夢のからくり
夏のゼミのテーマが戦争に決まり、しめたと思った。僕は戦争映画をよく見ていたし、マキャベリの君主論や孫子の兵法なども読んだことがある。要するに、自称戦争通だ。
歴史は勝者によって作られる。これは常識。何が嘘で、何が真実であるかは分からないが、真実なんてレポートに必要はない。嘘でもいいから真実と言われている史実をかき集めて、教授が好む作文を完成させなければならない。
今回のレポートには僕の人生が掛かっている。もし単位を落として卒業が出来なかったら、明美との結婚は延期になってしまう。
いや延期ならまだいい。彼女は美人だから、いつ金持ちの御曹司にプロポーズされても不思議ではないのだ。
ゼミのメンバーはいつもつるんでいる五人。
拓哉、慎吾、剛(つよし)、吾郎、それと僕だ。全員やる気のない学生だが、今回は真剣そのもの。五人とも落第の危機に直面しているからだ。
というわけで全員やる気満々。でも困ったことが起こった。
なんと、拓哉が陰謀論者だったのだ。ま、それは後で話すとしよう。
レポートの題材を決めるため、僕の部屋に集合したが、クーラーの調子がすこぶる悪い。
「ごめんなさいね。暑いでしょ」
そう言って母が冷えた麦茶を出すと、拓哉たちは「ありがとうございます」と言って頭を下げた。
母がお盆をおいて階下に降りてゆくと、やがて仏壇のリンの音が厳かに響いた。終戦記念日だったのだ。
拓哉は言った。
「神風を題材にしようぜ」
僕らは扇風機と風鈴で涼を取りながら、それぞれのスマホで特攻隊の動画を検索した。
甲板で爆発する零戦や、空中で炎上する零戦が映し出されると、それを弔うように、そよ風が風鈴を鳴らした。
「この動画を見てみろよ」と拓哉が言った。
四人で彼のスマホ画面を確認し、同じ動画を自分のスマホで検索したが中々出てこない。
慎吾が「どうやったら見れるんだ」と拓哉に聞いた。
「この動画は俺のスマホでしか見れないんだ」
「どういうこと?」と剛が言った。
「アップルだか、バナナだか知らないが、そんなヘッポコじゃこの動画は見れないんだ」
「お前のスマホはどこのだ?」と吾郎が聞いた。
「トロンだ」
「トロン?」、「なんだそれ?」と慎吾たちが首をかしげた。
「それは後で話すから、とにかくこの動画を見てくれよ」
彼のスマホに映る一枚の写真の映像が僕の心を捉えた。それは五人の青年を、特攻する直前に撮ったものだった。彼らの表情に恐怖や苦悩を読み取ることができなかった。強制や麻薬の影を探してみたが、それも見つからなかった。瞳が輝いていて、睡蓮の花のように爽やかな笑顔なのだ。
「この写真は俺のじいちゃんが撮ったんだ」と拓哉が言った。
以前彼は、幼いころ元海軍の祖父に遊んでもらったと言っていた。老人は九十を超えても背筋をピンと伸ばして歩いていたそうだ。
その老人が撮った写真は、ありえないほど鮮明だった。
「それ本当に戦時中の写真か? いくらなんでも鮮明すぎるぞ」と慎吾が言うと、剛と吾郎も疑いの目で拓哉の顔を見つめた。実は僕も捏造を疑っていた。
「俺のじいちゃんは、自分で開発したカメラで彼らを撮ったんだ。お前らのスマホより遥かに高性能だ」
「嘘も大概にしろ!」と慎吾が怒鳴った。
「嘘なんか言ってない」
吾郎が「冗談がきついぜ」と言うと、剛が「いくらなんでも、それはないよ」と言った。
すると拓哉は、はあと大きなため息をつき、ゆっくりと話し始めた。
「お前らに真実を教えてやろう。終戦間近、日本の科学者たちは現代をも凌ぐテクノロジーを完成させようとしていた。それがトロン計画だ。トロンが完成すれば、アメリカは日本に手も足も出なくなる。だから、その前に原爆を落としたんだ。GHQはトロン計画に関わった科学者を捕まえようとしたが、彼らは一人を除いて全員自害した。残った一人が俺のじいちゃんだった。じいちゃんが撮った画像が、こんなにも鮮明な理由を教えてやろう。俺のスマホは1985年にじいちゃんが作った。このスマホは、過去をそのまま映し出すことができる。だから画像がとんでもなく綺麗なんだ。意味が分かるか?」
僕ら四人は、ちんぷんかんぷんだったが、拓哉は構わず喋り続けた。
「つまりトロン計画とは時空を操作する作戦なんだ。じいちゃんは遂にトロンを完成させると、それを俺に託した。じいちゃんは死ぬ間際に言った。『拓哉。頼んだぞ……』ってな。このスマホは、そのとき、じいちゃんから手渡されたんだ。お前ら、戦争はまだ終わってはいない。広島長崎の悲劇を、まだ防ぐことができる。俺たちの手で原爆の投下を阻止して、レポートにまとめようぜ」
慎吾、剛、吾郎。三人とも、ぽかーんと口を開けていた。
「拓哉。悪いことは言わない。今すぐ医者に診てもらったほうがいい」
「レポートは俺たち四人でまとめるから、お前は病院に行け」
「あの教授の好きな評論家の意見をアレンジしておくよ。おっさん喜ぶからさ」と吾郎が言うと、拓哉が声を上げた。
「俺を気違い扱いする気か!」
「拓哉。ちょっと落ち着こうぜ」
「マジでお前のことが心配なんだ」
「あっ! 用事を思い出した。また今度話し合おう」
「提出まで日はある。今日はお開きにするか」と僕は言い、結局方針すら決まらず解散になった。
悲惨な動画を見過ぎたせいか、真夜中になっても気分が優れなかった。
睡眠薬をウイスキーで胃に流し込んで横になると、メールの着信音が聞こえた。拓哉からだ。
「正広。さっきは大声を出して悪かった。でも俺は狂ってなんかない。信じてくれ」
「拓哉。分かっているから、気にするな」と返信すると、またメールが来た。
「拓也の祖父です。孫が心配を掛けて申し訳ない」
おいおい、いい加減にしろよ。もう疲れたから、寝るわ……
しばらくすると、風鈴の音と女性のすすり泣く声が聞こえた。目を覚ますと、母が横で泣いていた。
「母さん! どうしたの?」
母は僕を抱きしめ、熱い涙が僕の胸元を濡らした。
「正広。ごめんね。何もしてあげられなくて」
母は床に手をついて泣き崩れ、気づくと、父と妹がドアのそばに立っていた。
「正広! お前は父さんの誇りだ!」
妹が僕に抱きついて泣きじゃくった。
「お兄ちゃん! 行かないで!」
僕は悲劇を知らなかった。
「父さん、なにがあったの?」
父が差し出した手紙を読むと、頭が真っ白になり、それを手から落とした。
中井正広殿
貴殿をトロン特別攻撃隊員として招集する。至急厚木飛行場に参集せよ。
父の運転する車に乗りガレージを出発すると、町の人々が国旗を振って見送ってくれた。僕の名の横断幕が掲げられ、セーラー服姿の女子高生たちが白いハンカチを振っていた。沿道の人垣は数km先の交差点まで続いていたのだ。
交差点で青信号を待つ車内に、カチカチというウィンカーの音だけが響いていた。
おかしい。もう令和なのに、なぜ召集令状が来るんだ?
「父さん! これ夢だよ! 家に帰ろう!」
父は無言だった。僕は自分の頬をつねってみたが、何度つねっても痛かったのだ。
飛行場に着き、車から降りると、「正広!」と女性の声が聞こえた。振り向くと、明美が走ってくる姿が見えた。彼女は僕の胸に飛び込むと、僕を抱きしめて泣いた。
彼女はいつにも増して美しかった。僕は今更ながらその美しさに驚いたのだ。僕は彼女を抱きしめ、柔肌の温もりを貪った。黒髪の香りを貪り、甘い唇を吸った。彼女の涙が僕の唇を濡らすと、その涙をも貪ったのだ。
「あたしたち、結婚できるわよね」
「僕はもう帰れない。良い人を見つけて、幸せになってくれ」
「正広。あたし、ずっと待っているから」
うなりをあげる五機の零戦の前で、拓哉たちが僕を待っていた。彼らの笑顔は朝日のように輝いていたが、僕は死の恐怖に怯えていた。
一人の青年が僕ら五人の記念写真を撮ってくれた。彼は写真を撮り終えると、拓哉と固い握手を交わしていた。
「拓哉。頼んだぞ……」
どうやら古い友達のようだ。
その青年は僕らに作戦を説明した。
「原爆を積んだ巡洋艦インディアナポリスがサイパン島に向かっている。そこからB29が原爆を積んで出発し、広島と長崎に投下するつもりだ。サイパン島に着く前にインディアナポリスを撃沈しなければならない。頼む。君たちの手で日本を救ってくれ」
僕らは健闘を誓うと、零戦に乗り込み青空に舞いあがった。五羽の雄鷹は敵艦隊を目指し、大海原を飛び続けたのだ。
しばらくすると慎吾が僕の方を見ながら何かを指差していた。そちらに顔を向けると、青空に巨大な虹が架かっていた。雲の狭間から射す幾筋もの日光が光のシャワーとなり、僕の恐怖を洗い流してくれた。
敵艦隊が視界に入ると僕は愕然とした。巡洋艦インディアナポリスと、それを護衛する数百の鋼鉄の要塞が、白波を立てて大海原を突き進んでいたのだ。
五羽の小鳥に、巨象の群れと戦えと言うのか……
そのとき胸に振動を感じた。明美からのメールだった。
「正広、大丈夫?」
返信しようとして気づいた。
「なんでスマホ? これは夢だ!」
急いで四人に電話をした。
「慎吾! 作戦は中止! 俺たちは夢を見ている! 現実に戻ろう!」
しかし彼は言った。
「正広。あの現実に何の価値があると言うのだ。俺がインディアナポリスを沈めて、あの腐った現実を変えてやるよ」
次の瞬間、無数の光の粒が彼の零戦を襲った。彼の機体は木っ端微塵に砕け散り、海の藻屑と消えた。
「剛! 死ぬな! これは夢なんだ!」
彼は爽やかな笑顔を浮かべていた。
「正広。たとえ夢であっても、俺にはこれが現実なんだ。奴隷国家で生きるより、潔く命を散らせたい。さようなら。彼女を幸せにしてやれよ」
次の瞬間、敵の機関砲が一斉に火を吹き、彼の機体は線香花火のように燃え尽きてしまった。
「吾郎! この時代は狂っている! 目を覚ますんだ!」
「正広。目を覚まして何になる? 狂った時代が目の前に広がるだけじゃないか。こんな俺にも栄光が与えられた。俺は広島長崎の子供たちに命を捧げる。ああ俺はなんて幸せなんだ」
彼が急降下して敵の戦艦の中央部に激突すると、巨大なキノコ雲が立ち上がり、二つに折れた船体が海に吸い込まれていった。
「拓哉! 死んじゃだめだ! 現実に戻ろう!」
彼は機体の中から僕を見つめていた。
「正広。じいちゃんが靖国の鳥居の下で待っているんだ。さようなら。人生はこんなにも美しい」
彼は急降下して敵の弾幕を突破すると、海面を滑るように飛び、インディアナポリスの側面に激突した。都庁よりもデカい水柱が立ち上がり、僕の機体に海水が降り注いだ。上空に七色のアーチが架かり、インディアナポリスは青い海に沈んでいった。
次の瞬間、パラパラと豆がはぜるような音がして火花が散った。前のガラスに散った血を手でぬぐっていると、また火花が散って窓ガラスが砕け散った。脇腹から血が吹き出して意識が朦朧(もうろう)としたそのとき、涼しげな風鈴の音が聞こえたのだ。
それはメールの着信音だった。僕は血溜まりの中からスマホを拾い上げると、その画面に指で触れた。
「正広、大丈夫なの?」と明美の言葉が映し出された。
僕は操縦桿を操りながら、左手の親指で文字を打った。
「心配しないで。死ぬことはないはずだから」
送信すると直ぐに返信が来た。
「レポートは書けた? あたし、落第生のフィアンセなんて嫌よ」
「大丈夫。どうやら凄いのが書けそうだ」
終わり
うつし世はゆめ 夜の夢こそまこと
江戸川乱歩
執筆の狙い
約4700字。400字詰め原稿用紙11枚と半分ほどの作品です。
よろしくお願いします。