作家でごはん!鍛練場
ぴよ2000

利害は微妙に釣り合わない(10077文字)

     1

 落ちていく。
 浮遊感に身体を覆われ、足は宙を踏みつける。
 上下左右が反転しては裏返り、視界に映る世界は逆転し、流転した。
「っあ」
 慣れ親しんだはずの大地が迫ってくる。
 がさがさのアスファルトが。普段は気にしないような、わずかな凹凸が。今の僕にとってはどんな剣より鋭く思える。
 束の間、ごっ、という激しくも無機質な音と衝撃がヘルメット越しに伝わってきた。
 体感の滞空時間とは裏腹に路面に打ち付けられた時のあっけなさに何の感慨も沸かず、当然、痛い。 じん、と鈍い痛みが当初の痛みを上回り、何とぶつかってこうなったのか一瞬忘れた。
「大丈夫ですか?」
 ふらふらの状態でなんとか立ち上がると、視界の端から一人の女性が小走りで駆け寄ってきた。声の感じだと同い年とはいわないがまあまあ若い。20代くらいだろうか。
 焦点が合わず、相手の女性がどんな顔なのかはっきりわからないが、息も荒く声も震えていて、動揺を露にしている。返事の代わりに手をあげて無事を伝えると、相手の女性は「とにかく救急車を」とポケットから携帯を取り出した。
「大丈夫ですから!」
 その動作に意識が一気に覚醒し「え。ちょっ」その携帯を奪い取る。
 傍らには側面のボディカバーがぱっくり割れたスクーピー50㏄が山ののり面に横転していて、道路の真ん中には前部が若干凹んだ灰色のボルボが停車している。
 普通に考えればこれは交通事故で、救急車も警察も呼ばなければならない現状であることは明らか。つまり、相手方であるボルボの運転手が119番通報をしようとしたことは間違っておらず、むしろ正しい判断だ。
 ところが、今の僕にとって、事を大袈裟にするのは好ましくない。いや、非常に宜しくない。
「僕は大丈夫ですから、何もしないでください」 
 携帯を半ば押し付けるように相手に返して、次にバイクを起き上がらせた。キーを回してインジェクションボタンを押すと、何でも無かったかのようにエンジンが始動し、ほっと胸を撫で下ろす。
 車体を車道に下ろし、シートに座ったところで「アディオス」「ちょっと待った」がっしり肩を掴まれ、逃走は妨害された。
「怪我は見ての通り大丈夫ですから僕に構わず行ってください」
「いやいや、私に構わず行こうとしないでください」
「事故の事は無かったことにしてもらって大丈夫ですので先を急がせてください」
「そんな勝手な言い分が通る状況ではありませんよ」
 いや本当にごもっとも。そんなことは僕だって百も承知である。しかしここで粘らなければ色々厄介なことになるのは火を見るより明らか。ただでさえ面倒な状況なのにこれ以上事態をややこしくしてたまるか。
「というかそもそも」
 覚悟を決めた矢先の事。
 きめの細やかな白い手がすっと延びてきて、エンジンキーがグリンと回された。しまった、と思うより先に車体は再びしんと静まりかえり、逃走が困難を極めた事を悟る。
「あなたの顔に見覚えがあるわ」
「僕にはありませんが」
「嘘ね」
 目深にかぶっていたハーフヘルメットの縁をぐいっと上に引っ張られ、眼前に相手の顔が迫ってきた。
「まさか、無理矢理僕の唇を」
「奪う訳ないでしょ。教え子なんか対象外やっちゅーねん」
 小顔に切れ長のクールな目元。まじまじと木野先生に見つめられ、自分の正体が見破られた事に観念した。
「泉野君にバイク通学の許可を出した記憶は無いのだけれど」
「あーあ、何でこうなるかなあ」
 車と声で何となく察しはついていたが、こうして相手を再認識するとやっぱりげんなりする。偶然起きた交通事故で、相手が偶然担任教師だったなんて、交通事故よりも低い確率ではなかろうか。

     2

「先生」
「何」
「見逃してください」
「お前は馬鹿か」
 やっぱり駄目か。
 ただ幸いなことに、朝の山道で人気が無いので他に通報してくるような人はいない。木野先生さえ黙ってさえいてくれば、とワンチャンかけてみたが、それも今あっけなく終わった。
「……いや。まだ諦めるのは早い」
「何がよ……というか、本当に怪我は大丈夫なの? 見たところ派手に転んだようだったけれど」
「あー、それはまあ、はい、自分頑丈なんで」
 事故が起きたのは山道の交差点。三差路を真っ直ぐ走っていたら横から出てきた木野先生のボルボにぶつけられたが、無意識に受け身ができていたせいか最初の時より痛みがひいてきた。そんなことよりも校則違反が露見した事による停学等のペナルティが気になるところで、今も気が気でない。
 あーペナルティかぁー、と自分の末路に苛まれ、いや待てよ? と、とあることに思い付いた。
「先生」
「いくらお金を積まれても駄目なものは駄目」
「いつから示談金の交渉が始まったんですか……そうじゃなくて、先生って昔に違反とかあるんですか」
「違反? ……あるにはあるけど、どうして?」
「いえ、先生でも事故や違反はするんだなーって」
「嘘つけ。何か企んでるでしょ」
 おっと、僕としたことがうっかり顔に出してしまった。不覚にも先生に警戒心を与えてしまったが、過去に違反がある、ということを引き出せただけでもデカイ収穫だ。
「僕、今年の夏に原付免許を取ったところなんですけど」
 先生は細い眉をつり上がらせ、それが? と怪訝な表情を浮かばせた。僕は構わず続ける。
「交通事故でも点数が引かれるって教本に書いてあって」
 携帯を触っていた先生の指がピタッと止まった。
 が、時既に遅く通話ボタンをタップしていたようで、プルルルと小さなコール音だけが二人の間に静かに響き渡る。
「点数が」
『お待たせしました。こちら110番指令センターです。緊急の要件でしょうか』
 コール音が途切れ、野太い声が電話口から聞こえた。110ということはやはり警察か。事故の届出をしようとしていたようだが、木野先生は『もしもし?』と電話口から応答を求められても目をキョロキョロさせるだけで一向に答える気配はない。
「……木野先生?」
 時が止まったのかと錯覚してしまう位に先生は固まり、何か逡巡しているようにも見受けられる。しばらくして、悪戯電話と思ったのか『要件がなければ切りますよ。失礼します』と電話口から聞こえて、断電を告げる短周期の信号音が寂しげに鳴り響いた。
「……泉野君は普段からこっそりバイクで通学していた訳ね」
「ええ、まあ」
「そっか。先生もね、この山道を越えたところの住宅に住んでいて、毎朝早くから出勤して、夜遅く残業して退勤してるわけ」
「はあ」
「当然、こんな山道を経由しなければならないということは、最寄りに電車とかバスとか交通機関がないわけで……その、ねえ?」
「そんな、察しろよ、みたいな目で見られましても、ねえ?」
 木野先生は携帯をスーツのポケットにしまい、腕を組みながらボルボにもたれかかる。まるで、何かを思案するようにうーんと唸り、考えに煮詰まったのか懐から煙草を取り出して、口に咥えた。
「どうせそのジャージの下は制服なんでしょ。でなければ、メットインに制服を隠しているか」
「えっ、まあ、そうですね」
 許可されてないのに馬鹿正直に制服で原付バイクを乗り回して登校するやつがいるわけない。そんな当たり前の事を核心を突いたかの如く指摘してこられても反応に困るというか、
「まあ、停学だけは見逃してあげる……しっかりうちの車の修理費さえ支払ってくれればね」
「さっきいくらお金を積まれても駄目なものは駄目って」「大人っていうのはね、誠意を見せることが時には大事なの」
 うわきたねぇ。
 まさかとは思うが、教師という聖職者が教え子相手にマウンティングを取ろうとしている? だが、こちらも論点をすり替えられて気付かないほどガキではない。
「まさか僕が本当に怪我をしていないとでも思ったんですか」
「何……?」
「交通事故を起こして相手に怪我をさせた場合、普通の違反よりも大きな減点を食らう事があるようです。勿論、罰金も来ます」
 いや、はたしてそうだったかな。自分で言っておきながら、実はあまり自信がない。むしろ運転経験は先生の方が僕より遥かに上で、違反に関することは僕より詳しいはずだ。こんなハッタリめいた脅しに軽々と引っ掛かるとは「そ、そんな話が通用すると思って、」声が若干震えていて、思っていたよりチョロかった。教本の後ろの方に書いてあったうろ覚えの内容を思い出しながら、いかにもはっきりと知っている風を装う。
「先生は確か、過去にも交通違反をしていると言っていましたね。それだと今回の事故の点数を合わせると確実に免停になると思いますが」
「免停……」
 虚空を眺めながら、先生は脱力したように呟いた。この調子だとうまく丸め込めそうだ。そう勝機を見出だしたところで「いや、いやいや」先生が僕に手をかざす。
「先に交差点に入っていたのは私で、私は巻き込まれた。だから、私は悪くない」
 何か言い出した。
 子供のような理論をいきなり持ち出してきて、怒りを通り越して唖然としていると「いい? 確かに私は泉野君に怪我を負わせたのかもしれない。でも、この事故状況で私からお金を掠め取ろうだなんて、当たり屋か何かなの?」「いや、僕はお金が欲しいんじゃなくて全て無かったことにして欲しいんですが」「そもそも校則違反をしている時点であつかましい話だよね。むしろ全て無かったことにした上で私に修理代を支払うのが当然の流れなんじゃない?」おおう、どうしても修理代は欲しいのかよ。でも、校則違反ゆえにこの事故を無かったことにしたい事は確かで……まさか、この一瞬で僕の事情を逆手に取ってきたのか、このエセ聖職者……。
「ま、待ってください」
 腹の立つ気持ちを抑え、冷静に考える。
 先生は事を大袈裟にしたくない。
 それは僕だって同じで、その点に関していえば利害は一致している。しかし、そこに加えて先生は修理代も欲しいと主張し、「この車のローンだってまだ残っているのに!」なんだか譲る気配がない。ではどう対処するのが一番なのか。ふむ。
「事故についていえば」
「何よ」
「この事故は出会い頭で、どっちが良かろうが悪かろうがお互い様といえます」
「いいえ、泉野君が一方的に悪いです」
「それは先生の主観であって客観的な話ではありません。でも、どうしてもというならこの場を公平にジャッジしてくれる機関を要請しましょう」
 言うなり、僕はポケットから携帯を取り出し、電話発信画面から110の数字をタップする。
 通話ボタンは押さず、紋所のように画面を先生にかざした。
「先生がお金の話をするなら、僕だってバイクの修理をして欲しいし、治療費だって欲しいですよ」

     3

「正気なの?」
「こうでもしない限りらちが明かなさそうなので」  
 こうなれば僕だって捨て身の覚悟だ! って、そんな訳ない。勿論、ハッタリ120パーセント。こうでもしなければ木野先生は引き下がらないだろうと仕掛けただけだ。
「もし本気なら自分だって無傷では済まない。私の言っていることわかる?」
 効果はあったみたいで、先生は顔を強ばらせながら僕に詰め寄ってきた。ここで僕が怖じ気づけばこれ以降ハッタリは通用しないだろう。半端な覚悟ではないと思わせるため「それ以上僕に近付けば」指を通話ボタンに近づける。くっと先生が動きを止め、鋭い目がこちらに向いた。
「私を脅しているつもり?」
「脅しと捉えるか交渉と捉えるかは先生次第です」
「ふふ。少し勘違いをしているようね。私は泉野君を守ってあげたいと思っている。ただ、一教師として自分の非を認められる人間としても育って欲しいとも思っているのよ」
「非があるのはお互い様ですし、僕だって先生を免停にさせたくなんかありません……この際もうお金の話は忘れましょうよ」
「お金はね……大切じゃけぇの!」
 次の瞬間、足下で火花が散った。いや、よくみれば煙草だ。アスファルトに叩きつけられた火種が勢い良く粉々になって、これは、先生が咥えていた、
「っなぁ」
 携帯がぐいっと引っ張られた。すんでのところで掴み直したが先生の指が離れず、僕の携帯は二人の間でえらく不安定に踊った。
「煙草で、隙を、」
「泉野君も二十歳になれば吸えるようになります」
「これが教師のすることですか」
「お互い様。あなただってさっき私の携帯を奪ったじゃない」 
 先生の綺麗な顔が眼前でギリギリと歪む。
 説得を諦めた次は携帯を強取するという手段に出やがった。
「落ち着いて考えて。何も今すぐに修理代を払って欲しい訳じゃないの。泉野君はまだ学生で収入があるわけない。だから、アルバイトでもして誠意を見せて欲しいの。高収入のバイト探しだったら先生も手伝うから」
「やくざかあんたは」
 極道映画のワンシーンで聞くような台詞を早口で平然と言ってくるが、その言葉がポンと出てくるこの人の方が交通事故よりよっぽど恐ろしい。
 しかし、まさか高校生のハッタリでここまで必死になるとは思ってもみなかった……というか、人をここまでさせるって、車ってそんなに高いのか……? そりゃあ、ボルボは高級車だとは話に聞くけど『もしもし、こちら110番コールセンターです』「ちょっとタンマです先生、今何か聞こえました」「奇遇ね。私も今何か聞こえたわ」
 揉み合いは一時中断。元の静けさを取り戻したかのように周りの木々がさざめいた。このまま何も聞こえなければ良いのに『もしもし? もしかして交通事故ですか?』一拍の間を置いて、僕達が手にしている携帯から、野太くも丁寧な声が響いてくる。
 見れば、掴み合いになった時にボタンに触れたのだろうか、画面は通話中となっていて、ついでにスピーカーもオンになっていた。
「……」
 先生が無言でこちらを見る。何とかしろというサインに思えるが、この混沌と化した状況に第三者機関を要請する千載一遇のチャンスでもある。ただ、ハッタリから生じた事故のようなもので、僕だって警察を呼ぶつもりは毛頭ない。
『もしもし、交通事故ですか? 場所はどちらでしょうか?』
「……間違い電話です」
『間違い電話? でもさっき修理代がどうとか』
 ぽちっと通話終了ボタンをタップし、何ともしようのない現状にため息をついた。
「なかなかやるじゃない」
 先生がぼそっと呟いて、その場にしゃがみこむ。その姿に疲れが見てとれるが、僕だって精神的にへとへとだ。事故原因はお互いにあるが、怪我云々も含めて馬鹿馬鹿しくなってきた。
「先生」
「何よ」
「僕の原付は親が知り合いから譲ってもらったもので、元々傷だらけなんです」
 言って、スタンドを立てて道端に停めたスクーピーを見やった。今回の事故でボディこそぱっくり割れてしまったが、古い傷もあちこちにたくさんついている。
「そもそも、バイクに乗りたくて免許を取った訳ではないんですよ」
 高校生といえば社会的なステータスが欲しいと思うお年頃。例えば、レンタルビデオショップやコンビニの会員登録に使えるような身分証が欲しいと思うのは当然ではなかろうか。僕の場合、16歳から取得可能な運転免許証というのはとても魅力的だった。
「じゃあどうして」
「先生と同じで、僕の家も山を隔てた向こう側にあります。交通機関も発達していないので今日みたいに通学でバイクを使うこともあります」
 田舎に住んでいるとバスや電車の本数の少なさに不便と感じることもある。といっても、バイク通学を始めるまでは数少ないバスや電車の本数で登校していた訳だから、時刻表に合わせて家を出れば良いだけの話だ。校則違反を交通機関のせいにしている今の僕の姿は、先生からすればさぞかし滑稽に見えることだろう。
 そして、車を大切に乗っている先生と、バイクを単なる足としか思っていない自分とでは、乗り物に対する価値観は決して同じではない。
「僕は特にバイクに対して何の思い入れもありませんし、バイクの修理代なんていりません……そして、今の僕に先生の車を修理できる程の余裕もありません」
「ずいぶん勝手な言いぐさじゃない。大人の世界がそれで通用すると」「大人になれば……学校を卒業して大人になれば、先生への責任は必ず取ります」
「……へ? せきにん?」
 木野先生の目が点になった、ような気がした。それもそうだ。都合の良いことばかりを言う自分に呆れているのかもしれない。でも、ここで口ごもる訳にはいかない。
「僕は、先生の教えを受けて立派な大人になると誓います」
「学生の癖に適当なことを」
「いいえ。僕は本気です」
 木野先生の肩をがっしり掴み、目を見据える。気の強そうな二重の瞼。その下にある瞳が、今はどこか弱々しい。僕の姿勢に怯んでいるのか。
 僕は意を決して言う。
「勝手は承知の上ですが、僕が卒業して、先生に責任を取れるようになるまで……それまで、待っていてくれませんか」
 突風が吹いて、ざあっとあたりの枯れ葉が舞い上がった。せっかく声を張ったのに、これではしっかり相手に伝わったのかわからない。実際、木野先生はぽかんと口を開けて、しゃがんだまま微動だにしない。もしかして時が止まったのか? 逃げるなら今じゃあないのか、なんて考えていると「教え子は対象外って言ったじゃない」「えっ、何の話」「わーかーりーまーしーたー」全然わかっていなさそうに声を張り上げながら先生は唐突に立ち上がった。半ばヒステリックなリアクションだったのでこれまでのとはまた違った怖さを感じる。なんと言うか、先の読めないような。
「あの、何か気に障るようなことを言いましたか……?」
「別に? ううん大丈夫。それよりも今の言葉に嘘はなしね。私は今25歳で泉野君とは一回り近く年上だけど今の言葉にも責任を持ってよね」
「どうして今の話で実年齢をカミングアウトしたんですか」
「ともかく」
 先生は、ダン、とアスファルトを踏みつけ僕を指差す。びくっとしたが、その反応が面白かったのか先生はいたずらっぽくにやっと笑った。
「私でよければ泉野君を立派な大人にします」

     4

「あの」
「泉野君、怪我とかは大丈夫? 今日はもう学校休んだら?」
「いや、身体は大丈夫ですがある意味大怪我したかもしれません」
「それは大変。早く家に帰らないと……あっ、親には二人の事まだ内緒にしててね? 教育委員会が乗り込んでくるから」
「それって事故のことですよね? 他に深い意味なんてありませんよね?」
「まあ、ある意味事故というか……」
 唇に指をあてて、木野先生はどこか恥ずかしそうに微笑んだ。
「……」
 これ多分絶対何か勘違いしてーるー!
 喉元まででかかったが、ぐっと堪えた。いや、それこそ僕の勘違いかもしれない。だって、思い返す限り言葉のセレクトに誤りがないんだもの。これは僕の考えすぎなやつで「あーあ、新車だったけどキズモノにされちゃったなー。でも、これはこれで良い思い出になるかもしれないね……ふふ」先生が愛しそうに車の傷を撫でていて、僕の不安は確信に変わりそうだ。いや、これも考えすぎなやつだと思いたい。
「まあでも」
 気持ちを切り替えたように声音を変え、木野先生はこちらを振り返った。
「お互い、そろそろ行かなくちゃね。遅刻しちゃうし」
「そうですね! 早く行きましょう!」
「本当だ。泉野君元気じゃない」
 あまり深く考えてはいけない。いずれにせよ事が丸く収まりかけている今が絶好のチャンス。僕も気持ちを切り替えてスクーピーに跨がった。
「それでは学校で」
「あっ、放課後に職員室来なさいね。メルアド交換しなきゃ」
「それって後に修理のやり取りをするためですよね?」
「そうそうそうそう勿論よ」
 インジェクションボタンを押して、エンジンを始動させる。ブルンと車体が微動し、張り積めていた緊張がほどけていく。この感覚、嫌いじゃない。
 ほっと一息ついて、アクセルをひねったところで「あー、そこの車とバイクの運転手ー、エンジンを切って降りてくださいー」「今何か聞こえましたね」「奇遇ね。私も聞こえたわ」がらがらの間延びした声があたりに響き渡り、二人同時に振り向いた。
 赤色のランプが屋根に付いた白色と黒色のツートンカラーのセダンがいつの間にか後ろに停まっていて、それがパトカーだと気付くにはそう時間はかからなかった。

     5

「一度通報すると携帯で通報者の位置情報がわかるんですねぇ。ところで、見たところ事故のようですが?」
 パトカーから降りてきた警察官から職務質問を受け、極めて不本意ながら無事に僕らは届出の義務を全うすることができた。届出とは勿論事故の事である。
 ただ、幸いというか、杞憂だった点というかを挙げると「え? 職場や学校に事故の連絡をするかって? いえいえ。そりゃあ確かに同じ学校の生徒と教師が事故を起こしたなんて稀だとは思いますが、個人情報がなんやらうるさいご時世ですからね。むやみやたらに職場や学校に連絡するようなことはありません」ただし事情地域都道府県によりけり対応は異なるとのことで、僕達はたまたま運が良かったらしい。やっぱり隠し事は良くない。
『でも、日本の警察って優秀だよね~』
「それ、大方の悪役が言う台詞ですよ」
 突っ込みを入れると、電話口の向こうから『悪役って言うなー』と間延びした声が聞こえて来た。深夜11時。あれからは事もなく日課時限を過ごし、帰路について現在に至る。この時間になると木野先生でもさすがに帰宅しているらしく、メルアド交換時における「今夜の10時半に電話してきてね。親には内緒でね」の指示通り先生に発信したところ、修理の話し合いではなく学年主任や受け持ちのモンスターペアレントに対する愚痴を聞かされ、のっけから雲行きが怪しかった。
「あの、これってお金の話し合いでは」
『そうそう。これはお金の話し合いよ。今度駅前にできたラーメン屋に一緒に行かない? 先生がおごってあげる』
「脈絡とは」
 そんなやり取りを30分程続けて、これが不毛な電話だとようやく悟ったのがつい先ほど。我ながら気付くのが遅かったと思う。
「僕、もう寝てもいいですか?」
『まだ駄目。一人だと先生寂しくて死んじゃうわ』
「夜更かしは肌に悪いですよ」
 社会人だったらもっと気を使おうよ。というか付き合いたてのカップルみたいで気が引けるのが正直なところ。いやいや、先生も25だったら相手くらいはいるだろう。
『言っておくけど私はまだ独身だからね』
「聞いていないんですけど」
『生徒と教師の関係だから節度は守って頂戴ね』
「それこっちの台詞です。……えっ、これって肌荒れの話ですよね?」
『私の肌が気になるって話でしょ?』
「違うわい」
 声を荒げつつも心中を覗かれたような発言にどっきりしたのは本当だ。たまたまだよな?
『そういえばこれ何の電話だったっけ? あっ、私の車の修理の話だった?』
「そうそれ! 何だしっかり覚えてるじゃないですか!」
 趣旨を忘れていた事はもうこの際突っ込まない。
いちいち脱線して話が前に進まなさそうだ。
『ポルシェは外車だからねー。高くつくわよ』
「先生が乗ってたのはボルボ! しれっと嘘つかないでくださいよ」
 まあ、修理費が高額になるのは目に見えている。出来れば払いたくないが、停学になることを思えば背に腹は変えられないのだ。
「見積もりとかは出してもらったんですか? いや、車の修理費用なんてよくはわからないんですが」『300万よ』
「さん、」
 びゃく、と最後まで反芻できなかった。言葉が詰まり、喉が一気にからからになる。いや、いやいや。
「さすがに冗談ですよね? そんな高額になるなんて」
『本当。まだ正確な数字を出してもらってないけれど、ディーラーに軽く見てもらった結果それくらいはくだらないって』
「一体どこのディーラーに」
『とにかく。ああして言いきった手前しっかり支払ってもらうからね』
「ええー……」
 途方もない数字を聞かされ、軽く目眩を覚えた。
 てっきり10万から20万位が妥当だろうと勝手に思っていたが。
『といっても、単なる学生に対して先生も大人げなかったわ。そして今すぐ払って欲しい訳じゃないし、ゆくゆくで大丈夫よ』
「は、はあ」
 まあ、額の桁が違えどアルバイトもしていない現状から一気に支払えるものでもない。でも、就職しても借金地獄という訳で『挙式を挙げるのに必要な相場よね』なんて言葉すらしっかり聞き取れなかった。

利害は微妙に釣り合わない(10077文字)

執筆の狙い

作者 ぴよ2000
p0132381-vcngn.nara.nt.ngn.ppp.ocn.ne.jp

 過去駄作です!
 ラノベ感覚として描いてみたのですが、色々足りない気がします……ので、
 恐れ入りますが、意見あれば教えてください!

コメント

浮離
KD111239165213.au-net.ne.jp

感想がつかない一番の理由ははっきりと“文章力“だと感じさせられるので、最初の章だけでもいいのでアタマ空っぽにして客観的に読んでみて欲しいです。


書き進める気持ちはわかるしその意欲が反映された言葉の数や有り様もわかるんですけど、残念だけどものすごく不正確だと思うし、くどい気がします。

表現のつもりがただの迂回文章になってるっていうのはよくあるやつであたしも大得意なやつなんですけど、面白ければいいとは思ってるんです。
何ならあたしなんかわざとやってるし。
でもこれは単純に下手っぽくてつまらない印象を個人的には受けます。


“ラノベ感覚“というものがどういうものなのか、わからなくもない気もしながら偏見は避けたい気もするのであまり付き合わないことにはするんですけど、とはいえ、“ライト“であることと“でたらめ“を混同するつもりもないので、やっぱり感覚的な不正確さということは気になってしまいます。


申し訳のないことに全部は読み通せていません。
“ラノベ感覚“を異世界融通とざっくり割り切るにも、割り切るものあってのことであることを担保出来ない世界はやっぱり、不正確でしかない気がしてしまうんですね。

だって木野先生、全然教育者じゃないっていうか、大人じゃない。

って、それはたまたまの言い方には違いないんですけど、それにしてもやっぱり“ラノベ感覚“に駆逐される“正確な感覚“が担保できなければ、異世界なんてただのでたらめなり願望のはけ口そのままでしかなくなってしまいそう、っていう偏見なりの気遣いとかわかりますか。
書き手は描きたい世界を客観的に支えてあげることができていない気がします。



“ラノベ感覚“は、一人称でこそ表現し甲斐のあるものですか。
そうであるなら、課題は文章力以上に求められるものがある気がします。

このお話がなぜ面白くないのか(すみません)。

個人的には、一人称だからだと思うんですよね。
三人称で書け、って言いたいんじゃないです。
書き手の感覚的な観察や作為が、一人称には全然フィットしていない気がする、ってことなんですね。
言い方キツいかもですけど、一人称として書いたらダメなことばかり書いてしまう印象がものすごく強いです。


腹が立つなら申し訳ないんですけど、多分でたらめな話ではないと思うので先に言った通り最初の章だけでもいいので他人の作品のつもりでアタマ空っぽにして読んでみてほしい気がします。
わからないなら、一旦書くことはやめて読書を優先した方がいいのかもしれない。
わからないまま10000字も書いてしまうのはコスパとしてどうなんだろ? ってことですよね。


書きたい気持ちはわかるので、その熱が冷めないうちにパフォーマンスを客観的に見直した方が絶対に伸びる気がします。



気を悪くさせてしまったならすみません。

ぴよ2000
p0132381-vcngn.nara.nt.ngn.ppp.ocn.ne.jp

浮離様

 ご感想、ご指摘ありがとうございます!

 文章力が無いという解釈でよろしいですね!
 くどさと表現の境界というか、まだその辺がわかっていない上に、つまらず退屈な書きぶりなんですかね……。
 
 ただ、上手く描こうとしてスベる感覚は多々あって、それを掴む訓練はなかなか主観ではわかりにくいのです。
 こうして客観的に見つめ直せるのもごはんの利点かと思います!
 指摘の点を改善して見つめ直していきます!

 あと、すいません。
 勘違いだったら大変申し訳ないんですけど、この話「異世界モノ」ではないんですが、冒頭でそのような印象受けましたでしょうか?
 上記の感想で、もしや、と思いましたので確認させてもらいました!
 失礼します!

青井水脈
om126167090030.29.openmobile.ne.jp

読ませていただきました。

>落ちていく。 浮遊感に身体を覆われ、足は宙を踏みつける。 上下左右が反転しては裏返り、視界に映る世界は逆転し、流転した。

こちら冒頭。こちらだけ読んでみたら、新体操の跳躍とか空中ブランコのシーンの描写かと思いました。のちに事故のシーンと分かりますが、「落ちていく。身体がフワッと浮き上がり、地面を踏もうとした足は虚しく宙を泳ぐ。」とか。
それに万物は流転するの流転は、こういうときに使ったっかけ、とか。舗装された道路、アスファルトを大地と書くのも違和感覚えたり。


>体感の滞空時間とは裏腹に路面に打ち付けられた時のあっけなさに何の感慨も沸かず、当然、痛い。

冒頭を抜けて、この辺からは文章そのものは読みやすい方かと。

>普通に考えればこれは交通事故で、救急車も警察も呼ばなければならない現状であることは明らか。つまり、相手方であるボルボの運転手が119番通報をしようとしたことは間違っておらず、むしろ正しい判断だ。

語り手の僕、高校生の泉野がバイクでボルボと衝突事故を起こす。ボルボの運転手はなんと、担任教師の木野先生だったーー。
1で把握して、それから結末までにどうなるか気になって読んでみましたが。

>「この車のローンだってまだ残っているのに!」
そもそも保険会社との交渉とかは? ひたすら修理費を請求する先生の言動が一番疑問で、話に入りきれないような。


>そして今すぐ払って欲しい訳じゃないし、ゆくゆくで大丈夫よ』 「は、はあ」 >『挙式を挙げるのに必要な相場よね』

修理費のはずの300万円は今すぐじゃなくていい。それと最後の『』のセリフ。つまり先生は……。そういうことですか、いや、ある意味驚きな展開で(笑)お疲れ様でした。

浮離
KD111239165213.au-net.ne.jp

"異世界"って言ったのは、たとえです。
つまり、一読者っていう偏見のたとえ。

"ラノベ感覚"ってあったので、そんな偏見をもつ読者が偏見のままに付き合うとんまはしでかしたくないつもりでいます、ってことを言ってるつもりだったんですけど伝わりづらかったならすみませんでした。

>“ラノベ感覚“に駆逐される“正確な感覚“が担保できなければ、異世界なんてただのでたらめなり願望のはけ口そのままでしかなくなってしまいそう、っていう偏見なりの気遣い

って書いたんですけど、例えば一読者として早々にリタイヤしてしまった原因の一つとして、木野先生というキャラとしての信頼度の低さ、ということを"駆逐されるべき正確な感覚"の欠落として指摘したかったわけなんです。
掴みとしての信頼度がすべってるから読み進められなかったと思ってるんです個人的には。
"ラノベ感覚"というテーマを標榜するために必要な前提が担保されていない気がする、ということですね。

またしてもわかりづらかったならすみません。

ぴよ2000
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青井水脈様

 ご指摘、ご感想ありがとうございます!
 読みやすい文章、と、お褒めの言葉、痛み入ります。

 仰る通り冒頭は凝りすぎた気がします。
 シンプルに伝える事を心掛けます。

 構成については警察に届出をしなければ保険もへったくれもないよね、という駆け引きと、その顛末を主軸にするつもりで、結果的に滑稽なものになってしまったかもしれません。
 ただ、少し、自らに落ち度のある大人の子供みたいな言い分や態度にクスッと笑ってもらえれば、と思いつき描いたのです。
 
 また度々訪れますので機会があれば宜しくお願いします!

ぴよ2000
sp49-104-4-254.msf.spmode.ne.jp

浮離様

 再訪ありがとうございます!

 掴みとしての信頼、というのは、人物描写の幼稚さという点で、
 大人げない大人を描くにしても、ある程度大人なりの教養が必要な訳ですね……。

 例えば、確かにこの話を描くにあたって教職という単語を出しはしたけれど、教職がなんたるかは勉強不足でした。

 ラノベといっても「物や人を描く」力の入れどころは純文学も一緒で、描き方がコミカルかそうでないかの違いのように思います。

 登場人物の境遇と過程の末に、必然的に物語が成り立つという点に、目からうろこです。

夜の雨
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「利害は微妙に釣り合わない」読みました。

交差点での交通事故でお互いが同じ学校の担任教師と生徒で、女と男だった。
その交通事故から、話が思わぬ方向へ。
というような展開ですね。
主人公の男子生徒は女性の担任教師にえらく気に入られているようで、利害関係の微妙なずれから、教師の方はお付き合いから結婚したい雰囲気になっています。
生徒の方はお付き合いする気はないのですが、事の成り行きで教師に流されています。
このあたりの微妙な流れが面白かったです。
この作品はしっかりと続きを描けば楽しめるのではないかと思いました。

ただ設定に無理があるような気がしました。
バイク通学がダメな学校のようですが、現実には主人公の生徒はバイク通学していますし。
事故を起こしたボルボの方ですが、保険に入っていないのですかね?
ふつうは保険で人身事故の医療費やら補償金。車の修理代も出ると思いますが。
ボルボという高級車なので、保険に入っていないという事は、ありえないのでは。
教師という仕事柄高給取りではありませんが、ボルボに25歳で乗っているという事は、財産がもともとある家庭の女性では。
>「この車のローンだってまだ残っているのに!」<
とありますので、外見を着飾る(見栄を張る)女性だったのですかね。
ボルボの価格調べてみたら、それぞれですね。
25歳の教師なら手が届く価格のボルボもありました。


導入部で事故を遭いながらも主人公がその場を去ろうとしたので、事故以上に、重要なことがあるのだろうなぁという事は、察しました。
「ラノベ感覚として描いてみたのですが、」ということが「執筆の狙い」にあったので、面白くするには「地球の危機的な問題を処理しに行く途中のヒーロー」だったとか。
それを交通事故でむりやり止められて、現場に行けなくなった。
被害者のヒーローと加害者がもめている間に地球は消滅してしまった。
という手法もアリだなと思いましたが。

ちなみにコメディとして読ませていただきました。

それでは頑張ってください。


お疲れさまでした。

ぴよ2000
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雨の夜様

 ご感想ありがとうございます!
 読み返し、保険の関係について、もう少し書き込む必要があったと反省しています。
 ここ、やり取りの中で肝心でしたよね。
 
 設定については、主人公割りと真面目なのに校則違反あんまり何とも思ってない感じなのは、ご指摘の通りです。
 何だか、ご都合主義でした。

 あと、先生、もうちょっと箱入り的な感じで、車好きに描けばよかった……と、少し後悔してたんです。実は。
 でも調べてくださってたんですね……!
 何だか申し訳ないです!

 教師の半ば無理やりな感じ少し面白いと思っていただけたのなら本望です!
 ラノベ風味を出す点では、もう少しハチャメチャでも違和感はなかったんですかね……。
 色々な面で皆さんにアドバイス頂き、大変参考になります!

 改めてありがとうございました!
 

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