空からのクラウチング
お早う。今日アイスが当たったんだよ。だから、2本食べちゃった。お母さんには内緒ね。私は見えるはずのない星たちに語りかけた。そう。と言われたような気がした。気が済んだ。深夜のひやりとした髪が風に吹かれる。顔に当たってほんの少しだけ気持ち悪い。私の一日の終わりはこう締めくくられる。18にもなって情けないけど、日課なので今更どうしようもない。もう手遅れなのだ。 全てが手遅れ。受験も、人生も。あ。もうなんにも考えたくない。え、何電話?、あぁ、またか。
「ねぇ!!山行こ!!」
山本からの山へのお誘い。しかも22時59分に。
相変わらず失礼なヤツだ。
「早く寝てよね。」
念を押す。あいつはショートスリーパーを装った睡眠化け物で、私は調教師である。なのでこれは調教師としての躾なのだ。安心して欲しい、どうせ遅刻してくる。
「おはよぉ。」
「今日は早いねー。はい、行くよ。」
いつものテンポ。待ち合わせをすれば山本は遅れ、私は待つ。最初の頃はイライラして彼女の顔を見る頃にはとんでもなく変な顔をしていた。それでも私は待ち続けた。何度待ち合わせても約束の時間に来ない山本。何度待ち合せてもヘラヘラしながら来る山本。その度に謎に安心する私。その度に時間の使い方が上手くなる私。最近のブームは脳内会議。議題は専ら進路の話。どれだけ討論してもベストアンサーは出ない。A案を主張する私もB案を主張する私も最後は意気投合してしまう。今日は、どの進路も嫌だというC案が出たところで山本が来た。さあ、今日の言い訳を聞こうか。恒例になっている言い訳タイム。良い訳がない。なので1つの課題を課しているのだ。言い訳大喜利である。遅れた側(主に山本)が遅れてきた言い訳を面白く、かつ割と現実的な回答をするというルールで、私が笑えば山本の勝ちである。そして私はアイスを奢らなくてはいけない。なのでお互い真剣である。元は何度も遅刻を重ねる山本に見かねて、冗談で言ったつもりだったがこれがまあ面白い。よくあるおばあちゃんを助けてきたとか、自転車が遅延したレベルでは無い。最初は変な顔をしていた私もニヤニヤしていた山本も、ひっひぃひぃと笑ってしまう。それが待ち合わせ場所いっぱいに響き、勝敗はうやむやになる。いつものテンポである。
あれから15分位経っただろう。山に着いた。因みに山というのは愛称で、実際はこの辺で1番大きい公園の中にあるドーム型の滑り台で、ちょっとした隠れ家的要素のある遊具のことである。小さい頃から山と呼んでいた名残で今もそう呼んでいる。小さい頃はとても大きく、少し怖いものに見えていた。でも今は、あの頃の自分と齢の近いであろう子供たちがとても小さく、可愛らしく見えて仕方がない。力いっぱいに土を蹴り、心の底から「たのしい!」「なにこれ!!」と叫ぶ君のなんと美しいことか。もっと土まみれになりなさい。もっと大声を出しなさい。もっと私たちを困らせなさい。そう、それでいい。そうしたらもっといい。この曇天が後悔するほどの光量で輝け。
「美緒!!かくれんぼしよっ!」
「18歳がかくれんぼなんてしないとか思ってるんでしょ?」
風もないのに木々がざわめきたつ。無言の圧、しかも純度の高いやつ。タチが悪い。
「いいよ、やろ。」
絶叫。お前は蝉か。メンバーは山本と10人程の小学生。夏休みは毎日、日が暮れるまで遊んでいるのだろう。ピカピカと輝く焼けた肌と宿題をすっかり忘れたような目。それを物語っているようだった。範囲はどこまでにしようか、鬼は誰にしようか、懐かしい言葉が飛び交う。ワクワクする。小学生達と同じ背丈になった気分で会話に参加する。私はあの頃の景色を見ていた。
厳正なるジャンケンの結果、私と山本が隠れることになった。小学生あるあるだ。私も担任にやったことがある。大人対子供、日々の鬱憤を晴らすが如く激しい牙を向ける子供。それを超える勢いの大人。いつものふくれっ面が壊れる大人の姿が可笑しくておかしくて、それだけでいつもの遊びが数倍、数十倍、数百倍、数千倍楽しかった。そして今、どちらかと言えば大人に分類されるであろう私たち。これはバトルだ。手加減なんてしたら、きっと大人に失望するだろう。かなり責任重大である。隣を向けば、とんでもない笑顔で今にも全力疾走しそうな山本がいる。概ね同じことを思っているようだ。よし。足にはあまり自信は無いけれど今は関係ない。ただ土を蹴るだけだ。
「おねぇーさんたち!!くらうちんぐすたーとからだよっ!」
授業で習ったばかりなのであろう。私はあれが苦手だ。確かに勢いはつくけど、体勢を低くしてから走り出すまでに手こずるし、始まる前は普通のスタートの比にならない程に緊張する。しかも、今から始めるのはかくれんぼな訳で、全くクラウチングスタートをする理由が無い。理由が無いことをわざわざするのも、小学生あるあるなので仕方のないことではある。そして、よぉいスタートと元気のよすぎる声が聞こえた。
始まってしまった。ガチンコかくれんぼ。逃げる時間は10秒、実質5秒。1、2、3、4、5、何処に隠れようか。見渡せばちょっとした森、滑り台がある。冷静な大人からの視点から言えば危険なので却下。あとは、山。
678、きゅうー、じゅーう!時間だ。一斉に解き放たれる10人の俊足が時折土をどよめきさせる。見つからないでほしい。私は身体をぎゅっと縮ませ息を潜める。ひゅー…ひゅー…私の息が漏れていたのかと思った。山本だった。なんで同じ所に隠れてるんだよ。と言いたかったが、あまりにも切羽詰まった状況でそれどころではなかった。小人たちの作戦会議が聞こえ
身体が硬直する。大人もどきが2人隠れるには少々小さい山。私も山本もそんなに大柄では無いものの、対処年齢12歳程の遊具は厳しいようだ。この前までは4人とかの余裕だったのにねぇ、と山本はくすくす笑う。何年前の話だよと突っ込む。でも、こうして今同じ空間にいることなど小学生の頃は考えてもいなかった。小中同じクラスだったり校外学習の班で一緒だったりしていたが、よく話すようになったのは中3の秋頃だったからである。
その頃の私は受験のストレスで荒れていて、家族からは腫れ物扱いを受けていた。自分でもどう処理すればいいか分からないものを抱え、終わり続ける日々を追い続けていた。だから耐えられなかった。何でもそつなくこなし、ひたすら前に進み続けている山本の存在が。自分の持っていないものを努力して手にしていく彼女の姿が。何も出来ない、達成していない自分との対比に脳が焼かれる。圧倒的な光の力には到底敵わない。私の力なんぞ無力なんだとも思っていた。しかし心は冷静沈着であった。
悔しさや苦しさという表面的な感情の中は空白で、自分を疑ってしまう。まるで他人事だ。心と頭ん中の矛盾はどうすることも出来ず深まり、そしてどうでも良くなった。
その頃からだった、空に声をかけ始めたのは。空はいい。何も無いから。何も感じさせないから。どんどんどん1人になっていく感覚が私を包み込む。トイレの個室の様な安心感は心の支えになっていった。そしてあの日もいつもように空を見ていた。お風呂上がりの22時55分、棒付きアイスを食べながら。火照った身体に染み渡る冷たさと甘さが心地良い。そんな時、ズゴゴゴッと嫌な音がした。何かと思い、通りを見ると人が倒れていた。付近には自転車もあったのでコケてしまったのかもしれない。思わず外に飛び出してしまった。怪しい人かもしれないと思ったが、考えても遅かった。勝手に動き出したのだ。口も動かし始めた。みおちんだ、そう言いながら近づいてくる。そこにいたのは山本だった。みおちんなんて呼ばれる間柄じゃないと言いたくなったがやめた。なんでもよかった。
「アイス溶けるよ。」
嘘ついた。恐らく買ってからそれほど時間の経っていないであろうアイス、何言ってんだ。アイス一緒に食べようよ、2つで1つのアイスを割って差し出してくる。やめろやめろやめろ。私はお前に優しくされるほどの人間じゃない。一緒にアイスなんて食べたくない。食べられない。いいや、家まで付き合ってよ。半ば強引にアイスを渡される。開けるとアイスが少し飛び散った。
少し肌寒い23時、親に怒られるとか、なんで一緒に歩いているだとか、そんなこともどうでも良くなる程に綺麗な空だった。空は私には綺麗すぎる。見えない太陽も見える気がする。どうでもいいのに、どうでも良くない。ふと横を見る山本も空を見上げてた。また転ぶぞ。
「私、国語の投票みおちんに入れたの。」
文脈の無い発言。詩のやつか。何故今更。たしか1票入ってたのは覚えている。あんなのどうでも良くてテキトーに書いて提出した。あんたのが1番票が入ってたよね。
「ありがとう。入れてくれて。」
どうでもいい謝辞。社交辞令。
「1番好きだったーあれ。」
嬉しそうだった。いいね、沢山言われてる人は。言うのも慣れているだろうと思う。
「あれ、てきとーだったけど。」
しまった。変なことを口走ってしまった。それは私の信条に反する行為であった。人には当たり障りのない言動や行動をする。私と『美緒』の心の平穏を保つ為の大事な約束であったはずなのに。
「どした?急に立ち止まって、」
聞いていなかったようだ。
「なんでもないよ。」
知らぬ間に足も止めていたようだ。勘弁して欲しい。もう振り回されたくない。目には涙が溜まり始めている。タイムリミットまであとが無さそうだ。
「あははははははははは。」
下手くそな笑いがしんみりとした住宅街に響き渡る。早歩きを始めつつ涙を飛ばす。完璧な作戦。山本はすぐ視界から消えた、と思っていた。しかし、あいつは自転車をゆっくり漕ぎ出し、あっという間に追いつき、そして肩をポンと叩いてきた。
「あは、」
下手くそに笑って彼女は言った。真似るのが好きな幼児のように、能天気な少年のように、私のバカバカしいプライドを小馬鹿にする大人のように。
「分かる。私も家帰りたくないし。」
「なんでよ。」
「中間テストの点数悪かったから。」
嘘だ。悪いわけない。お前は勉強も運動も出来る人間ガチャSSRだろ。
「私の方が低いよ。」
「え?何点?」
「言いたくない。」
「私英語42点だったよーん。」
時が止まる。今なんて言った?よんじゅうに?知らなかった。あのテスト50点満点だったなんて。私は51点だったけど計算ミスだったのかな。
「平均点何点だったっけ。」
「確かー75とかだったはず!」
「そうだっけ?!」
「声デカ!!てか授業受けてなかっけ?」
「受けてたけど…ワンチャン気失ってたかも。」
「なんでよ!」
「ねぇ考えてみてよ。20点かと思ったのに51点だった私の気持ち。」
51点だったんだぁ、ニヤニヤと笑っていた。はめられた!!と思ったけど話を始めたのは自分だったことを思い出し、照れる。
そんな話をしていると山本ん家に着いた。
「じゃあね、山本。」
「あーうん。」
なんでそんなに元気ないんだよ。もしや、さっき食べたアイスが腐ってた?それとも、私のさっきの態度が気に食わなかったの?夜更けの鈍い脳をフル稼働させる。眠い。眠気が勝ちそうになった。
諦めて素っ気ない山本を気にしつつ家に向かおうと足を上げた瞬間、
よく分からない。知らない間に目線がグッと下がった。心が踊り、 息も上がった。
人間ガチャSSRカードも私の得体の知れない不吉な塊も、所詮この世界には全くの無力であったことを分からされた。私は胃の中の冷たい甘さを感じることしか出来ないまま、その瞬間を立ち尽くした。
あの時のことは非常に鮮やかに不透明な記憶として脳にこびりついている。何を見たのか説明しろと言われてもできない。しかし、あの時から全てが変わったのは紛れもない事実だった。子どもという防護服を強制的に脱がされ、恥じらいを知らぬまま素っ裸となり、私たちは大人になったんだ。もう戻れない。産まれて初めて『恥じらいと後悔』を知り、大人になった。今ここで変わらなくては、変われなければ、一生このままだと肌で感じた。最後だと思った。それが中三の秋、山本と仲良くなり始めるきっかけだった。
私は変われるのだろうか。
高三の夏、私はかくれんぼ中に山で寝ながら考えていた。朧気ながら聞こえる山本の声はキンキンしてうるさかった。あ、ああ、かくれんぼのことなんて忘れていたよ。目を覚ますと、一緒に隠れていたはずの山本の姿が見えなかった。耳をすませば、微かに小学生と山本の声が聞こえる。山の外に出る。見上げれば、あの日の君の頬の匂い、調子の良さそうな古ぼけた時計、現在の景色がゆらゆらと私の目の前に現れる。何も見えなくてどうでもよかった世界。かと思えばこの世の悪習を凝り固めたようにも見えた世界、相反する身体と心とこの世界、コロコロと色移る世界に諦めかけていたあの日。太陽が昇り、そして落ちる。私もまた歩みを始める。産まれてきてから繰り返し繰り返してきた私の足。なんで気づかなかったんだろうか。ずっと近くにあったのに。無性に愛しくなってしゃがんだ。身体全体で足を包み込む。身体が硬直する。大好きだ。ああ、大好きだ。足も空もずっと昔から変わらない。私だって変わってない。変わらないんだ大丈夫。この先の揺れる私の心、それでも、それだから、私は今を生きている。私は歩き出す。今を未来を迎える為に。山本の元へまた走り出した。
執筆の狙い
『地に足をつける』
非常に現実的で残酷である。幼い時は何にでもなれると言っていたのに嘘つきではないかと思う。無知で無垢な私たちはまだ疑うことを知らなかった。だから勘違いが起きて、反抗をする。意味も分からず、混乱する、そして未来に拒絶される。それを受止め、また歩みを始める。無知で無垢のまま、恥じらいの未来を信じて。これはそんなに18歳の物語である。
私は初めて小説を書きました。普段本を読みません。でも、話したい、語りたい、あなたの声を聞きたい。そんな気持ちで執筆いたしました。