作家でごはん!鍛練場
大丘 忍

吸淫獣

吸淫獣  

 接待という気骨が折れる束縛から解放されたのは、マンションに帰って寝てしまうにはまだ少し早すぎる時刻であった。中年に差し掛かった独り者の男が家に帰ってもすることがない。
 私はネオン街を彷徨いながら目についたスナックに入った。数人の客がいて、中年の男が下手なカラオケを歌っている。
「いらしゃーい」
 化粧の厚い女が職業的な笑顔で迎えた。
カウンターの入り口に近いところに陰鬱そうな女客が一人で飲んでいる。思わずその隣に座りかけたがそこを避けて奥に進んだ。
「ビールを貰おうか」
 無愛想にそう言って、カウンターの中央にすわった。
 目の前のグラスを手にすると宴会の場面が思いだされる。日頃、口汚く私に怒鳴る癖に、接待の席では相手にペコペコする上司の顔が浮かんできて、くそっと喚きたい気持ちをかろうじて抑えた。この不機嫌さが面に現われたのであろう。
「おひとつ歌って下さいな」
 媚びるような笑みを浮かべて、店の女が歌のリストを目の前に突き出した。私はそんな気分ではないことを示すように首を振ってビールを飲み干す。
 別の男がだみ声で下手な歌を歌い始めた時、いらいらは我慢の限界に達した。店を変えようと思って、ふと入り口を見ると先ほどの入口の女が目に入った。その女は、私が店に入るときに見かけた時と同じように、今も奥を観察するように、ちらりちらりと陰鬱そうな眼差しを流している。その視線を受けて背筋に鳥肌が生じるのを感じた。何かの力で吸いよせられるように、私は無意識のうちにグラスを手に持って空いているその女の隣に席を移した。
「一人かい?」
 女は返事のかわりに私のグラスにビールを注いだ。
「どうだ、付き合わないか」
 私の意思に関係なく口からこの言葉が出た。しばらく女を抱いていない。女を抱けばこの不快な気分が晴れるかもしれないと思った。
「いいわよ」
 案の定、女はグラスを飲み干して立ち上がった。女は私と同じくらいの長身であった。性欲が強い女は背が低いのが多いと聞いていたが、この長身の女が簡単に承知したのは意外だった。付き合うとは体を交えることを知らない筈は無かろう。そう考えて私も立ち上がる。私は夢遊病者のように女に従った。
 ラブホテルの部屋に入るとすぐに女の胸に手を這わそうとした。女はその手をふりのけて、自分で洋服を脱ぎ始めた。いささか戸惑って、手持ち無沙汰を紛らすように、私はゆっくりとネクタイを外しながら女を観察する。
 貧弱な胸だった。筋ばった身体。
 こりゃあ、はずれだな。
 裸になった女を見て舌打ちをした。女は無表情でベッドに横たわる。半ば興趣を殺がれながら私もそれに追従した。ここまで来たからにはこの女を抱くしかない。
 私は女の性器に愛撫の手を伸ばそうとした。女はその手を払いのけて股を開いた。
 前戯はいらないのか。興ざめだ。しかし、こちらは挿入して射精すれば良いだけで、相手が達しようと達しまいと知ったことではない。

 おお、これは……。
 ペニスを押し込んで私はうめき声をあげた。女の肉襞は私を包み込むと、生き物の様に蠢動しはじめたのだ。女の躰は置物の様に動かないが、輪状の緊縛が、挿入した私の根部から先へとゆっくり移動し、まだ先に達しないうちに次の緊縛が起こる。私の性器を襞の奥へと吸い込むように緊縛は続く。この蠕動運動の合間に、粘膜は独自の漣のような動きを繰り返して亀頭部を摩擦する。身体を動かしてのピストン運動は必要がない。蠕動運動と細動運動との調和は、精密機械のように確実に絶頂感に導いていく。女のそこは、まるで別の生き物のようだった。
 抽送することを忘れて、しばしこの生き物のなすがままに身を任せた。かつて経験したことのない、苦痛にも似た快感で果てたあともこの蠕動運動は続く。私は萎える暇もなくこの生き物に翻弄され続けたのである。何回射精しただろうか。女の性器は私のペニスが萎えることを許さず蠕動を続け、私は失神したらしい。
 深い眠りから醒めたとき、女はもういなかった。気がついたのは自分のマンションのベッドの上である。どのくらい経ったのか、どのようにして帰ってきたのかは全く覚えていない。
 頭が痛む。
 身の置き場の無いほどの激しい倦怠感だ。股間にはぽっかり穴があいたような虚脱感があり、股間に手をやって驚愕の声をあげた。
「無い!」
 股間には何も触れないのである。跳ね起きてバスルームに走り、下着を下ろして鏡に映してみた。股間にぶら下がっているはずのあの突起物、つまり棒も袋も両方とも見えない。見えるのは縦に走る割れ目だけだった。
 これはどうしたことだ。
 戦慄が走った。
 恐る恐る股間に手をやるとやはり触りなれた突起物は触れなかった。目の錯覚ではない。
 女になった? そこにみえるのは、正に女の性器である。
 裸になり、もう一度全身を鏡に映してみた。股間の陰毛の下には確かに割れ目が見える。胸も少しばかり膨らんでおり、腰周りもやや丸みを帯びている。
 鏡に近寄って顔を見た。薄い顎髭が無くなっており、頬の辺りがふっくらとしている。もともと童顔ではあったが、まさしくこれは女の顔だ。鏡の女は陰鬱な目でじっとこちらを見つめている。
 なぜ女に?
 昨夜の女との交渉を思い出した。あの股間の生き物のことも。
 あの生き物に性器を吸い取られてしまったのか?
 私の頭は泥沼にはまったタイヤのようにめまぐるしく空転した。
 まさか、そんなばかな!
 有り得ないことだ。これは夢だと思った。そうだ、昨夜からのことは夢に違いない。まだその夢は覚めていないのだろう。
 何気なく指を割れ目に這わせてみた。指が触れたのはまさしく触り慣れた女のそれであった。
 夢ではなかったのか?
 指を襞に触れると、すっぽりと呑込まれ、襞が強い力で締め付けた。股間にひくひくした緊縮感が走る。それはちょうど、赤ん坊が母親の乳首を唇にあてると反射的に吸い着くように、私の意志に関係なく、入ってきたものを呑込み、締め付けるようであった。
 これも生きている!
 慌てて引き抜いて見ると、指は紫色に変色していた。
 夢ではなかったのだ。
 足が震え、何度か激しく嘔吐した。

 ここまで話して、隣の男は一息にグラスをあけ、タバコに火をつけて旨そうに一服吸った。
「それからどうしたと思います?」
 俺の顔をのぞき込み、男の不気味な視線が揺らいだ。
「さあ」
「私はそれから毎晩男を漁りましたよ。こんなスナックでね」
 天井に向かって吹き上げたタバコの煙が輪を作った。
「男から吸い取るしかないと思いましたのでね。ちょうど五人目でした。私がやっと性器を取り戻したのは」
 男はグラスの残りを飲み干し、タバコをもみ消すと立ち上がってスナックを出て行った。
 俺は呆然として男を見送った。
 そのスナックの入り口に近いところでは、先ほどからの陰鬱そうな女が一人でビールを飲んでいた。探るような視線をこちらに投げかけている。女に見つめられると背筋に鳥肌が生じるのを感じ、何かの力で惹きよせられるようにグラスを手にしてフラフラと女の隣に席を移した。
「一人かい?」
 返事のかわりに、紫色に変色した人差指の手で女は俺のグラスにビールを注いだ。
 俺の口から意思とは無関係に言葉が勝手に飛び出した。俺の股間はなぜか勃起している。
「どうだ付き合わないか」
「いいわよ」
 女が立ち上がった。

                  了

吸淫獣

執筆の狙い

作者 大丘 忍
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私小説の多い私には珍しいスリラー小説です。小説を書き始めたころの作品です。

コメント

ドリーム
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拝読いたしました。

まさにスリラー小説かも知れません。

女なら誰でも良いのは怖いかもしれませんね。
性器を吸い取られた男? 実際にある訳ではないですが


>「男から吸い取るしかないと思いましたのでね。ちょうど五人目でした。私がやっと性器を取り戻したのは」


では取られた男は?

>返事のかわりに、紫色に変色した人差指の手で女は俺のグラスにビールを注いだ。

この女と言うのは性器を取られた、主人公だった元男でしょうか。

良く分からないのが最初、主人公は私と言って居ましたが
>女は俺のグラスにビールを注いだ。

これは誰なのでしょうか。
ちょっと、複雑でわかりませんでした。

大丘 忍
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ドリーム様。 読んで頂きありがとうございます。

最初の男は自分のことを「私」と語っております。最初の話は「私」の語りですね。それを聞いていたのが「俺」という男。その話を聞き終わって、入り口を見ると陰鬱そうな女がちらちら奥を覗きこんでおり、話を聞いていた男は自分の意思に関係なくその女の隣に籍を移し、女を誘います。そのあとのことは読者のご想像に任せます。

夜の雨
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「吸淫獣」読みました。

スリラーですね、ホラーが、かかっています。

導入部から後半までが「私」という男の「吸淫獣」との顛末が描かれています。
この手の作品は説明ではなくて描写でやると効果があるのですが、御作の場合は描写で話が進んだので読みやすかったし、物語のなかへ入り込むことができました。

主人公の「私」はスナックで知り合った女とホテルで関係をもったばかりに、男で無くなったという展開です。
そのあたりの出来事がしっかりと描かれていました。
主人公は「吸淫獣」と関係したばかりに男の体からから女の体になった。

ラストではその「私」の話を「俺」という主人公が聞いていた、という展開でした。
「私」という男の話では、女の体から男の体に戻るのには「ほかの男と交わり、その男から『男の体を取り戻す』という手法で。
5人目でやっともとの男の体に戻れたというお話でした。
「私」が出て行ったあと、「俺」は、スナックの入口に「探るような目つきでこちらを見ている女と視線が合った」というような流れで、「俺」は、グラスをもってふらふらとその女のところへ行き話しかけた。
その女は紫色の指で……。

というところからも、「この女は」先ほどの「話を語った私」という、人物に、男の体を盗まれたのだろう」というようなオチでおしまい。

なかなかよくできていました。
まさか、大丘さんがこのようなホラー風味のスリラー小説を書いていたとは思いませんでした。

短い作品ながら要所は抑えていたと思います。

>「男から吸い取るしかないと思いましたのでね。ちょうど五人目でした。私がやっと性器を取り戻したのは」<
この「男から吸い取るしかないと思いました」というところですが、この「考えになったいきさつ」を書き込んでおくと、よりリアルティーが出ると思います。
女の体から元の男の体に戻るまで5人との男と関係をもったということは、その期間は女の体だったわけで、会社には行けないと思いますし、日常生活をどうしたのだろうかと、こちらのエピソードも面白そうですね、書き込めば。


ちなみにラスト導入部でスナックの入口にいた女も元男ですね。

 >貧弱な胸だった。筋ばった身体。<
と「私」という人物の伏線があるので。

それでは頑張ってください。

お疲れさまでした。

霜月のゆき
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無限ループ。
おもしろかった。

ご健筆なりよりです。
ご自愛ください。

大丘 忍
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 夜の雨様。吸淫獣を読んで頂きありがとうごじます。

 還暦ごろに小説を書き始めましたが、自分の経験を書く私小説ばかりでした。そこで実際にはあり得ない怪奇小説を、と思って書いたのがこの小説です。
 登場人物は二人。「私」が語り「俺」が聞くという形をとっております。書いてはいないのですが、「俺」が次の「私」になることは容易に想像できると思います。

 いつも丁寧な感想をいただき感謝しております。

大丘 忍
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霜月のゆき様。

 読んで頂き感想をありがとうございます。これからもよろしく。

Zen
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「吸淫獣」を読ませていただきました。

複雑に組み上げられた構造が素晴らしいですね。
特に、紫の指を最後に使ったところは感嘆しました。

ただ、複雑なせいで「私ー隣の男ー俺ー女」の関係性が分からない人も出てきそうに思えました。
特に、以下の部分は「俺」が話したと勘違いする人がいるように思えました。
> ここまで話して、隣の男は一息にグラスをあけ、タバコに火をつけて旨そうに一服吸った。

もし以下のような文でも良ければ、「話した=隣の男」が確実に伝わるのではないかと思いました。
> ここまで話した隣の男は、一息にグラスをあけ、――

それと、自分の理解が間違っているのか、どうも変に感じるところがありました。
終盤のシーンで、
> 俺は呆然として男を見送った。
> そのスナックの入り口に近いところでは、先ほどからの陰鬱そうな女が一人でビールを飲んでいた。

となりますが、「先程からの」と言われると、既にこの女について言及済みに聞こえるのですが、今まで「隣の男」の語り(回想)を聞いていただけなので、「いつそんな話が?」となりました。

以上です。できたら是非またこういう作品を読んでみたいです。

大丘 忍
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Zen様 読んでいただき感想をありがとうございます。

この小説は、自分を「私」と話した男と、それを聞いた「俺」という男の話。入り口にいた陰鬱そうな女と、登場人物は三名だけですからその関係はすぐにわかると思います。

「私」が性器を吸い取られた男、その男(今は女に変身している男)は入り口で性器を取り返すべき男を物色しております。話を聞いた「俺」が入り口を見ると陰鬱そうな女が億を伺っている。男は自分の意思ではないのに女に引き寄せなれていく。
これから同じことが繰り返されるわけですね。
この三人の登場人物の関係は読めばわかると思ったのですが……。

Zen
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誤解を与えてしまったようですが、私自身は理解しております…。

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