鬼が創られるまで(ごはん用)
Ⅰ、千方駆ける
皆が寝静まった深夜、木を細く割って炭火で炙って黒く焦がし、手元を紙で巻いた脂燭(しそく)を持って、千方は舘を出た。村外れに銀杏の大木が有り、その下に馬一頭と人影がひとつ。
「お待ちしておりました」
千方が近付くと、人影がそう声を掛けて来た。五郎左である。
「待たせた。異変は無いか?」
と、千方が問うと五郎左は、
「はい。何事も」
と答える。
「松明を点けよ。武蔵路まで先導してくれ」
「かしこまりました」
千方が乗馬すると五郎左は松明に火を点け、そのうちの一本と手綱を千方に渡す。そして、先に立ち無言のまま歩き出した。一月半ばであるが、新暦で言えば二月半ばとなる。凍て付くような寒さに加えて、北風が吹いている。その風が時折強くなり、馬上で身を屈めている千方は身震いする。指先が千切れるように痛む。薄雲が掛かった夜で、星空に加えて満月が北北西の低い空に浮かんではいるが、時折、群雲がそれを遮る。辺りは漆黒の闇と言う訳では無いのだが、道を踏み外さない為には松明を翳す必要が有る。
千方は府中に向かっている。自ら国府に出頭するつもりだ。だが、自分に罪が有ると認めるつもりなど更々無い。理はこちらに有り、不法に侵入し草原(かやはら)の民を殺した忠常の方に罪は有ると飽くまで主張し続けるつもりだ。
この一件だけを以て、千方に一方的に罪が有るとすることには無理が有る。満季は恐らく、千方が戦の準備を始めたことを咎めて来るだろう。それに付いては、村岡から攻撃を受ける可能性が有る為で、決して国府に逆らうつもりでは無いと言い抜けるつもりだ。例え痛め吟味に掛けられようとも、主張を変えるつもりは無い。攻め苦に耐える覚悟は出来ている。
満季の執念深さを考えれば、例え捏造してでも、罪を着せようとするのは間違い無いだろう。投獄か遠島で済めばまだ良い。
この時代、死罪は廃止されていたので、満季もそれを言い渡すことは出来無いが、痛め吟味中の事故死とすることは出来る。千方は数え五十三歳と成っている。思えばあっと言う間に過ぎた五十三年である。いずれにしろ、己の身ひとつのこととして、この問題は終わらさなければならないと強く思う。千方さえ居なくなれば、満季も草原(かやはら)まで潰そうとは思うまい。対村岡の問題に付いては、私市(きさいち)が力を貸してくれる筈だ。
心配なことはひとつ。千方が囚われたと知れば、古能代を始めとする千方付きの郎等達が黙っている筈が無い。必ず、千方を奪還する為に動き出す。それが草原(かやはら)や豊地を窮地に立たせることになるので、くれぐれも自重するようにと認(したた)めた文(ふみ)を、別の侍女に預けて来た。しかし、郎等達が素直に従うとも思えないのだ。だが、古能代のこと、草原(かやはら)に類を及ぼすようなことだけはするまいと信じることにした。
東山道武蔵路に接続する辺り迄来ると、夜は白々と明け始めた。
「待て」
と五郎左に声を掛け、千方は馬から降りた。
「この辺で良い。寒い中、ご苦労であった。戻ってくれ」
そう言って千方は、懐に手を入れる。
「いえ、手前は歩いていたので体が暖まり、それほど寒くは御座いませんでした。将軍様こそ風邪など召さぬようお気を付け下さいませ」
「礼じゃ、受け取ってくれ」
千方は、銀の小粒を一つ五郎左に渡そうとする。
「いえ、飛んでもねえ。ここまでお供しただけで、そんな大層なもの頂く訳には参りません」
五郎左はさかんに遠慮する。確かに、千方が何を考え、何をしようとしているのかを知らない五郎左から見れば、馬を預り、落ち合って供をして来ただけなのである。
「良いから受け取ってくれ」
千方は五郎左の手を掴んで、無理矢理に銀の小粒を握らせた。五郎左は何度も繰り返し礼を述べた後、戻って行く。その後ろ姿を見送ってから松明を消し、再び馬上の人と成って千方は早足で府中に向かって駆け始めた。
駆け始めて間も無く、少し先に一人の男が飛び出して来て、両手を広げて行く手を阻んだ。さては敵かと一瞬思い、千方が手綱を引き絞って馬を止める。緊張が走った。だが、目を凝らして良く見ると、それは古能代だった。
「古能代……」
千方が驚いて呟く。
『どうして此処に?』と一瞬思うが、考えてみると、古能代であれば、察知していたとしてもそれほど驚くべきことでも無いのだ。古能代はゆっくりと近付いて来た。
「我等を置き去りとは、殿も酷いお方じゃ」
笑いながら、そう言った。
「そうか。そなたを騙すのは無理なことであったか」
千方は苦笑いをした。
「お供致します。皆参っておりますので」
街道の両側の林の中から馬に乗った男達がぞろぞろと現れた。千方の郎等達ばかりでは無い。国家(くにいえ)とその郎等と思われる男達も居る。合わせて二十人以上にもなる。古能代の馬を引いているのは、小山武規(夜叉丸)である。
「待て。麿は戦いに行くのでは無いぞ」
皆は、千方が一人で戦おうとしていると思っているのではないかと、千方は思った。
「では、どうなさるおつもりで」
武規から手綱を受け取り、乗馬した古能代が尋ねる。
「出頭し、正々堂々と主張を述べるつもりだ」
千方は存念を皆に伝えた。
「それが通るとでもお思いで?」
と古能代が聞く。
「今回のことは村岡に非の有ることだ。案じることは無い。事を荒立てぬ為にも、そのほうらは、草原(かやはら)に戻って大人しくしておれ」
捕らわれる事は覚悟の上である。皆を巻き込みたくは無かった。
「武蔵守が満季でなければ、その命(めい)に従いも致しましょう。しかし、あの男なら、何としても殿を罪に落とそうとすることを、殿もご承知のはず。我等を謀ろうとしても無駄で御座います」
そう言ったのは、広表智通(秋天丸)である。
「草原(かやはら)を巻き込む訳には行かぬ」
千方はそう強く言った。
「殿も我等も居なくなれば、満季とて、草原(かやはら)を滅ぼそうとまでは思いますまい」
古能代がそう言う。
「うん?」
古能代の言うことが何を意味しているのか千方には分からなかった。国家(くにいえ)が馬首を進めて、前に出た。
「万一の時には六郎様を甲賀にお連れするよう、大領から言い遣っております」
千方にそう告げる。
「しかし、それでは、やはり草原(かやはら)が心配だ」
「満季が草原(かやはら)に兵を向けぬようにすれば宜しい訳です。草原(に戻ってはいないと言うことを、はっきり分からせて置きましょう。このまま精々派手に府中を走り抜け東海道に向かいましょう。さすれば、満季の関心はこちらに向かい、草原(かやはら)に構うことは無いでしょう」
国家(くにいえ)の考えは、千方達が東海道を西に向けて逃げたと言う事を強く印象付ければ、満季は千方らを追うことに心を奪われ、草原(かやはら)に何かしようなどとは思わないだろうと言うことなのだ。
「そう上手く行くか? それに、武規、智通、元信、末信。その方ら皆、家族を草原(かやはら)に置いて居るであろう」
その問いには古能代が答えた。
「ご安心を。国家が郎等を五人程残してくれるそうです。草原(かやはら)に向かい、お方様、太郎(松寿丸)様を含めて、東山道より甲賀へお連れしてくれると言うこと。それに、都に遣わせた和親(犬丸)と繋ぎを取る必要も有るので、元信(鷹丸)を東海道より先行させ、末信(鳶丸)は、国家の郎等達と共に、一旦、草原(かやはら)に寄らせ、豊地殿に事情を説明した上で、そのまま東山道より都に向かわせます。元信か末信が、どこかで和親と出会うはずです」
そう段取りを説明する。
「ふ~ん」
そこ迄言われると千方の心も揺らいだ。
「殿をここで終らせる訳には行きません。これは我等一同の一致した想いです。お聞き頂けぬ時は、ご無礼ながら、縛り上げてでも甲賀にお連れするつもりです」
古能代にそう言われ、千方は折れた。
「分かった。皆の気持ち、有り難く思う。だが、侑菜と太郎に付いては、同道する必要は無い。端野(はしの)の舅殿に面倒を見て貰うことにした」
そう告げた。
「それで宜しいので?」
古能代が確かめる。
「それで良い」
千方に迷いは無い。
「かしこまりました」
胸の痛みを感じながらも、千方がそう決断したのなら仕方が無いと思った。
こちらは村岡の忠常。今直ぐにでも草原(かやはら)を叩き潰したいと苛立っている。
「今動くのはまずいと思います。国府の吟味を待つしか御座いません。きっと、武蔵守様が有利に運んでくれると思います」
そう諭す郎等に、忠常は不満げな視線を投げる。
「ふん。鏑木の申したことなど当てに出来るか。国府に出頭して、こちらに非が有るとされたらどうするのじや。まして、投獄などされたらどうする!」
そんな事を言いながら、郎等に当たる。
「そのようなことは御座いますまい」
郎等は宥めようとする。
「当てになるか。受領(ずりょう)など信用出来ぬ。その時の都合で、言うことがころころと変わるからな」
全く我儘で扱い難い男である。
「そう仰らず、様子を見てみましょう」
と言う郎等に、忠常はいきなり太刀を抜き払い、ビュッと音を立てて横に払った。その時、切っ先は郎等の鼻先を掠めていた。郎等は思わず身を反らせたが、忠常は気にする様子も無く、太刀を鞘に収める。しかし、忠常が後ろを向いた時、郎等の目に微かな憎悪が表れたのを忠常は知らない。
千方達が府中に差し掛かった頃、国衙(こくが)の中では、武蔵守・源満季と忠常の父・武蔵介・平忠頼が話していた。
「愚息がご面倒をお掛けしまして、まことに申し訳御座いません」
忠頼が満季に頭を下げる。
「気にすることは無い。悪いようにはせぬ。安心致せ。だが、一度国府に出頭させよ。忠常は出頭したのに千方は出頭せぬ、と言う理由を以て草原(かやはら)に兵を差し向ける」
満季の思惑を聞いて、忠頼はニンマリした。
「かしこまりました。早速、使いを出します」
と頭を下げる。
「千方め、抗う態度を見せていると言うことじや、まさか、争いの一方の当事者である村岡の者を使う訳にも行かぬゆえ、近隣の土豪を集めておけ。健児(こんでい)と検非違使に加えて五十もおれば良いであろう」
「早速に手配致します」
そう答えて、忠頼は満季の館を後にした。
府中に入ると、十五頭の馬列は並足となって進んだ。元信(鷹丸)は東海道に向けて既に先行しており、末信(鳶丸)と国家の郎等・五人は、千方一行とは分かれて草原(かやはら)に向かっている。
既に官吏の登庁時刻も過ぎているので、府中の街中は人通りも多い。各土豪の郎等達も来て居る。千方の顔を見知っている者も居る。やがて国衙の前に差し掛かると門番の兵達が不審げに一行を見ている。すると、千方一行を眺めていた兵の一人が、はっとしたように国衙の中に走り込んで行くのが見えた。千方を見知っている者であろう。
「行くぞ!」
その様子を確認した千方が命じる。十五頭の馬が一斉に駆け出す。
国衙に続く街道は道幅も広いので、元々端を歩いている民達は、慌てて避ける訳でも無く、何事かと見送るのみだ。
「殿、久し振りに駆け比べますか?」
馬首を並べて来た古能代が千方に叫んだ。手綱捌きの名手である古能代も、既に七十を超える歳と成っている。
「落馬するなよ!」
そう言って千方が笑った。
「まだまだ、殿には負けませぬ」
十五頭の馬群は東海道に向けてひた走る。
「相模に入るまで駆けるぞ!」
数刻前まで額に皺を寄せていた千方の爽やかな声が響く。
Ⅱ、乱を継ぐ者
千方が逃走したと知った満季は直ぐに追っ手を放った。しかし、相模に入られてしまった。こうなると、武蔵守の権限で捕縛することは出来ない。相模守に話を通せば良いのだが、そんなことをしているうちに駿河に抜けられてしまうだろう。取り敢えず数人が跡をつけ、行き先を確かめる段取りをして、他の者達は武蔵に戻る。
満季は悔しがった。忠常が出頭して来ていて、父・忠頼を通じて、豊地を喚問するよう願い出た。あわよくば、この機会に草原(かやはら)を己の影響下に置こうと企んでいるのだ。
『草原(かやはら)には手を出すな』との摂政・兼家の命(めい)が有るので、満季は一応兼家の了承を取ることにして、忠常の申し出を退けた。
村岡に戻った忠常は憤懣やる方無い。
「何と言うことだ。千方に逃げられた上に、草原(かやはら)には手を出すなだと? だから、受領(ずりょう)など信用出来ぬと申したのだ」
そう喚き散らしているだけなら良いのだが、とばっちりを受けたくは無いと郎等達は思う。
「若、お父上のお立場もお考え下さい。こう言っては何ですが、民を斬ったのはこちらが先、若におとがめが無かったのは、殿が武蔵介であればこそです。草原(かやはら)のことは、もうお忘れ下さい」
そう宥めようとするのだが、忠常はその郎等をキッと睨んだ。
「貴様、朋輩が殺されて口惜(くちお)しくは無いのか」
宥めようとする郎等をそう問い詰めて来る。
「それは口惜しゅう御座いますが……」
郎等は『問題はそこでは無いだろう』と思うが、言い返したりしたらとんでもないことになる。
「だが何じゃと申すのか」
忠常は更に突いて来た。
「成り行き上、仕方無いかと」
と郎等は答える。草原(かやはら)の民を斬ってしまったのだから、当然、草原(かやはら)の者達は斬り掛かって来る。その斬り合いに負けたと言うだけの話だ。
「戯け! 下賎の者と村岡の郎等の命、引き換えられるか。引き換えるとすれば、豊地か千方の命じや」
忠常は尚も息巻いている。
「我等の命、そのように思って頂いていることは有り難く思います」
そう答えるしか無い。
「ならば、何か方策を考えろ」
「はっ」
そう言われても、武蔵守から手出しするなと言われている以上、どうしようも無いではないかと郎等は思った。
ひと月程して摂政・兼家から満季に返書が有った。やはり『草原(かやはら)には手を出すなとの沙汰である。但し、千方に付いては、召喚に応じず逃亡したと言うことであれば、武蔵守の面子に掛けて探索し、捕らえよ』と言うものであった。
千方の行方は知れなかった。東海道と言う一本道であるにも関わらず、跡をつけた者達は巻かれてしまった。駿河(するが)以降、千方らの姿は掻き消えてしまったのだ。どこかで間道に逸れたとしか考えられない。
報告を受けた満季は、又しても千方にしてやられたことに歯噛みした。あれこれと考えているうちに思い当たったのは、信濃と近江である。
信濃には千常の乱の時関わった、望月貞義が居る。又、近江の甲賀には、千方が上洛する前に立ち寄った望月貞義の伯父・甲賀三郎兼家の舘が有る。『その、どちらかだ』と見当を付けた。
早速双方に細作を放つ。信濃に千方らが現れた形跡は掴めなかった。近江からの報せは、まだ届かなかったが、甲賀に違い無いと睨んだ。何度も煮え湯を飲まされて来た千方の郎等達に加えて甲賀三郎の手の者達も邪魔をするだろう。追っ手には、それなりの人数が必要だ。だが、そんな多くの兵を近江まで派遣する訳には行かない。普通なら摂津の兄・満仲を頼る処だが、何をとち狂ったか、満仲は出家してしまっている。摂政の承認を受けていることなので、こう成ったら正式な申文(もうしぶみ)を送って、都から検非違使を派遣して貰う外無い。そうすれば、甲賀三郎も大っぴらに千方に味方して戦うことは出来まい。只、それでは、千方を殺すことは出来ず捕らえるのみとなる。吟味の結果、無罪、或いは微罪で済んでしまう可能性が有る。そんなことでは腹の虫が収まらない。満季は、この際、何としても千方を葬りたいのだ。
満季は、前(さきの)検非違使介(けびいしのすけ)である。都から派遣されるのは、恐らく元満季の部下と言うことになるだろう。それが誰か分かれば、ひと工作出来る。武蔵から二十人程の郎等を送り、検非違使と共に行動させる。千方を殺す機会が有れば、検非違使には目を瞑(つむ)って貰えば済む。そう考えた。
策は整った。後は、千方が甲賀に居ると言う報せが入るのを待って、工作を開始するだけだ。時を無駄にしない為に、鏑木に二十人の郎等を付けて、先に近江に向かわせることとした。
千方は反乱に突き進む道を回避し逃亡した。だが、後年大規模な反乱を引き起こす者が意外な所に居た。将門の妹を母に持つ平忠常である。
かなり先のことではあるが、四十年後の長元元年、忠常は上総国、下総国、常陸国に父祖以来の広大な所領を有し、傍若無人に振る舞い、国司の命(めい)に服さず納税の義務も果たさなくなっていた。その年の六月、忠常は安房守・平維忠を焼き殺す事件を起こす。乱は長期戦となり、戦場となった上総国、下総国、安房国の疲弊は甚だしかった。
本来、上総国の作田は二万二千町有ったが、乱後、僅かに十八町に減ってしまったと言う。この乱は房総三カ国を疲弊させただけで、外には何も残さなかった。
そして、この乱を平定したのが、源満仲の三男であり、満季の甥に当たる頼信である。乱の鎮圧を切っ掛けに、坂東の兵(つわもの)の多くが頼信の配下に入り、清和源氏が東国で勢力を広げる契機となったのだ。歴史に於いては、正義が勝つ訳ではない。勝った者が正義として名を残して行く。
平忠常の乱は期間に於いて将門の乱を凌ぐものであったが、歴史的評価は低いし、世間の関心も薄い。それは、第一に、大義名分の無い反乱であったこと。第二に大規模な土地の荒廃以外に何も残さない反乱であったこと。そして何よりも、結末がだらしないものであったことが理由であろう。
この乱に因って漁夫の利を得たのは、奇しくも、満仲に寄ってその基礎が築かれていた清和源氏であったと言うことだ。
そんな将来が有るとは夢にも思わず、忠常は、まんまと千方に逃げられた満季を陰で罵倒し、郎等達に当たり散らしていた。
Ⅲ、別離
父が突然現れて、下野の実家に連れて帰ると告げられた。
「お帰り下さい、父上。麿はどこへも行くつもりは御座いません」
侑菜は背筋を立てて座し、父・昌孝を見返す。昌孝は鼻から大きく息をひとつ吐いた。
「千方殿は何処じゃ」
父から視線を反らし、侑菜は姿勢を崩さない。
「端野様、主(あるじ)が不在ですので、ここは一旦、お引き取り頂けませんでしょうか?」
横の席から豊地が口を出した。
「だから、何処に行かれたのかと聞いておる」
昌孝はそう聞くが豊地は、それには答えない。一時(いっとき)ほど前、侍女から千方の文(ふみ)を受け取っていたが、にわかには事態が把握出来ず、侑菜と話す為、千方の舘を訪ねた処だった。どう切り出したら良いか戸惑っている処へ、数人の郎等を連れた端野昌孝がやって来たのだ。そして、
「直ぐに支度しろ、松寿丸を連れて下野に戻る」
と侑菜に告げた。
「行きなり何を仰せですか。殿に無断でそのようなことは出来ません」
侑菜がそう応じた処だった。
「出来れば、このようなものは見せずに済ませたかったが、やむを得ぬな。これを見よ」
そう言って昌孝は、千方から受け取った離縁状を懐から取り出し、侑菜の前にぽんと投げた。
侑菜が、それを手に取り開いて読む。顔色が変わるのが、豊地にも見て取れた。侑菜は暫く無言のままで居た。
「分かったであろう。そう言うことじゃ。先のことは案じるな。松寿丸のことを含めてこの父が考えておる」
「麿は、殿から何も伺っておりません」
侑菜は姿勢を崩さない。
「その文字、千方殿の手に寄るものに間違い有るまい。話した上のことじゃ」
昌孝は説得しようとするが、
「義母上の殯(もがり)をせねばなりません。今、麿はこの舘を離れることは出来ません」
と、侑菜は尚も聞き入れようとはしない。
「う~ん。我が娘ながら頑固者じゃな。良いから父の言うことを聞け。悪いようにはせぬ」
もはや、昌孝に残されている方策は、強引さだけしか無いと言うことだ。
「端野様、お方(かた)様とお話しせねばならぬことが御座います。時を頂けませんでしょうか」
豊地が侑菜に助け舟を出そうとする。
「豊地殿。千方殿もご承知のことじゃ」
昌孝にすれば、他人が口を出すなと言いたいところだ。
「…… 主(あるじ)の留守中に、そのようなことをされては困ります。どうぞ、お引き取りを」
尚も食い下がる豊地に、昌孝は渋い顔をして考えていたが、
「分かった。二、三日したら出直して参る。それを良く読んで、千方殿と話し、心積もりを致して置け、良いな」
侑菜にそう言うと、
「戻るぞ。出直しじゃ」
と連れて来た郎等達に告げ、引き連れて出て行った。その後ろ姿を見送って、
「殿のお姿が、朝から見えません。豊地殿ご存じか?」
と侑菜が尋ね、豊地は瞑目する。そして、少しの間を置いて話し始めた。
「実は、その事でお伺いしました。さぞ驚かれ、又、心を痛めておられることはお察し致します。驚いたと言う点では、麿も全く同じです。侍女が殿からの文(ふみ)を預かっておりましたが、それを読んでも殿のお気持ちが分かりません。十四の歳迄お育てした麿に、なぜ、前以て相談して下さらなかったのか、情けないと言うか、寧ろ腹が立っております」
豊地はそう心情を述べた。
「文(ふみ)には何と書かれていたのですか?」
侑菜が冷静さを装って尋ねる。
「当主の座を譲るので後は宜しく頼む。先々の事は、私市(きさいち)本家に頼んで有るので、困り事が有った時は本家に相談の上草原(かやはら)を護ってくれ。大方(おおかた)そのようなことが書かれておりました」
侑菜の表情が不安から厳しいものに変わる。
「勝手なことを……」
そう呟いた侑菜の言葉には、感情がほとばしっていた。
「殿は、一体どうされるおつもりなのでしょう」
再び冷静さを装って、侑菜は尋ねた。
「ご無礼はお許し下さい。正直言って、今迄思っていた六郎様のお人柄が崩れ去ってしまったと言う想いです」
豊地の淋しげな表情を見て、侑菜が呟いた。
「裏切られたと言う想いですね」
豊地の心情を察しての言葉ではあるが、同時に侑菜自身の想いでもある。
そこに侍女が一人表れ、
「申し上げます。末信(鳶丸)殿が、豊地様にお目に掛かりたいと、参っております」
と告げた。
「お待ち下さい」
豊地が腰を上げ掛けたのを、侑菜が制し、
「末信をここに通しなさい」
と侍女に命ずる。入って来た末信は、侑菜が同席しているのを見ると、思わず目を伏せた。
「殿の使いであろう。麿がここに居ては申し難いことですか?」
侑菜は毅然とした表情で末信を問い詰める。
「いえ、そのようなことは御座いません」
と末信。
「ならば、豊地殿と一緒に聞きましょう」
続く侑菜の言葉に、仕方無く、
「かしこまりました。それでは、お方様と豊地様、それに雛殿を除いて他の者は下がらせ、人を近付けぬようにして、庭、植え込みの陰、床下などを調べさせて下さい。どこぞの細作が潜んで居るかも知れませんので」
と末信が条件を出す。それほど秘密を要する内容だと言うことだ。
「庭、床下などを調べた上、周りを見張れ」
豊地が郎等の一人に命ずる。皆、沈黙して待った。やがて、先程の郎等が、異常無いことを報告に来て、下がって行った。
末信が口を開く。
「申し上げます。殿は夜中にお館を抜け出され、おひとりで国衙に出頭されようとしました」
そこまで末信が言い掛けると、
「分らぬ。こたびのことは、一方的に村岡に非の有ること。お裁きを受けるにしても、日中堂々と郎等を従えて参れば宜しいのに、なぜそのような真似をなされたのか?」
侑菜が訝(いぶか)しげに尋ねる。
「新任の武蔵守が源満季だからで御座います」
と末信は答える。
「どう言うことか?」
「こたびのことは、単なる草原(かやはら)と村岡の領地争いなどでは御座いません。満季が後ろで糸を引き、忠常にやらせたことで御座います」
末信の説明の途中で、侑菜の疑問は更に膨らみ、
「武蔵守・満季がなぜ?」
と尋ねる。
「昔からの因縁が御座います。殿が上洛される前に、豊地様が荷駄隊を引き連れて京に上られましたな」
と末信が豊地に確認した。
「覚えておる」
「実は、あの折、荷駄を奪う為、相模の山中で待ち伏せていた賊がおりました」
「うん」
「それを事前に察知した殿が、逆に襲撃し討ち取ってしまわれたのです。同行していたのは、小山武規(夜叉丸)と広表智通(秋天丸)の両名と朝鳥殿のみ、手前らは不在だった為、残念ながら同行出来ませんでした」
豊地が頷きながら、当時に想いを巡らし、
「初めて聞いた話だ。襲われそうになったとは、確か聞いたと思うが、まさか、そこまでのことが有ったとは。殿はそのことに付いては、ひと言も仰らなかった」
と言った。
「その賊の正体を誰と思われますか? 満季の郎等と手の者達でした。命じたのは、当時武蔵権守だった兄の満仲ですが、自らの郎等を使うのはまずいと思い、満季の郎等達を都から呼び寄せ使ったのです。その者達を全て殺された恨みを、満季は今も持ち続けております。武蔵守と成ったこの機会を逃すこと無く、殿を抹殺しようと狙っているものと思われます。ですから、出頭すれば、どちらに非が有るかなど関係無く、殿が陥れられるのは間違い有りません。武蔵守・満季の恨みは、殿に対するもの。殿はそう考えられ、お方様、松寿丸様、草原(かやはら)、更には下野藤原家とも縁を切り、他に類が及ばぬよう手配した上でおひとりで出頭され、ご自身の身ひとつ捨てることで、武蔵守・満季の怨念を断ち切ろうとされたのです」
悔しさとも悲しさともつかぬ表情を見せて、末信が語った。
「で、殿の御身(おんみ)は今、いずれに?」
心配げに侑菜が尋ねる。
「ご安心下さい。我等がお止めしました。今頃は甲賀に向かっている筈です。実は我等も、殿のお考えは全く知らされておりませんでした。殿のご様子が変なことに統領の古能代が気付き跡をつけた処、五郎左に馬を預けるのを目撃しました。色々考えた挙句、殿のお考えが読めたそうです。統領は我等を集め、殿をお止めする策を指示しました。『草原(かやはら)で揉めればお方様に知れご心配をお掛けするから、国府の手前でお止めすることにする。ご無礼は承知で、殿のご意向に逆らってでも強引にお止めする』と統領は申しました。統領のご舎弟ですので、その席には山中国家殿もおりました。話を聞き終わると、国家殿が『では、甲賀にお連れしましょう』と申されたのです。大領・望月兼家様より、万一の時には甲賀にお連れするよう言われているとのことでした。それで、只お止めするだけでは無く、国家殿のお陰でその先の手筈も整ったと言う訳です。お出掛けは皆が寝静まった頃と踏んで、その前に我等は密かに抜け出し、先に武蔵路に向かい殿をお待ちしたのです」
豊地が暗い表情で頷く。
「この頃の殿のなさりよう、腑に落ちぬ処が色々有ったが、全て読み解けた。しかし、なぜお話し頂けなかったのかと思うと、少々情け無い思いだ」
豊地は目を伏せた。
「麿も想いは同じです」
侑菜も同じように目を伏せる。
「このことを麿に告げる為に戻ったのか」
豊地が末信に尋ねた。
「今一つ、我等・殿付きの郎等達もお供して甲賀に参りますゆえ、家族を甲賀に伴うよう言い遣って参りました。殿同様、我等も満季から目の敵にされております。おれば、草原(かやはら)にご迷惑が掛かります」
侑菜が末信を見る。
「麿も、伴って貰う訳には行かぬか」
千方の決心に衝撃を受けた侑菜だが、そう言って僅かな可能性を探る。末信は、黙って頭を下げた。
「そうですか。やはり、松寿と共に下野へ戻れとの、殿のお指図なのですね」
己一人の事であれば、侑菜が承知することはなかったであろう。しかし、松寿丸の将来を考え、父に従う事にした。
「申し訳御座いません」
末信が深く頭を下げる。
「分かりました」
吹っ切れたように、侑菜が応じる。
「お方様がそうされるのであれば、吾(あ)も残ります」
突然、雛が口を開いた。
「雛殿には、お方様着きの任を解くとの命(めい)が、殿から参っておる筈だが」
そう言う末信に、
「確かに受け取りました。ですが、女子(おなご)達の差配はお方様に任されているはず」
と雛(ひな)が申し立てる。侑菜は雛の申し出は自分を案じてのことと理解し、自分の為に雛まで武規と別れさせる訳には行かないと思った。
「雛(ひな)。では、麿から命じます。そなたは皆と甲賀に参りなさい。麿は実家に戻るのです。幼い頃より着いてくれている者も居る。案ずることは無い」
「かしこまりました」
言いたい言葉を飲み込んだ様子で、一拍置いて雛が頭をさげる。
翌朝、末信(鳶丸)は、小山武規(夜叉丸)、広表智通(秋天丸)、大道和親(犬丸)、それに、自らと兄・元信(鷹丸)の家族を伴い、国家の郎等達五人と共に甲賀に向かった。
Ⅳ、新しき郷
甲賀に着いた千方一行は、そのまま、近江国の甲賀郡と伊賀国・伊賀郡を併せて束ねる、大領・望月三郎兼家の舘に入った。
兼家は、通称・甲賀三郎と呼ばれており、郡司でありながら諸国の情報を集めて、それを必要とする者に提供し、見返りを得るような仕事もしている。諱(いみな)は奇しくも摂政と同じ兼家である。
甲賀三郎兼家は、郎等ばかりで無く、私領に住む領民達、配下の土豪の郎等、その領民に至る迄、幼い頃から武や細作(さいさく)の技を身に着けさせる。だから、兼家の支配下にある者は、農夫や猟師に見えても、只の農夫や猟師では無い。領民の鍛練は、秀郷から譲り受けた四人の郎等達の知識と技が有って、初めて可能なことであった。
天領の牧や東大寺などの寺社の荘園が特に伊賀には多く存在するが、一方で、力を持つ土豪や摂関家の荘園は少ない。中小の土豪が多く、その多くが兼家の支配下にあるのだ。従って、至る所に人の目が有り、甲賀、伊賀は余所者が密かに入り込むことが難しい土地柄と成っている。千方に取っては、そう言う意味で都合の良い土地である。
「良うこそおいで下された」
既に配下の者から報告を受けている兼家が、笑顔で千方達を迎える。
「恥ずかしながら、坂東に身の置き所が無くなり、お言葉に甘えてご厄介になることに致した」
神妙な顔で、千方が深く頭を下げた。
「遠慮無く、いつまでなりともご滞在なさるが良い」
兼家は白い髭に埋もれた顔で笑った。疾うに八十を超えている筈。希(まれ)に見る長寿で、正に仙人かと思わせる風貌と成っている。将門との戦いの際の功に因り甲賀郡の郡司と成って以来、五十年掛けて、兼家はこの地の支配を確率し、独特の体制を作り上げて来たのだ。
「お疲れが抜ける迄、暫くはのんびりされるが良い。その後、住む場所を探せば良い」
そう言ってくれた。
「はい……」
まだ、自分を迎え入れてくれる場所が有る事に、千方は感謝した。
「宜しければ、この地に骨を埋めるつもりで末永くおとどまりなされ。伊勢に近い伊賀郡の辺りに、いずれ開墾しようと思ってまだ手を付けていない場所が幾つか有る。その中で気に入った場所が有れば、後から来る方々と共に開墾して終(つい)の棲家と為さるが良い」
千方に取っては、これ以上望みようが無いほどの言葉であった。
「…… そこ迄お考え頂いているとは。ご恩は終生忘れません」
柄にも無く、目頭が熱くなった。
「何の、命(みこと)の父上・秀郷殿が居なければ今の麿は無かった。北山の戦いでの僅かな功を太政官に強く推して下さったのも秀郷殿だし、秀郷殿から譲り受けた四人の郎等達に、どれほど助けられたか分からぬ。また命(みこと)にも、信濃で窮地に陥っていた貞義(さだよし)を救って貰った恩が有る。それよりも何よりも、麿は命(みこと)を気に入っておりますでな。居て貰うことが嬉しいのじゃ」
そう言って、兼家は髭の中で笑った。
「おそれ入ります」
郎等達の家族が到着する迄の間、千方らは兼家の舘でのんびりと過ごしていた。
家族達に先んじて到着した者が有る。途中から、家族達を国家の郎等達に任せて東山道を急いだ駒木末信(鳶丸)である。大道和親(犬丸)とは上手く出会えて同道していたが、他に六人の同伴者が有った。
その内のひとりの顔を見た時、千方も古能代も、驚きの余り思わず絶句した。
「お久しゅう御座います」
古能代と同年代のその男は、笑いながら丁寧に頭を下げた。
「なぜ、ここに?」
と驚きを表す千方に、経緯を和親(犬丸)が説明する。
「都の三条大路で偶然に忠頼様とお会いしたのです。声を掛けられた時、直ぐには分かりませんでした。まさか、都でお会いしようなどとは夢にも思っておりませんでしたから」
和親も、安倍忠頼と再開した時の驚きを千方に伝えようとしている。
「いや、郎等の一人が気が付いて、六郎様の郎等の一人に似ていると言って来たのですが、麿も最初は他人の空似かと思いました。少し跡をつけさせて見極め、六郎様が鎮守府将軍在任中に胆沢(いさわ)に来ていた大道和親殿にに間違いないと言うので、声を掛けました。あ、童の頃にも来ておりましたな」
忠頼に教えたのは、和親も親しくしていた安倍の郎等だった。
「しかし、なぜ都に……」
千方が尋ねる。
「いや、昔から一度は来て見たかったのです。ですが、当主の間は、鎮守府や国府の監視が厳しく無理な話でした。今であれば隠居の姿が暫く見えなかったとしても、鎮守府も国府も気付かないであろうし、気にも止めまい。であれば、足が達者なうちに都を見に行こう、と思い立って出掛けたと言う訳です」
「左様か。良うおいで下された忠頼殿」
久しぶりに、嬉しいことが重なった一日となった。
「道々聞いたところ、こたびは色々と大変なことで御座いましたな。場合に寄っては陸奥にお越し頂こうと思って参りました」
忠頼もそう言ってくれた。
「かたじけない。幸い、ここの主(あるじ)・兼家殿にお世話になることになった」
「それは、宜しゅう御座いました」
安部忠頼は、続いて古能代に語り掛ける。
「義兄(あに)上、お元気そうで何より。姉が死んでもう五年にもなりますかな」
「うん。子らを立派に育ててくれました。今では、日高が祖真紀として郷を束ねてくれています」
何度も陸奥を尋ねたが、忠頼の姉である妻(め)を一度も同伴してやれなかった事に、僅かな悔いと、忠頼に対する申し訳無さが残っていた。
「義兄上も隠居されたのですか?」
と、忠頼が聞いた。
「つい最近な」
古能代は、短く答えた。
その晩は、千方、古能代、忠頼に双方の郎等達も混じって、昔話に花が咲いた。忠頼の郎等の中のひとりは、智通(秋天丸)が千方の供をして最初に胆沢(いさわ)を訪れた時親しくなった男だった。名を村社静馬と言う。智通(ともみち)が何度挑んでも勝てずに悔しがっていた男だ。二歳年上になる。
千方が気付いたことがひとつ有る。口数の少ない古能代が、本当に良く喋るようになっていることだ。肩の荷を降ろしたせいだろうか。とすればこの男、若い頃からずっと、常に緊張の中で生きていたと言うことになる。その意思の強さに、千方は改めて感心した。
その後、国家の案内で郎等達と共に、開墾候補地をあちこち見て歩く日が続いた。
伊勢に近い山中にひっそりと開けた盆地の一つが千方の興味を引いた。どこと無く下野の『隠れ郷』に似た地形である。古能代を始め郎等達もそこが気に入ったようだ。一面に草が生い繁っており、掘ってみても直ぐには岩に当たらず、それなりに堆積した土の層が有る。大木は少ないので開墾は比較的楽と思われた。
手間が掛かるのは、石や岩を取り除くことだろう。少し登った所には、湧水の有る池も有り、小川も流れている。絶好の場所だ。今まで開発されなかったのは、単に行くのが不便な所に有るからと言うに過ぎない。しかし、千方達に取って見れば、それも好い条件のひとつとなる。
「ここにしよう」
千方が力強くそう言った。
「良う御座いますな。我等も気に入りました」
古能代が応じる。そして、腕組みをして物想いに耽るような素振りを見せた。
「先祖の杜木濡(そまきぬ)のことを想っているのではないのか?」
そんな雰囲気を感じて、千方は聞いてみた。
「はい。ですが、杜木濡(そまきぬ)は餓死の恐怖と戦いながら、追っ手の目を逃れて山中を彷徨い、あの地に辿り着いたことでしょう。それに比べたら、我等は何と仕合わせなことかと……」
千方も同じ想いを感じていた。
「正直、我が身が落ちぶれて行くのを嘆く気持ちが無かった分けではない。だが、世の中上を見ればキリが無いし、また、下を見てもキリが無いと言うことだな。今から考えれば下らんことだが、都におった頃は除目(じもく)の度にその結果が気になってな。己のことばかりでは無く、誰がどうなったこうなったと言う話で、数日は役所中持ち切りであった。官人(つかさびと)に取ってはそれが最大の関心事なのだ。尤も出世したのを知らずに以前の官職名で呼んだりしたら無礼になるから、やむを得ぬことではあったのだが。この風景を見ていると、そんな生活が、取るに足らぬものに気を使うつまらぬ世界だったように思えて来る」
千方は、腕を大きく伸ばし、思い切り息を吸った。
「出世に未練は御座いませぬか?」
そう言って、古能代はニヤリとした。
「今更有る訳が無い。だが、前(さきの)関白(兼通)に誘われた時、迷ったことは有った。妻や子に安楽な生活を送らせることが出来るのではないかと思ってな。だが、やはり摂関家に臣従することは出来なかった。尤も、あの時、兼通に臣従していたら、今の摂政である兼家に、もっと酷い目に合わされておったろうがな」
「確かに」
「六郎様。ここで宜しゅう御座いますか?」
国家が聞いて来た。
「うん、気に入った。皆もそのようだ。兼家殿にそのように申し上げてくれ」
千方は国家にそう伝えた。
「人手を掛ければ、開墾はそれほど長くは掛かりますまい。収穫が出来るように成る迄は、失礼ながら、食料の方は我等が援助させて頂きます」
それも甲賀三郎の意思なのだろうが、どこまでも千方を支えてくれる気持ちが有り難かった。
「何から何まで申し訳無い。お世話になり申す。兼家殿のお陰でここに我等の郷を作ることが出来ます」
古能代の弟ではあるが、甲賀三郎の郎等としての国家に、千方は頭を下げた。
鏑木当麻は近江の国府に入り、武蔵守・満季からの牒を近江守の目代に提出し協力を求めた上で、甲賀に放った細作と繋ぎを取る為、郎等のひとりを甲賀に向かわせた。
しかし、満季の放った細作は、既に囚われていた。甲賀に入る前に、千方一行らしき一団を見掛けたと言う情報は得ていたのだが、その細作は確証を得ようと甲賀に潜入した。
何の問題も無く郡家(ぐうけ)に近付けたと思っていたが、この男の行動は捕捉されていたのだ。旅の者を装って農夫に話を聞こうとした途端に襲われ眠らされて、気が付くと岩牢に閉じ込められていた。そして、二十日ほど後には、鏑木が差し向けた別の郎等も同じ運命を辿ることになる。
目的は分かっているので、甲賀三郎は、この男達を尋問することも無く、只、閉じ込めて置き、千方に報せることもしなかった。
Ⅴ、発覚
春を待たず、千方らは開墾に取り掛かった。千方ら七人と、郎等達の家族十三人の併せて二十人。それに、安倍忠頼も暫く滞在することになり、その郎等五人も開墾を手伝ってくれると言う。併せて二十五人になるが、他に望月兼家が相当の人手を投入してくれたので、作業はかなりの早さで進んだ。
大木は余り無いが、雑木は多い。作業はまず、雑木を切ることから始められた。雑木は竪穴住居を作る材料としても使えるし燃料としても使えるので、枝を払い長さを揃えて束ね保存する。草も使い途は多いのだが、田畑にする場所では刈って乾燥させた上で焼き払う。いわゆる焼畑で、地味を肥やすのだ。
ここ迄は、兼家の舘から通っての作業であったが、竪穴住居を作り、それからは常駐して作業することになる。住居が出来れば、いよいよ耕地を整備する作業に掛かる。まずは掘り起こし、岩や小石それに木の根などを取り除く。これは非常に手間の掛かる作業だ。千方の一党だけではかなりの時を要することになるが、兼家が多くの人数を投入してくれるので、驚くほど早く進み、整備出来た耕地の一部は、春の種蒔きに間に合った。
満季に取っては、苛つく日々が続いている。甲賀に放った細作からの報せは、いつまで待っても無かった。そればかりでは無く、甲賀の様子を探らせようとした郎等の行方も知れ無くなったと言う報せが鏑木から届いた。何も掴めていない。これは逆に、千方が甲賀に居ると言う何よりの証拠であろうと満季は思った。ただ、確かな証拠が無ければ、都から検非違使を派遣して貰うことは出来ない。
近江守の目代から正式に問い合わせて貰ったが、望月兼家の答は『千方など居ないし、どこに居るかも知らない』と言うものであった。
「甲賀三郎め、惚けおって」
鏑木は、そえ一人愚痴る。
少しして鏑木から、千方一行が甲賀に入るのを見たとの目撃証言を得たと言う報告が有った。兼家が嘘を言って千方を匿(かくま)っていると確信した満季は、検非違使の派遣を依頼する解文(げぶみ)を太政官に送った。
季節は梅雨に入った。雨が降り続く中、開墾作業は続けられている。後は身内だけでやれるとして、千方は、兼家が出してくれている人手の、これ以上続けての派遣を遠慮した。それは了承した兼家だったが、新たに匠を派遣して、梅雨空の中、今度は、千方の舘の建築を始めた。
『竪穴住居で十分なので、舘を建てる必要は無い』と再三辞退したが『気にすることは無い』と言って、晴れ間を見て、兼家は工事を続けさせた。
梅雨が明ける頃、太政官は検非違使を甲賀に派遣することを決定し、満季に伝えて来た。満季は直ぐに早馬を近江に送った。派遣されるのは検非違使少尉(けびいしのしょうじょう)・佐伯孝継である。この人選は満季の希望が通った結果である。安和(あんな)の変の時、満季自身は千晴の捕縛に向かい、同僚の孝継に千方の捕縛を頼んだのだが、孝継はまんまと千方に逃げられてしまった。その後、安和の変での活躍を評価された満季が出世し、孝継の上司となっていたのだ。満季にしてみれば、孝継は一番利用し易い人間と言うことになる。
孝継は、看督長(かどのおさ)数名と火長(かちょう)、更にその下に十数名の放免を従えて甲賀に向かう。鏑木は、十九名の郎等を率いて検非違使に合流するよう満季に命じられた。
検非違使一行は、まず、近江の国府を訪れ近江守の目代に面会し太政官符を見せ、千方の捜索及び詮議の為甲賀に入る旨通知する。国府からは、案内と称して十人程の健児(こんでい)が同行することになった。
孝継は、国衙(こくが)で鏑木に会い、満季からの指示を聞き、それに見合う報酬を受け取った。検非違使、鏑木と満季の郎等達。それに近江の健児達、全て合わせると五十人程にもなる。その一行が近江の国府を出た頃には、詳細は既に甲賀三郎に報告されていた。
千方が望月兼家の舘に呼ばれた。
「ご安じなさるな。命(みこと)を奴等に渡すようなことは決して致さぬ」
と、兼家は言ってくれた。
「ご迷惑をお掛けすることになるのでは……」
千方がそう言うと、兼家は白い髭の奥で笑った。
「奴等は確証を持っている訳では有りません。知らぬと言い張り、調べると言うなら勝手に調べさせましょう。近江の国府の者達は伊賀に入って調べることは出来ません。下国(げこく)と言えど伊賀には伊賀守がおりますからな」
兼家の言葉は心強かったが、それで安心と言う訳には行かない。
「甲賀郡内に居ないと思えば、伊賀守に話を通すでしょう」
と、予想される鏑木の行動に付いて伝える。
「その時には、彼(か)の土地に入る道の入口を偽装するとか、やれることは幾らも有ります」
甲賀三郎兼家は、防御には絶対の自信を持っている様子だ。
「お手数をお掛けします」
千方は感謝の念を伝える。
「お任せ下され」
兼家は静かに微笑んだ。
検非違使は、三日に渡って甲賀郡内を捜索するが、千方の痕跡すら見付け出すことが出来なかった。三日間の甲賀捜索が済むと、検非違使達は伊賀の国府に入り、近江から来た健児(こんでい)達は戻って行った。伊賀から人手の提供は無く、検非違使達と満季の郎等達のみでの捜索となった。
一方、検非違使達の行動も、兼家の手の者に見張られており、その動向は順次千方に報されていた。結局、検非違使達は千方に関する情報を何も得られないまま捜索を終了せざるを得なかった。
近江に戻った鏑木は頭を抱えていた。満季に報告をしなければならないのだが、何も掴めなかったなどと言う報告を上げられる訳が無い。国司舘の与えられた居室で悩んでいると、木簡の束が投げ込まれた。直ぐに辺りを探させたが、投げ込んだ者は見つからなかった。彫ってあったのは、千方の居所を教えるとの文字と、待ち合わせ場所、それに謝礼の額であった。
指定された待ち合わせ場所である寺の境内に、鏑木当麻は一人で出掛けて行った。深い笠を被った托鉢僧(たくはつそう)姿の男が現れた。
「明日、案内する。確認できたらその場で謝礼を貰いたい」
托鉢僧は、そう要求して来た。
「分かった。間違い無いと分かれば、その場で払ってやろう」
鏑木はそう約束した。
翌朝早く、鏑木は他の郎等二人のみを連れ、懐に砂金の小さな袋を忍ばせて、同じ寺に出向いた。僧を先に立て、四人は近江から伊勢に向かう。そして、津から松阪に向かう途中から西に折れ山中に入る。険しい山中を進み、現在のJR名松線、伊勢鎌倉の辺りまで来た時、
「この先の盆地に間違い無く奴等は居る。これ以上先には行けぬ。兼家の手の者に捕まるからな。ここで謝礼を貰いたい」
僧はそう言った。
「信用出来ぬな。連絡先を教えろ。千方が居ることを確認したら礼を払ってやる。さもなければ、仲間が居るなら仲間にこの先案内させよ」
これは、思惑有っての確認の言葉であった。
「仲間などおらん」
男は反発するかのように答えた。すると鏑木は、
「そうか、ならばここで死ね」
そう言うなり僧体の男に斬り付けた。しかし、男はひらりと身を躱した。他の二人の郎等も太刀を抜いて僧体の男に斬り掛かる。男はそれを躱して姿を晦ました。
鏑木はまずいことをしたと悔やんだ。男は騙(だま)そうとした訳では無かった。それを殺そうとしたのは、千方を確認出来無いまま謝礼を払うのが不安だっただけだ。仲間が居ないと確かめた上で、いっそ始末してしまった方が良いと思ったのが間違いだった。あの男を敵に回す結果となってしまったのはまずかった、と鏑木は思う。少人数で山中にとどまることの危険を悟った鏑木は急いで山を下り、近江に戻った。
望月兼家自らが開墾地を訪ねて来た。千方の舘はもう住めるようになっている。
「山中まで、わざわざお越し頂き恐れ入ります。お陰様で舘も出来、兼家殿にはお礼の申しようも御座いません」
腰を降ろすと兼家はため息をひとつ突いた。
「申し訳無い。実は、裏切り者が出て、この土地が敵に知られてしまったものと思われる」
兼家は千方に頭を下げた。
「で、その者は?」
と千方が聞く。
「欲に目が眩んだ愚か者。既に始末しました。ですが、ここが知られてしまった以上、間も無く襲って来ることでしょう。防御を固めなければなりませんな」
兼家は、襲撃に対する策を相談する為に千方を訪ねて来たのだ。
「お待ち下さい。甲賀をこれ以上巻き込む訳には参りません。『知らぬ。存ぜぬ』を貫いて頂くだけで、決して、検非違使や国府の兵と争うことの無いようにお願いします。戦うのは我等のみ。我等が破れた時は、無断で入り込んでいたと言い抜けて下さい」
兼家は困ったと言う表情を見せた。
「敵の動きを知る為の情報だけは頂きます」
千方がそう続けた。
「分かり申した。当面、お手並み拝見させて頂きます。しかし、もしもの時には見殺しにするつもりは御座いません」
千方の目を見詰めて兼家が答える。
「有り難う御座います。ならば、何としても我等の手で撃退せねばなりませぬな」
そう言って、千方は笑った。
「ご武運をお祈り致します」
兼家はそう答えた。
伊賀には、安倍忠頼とその郎等五人もまだ滞在していた。
Ⅵ、伝説の始まり
「今度ばかりは戦わざるを得ぬな」
さも『仕方無く』と言う言い方だが、千方の表情には言葉とは裏腹に笑みが浮かんでいる。
「やむを得ぬことで御座いますな」
古能代も表情には出さないが、目が輝いている。
「どうせやるなら、精々派手にやりたいものです」
小山武規(夜叉丸)は嬉しさを隠そうともしない。
「夜叉丸、いや、今の名は何であったかな」
そう言ったのは、安倍忠頼である。
「忠頼様。昔通り夜叉丸で結構で御座いますよ」
「麿のことも秋天丸と呼んで頂いて構いません。殿、それで宜しゅう御座いましょう?」
広表智通が千方に了承を得ようとした。
「構わぬ。ついでに、麿の考えも聞いてくれ。この有り様で“殿“などと呼ばれるのはこそばゆい。祖真紀も古能代に戻ったことだし、麿のことも昔通り六郎と呼んでくれぬか」
「呼び名も皆昔に戻し、昔のように何も気にせずに暴れますか、六郎様」
秋天丸は高揚している。千方も満足気に笑った。
「良い時に参った。吾も長いこと戦っておりませんので、血が沸き立って参りましたぞ」
忠頼も楽しげに笑った。まるで祭の準備でもするかのように、皆高揚し、ああしてはどうか、こうしてはどうかと戦略を出し合っている。
「こうした山中で役に立つ、蝦夷(えみし)の戦術が色々有りますぞ」
忠頼が言った。
「阿弖流為(アテルイ)の奇策か?」
千方が尋ねる。
「我等が実際に使った戦法も、色々御座います」
甲賀三郎から、検非違使達の動きが刻々と報されて来る。甲賀を抜ける道を避け、やはり伊勢方面から攻め込んで来るようだ。
堀坂山の南、白猪山の北辺りから山中に入り、総勢五十人ほどの検非違使、近江の健児(こんでい)、鏑木ら満季の郎等達から成る混成部隊は、千方らが開墾している盆地を目指し、高尾に至る。髯山の北を回り、下之川から八手俣川沿いに北上する。案内は津で雇った猟師である。名は猪狩、三十代半ばの陽気な男だ。
「伊勢から伊賀に掛けての山中は、庭みたいなもんですわ。国境(くにざかい)かてお上の都合、猟師には関係ありまへんな。いかん、旦那方はお役人さんでした。聞かなかったことにしてもらえまへんか。へっへっへ」
「口数が多い。道を間違えるなよ」
検非違使の佐伯が、煩さそうに制する。
「任せといて下さいって。旦那、賑やかにしてた方が、熊に出くわさずに済むんでさ」
「敵にも筒抜けになる」
「まだまだ先ですって」
「甲賀三郎の手の者はそこいら中におるのではないのか」
「別にあいつら、何の害にもなりませんわ」
「汝(なれ)にはな。だが、我等には不都合な連中なのだ。分かったら静かに進め」
「へえ。すんまへん」
両側を岩に囲まれた狭い通路を一列、四つん這いになって登っていると、先頭を行く者が
「わっ!」
と声を上げた。
皆が上を見ると登り切った所に誰か立っている。刺し子を着ているが、体が、そして腕も足もやたらと太い。
「人では無く、あれは鬼だ!」
一人が叫んだ。ざわめきと恐怖が伝播して行く。
「戯け! 鬼の筈があるか。人だ、千方の配下に違いない。怯むな」
鏑木が、動揺を鎮めようと必死に叫ぶ。二人一組となって、後ろの者が前の者の腰を支え、前の者が窮屈な体勢で弓を構え、矢を射た。矢は十本ほど放たれ、そのうち七割ほどが当たった。だが残りの殆どが弾かれ、わずか二本が布地に絡んでだらしなくぶら下がった。
「やはり、人ではないのでは」
誰かが叫んだ。
「戯け! 衣の下に何か着けているだけだ。恐れるな」
佐伯も動揺を鎮めようとして叫ぶ。
「ふふふふっ。険阻な道を登って来て、さぞ暑かろう。水など浴びて涼むが良い」
鬼と見られた男は、そう言って右手を振り下ろした。すると、チョロチョロと僅かな量の水が流れ出し、検非違使らの方に流れ下って来る。
「退けーっ! 下りろ、急いで戻るのじゃ。早くせい!」
『下に居る者から整然と』と言う訳には行かなかった。皆、我先にと急ぐので、急な坂道で折り重なって転げ落ちる。岩に囲まれた坂の一番下は曲がって崖にへばり突いた小路となっている。止まれず、二人がそのまま崖下まで転落して行った。その中のひとりは、案内人の猪狩だった。流れ落ちる水は、まるで退避を待つかのように少しずつ流量を増やしていた。殆どの者が岩場から逃れた頃、流れは一気に増し、滝となって落ちた。
その滝も直ぐに消えた。
「鏑木」
佐伯が鏑木を呼んだ。
「ここにおります」
「どうする? 下手をすると全滅させられるぞ」
「道を変えると言っても、案内人がおりません。ここでお待ちを」
鏑木は坂の下まで行き、恐る恐る上を見上げて見た。すると、小石が大きく跳ねながら落ちて来るのが見えた。慌てて首を引っ込めると、小石が崖下に落ちて行く。だが、それだけで終わらなかった。直ぐに少し大きな石が跳んで来て、石は段々大きくなり、仕舞いには人を押し潰すほどのものが転げ落ちて来た。
「これは、無理で御座いますな」
鏑木が言う。
「やむを得ぬ。迂回するか。一旦戻って出直そう」
迂回するつもりで山裾を回ったのだが、迷ったらしい。散々歩き回った挙げ句、気が付くと元の場所に居る。やはり案内人を失ったことが大きい。
「くそっ。また同じ所に出てしまったではないか。こうなったら、もう一度試して見るしか無いか」
佐伯は、放免二人を呼び、先程の岩で囲まれた坂を登って見るよう命じた。放免とは元々犯罪者で、検非違使の手先として働くことを条件に、罪を軽減されたりしている者達である。危険と思っても言うことを聞かざるを得ない。
下から様子を見てみる。上に人の気配は感じられない。二人は恐る恐る登り始めたが、何事も無く上まで辿り着くことが出来た。合図をすると、他の者達が登り始める。上は台地になっており、叢(くさむら)には岩や石がごろごろしていて、その先に池が有る。人影は全く無かった。辺りを警戒しながら進んで行く。深い草ではあるが、人が通った跡のように草が折れた道らしきものが続いている。
「どこに罠が仕掛けられているかも知れぬ。気を付けて行け」
そう言って、佐伯は放免達を先に立たせる。少し行くと深い叢から抜け出た。岩の間に土、そこに丈の短い草が疎(まば)らに生えている地形へと変わる。左は岩肌を晒した断崖であり、右は雑木の生えた急斜面と成っている。尾根状の地形で、進めるのは西方向のみとなる。緩やかな坂を少し下ってまた登りとなり、次の峰へと続く。そんなに高い峰では無いが、その先がどう成っているかは分からない。
「進むしか無いのう」
佐伯が鏑木に語り掛ける。
「犠牲を出して、今更このままでは帰れません」
「うん。今度こそ千方を……」
しかしそんな意気込みも、僅かな後に消えることとなる。
行く手の峰に七、八人の人影が現れた。高い峰では無いので顔ははっきりと見て取れる。
「千方だ!」
鏑木が、千方を指差しながら叫んだ。佐伯は初めて千方の顔を見た。次の瞬間、峰に居る千方以外の者全員が半弓を構えていた。そして、千方が右手を振り下ろすと矢が一斉に放たれた。しかし、それは佐伯達の身体を狙ったものでは無かった。それぞれの爪先ぎりぎりの土に矢がぶすぶすと突き刺さった。皆、思わず一歩跳び退く。二の矢が放たれ、もう一歩跳び退いた後、皆、後ろの叢(くさむら)へ逃げ込もうとした。その時、叢の奥からぱちぱちと弾ける音がし、それと共にキナ臭い匂いがし始めた。
「馬鹿な。こんな青々とした草が燃える筈が無い!」
鏑木が叫んだが、既に叢(くさむら)の奥からは、白い煙が立ち上り始めていた。
「あやかしだ」
佐伯の側に居た放免のひとりがそう呟いた途端、佐伯に殴り倒された。
「戯け。あやかしとは海に現れるものだ。詰まらぬことを申して不安を煽る不届き者は、成敗するぞ」
と脅す。
「駄目だ。奥にチラチラと火の手も見える。戻ることは出来ぬ」
鏑木が佐伯に告げる。
『盾(たて)は無いが、こう成ったら、矢を避けるか払うかしながら敵に向かって行くしか無い』
と佐伯は思った。だが、千方一党の弓の狙いが恐ろしく正確であることを知っている鏑木は諦めてしまった。
「行くぞ!」
そう声を上げて、佐伯を先頭に検非違使の一団、続いて健児(こんでい)達が突進して行く。鏑木は恐怖心から躊躇したが、仕方無く郎等達を率いて後ろに従った。
少しの間、千方は様子を見ていたようだ。十間も進んだ処で、又矢が降り注いだ。今度は連射で、それぞれの爪先左右の足の外側ぎりぎりに正確に撃ち込まれ、誰も身動きが取れなくなってしまった。
さすがに佐伯も、その正確さに気が付いた。殺そうと思えば殺せるのだ。それを、猫が鼠を甚振るように甚振(いたぶ)っているのだ。佐伯は防御の為に太刀を構えてはいるが、もはや、それで防げるなどとは思っていない。立ち尽くすより外どうしようも無いのだ。他の者達も大方同じだ。静止画のように誰も動かない。千方らもそれ以上射ては来ない。だが、ぱちぱちと言う音は次第に大きくなり、風に乗って煙も流れて来る。
動けば即、射殺されそうで動けないのだが、佐伯はゆっくりと目を動かして、周りを見ていた。
一番低い所、千方らが居る峰に向かう手前に低いが山状に少し高くなっている所が有る。その手前まで、草が踏みつけられ道のようになっている筋が続いているのだが、その先は登りになっていない。小山の裏に続いて繋がっているのではないかと佐伯は思った。佐伯は千方らを凝視しながら、右足をゆっくりと一歩踏み出してみた。直ぐに矢が飛んで来るかと思ったが、なぜか千方らは射て来ない。
「皆、走れ!」
そう叫ぶと、小山の陰を目指して全力で走った。他の者達は一瞬迷ったが、佐伯に矢が降り注がれないのを見ると、小山の陰を目指して、同じように全力で走った。
Ⅶ、鬼の居た洞窟
千方は、振り返って南の空を見た。地平線近くに不気味な雲が現れている。
「明日は嵐になると思う」
と望月兼家が、前日報せて来た。その時点では、風は有るが天気も良く、まさかと思われた。
望月兼家の伝言では、毎日雲や風、その他の現象を観察している者が居て、前に大きな被害を齎(もたら)した大嵐の前日と酷似した状況に有ると言う。
「さすが、兼家殿。あの黒雲を見る迄は半信半疑だったが、数刻もせぬ内に嵐になるのは間違い無さそうだな。少し追い立てて、後は天に任すこととしよう」
千方らは一気に峰を下り、検非違使達が逃げ込んだ小山の陰に回り込む。その先がどう成っているかは分かっている。
検非違使らは道を下っている。小山の陰に回り込んだ小道は急な下り坂となって続いている。急ぐと転げ落ちるので、心は逸(はや)りながらも、踏み出した足に力を入れ重心を後ろに残しながら、鏑木が振り返って見上げた。
「急げ。急げ!」
千方らが見下ろしていることに気付き、そう叫ぶ。それだけで、二、三人が足を滑らせ転落しそうになる。
「射掛ける迄も無いな。引き揚げるぞ」
一旦峰に戻り、反対の南側に降りる道を千方らは急いだ。
一刻(三十分)も経つと、急に風が強くなった。地平線近くに有った厚い雲がすぐ近くまで迫って来ており、異常な速度で流れている。
「いかん。嵐が迫っている。急げ、風雨を避けられる場所を探すのだ」
佐伯がそう言っている間にも風は強くなって来ている。更に半時後、大粒の雨が幾つか叩き付けて来たと思っている内に豪雨となった。風で吹き飛ばされそうになる。同時に豪雨で足元は滑り、土砂の表面が流れて滑り落ちそうになる。もはや二本足で立っていることは出来ない。皆四つん這いになり、手を泥だらけにして草や雑木、熊笹などを掴もうとする。手は泥だらけなので、顔に打ち付ける雨を掌で拭うことも出来ない。耳の穴にも雨粒が入る。風は益々強くなって来る。斜面に居たら吹き飛ばされてしまいそうな強さに成った頃、やっと平坦な場所まで辿り着いた。
命を懸けた戦いに臨む覚悟が出来る男でも、ずぶ濡れの鼠(ねずみ)のようになっている自分が情け無く思えて来る。ずぶ濡れの一団は、雨風を凌げる場所を求めて、泥濘に足を取られながら進んだ。
道はやがて木立の中に続く、林に入ると、木の枝や葉は大きく揺れているが、風雨は多少和らげられることになる。黒っぽい土の道のあちこちには木の根が盛り上がっており、躓(つまづ)くことに注意さえすれば、滑り止めにはなる。吹きっさらしの斜面に比べれば天国である。しかし、木を揺すり枝や葉を鳴らす不気味な音は、男達の心に恐怖心を涌かせる。嵐は未だ強くなる様相を見せている。
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「洞窟が有るようです」
先行している放免が、報告に戻って来て佐伯に言った。
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落ち葉が腐葉土になっている所に入って行くと、右から半分ほど木の枝と葉で覆われ、左側に苔(こけ)で覆われた妙な形の石が積み重なっている洞窟の入口らしきものが見えた。
「入って調べて参れ」
佐伯が放免に命じる。
暫くして、
「大丈夫です」
戻って来た放免が報告する。
「佐伯様。これは猪狩が言っていた洞窟ではありませんか」
鏑木が問い掛けた。
「鬼の居た洞窟か?」
「はい」
「例え鬼の棲家であろうと、入って嵐が過ぎるのを待つしかあるまい」
佐伯はそう判断した。
「はい」
ぞろぞろと連なって、一行は洞窟に入って行く。驚いた蝙蝠(こうもり)の群れが飛び出して来て、逆に人間達が驚き身を屈める。昼間とは言え薄暗い中で、皆、濡れた衣服の袖や裾を絞る。火打ち石は持っていても、肝心な"ほくち(出した火花を受ける木炭の粉など)" や点け木が濡れてしまっているので火は起こせない。薄暗い中で、蛭(ひる)が落ちて来るとか、足元を蛇(かがし)が這っているとか、仮にそんな状況であったとしても分からない。皆身を縮め無言で立ち尽くしている。
気温が下がって来ている。入口からは風が吹き込んで来るし、濡れた衣類が身体を冷やして行く。
「明日の朝まで吹き荒れるかも知れぬな」
暫くして佐伯が呟いた。
「はい。この洞窟を見付けられて助かりました。とても外でひと晩は耐え切れません」
何かを考えている様子の佐伯が鏑木に聞く。
「ところで、ここに居たという鬼の話だが、朝廷に逆らって討たれたと言うことであったな。いつ頃のことであろうのう」
と鏑木に尋ねた。鏑木は、こんな時に何を詰まらぬことを言っているのかと思った。
「さあ、言い伝えで御座いますから、いつ頃と言っても、まことかどうかも定かでは御座いませんでしょう」
と、曖昧に答えておく。
「鬼とは言っても、まことは人で、この辺りに勢力を持っていた豪族と言うことじゃ。それが朝廷に叛いて、鬼将軍と呼ばれるように成ったそうじゃ」
どこで知ったのか、聞いた佐伯の方が詳しそうなのだ。
「はあ、左様で。随分と詳しくお聞きになられたのですな」
鏑木は、皮肉っぽい口調になっている。
「何、或いは千方のような者であったのかと思ってな」
この男、何を考えているのかと鏑木は思った。木々を大きく揺らして吹く風の音は恐ろしげで、洞窟の中にも吹き込んで来る。大勢で居るからまだしも、もし一人であったなら大の男でも心細いこと限り無いであろう。時が過ぎてくれない。疲れた足が限界を迎えているが、雨が流れ込んで来ている岩床に座り込むことも出来ない。不安を忘れる為に無駄話をしたい者も居るが、頭格の何人かを除けば、それも出来ない。
数刻後に、足の疲れに堪え切れず一人がしゃがみ込む。すると、直ぐに二、三人が続いた。そして、半時後には、殆どの者がしゃがみ込んでしまった。佐伯と鏑木はさすがにまだ立っていた。
「なぜ、我等はこんな目に会わねばならんのか?」
近寄って来た佐伯が、今更のように小声で尋ねる。
「もちろん、お上に逆らう不埒者を捕らえる為です」
鏑木がそう答える。
「だが、満季殿の本音は千方を殺したいと言うことであろう」
佐伯は、ずばりそう言った。
「はい。平忠常と言う者と諍いを起こし、忠常の郎等を斬り殺した上、国府に逆らうように戦の準備を始めました」
鏑木は、建前で答えた。
「相違無いか」
と佐伯が詰める。
「相違御座いません」
鏑木は、飽くまでそれで通すつもりだ。
「麿には、満季殿は千方に私的な恨みが有るように思えるのだが。何が有っても麿に目を瞑るよう働き掛けたのは、殺して恨みを晴らしたいが為であろう」
佐伯は、満季のせいでひどい目に合わされていると思っているから、建前で誤魔化されはしない。
「存じません。麿は主(あるじ)の命(めい)に従っているだけです」
佐伯に詰められて、鏑木は苦しくなって来た。
「まあ良い。だが、麿はこんなことに駆り出されるのは二度と御免だ。貰った物は返す」
佐伯は、鏑木にそう告げた。
「そのように仰られても、元々これはお役目として命じられたことで御座いましょう」
佐伯は答えなかった。鏑木は佐伯の側を離れ、その後二人とも無言となり、気まずい時が流れる。
長く重苦しい一夜が開け、嵐は去った。検非違使、近江の健児(こんでい)、満季の郎等の混成部隊は、冷たく肌に貼り着く衣類を纏い、棒のように重たい足を引き摺りながら、伊賀の国府を目指した。
早く陽が昇り、気持ち悪く濡れた衣服を乾かしてくれないものか。誰もがそう思いながら気力でやっと歩いている。
千方が自分達を殺そうとしてはいないと佐伯には分かっていた。崖から落ちた二人は、いわば事故のようなものだ。一人は案内人の猪狩。もう一人は放免だった。佐伯に取っては、殆ど痛手では無い。だが、更に追い詰める為に、千方はまた襲って来るかも知れないと思った。
散々道に迷い、まるで落武者のような一団が伊賀の国府に辿り着いたのは夕刻に近い。伊賀の国府で休養を取り体力が回復すると、健児(こんでい)達は、さっさと近江へ引き揚げて行ってしまった。検非違使の佐伯も、伊賀守の協力を要請することも無く、さっさと都に戻って行った。
佐伯との関係を悪くしてしまったのはまずかったと鏑木は悔やんだ。本当であれば、ここで体制を立て直し、もう一度攻撃したいところだった。だが、近江の健児にも検非違使にも逃げられてしまってはどうしようも無い。叱責を覚悟して、早馬で満季に文(ふみ)を送った。
鏑木から報告を受け取った武蔵守・満季は、怒りに震えながら、もう一度、太政官に解文(げぶみ)を送った。
都に戻った佐伯は検非違使庁に出頭し、仕損じたことを報告し詫びる一方、千方の罪に付いて確認して貰う必要が有る旨申し立てた。
中納言・検非違使別当・源重光から報告を受けた摂政・藤原兼家は、検非違使が務めを果たせなかったことよりも、満季が又も面倒を掛けて来たことを、余程不快に感じた。
「お務めを果たせなかった者が、僭越とは思いましたが、千方にどのような罪が有るか、ご確認をお願いしたいと申しております」
別当・重光が佐伯からの聴取に基づいて、摂政・兼家に報告する。兼家も安易に許可したが言われてみると、真偽を確認する必要が有ると思えて来た。思えば満季の申し立てだけで、裏付けは取っていない。
「分かった」
と兼家が応じた。
Ⅷ、種は蒔かれた
「いかが相成るかと思うて見張らせておったが、いや、見事のひとこと。天まで味方に付け、敵をキリキリ舞させましたな。いや、愉快、愉快」
礼と報告の為訪れた千方を前に、甲賀三郎は上機嫌である。
「天を味方に付けられたのは、大領に嵐の来ることを教えて頂いたからに他ならず、数々の仕掛けは、全て忠頼殿に教えて頂いたものです。お二方のご協力が無ければ出来ぬことでした。しかし、これで済むとは思われませんので、この先もご迷惑をお掛けすることになるかと思うと、心苦しく……」
千方は手放しでは喜べないものと見える。
「それについては、ひとつ良い報せが御座る」
と兼家が告げた。
「どんな?」
と千方が反応する。
「どうやら、検非違使と満季の郎等が仲間割れしたようじや」
「ほう」
「検非違使はさっさと都に引き揚げてしまったようだ。近江の者達も直ぐに引き揚げた。酷い目に合わされたのは満季のせいだと気付いたのであろう。さて、今一度検非違使を引っ張り出せるか。どうであろうかな」
検非違使と揉めた郎等と言うのは鏑木であろうと察しが付いた。二度と会いたく無い相手だ。
「正直、胸のすく思いがしたことは事実ですが、これきりにして、皆と煩い事無く田畑を耕したいものです」
千方はそう言った。
「そうなれば良いが、千方殿ご自身、田畑を耕すだけでこの先一生終われますかな? 多くの煩い事が有った後ですから、今、そう思われるのは無理も無いが、そのまま埋もれてしまう方とも思えぬでな」
そう思うのは兼家の買い被りだと千方は思う。皆と穏やかに暮らすこと以外、今の自分は、欲も望みも持つ気は無いと思うのだ。
「そんなことは御座いません。昔は兎も角、今はただの隠居で御座います」
と、答えた。
「古能代殿が達者なうちに、郎等達の子らを鍛えて貰ってはどうかな。稀に見る武人じゃからな。仮に何も無かったとしても、これから先末長く、郷の護りをどうするかということは、考えて行かなければならぬことであろう」
「はい。確かに」
「麿のやっている仕事も、暇が出来たら少しずつ始めてみてはどうかとも思うておる。まあ、当分は開墾で精一杯であろうが」
「仕事と言いますと、細作のことですか?」
そう聞いた。細作の仕事を手伝って欲しいと兼家が思っているなら、世話になっている以上、断り続ける訳にも行かない。
「そうだ、郷を護る為だけではないぞ。ひとを信用出来ぬ今の世。誰が何を考え、どう動いているか。それを知ることは、身の安全の為にも欠かせぬこととなっている。まして、敵を持つ者なら尚更。その動きを知る為なら財貨を払っても良いと思う者は、益々増えて来ることだろう、意外と良い身入りになるぞ。天災地変も有る。田畑を耕して得られるものだけでは、何かの時に足らなくなる。そうであろう。郷を束ねる身としては、それも考えておかずばなるまい」
手伝えと言う事ではなく、千方自身が郎党を率いて伊賀で新たに細作を生業とする一党を作ってはどうかと勧めてくれているのだ。
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「ご教示胸に止めて、考えてみます。ただ、今は開墾に心血を注ぎたいと思っておりますので」
甲賀兼家の提案については、はっきりと返事をしないまま、千方は兼家の舘を後にした。
こちらは、摂政・藤原兼家。武蔵に人を派遣して調べて見ると、千方では無く忠常に非が有ること、満季が千方を召喚して取り調べてはいないことなどが分かった。
『麿を利用しようとは、小癪な奴。満仲の弟で無ければ罰する処だが、満仲の功績に免じて、この度だけは許してやるとするか』
兼家はそう考えた。兼家がこのように考えたのは兼家側の事情である。ひとつには、満仲と違って、公事(くじ)にも私的都合を絡めて来る満季を日頃から少々不快に感じていたこと。それに加えて、藤原文脩(ふじわらのふみなが)が、兼家六十歳の賀料として皇太后・詮子(せんし)に任料を納め、下野藤原が朝廷に積極的に従う態度を示している為、文脩を刺激したく無いと言う気持ちが働いていたのである。
摂政・兼家から武蔵守・満季に以下の命(めい)が届いた。
『千方に容疑は無いと分かった。不十分な理由を以てお上(かみ)を動かしたことは甚だ怪(け)しからんことであり、本来、上洛を命じ取り調べるべきところ、特別の温情を以て、こたびは譴責にとどめる。以後、千方には手出し無用のこと』
検非違使の再派遣を要請していた満季には、これは衝撃であった。同時に、自分が兼家の不興を買ってしまったことに気付かされた。どうにも腹の虫が収まらないが、こう成っては千方を始末することは諦めざるを得ない。鏑木を呼び戻すことにした。
千方らは嵐の傷跡の補修や開墾に取り組んでいた。甲賀三郎からの情報では、検非違使が再派遣される様子は無いと言うことである。
「あの折は楽しゅう御座いましたな」
秋天丸が、検非違使らをてんてこ舞いさせた日の事を懐かしんで、土を耕しながら楽しげに話す。
「久し振りに胸が透く思いがした」
もはや、極端に無口な男では無くなった古能代も同意する。
「統領、矢は何本受けました?」
そう尋ねたのは夜叉丸である。
「七、八本かな」
「射返せば、敵の全部をあの世に送れたでしょうに、残念です」
夜叉丸がそう言った。。
「もし、そんなことをしていたら、今頃のんびりと畑仕事などしておれんわ」
畚(もっこ)を担いでいた千方が、笑いながら返す。
「大成功。いや、愉快で御座った」
切り株に腰を下ろし作業を見物している安倍忠頼も愉快そうだ。
「忠頼殿に色々な仕掛けを教えて頂いたことと、運良くと言うか、甲賀三郎殿から嵐が来ると教えて貰ったことが全てだ。お陰で殺さずにきりきり舞させることが出来た。人を殺せば恨みは長く残る。この数十年でそれを思い知らされた」
千方はそう述懐した。
「摂関家の権力と言うものの始末の悪さも思い知りました」
古能代が応じる。
「そうだな。高明様も太郎兄上もそれに陥れられた。父上のお言葉では無いが、我等の力、未だ蟷螂の斧だ」
そう言いながら新しく畑にする所に、千方が畚(もっこ)の土を投げ出す。
「時勢が変わる時は、いずれ参ります。今は、じたばたしても仕方が無い。 …… しかし、何と言っても、あの嵐は大きかった。中々ああ見事に嵌まるものでは有りませんぞ」
そう言って立ち上がると、忠頼は腰に手を当てて歩き始めた。
「忠頼殿、いつまでおられる?」
千方が聞く。
「陸奥に雪が降る迄には帰りたいと思っております」
「左様か」
郎等達の妻子も皆楽しげに働いている。
『ここに新しい郷が出来、代々引き継がれて行くのだな』と千方は思った。
そこに千方と古能代の子孫は居ないが、夜叉丸、秋天丸、犬丸、鷹丸、鳶丸らの子孫が地元の民と交わって新しき郷を築いて行く姿を、想い描いていた。この先この郷をどうして行くか。あまり乗り気ではなかったが、甲賀三郎に言われたことが耳に残っていた。
細作の郷。即ち、各地の情報を集め、それを必要とする者に売る。郷の護りと身入りを考えたら、確かにひとつの目指すべき方向なのかも知れない。そう思った。
永延二年十月三日の臨時の除目(じもく)で、文脩(ふみなが)が鎮守府将軍に補任(ぶにん)された。後年、秀郷流藤原氏は、文脩の子孫を中心に多くの支族を生み、二百年ほど後には、鎌倉武士として栄えることになる。
一方草原(かやはら)氏は、私市(きさいち)氏との関係を修復した後、後年、成木、久下、市田、楊井、太田、小沢、河原各氏と共に私市氏の許に結集し、武蔵七党の一つとも数えられる『私市党(きさいちとう)』を結成して、やはり、鎌倉武士へと成長して行く。
摂政・兼家は、永祚元年、円融法皇の反対を押し切って長男・道隆を内大臣に任命して、律令制史上初めての『大臣四人制』を実現させ、更にこの年に太政大臣・頼忠が薨去すると、その後任の太政大臣に就任した。翌、永祚二年の一条天皇の元服に際しては加冠役を務める。これを機に関白に任じられるも僅か三日で、病気を理由に嫡男・道隆に関白を譲って出家、『如実』と号して別邸の二条・京極殿を『法興院』という寺院に改めて居住したが、その二ヶ月後に病没した。享年六十二歳。怨念に満ちた波乱の生涯であった。因みに藤原摂関家に最盛期を齎す藤原道長は兼家の三男である。
Ⅸ、鬼が創られるまで
まだ摂政・藤原兼家の存命中、満季の武蔵守の任期も一年を切った。千方に手出しすることが出来無くなった後、満季はひたすら蓄財に励んでいた。しかし、兼家の機嫌を損ねたことが気に掛かっている。次の官職にすんなり就くことが出来るか不安だった。そんなこんなで、このところ満季の機嫌は甚だ良く無い。
鏑木も、伊賀での失敗以来、満季の信頼を失ってしまっている。その鏑木が、満季の機嫌を直す策を思い付いて居室を訪ねた。
「お話ししたき儀が御座いまして、参上致しました」
と声を掛けると、
「何じゃ」
満季は不機嫌そうに応じる。
「入って宜しゅう御座いますか?」
と尋ねる。
「…… 入れ。何用だ」
「千方のことで御座います」
満季が関心を示してくれる事を期待して言った。
「千方? 貴様が仕損じた為に手も足も出せなくなった、あの藤原千方のことか」
そう満季に詰(なじ)られた。
「申し訳御座いませんでした」
「密かに千方を殺す名案でも思い付いたと申すか」
「いえ、千方が伊賀におれなくすることが出来ればと思いまして」
「伊賀におれなくなる?」
満季の目が『貴様、何が言いたいのか?』と言っている。
「千方の悪評を広めては、如何かと思います」
と、鏑木は気持ちを込めて満季を見詰める。
「ふん、悪口を言い振らすなど。童の喧嘩では無いのだぞ」
鼻で笑って、満季はそっぽを向いた。
「お聞き下さい。あの折、嵐を避けて逃げ込んだ洞窟が御座いまして。何でも昔鬼将軍と言う者が朝廷に叛いて蜂起したが、結局滅ぼされたと言うことで、その鬼将軍が隠れていた場所と言う言い伝えの残る洞窟でした」
満季の歓心を呼び起こさないと『くだらん! 下れ』と言われそうである。
「それがどうした」
満季は余り興味無さそうだ。
「あの折、佐伯様が千方のようだと仰ったのですが、あの時は、何を詰まらぬことをと思いました。ですが最近、或る話を聞いた時、使えるかも知れぬと思い至りました」
満季の目に、僅かに関心の色が宿った。
「持って回った言い方はよせ。どう使うと言うのじゃ」
と鏑木を詰める。◎
「申し訳有りません。武蔵の健児(こんでい)で、千方が鎮守府将軍の頃、胆沢(いさわ) の鎮守府に居た者がおりまして、或る時、千方の郎等が『我が殿は鬼を操れる』と申しているのを聞いたと申しておりました。にわかには信じ難い話ではございますが、千方が念じると、鏡の中に鬼が現れたと言うのです。鬼将軍の言い伝えを思い出し、事の真偽は別として、利用出来るのではないかと思い至りました。逸話の鬼将軍。その名を藤原千方と言い触らしてはどうかと思い付いたのです」
少し関心を示したかのように見えた満季だが、再び落胆したように力を抜いた。
「しょうもない」
満季は、そう言って、また横を向いた。
「お聞き下さい」
鏑木は、満季の関心を呼び起こそうと、必死になって続けた。
「学者と称する者が昔話の真相を、民達に説いて廻るのです。鬼将軍と言われた者の名は『藤原千方』と言い、悪逆を尽くした豪族で、鬼達を使って朝廷に反逆したが、征伐されたと言う筋書きで宜しいかと」
満季の顔色を伺いながら、説明する。
「今生きている千方を昔話にしてどうする。何の意味が有るのだ」
否定しながらも、満季の気持ちが動いているのが見えた。もう一息と鏑木の言葉に力が入る。
「藤原千方と言う者は悪人だと、民達の心に植え付ければ良いのです。『鬼将軍とは言っても、名は何と言ったのだろう』そう思っている者も少なくはない筈です。藤原千方と言う者は悪人だと心に植え付けられれば、愚かな民達は、昔も今も区別が着かなくなり、今居る千方も悪人と決め付け、追い出そうとするかも知れません」
『如何でしょう』と聞こうとしたが、
「そこまで愚かな者はそうおらんわ」
と満季に遮られた。鏑木はそんな事では退けない。
「いえ、民とは、所詮その程度のものだと吾は思っております。上手く操れば、案外思うように動いてくれるものです」
「確かに、下野ではその手で上手くいった。それは認めてやる」
と満季が言った。鏑木は何とか説き伏せようと必死だ。
「もうひとつ。民とは、事実などより荒唐無稽な絵空事の方が遥かに好きなもの。そうは思われませんか? 神話の時代から今に至るまで、民達は絵空事に胸を踊らせ、歴史の事実がどうであったかなどには余り興味を持ちません。要は荒唐無稽で宜しいのです」
民人達の心を操る方法を、何とか満季に理解させようと鏑木は思っている。
「そんなに都合良く行くとは思えんが、考えてみれば、そのような伝承に絡めて、藤原千方が鬼将軍と言い触らすと言うのは案外面白いかも知れぬな。腹いせにはなる。駄目元でやってみよ。ところで、鬼将軍は誰に滅ぼされたのじゃ?」
満季が話に乗って来た。鏑木は意を強くした。
「はっ、言い伝えには名が有りませんので、考えます。あの辺りは紀伊国ですから、古代からの名門、紀氏の者が宜しいでしょう。朝廷方の英雄ですから、朝廷の『朝』と英雄の『雄』で、紀朝雄(きのともお)で如何でしょうか?」
「そのような名の大将軍は、歴史にも言い伝えにもおらぬぞ。大きな戦いが有ったとすれば、何かに書き残されているか、他の逸話が無ければおかしいであろう」
少し関心は出て来たが、満季はまだ効果に疑問を抱いている。
「紀朝雄は大将軍ではありません。只の公家です。朝廷に叛くことがいかにおそれ多いことかを和歌に詠むと、千方に従っている鬼達が己を恥じ、千方を見捨てる。それで千方は朝雄に討たれてしまう、ということです」
「言霊(ことだま)で滅びたと言うことか。確かに、和歌(うた)には霊力が有ると言われる。なるほど、考えたな。それなら大戦の記録が無くとも良いな」
満季は、鏑木の思い付きの絵空話に少し呆れた表情を見せたが、千方がだらしなく滅びると言う設定は気分を良くするものではあった。
根も葉も無い噂が、いつの間にかまことしやかに語られるようになる事が有る。それは、今も昔も変わりない。ただ、フェイクニュースがあっという間に広がる現代と違って、噂が広がるには時が掛かった。
三年ほど経った頃から、旅をしている偉い学者が語ってくれたと言う、伊賀の青山辺りに伝わる伝承が、伊勢を中心に少しずつ広まり始めていた。今迄『鬼将軍』とだけ伝わっていた悪人の名は『藤原千方』と言い、鬼を操って朝廷に叛いたのだと言うことも知られるように成った。根も葉もない噂が独り歩きして、時代を経て文字として書き残されることになる。
学者が語った話は徐々に広まり、後年、『太平記』の「巻十六 日本朝敵の事」に下記のような形で、あの将門より前に取り上げられることになるのだ。
昔は噂が広がるのは遅いが、一旦広がってしまうと事実と区別が付かないものになってしまい、打ち消す術(すべ)がなくなってしまうことが、現代とは大きく違うところだ。
『天智天皇の御宇(ぎょう)(御代(みよ))に藤原千方と云う者有って、金鬼・風鬼・水鬼・隠形鬼(おんぎょうき)といふ四つの鬼を使へり。
金鬼はその身堅固にして、矢を射るに立たず。
風鬼は大風を吹かせて、敵城を吹き破る。
水鬼は洪水を流して、敵を陸地に溺す。
隠形鬼はその形を隠して、にはかに敵をとりひしぐ。
かくの如く神変、凡夫の智力を以って防くべきにあらざれば、伊賀・伊勢の両国、これが為に妨げられて王化に従ふ者なし。
ここに紀朝雄(きのともお)と云いける者、宣旨をかうむつて、彼(か)の国に下り、一首の歌を読みて、鬼の中へぞ送りける。
[草も木もわが大君(おおきみ)の国なればいづくか鬼の棲なるべき]
四つの鬼この歌を見て、
「さてはわれら悪逆無道の臣に従って、善政有徳の君を背きたてまつりけること、天罰遁るるところ無かりけり」
とて、たちまちに四方に去って失せにければ、千方勢ひを失ってやがて朝雄に討たれにけり』
ところで、『鬼将軍』・藤原千方が謀反を起こしたとされる時代については、いくつかの説がある。
天智天皇の御代(みよ)、壬申(じんしん)の乱の頃、さらには、村上天皇の御代に高官であった千方が、正二位を望み、得られなかったことから反乱を起こしたとの説まで存在する。
中臣鎌足は、天智天皇から藤原の姓(かばね)を賜った翌日には逝去している。従って、天智天皇の御代(みよ)に藤原を名乗る豪族など居ない。
次に、
『壬申の乱』とは、天智天皇の弟・大海人皇子が、天智天皇の遺児・大伴皇子を討って政権を奪取した出来事である。
前政権の高官であった鎌足の一族の多くは罰せられた。男児で唯一生き残っていた鎌足の二男・史(ふひと)は十三歳であった為処罰を免れたが、姓を中臣に戻し、ひっそりと暮らさざるを得なかった。つまり、この時代にも『藤原』を名乗る豪族など居ない。
藤原氏が躍進するのは、次の持統天皇の御代(みよ)である。しかし、権力を得た史(ふひと)改め不比等(ふひと)は、自らの子意外の一族の者が『藤原』を名乗ることを禁じ、全て中臣姓に戻させている。やはり、藤原を名乗る豪族など存在し得ない。
平安時代に至り、村上天皇の御代(みよ)に於いて、千方が高官などではなかったことは、この小説の読者なら自明のことである。高明を千方に置き換えて、悪人にしただけだろう。
『太平記』の成立以来ほぼ二百年の間に、千方伝説は祝言の語り物として流布し、田楽能の素材に成った後、謡曲の『千方』や『現在千方』などに改められて広く受け入れられたと言う。
文武共に類稀(たぐいまれ)な才を持ちながら、自身は歴史に名を残すこと無く、信念を貫き、時代の波に抗いながらも時代に取り残された男。それが藤原千方である。
しかし、皮肉なことに悪意を以て作り出された虚像は独り歩きし、後代『太平記』の悪人列伝に取り上げられることに寄って、朝廷に反抗し紀朝雄(きのともお)に滅ぼされる悪の将軍として、その名を今も残す存在と成った。
尤も「悪人列伝」の言う"悪人"とは、飽くまで朝廷側、即ち藤原摂関家から見ての"悪人"であるから、長屋王を始めとして、藤原氏の陰謀に因り失脚した者が多く悪人として取り上げられている。
正義も悪も時代に寄ってその認識に違いが有る。また現代に於いても、国によって違うことは自明だ。中国の正義、アメリカの正義、イランの正義。イスラエルの正義、パレスチナの正義。それぞれの掲げる正義のいずれが真の正義なのか。その評価は立場に寄って異なる。結局、それぞれの国の勝者・権力者に寄って決められているのだから。
伊賀、伊勢では、藤原千方悪人説が広まったことは事実だ。だが、鏑木の言うほど民は愚かでは無かった。伝説の鬼将軍と現実の千方を同一視して敵意を持つ者は、ほんの一部でしか無かったと思われる。
一方、武蔵国・埼玉郡・草原郷(かやはらごう)には、千方を慕い懐かしむ民が少なく無かったと言う。『悪の将軍』と言われながらも、何故か親しみを以て語り継がれている存在が、伊賀に於ける『藤原千方』なのである。
埼玉県加須市に二ヶ所、羽生市に一ヵ所、藤原千方の善政を称えて祀ったとされる『千方神社』が存在する。
https://7496.mitemin.net/i337516/
https://7496.mitemin.net/i337519/
https://7496.mitemin.net/i405218/
千方の名は、秀郷流藤原氏の系図の一部にのみ残る。『尊卑分脈』では千常の子として記載されているが『実舎弟』との添え書きが有る。子や孫に付いての記載は一切無い。
官職に付いては『新編武蔵風土記(千八百十年起稿、千八百三十年に完稿)』の千方神社の縁起に触れた部分に『俵藤太・秀郷の男(男子)を祀る所なりといへり。按に秀郷が六男修理大夫を千方と云、この人を祀りしなるべし』と有るが、修理大夫の官位相当は従四以下であり、従四位上・参議であった者も多い。
千方がこの地位まで上っていれば、『公卿補任』その他に、確認出来る資料が有る筈だが見出だせない。『新編武蔵風土記』自体、かなり後世に成立したものであり、その信憑性は低い。
今日(こんにち)Netで『藤原千方』と検索すると、伊賀に伝わる『悪の将軍・千方伝承』『藤原千方の四鬼』などがずらずらと並び、それを元に作られたアニメーションやゲームなどが続くが、人々の関心は専ら虚像に付いてであり、平安時代中期に生きた秀郷の六男、六郎・千方の実像に関心を寄せる者は居ない。
https://novel.daysneo.com/sp/works/8960d2e384641ceacd93ea36060d5053.html
ー(完)ー
執筆の狙い
今日(こんにち)Netで『藤原千方』と検索すると、伊賀に伝わる『悪の将軍・千方伝承』『藤原千方の四鬼』などがずらずらと並び、それを元に作られたアニメーションやゲームなどが続くが、人々の関心は専ら虚像に付いてであり、平安時代中期に生きた秀郷の六男、六郎・千方の実像に関心を寄せる者は居ない。
(1)長編の最終部分ですので、図々しくもテーマらしきことを述べていますが、ご理解頂けるものでしょうか?
(2)千方14歳から53歳までの半生を描いたものの最終部分ですが、ストーリーとしては如何でしょうか?
(3)風景描写、心理描写、に加えて時代状況の説明なども入っていますが、そのへんのバランスは如何でしょうか?
ご感想、アドバイスを頂けたら幸いです。宜しくお願いします。
※長編の為、随時登場した人物がカーテンコールのように揃って登場していますので、『誰が誰やら分からない」とのご批判は覚悟しています。