落ち葉掃き(抒情詩)
あさ窓から路地を見おろす
人知れず落ち葉を掃く人
なぜか眺めるのが日課となる
落ち葉が溜まったら掃かなきゃならない
其れは分かる
誰かが掃かなきゃならない
落ち葉を掃く人が立派にみえる不思議さ
抜け殻の自分を戒めている自分がいる
あの子のために何が出来るのか
すべては子供のためと考えること
私たちには既に出来ていることがある
それは自ら連れ去りをしなかったこと
それだけで自分を誇って良いと考える
まず会えるようにすること
見捨てたわけではないと伝えること
産まれるまえから愛していると伝えること
残りの人生をかけてこの問題に取り組む
落ち葉は誰かが掃かなきゃならない
自分ではなく誰かのために
執筆の狙い
以下、個人的な実体験を記します。
私は去年の12月30日に、当時9ヶ月だった息子を、妻とその父母に連れ去られました。
「連れ去り勝ち」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。日本では実子の連れ去り行為が社会問題となっています。反対勢力(利権絡みの家裁や弁護士等々)が強いせいか、あまり報道もされませんが、8月に報道特集で取り上げられました。
困ったことに、連れ去りは一般的に違法行為にならないのです。これは世界でも日本くらいです(アメリカでは誘拐罪で即逮捕)。もちろん正当な理由(DVから逃れるためなど)があるなら別ですが。
一応、日本でも「未成年者掠取誘拐罪」に該当します。しかし実際には適用されない(有罪にならない)ケースがほとんどです。
最近になってようやく、国が重い腰を動かし、全国の警察に上の刑法を適用するようにと呼びかけました。そのため、刑事告訴は受理されます。しかし、問題はその上の検察(法務省)です。検察がまだ消極的なのです。
故に、結婚して子供が産まれたら、潜在的に連れ去りの被害者となり続けます。