作家でごはん!鍛練場

疑心、暗鬼を生ず

~序/朔の夜に~

――月のない夜は背後に気を付けろ、刺客が闇討ちをねらっている――

――戦に勝利しても驕るべからず、死人に寝首をかかれる恐れあり――

な~んてことを、戦国時代には良く言ったようですな。
ええ、朔の夜ってのは全くの暗闇だったんでしょう。夜道を歩く恐怖は計り知れない、おちおち寝てもいられない……なんてね。

小噺をひとつ……

下弦の月から朔に向かう期間は、要らないものを捨てたり、部屋を掃除したり、断捨離には良い時期だそうです。
朔日は即ち新月を意味しますわな。
この日を境に新しく、何かをスタートさせたいと思う人は多いかと……


えっ、くされ縁の彼氏と別れたって?

ふむふむ、
で明日、はれて本命君に告白すると……

ほうっ!
するってえと何かい
お前さんが捨てたのかい?

あはっ
かわいい顔して大胆だねぇ

ん……そういや今夜は朔だったな
せいぜい気を付けなよ

なぜってそりゃ……

死人《モトカレ》に
寝首をかかれないようにさ


……さぶっ😓


オアトガヨロシイヨウデ<(_ _)>


♢ ♢ ♢ ♢ ♢


~疑心、暗鬼を生ず~


『不条理なこの世界……
私がいったい何をしたというのだ』

夫婦生活が長くなると、顔を向けない会話が増えてしまいがちだ。ましてや共働きともなれば、すれ違いも多くなる、なおさらだ。顔を向けず、言葉だけを聞いて「ああ」「うん」「へえ」と返事だけをする。慣れてしまうと自然とそうなってしまうのか、今に始まったことではない。
お互いが目を合わせることをしなくなってから、どれ程の月日が経つのかなどは、考えたことさえ無かった。
そう、あの日までは……
・・・・・

「今日も遅くなるんだってよ。まったく、今の仕事になってから、定時に帰ったことなんてありゃしないんだから」
夜勤に出かけるところを母に呼び止められた。
「そう言うなって。こうやって働けるのも、母さんが娘を見てくれるからだって、感謝しとったよ。お陰で、やりたかった仕事に就けたとな」
「まぁ、あの子は素直でいい孫だし、困らせることなんて、これっぽっちも無いが」
「そうだろ。お祖母ちゃんが一番好きて、言うていたよ」
「それは嬉しいことだが……、でもな、それとこれとは話が違うよ。こんなこと言いたくはないがな、お前が夜勤の日には、いつも帰りが遅いんだよ、何をしておるんだか」
「……んなことはないだろ、では、行ってくるよ」
「でもな、たまには外で一緒に食事でもしてきたらどうよ、ゆっくりとな。ああ見えて、端から見たら綺麗な人だ。あんたがしっかりせんと……」
「しっかりせんと、なんじゃ?」
「いやいや、なんでもない。行ってらっしゃい」

意味ありげに言いおって……

妻の行動を疑ったことなどなかったが、言われてみれば確かにそうだった。
派遣社員をしていた頃は常に定時に仕事を終えていたから、食事の支度や家事の時間、娘をみてやる時間等は彼女なりに作れていたし、それに夜の営みだって。
今の仕事になってからはどうだ、当初パートでいた時分はさほど気にならなかったが、一昨年の今頃、念願の正社員に昇格した途端に、会社の拘束時間がルーズになった。急遽残業を言い渡されたからと、帰宅が夜の十時を回るのも珍しいことではなかった。私も丁度、中間管理職に上がったばかりで、いつの間にやらお互い、すれ違いの時間が増えた。妻に触れることさえしなくなった。
仕事の忙しさにかまけてコミュニケーションを怠っていた、と言えば簡単な話だ。家の事は母に任せていたし、小学二年生の娘に手が掛かることは無くなった。
まさかなぁ……
夜勤のあいだ中、疑念が脳裏を渦巻いた。帰路につく頃には暗鬼が牙を剥き、私は、私が知らない妻の日常を見てみたくなった。

家に着くと気がつけば、妻の洋服箪笥の前に立っていた。
両開きの取手に手を掛け、おもむろに開ける。見慣れぬ服ばかりが目にとまった。
いやいやそうだ、外回りの仕事だ、仕方あるまい。動揺を制し、無理やり自身を納得させる。考え過ぎだ、何をやっている。
心を落ち着かせ、苦笑いをしながら視線を逸らすと、ジュエリーボックスが視界に映った。開けてみた。
中にはブランド物の小物が数点入っている。しかし其処には、目を疑いたくなるものまであった。きらびやかな品に追いやられるかのように、結婚指輪が、奥の隅っこにじっと佇んでいた。
何故、此処にある……
自分の薬指を見やった。私は、一度たりとも外したことなどないのに、妻はなぜ……
狼狽える私は、チェストの引き出しを上から順番に開けていた。ただひとつの目的をもって。その行為が、結果、己の心をどれ程傷つけようとかまやしない。暴走する猜疑を抑えることが出来ずにいた。
一番下にそれはあった。蓋付きの収納ボックスが、ひっそりと隠すように。大小の仕切りに合わせ、色とりどりのそれらは納められていた。黒、赤、パープル、ピンク、花がら。間違わぬ様にと上下ペアで、それはそれは綺麗に並んでいたのだ。
震える手で、パープルのショーツを取り出し、あの独特の、滑らかな感触を確かめるかのように、指を這わせながら広げる。
なんて、小さいんだ……
鼠径部以外は、前後が繊細なレースの透かし織り。ウエスト部分は、左右が二本の紐になっている。カップを折り合わせた同色のブラも広げてみると、こちらも同様に、レースの細工が施されていた。
ふと脳裏に、それらをつけた妻の姿が浮かんだ。刹那、私の理性は闇に消え失せた。

妄りがましい紫を纏った妻は、妖艶に微笑し、こちらに顔を向け近づいてくる。膝を曲げながら片足を上げ、ゆっくりと。まるで、一本の白線に沿って歩を進めるかのように、動作に乱れ無く、音も立てずただゆっくり。その視線の先に映るのは、無論、私ではない。振り返ると真っ黒な影が、白い歯だけを見せながらニヤついていた。
私を素通りした彼女は、黒い男の前に立つと、しなやかに伸びる両手をそいつの肩に乗せ、掌を返し、赭封蝋を垂らした如くメイクした爪先を、肌に滑らせそっと下に落としながら、物欲しそうな目で誘っている。

疑念を孕んだ妄想というものは、斯くも心の均衡を崩壊させてしまうものなのか……
もと通りに下着を仕舞えたかなどは覚えていない。いわんや、頭を抱え膝を折る私に、そんな意識などあろう筈がない。
その夜、妻には何も聞けなかった。
背中を向け眠る妻を横目に、一晩中酒を浴びた。

・・・・・

妻は、あの日の私の行動をわかっていたのであろうが何も聞いてはこたかった。
明らかに証拠をその場に残していた筈だし、仕事から帰った妻は、それを目の当たりにしている筈なのだ。が、私にとっての不都合な真実は闇の中に置去りにされたかのように、顔を合わさぬ会話、すれ違いの生活、これまで通りの日常が其処にはあった。ただひとつ変わったものは、私の心に点った疑念の火。これだけは到底消すことなどできぬ。以後、妻の一挙手一投足に対し、異常なまでの関心をもって観察することとなった。

『過ちを償わせねば……
君が地獄で焼かれる前に』

……了


・・・

参考音源
ドリーム・シアター
「The enemy inside」
https://youtu.be/RoVAUUFjl0I

疑心、暗鬼を生ず

執筆の狙い

作者
sp1-75-252-86.msb.spmode.ne.jp

小噺をひとつ(笑)

読んでいただけたら幸いです。

コメント

fj168.net112140023.thn.ne.jp

>な~んてことを、戦国時代には良く言ったようですな。

良く→よく

失礼しました。

京王J
sp1-75-0-161.msc.spmode.ne.jp

読みました。

ファンボックスに感想を書きました

https://www.fanbox.cc/@keioj/posts/8063667

すごく良い作品だと思います!

夜の雨
ai201135.d.west.v6connect.net

「疑心、暗鬼を生ず」読みました。

冒頭の「~序/朔の夜に~」こちらの作品、いりますか?

「~疑心、暗鬼を生ず~」こちらの作品だけでよいような。
小学二年生になった娘が親(母)の手を煩わす事もなくなったので、妻が本採用の仕事を始めたところ、夜の帰りも遅くなり。
主人公の母親が「嫁の行動に気を配りなさいよ」といったところです。
つまり中間管理職の主人公が、仕事と夫婦生活にかまけていて妻を放っておくから、彼女は仕事と言いながら浮気をしているのでは、という流れです。
ここで猜疑心が夫である主人公に産まれます。
このあたりの描き方がそれなりにうまい作者さんです。
妻の持ち物を調べたりしたら結婚指輪が仕舞われていたとか。
この意味するところは何なのか(苦笑)。
それに妻の下着の怪しい色と形。
ということで、夫である主人公は猜疑心の鬼へと。

>>『過ちを償わせねば……
君が地獄で焼かれる前に』<<

このあたりの憎々し気な気持ちから、どういった行動に出るのか。
いろいろと方法はありますが(笑)。
江戸川乱歩だったらどうするかとか。
太宰治だったらどうとか。
ほかにも芥川賞とかを受賞している女性作家などを頭に浮かべて、御作の続きをどう描くのかとか、考えると面白いのでは。
ちなみに猫を飼っていることにしても面白いと思います。

妻に裏切られているので、夫は猫をかわいがり始めたとか。
その猫の毛が誰かにむしられたとか。

『~序/朔の夜に~』ちなみに冒頭のこちらの作品ですが、もしかして、『~疑心、暗鬼を生ず~』で夫が、妻に闇夜に仕掛けるというような意味ですかね?
だったら、冒頭の作品は、必要かな。


御作は掘り下げると立派な作品になると思います。


お疲れさまでした。

fj168.net112140023.thn.ne.jp

夜の雨さん、返信が遅くなり申し訳ありません。
詳細な感想をありがとうございます。

仰る通り、「疑心、暗鬼を生ず」は、猜疑心と不信感が主人公に取り憑く状況を描いた作品です。妻の行動に対する主人公の疑念がテーマです。
「~序/朔の夜に~」についてはストーリーテラー的なもので、本編とは繋がりはありません。

主人公の心情や行動について、江戸川乱歩や太宰治のような作家の視点から考えるのは面白いアプローチですね。やってみようなか(笑)。
また、猫を飼うことで感情や状況をさらに深掘りするアイデアも興味深いです。

sp1-75-7-254.msc.spmode.ne.jp

思い出しました。
山田智彦先生の「犬の生活」では、家で犬を飼っている夫婦の話なんですが、主人公(夫)の浮気を半ば公認している妻が、最後にとんでもないことをしでかします。
これは読んでいて恐かった(笑)

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