書くことしか知らないので
カチカチ、キーボードを叩く音が室内に響いていた。薄くボンヤリとした液晶の輝きが暗い闇にボンヤリと浮かぶ。その光の中で陰影を描いて動くのは人の陰であった。影は光の中で動き、頭髪のある部分には何本か湯気のように髪がゆらゆらと漂っている。おおよそ人前に出られるようには整えられてはいないようだった。実際、人に出ることは考えてなどいない。その証拠に髪は何日も梳いてはいなかった、服だって何日も同じものを身に着けていた。身体中から不潔な匂いが漂っている、その匂いだって自覚しているため眉間の皺が増す。女であるのならばきっと気にしなければならぬことだが、それよりも優先すべきことがあった。薄暗く映る液晶の向こうでは入力した文字が浮かんでいた。縦に何行も連なり何ページも下へ下へと落ちていく。女が入力していたのは文章だった。心情や、情景、建物の描写など。つらつらと書き連ねていかれれば小説を書いていることは明らかであった。
「……、」
眠る時間も惜しんで一心不乱に打ち込むそれは幽鬼と言われても仕方がない。瞼は落ちくぼみ、その眼の下では大きな隈が深く刻まれていた。充血した眼球がギョロリと明かりに照らされて動き回る。カチカチと親指の爪に歯を立てて最早化け物だ。時間は既に深夜、二時過ぎてとうに過ぎていた。眠気はちっとも来ないようで今もこうして文字を起こしている。入力して何度も自分の納得する文章を探る、そうしなければきっと心が落ち着かなかった。それでも眠気がやって来る。長い沈黙の末に気付けば気を失うことが増えてきた。何度も耳の中で響く除夜の鐘のような音も、飛行機の中に居るような籠った音が何度も反響する。きっとこれらは気のせいではない。
「……黙れ、黙れ」
怨嗟のような呟きは何度も繰り返して、次第に大きくなった。声を出せねば多分目蓋が落ちる。眠い、眠い。眠って堪るか。布団も枕も何もかも投げ捨てて此処まできていた。あの柔らかい温もりが恋しいなど、子供じみた癇癪で苛立ちが重なる。いっそ泣きたい程だが、それ以上に今は書いているものが寿命を削るよりも優先された。何せ期日が近い、カレンダーを見やれば既に赤く丸を付けた日付が迫っていた。これを逃せば文学賞の選考は来年になってしまう。焦りからか自然と爪を齧る回数は増える、増えていく。ならば書かねばならぬと思うのは当然のことだった。食い入るように自分の書いた小説を見る。誤字脱字、何度も振り返って推敲を繰り返す。自分の中で何度も読み返して納得する文を書き始めた。
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「すごい」
誰かが言った。周囲で取り囲んで私を持て囃す声がする。彼女たちの持っているノートは私のものだった。そこには私が書いた話がまとめられている。
「面白いね」
また誰かが言っていた。顔は覚えていない、名前も忘れた。同級生の誰かだったような気がする。もしかしたら隣のクラスだったような気がするが今更なことだった。キラキラと周囲が輝いていた。世界には色が満ち足りた、そんな感覚。私は今も覚えている。子供の頃の全能感は心地が良い。誰も私を止められないと思っていた。
「こんなのつまんないよ」
時が凍り付いた感覚がした。よくある話じゃん、そう言って感想を言う同級生の声の方が鮮明でよく名前も顔も覚えている。沢山ある感想の中でそれだけが耳に残るなんて、きっと酷い冗談に違いなかった。こんな同級生の否定は一人だけだった。賞賛の方が多かった筈だが、その程度で私は私で居られない。そう錯覚する。賞賛も年齢を重ねていけば凄いなんて言われなくなった。普通だって、まだ書いているの、なんて言われてしまった。正直読みたくもないから、とうとう居場所なんてなくなったような気がする。だけどそれでも私は書くのをやめられないし、やめようと思えない。
限界だって思うことだってある、こんな時間ばかり費やして馬鹿みたいだ。文章を書くのは容易ではない。五十音から始まるひらがなにカタカナ。漢字は基本的に誰でも読める程度に。その漢字は何文字必要であろうか?あまりにも途方にもない数を考えてしまえば足元が竦む。残念ながら、私はそれ程国語の読解は得意ではない。覚えている漢字などは中学生の頃に止まっているし、成績だって。それでも足りぬ頭でひねり出す。五十音と使える漢字に熟語、慣用句。それらを組み合わせて私の文章を書く、私だけの世界を作る。それ以外に私は自分の感情を吐き出す術を知らない。私のこれはきっと病気なのだと思う、そしてこれは私のサンドバックだ。私の不満を、感動をそのまま表現する。むしろそうしなくてはならない、最早義務だった。
使命ですらないのに、私が書くのは何故だろう。そう思っても気付けばパソコンの前の居るのだからどうしようもない。これは、私の病気の話。私の好きな書き方で、誰かに読んでもらう。好きなことを大きい声で話す。恥ずかしいことだけど、それ以上に誰かに読ませたいのだろう、そう思う。誰かに刺されば、私はきっと誰かに成れる。そんな気がした。馬鹿げた話かもしれないが、それがきっと書く理由足り得る。そう願って、私は今日も書き連ねる。もっと書かないと、もっと誰かに読んでもらいたい。そんな願いを込めて、私は今日も時間を無駄にした。
執筆の狙い
小説書いてる人の心情を表現したかったんです。その執念を前半に書いて、その内心の繊細な部分ってなんだろうって考えて書きました。恐らく二千文字程度では表現しきれるものではないとは思いますが、これが限界でした。キャラクターの名前とかは思いつかなかったので抜きにしました。小説を書いてはいますが独学なので文体も行間の開け方も変なのかもしれないです。情景はどうなんだろう。分からないことだらけなので学ばせてください。