やまのみち
──すい‐どう【隧道】‥ダウ
(ズイドウとも)
①墓の中に斜めに掘り下げた通路。はかみち。
②山腹や地中をうがって通した道。あなみち。トンネル。
……広辞苑より抜粋。
( ※ )
これは友人の話である。そうだと、してほしい。
もう東日本大震災というのは東北のほうであっても、今ではとうに過去のことになって久しいという。【私の友人】は東北のほうの国立大に入学していたから、東京から巣立ち、大学の学生寮に下宿していた。まだ大学一年生であったから、本当ならば酒は飲めない年頃だった。しかしこの時期はすでに大学も休みに入っていたから【私の友人】とその悪友たちは、【私の友人】の部屋にあつまり、一部の適年齢な者共はグビグビと呑んでいた。【私の友人】は一切口をつけていないはずの未成年だった。だがそんなはずはない。そうでなくては、あの隧道はありえない。
【私の友人】がいうには、そのときにはもう日はすでに落ち込み、夜は彼と彼の酒呑み仲間どものたむろする部屋にまでその暗いとばりを下ろし始めていた。しかし丑三つ時と言うまでにはまだまだ時間がある。外を出歩いても、どうともしない時分だった。それにおそらく酔って気分が大きくなったのもあるのだろう、陽気になり、頭があかるくなり、そうして何かスリルのようなものが欲しくなっていたのだ。
思い返してみると、あの日はカラスが寂しくないていた。
あの日が夏の蒸し暑さを【友人】の肉がない胸元にさえ汗をかかせて、染み込ませるほどにたたえていたせいもあった。しかしそれよりも、【私の友人】はこの酒のせいに違いない、奇妙にうかれた冒険心のよるところが、私の友人を外にへと繰り出させてみせたのだと思う。
外へ繰り出そうと言い出したのは【友人】にちがいないだろう。それは間違いないはずだ。彼は自分からそれを言い出したはずだった。
【私の友人】が他の酔っ払った悪友のうち、ついてきた二人とともに外に出ると、まさに夏の熱帯夜がこの地方、東北の方であってもありありと顕現してみせていた。陽炎さえ立っていた。もしかしたら、逃げ水を見たかもしれない。彼は目眩をして、天を見上げた。
星空にへと夕日が昇っているかとおもえば、月だった。それほどに明るく、紅いのだ。そうして夜となるさなか、青空が錆びてゆくのをみつめていた。すると途端、さあッと波が引いたかのようにして、昼の敗残は退散した。すでに太陽には見捨てられていた。
学生寮のまえの車道に並ぶ街灯が、火花が閃光を散らすようにして、いっせいに発火したかのようにして、|明《つ》いた。
駅近くにある寮からすこし郊外の方にある、このあたりでは稀な大型スーパーに向かうことにしていたのには、そこぐらいしか行くあてがなかったからではない。しかしそこに行こうと決めていた。理由のない決断だった。けれど同じようにして【友人】についてきたうちの一人の悪友は、彼が散歩ついでにつれてきたという一匹の愛犬を、もう少し遠くまで歩かせたいとごねた。
黒色のモサモサとした丸っこい毛並みの、リードに引かれて歩いてゆくプードルだった。【私の友人】は何を思ったのか、その犬にヨウ、とニンマリ微笑んでみた。すると犬がさっきまで前ばかり見ていたのにグッとその首を上げて、そのトンガリ出た鼻先の下で、口を下向きの弧をえがかせて、綺麗に歪めて、嬉しげに笑いかえしてきた。可愛らしい子供そのものだった。【私の友人】はおもわず彼の笑みを本物にしてよろこび、──酔いの回る頭をことさら陽気にさせてにちがいない──足取り軽く先にへと進んでいった。
なぜ、犬が笑うのか? ──人間そのものとして、笑っていた。
しかし【友人】はまったくこのことを、このときばかりは意に介さなかった。なにもかもが自然に思えていたのだ。すべて彼が考え、選択し、歩みだしていっていたのだと思っているからだ。彼はじゃあもう少し歩くぞ、とでも応じたのだが、悪友はすでに犬に連れられていくようにして、元気にリードを突っ張らせるほどに先行してゆく彼の愛犬について進んでいってしまっていた。
残ったもうひとりの悪友とともに、【私の友人】は先に行ってしまった悪友をのったりと追っていった。隧道があると言う。どこに? それは山中だった。どうやらうまいこと、先に行った悪友のすすむ道の先にあるらしい。道は一本道で、【私の友人】が進む先にゆくにつれて、さながら遠近法で書いた絵の道路が絵の二次平面ではだんだんと先細ることでようにして延々と伸びることを示すように、私の友人の手前から奥の方へと、【私の友人】の足元からその先にへと広がってゆくようにして前にへと伸びていた。
【私の友人】の後ろに、もうひとりの悪友が続いていた。彼はふと、私の友人にへと乞うた。振り返らないでほしい。【私の友人】はそのとおりにした。別に逆らおうという気分でなかったからだと、思う。
先に行った悪友の背をみていると、【私の友人】は自分がいま丁度おのれが山をクルクルと廻るような道のりで、その道──車道になっていた──を《昇っている》のだと気がついた。アスファルトの車道は黒い路地においてボツボツとした溝を刻み、白い帯状の塗装を月明かりの紅いほどの光に煌々と照らされていて、【私の友人】はそれを頼りに前の方にへと進んでいった。
【私の友人】と悪友たちはこの山の鬱蒼とした、しかし緑のせいかひんやりともした、暑さがやや安らいだ中を歩んでいった。道は地べたの露出した、砂利と土が足の感覚として捉えられるあぜ道となっていた。この自然の中を抜けてゆく道はやや急なカーブとともに、すこしづつ傾斜を増してゆきながら山頂の方にへと向かい、とたん、目の前が強烈にパアッと明るくなった。
それは街灯だった。しかし異常に大型で、光量もすさまじいものだった。坂道の突き当たりに設置されたこれの目の前で、道は極めて急に曲がり、隧道の穴にへと引き込まれていた。昇っていた坂の上からでは見えないほどのほとんど垂直と言っていいほどの角度で、坂道とこの隧道は直結していた。
おそらくはこの街灯こそが、坂道からこのままトンネルに気づかず突き当りへと突っ込む連中のために、警告の意味で設置されているのだろう。しかしこうしたせいでこの隧道の入り口であるこの突き当たりは、夜だというのに街灯の明かりでただそこに立っているだけで目がくらみ、ついには痛くなってくるほどだった。
自然と、【私の友人】たち三人は街灯に背を向けるようにしてお互いに向き合い、話し合った。だがその刹那、悪友のプードルが勢いよく駆け出し、突き当たりで人が落ちないようにしているガードレール、その下をかいくぐってこの向こうの果てしない暗がりの方にへと突っ込んで、逃げていってしまった。悪友は最初はプードルを追ったが、街灯の明るさのあまりにガードレールを越えてゆくことさえできなくなった。
【私の友人】は己の影に隠れるようになりながら、|件《くだん》の隧道をみた。
隧道は人が通るにしてみれば十分な余裕のある大きさだった。しかしトラックなどの車両が通るにはやや旧式として小さく役不足なのかもしれない。それにこの道を使っている車両など、ここに来るまででも一台とさえ見なかった。トンネルがこうして街灯の大光量により、その入り口から中ほどまで照らし出されているのを覗き込んで見れば、地べたの道は相変わらずだった上に、トンネル自体の外壁も地肌がそのまま露出して見せている。
そんなせいでこの隧道というべき坑道じみた、いや、洞窟じみてさえいるこの穴は、ただただ何人ものヒトの足跡が奥へと続いているばかりだった。真新しいそれも、大小それぞれなものが靴の溝の跡をくっきり残していたり、裸足の五本のちいさな指跡があるのものだったり、まだ幼い四肢で這っていったようにして帯状の跡にして見せていたりしていた。
隧道には一切の照明がない。だからここはトンネルというには人造的どころか野蛮で野卑な、洞穴でしかない。
ここは出ると噂らしい。悪友の一人がそういって、だから俺の|駄犬《プードル》も逃げやがったに違いない──そう決めつけた。彼はいった。このトンネルはあのガードレールの向こう岸へと、遠回りするように通じているに違いないぜ。……
どうだ、肝試しをしようか。悪友がそう持ちかけた。【私の友人】は勿論、この提案に賛成した。そもそも、彼はそういうヒヤリとする滑稽な刺激を求めて、外にへと赴いたのだった。彼はそう思い出したのだ。
先ず、言い出しっぺの悪友が一人、トンネルの向こうにまで赴いていった。彼はスマホのライトを頼りに、街灯のとどかない照明がないトンネルの奥の方にまで、その暗闇を無神経とさえ思える程にズカズカと進んでいった。そうしてついには向こう側まで辿り着いた。本当ならばラインでスタンプ一つでも送ってそのことを知らせればよかったのだが、あいにく圏外なこの山中であったから、かわりに前もって決めていたとおり、スマホをライトをつけっぱにしてブンブンと振ってみせることで彼は【私の友人】につたえてきたのだった。
そうして先にいった悪友は一度かえってきて、夏だというのに肝を冷やしたのか汗一つかかず、今度は君の番だな、と促した。彼いわく、トンネルの向こうはすり鉢のような穴を段々と下降してゆくかのような、そういう|回遊《コース》をたどっているという。【私の友人】はこうして、彼一人でやはりスマホのライトをあてにしてトンネル──|隧道《すいどう》にへと足を踏み入れたのである。しかし、すすんでゆく途中で、暗闇を彼の手元の|光明《ライト》をたよりにしてあの隧道のむこうにへとゆく【私の友人】の、その後をおってきた者がいた。
先ほど、【私の友人】とともに先にいった悪友のことを見ていた、もう一人きりの悪友である。彼女は【私の友人】の背中にへとひっつくようにしてみせた。【私の友人】は振り返って、ふとそのままトンネルの出口のほうを見た。あの街灯による|爛々《らんらん》とした照明が、彼がさっき入ったもはや彼の足元にまでも届くほどだった。トンネルの入り口から差し込んできてみせていた。
その時、トンネルの入り口を黒々としたおおきなもの、そうして闇が通り過ぎていった。
隧道のなかの光は【私の友人】が持つ一筋の光明だけになった。そのライトのみがポツリ、蝋燭のように灯っていた。しずかな冷気のなかで、そんな一瞬のあとに、街灯が隧道の入り口を切り開くようにしてその光をさしのべた。
ずっと【私の友人】の背中にひっついていた悪友が、もはや見るも無残に怯えだしては必死になってでもトンネルの入口の方へと【私の友人】を連れ戻そうとした。【私の友人】はトンネルのゆく先を、その突き抜ける先を見た。しかしいくら目を凝らしても、この隧道の向こう側──もう一人の悪友がたどり着いてみせたそこは、深淵じみた鳩羽鼠の色をした夜闇ばかりが詰め込まれていて、彼の手元の電灯では見通すことなど、とてもできない。
【私の友人】は身を翻して、もはや|行《ゆ》く必要もなく、なので彼のライトで照らされることもないあの無明の闇を彼の背にして明るい街灯の方にへと戻りはじめた。彼の後をやはり一人の悪友がついてくる。あるいは悪友とは別の、4つ足のものが彼らとは同じ大地ではない何処かを、テクテクとさせてついてくる。彼女が乞うた。ふりかえらないで。
【私の友人】は街灯のもとで今まで待ってくれていた、もう一人きりの悪友に問うた。今ここを何かが通り過ぎていかなかったかい。いいや、と悪友は答えた。結局それでお開きとなり、三人ともどもその山を降りることとした。
テクテクと音がしていた。隧道からだった。街灯が、じ、ジ、ジジ、じ、と焼け焦げるような音を立てていた。
隧道の地肌な天井へと逆さになって、悪友のプードル、その黒い毛並みのプードルが、歩いて追ってきていた。街灯の灯、その明るさが届くか届かないかの、そのあたりで立ち止まる。ただ、隧道の天井にへと逆さまに付属して、しっかり足をつけて、三人の人間を見つめている。
【私の友人】はヨウ、と笑った。プードルはやはりその口を下向きの弧にみえるようにして、歪めた。「おとうさん」プードルがないた。
街灯の強い明かりのもとで、それを背にして【友人】たちは歩き、せっかく昇った山をふたたび降りはじめた。下ってゆくとき、街灯はますます明るく発光した。【私の友人】はそうして三人の影のうち、一つだけがトンネルの方へとまっすぐのびているのを見た。
あれから時もただひたすらに、淡々としてすぎていったものだ。
これは友人の話である。そうだと、してほしい。
私は決して、幽霊の存在というものを信じているわけではない。ただ、口にすることで実現してしまうかもしれないと、己の身に起こってしまうかもしれないと、恐れるだけなのだ。それがただの私の迷信であるというのは容易いだろう。が、私がその迷信を信頼するに至るまでのなりゆきには、いままで迷信を迷信足り得るものとしていた現実が裏切ってみせたからに他ならない。
私は、【私の友人】は、体験した。その体験がはたして事実なのかというのは、いわば夢が真実かどうかを問うようなものだ。すくなくとも、夢をみた本人にとっては現実かどうかはもう重要ではない。とくに幽霊や超常現象という、非現実の王国の住人たちについてというのは、まさにその体験者当人のある種の信仰心の深さに委ねられるだろう。
いま、こうなってしまった私が思い返すと【友人】もまたその時において、こうした迷信じみた『予感』をどこかに感じ取っていたのだとおもう。ただその時の【私の友人】がなぜその|隧道《トンネル》にみずから足を踏み入れてしまったのか、というのにはやはりこうした『予感』を「あえて」気のせいだと決めつけてしまう──たとえば幽霊などいるはずがないなんていう、常識──があったせいだろうと思うのだ。【友人】があのとき、あの隧道に行ったのには、彼の現代社会へのある種の盲信からはじまる信頼があったからだ。幽霊などいない、心霊現象など嘘だ──かれは丁度この時期、大学受験を合格して入学した大学の理学部生であったのだから、これは良識であったはずだろう。
しかし彼は人間の直感とした、本能としての良識というものは、文明の中で生まれて育つことでますます鈍くさせられていたのだろう。
私は、こうした三人のうち、先にいった悪友の話を聞かなくなって久しくなる。しかし【私の友人】の後をおってきた悪友のほうは、まだあの学生寮にいる。昼のうちにあの隧道に一度は言ってみたいと思っているそうだが、悪友は気分屋なせいで、ついつい忘れてしまうという。
大震災のあとでは放置されていたこの学生寮が今度の区画整理では取り壊されるという。だから、その前に一度は、私はそのことを彼女とその分身──産まれることのできなかった水子にへと、名目の父としてだとしても報告をするために、東北のほうに行こうと思っている。
( ※ )
──産道[サンドウ](birth canal)
出産時に胎児が通る道で,骨産道と軟産道とに分れる。骨産道とは小骨盤内腔をさし,軟産道とは子宮下部より頸管および腟を経て腟入口にいたる筋肉性の空洞をいう。
……ブリタニカ国際大百科事典より抜粋。
執筆の狙い
『怪奇と幻想』をテーマにしたコンテストに応募しようとした作品です。
「意味の分かると怖い話」を目指しましたが、なんかぼんやりした、「意味の分かる人にしかわからない話」になってしまった気がして結局、投稿しませんでした。
今回、批評していただきたく思い、投稿いたします。文字数はぜんぶで六千字ほどです。