『幼気者〜ようぎしゃ〜』
さっきからなに言ってんの、ってことだったらしいんですけど晩ご飯のこと訊かれてるかなんかくらいしか思ってなかったんですよね、違ってたらアレなだけですけど、だからですよ、もちろん濁すつもりすらなかったし、ただつまんなかったらアレかなって、でも無理めも案外どうでもで結局「ごめん」とかそんな感じで「はあ?」って。まあ言い方なんだろうしでもそもそもわかんないし、でもでもなんだろ、「おまえってまじテレキャスター」って。
それってなんかの流行りの言い方とかなんですか? あたし知らない。
……えっと。
え、なんでそんな顔するのごめん。
クリーンルーム育ちか、っては言われたことあるんですけど、でもテレキャスター? 詩的ななにか? なんて嘘です真に受けないでくださいよもちろん揶揄ですよね、わかってるんですよでもなんか案外刺さんなかったしだからかな、不服っぽかったかの飛距離? 「テレキャス子」とかもう一回、比喩なしならしれっと馬鹿じゃね、とかで十分のはずだし揶揄なんても言い方だし所詮悪口、ってもういいか、「ごめん」とかももういいかと思ってやめといたんですよ、わりと普通っぽくないですかあたしのわりには上出来? どうですか?
でもテレキャスターって、なに。
成野って、なに言ってんの。
それは比喩なんて必要ない揶揄か手加減でも共通の認識で、オフィスの扉が開いて、そこに成野が現れたならすっかりとっくの事実になる。はあ? ってそんな空気。
「成野。どうしたの、眉」
「え、ああ。えっと、里芋を煮ていてですね」
スキャナーから昨夜のうちに分解データが十三件。お腹が痛くなって定時退社後、里芋を煮ていたうちに滞った事態はさておき、知る由もなくもなくとも相変わらずのペースで、眉までの到達時刻を予測するしかない。わけがない。
「ベイリーさんの生成のトーン、指定よりイエローがずいぶんだと」
「陽明軒さんのシュウマイだのに。やっちまった」
「成野なりのだね。とりあえずトイレ行こ」
発達障害だって言ってる。
あたしはそうは思っていないけど、社会的にはその方がなにかと通りがいいことが多い、ってことならそうしておけ、とも思わないのはあたしの勝手に違いない。服の着合わせがなんかおかしい。あたしは気にならないし好きなんだけど、なんかおかしいのもわかるのはたかが物分かりか尊重うそぶくすり合わせ、ベイリーさんのシュウマイ、みたいな簡単な話ならとも思わないけど。
「つたえちゃん、怒ってる?」
「なんで」
「シーシャ持ってる」
二人で個室にこもってシーシャする。とりあえずそうするが一先ずとして、最適解として身についた。つけた気も悪気も愛着もない。こんなにくっついてもいいことに毎度の如く驚く。それくらいでちょうど楽しい。やる気はなくなる。
「こいや」
もちっこくひしゃげた成野のういろうみたいな腿。然るべく叱るべき腿になんて恨みも規則もない。難しくも簡単でもないことに目くじらを立てるのは、誰のことともしたくないだけってことくらいもわかる。
「くそガキが」
便器と成野とあたし。片された宴会場の椅子みたいに同じ向きでぎゅっと重なる。気は重いけどまあまあ軽いあたしを陽気に抱えるあたしより軽い成野。ちゃんと骨がある。知ってるし見えないだけの当たり前の事実にいつまで経っても慣れない。ぐりぐりとお尻の骨でいじめても成野はなにも言わない。
バニラポップコーン。甘く焦げたようなフレーバーが閉じこもった空気によく馴染む。
さっき誰かがおならして出て行ったかもしれなくても味わう、成野が連打する音姫とリアルの水音が全てをわやくちゃに遮って、水っぽく薄まる。目の前の扉をスクリーンにしたところで眺めたい心境なんてそうそう思いつけない。パーテーションの継ぎ目の金具に行儀悪く貼り付けられた不機嫌なテープの破片。
「ぬるっとよく煮えてさ」
「鶏肉は」
「いんげんも」
「食べ行っていい?」
「おべんと持ってきた」
「おしっこする。先行って」
朝礼には出ない。代わりに成野が出れば、すべてバレたみたいな想定がせいぜい。そのくらいには、二課長はワーカホリック然としてあたしを厄介に当てにしたがるだけ。成野は仕事は早いけど、同じことしか出来ない。ダブルチェックが欠かせない。
画像データの色調分解なんて、こんな整って繰り返す仕事があって本当に良かった。はじめは難しすぎて眠くて仕方なかったのに、今となっては運命に救われたとしか思えない。思うしかない。
「成野。コテンハーチェンさんのチタンのとこ」
「ブルーすか。65らへんだったかな」
「ううん。グラのエッヂがなるいって」
「は?」
三ヶ月は掛かる。一回で出来ても覚えるのに三か月掛かるという独特の事実は、理解や承知に甘える気などまるきりない頑固さで、周囲の人間を辟易させて少しも懲りない。互いに容赦もない。
「なるいってなに?」
「わかれ」
「わかんない」
「なるいんだってば」
「わかんないってば、つたえちゃん」
なるい、ってなに。
そんな言葉あるのかどうかなんてわからない。だからって急に現れるし、それでも通じて欲しいし、通じてしまうこともある何かが成野には通じない。当たり前だし、少しも辛くない。あたしの願望かわがままでしかない。
「眉」
「え?」
「なんで剃ったの。馬鹿なの」
「描いてるじゃんか」
「アニメか。変な色」
「ガルクラのニーナ」
「うるさ。もっとなるく描きなよ、関西か」
カラーカーブの定点を倍にして、画像にも残すことにした。仕事帰りのコンビニで出力して、各クライアントごとのデータをリアルファイルで管理、デジタルより物理データの方が成野には覚えやすいみたいだから、徹底した。あたしの仕事量も倍になったけど、一度覚えたデータをなぞるだけなら成野の仕事は驚くほど早くて、嬉しくて、毎日の仕事帰り、一緒にコンビニに行くために成野と同じ駅の近くに引っ越した。少しだけ気味悪がられたのは意外だった。
「美味しい? つたえちゃん」
社員が一同に介する、といっても三十人ばかりの景色の中で、あたしと成野はとっくに誰も観なくなった大画面のテレビから一番離れた隅の席で、とっくにあぶれたものとして社員たちの注目からこれっぽっちも逃れられない。
今日の成野は生足剥き出しのミニスカート姿のせいで、疎ましげにやさぐれた社会性批判を一身に集めている。この前はそれほどでもないホルターネック。男女もへったくれもない。場違いに可愛すぎて洒落にならない、若い男性社員ですら迷惑に感じざるを得ない、そんな見栄や建前の境界くらいあたしだってわかる。あたしはそんな成野の真横で、年甲斐のないおさげ髪で出社した自らの気まぐれを全力で褒め称えるだけ。
「里芋と、その眉。なんの関係があんの」
成野が一人暮らし、火を扱う。料理する。
そう思うだけでどうしても、遠い空の向こうで暮らす娘を思う母みたいな気持ちになる。とても美味しい。成野にも得意なことがあると思うと、心持ち味が薄まる。
「え。ないけど、別に」
「……は?」
成野めりの。
小学生の頃、自分の名前の由来を親に訊くという近頃なら若干なりにもセンシティブなトラブルを招きかねないような、そんな宿題の回答を推測に預けるほどでもなく尋ねると、成野の父親は「なんとなく。音的に」とだけ言い放ったきり、趣味のバス釣りに出掛けてしまったらしい。
「平仮名だよ、酷くない?」と、そんな父親にして成野なりに自覚する受傷のフックもやっぱりなんとなく微妙で、それ以来父親のことがなんとなく好きになれないままだとか、夕方に真面目な話をすることを避けたすぎる人生だとか、言い方とほぼ血のせいでしかなさそうなエピソードはむしろ無駄に骨太というか、せめては気取りがなくてあたしにはむしろなんだか好ましくすら思えてつい、「藤田田だって。女なのに。ふざけんなと」などと余計な返信を漏らしてしまったのかもしれない。
藤田伝。
字面だけなら由来より立派に見えなくもない名前に、ことあるごとに泣かされてきた。生涯においてもっとも輝かしく賞賛を受けたのは小学三年生の頃、算盤三級。他の子より少し得意で、進みが早くて、期待されている、親や周囲のそんな気配を感じて文字通り得意になっていた。とはいえそんな調子は長くは続かず、その年の運動会のクラスリレーでトップで受けたバトンを落とした上に焦りのあまり転倒、順位は瞬く間に最下位まで転落。六クラス中、五位の結果は慰められれば慰められるほど無邪気な針の筵だった。
それきり、すっかりおかしい。とっくに大人になってしまったあたしの由来に付き合わせるにはちっとも物足りない、なんなら微笑ましいくらいのエピソードであるにもかかわらず、明らかな経過として、実感としてあの日を境にあたしはあたしのすべてのなにかがおかしくなった気がしすぎる人生を過ごし続けている。
「スターだったんだねえ」と、いつかあっけらかんと笑って見せた成野のおかげで、ますますおかしくなった。すっかりおかしい。
たまに向き合って重なったりもする。朝のタイミングより、こうして昼食後の方が気分的に近くなるのは、働くなんて気分がせいぜい半日しか持たないことがきっと、あたしも成野も人並みには辛いせいだ。
陰険な会話も立ち込めるタバコの煙もなく、それぞれにすぐに立ち去る昼食後の女性トイレは健全ですこぶる現代的な傾向ですれ違う。音姫すらも鳴らない用に出くわせば板壁越しでもぞっとする。大でも小でもない、きっともっとすごいものを当たり前に排出している。そのための限られた一室を占拠するなりには、それなりのマナーや技術、耐えるべき理由こそが必要になる。
成野はじっとあたしを見つめたきり、息一つ飲まない。妙な才能。不用意な感情か無自覚な反応か、あたしはバトンを落として以来、自分のことがこれっぽっちも当てにならなくて、心掛けようが努めて澄まそうが不意に目を潤ませたり、悪びれてパンツを湿らせてしまったりもする。理由なんてそんなの嘘で、建前ですらないし、もっと深刻に不明に操られている。
「誰もいない?」
細い息が耳に吹き込んでくすぐったいほど、顔を寄せて囁く。たぶんいないはずでも、迂闊に頷いたりしたら成野はまあまあな声の大きさで話し出しかねないから、少しだけ考える。
「……ちょっ」
舌先でそっと湿らせた親指の先で成野の眉を擦る。とっさに口元を塞いでしまう、そんな自覚もなく働きのいい左手に驚く。
「抜いたの? 剃ったんじゃなくて」
面白くなって、両の親指を舐めて、ごしごしと成野の眉を揉み消す。紫と茶が種明かしみたいに霞んで広がって、まるで額がぼこぼこと波打ったみたいに見える。従順に台無しに晒される成野の綺麗な肌が微かに火照る。
「好きなの?」
「好きだよ?」
なんとなく。
音的に引きずられるみたいに答えてしまった。なるほど、成野の父親はきっとこんな気持ちの、もっとなん十倍もなん百倍もなん千倍もきっと、手に負えなくなることを恐れていた。愛していた。成野はそれほど、父親のことが好きだったんだ。
「ねえ、いるんでしょ? 二課長が呼んでるけど、会議室。ねえ、あんたたち。……なんかやったの?」
冷や水というほどでもない。でも、思っていたよりも残念な気はしている。ちゃんと上手くやってるつもりだったのに、そんなはずはないのにこんなにも簡単に扉をノックされるなんて、なんだか酷い話だ。
音姫を連打して、唇を塞ぐ。成野は油断ならない。初めてのことは取り乱してしまうし、必要以上に頑張ろうとしてしまうから、奪い取るしかない。成野のための画像データは最大限、顧客情報が映り込まない形で、カラーカーブだけを切り抜く形で保存管理していた。そんなことは問題ではないとして問題にするつもりなら、最初からあたしなんかに託さなければいいのに。そんな大切な、重要なバトンなんてあたしは受け取れない。勝手に期待されても身に余って転んでしまうのがオチに決まってる。とっくに知ってた。
「あたしのせいだね、つたえちゃん」
「ううん、大丈夫。算盤みたいなもんでしょ、ただの決まりでしかないよ」
了
執筆の狙い
読むものないし、やることもないからご飯食べてたら急に書こうという気になりました。
"キメトラ"と入れ替わりみたいなタイミングですしちょうどいいかなと思いまして。
馬鹿とクズなんて一目瞭然として相手にしません。
せっかくのつもりでも運営がことごとくいい加減すぎてやる気しないんですよね、本当にここの運営やる気ないですよね。
大丈夫なんですか。