作家でごはん!鍛練場
中村ノリオ

鳩と青空

 いつもながらの安い愛想笑いだった。
 若禿気味な生え際の大分下にあるギョロ目が細まって、頬が浮腫んだように盛り上がる。分厚い唇の奥では舌が忙しく動き回っていた。
 爽やかな面相とは言い難い。蜥蜴が翅虫を咥え込み、舌で丸めてニチャニチャと咀嚼しようとしているような感じがあった。一般人が決して発することのない、下衆な臭いを漂わせている。
 今目の前にいる榎木という男は、以前からこんなだったろうか。そんな疑念が沖田の頭にふと浮かんだ。
初対面の頃と同じくスーツを着込んではいるが仕立ては年々派手になり、金ぴかなネックレスを付けるようにもなっている。文章書きという仕事はもっと文化的なものだろうに。
 ヤクザ社会に関わる者は、中華屋奥の換気扇のように身に黒く汚い油のようなものを纏わりつかせずにはおかない。それは分かっているものの、いささか順応するのが早すぎやしないか。こちらに合わせているつもりなら、余計な気遣いというものだ。
 今榎木はせわしなく喋っている。「お土産」「タコ焼き」「心斎橋」「お礼」といった単語が飛び出す。それを証するように、テーブル上にはタコ焼きのビニールパックが置かれている。冷めてしまっているが、安っぽくソースでビチャ付いた青海苔は、それなりに食欲をそそるものだった。油と塩分に偏った、ある意味最低な食い物。しかし、だからこそ沖田はこれを愛していた。それを知っているから、榎木はわざわざ本州の三分の一にもあたる距離から、これを買って持ち帰ってきたのである。
 タコ焼きの横には随分大きなものがあった。百均ショップで売られている大型ショッピングバックである。乾いた魚の皮のようにペラペラな造りで色は黒。口は安物ジッパーで閉じられていて、エベレストへ持って行ったスナック袋のようにパンパンに膨らんでいた。
 それを見やった沖田は、このくらいの大きさなら小柄な女の死体くらいなら詰められそうだな。と思う。そのイメージは沖田にとっては現実的なものであり、実際に脳裏に似た光景が浮かんできたりした。残念ながらそれは女ではなくて、身に付けているのはパンツだけという情けない姿の中年男だったが。黒くて頑丈なボストンバッグに詰め込まれた小柄な背中。手脚を縮め、身体は胎児のように小さく丸まっている。四十歳くらいか、肌は浅黒く日に焼けていた。
これはいったい、何処で目にしたのだったろう。奇妙なことに思い出せず、この男を結局どうしたのかもはっきりしない。生きていたのかどうかすらあやふやだった。バッグのジッパーをきっちり締めて地面に埋めたのか。それとも生きていて、脅しただけで解放したのだったか。
分からない。万華鏡の中で色とりどりの欠片が犇めくように、記憶が頭の中で乱反射している。
 沖田は記憶力に優れている。見た物を瞬時に記憶して、目を瞑って脳裏にある映像をじっくり眺めて確認する、といった芸当ができた。しかし、時にはそれが裏目に出て、映像が脈絡なく頭に浮かんでしまうことがある。そんな時は頭の中にある映像が何なのかを思い出すのに時間がかかる。記憶庫にあるデータの量が多すぎるのだ。
どうかすると映像と同時に、それを見た前後に聴いた音楽が、頭の中にリフレインされたりもする。今も微かに流れ始めていた。以前気に入って聴いていたことがある洋楽の曲だ。歌詞は不明だが、気怠い曲中で繰り返されるレモンツリーという言葉は、カナ発音とほとんど変わらないので耳に残った。
 こういう時は、世界全体が微妙なリズムで自分に語り掛けてきているようで、頭のスイッチを切ってボンヤリするのが正しい対応と思えるのだ。「思い出せない」などということはめったにない。ふと訪れた僥倖に近いので、そのまま自然にしておくのが良い。それが心地良く、その状態を崩そうとするなど無粋というものだ。
 沖田がそんな気分になったのは、榎木の話が本当にどうでもいいものだったからである。凡庸そのものの、聞くに値せぬお愛想。しかもどこか得意気である。コミュニケーション能力に自信があるのだろう。確かにヤクザによくいる体育会系武闘派あたりなら、気を良くしそうなご機嫌の取り方ではあった。
 沖田はふと見過ごせぬ言葉が耳に入った気がして訊き返した。
「んっ? 何て言ったんだ」
「はあ」榎木はようやく獲物がかかってきたと思ったか、ホッとした顔になって、「ですから、大阪方面でくすぶってる抗争の話ですよ。向こうは中々大変らしいですね。今は警察の締め付けが激しいから、先に手を出した方が負け、みたいな状況になってしまっているんです。挑発合戦になって、ピリピリしているから取材してもいいネタが得られなくて。困りました」
「そうなのか。情けねえ連中だな。ヤクザは戦ってナンボだろうに」
「これも時代なんですかね」
「本家の方もそんな調子なのか」
「上の方は、しっかりと状況を見て判断しているんでしょうね。末端は不満が溜まっているようですが」
「暴発するとしたらどっちからになりそうだ」
「分かりません。どちらも組織は統制がとれているので」
「取材していれば雰囲気くらいは分かるだろう。北の下っ端は話の分からない馬鹿が多いからな。俺はそっちから火の手が上がると踏んでるんだが。自分の方からふかしといて何もできませんじゃあ看板が泣く。何と言い訳しようがイモ引きっていうもんだ。お前だってそう思うだろ」
 沖田が水を向けると、榎木はいったん口を開きかけて思い留まった後に、
「いえ、どうなんでしょう。僕はそういうことを判定するような立場じゃないので」
 苦笑いして頭を掻いた。
 沖田は目を細くした。一応は合格か。他組織の者から悪口を持ち掛けられたからと言って、迎合して乗ってくるような奴に用は無い。
「ふうん。まあいいが。お前も大変だな。だがどうせ、また適当に膨らました記事を書くんだろ」
「はあ、そこはそれ。自分たちはそれでメシ食ってるんですから。怒られないように気を遣いながら、でも読者には飽きられないように。その配分が難しくて。そのあたり、沖田さんにはいつも読者が興味を惹く話を提供してもらって感謝していますよ。甘えるようで何ですが、何か面白いネタはないですかね」
「ねえよ」
「はっ?」
「おまえにする話なんて無い」
「そうですか」
「お前なんか永遠に中身の無いデマ記事を書いてりゃあいいんだ。書くネタが無いんならションベンで口濯いで舌を噛み切って死ね」
 榎木は目を見開いて、何を言われているのか理解できないという顔をした。
 鳩のようにキョトンとした後、声を上ずらせ加減にして、
「ははっ、キッツイなあ。参ったな。機嫌の悪い時に来てしまったようですね」
「逆だ。俺は今日は機嫌がいいんだぜ。いい加減覚えろよ。俺が死ねって言うのは機嫌がいい時の挨拶だ」
 沖田が薄い唇を歪めたそこへ、右から薄い影がさしてきた。
 テーブルの横に立ててある衝立ての向こうから、大きな図体が姿を現したのだ。頭はロボットめいた角刈りで、暗灰色のスーツに包まれた肩幅が恐ろしく広い。組幹部の樋口だった。
「報告があります。ちょっといいですか」樋口はおずおずと頭を下げると、ソファーにふんぞり返っている沖田が小さく頷くのを待ってから報告を始める。榎木の姿などは眼中にないようすで、「小野寺の奴を下の部屋に連れて来たんですが。どうしましょう」
「どんなようすだ」
「シラをきって、自分は何も知らないの一点張りです」
「ふん。適当に締め上げとけ。俺は後から行く」
「分かりました。五階のタッカーにいますので」
 樋口が去ってしまうと、後には高級椅子の中で身を縮め、顔を強張らせている榎木が残った。今のやり取りに恐怖を感じてしまったらしい。部下に指令する沖田は榎木と話す時とは違い、態度に妥協が無さ過ぎたようだ。例え冗談でも「死ね」などと言われた後だけに、本性を垣間見た気分になってしまったのか。
「どうした?」
「あの、お取込み中だったのではないですか」
「いや、そんなことはねえよ。暇だ」
「でも」
「良かったらお前も不始末者を締め上げるのを見て行くか。ヤクザ関連のライターをやってるなら参考になると思うぜ」
「いえ、僕は・・・・・・ありがとうございます。でもやっぱり遠慮しときます。これから仕事もありますし、何だかんだ言ってビビリなんで」
 榎木はもじもじと椅子の上から腰を浮かしかける。沖田は別に止めなかった。
「そうか。お土産のタコ焼きありがとよ」

 榎木が居なくなった後、沖田はふと思いついて内線電話の受話器を取った。沖田が今いる部屋は雑居ビルの最上階にあり、組員への連絡は主にこれで行う習慣になっている。どこで盗聴されているやら分からぬ携帯電話などは好きではなく、できることなら使いたくなかった。 
雑居ビル内には電気機器のジャンク店から三流芸能事務所、ペット魚店まで様々な店が入居していて、それらはすべて沖田の組の息がかかっている。そして最上階以下三つの階は組員たちの使用スペースだ。八階建てのビル全体が、実質的な組事務所と言えた。
手の空いている者に「この前榎木が新刊だと言って届けてきた本があったな。まだ捨ててなかったら持ってきてくれ」と命じると、タコ焼きを三つ食う間にジャージ姿の部屋住み下っ端がそれを持ってやってきた。
本のタイトルは「ヤクザの裏側すべて教えます」。一般人が持つヤクザイメージそのままの安っぽい強面男イラストが描かれた表紙に、宣伝文句の帯が巻かれている。
「八百人のヤクザに取材した著者が秘蔵情報をすべて公開。衝撃っ。これが現代ヤクザだ!」
それを受け取った沖田はさすがに苦笑した。何が「衝撃っ」だ。馬鹿じゃねえのか。
下っ端を帰すと四つ目のタコ焼きを口に放り込んでペラペラとページをめくり、それから戻って目次を見る。字が大きくて中身が薄そうだ。
目次には、四十ほどの章が並んでいた。
曰く、
・射撃や格闘技だけじゃない。武闘派ヤクザの実戦訓練
・ヤクザの平均年収はぶっちゃけいくら?
・所詮は捨て石? 超悲惨なヒットマンの末路
・やり手ヤクザは刑務所内で自分を磨く
・ヤクザの中にも変態っているの? 裏社会仰天セックス事情
・理不尽ここに極まれり。我儘ざんまい親分伝説
エトセトラ、エトセトラ。
見出しを見ただけでも面白おかしく書かれていると分かる。それらの中に、沖田は見逃せないものをいくつか見つけた。
・本当にいた!東大医学部出身のヤクザの組長
・噂の新進気鋭ヤクザは全身純白服で周囲を威嚇
・刺青はもう古い。刺青、指詰め禁止の新興ヤクザ組織が勢力拡大するワケ
・ペットの怪魚ピラルクに指詰めの小指を食わせたヤクザの親分
これらは俺のことを書いてるんじゃないのか? 
ちらほら拾い読みしてみると、その通りのようだった。事実をいい加減に捻じ曲げて、片腹痛くなるようなことばかりが書いてある。
沖田が東大医学部に在籍していたのは事実だが、ほんの半年だけのことである。中退したのは小さな会社を経営していた実家が破産して、学業を続けられなくなったからだ。医学部の学費は二十歳に満たない若造がどうにかできるようなものではない。この世界に入ったのは成り行きである。実家が背負った借金の債権者となったヤクザが、沖田の頭脳に興味を持って勧誘してきたに過ぎない。
榎木はそれを、頭が良すぎるが故に学業が馬鹿々々しくなり、自発的に大学をやめてヤクザ社会に身を投じたかのように書いていた。
「『本当は数学者になりたかった』というほど天才的な頭脳を持ったその組長は、筆者にこう嘯いた。『ヤクザは高等数学のようなものだ。矛盾だらけの現代社会に暴力という虚数を当てはめて計算すれば、全てが綺麗に割り切れる。それが面白い』。そう言う不敵な面構えには、『遅かれ早かれ裏社会で天下を取るのは俺だ』と言わんばかりの強烈な自負が漂っていた」
 そんなことを言ったかな。沖田は記憶をたぐってみたが、ピッタリと当てはまる発言をした覚えはなかった。「ヤクザが使う暴力ってのは、数学で言えば虚数のようなもんなのさ」とは言った気がする。しかしそれは何気ない話の接ぎ穂程度のものだ。数学が得意だったのは事実だが、それで飯を食おうなんぞと思ったことはない。
全身を目立つ白い服に身を包むようにしたのは、物を知らない下っ端が勘違いして因縁をつけて来るのを回避するためである。沖田はまだ三十代。命を張るような喧嘩の経験はほとんど無く、頬に一本ドス傷があるのを除けば、見た目はただの優男に過ぎない。盛り場などを歩くと、それを見くびる輩が少なからずいる。別に暴力を恐れはしないが、後で相応の落とし前をつけないといけないのが面倒くさかった。
そんな単なる手間の削減も、榎木によれば「ヤクザ社会で天下を取るための、この上ない自己アッピール」となるらしい。
 ペットのピラルクに詰めた指を食わせた親分云々はさらに酷かった。この雑居ビル内にはアクアピークというペット用魚店がある。沖田はそれにちなんで「詰めた指なんて貰っても使い道は無いしな。下のペット店にいるピラルクだったら喜んで食うかも知れないが」と軽い冗談を飛ばしたに過ぎない。
もとより沖田の組では刺青と指詰めは厳禁なので、詰めた指を貰う機会など無い。普段から裏社会臭を消すことに腐心しているので、組員が沖田を組長、親分と呼ぶこともない。呼ぶ時はもっぱら社長。そんな風なので、ちょっと見には外からどんな組織なのかは分からないはずだった。
もっともそれも、全身白ずくめ姿の沖田に会うまでの話だろうが。
 そのくらいは榎木だって百も承知のはずだが、あえて違う解釈をしてネタを作ったのだろう。おそらく沖田がそれについて追及したら、「エッ、そうだったんですか。僕はてっきり本当にピラルクの餌にしたのかと。勘違いしてすみませんでしたあ」とか、しゃあしゃあとして額を地面に打ち付ける勢いで頭を下げるに違いない。
 食えない野郎だ。沖田は少し眉間に皺寄せてみたが、しかしそういう処があの男の可愛げになっていると言えなくもない。他の項もめくってみると、どれもこれも似たり寄ったりの内容のようだ。
 アホらしくなって本を放りだそうかと思った時、ちょっと気になる文が目に入ってきた。
「ヤクザの華麗な脅しの手口」という章のものである。
「みなさんはヤクザは脅しのプロなのだからさぞや脅し言葉の語彙に富んでいるとお思いであろう。しかし筆者の経験によればそんなことはない。彼らの使う言葉は極めて実践的で、だからこそバリェーションは少ない。『ボケ』『死ね』『殺すぞ』などがその例で、優秀なヤクザはそれらの単純なセットでもって人を震え上がらせる。考えてもみて欲しい。もしも粗暴なヤクザが文学的で巧みな言葉を使って来たとしたら、聞く人はそれを怖いと思うだろうか。ある意味雑で無学で無意味な言葉であるからこそ、彼らの脅しは迫力がある。ヤクザの口からマフィア映画のような気の利いたセリフが跳び出すことはまず無いのだ。お笑い芸人が口にするような、『耳の穴から手え突っ込んで奥歯をガタガタ言わせたるぞ』的なウィットのある文句が生み出されることも、未来永劫無いであろう」
 果たしてそうか? 沖田は少々首を捻った。粗暴な言葉が脅しに向いているというのは確かだが、別に巧みな表現だったら駄目ということもなかろう。確かに俺はさっき奴に「死ね」と言ったが、あれは親愛の情を現したようなものだ。
いい加減なことを書いてやがる。
 沖田はタコ焼きを食い終わった。中に入っているタコが大きくてゴロッとしている他は、別にどうってことない味だった。関東の物と大した違いはない。それを再確認できただけで良しとしよう。
 そろそろいい頃合だろう。
 本をテーブルに置いてソファーから立ち上がる。片腕を回し、肩の凝りをほぐすようにしながら部屋を出た。部屋すぐ外の廊下には樋口直属の若い衆が一人立っていた。樋口の系統らしく、背は低めだが肉付きは屈強だ。名前は青野。空手をやっていたはずだ。
「小野寺の様子を見に行かれるのでしたらご案内します」
「ああ」
 青野の後ろに立って歩きながら、沖田は何気なく訊いてみた。
「お前、実話雑誌に文章書いてる榎木は知ってるな」
「社長がさっき会っていた方ですね」
「あいつから取材を受けた人間は、うちの組にはどのくらいいるかな」
「さあ、あんまりそういう話は聞かないですけどねえ」
「あいつ八百人のヤクザに取材したって自称してるんだ」
「まさか、そんなには会ってないでしょう」
「そうだよな」
「嘘八百ってやつじゃないですか」
 榎木が他の組織の上層部と仲良くしているという話は沖田も聞かない。組長クラスでわざわざヤツの相手をしてやっているのは、自分だけではないか。だからこそ、ヤツが書いた本には沖田から得たネタが多いのだろう。
沖田の見るところ、榎木が取材をしたヤクザの数はせいぜい多くて百人弱といった処か。しかしマスコミ一般のやり方からすれば、それも大した誇張ではない。仕事柄興行の人入りなどにも通じている沖田は、せいぜい二千人くらいだった興業の入場者が、新聞には「入場者一万人」などと書かれているので苦笑することがある。

 たどり着いた部屋のドアには「(株)タッカー」というプラスチック札が貼ってあった。とは言えそれには中身が無い。雑居ビルだから会社っぽい看板を掲げた部屋を多くした方がヤクザ事務所らしくなくて良かろう、という考えで適当に名前を付けただけのことだ。
 事務所っぽい扉の向こうには怒号が飛び交っていた。
 青野がノックして、「社長をお連れしました」と呼びかける。すると声はピタリとやんだ。扉が開くと、時が止まったようになった中、室内にいる者たちの視線は沖田に集まる。
 室内には四人の男がいた。両手を後ろ手にされ身動きできぬよう事務用椅子に縛り付けられた勤め人風の男と、それを囲んだ強面。
 部屋中心に座らされた男は、顔一面を赤く腫らしてうなだれている。左目は、どす紫色に内出血した瞼で塞がっていた。
 KO負けしたボクサーの控室といったところか。単純な打撃が加えられただけのようだ。樋口も案外芸が無えな。と沖田は思った。
 室はそんなに広くない。壁際には大きなファイル棚とモニター付きのパソコンが載った事務机が一つ。奥の窓から西日が眩しく照り付けていた。
 中に入った沖田は頭を下げてきた樋口に声をかけた。
「どうだ。反省しては頂けたかな」
「どうでしょう。自分はそういうのは分からないタチなので」
「そうだったな。じゃあコイツが立ち上げた会社が中身無しの空っぽだった訳は何と言ってる?」
「金藤商事から融資を受けるつもりだったが突然話が変わって断られた。自分も騙された被害者だと。もうしばらく待ってもらえば、必ず足りない分の金を工面して事業を回す。と言うんですがね」
「裏から金を引っ張ったにしては随分呑気な言い草だな」
 沖田は椅子の上で充血した片目を泳がせている男に向かった。
 小野寺は、見た目は一般人と変わらなかった。ドブネズミ色のスーツに紺のネクタイ。元はどういう風に整えられていたものか、整髪料がべったりついた髪はクシャクシャに乱れていた。
会社帰りのサラリーマンを、そのままさらってきたように見える。しかし中身はそんなにかわいいものではない。擬態が完璧な分、タチの悪い詐欺師もどき。油断すると、ゴキブリ並みにあちこちに現れる。沖田はそういう人間をたくさん見てきた。
 どうしようかな。と考えた。命をもらうのも馬鹿々々しいような小者に見えるが、かといってこのまま済ましては示しがつかない。タコ部屋に放り込んで埋まるような損失でもない。
 少し前だったら実験室行きにする手もあったんだがな。そう思い、ちょっと残念な気がした。
 沖田の組の系列には、数ヵ月前まで人体実験を行う薬学研究部門があったのである。
倒産した薬品会社の財務処理に絡んで研究部門の一部を傘下にしたのを機に、その中から見込みのある研究者を選んで編成したものだ。
とは言えその目的は、社会に役立つ病気新薬の開発などではない。目指す方向はまったく逆で、裏社会で扱う非合法ドラッグの効果の強化である。
純度が低くても使い勝手のいい効果をもたらすドラッグの配合や、快楽をより高める他ドラッグとの組み合わせ。そして何より、短時間で薬に嵌めて逃れられなくする効果の最大化。沖田はそれらを専門家に研究させてみることにした。結果は分からぬが、これを専門的に行った組織があるという話は聞かない。試してみる価値はあると考えた。
それに使用する実験の材料は、沖田の組が用意した。内臓でも売るしかないようなドン詰まりの屑はいつでもいるし、そういうヤツはどうせ先行きまともな目などない。実験でドラッグ漬けにされるのは、例え一時でも至上の快楽卿を彷徨える分だけマシというものだ。
その結果は上出来だった。コロンブスがうっかり床に落として割ってしまった卵のように、あっけなく成果が出てしまい、拍子抜けするくらいだった。
中でも最も上手く行ったのは、短時間で薬に嵌めて逃れられなくする効果の強化である。
それについては沖田にちょっとしたアイデアがあった。
人間をドラッグから逃れられないようにするのはドラッグがもたらす快楽と苦痛の落差である。そのうち快楽を高めるのは容易なことではないが、禁断症状の苦しさを強めるのは案外簡単なのではないか。単純に、苦しさを感じさせる遅効性の毒物を、麻酔効果のあるドラッグに混ぜればいい。
快感をもたらすドラッグが効いているうちは毒による苦痛を感じないが、効果が切れて禁断症状が出始める頃になると、身体に染み渡った毒は悪魔的な効果を現す。それをドラッグの禁断症状によるものと誤認させられれば、禁断症状が強力なドラッグを使用しているのと同じことになる。
この思い付きは医学を本格的に学んでいないが故の素人考えに近かったが、やってみると思いの他上手く行った。短期間で効果のある毒物の配合を見つけ出すことができた。誰もやろうとはしなかっただけで、そう難しい仕事ではなかったのだ。
毒の苦痛が重なって、いつもに倍する苦しみとなった禁断症状を、薬を使った本人は快楽をもたらすドラッグの反作用だと認識する。そして苦痛を消すために再びドラッグに走る。そのジェットコースターのような繰り返しが、奴隷のような依存を造り上げてゆく。そんなマニュアルが完成して行った。場面に応じ混ぜ込む毒の量を変えることにより、禁断症状の強さはいくらでも調節できた。「こいつは必ず薬に嵌めてやる」と思えば、極めて高い確率で、人間を薬の従属物に変られるようになった。
違法なドラッグは一度やったら終わり、などというのは嘘である。現にヤクザにはそれを試してみる者がかなりの数いるが、その中で廃人化する者は少数派だ。自制心が一定量あれば、どうしようもなくなる前に引き返すことは出来る。そうさせないようにするのには、それなりの技術が必要となる。
それを手にしたと思った沖田はほくそ笑んだ。この技術は簡単に安売りなどしない。ピンポイントで、これだと思った人間に対してだけ使用することにしよう。芸能人、財界人、警察官、政治家に至るまで。いったんドラッグに手を出させさえすれば、人間を好きなように操れる。それは組織の拡大を狙う上で大きな力となるだろう。
目的を達成すると、沖田は研究部門を解散させた。こんな金を食う部門は長く続けるものではないし、秘密を守るためにも速やかな閉鎖が望ましい。ほとんどの者は口止め料と脅しのセットで処払いし、最小限度の者だけをドラッグの専門家として組織に残した。三カ月前のことである。
目の前にいる軽佻な男は、過去に薬物実験室送りにした屑どもに似た雰囲気があった。快楽と禁断症状の間を彷徨わせながらゆっくりと破滅させるのに、丁度いい手合いのように思えた。半年前ならば、きっとそうしていただろう。
 運がいい野郎だ。
 沖田は右手を伸ばし、小野寺の草食動物めいた細い顎を掴んだ。顔を上向かせる。
 小野寺は顔を歪め、口の中で「ヒィッ」と小さく悲鳴を上げた。今にも首を刎ねられるのではないかと心配しているような怯えっぷりだった。
結婚式の新婦を思わせる純白の衣装に全身を包んだ悪魔のような男。どういう訳かそんな風に響き渡ってしまっている沖田の悪名は、この男にも伝わっているらしい。
沖田は顔を近づけた。
「何か言うことはあるか」
「す、す、すみません。お金は必ず用意します、本当です。神に誓って絶対、絶対に会社を動かして何十倍にして返します。嘘は言いません。絶対に・・・・・・」
 小野寺はどもりながらもゴキブリが足で床を掻くような早口で喋り散らした。
 「絶対」という言葉を簡単に使うヤツは、信用するにはあたらない。沖田は常々そう思っている。しかし、この場合はどうだろう。本気で殺されると思ったら、人間性には関係無く口走ってしまう言葉かもしれない。
沖田は面倒くさくなってきた。とりあえず、ここは一つ脅しておく場面かと思うが、何と言ったものだろう。
 目の前にある小野寺の腫れあがった顔肌は、焼き上がったばかりのアンパンを思わせた。
左眼は特に大きく膨れ上がり、カエルか未熟な胎児のようだ。眼球自体も変形しているように思えた。薄い外殻が裂け、そこからはみ出たぶよぶよな内容物。早く医者に診せないと、失明する恐れもありそうだ。
 しかし、沖田はその想像上の質感から、全く違った球体を連想した。同時に榎木の本にあった一節が頭に浮かんできた。
「ヤクザの口からマフィア映画のような気の利いたセリフが跳び出すことはまず無いのだ。お笑い芸人が口にするような、『耳の穴から手え突っ込んで奥歯をガタガタ言わせたるぞ』的なウィットのある文句が生み出されることも、未来永劫無いであろう」
 そんなことは無かろう。沖田はふと思いつき、この小さな不文律を、破ってみる気になった。心の中で少し嗤った。
 沖田は無意識に左手を自分の頬へやって、そこにある傷の凹みを人差し指で撫でた。そしてその指を前へ突き出して、小野寺の膨らみ切った瞼をなぞった。中にある球体を、優しく愛撫するように。
そして唇を少し舐め、ゆっくりと言った。
「もし約束を破ったら、どうなるかは分かってるな。この目ん玉を抉り取って、空いた眼窩に小麦粉汁を注ぎ込んでバーナーで炙ってタコ焼きを作ってやるぞ。それを三時のおやつにして食ってやる。オタフクソースと青海苔をかけたら、さぞや乙な味がするだろうぜ」
 自分でもちょっと面白い台詞かと思った。だから自然に笑みがこぼれた。他の者たちも多少は面白がってくれるかと思いきや、周囲は凍り付いたようにシンとしていた。小野寺は塞がっていない方の目を大きく見開いて、信じられない物を見たといったような顔をしている。それは当然としても、樋口とその直属部下たちが水を打ったように身を固くしているのは予想外だった。
どうやら外してしまったようだ。
小野寺は細かく身を震わせていた。片目の瞳孔は、怯え切って開いている。沖田が手を離すと、自由になった首を必死にコクコク縦に動かした。倍速再生のような動き。言葉をまともに取ったのか、歯の根が合わず声が出ない。
結果オーライか。こんな言葉を疑問も抱かずに信じてしまうところを見ると、俺は世間から余程極悪で狂的な人物と思われているとみえる。
沖田は何だか阿保らしくなってきた。
小野寺の傍を離れた。
「もういい。開放してやれ」
 言われた樋口は意外そうだった。
「いいんですか」
「ああ。今思い出した。俺は今日は機嫌が良かったんだ。コイツにはもう少しだけ時間をやろう」
 樋口は頷くと、傍にいる直属部下に合図をする。岩のようにゴツイ二人は身を屈め、小野寺が手首を後ろ手に縛られて事務用椅子にがんじがらめにされているロープをカッターで切った。
 自由になった小野寺に対し、沖田は新たに守るべき期限を告げた。小野寺は手首をさすりながら土下座せんばかりに感謝して、「絶対約束を守ります」と誓ってから、弾むようにして室を出て行った。
それを見送る樋口は微動だにしなかった。だが、梅雨時の小雨中を歩いてきた後の湿気のように、微かに体から漂ってくるものがある。
それを感じ取った沖田は欠伸まじりに口を開いた。
「この処分は不満か?」
「自分が見たところ、あいつは助けてもらっても心を入れ換えるようなタマじゃないですよ」
「分かっている。お前なんかよりもずっとな」
「すみません」
「とりあえずは泳がせてみよう。処分するのは後でもいい」
「しかし」
「しかし?」
「いえ。意見するようで何ですが、あいつは残った金をかき集めて逃げる可能性がある。その場合はどうしましょう」
「その時は掴まえて、適当に始末しておけ」
「分かりました」
 樋口は初めて納得したように頭を下げた。

 沖田は最上階の室に戻った。室は奥に長い長方形で、内部は豪華な応接セットのある休息部と、六つの机が並ぶ事務用部に分かれている。その間は曇りガラスの衝立てで仕切りがしてあった。沖田がこの雑居ビルを手に入れた当時、この室は全面に事務机が並ぶ平凡なオフィスだった。最上階にあり、幾分か窓からの眺めがいいというだけの理由によって、沖田はここを自室にすることにした。
 手前のオフィスはそのままに、奥にある机だけを排除して、代わりにいかにもヤクザが好みそうな高級調度を入れた。野暮を承知で暴力団事務所にありがちなモノを配置する。悪趣味を絵に描いたような虎の置物や鎧などの他、提灯や、任侠道のスローガンが彫り込まれた木板なども敢えて掲げた。そのアンバランスさが面白く、自分らしいかと思う。
手前の机では半堅気の職員に系列会社の事務仕事をさせた。毎日数人が、ここに出入りしてパソコンと睨み合っている。その端の方には沖田専用の机もあった。せいぜいが、二流会社の事務課長程度の簡素なものだ。だがその机上には高級パソコンと二百万円を超える値段の高性能CPUが置かれている。
 それで何かをやるということはない。他の者と差をつけるための一種の装飾品であり、ただ置いてみただけだ。沖田の仕事には、無意味な見栄が必要なこともある。馬鹿々々しい話だが、分かるヤツには分かる。それでいい。現にパソコンに趣味があるらしい榎木は、これを見て目を丸くしていた。値段ではなくて、こういう場所にあることが、随分と意外だったらしい。
 沖田は人と同じことをするのが性に合わない。本能的に凡庸を嫌う。だからハッタリを利かすにも、違うことをしようと考える。分かりやすく他を圧するように高級車に乗るなどということも必要だろうが、独自路線を主張した方がいい。そのため敢えて榎木のような者と付き合って、下らぬ記事を書かせたりもしている。最近はそのイメージが大きくなってしまって、沖田の方が驚くことがある。
いっそのこと徹底して、膨らんだイメージに乗ってみたらどうかと思わないでもない。徹底したハッタリで実像を覆い隠し、その裏で細心の注意を払って絵図を書いてゆく。成功する者は大胆で独創的だなどいうのは大嘘だ。少なくとも沖田はそんな神話を信じてはいない。必要なのは臆病なまでの用意周到さ。そうやって敷いた道を冷徹に、確実に辿れた者が浮上して行く。それだけのことだ。
それにプラスして一パーセントの霊感があれば、成功は約束されたようなものだろう。それが一番難しいのだろうが。
今目の前に並ぶ事務机には人がいない。今日は日曜なので、一般社会に合わせて仕事をさせている事務方は休みだ。沖田を警護する組員は隣の部屋に詰めている。あえて人を遠ざけて、廃墟めいた場所に身を置く時間を設けている。こういう空虚さを沖田は好んだ。
 沖田は奥にある衝立て向こうへ行き、応接セットのソファーに身を横たえた。ひじ掛けのクッションを枕にし、テーブルの端にあった本を再び手に取り開いてみる。
 しかし、もはやそれは睡眠剤以上の意味は持たなかった。
 腹がくちたせいもあって瞼が重い。沖田はゆっくりと目を瞑った。
 気を抜いていたら微睡んだ。そして、その中でうっかり思い出してしまった。榎木と会っていた時頭に浮かんでいだ「大型バッグの中に詰められていた男」の正体を。名前は梶本義明。歳は三十七。当時は妻と幼い子供有り。刺青は無いが小指は欠けた生粋のヤクザで、敵対組織の者だった。くだらん虚勢を張り続け、沖田を甘く見て手を出してきたのが運の尽き。この世界では、一生上がり目のない身の上となった。
あの後は、下の者にジッパーを閉めて山の中に連れていけと指示したはずだ。命まで取るつもりはなく、生き埋めにされる恐怖を味合わせるためだったが、部下はそれを実行したろうか。案外面倒くさくなってすぐに解放したかも知れない。律儀に実行していたら、あの下らぬ男は息継ぎが精いっぱいのバッグの中で一晩放置され、いかなる気分だったろうか。
 そんなところで意識が拡散し始め、世界が気怠く遠のいて行った。
 もし今敵対組織のヒットマンがやってきたら、俺を撃ち抜くのは容易だろう。そんな想像も、沖田にはむしろ心地よいものだった。

 榎木がお土産に持ってきたバッグを、沖田が再び思い出したのは、それから二日後のことである。
応接セットの椅子に座って昼飯の出前天ぷら蕎麦を食い終わった時、部屋の隅に妙な物があると気づいたのだ。うずくまった大型犬くらいの大きさをした、稲荷寿司のような形の物。それは色が黒いこともあって、不吉な影を沖田の意識に投げかけてきた。
一瞬後、何なのかを思い出した。こんな物をいつまでもここに置いていても仕方ない。そう思い立って始末をつけることにした。
内線電話の受話器を取って、下の階にいる者に言った。
「今手が空いている中で一番役に立たなそうなヤツをよこしてくれないか」
 そう命じたのは、本当にどうでもいい役をやらせるためだった。
 少ししてやって来たのは、いかにもな下っ端感を漂わせた若造である。ジャージ姿で坊主頭。野暮ったい眼鏡を団子鼻の上に乗せている。ヤクザ組織の一員というよりは、大学運動部の一年生というのが相応しい。確か一昨日に、榎木の本を持って来たのもこの男だった。
 沖田の前にきをつけの姿勢で立つと、精一杯に愛想笑いをする。何を勘違いしたものか、瞳を期待に輝かせていた。
 警戒心の無さに、子供っぽい面影が覗く。
コイツ、本当に二十歳を過ぎてるのか? 沖田は少々不安になった。こんなヤツでもプロフィールは覚えてしまっている。沖田はそれを確かめてみた。
「お前、名前は前山だったな?」
「はい。下の名前は蒼太っス」
「出身は栃木か」
「はいっ」
「歳は?」
「二十一っス」
 珍しく、歳は一つ間違えて覚えていたようだ。
 まあいいか。沖田は部屋隅にある百均のショッピングバッグを持て、と前山に命じた。自分で持ってもいいのだが、それではみっともなく見えかねない。この男はそんな見栄を取り繕うために呼んだに過ぎない。
 「ハイッ」と言って部屋の隅に進んだ前山は屈んでバッグを持ち上げようとし、力を入れ過ぎて身体のバランスを崩しかけた。パンパンに膨らんだ見た目から、重い物だと錯覚したようだ。
「軽いっスねえ」と照れ隠しでニヤついた。
「しっかり持って後についてこい」
 沖田はそう言うと、先に立って室から出た。

 沖田の組が本拠にしている雑居ビルは、雑多な建物が犇めく駅裏のオフィス街にある。裏には小さな稲荷神社と一体になった公園があった。ザリガニがいそうな池と赤い鳥居のある遊歩道。それにテニスコートほどの広場が付随していて、ちょっとした市民の憩いの場になっている。
どうした訳か、園内には鳩が多い。普通の公園はさほどでないのに、社があると途端に鳩が多くなるのはどうした理由からなのか。沖田は不思議に思っていた。社に所縁の者が餌をやっているとも思えないし、そもそも時代遅れの稲荷なんぞに、訪れる人はほとんどいない。
 空は水彩絵具を流したような蒼さで晴れ渡っていた。天空からの日差しが眩しい。
「いい天気っスねえ」
 前山は額に片手の掌をかざすようにして天を見上げる。
 沖田は広場のベンチに腰を降ろした。左に池が見渡せる。すぐ隣にもベンチがあるが、前山は腰掛けさせずに傍に立たせた。ジャージ姿の若造が大型のショッピングバッグを大事そうに抱えた姿は間抜けなものだ。ということは、つまり傍からはその隣にいる沖田も同類に見えるということだ。コイツを連れて来たのは失敗だったかなと思った。
 幸い、公園内にはほとんど人がいない。池に掛かった小橋の上を、初老男が一人ぶらついているだけだ。
 どうでもいい言葉が口をついて出た。
「お前、なんでヤクザになろうと思ったんだ」
「何となくっス。ビッグになる方法は、他に思いつかなかったっスから」
 前山は何も考えていないようすであっけらかんとしていた。
「そんなに簡単に出世できると思ってるのか」
「芸能人になるよりは可能性があると思ったんス」
「せいぜい精進しろ」
「ハイッ」
「死ななかったらいいこともあるだろ」
「ところで組長・・・・・・」前山はそう言いかけ、沖田に睨まれるとペコリと頭を下げて言葉を変えた。「社長、このバッグには何が入ってるんスか。随分軽いですけど」
「客人がわざわざ遠くから運んできてくれた物だ。大事にしてろ」
「麻薬とかじゃあないっスよねえ。それにしても軽すぎるか」
「冗談でもそんなことは口にするな」
「はあ。悪かったっス。反省します」
「気になるんなら開けてみろ」
「いいんスか」
 前山はパッと顔を明るくした。
「どうせお前の頭の中身程度のもんしか入ってない」
 前山はジッパーに手をかけて、焦るようにそれを引いた。まるで鯨の腹を切り裂いたように閉じ口が開き、中から緑や黄色の原色が氾濫する袋が姿を現した。中に詰められていたのは四十ばかりのスナック菓子の袋である。
「何スか。これ」
 前山はキョトンとしていた。
「知らないか。国内初のスナック菓子で、昭和の時代には人気があったもんだ。売れ行きが落ちて、今では関西でしか売られてないがな」
「これが俺の頭の中身なんスか」
「親近感が湧くだろ」
「もしかして頭が古いってことっスか」
「お前、昔の事なんて知らないだろ」
「歴史の授業は苦手だったっス。数学も国語も全部だったっスが」
「そういうとこだ。中に詰まってるのは空気ばかりってな」
 前山は少し考えて、意味を理解したようだった。芯から感心したように、
「うまいこと言うっスね。俺、この手の菓子が大好きなんスよ」
「食ってもいいぜ。一つ開けて味見してみろ」
「はあ。ごっちゃんです」
 前山はそう言ったが、あまり気が進まなそうなようすで、バッグから袋を一つ取り出して口を開けた。中にあるCの字を限界まで太らせたような形のやつを、一つ指でつまんで口へと運ぶ。カリッと齧った。バッグはハンドバッグのように左腕の肘に引っかけて持った。
「美味いっス」
「そうでもないだろ。安っぽいばかりで大して美味いもんじゃない」
「はあ。実は俺、チーズの臭いが苦手だったんス」
 前山は開けた袋のスナックがチーズ味なのに初めて気づいたように顔を顰めた。そして不思議そうに首を傾げて、
「しかし社長が嫌いなんだったら、どうしてあのライターの人はこれをこんなに沢山買ってきたんスかねえ」
 前山の足元には鳩が集まり始めていた。人間が食べているもののお零れを、もらえないかと期待して来たようだ。地上を歩いて三羽、四羽、五羽、六羽。さらに続々と上空を羽ばたいて近づいてくる。
 前山は自分を取り囲むそいつらを不安気に眺めた。
「何だか鳩もいっぱい集まると気持ち悪いっスね。人を襲おうとしているみたいで。昔そういう映画を見たことあるっス」
 この公園は、いったん鳩が集まり始めると、思いもかけない集団となることがある。今回も、そうなりつつあるようだ。沖田は頷き前山に命じた。
「袋を一つ開けてこっちによこせ」
「チーズ味がいいっスか。出汁醤油味がいいっスか」
「どっちでもいい」
 沖田は差し出された出汁醤油味のスナックを受け取ると、口が開いた袋の中を覗き込んだ。
 犇めくように詰まったスナックは薄灰黄色で、本当にニョロニョロした脳の襞を連想させる処があった。表面にふられた脂ぎった粉は、死体の脳梁に生じた黴胞子のようだ。
そのスナックを指先で触わる。すると、バタバタと地上を掃くように羽ばたきをして沖田の元にも鳩が集まった。目につく処にいる鳩は、もう三十羽くらいになっただろうか。
 沖田はスナックに触れた指を引っ込めると、少し身を乗り出した。そして袋を持った右手を大きく一振りする。大男の横っ面を裏拳でひっぱたくような動き。中に詰まっていたスナックは一気に宙に舞い、残らず地面に散らばった。
 それと同時に起こった現象に、前山は目を丸くした。
 三十羽からいる鳩たちは、地面に散らばる獲物に向かっていっせいに襲いかかったのだ。
 それは、天地をひっくり返したような騒ぎだった。ゴール前で足元のボールを奪い合うサッカー選手のように、鳩はC型に膨らみ丸まった形のスナックを追う。そして即座に嘴でつつく。軽くて丸っこいスナックはその勢いで弾かれる。その時嘴で削り取れたスナックの部分はほんの僅かで、耳滓ほどの量に過ぎない。それに苛立ち怒るように、鳩は転がるスナックを追い、再び嘴でつつく。スナックはさらに遠くへ弾かれる。さらに狂乱してそれを追い、さらに激しくつつくの繰り返し。たちまちそれは青天井にエスカレートし、翼が乱舞し鳥脚は躍り、嘴は狂気のピストン連射機械と化す。修羅場の様相を呈した。
 この期を逃したら、もう二度と食事にはありつけないと思っているかのようだった。
すべての鳩が狂乱の最中にある。どんな団体スポーツも及ばぬ激しさで、足元を逃げるスナックを追いかける。まるで餓鬼亡者の群れが地面に零れた米にむしゃぶりつくようで、浅ましいと言う他ない。
沖田はそれらを眺め、ゆったりとベンチの背凭れに身を預けた。
「ちょっと面白い眺めだろう。万札に群がる人間たちのようで」
「本当っスねえ」前山は感心し、目をキョロキョロさせながら、「渋谷の交差点にビルの上から十億くらいぶちまけたらこんな感じかもしれないス」
「このスナックのことを、『鳩の餌にすると面白いんだ』と、いつか榎木に言ったことがある。そうしたら、ヤツは大型バックいっぱいに詰め込んで持ち帰ってきた。馬鹿じゃねえのかな」
 沖田は全身の力を抜いて、顔を上向けた。
 空は一点の曇りもなく晴れ渡っていた。透き通る蒼さに吸い込まれそうだ。空気だけではこれだけの蒼さにはならないように思えた。まるで天空を水の層が覆っているかのようだ。地球を包んだ大気の層は、水をたっぷり詰め込んだ風船のように膨れ上がっている。
 銃弾を一発撃ち込んだら、それをきっかけにして天球が弾け、落ちてきた水流で世界が崩壊してしまうのではないかという気がした。
 天に唾する以上の力が今の自分にはある。自ら破滅する覚悟がなければ決して行使できないものだとしても。沖田はそんな想像を楽しんだ。
そして視線を下向けると、それと対成す足元には近視眼的に食物を追いかけ続ける生き物の群れ。空を飛ぶ能力を持っているのに下ばかりを見、吹けば飛ぶような物に固執している。それは人間の営みの醜さを象徴するようで、皮肉な感慨を覚えさせられる。
 ヤクザが食い物にするのはこういう連中だ。俺はこの鳩共に養われているようなものかもしれんな。
 沖田は自分の頬に手をやって、そこにある傷をゆっくり撫でた。最近はこの動作が癖になりつつある。
ふと思った。この傷をつけた奴は、今頃どうしているかと。どうせ碌な目に合ってはいないだろうが、逞しく生きてはいるはずだ。殺しても死ぬようなタマじゃない。塀の中の経験を肥やしにして、一回り大きくなって出てくるのかどうか。
楽しみな気がしないでもない。
確か榎木の本にもそんなことが書いてあったな。「やり手ヤクザは刑務所内で自分を磨く」か。しかし奴には、本を読んで教養を身につけるような神経はない。原始的で、野蛮そのもの。血の臭いを漂わせ、人類が暴力でしか問題を解決しえなかった幸福な時代のエネルギーに満ちている
何もかもが自分とは正反対であり、だからこそ気にかかる。ひょっとしたら、俺はあいつに憧れているのかもしれんな。今では比べる対象にはならないくらい差が開いてしまっているが、一度だけ命が交差した接点において、俺とやつとは相似形だった。
 沖田はふと、記憶の中にあるその男が巨大な影となって覆いかぶさってくるような錯覚を覚えて視線を戻した。
沖田がいるベンチの後ろに、大きな男が立っていた。
 組幹部の樋口だ。その後ろには、樋口の片腕の工藤がいる。
「何だ」
「報告しなければならないことがありまして」樋口は潰れた声でボソリと言うと、ベンチの前に回り込んできて正式に沖田に頭を下げた。「おはようございます」
 樋口は、夜以外の挨拶をすべて「おはようございます」で済ませる。融通という言葉は、薬にしたくても無い男だ。
「何があった?」
「一昨日締め上げた小野寺なんですが、やっぱり金を集めて逃亡しました」
「そうか」
 沖田は意外とは思わなかった。むしろ「だろうな」と頷く気持ちが強い。なのに猶予を与えたのは、ここは泳がせた方がいい、という直勘が働いたからだった。
沖田は自分の無意識を信頼している。理性が下した判断に対し、第六感がハッキリ「違う」と言ってきた時は、十中八、九そちらの方が正しいのだ。それに迷わず乗れるのが、自分の一番の長所かと思っている。
理性も優れている自信はある。その気になれば誰よりも緻密に計算できる。ほとんどの場合はそれが最適解である。しかし、それだけで地雷原を歩き、遥か先の目的地に到達できるとは思っていない。
不思議なことに、その無意識は今でも「これでいいんだ」と囁いてきている気がした。
沖田は先を促した。
「で?」
「逃げたのは昨夜です。今朝掴まえて、山の中に埋めてきました」
「ああ」
沖田は、「始末をしておけ」と命じていたのだった。樋口のことだから忠実に実行したのだろう。
「ご苦労。余計な手間をかけさせてすまなかったな」
「いえ。で、例のものはどうしますか」
「金か。元に戻しとけ」
「いえ。もちろんそうしますが、それとは別で・・・・・・」
樋口はおずおずと後ろを振り返った。そこには黒いボストンバッグを手に持つ工藤が立っている。樋口が顎をしゃくると工藤はジッパーを開け、中からビニールパックを一つ取り出した。スーパーで総菜などを入れるのに使うやつだ。中には歪な形をしたものが幾つか詰まっている。表面は汚らしい感じで黒焦げになっている。焼いて球形に近づけようとしたのが失敗し、自重でぐゃっと潰れたような感じのものだ。一部には冷えかけた溶岩のような裂け目があって、そこからは、白い粘着物が覗いている。
輪ゴムでパックの口が閉じられて、割り箸が一つ挟んであった。樋口はそれを手に取ると、申し訳なさそうに沖田に差し出した。
「どうも上手く出来なくて。まともな形には焼けませんでしたが・・・・・・」
 受け取った沖田は、最初何のことやら分からなかった。
 パックの中に詰まっているのは、どうやら小麦粉を水に溶かして焼いたものらしい。焦げて消炭のようになった部分と、生焼けの部分の差が激しく、大きさもバラバラだ。
 幼児が初めて作ったように稚拙なものである。
「何だこれは」
「ソースや薬味も別に持ってきています。それもお出ししますか」
 そう聞いてようやく思い当った。沖田は小野寺を脅すのに、非常識な文句を使っていたことに。樋口はそれを、まともに取っていたというのか。
 思わず声のトーンが下がった。
「・・・・・・本当にやったのか?」
「はあ。一応、言われていましたので・・・・・・」
 沖田は樋口の顔をしげしげと見直した。
 マジックインキで書いたような太い眉に剛直な獅子鼻。武骨そのものの顔立ちだ。芸を忘れたサーカスの熊のように決まり悪げに、大きな躰を小さくしていた。
再びおずおずと口を開いた。
「必要無かったですか?」
「いや・・・・・・」
 沖田は自分の手の中にある黒焦げのものをじっと見つめた。表面の消炭みめいた焼け焦げは、沖田にはお馴染みの粘り気のある赤い液に、業火を充てた結果なのだと気づいた。それは店で売られる物と同じように二列に並べられ、四つづつ、計八つにまとめて律儀に詰められている。
 生真面目なことだ。そう思うと、嗤いがこみ上げてきた。それは腹の底からのうねりとなって、沖田の全身を揺すぶった。樋口たちに押さえつけられて、地獄のような拷問を受けて悲鳴を上げている小野寺の姿がイメージされた。翅をバタつかせて逃げようと藻掻くゴキブリのような姿。この上ない皮肉ではないか。
自分に向かって問いかけた。無意識世界にいる、俺が知らない俺自身よ。信頼する第六感よ、お前はこれを見通していたのか。俺より遥かに優秀なお前は、これを求めていたのか。この方向へ進めと言うのか? 徹底的に悪を志向して、人外の残虐を行うことをも厭わない。むしろそれを愉しんで、狂気の伝説を造り上げてゆく。それが周囲の畏怖を高め、成功していく道だと?
空の蒼さと共鳴するように、横隔膜が痙攣し始めた。それは次第に大きくなって、口から溢れる音となった。こんなに手放しで笑ったことは、ここ数年は無かった気がした。
 樋口はそんな沖田を戸惑いの目で見ていた。
 少しし発作が収まって再び口を開く時、沖田は意識して声に力を込めた。
「確かに必要は無かったがな。しかし、お前のそういう処は好きだぜ。感謝する」
「ありがとうございます」
「しかし食う気にはならねえかな」
 沖田は地面にいる鳩たちを見やった。つついてもほんの僅かしか削れないにも関わらず、地面に散らばったスナックはほとんど無くなろうとしていた。鳩はさらに増えたようだ。物質消失の手品を見ているようである。
 触れるだけでも気色悪いパックを樋口に返した。
「鳩にでもやっとけ」
「はい」
 樋口は即座にパックを閉じた輪ゴムを外し、中に入った物を足元に落とした。
 たちまち腹を満杯にし切れなかった鳩たちが集まる。鳩にとっては、先に撒かれたスナックと何も変わらぬ食物に過ぎない。小麦粉汁を熱した成れ果ては、つついてもスナック菓子のように逃げ回ることはなく、ぐずつき柔らかく崩れて鳩の胃にすぐ収まって行った。
「なあ樋口」
 沖田はちょっと、教訓がましいことを言ってみたい気分になっていた。
 自分らしくはないとは分かっているが、それでもそういう時はある。
「人生ってのは何だと思う?」
「考えたことも無いです」
「俺が過去に出会った中で印象的だった、ある男が言ってた。『人生ってのは糞だ』とな。そうは思わねえか」
「そういう難しいことは自分には分からないですが」
「そうだな。分かる必要もない。お前はそのままでいい」
「はい。・・・・・・それと、もう一つ報告があります。新しく組に入れたい者がいるので紹介したいんですが」
 樋口は沖田の後方へと視線をやった。はるか遠くへ。沖田がその方向を振り返ると、その先には一人の若者が立っていた。公園の入り口で、おあずけを食った犬のように手持無沙汰にしている。
 スポーツウェア姿だった。沖田の横にいる前山が着ているジャージとは雲泥の差がある洒落たもので、着こなしも決まっている。その内にある肉体は、外側にたがわぬ機能の高さを予感させた。
 樋口はその若者に、「おいっ」と声をかけて手招きした。
 スポーツウェアの若者はよく訓練された警察犬のように俊敏に動き、小走りに走ってベンチを回り込み、樋口の横にやってきた。
 二十代前半。近くで見ると身体はそう大きくない。しかし物怖じする気配は全く無かった。顔立ちは小綺麗にツルンとしている。やれと言われれば涼しい顔をして、何百回でも腕立てやスクワットが出来そうな感じがした。負けた経験のない若者だけが持つ、特権的に不遜なオーラを発散させていた。
 おそらく自分がそんな印象を他人に与えていることに、本人は気づいていないだろう。
 いい面構えだ。と沖田は思った。
「こいつはレスリングをやっていて、一時はオリンピック候補になりかけたくらい実力があるんです。だが素行が悪くて上と喧嘩して、コーチをぶん殴って自分の処へ来た。役に立つと思うんですがね」
 樋口が促すと、若者はこの時を待っていたとばかりに口を開いた。
「石里と言います。喧嘩だったら誰にも負けません。頑張ります」
 沖田は静かな口調になって、
「この世界の喧嘩は格闘競技とは違うぞ」
「分かってます。武器を持った相手を叩きのめしたことも何度もあるんで」
 石里は自信満々にニヤリとした。
 全然分かってねえな。沖田は心の中で苦笑した。まあいいか。時間が経てば悟ることだ。
 気がつくと自分の片頬に手をやっていた。この若造は、この傷をつけた男とタイマン勝負できるところまで、成長してくれるだろうか。微妙なところか、という気がした。
 横に立っている前山に声をかけた。
「お前の後輩が出来たぞ。先輩らしく持っているバッグの中身を一つ分けてやれ。残りは全部お前が食うんだぞ」
 前山は目を丸くした。
「ええっ、今一度に全部食うんスか」
「そんなことは言ってないだろう。お前にやるといってるんだよ」
 沖田はベンチから立ち上がった。
「祝いがスナックだけってことはねえな。飯でも食いに行くか。この近くにある中華屋は餃子が美味い。中国では餃子はめでたい時に食うもんだそうだ。酒でも飲みながら摘まむことにしよう」
 そうは言ったものの、腹は減っていない。昼食の天ぷら蕎麦を食ってから時間が空いていないのだ。だが餃子なら、何個かは食えるだろう。
「ところでお前、腹は減ってるか?」
 新組員に水を向けると、石里は不敵な面構えで、
「餃子だったら八十個まで食ったことがあります」
「そうか」
 沖田は公園の出口へ向かって歩き出した。その後を四人の男がゾロゾロついて来る。泥にまみれたハイエナの群れを従えているようだ。
 公園から出る前に、沖田はもう一度だけ空を見上げた。
 天はあっけらかんとして、底が抜けたように晴れ渡っていた。
 その、気が遠くなりそうな青味の下を、鳩が羽ばたき飛び散って行った。
                
               了

鳩と青空

執筆の狙い

作者 中村ノリオ
flh2-122-130-109-65.tky.mesh.ad.jp

ピカレスクです。
自分でも価値がいまひとつ分からない作品。
「ヤクザ500人とメシを食いました」「極道の裏知識」鈴木智彦著を参考にさせていただきました。

コメント

神楽堂
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>中村ノリオさん

読ませていただきました。
「ピカレスク」ってなんだろう? と思って検索してみました。

英辞郎というサイトでは、
>スペインを発祥とし、17~18世紀にヨーロッパで流行した小説のジャンル。悪漢のヒーローが冒険を繰り広げるもの。庶民の日常生活が写実的に描かれ、風刺とユーモアにあふれたものが多い。


WIKIによると、
『ピカロ ―グスマン・デ・アルファラーチェの生涯―』という作品が
>ピカレスク小説の雛形
として紹介されていました。

WIKIから引用
>ピカレスクの語源はマテオ・アレマンの『ピカロ ―グスマン・デ・アルファラーチェの生涯―』の「ピカロ」から。
悪者と訳されるが、単なる悪い人ではなく、この小説の主人公グスマンのように、
・出生に含みのある表現がある(ユダヤ系や娼婦の子であることを暗喩しているものが多い)
・社会的には嫌われ者である(が、キリスト教的には慈悲を施すべき対象)
・食べる(生きる)ために罪を犯したり、いたずらをしたりする
というような特徴を持った者のことをピカロという。
『グスマン』では犯罪を繰り返す非道徳的な話をしながらそれを中断し、道徳的な訓話を挿入するというバロック的な対比をみせている。
そして批判的な叙述はよりユーモアに溢れる一方で、より悲観主義の傾向を強めてゆく。

とのことです。
日本のピカレスク小説 という項では(以下、WIKIから引用)

>日本のピカレスク小説も上述してきたような性格付けを受けた人物を主人公や重要人物として物語が展開される。
このような人物が、暴力・犯罪の現場や経済市場などにおいて、時に激しく時に華麗に、一般的に悪と言われる行為を行ってゆき、一度は成功を収めるものの、結末において零落・破滅するのが和製ピカレスクの基本フォーマット。
他方、主人公の悪漢が巨悪や猛悪に立ち向かうという構図で描かれる物語の場合、主人公が行う悪の行為は、結局は「正義のイメージ」のみを持ち、結末に至っても主人公が生き残るというパターンが、かなりの割合で存在するのも和製ピカレスクの大きな特徴。

とのことです。
私は実際のピカレスク小説を読んだことがないのですが、
おもしろそうなジャンルですね。

で、中村ノリオさんのこの作品が「ピカレスク」なのかどうか、
執筆の狙いを達成できたかどうかは、
私自身がピカレスクに詳しくないため、なんとも言えないです^^;

ピカレスクというより、「やくざもの」の作品として読ませていただきました。

あ、私が知っている「やくざもの」の作品は、コミックではあるのですが、
『代紋TAKE2』
は全巻むさぼるように読みましたw
めっちゃおもしろかったです。

あと、北野武作品の映画『アウトレイジ』シリーズも好きです。


では、中村ノリオさんの『鳩と青空』の感想です。
まず、ヤクザの日常やシノギについて書かれた本を読んで参考にしたとのことで、それなりのリアリティはあったように思いました。

冒頭部分ですが
>榎木の話が本当にどうでもいいものだったからである。
とあるのですが、どうでもいい話を聞いているシーンから始まるというのは、読者を引き込むにはちょっと弱いかなと。
しばらく読んでいくと、おもしろそうなネタが出てくるのですが、そこに行き着く前に読者が離れてしまうかも、と思ってしまいました。

>「報告があります。ちょっといいですか」樋口はおずおずと頭を下げると、ソファーにふんぞり返っている沖田が小さく頷くのを待ってから報告を始める。榎木の姿などは眼中にないようすで、「小野寺の奴を下の部屋に連れて来たんですが。どうしましょう」
>「どんなようすだ」
>「シラをきって、自分は何も知らないの一点張りです」
>「ふん。適当に締め上げとけ。俺は後から行く」

このあたりから、いかにもやくざものっぽくなって、私は興味をそそられました。
このシーンを冒頭にもってきて読者にインパクトを与えてから、沖田が言うところの
>本当にどうでもいい
榎本との会話を出せば、さっきの捕まった人はどうなるんだろう? と読者は気になりながら、読み進めてくれるように思いました。

東大医学部出身のヤクザというのは、おもしろいですね。
なにかのやくざものの漫画で、一橋大学出身のヤクザが出てくるのがあったのですが、こういうギャップのあるキャラは、小説の登場人物として魅力的ですよね。
ただ、国立大学であれば医学部でも文学部でも、入学金や学費は同一なので、医学部だから学費が高いということはないですし、経済的に苦しいのであれば奨学金もあります(東大が、実は“東海大学医学部”なら、卒業までの学費は3500万円もかかりますけどね^^; 私大の医学部は、国立大の10倍くらいかかります)。
大学を退学した理由は、経済的な問題はきっかけ程度にして、ヤクザの世界で自分の才覚を現したかったというものにしてもよかったかもです。
せっかくの魅力的な登場人物なのですから、その頭の良さを活かすシーンをもっと取り入れて欲しかったな、とも思いました。

ドラッグの開発のために人体実験するというネタもユニークだとは思いましたが、今は規模を縮小しているとのことで、物語の主軸にはならず、中途半端な扱いになっているのももったいない気がしました。


>「ヤクザの口からマフィア映画のような気の利いたセリフが跳び出すことはまず無い」

榎本のこの言葉に反抗するために、沖田はたこ焼きネタを言ってみたところ、ウィットではなく、文字通りに部下に受け止められてしまう流れは、伏線もあり、物語としての構成のよさを感じました。
なので、もっと掘り下げたらもっとおもしろくなると思います。
つまりは、なぜ榎本の言葉に反抗してみたくなったのか。
沖田が榎本に対して、反抗してみたくなる動機が欲しかったですね。
で、結局のところ、沖田は敗北というか、ウィットにはならなかったわけですから、そこを振り返る記述も欲しかったところです。

> 沖田はちょっと、教訓がましいことを言ってみたい気分になっていた。
> 自分らしくはないとは分かっているが、それでもそういう時はある。

ここの心情描写は、もっと書き込めたと思います。
つまりは、自分のウィットが通じなかったわけですから、どこかで自己肯定感を回復したいわけですよ。
で、部下に教訓を語ってみたくなった、とそういう流れを描いて欲しかったです。

ラスト、急に組員が増える場面で終わるのもよく分からなかったです。

物語全体を通した一貫したテーマ、あるいは主人公の葛藤やその解決があいまいな感じがしてしまいました。
とてもおもしろい要素が満載の作品なだけに、そこがもったいなかったかな。

と、いろいろ書いてしまいまたが、やくざものの作品はおもしろいですね。
なんだかんだで最後まで読んでしまいました( ღ'ᴗ'ღ )
読ませていただきありがとうございました。

京王J
M106073002160.v4.enabler.ne.jp

↑はなりすましです笑

おやめくださいませ笑

中村ノリオ
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神楽堂様。コメントありがとうございます。

ピカレスク。私は単純に悪漢小説と解釈して書いてました。当たり前ではありますが、ちゃんと歴史や発展した経緯があるんですね。

いろいろ細かい所を指摘していただき参考になりました。「やくざもの」に詳しい人からの感想は、私にとっては貴重なものです。周囲を見てもミステリーやSF以上に理解してくれる人が少なそうな気がしていましたので。

〈国立大学であれば医学部でも文学部でも、入学金や学費は同一〉
はい。医学部の方が高いのかと思っておりました。奨学金制度についても詳しくなくて、またどこからか「しっかり調べろ」というお叱りの声が飛んできそうですね。

この作は以前に書いた中編の前日談スピンオフ作品になります。中編では刑務所から出てきた「沖田の頬に傷をつけた男」が主人公で、沖田は敵役として出てくる。そういうこともあって曖昧になってしまっている部分はあるかと思います。
本当はそれではいけないんですが。

最期に出て来た新組員石里は中編にも出てきて主人公と戦いたがっていた男。沖田の組織が拡大して行くのを暗示する意味でも良いかと思って出してみたのですが、あまり効果はあがっていなかったようで反省させられました。

読んでくださってありがとうございます。

中村ノリオ
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京王J@水間ノボル様。コメントありがとうございます。

面白く読んでいただけたのなら良かったです。いろいろと微妙なところがある作品なので、どのくらいの人が面白がってくれるのかと心配していましたので。

読んでくださってありがとうございます。

中村ノリオ
flh2-122-130-109-65.tky.mesh.ad.jp

京王J様コメントありがとうございます。

ご指摘が無かったら、私もこの人は京王Jっていう人なのかな? 違うのかな? と迷っていたかと思います。

大河と隻餓孕
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おつかれさまでしたあ。

中村ノリオ
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大河と隻餓孕様。コメントありがとうございます。

しまるこ
133.106.244.48

> 自分でも価値がいまひとつ分からない作品。

確かに、読者にとっても、価値が見えづらいところはあるかもしれません。

以前のヒューマロイドのお話は中村さんの作品だったでしょうか?(違っていたらすいません) あれは価値がとてもはっきりしていましたが、それと比べると、今作は全体的にチグハグしているような気がしました。伝えたいドラマや目的が明確にあるかどうかの違いですかね。

登場人物の設定が複雑なだけに、それの処理に追われている時間が長かった気がするのと、それらの散発的なシーンをどれも丁寧に書きすぎているような気がしました。どれも映画のワンシーンのように情景は浮かぶのですが、具体的に書き過ぎることによってエネルギーが分散されてしまっているように感じました。そのため少し迷子になってしまって、話の中心がどこにあるのか、どこを追っていったらいいのかという読者への視線誘導の見直しが必要な気がしました。これらのシーンが中心に向かって緊密に結びついているとは思うのですが、一本の柱のようなものの存在を強くしてほしいと思いました。ヤクザものらしく、あるいはヒューマロイドの話のように事件性やミステリーを扱うのが得意な作者さんらしく(違っていたらすいませんw)、その辺りを絡めながら物語を綴った方が、作者さんの長所が出るような気はしました。

>人間をドラッグから逃れられないようにするのはドラッグがもたらす快楽と苦痛の落差である。そのうち快楽を高めるのは容易なことではないが、禁断症状の苦しさを強めるのは案外簡単なのではないか。単純に、苦しさを感じさせる遅効性の毒物を、麻酔効果のあるドラッグに混ぜればいい。

この辺りの話は興味深く、そして、いちばんショッキングでインパクトがあるのは、眼球をたこ焼きのように焼いているところだと思いますから、この辺りを冒頭に持ってきて興味を持たせてから、事件を追いながら人物や背景を明らかにしていく方が緊張感が生まれるのではないかと思いましたが、ピカレスクという実験をやりたかったのであれば、それは作者さんの好きにした方がいいところだとは思います。最初、ヤクザがたこ焼きを食べているところから始まるのは可愛らしくて、その後の眼球を焼くのもたこ焼きを見立てていることから、この流れはいいとは思ったのですけれども。

部分部分が上手く全体的に高水準なだけに、三点リーダが全角なのは浮いて見えてしまうので気になるかと思います。

夜の雨
ai202222.d.west.v6connect.net

中村さん「鳩と青空」3分の1ほど読みました。

現状ではどの方向に向かっているのかわかりませんが、やくざを取材している男も絡んでいて、「普通のやくざ小説」とはちょいと味付けが違うなぁという感じですが。

ラストまで読んでどこに着地するのかといったところですかね。

ちなみに「ピカレスク」ということでカタカナ語のイメージとは、雰囲気が違うような世界では。


12日中には読めると思いますので、ラストまで読んだら感想を書きます。

中村ノリオ
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しまるこ様。コメントありがとうございます。

私は前回アンドロイドが出てくるミステリーを投稿した者です。ミステリーを中心に、理屈っぽくひねくれた作品を書いています。


この作品の目的は主人公沖田のキャラクターを浮き立たせること。どうして彼が異常な残虐性を持つ人物として恐れられるようになったのか。そのきっかけのエピソードを描くことでした。そのために細部はあえて雑多に設定してあります。
しかし出来上がってみると話がばらけていて「はたしてこれは読者に伝わるのかな」と不安を感じたりもしていました。
エンターテインメント性を重視するならもっと視線誘導の柱をはっきりさせるべきというのはその通りかと思います。しかしこの作品に関しては逆の書き方をしてみたかった。ご指摘の通りで、ある程度は実験をしてみたかったというところはあります。
その結果は、やっぱりイマイチだったのかなと。

なお、ドラッグに遅効性の毒を混ぜるというアイデアは私の独創ではありません。治安の悪いどこぞの国では本当にそういう手口を使う組織があるらしいんです。私が見たテレビ報道が本当であればの話ですが。

三角リーダーが半角、というのは意味が分かりませんでした。文の書き出しが一文字空けになってないところが多いというご指摘でしょうか。
実はこれには訳がありまして、ワードの文章を貼り付けるとこうなってしまうんです。そして一文字でも修正しようとするとピョーンと画面が文章最後尾の枠外にまで跳んでしまうという奇現象が起こる。ワード文書を書式なしにしてから貼ると大丈夫だといったんは分かって前回はそうしたんですが、今回は書式なしにしたと思った文書がそうなってなくてまた迷路に入ってしまってあきらめた。
見苦しくてすみません。
読んで下さってありがとうございます。

中村ノリオ
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夜の雨様。コメントありがとうございます。

夜の雨
ai226221.d.west.v6connect.net

「三点リーダ」の使い方。

三角リーダーが半角、というのは意味が分かりませんでした。文の書き出しが一文字空けになってないところが多いというご指摘でしょうか。

>三点リーダが全角なのは浮いて見えてしまうので気になるかと思います。<

>「いえ、僕は・・・・・・ありがとうございます。
>「ところで組長・・・・・・」

上は作者さんが使い方。

●下記が一般的です。

>「いえ、僕は……ありがとうございます。
>「ところで組長……」

「てん」、と打ち込めば「…」一つ出るので、二つ続る。「……」


私の感想は午後にでも。

夜の雨
ai201193.d.west.v6connect.net

「鳩と青空」読みました。

昨日の時点で三分の一読んで、どの方向へと物語が進んでいるのかがわからんなかったのですが、そのあとラストまで一応目を通しましたが、御作が何だったのかがわかりません。題材(テーマ)などがわからないという事です。
やくざの世界が描かれていた、一つ一つの場面はわかるのですが。
で、何が問題なのかというと、題材(テーマ)と、それに向けた構成力ではないかと。
起承転結の物語を書いているのですよね。
ところが、物語が展開して進んでいるようには思えませんでした。

これは登場人物たちが目的に向かって進んでいるようには思えないので、物語があいまいになっているのでは。

各人物のキャラクターはわかりますがね。
物語の方向性がわからない。

中村さんの作品は何作か読んでいますが、今作が一番「あやふや」でした。
惑星でへんな怪物が出て来るやつとか、アンドロイドが資産を贈与する話とかは方向がはっきりとしていましたが。

「ピカレスク」こういうのを書く場合は、一つの組織のやくざのトップを描くよりも一匹狼的な人物を描いたほうが描きやすいと思いますが。
一つの組織のやくざのトップを描くと、どうしても周囲の関係者との上下とか描く必要が出てきますので、統制がとりにくくなるのでは。
すそ野が広がるので、「薄く広く」の世界になるという事です。
それよりも一匹狼的な人物の「ピカレスク」にすると、その人物を深く濃く描けるのではないかと。
そうすると、物語がわかりやすくなる。


お疲れさまでした。

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途中でリタイアです。

冒頭の描写から、ちょってなに言ってるかわかんない的で理解するのに苦労しました。このような小説は早い段階で読者を惹き付けるのが肝心なんですが、地の文が複雑すぎて読みにくいし、スピード感がないんです。

地の文を大幅にカットし、会話文の間にそのような描写を入れ込んだら良いかと。

・・・

「……で、なんだ?」
沖田は榎木の話がどうでもいいものだった。凡庸そのものの、聞くに値せぬお愛想。しかもどこか得意気である。コミュニケーション能力に自信があるのだろうか。が、確かにヤクザによくいる体育会系武闘派あたりなら、気を良くしそうなご機嫌の取り方ではあった。

「ですから、大阪方面でくすぶってる抗争の話ですよ。向こうは中々大変らしいですね。今は警察の締め付けが激しいから、先に手を出した方が負け、みたいな状況になってしまっているんです。挑発合戦になって、ピリピリしているから取材してもいいネタが得られなくて。困りました」
榎木はようやく獲物がかかってきたと思い、ホッとした顔になって言った。

「そうなのか。情けねえ連中だな。ヤクザは戦ってナンボだろうに」

云々……

・・・

てな感じで。

中村ノリオ
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夜の雨様。コメントありがとうございます。

三点リーダーというのは「・・・・・・」のことなんですね。教えて下さってありがとうございます。よく考えればネットで検索して調べればよかったですが、どういう訳か私の頭にはそう言う考えが浮かびにくいようです。

この作品は起承転結を意図したものではありません。
自分の作風とは逆に、そういったものをさして意識せずに場面を切り取ることに主眼を置いて書いてみた。だから自分としては実験的だったんです。
キャラクターとヤクザの世界が描けていればそれで良いかと思って執筆していました。
しかし文学作品ならいざ知らず、エンタメ系のヤクザ物などでこういう書き方をすると読者に不満や戸惑いを感じさせるところが大きいらしい、と勉強させてもらった気がしています。

今後も投稿をしていく予定ですので忌憚のない意見をいただけたら有難いです。
ありがとうございました。

中村ノリオ
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凪様。コメントありがとうございます。

私の作品は会話が多すぎると言われることが多いんですが、地の文が多くても批判される。難しいものですね。
アドバイスしてくださってありがとうございます。

fj168.net112140023.thn.ne.jp

ピカレスクということで、叙情的、或いは知的な表現に拘りたいのはわかりますが、それを一気に続けず、会話と会話の間に差し込んでいきながら、徐々に読者をその世界観に導くというのもひとつのテクニックです。

中村ノリオ
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凪様。再訪ありがとうございます。

序盤に関しては他の方も読みにくさを指摘しておりましたので、もう少し読みやすく作品に入って行きやすくできないか考えてみたいと思います。

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