第二章 第8話 三度目の襲撃
その後、平穏な日々が続いていた。敵を捕らえることよりも千方(ちかた)の身辺警護に集中するよう祖真紀(そまき)が方針を変えた為、敵もそう簡単には近付くことが出来ない。
千方も、気儘に出歩けるのも今のうちと思い、千清(ちきよ)の案内無しで洛中を散策するようになった。人の多い街中で襲われる危険性は少ないし、人波に紛れ、近くで警護することも出来る。表向きの供はもちろん夜叉丸と秋天丸(しゅてんまる)だが、それに雛(ひな)が同行するようになった。確かに、男三人で歩いてみても余り面白くは無い。雛が一人加わるだけで華やかになり、皆、何と無く楽しい気分になる。
良く出掛けたのは、東市(ひがしいち)である。平安京は東西千五百丈(四・五キロメートル)、南北千七百五十一丈(五・二キロメートル)の長方形に区画された都城である。北端中央に内裏(だいり)を含む大内裏(だいだいり)(官庁街)が有り、そこから市街の中心南に向かって朱雀大路が走りその両側が内裏側から見ての左京、右京となる。
藤原緒嗣(ふじわらのおつぐ)が提案した延暦二十四年(八百五年)の徳政相論に於いて、征夷と遷都の事業を中止することが決まった。
そう言ったことも有り、平安京は京域が広すぎた為か、規則正しく配置された条坊が人家で埋まることは遂に無く、特に右京の南方の地では九世紀に入っても宅地化が進まず、十世紀には荒廃して、本来京内では禁じられている農地へと転用されることすらあった。
貴族の住む宅地は大内裏に近い右京北部を除いて、おおかた左京に設けられ、藤原氏のような上流貴族の宅地が左京北部へ集中する一方、貧しい人々は京内南東部に密集して住み、更には平安京の東限を越えて鴨川の川縁に住み始めた。また鴨川東岸には寺院や別荘が建設されて市街地が更に東に広げられる傾向が生じた。
当時、全国の人口は推定五百六十万人。その内、京には十二万人が暮らしていたと思われる。貴族は凡そ千六百人。下級官人(つかさびと)まで含めると官僚は一万二千人以上だったと言われ、京に住む者の十人に一人が官吏なのだ。勿論、この中には公卿(くぎょう)の私的使用人などは入っていない。
東西の市は官営で、市司官吏(いちのつかさ)が管理をし、当初毎月十五日までは東市が、十六日以降は西市が開かれていた。しかし、西市は地勢の悪い低湿地に設置されたこともあって、早くも十世紀には衰退し始め、東市の役割が大きくなっていた。これに伴い規制が次第に弱まって行き、市の運営も官営から市人(いちびと)中心へと移り変わって行った。
東市(ひがしいち)は、南北を七条大路と七条坊門小路、東西を大宮大路と堀川小路に挟まれた一画(京都駅の北西寄り。現・七条猪熊の北から西本願寺の地に掛けて)に有った。
千晴(ちはる)の舘から四条大路に出て東に進み朱雀院の壁を左に見て歩くと、朱雀大路に掛かる。朱雀大路は、幅二十八丈(八十四メートル)。道と言うより、いくつもの広場が南北に繋がっているようなものだ。公卿の乗った牛車(ぎゅっしゃ)同士がすれ違おうと、牛車を止めて世間話を始めようと、その外側を官人や庶民が通るのに何の差し支えも無い。
平安京は大唐帝国の都の街並みを真似た都だ。しかし、シルクロードや海運貿易で栄えていた大唐の真似をどこまで出来たかと言えば、財政規模が違い過ぎる。広い街路を造る事は出来でも、唐の都のように金銀朱で彩られた豪華絢爛な建物を並べる余裕は無かった。
そこで、高い塀を街中に張り巡らす事で、唐の都に比べれば地味な街並みを隠す事を考え付いた。外国からの使節は、高く白い塀に囲まれた大路を内裏に向かって進む事になる。そうやって、体面を保とうとしたのだ。
国の財政も逼迫している有様だから、都にも貧民が溢れている。餓死、行き倒れは日常茶飯事である。最貧民は塀沿いに住み着いてしまっている。木の枝を組んで筵(むしろ)を掛けて暮らし、物乞いや盗みを重ねてどうにか生き延びていると言う状態だ。
そんな訳で都は臭い。外国の使節が来る時には検非違使(けびいし)が徹底的に貧民達を追い払い、囚人達を使って街の大掃除をやるのだが、普段は、追っても追っても戻って来るのでお手上げ状態である。だから、貴族達は匂いを嫌って広い大路の真ん中を通る。
朱雀大路の南端に有る羅城門には屋根が有るので、特に人が集まり易いが、腕力の有る者が良い場所を占め悪人の巣窟となっている。死体を食っていると言う噂さえ有るのだが、それを確かめた者は居ない。だが、羅城門はこの後、天元三年(九百八十年)七月九日に倒壊し、その後は再建されなかったと言う。
朱雀大路を横切り四つ目の角を右折すると、そこは、大内裏の東側から南下している大宮大路である。大宮大路を南下する。京の人達は『下ル』と言う。六条大路を過ぎ、七条大路に至る迄の中間点から、左手一帯(東側)が東市となる。
市の入口は、現・猪熊通りとの交叉点の辺り。米・塩・針・魚・油など十七種の外、東市では麦・木綿・木器・馬など五十一種が扱われている。
市場に集まるのは、商人と買い物客だけでは無い。他人の懐を狙う者達や詐欺師、物乞い、女を求める男達。人目を引きたさに、わざと派手な格好で伸し歩く若者達。盛り場は、いつの時代も変わらぬ喧騒と猥雑さが溢れている。
板葺の屋根に後ろだけの壁。戸板を並べその上に品物を積んで、商人(あきんど)が呼び声を張上げている。その売り声は坂東の者達のものとは全く違う。優雅と言うべきなのか、間伸びしていると言うべきなのか、どうとも取れた。多分、千晴は『優雅』と取り、千常(ちつね)は『間伸びしている』と取るのだろうなと千方は思った。朱雀大路とは正反対に、肩が当たったなどと言う罵り合いはしょっちゅう、中のいくつかは殴り合いにまで発展する。
「雛。何か欲しい物は無いか?」
千方が聞いた。
「いえ、有りません。色々な物を見ながら歩くだけで、楽しゅう御座います」
笑顔を見せて雛が応じる。
「先日、命を救われた礼をしておらん」
と千方は、雛の遠慮を取り除こうとする。
「役目に御座います」
雛はそう言い切った。
「そう言わずに、何かねだった方が良いぞ」
秋天丸が口を挟む。
「本当に欲しい物は有りません」
と雛は重ねて辞退したが、
「笄(こうがい)など買うてやろう」
千方は構わず決めてしまった。
「笄?」
意味が分からず、雛は鸚鵡返しに言った。
「笄を髪に刺しておれば、あのような時、石を拾わずとも投げる物が有る。武器と思って身に付けて置くが良い」
そう言われて、
「はい。分かりました」
とやっと雛が頷いた。兄から貰った銭で、千方は雛に櫛、笄(こうがい)を買ってやった。まだ、米や布を介しての物々交換が主流であったが、一部、市などでは銭が使われていた。朝廷は銭の普及を目指し官人には東西市などでの銭の使用を強制していたのだ。
和銅元年(七百八年)から平安時代中期の天徳二年(九百五十八年)に掛けての二百五十年間に十二種類の銅貨が発行され、朝廷が発行したことから皇朝十二銭と呼ばれた。だが、三年前に発行された乾元大宝(けんげんたいほう)を始めとして、いずれも質に問題が有った。度重なる改鋳に因って価値や信用が低下し、流通の減少も止まらず、民衆の銭離れが起こったのだ。硬貨は估価法(こかほう)などの公定価格の尺度としては通用したが、この後も支払いや交換には物品貨幣の米、絹、布が用いられ続けた。なぜ通貨普及が上手く行かないか。その理由が質の低下にあることに、朝廷は全く気付かなかった。
千方が市を見て廻っている時でも、夜叉丸は常に周りに気を配っていた。前回の襲撃を己の力で防げなかったことに責任を感じていた。例え雛の働きであったとしても、結果的に千方は無事であったのだからそれで良かったと思える秋天丸とは、受け取り方が違っていたのだ。
霜月(十一月)に入った。都は夏暑く冬は寒さ厳しい土地と、千方は聞いていた。『どれほどの寒さになるのか』と思いながら、坂東の風に比べて強くは無いが、一日一日冷たさを増す風を肌で感じていた。
或る日、いよいよ高明(たかあきら)邸での勤めが始まることを、兄・千晴から告げられた。だがその前に葛野に使いに行くことになった。
その日の所用を済ませての帰り道。叢(くさむら)から飛び出して来た三人の男達に短弓で狙われた。相模での奇襲が立場を替えて再現されたようなものだ。しかし、死角から襲われた訳でも、油断をしていた訳でも無かった。瞬間、夜叉丸が千方の前へ出て、太刀を抜いて立ち塞がった。素早い秋天丸は夜叉丸の更に前に出て、膝を突いて太刀を構え、下方への攻撃に備えた。
その時、既に三本の矢は弓を離れていた。千方の喉辺りを狙って放たれた矢は夜叉丸が叩き落とし、千方の胸を狙って放たれた矢は秋天丸が叩き落とした。だが、三本目の矢は夜叉丸の左肩を射抜いた。直ぐさま二の矢を射ようとした敵三人だが、草陰から飛んで来た矢に当たり、三人とも倒れる。姿を現したのは、祖真紀、犬丸、鷹丸、鳶丸、竹丸の五人。雛の姿は無い。敵方も、倒れた三人に代わって道の両側の草陰から七、八人の者達が現れ、太刀を翳(かざ)して駆け寄って来る。祖真紀らも、弓を捨て太刀を抜いて駆け寄る。乱戦となった。祖真紀が、いきなり二人を斬り捨てる。鷹丸、鳶丸も切り結んだ相手を制した。千方は矢を受けた夜叉丸を庇って前へ出ようとするが、夜叉丸はそれを拒み、左肩に矢が刺さったまま右手で太刀を振るっている。夜叉丸の死角を補って敵を防いでいるのは秋天丸である。
闘いは直ぐに終わった。過半数が戦闘能力を失った敵が、断念して撤退したのだ。だがその直前、千方側にも、もう一人傷を負った者が居た。竹丸だ。膝の後ろの少し上辺りを斬られていた。
秋天丸は、直ぐに夜叉丸の治療に掛かる。突き抜けた鏃(やじり)を折り、羽根の方を持って引き抜く。さすがの夜叉丸も苦痛の表情を見せ、声を発した。秋天丸は止血の為の薬草を塗り、最後に布で縛る。応急措置に必要な物は日頃持ち歩いているのだ。
竹丸の治療には祖真紀が当たった。太腿を布で縛り小枝を通して回し、捻って締め付ける。場所が場所だけに、出血多量で死ぬ危険性が有る。先ずは止血だ。しかし、余り長い間強く締め付けたままにすると、下肢が壊死してしまう。幸い出血はそう多くは無かった。竹丸が立とうとして痛みに大声を上げ、その場で引っくり返る。
「無理だ。肩に掴まれ」
鳶丸が肩を出した。
「済まねえ」
竹丸の顔は苦痛に歪んでいる。
矢傷を負った夜叉丸を千晴の舘に連れ帰る訳には行かない。代わりに鷹丸が残り、夜叉丸は竹丸と共に祖真紀達の隠れ家で治療を受けることとなった。冬に差し掛かる頃と言う季節も幸いし、夜叉丸の矢傷は化膿することも無く、順調に回復に向かっていた。筋に回復不可能な損傷を受けた様子も無かった。
問題は竹丸の方に起きていた。傷が治っても、足を真っ直ぐに伸ばすことが出来ず、まともに歩くことが出来ないのだ。筋を切られたか傷付けられていた。
「痛みが取れたら、曲げたり伸ばしたり毎日すると良い。きっと、段々動くようになる。手伝う」
雛は、暗く成りがちな竹丸を励まし続けていた。
「無理だ。これ以上良くはならん」
決して心根の強く無い竹丸は弱音を吐き続けている。
「そんなことは無い。もっと酷い傷を負っても良くなった者を知っている」
雛は必死で力付けようとする。
「吾の傷はこれ以上良くはならん。もう、放って置いてくれ」
竹丸は雛に背を向けた。
「竹丸。辛いのは分かるが、雛に当たるのはよせ。まだ若いのに、吾と汝(なれ)に気を使いながら、一所懸命に看病してくれたのは分かっておろう」
夜叉丸が竹丸に厳しく言った。
「汝(なれ)には分からん。汝の傷は治るが、吾のは治らんのだ!」
自棄気味に竹丸が喚く。
「だから何だ。それが、女々しく愚痴を言って雛にまで当たる理由になるのか」
竹丸が夜叉丸の方を見た。
「気に入らぬのなら、殴れば良い。昔、汝(なれ)には何度も殴られたからな」
「いい加減にしろ!」
そう怒鳴って、夜叉丸が腰を浮かせ掛けた。雛が夜叉丸に走り寄り、意外に強い力で夜叉丸を無理矢理座らせ、その場を収めた。
夜叉丸は犬丸と話し、竹丸を一旦下野(しもつけ)に帰し、傷が治ればまた呼び戻すよう提案して、千方に伝えて貰った。都に居ても役に立たないと思い込み苦しむだろうと思ったからだ。
だが、その翌日に竹丸の姿が隠れ家から消えた。他の者たちは、話し合った結果、探さないことにした。苦しい想いをしているのなら、離れて別の生き方を見付けるのも良い。竹丸に取ってそれが楽な生き方と言うのであれば、それでも良いと思った。
夜叉丸の傷は順調に回復し、近々また鷹丸と入れ替えることとなった。
「傷の方は、もう大丈夫でしょう。本人も、少しも早く戻りたいと申しております」
犬丸がそう報告した。
「そうか。それは良かった」
「ただ、正直申して吾は、もう少しあそこに居させてやりたい気も御座いまして」
犬丸はそう言った。
「なぜだ」
と千方が尋ねる。思い切ったように犬丸が千方に言った。
「その前に、ひとつ伺わせて下さい。六郎様は、雛をどう思っておいでですか?」
そう聞かれて、千方は困った。犬丸がなぜそんなことを言い出したのか分かったからだ。正直、千方は雛を女子(おなご)として好ましく思っていた。だが、蝦夷の娘である雛を正妻にしてやることは出来ない。そして、同じ蝦夷の娘として、死んだ芹菜(せりな)の面影がどうしても重なってしまうのだ。亡き芹菜は犬丸の姉である。雛と一緒に居る時を楽しむ以上のことを、当面千方は望んでいななかった。今、好ましく思っていると答えれば、この先どうするつもりかを答えなければならない。だが、千方はそこまで考えてはいなかった。それに、自分が雛を好ましく思っていると言えば、当の雛がどう思っていようと関係無く、夜叉丸は雛を諦めてしまうだろう。
もうひとつ、千方の心に残っていることが有った。ごく若い頃、陸奥に行き、安倍氏の舘に滞在したことが有った。戦に巻き込まれ、その時も夜叉丸は矢傷を負った。ただ、その矢傷は毒矢に寄るものだったので、夜叉丸は生死の境を彷徨うことになった。その時、看病してくれたキリと言う娘と良い仲になった。夜叉丸自身は話さなかったが、祖真紀(当時は古能代)の妻が気付いており、呼び寄せる手配をしようとしたのだが、折悪しく芹菜が急死し、夜叉丸も遠慮した為立ち消えとなった。
義姉(あね)に言われたことも心に残っていた。縁談の話になり『歳の近い郎党達と、男(おのこ)ばかりで気楽にやっておりますれば』と断ると、『主(あるじ)に遠慮している郎党達を哀れと思いませぬか?』と叱責された。夜叉丸は命懸けで護ってくれたのだ。雛もそう思っているなら、一緒にしてやろうと思った。
「良き女子(おなご)に育ったと思うておる。だが麿の中では、十何年前の姿そのままだ」
千方が犬丸の問にそう答える。
「女子(おなご)として、側に置こうとは思っておられぬのですね?」
犬丸が念を押すように尋ねた。そして、千方が頷くのを待って続けた。
「実は、夜叉丸と好き合うているようなのです。鳶丸にも聞いてみましたが、間違い御座いません」
「そうか。ならば話は早い」
と千方が答えたのだが、側に居た秋天丸が悪乗りをして来た。
「そうか。矢傷を受ければ、夜叉丸のような女子(おなご)に上手いことが言えぬ男でももてる。六郎様、次は吾が矢を受けることにします」
場違いな言いように、犬丸は少し眉をしかめる。
「秋天丸。女子(おなご)を得る前に、命を失うことになるぞ」
と、千方が秋天丸の言葉を制した。
「憚(はばか)りながら、そこまで間抜けでは御座いません」
と犬丸は得意げである。
「そうか、矢襖(やぶすま)となったそなたの姿など見たくない。先ずは命を大切に致せ」
秋天丸の表情が、急に神妙なものに変わる。
「有り難きお言葉。肝に命じて置きます」
そう言って秋天丸は、深く息を吐いた。秋天丸の場違いな物言いは、空気を読まずに言ったことなのか、千方の気持ちを和らげようと戯けたものなのか分からない。
千方の了承を得て夜叉丸は、雛と言う妻(め)を得た。
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執筆の狙い
長編小説の改訂版。途中の一話分を掲載します