバラバラになっても今回の嵐でもそして二週間経つのにまだこうして生きていられる」
「ハッハハそれを言うなら悪運だろう。いやおまえの場合は神のご加護だろうな」
「確かに、ハッハハ」
モレノはそう言いながら胸の前で十字を切った。それを見たフランコは。
「モレノ。おまえクリスチャンか。てっきりイスラム教だと思っていたよ」
「祖父がメキシコ人だからな。フランコは?」
「特にない。宗教に頼るくらいなら海賊をやってないよ。それと食べ物を制限される宗教は好まん。俺にはレヴィアタンという神がいる」
「ハッハハ間違いない。フランコは神だ。俺はその神に助けられた」
二人は大声を出して笑った。こんな笑いは二人にとって、いつ以来のことだろう。
生きていた事に喜びを感じた二人だったが、それも束の間、イカダにあった物は全て流されていた。水も食料も日除けのテントも何もかも消えてしまった。

モレノは溜め息をついた。もう真水を作る道具も魚を獲る釣り糸もない。照り付ける灼熱の太陽が二人の体力と水分を奪い。生きる術を費やしてしまった。
「いやまだ諦めるのは早い。この嵐でイガタの物は流れた漂流物が何処に浮かんでいるかも知れない。諦めずに探そう」
モレノはフランコを励ます。そうはに言ったものの、果たしてそんな漂流物があるか不安であった。するとフランコはニヤッと笑った。フランコの腰にはまだロープが巻きつけられていた物がある。
「俺の名はレヴィアタンだ。海の悪魔にもなるし海の神にもなれる。ホラ見ろ」
フランコはロープを少しずつ引いた。すると海の中から小さく折り畳んだ袋が現れた。袋の中にはガラスボールを浮き代わりに袋の中にはペットボトルが、二本が入っていた。
「フランコいつの間に? 凄いな」
「まぁなイカダに戻っても水がないと生きられないからな。しかしこれでは一日で無くなるが」
「いや、まだ生きられる。希望はあるさ」
その日から二日目の朝を迎えた。すでにペットボトルの水は殆どなかった。
「どうやら最後の時が来たようだなモレノ。おまえに会えて良かったぜ。今度生まれた時はモレノ俺の友達になってくれよな」
「ああ、ただの友達じゃない最高の親友として迎えるよ。ところでフランコ、おまえどうして海賊になったんだ。それだけの体格なら生きて行く方法はいくらでもあっただろう」
「俺はモレノ見たいに恵まれた家庭で育った訳ではい。そんな時、俺の体格を見て海賊の船長にスカウとされたのさ。その時は生きて行ければなんでも良かったのさ」
「そうか好んでなった訳ではなく生きて行く為か……なんとも空しい話だな」

漂流してから十八目だった。もう最後の運も尽きてしまった。あとは天命に任せるだけだ。そんな時だ。ドッドッとエンジンの音が聞こえて来た。小型漁船が近づいて来るのが分かった。二人は起き上がるのもやっとの状態だったが、この時ばかりはバネ仕掛けのように飛び上がり漁船に向かって手を振った。すると漁船から汽笛が何度も鳴り、ライトが点滅していた。救われた。二人は抱き合って喜んだ。二人は奇跡の生還を遂げたのだ。モレノは喜んだ。家族に会える嬉しくて堪らない。もう死んだと思っているかも知れない。だから漁船員に頼んで無線を打ってもらった。だがフランコは上陸するのを拒んだ。このまま海賊の生き残りとして逮捕される。それを恐れたのだ。

モレノは助かった事が嬉しく、一瞬フランコの処遇まで頭に浮かんでいなかった。
フランコは海賊だ。陸に上がれば色々と追求され海賊の仲間ある事が分かり裁判に掛けられ服役する事になるだろう。それだけは避けなくてはならない。襲う側と襲われる側、十八日前は確かにそうだった。今は違う命の恩人でもあり友情を誓いあった仲だ。なんとしても助けたかった。モレノは我に返りフランコを助ける策を考えた。幸い助けてくれた漁船員の人は俺達が何者か知らない。モレノは海洋調査船の乗組員と言えば済むが、フランコは違う。こうなれば二人は漂流したが偶然フランコとイカダに乗った。彼は漁師だったが同じく嵐で流されたという事にすれば良い。
「心配するな、フランコ。今ではおまえは大事な友人だ。幸い誰もおまえが海賊だと知らない竜巻に巻き込まれ、一緒に漂流していたと言えば誤魔化せる。俺を信じろ」
フランコは信じるも何も、それしか方法はなかった。ここでもモレノに賭ける事にした。
幸い助けてくれた船は二百トンクラスの小さな漁船で細かい事は追及しなかった。たまたま漂流した者を救った功労者でしかない。
 モレノは海洋調査船に乗っていて遭難したと本当の事を告げた。但しフランコは漁師で漁船に乗っていたが竜巻に巻き込まれ偶然二人だけ助かりイカダで漂流していたと。二人は口合わせをした。
ともかく二人は陸に上がったが漁船は無線で知らせていただろう。漁船は小さな港に着いた。ここではフランコだけ降りて貰った。このまま本来の港に着けば海洋調査船の人達もくるだろう。フランコは近くの小さな港の漁港で降りて家に帰った事にした。
勿論そんな家はないが、だから後で迎えに行くしかない。モレノの親戚の者を説得してフランコを迎えにくるから数日そこで待っていてくれと伝えてある。

そこから漁船は本来の目的地である港町に向かった。出迎えたのは海洋調査船の重役と職員が数人とモレノの家族達だ。モレノは海洋調査会社の人達と抱き合って喜んだが驚く事を聞かされた。小型船に乗り換えて脱出したはずの同僚の船員は嵐に巻き込まれ全員亡くなったと聞かされた。モレノは驚いた。一緒に働いた仲間が亡くなったとはショックだった。モレノの家族も死んだと思っていたがモレノだけ生きていると知らされこの漁港に駆けつけたのだ。
「それは本当ですか。あの時。私は体調を崩しベッドで寝て居ました。それから間もなく海賊船が現れ、船長以下乗組員はボートで脱出した事を知りました。同時に海賊船が乗り込んで来た途端、海洋調査船と海賊船が竜巻に飲まれ一瞬にして沈んでしまいました。気がついたら壊れた船の板の上に居ました。それにしても仲間がみんな死んだなんて……」

会社は同情してくたれが十名の乗組員が亡くなった事が、かなりショックを受けたようだ。一人だけでも助かって良かったとは言ってくれたが、心境は複雑なようだ。
調査船会社は漁船の船長に、それ相当のお礼が調査船側から支払われた。モレノにも見舞金が支払われるそうだ。それよりも何よりも妻と子供達に生きて会えた事は何よりも嬉しい。モレノは重役への挨拶も早々に、妻と子供の側に駆け寄り抱き合って喜んだ。
「貴方、死んだと聞いてどれだけ落ち込んでいたか、すると無線が入り貴方が生きていたと知らせて本当に良かったわ」
「心配かけたな。三週間イカダで漂流してあの漁港に救われた。こうして家族と再会出来るなんて夢のようだよ」
調査船会社は細かい事は助けてくれた漁船の人には聞かなかった。もう一人生き残った者は調査船会社も関心を示さなかった。ただ二人は運が良かったと。
モレノは海洋調査船に乗って出航してから五ヶ月、夢にまで見た家族の再会を喜んだ。その日の夜、妻に遭難して助かった理由を話した。もちろんフランコは命の恩人であることも。翌日の朝、親戚の家へ行った。親戚の人々は良く助かったと喜んでくれた。ここでもフランコが命の恩人である事を話して相談に乗って欲しいと頼んだ。最後までフランこが海賊の生き残りだとは言わなかった。モレノは待たせてあるフランコを車で迎えに行った。
「待たせたなぁフランコ。家族も親戚も歓迎してくれるそうだ。なんたって命の恩人だと言ってある。そこでお願いがある。君はもう海賊じゃない。一人の村人として生きて行かなくてはならない。その為には人に信頼される事だ。親切にすれば親切で返してくれる。相手を威嚇して殴れば倍になって返って来る。それを学んで欲しい」
「……出来るかなぁ。でももう海賊には戻りたくない。モレノの教えを守るよ」
そしてフランコとモレノを取り巻く人々を納得させフランコを迎え入れた。
フランコはどうも勝手が違うのか大きな体を持て余していた。フランコは不安でいっぱいだ。海賊の仲間はいない。これからどう生きるのかと。
「フランコ心配するなって、俺たちは生死を共にした仲じゃないか。俺にまかせろ」
フランコを連れてモレノの家に向かった。妻にも子供にもフランコを紹介した。モレノは自分の家にフランコを招き入れた。フランコにしてみれば浦島太郎の世界である。今まで家族は海賊の仲間あり、親といえば海賊の船長であった。そこは弱肉強食の世界で強い者が欲しい物を手に入れるのが当然であった。油断をしたら総てを失う。しかしここは違った。モレノの妻や子供は暖かく迎えてくれた。最初は違和感があったフランコだが、しかしもう海賊には戻れない。人の物を盗ったら人を殴ったら警察に逮捕される。海賊をやっていた頃は強い者が法律であった。しかし此処は違う。規律と道徳と人を思いやる事が生きる幸せに繋がる。そんな事をモレノは何度もフランコに言い聞かせた。人に親切にすれば親切が返ってくる。それからモレノはフランコの為に、近くにある空き家を探して住まいを与え仕事を与えた。

モレノは海洋調査船を家族の為とフランコの為に船を降りた。今は海洋研究所で内勤として働いている。また別な海賊船に襲われてはたまらないからだ。そしてフランコを幸せにする責任がある。フランコは海賊生活が長いから、人の付き合い方を側で教えてやった。体力には自信があるフランコは港の市場で働いた。あとの心配は職場関係だった。しかしフランコはモレノの教えを守った。(人に親切にすれば親切が返ってくる)(逆に怒りをぶつければ怒りが返ってくる)その通りだった。
人の親切に熱い物を感じたフランコは、その親切を返した。働く喜びと人の情を知った。フランコは生まれ変わった。愛情と友情というものがどんなに素晴らしい事かも知った。やがて二年の月日が流れた。今フランコは小さな漁船を買って漁師になっていた。あの海賊の荒々しい気性は消えて真面目に働いた。最初の頃は巨漢で人相も悪く、人々は警戒したものだ。だが今は相手から言い寄ってくる。そして今、モレノの隣に新しい家を建てて妻を娶り、互いに兄弟のように暮らしている。
「よ~フランコ産まれそうだって。いいのかい仕事どこじゃないだろう」
「なぁに心配いらないってモレノ、おまえさんの奥さんが側に着いているから」
「なるほどフランコの奥さんと、俺のカミさんは仲がいいからな。生まれたらパーティーを派手にやろうぜ」
互いに抱き合い、二人は声を上げて笑った。

 了

マラッカ海峡漂流記

執筆の狙い

作者 西山鷹志
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今回は一人も日本人は登場しません。
場所もマラッカ海峡です。
海賊の生き残りと調査船の生き残りがイカダの上で生きて行く羽目に。
結末は意外な方向に……。
宜しくお願い致します。

コメント

神楽堂
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読ませていただきました。

船のトラブルから始まる書き出し、読者を引き込む効果があっていい書き方ですね。

ええっと、
細かい指摘になって申し訳ないですが^^;

>このボートは時速三十二ノットで走れる追いつけるわけがないさ

船の速度を表す「ノット」自体に、時速の意味が入っているので、時速という表記は不要です。
32ノットで意味は通じます。
(1ノットは、およそ時速1.9km)
32ノットはめちゃめちゃ早いですね^^;
軍艦なみの速さです。確かに追いつけないでしょうw

ちなみに、本当に海賊船に遭遇したらどうしたらいいのか、については

海賊及び船舶に対する武装強盗の予防及び抑止のための船舶所有者、船舶運航者、船長及び乗組員に対する手引き

というものが出ていますので、ご興味がある方、検索してみてください。

では、作品に戻って……

敵同士二人で生き残るというシチュエーション、おもしろいですね!
読み応えがあります。

さてさて、このお話を読んで思い出したことがあるのですが、それは「囚人のジレンマ」というものです。
詳しくは検索すれば分かるのですが、要は、二人にとって最善の、つまりはWIN-WINになる方法が分かっていても、人間は相手が得をするかもしれないという疑念の影響を強く受けるために、WIN-WINの方法を選択できないというジレンマです。
詳細は、この物語の状況とは違うのですが、西山さんのこの話を読んで、ちょっと似た要素があるなと思い出しました。

サバイバルシーンも興味深いです。

作品を一貫して流れる「レヴィアタン」の要素もよいですね。
軸のある作品は読んでいておもしろいです。

西山さんの作品はいつもおもしろいです。
またいろんなお話を読ませてくださいね。
作品を読ませていただきありがとうございました。

西山鷹志
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神楽堂さん
いつもお読みいただきありがとうございます。

>船の速度を表す「ノット」自体に、時速の意味が入っているので、時速という表記は不要です。

そうなんですか知りませんでした。
どうして船の速度はノットなのでしょう。
確か船が時速50キロで走っていたなんて聞き来ませんからね。
ゴルフはヤードを使いますよね。
野球はマイル。ややっこしくて使いにくいです(笑)

神楽堂さんは得意分野はなんですか。
今回みたいに難しい問題に取り組むむ小説もありますが。
私はバラティエに飛んでいてなんでもアリですが、やはり人情物が得意ですかね。
そんな訳で次回は人情物を考えております。
ありがとうございました。

神楽堂
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>西山鷹志さん

ご返信ありがとうございます。
なぜ船はノットを使うのかは、検索すると詳しい説明がありますが、
簡単に言うと、1ノット=時速1マイル
1マイルが海図における緯度1分の距離に相当するため、海図を見ながら航海する船にとって、計算しやすいからということが理由のようです。
ゴルフや野球でマイルやヤードを使うのは、アメリカやイギリスが、フランスのメートル法を毛嫌いしているからですね^^;

私の得意分野ですか?
むむむ……
得意と言えるのかどうかは分かりませんが^^;
太平洋戦争の歴史などは調べるのが好きです。
あと、法律にも興味ありますし、
医療にも興味あります。
雑学が得意と言ったほうが適切かもしれません^^;

西山さんの次回作も楽しみにしております。
コメントありがとうございました。

西山鷹志
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神楽堂さん

再訪ありがとうございます。

メートル法を使う国は少数ですが
それなのに日本はゴルフなどヤードを用意ますね。
私はゴルフはしませんが家内がゴルフ好きで
距離を測る測定器など持っていますよ。

歴史と法律、医療関係ですか。
私のとは分野がかなり違うようです(笑)
私は娯楽系、恋愛物、ハードボイルドなどです。

余談ですが、私の小説に(梟シリーズ)がありますが
これはあるグループでお題を出し合って小説を書くというものでした。
それなのに梟とは困ってしまいましたよ。
それで生まれたのが梟というコードネームを持つ殺し屋を思いつきました。
殺し屋でも流儀があり殺しに値するターゲットだけ
現代版の必殺仕事人ですね(笑)

それではまた。ありがとうございました。

中小路昌宏
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 読みました。

 少々荒削りの所はありますが、なかなか面白かったです。
 この作品や、この前の、≪国境の橋≫などを合わせて短編集第2集を出版されたら如何ですか。

西山鷹志
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中小路さん

毎度どうもありがとうございます。

>この作品や、この前の、≪国境の橋≫などを合わせて短編集第2集を出版されたら如何ですか。

宝くじ当たったら考えます(笑)
私としては外国をを舞台にした作品続きましたね。
他にも一本あるのですが。それはいずれまた。

ありがとうございました。

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