有坂どりいに雨が降る(掌編)
ありていに言って有坂どりいはかなりめんどうな人物だ。学校で友人とはなしているところを見たことがないし、そもそも授業などでのひつようが無ければ発言じたいをほとんどしない。かといって挨拶を無視したり世間ばなしに応じずこちらをじ、と見つめ返してくるほどには過剰でないので、その具合を知りたいのであればためしにいちど話しかけてみればいい。
しかしきっと会話はすぐに終わる。
いい天気だね。そうですねー。
きょうは寒いね。ほんとうにー。
さいきんに観たおもしろい映画や動画チャンネルのはなしをしても「ああ、そうなんだ」といなされるだけ。それで二人してそらをみる。
いまどきAIボットでも反応にもうすこしバラエティーがある。むしろいったい自我があるのか、と興味がでてきた。そこであるときひどい雷雨のときためしに「いい天気だね」と言ってみると、一拍おいてから「見ようによっては」とほんとうにごく僅かにだけくちの端を上げたため、彼女にもいちおうの意思があるのだと俺はそう納得した。
文芸部にはいった俺が彼女の後輩になってからもう三ヶ月が経ったころで、とくに仲がわるいとか居心地のわるいというわけでもなかったのだが、『爬虫類ってなつくのだろうか?』というようなたぐいの連想をいだいてはいた。
そこで、「なんで先輩は人間に興味がないんですか」と訊いたが、もちろん応えはない。
そうしていちど会話が途切れるととめどない雨音が耳をおおう。まどには雨垂れが無数に支脈をつくり、灰空に浮いた森の黒い輪郭のうずきが風とともに擾乱している。ふたりきりの部室に会話はない。けれどこのような天候では帰るフリもできない。ふるい部活棟の薄い屋根で翠雨がはじける音が無言のせかいを満たした。
するとつまり、部活動をするしかないのだった。先輩の角向かいの席にすわりタブレットで部活のクラウドサービスにログインする。すると通知が届いており、其れは有坂どりい先輩のアカウントが、あたらしい小説を公開したことを告げるものだった。
それで目をスマホからあげると向かいの先輩が此方をじ、と見ている。顔見知りの書いた小説を読むのは初めてで、どぎまぎした。先輩ひとりしかいなかった文芸部に入部したときいらいこんなことは一度もなかったため。文芸部とはただ放課後に本を読むだけの活動なのかとおもっていた。
他人の小説を読む
それは意外なことに登場人物が動物であるメルヘンだ。ただし舞台はひどく現実的だった。なぜなら動物たちが活動するのは学校でありそしておそらくは描写からするに俺たちのかようこの学校そのものであったからだ。
ハダカデバネズミの英語教師がだれであるのか、アライグマの数学教師がだれであるのか等、生徒であれば自明であるため、これはつまり風刺である。
どうだった? どりい氏が平素なかおでそう問うが、それはじぶんの小説を読ませたあいてに対する普通のたいおうではない。
「感想」というものについて、俺は考えた。
いちばん印象に残っているのは登場人物はみな動物なのだが、彼ら彼女たちがみな制服を着るというルールに縛られていることだ。それでロバなどの四足獣はトイレにひどく時間を取られるらしい。なかでもゾウは取りわけトイレがながくいつも遅刻してしまうので、午後のいちばん初めの授業でいつも長く重たげな睫毛をしばたかせて「この学校はゾウについての配慮が足りない」と自己弁護の演説がはじまる。先生、授業のサボタージュを止めてください。前肢を机の上にのせたカピバラが言う。『僕らに残された時間はおおくない。はやく授業をはじめてください』
俺はタブレットから目をもちあげて部活棟の二階の窓から外を見た。
校舎から人が流れていく。そのお仕着せの制服を着た学生たちはおしなべて無個性にみえる。なのでスカートを折って短くしたり、ぎりぎり自毛にもみえるブリーチをあてるなど校則ぎりぎりの振る舞いをすることで個性を確保しようとする。しかしそれも無駄な営為だ。
学生がかくも無個性なのは制服というのが、ひどく個性的な衣装だからだ。なので個人の個性などその装束の印象に呑み込まれてしまう。囚人服とどうように、その衣装によって属性を判断される。学生服を着た人物がいかに二十歳いじょうだと言い張ってもコンビニの店員はビールを売ってくれないだろう。どれだけ制服を着崩したって意味はない。
理由もなく、あんなにもレトロモダンな服装をして暮らす人物はいない。なので理由が透けてしまう。つまり、喪服のひとをみたら人の死を連想するのとおなじことでーー。
「ダメだ」と俺はいって首をふるい。「だめだな」とあらためてスマホから目をあげてあらためて彼女に告げる。「どりい先輩の小説がどう読まれるか俺には判断できないから、それは学外のだれかに読んでもらったほうがいいよ。」
面白くなかった?
「いや面白いよでも、なんでこの小説が面白いのかどうかが俺には評論できない。きみはほんとうに、この学校がこんなに愉快にみえているの?」と無表情なぶっちょう面に問いかけるが返事はない。
「あと、つくりが。オーウェルっぽいよな、動物農場みたい」
そのとき、おそらく初めてのことだったが、どりい先輩の目がめがねの奥でたしかに少し開いた。
「ジョージ・オーウェル読んでるひとが、この学校にいるだなんて。」
「いや。なんつーか、ーー古典名作だし、ここは文芸部なんだからそんなに驚くところじゃないだろ」
「だってきみ、髪も染めてちゃらちゃらしているから、せいぜいラノベくらいしか読まないとおもってた」
「ラノベについても俺に対しても、ひどい偏見だ」たしかにそんなに読まないけれど。「服装既定のない私学で目立たない黒髪だとぼっちゃんぽくて逆に浮くんだよ。先輩みたいにさ」
すると有坂どりいは、じぶんの前髪やおさげのふさにトタトタと手をふれて、き、とそう眼差しをただす。
「ラノベ、あまり読んだことないが。お勧めは」
「オレンジ党シリーズとか、ペパーミントの魔術師かな」
うん、とうなずき。それでまぶたを伏せたどりいは「じゃあ太宰はなにが好き?」とそう核心をつく。
たぶん人間失格ではダメなのだろうな、と思い『女生徒』と応えた。
なるほどなるほど、どりいが頷く。彼女が俺ときちんと会話をするようになったのはそれからのことだ。
「まえ、なんで人間に興味がないのかと訊かれた憶えがあるけど、人間に興味がないわけではない、学校のひとたちに興味がないだけ」
なるほど。俺は頷く「でもそれ、あんまりよそでは言わないほうが良いですよ」
「だってたまたまだから。こんなのはたまたま。
似た年代似た地域にいたからひとまとめにされただけの、一時的な集団。養鶏場や養豚場のトリやブタがたがいに仲良くするひつようはないでしょ。どうせ出荷先はバラバラなんだから」
「家畜なら」俺は言う。「だけど先輩は人間だから。行き先もじぶんで選ばなくてはいけない」
「でも目立たなくないんです。はやくなまえのない一員になりたい」
目立ちたくない、俺のくちがそう繰り言をする「だから先輩はまだまえの制服をまだ着ているのですか」
膝下丈のスカート、紺のソックスに合成皮革のローファー。しかしほんらいは校章が記されているべき左むねにはなにもない。いな、よくみれば何かを模ったようなミシンホールの図形だけが残っている。ワッペンはわざわざ剥がしたのだろう。
しばらくして雨が止んだのでその隙に俺とどりい先輩は水捌けのわるい校庭をアメンボのように水たまりを避けてかえった。
制服すがたは日常に学生が居そうなところいがいにあるとひどく浮く。つまり学校、駅、街路、小売店、などいがいでは。また場所によらず深夜から明け方まではどこにも居ることができない。そのあいだ、住処のない学生たちはいったいどこに消えているのだろう。
NHKが深夜に流していた何年まえのものかも知れないそのドキュメンタリーを思う浮かべながら、どりい先輩のことを想起せずにはいられなかった。
服装規定のない私学の高校なのに転校まえの制服でかよいつづけているので無茶苦茶めだっている。転校とうじはこの比ではなかったろうし。それはようやく周囲がなんとはなく、無視できるようになってきているだけで。
翌日。あいかわらず、放課後の部室でどりい先輩はどこにもない学校の女子生徒の制服を着て、それで女生徒を読むというメタ的な営為に励んでいた。ブックカバーをかけてはいたが、肩越しにちらりと見えた紙面にあの特徴的な文体が匂うのだ。おそらくは未読だったのだろう。知らない本を話題に出されたとき「なるほどね」とながしてその足で本屋に向かうというのはこの界隈ではめずらしくもないムーブだった。その向かいで俺は坂口安吾のミステリを読んでいる。まったく。この状況が知れたらこの文芸部に新入部員など二度と入ってこないだろうな。俺は思う。
安吾の、不連続殺人事件の背表紙をベニヤの長づくえに伏せた。「ねえまえの小説だけど」言うとその、伸ばしているというかは伸びすぎたといった風情で、長めの前髪と眼鏡のおくに潜む双眸がこちらを警戒のおももちで見やる。
「動物だけじゃなく『人間』も出してみたらどうかな」
「え」と、どりいが指先でくちびるに触れる。「その『人間』は、ちょっと、面倒くさいよ。」
面倒くさい。俺はそう復唱する。
「それは、動物だって植物だっていっしょだろう。それを飼えるというのが大事だ」
そこで有坂どりいは思案するように一拍おいて、うなずいた。
「じゃあわたしの動物農場ではきみのコトを飼育してみようかな」
執筆の狙い
忌憚のないご意見をいただければ幸いです。
どうあれ書くしかないので