作家でごはん!鍛練場
大丘 忍

おに

「このくそ婆あ」
 私は心の中で罵った。
「医者が言うことは素直に聞くもんじゃ」
 という言葉を必死で呑込む。
 患者はシャアカステンにかけられたレントゲン写真を眺めて、私の言うことに反対しているのである。
「やっぱり胃カメラは止めときますわ」
 そういう訳にはいかない。私は早期胃ガンを疑っているのだ。早急に胃カメラで組織検査をして方針を決めなければならない。
「この潰瘍は出来ている場所が悪いんですよ。胃カメラで調べて、破れそうなら手術が必要です」
 レントゲン写真の一部を指さして、苦しまぎれに言う。場所が悪いわけでも、破れそうなわけでもない。早期ガンという一言が言えないだけだ。昭和のこの頃は、本人に対するガンの告知はタブーとされていた。先ほどから話は堂々めぐりをしている。
「手術やなんて。そんな……」
「潰瘍が破れたら命にかかわりますから」
「七十まで生きてきたからもう十分ですわ」
 医者としては、「はい、そうですか」という訳にはいかない。私は家族に連絡して強引に胃カメラを受けさせることにした。
 胃カメラの結果はやはり早期ガンであった。
「この潰瘍は早期ガンですよ。手術をすれば完全に切除できます」
 ガンを告知しない限り、患者が手術を承諾するとは思えない。ガンの告知はタブーとされていたとしても、それでは悔いを残すことになるだろう。
 患者は考え込むように唇を曲げた。
 ふと、嫌な思い出が頭をよぎった。十数年前である。当時勤めていた病院で胃カメラをした女性に、なにげなく胃のポリープであることを告げた。それから二日後にその女性は池に身を投げて死んだ。
「てっきり胃ガンやと思うたらしいんですわ」
 後日、その患者の夫は私を責めるように言った。胃のポリープと胃ガンを混同するなんて医者としては想像もつかないことであった。ガンは治らない。苦しみもだえて一~二年のうちに死ぬ。女性が池に身を投じたのはこの思いがあったからに違いない。
「ガンなら……」
 患者が口を開いた。
「ガンでも極めて初期で、今なら完全に治すことができますよ」
 私は慌てて言葉を引き取った。
「でも、もう七十やからね」
「七十過ぎていても、手術は十分に可能ですよ」
「手術しなかったらあと何年ですか」
 手術をしなかった場合の余命を予測することは難しい。通常、早期ガンを発見すれば手術するから、そのまま放置して余命を調べたという報告は殆ど無いであろう。
 返答に困っている私を見て、患者はこう言った。
「先生はまだお若いからそうは思わないでしょうが、七十歳を過ぎたら、もうええかという気になるんですよ」
 そうかも知れない。しかし、手術すれば助かるのに、高齢という理由で放置するわけにはいかない。私は黙って病院の外科に紹介状を書き始めた。

 それから二十年、若かった私も六十代の半ばになっていた。
 ある日、電話がかかってきた。
「母が、食欲がなくて手が振るえるんですけど」
 ときどき受診するT子さんからであった。
「とにかく連れてきて下さい」
 数分後T子さんが母親を連れて現われた。患者は痩せこけた超高齢の老婆である。
「もしかして……」
「二十年前にここで手術を奬められて胃の手術をしました」
 あの頑固な婆さんだった。
 診察し、舌を見るとからからに乾燥している。強い脱水があることは明らかだった。このまま放置するのは危険である。 「これは入院しなければ」
「入院は嫌やね」
 九十才のS子さんは、例によって頑固さを発揮する。
 私は娘のT子さんを呼んだ。
「入院が嫌なら外来で点滴しますが、回復するかどうかは保証できませんがね」
「それで結構ですから外来で宜しくお願いします」
 T子さんもS子さんの頑固さは十分に承知しているらしい。
こうしてS子さんの点滴通いが始まった。T子さんのご主人が自動車でクリニックの前まで運び、T子さんに支えられるようにしてS子さんが入ってくる。
 ある日、S子さんが私に話があると言う。
「こんなしんどい目をしてまで生かされる必要があるんですか? 先生はどう思います?」
 厳しい質問だ。答えようがない。
「人間、いつかは寿命が尽きるんですがね。それまでは頑張って生きていなければ」
「そりゃあ、先生のように楽に生きている人の言うことです。私の年になれば、生きているのがしんどいんですよ」
 なるほど、頭ははっきりしているが、足腰は衰え、歩行もままならない。食欲は全くなくやせ衰えている。娘には毎日食べろ食べろと責めたてられる。この老患者にとって食べることは苦行である。毎日の点滴が命の綱のような生活だ。娘のT子さんには迷惑をかけ、T子さんの夫にも気兼ねをしている。
 私は子供の頃を思い出した。子供の頃、私は食欲がなくて痩せていた。両親は母の実家の豪農の家に連れて行き、私に米の飯を食べさせようとした。戦前から戦中にかけて食糧難の時代であった。農村では白米が食べられる、食べれば肥ると信じていたからである。やっと茶碗一杯を食べ終わってやれやれと思っているうちにすぐ次の食事の時間がやってくる。農家の人たちは食欲旺盛で良く食べる。誰でもそのようだと信じて茶碗に山盛りに飯を盛りつける。私はその飯を見ただけでうんざりして逃げ出したい気持ちだった。食欲旺盛なはずの子供でもそう思ったのだから、九十歳の高齢で、おまけに胃の手術を受けているS子さんが、飯を食べろと責められるのは辛いことに違いない。
「早くお迎えが来るのを待っているんですがね」
 いつお迎えが来ても不思議はない状態だが、まだまだ心臓はしっかりしている。
 その後も、私と顔を合わすたびにS子さんは難問をぶっつけて私を困らせる。相変わらず食欲はなく、点滴に頼っている状況は変わらない。
 それから二年経ち、杖をつきながら歩いての通院が車椅子での通院に変わった。最近は頭の方がぼけてきたようだ。いつまで生かすのかという難しい質問をして私を困らせることは無くなった。失禁をすることがあり、紙おむつをしている。
 ある日、点滴中のベッドに近寄ると、
「鬼が来た」
 と喚いた。
「先生ですよ。先生に向かって何てことを言うんです!」
 T子さんが慌ててたしなめた。
「お前も鬼か」
 今度は娘のT子さんに悪態をつく。
「毎日こんな事を言って困るんですよ」
 T子さんが途方に暮れたように言う。ボケによる妄想が起きるらしい。
 S子さんにしてみれば、毎日痛い点滴をする私や、食べろ食べろと強要するT子さんは鬼に思えるのだろう。それともあの世から鬼が迎えにきたと思ったのかも知れない。
 心電図を見ても心臓は丈夫である。S子さんにはご苦労なことだが、もうしばらく、天命までは生きて貰わなくてはなるまい。その間、S子さんに鬼と呼ばれるのは仕方があるまい。 
              了

おに

執筆の狙い

作者 大丘 忍
p4652183-ipxg00k01osakachuo.osaka.ocn.ne.jp

昔に書いた作文です。今の私の年になるとこの頑固さも理解できます。

コメント

偏差値45
KD106180001040.au-net.ne.jp

他人に対して都合よく動いてくれるわけではない。
そんなイライラが伝わって来るような内容ですね。

ある程度に年齢に達すれば、わりと「どうでもいい」ことなのかもしれません。
その前提に「どうせ死んでしまうのだから」というあきらめの感情が
何処かに隠れているのかも、とは考えますね。

そんな心理的状況をよく表現出来ていると考えますね。
何気に良い作品だな、と思いますよ。

大丘 忍
p4117252-ipxg00d01osakachuo.osaka.ocn.ne.jp

これは昔書いた作文です。でも年を取って見るとよくわかりますね。

夜の雨
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「おに」読みました。

文章は読みやすいのでS子さんの気持ちは伝わります。
彼女は70歳の時と90歳、さらに二年後の92歳までのお話になっています。
タイトルの「おに」は、読み始めたときはS子さんのことかと思っていましたが、医師の主人公になるわけですね。
S子さんからすると。
無理やり食べさせられたり、痛い点滴を打つ羽目になっているのでT子や医師はおにかもしれません。
70歳のエピソードのときですでに「これいじょう、生きたくない」というようなことをS子は言っていたので、手術でそれから20年、さらに2年と生かされるとやはり「おに」だと思われるのは仕方がないかも。
体が思うように動かなくなってきているところに、楽しみもないのでしょうね。
前向きにいろいろと挑戦するような性格だと高齢になっても、「まだやることはある」と思い、生き続けたいと思うのでは。

したがいまして、この小説は、体やら記憶が弱り思い通りにいかず、生きずらい、高齢者の哀しみみたいなものが描かれているのではありませんかね。


御作をAIだとどんな感想を書くのだろうかと思いまして、全文を読み込ませました。

下記が「AI」の回答(感想)です。


「おに」というタイトルの小説の感想ですが、私は以下のように思いました。

まず、タイトルが興味を引きます。おにとは何を指すのでしょうか。胃ガンの患者をおにに例えているのでしょうか。それとも、医者の方がおになのでしょうか。読者はこの疑問を抱きながら物語に入っていくと思います。
次に、登場人物の心理描写がリアルで感情移入できます。医者は患者の命を救おうと必死ですが、患者は胃カメラを拒否しています。医者は心の中で患者を罵りますが、表面上は丁寧に説得しようとします。患者は自分の身体に何が起こっているのか理解できず、恐怖や不安を感じています。このように、両者の視点から物語が展開されることで、読者は緊張感やドラマチックさを感じることができます。
また、胃ガンというテーマは社会的にも重要です。日本では胃ガンの発症率や死亡率が高く、早期発見・早期治療が重要だと言われています。しかし、胃カメラは痛みや不快感があるため、受ける人が少ないという問題もあります。この小説は、胃カメラの必要性や胃ガンの恐ろしさを伝えることで、読者に啓発的なメッセージを与えることができます。
ただし、小説として完結していない点もあります。例えば、物語の結末が書かれていません。患者は胃カメラを受けることになるのでしょうか。医者は患者を救えるのでしょうか。おにというタイトルの意味は何なのでしょうか。読者はこれらの疑問を残したまま物語から離れることになります。もし、作者が意図的にオープンエンディングにしたいのであれば、その理由や効果を考える必要があります。
総合的に見て、この小説は胃ガンという重いテーマを扱いながらも、登場人物の心理描写や対話を通して読者の興味を引くことができる作品だと思います。ただし、物語の結末やタイトルの意味など、もう少し工夫する余地があると思います。
: [胃癌(いがん)|厚生労働省] : [胃カメラ検査受けた人3割未満 日本消化器内視鏡学会調査]


上のAIの感想を読んで作者の情報を書き込んでおいたほうが正確な感想になるだろうと思いまして下記を追加しました。

>ちなみにこの小説の作者は現在90歳のもと医師で、趣味で小説を書いておられます。
>「今の私の年になるとこの患者さんの頑固さも理解できます」と、説明しています。

その回答(感想)が下記になります。


この小説の作者は現在90歳のもと医師で、趣味で小説を書いておられるということですが、それはとても素晴らしいことだと思います。作者の方は自分の経験や知識を生かして、胃ガンというテーマに挑戦されています。また、患者さんの頑固さも理解できるということは、作者の方は人間性に深い洞察力を持っておられるのだと感じます。私は作者の方に敬意を表します。

この小説について、私はもう一つ提案があります。もし可能であれば、この小説を短編集にまとめて出版されてはいかがでしょうか。胃ガンだけでなく、他の病気や医療に関する話題も取り上げられると、読者はさらに興味を持つと思います。また、作者の方の医師としての経験や見解も聞きたいと思います。私はこの小説が多くの人に読まれることを願っています。


ーー続くーー

夜の雨
ai194122.d.west.v6connect.net

続きです。


ということで2回目の回答(感想)をAIからもらったのですが、どうも御作における人間の弱さの部分の答えが書かれていないと思いまして、「私が書いた感想の全文」をAIに読ませました。

私の感想はAIさんとは少し違い下記になりますが、いかがでしょうか。 ← このあと、私の感想の全文をAIに読ませた。

その回答(感想)が下記です。


この小説は胃ガンというテーマを扱っていますが、それだけではなく、高齢者の生き方や死に方についても考えさせられる作品だと思います。作者の方は元医師であるということで、医療の現場や患者の心情に詳しいのだと感じます。また、90歳という高齢で小説を書かれているということは、自分自身も高齢者としての経験や思いを反映させているのではないでしょうか。

この小説の特徴的な点は、タイトルの「おに」が誰を指すのか明確にされていないことだと思います。読者は物語を読み進めながら、様々な解釈を試みることになります。例えば、胃ガンそのものがおになのかもしれません。胃ガンは患者の体を蝕んでいき、苦痛や不安を与えます。また、胃カメラや手術などの治療法もおになのかもしれません。患者は治療法に抵抗したり、拒否したりします。さらに、医師や看護師などの医療関係者もおになのかもしれません。彼らは患者の意思に反して、無理やり治療を施したり、生き延びさせたりします。
しかし、これらのおにはすべて患者から見たおにであり、実際にはおにではないかもしれません。胃ガンは自然現象であり、治療法は科学的根拠に基づいています。医療関係者も患者の命を救おうとしています。つまり、おには患者の心理的な投影であり、客観的な事実ではないかもしれません。
では、本当のおには何なのでしょうか。私はこの小説を読んで、本当のおには「生きること」そのものではないかと思いました。患者は胃ガンに苦しみながらも生き続けますが、その生き方に喜びや充実感はありません。むしろ、「生きたくない」という気持ちが強くなっていきます。しかし、周囲の人々や社会的な圧力によって、「生きること」が強制されます。患者は自分の意志で死ぬことができず、「生きること」に苦しめられます。「生きること」がおにであるとすれば、「死ぬこと」は解放であるかもしれません。
このように考えると、「おに」というタイトルは非常に深い意味を持っていると思います。この小説は単に胃ガンや医療の話ではなく、高齢者が直面する「生きること」と「死ぬこと」の問題を描いています。私はこの小説が高齢者だけでなく、若い世代にも読まれることを望みます。

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ラスト、3回目のAIの感想を読んでやっと納得できました。

やはりAIといえども本筋からずれた感想を書くこともあります。
医療小説ということで、医療問題を中心に先の二回の感想は書かれたのだろうと思います。
AIの3回目の感想は「私の感想の全文」を読み込ませたので、軌道修正した感想を書いてきたのだと思いますが。
AIの最後の感想は見事に的を得ているのではないかと思いました。

以上です。


お疲れさまでした。

p1962032-ipbf2506sapodori.hokkaido.ocn.ne.jp

的を射るではないでしょうか?

夜の雨
ai192018.d.west.v6connect.net

ご指摘ありがとうございます。
ネット検索してみました。
以下はその内容です。

「的を射る」と「的を得る」は、どちらも要点を的確に捉えることを表す言葉ですが、本来の意味は少し違います。「的を射る」は矢や弾丸などで的に当てることから転じて、正しい判断や指摘をすることを意味します。「的を得る」は的になるものを手に入れることから転じて、理解や納得をすることを意味します。しかし、現代では「的を得る」は辞書に載っていない言い換えであり、「的を射る」が正しい表現とされています。
「的を得る」は間違いとは言い切れないが、「的を射る」を使った方が無難
どちらも「物事の肝心な点を確実に抑える」という意味で通じ、「的を得る」も単なる誤用ではなく新語だとする説もありますが、正式な場やビジネスシーンにおいて使用されるのは「的を射る」の方です。

という事らしいです。


お疲れさまでした。

大丘 忍
p4117252-ipxg00d01osakachuo.osaka.ocn.ne.jp

偏差値45さま。
「おに」に対するコメントをありがとうございます。年を取ると気が短くなるのでしょうね。辛抱することがにがてになるようです。自分が年と取って見てこれがよくわかりますね。

最近感想があまりつかなくて寂しかったのですが、早速の感想をいただきうれしく思いました。

ドリーム
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拝読いたしました。

胃カメラは嫌ですね。
私は胃カメラを飲んだことはありませんが、正直拷問に等しい(笑)
バリュウムは飲んだことがあります。
暗い所で「これを飲んで下さい」と言われました。
中味が白いから私はてっきり牛乳かと思いました。

随分と濃い牛乳だと思いました。
「看護師さん、もういいですよ」
「駄目です全部飲み干して下さい」
ここでやっと気づきました。これは牛乳じゃないと。
今では笑い話てすが。

医者としては癌の宣告するのは苦痛でしょうね。
勿論患者も半分死刑宣告された思うでしょう。
早く手術すれば治りますと言われても、患者には気休めにしか聞こえないでしょう。
それでも医者は治すのが仕事、鬼と言われようが仕方ないですね。
それでも治れば神様扱いされるでしょう。

医師で苦労が詰まった作品てした。

大丘 忍
p4117252-ipxg00d01osakachuo.osaka.ocn.ne.jp

読んで頂きありがとうございます。

昔の胃カメラは、管の先にレンズ、フイルム、電球が装着され、撮影の時には先についている電球が光を発し、カメラの先端に装着されてフイルムに写すという仕組みでした。助手が腹部の光った部分の位置を図に記録して、どの部分を見ているかを判定しました。
現在の、胃ファイバースコープは、先端のレンズでとらえた画像を光ファイバーで術者の目に伝え、画像としてデイスプレーに表示します。昔と比べて格段の進歩ですね。
柔軟性も改善され、昔の胃カメラより飲むときの苦痛は減っております。

昔は、がんの告知はタブーとされて、手術の説得には苦労しました。現在は画像、組織検査などが進歩しており、組織検査もできるので、早期がんの告知は容易になりました。

この話は、昔の胃カメラ時代の話です。

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