ライバル
新設高校の公立桜ヶ丘高校は、裏山を造成した丘陵地帯に建っている。昭和後半の戦後になると、日本は空前の好景気で、あちこちに宅地が開発されていた。その頃の話である。
この校舎は大阪府北部のH市に建築されて丸三年、現在の三年生が第一期生である。学校の周辺はかなり造成されて、周りにはぽつりぽつり人家が建ち並んでいるものの、密集した住宅街とは離れており、出来あがってま間無しの道路は歩く人影も登下校時を除いては殆ど見かけることはない。学校から少し離れた空き地に造成の時に使った工事会社のプレハブの小屋が放置されている。そこは桜ヶ丘高校の非行グループのたまり場になっており、授業を抜け出した何人かが常に屯していた。
五月末とは思えない暖かい好天の日であった。気の早い連中は上着を脱いでシャツを半分めくり上げて授業を受けている。
その日最後の授業時間、三年一組の木田充は、教師の声を上の空で聞きながら、ちらりちらりと斜め前の席の西島京子に目を注いでいた。非行グループが放課後にプレハブ小屋に来るように京子に言っているのを耳に挟んだからである。これ迄プレハブに呼び出されてリンチを受けた者が何人かあり、偶然に充もその場に居合わせた事がある。充は非行グループではないが、頼まれて他のグループとの抗争に手を貸したことがあるので、彼らは充には一目も二目も置いている。
京子はガリ勉の秀才で成績は学校中で一番を譲ったことはない。大学受験にはこの高校には不似合いな医学部を目指しており、三流の学生が集まっている新設の桜ヶ丘高校では異色の存在であった。ただ、秀才である上に美しい容姿と勝気な性格が災いして高慢な女としてクラスでは浮き上がった存在であったのだが、非行グループに恨まれるような理由を充は知らなかった。
充の父親と京子の父親は、大学の医学部時代の同級生である。卒業後、充の父親は内科に、京子の父親は外科に進んだが同時期に地方の同じ日赤病院に赴任し、医師官舎では隣同士で数年間を過ごしたことがある。従って充と京子は小学校に入る頃からの幼馴染である。小学校時代から京子はよく勉強し成績は常にトップクラスであったが、充はのんびりしたもので、柳心流という空手、剣法、柔道を総合した古武道の格闘技に熱中し、近所の子供を引き連れては遊びまわっていたガキ大将であった。
充が喧嘩をして教師に叱られる度に母親はため息をつき、
「隣の京子ちゃんを見習いなさい」
といっては充を叱ったものである。充は京子と比較されるのが嫌で、その腹いせに時々京子を泣かせることがあったが、京子が上級生から意地悪をされたときには相手がいくら大きい子であっても京子を守って猛然と突っかかっていった。殴られ、投げられて全身傷だらけになっても相手が根負けして逃げ出すまでは抵抗をやめなかった。そのうち、誰も京子には意地悪するものは居なくなった。
父親達が大学の医局に帰ってからは、充と京子は別々の中学校に通ったが、相変わらず充はガキ大将で京子は秀才であった。
同じころ大阪府下のH 市で、充の父親が内科、京子の父親が外科病院を開業してからは、充は京子と顔を合わせる事はなかった。充が三流と看做される新設の桜ヶ丘に進学した時、同じクラスに京子が居ることに気がついて非常に驚いた。京子ならどんな一流高校でも進学できた筈である。
充が不思議に思って、
「どうしてもっと良い高校に行かなかったんや」
と尋ねると、
「家が近いからよ。高校なんてどこでも良いじゃあない? 一流大学に入れば同じことでしょ」
といかにも自信ありげに答えた。そして眉を顰めながら、
「でも、この高校は最低やね。勉強の出来そうな人は誰も居ないもの。やっぱり落ちこぼれの集まる新設校だけのことはあるわ」
と軽蔑したような口調で言った。充は無性に腹が立って、昔こんな時は京子の頬をはりとばして泣かせたことを思い出した。
「初めから落ちこぼれが来る事は分かってるんや。それが嫌なら一流の北野高校へ行けばよかったのに」
充がムッとして言うと、京子はふんと鼻で笑って顔を背けて立ち去った。充は京子が異世界の人間だと悟ってずっと同じクラスでありながら殆ど付き合いはなかったのである。
放課後、京子を不良グループの三人が呼び止めたのを充は遠くから見ていた。京子は三人と言い争っていたが、やがて無理やり連れ去られた。充は何気なく見送ったが、プレハブに連れて行かれたとしたら京子が何をされるかわからない。グループの残忍さはよく知っている。充は京子が暴行を受けるとすれば放っておけない気がしてプレハブの方に足を向けた。
プレハブの広さは二十畳位だろうか。隅には古い机や壊れかけた椅子、何に使うのか分からない古い工具などが山積みされており、入り口から半分ほどの床が空いている。そこには煙草の吸い滓が散乱していた。その真ん中の椅子に京子を座らせ、それを取り囲んで男三人、女二人がだらしない恰好で椅子や空き箱に座っていた。
京子は正面の男を無言で睨みつけている。
「なぜ連れてきたか知っているか」
体格の良い正面の男が口を開いた。
「知るもんですか。早くここから帰して頂戴」
「これからお前の裁判をするんや」
「裁判? 馬鹿なことを言わないでよ。あんたらに何の権利があるのよ。不良学生の癖に」
「村山さんを舐めてると後悔するよ。こっちは本気やからね」
横の女が甲高い声で叫んだ。
「そうや。本気やで。あんまり舐めた真似をしない方が身の為やで」
村山と呼ばれた正面の男が低い声で言った。
「ふん、ばかばかしい。私もう帰るわ」
京子は冷笑を浮かべて立ち上がった。
「おい、田口。京子を捉まえろ。逃げないように手と足をくくっておけ」
村山の指図で横にいた男は京子の手をつかみ、傍にあった縄で京子を縛ろうとした。
「何をするの、止めてよ」
京子は悲鳴を上げながら逃れようともがいたが、一瞬早く近くに居た二人に押さえつけられ手足に縄をかけられた。
「こんなことをして只で済むと思ってるの」
京子は肩で荒い息をしながら村山を睨みつけた。
「ほう、どうするつもりや」
村山がにやりと笑った。
「訴えてやるわ。こんなことは絶対に許せない」
「そんな威勢の良いことを言っておれるのも今のうちだけやで。そのうちこんなことは言えなくなるからな」
村山の声が不気味に響いた。
「ふん、そんな脅しに乗るものですか」
京子は縛られたまま立ち上がって戸口の方へ出ようとした。
「おい、逃げられないようにこいつを裸にしろ」
京子の顔色が変わり思わず椅子に腰を落とした。
村山が田口に目で合図した。
「裸なら逃げるわけにはいかんやろう」
「やめて、逃げないから、それだけはやめて」
京子は声を震わせながら叫んだ。そばに居た田口が後ろから半身を抱えると、京子の声は、
「ね、そんなことはしないでしょ。うそでしょ」
と悲鳴になって消えていった。
田口が京子を床の上に倒す。女二人が縄を解き、京子のスカートに手をかけた。
「やめて、おねがい」
京子が足をばたつかせてもがこうとするが女一人が京子の足を押さえつけ、もう一人がスカートとパンティを下してしまった。
「よし、今度は上を脱がせろ」
村山が冷たく言い放つ。もはや観念したのか京子は声を立てることなく村山を睨みつけるだけであった。
全裸になって京子は椅子に座らされた。
「いい体してるな」
村山がにやりと猥褻な笑いを受かべて京子の裸体を見まわした。
京子は目に涙を浮かべて村山を睨みつけている。
「よし、では裁判を始める。ユリ、こいつの罪状を説明しろ」
ユリと呼ばれた女は京子の前に椅子を移して、
「あんたは普段から頭が良いのと美人であることを鼻にかけて私らを軽蔑していたやろう」
京子は無言である。
「言いたくなきゃあ言わなくてもいい。その次は……」
ユリは言葉を切って一呼吸した。
「あんたは、春子のことを警察にばらしたやろう」
京子の表情がギクリと動いた。
三ヶ月ほど前、京子は春子に喫茶店「ふたば」に来るように誘われた。ふたばを根城にして高校生の売春が行われているという噂を聞いている。京子は春子がそれに関係しているらしいと思って探るためにそれに応じた。案の定、春子はそこの売春の常連であった。
「あんたもやったら? あんたくらいの美人ならいくらでも良いお客が付くよ。いい子が居たらと頼まれているんや」
とそこで売春を誘われた。
もちろん、京子には売春する積りは無い。
「あんた、売春なんてしたら駄目だよ」
京子は春子を止めようとした。
その時、警察の取調べが入り、買春の客とともに京子も取調べを受けた。京子は自分の疑いを晴らすために、自分の知っていることを洗いざらい申し述べた。京子は釈放されたが、春子は売春が露見してその後も警察の取調べを受けたのである。
「春子は退学したことを知っているやろう」
京子は黙ったまま頷いた。
「悪かったとは思わないのか」
ユリの声が高くなった。
「売春なんて悪いことをしたんやから仕方ないでしょ」
京子は低い声で言った。
「春子が売春したからってあんたにどれだけ迷惑をかけたんや。えー、あんた、何か迷惑をかけられたんか」
「私が迷惑を受けなくても学校の恥でしょう」
「ふん」
ユリは冷笑した。
「あんたは金持ちのお嬢さんや。勉強さえしていれば良いかもしれない。でもね。春子の家は貧乏なんや。学校の授業料だって売春の金で払っていたんや」
ユリの声が沈んで目に涙が浮かんできた。そして付け加えた。
「春子はね。昨日死んだんやで」
京子は思わず顔を上げてユリを見た。
ユリは涙を流しながら、
「春子は首を吊って自殺したんや。あんたが春子を殺したんや」
と叫んで京子を指差した。
「私はそんな積りではなかった」
京子は力なく呟いた。
「あんたが警察に何もかもぶちまけなければ春子は死ななかったんや」
京子を指差し、
「春子を殺したんはお前や」
と叫んだ。
「私は関係ないわ」
京子は再び力なく呟いた。しかし、自分が警察に言ったことで春子が窮地に立ち自殺した事は間違いない。
「さあ、春子を殺したと認めるか」
ユリが京子の肩を小突いた。
「私は警察で聞かれたことに答えただけよ。春子が死んだことには関係無いわ」
京子はヒステリックに叫んだ。
「バカ」
ユリの平手打ちが京子の頬に飛んだ。
「春子の書置きに京子を恨むと書いてあるんやで。この恨みを晴らしてくれと書いてあった。 春子はあんたを恨んで死んだんや。あんたが殺したのと同じことや」
「よし、今度は俺が喋る」
村山がユリを制して口を開いた。
「あんたが直接手を下したのではないが、春子はあんたに殺されたのも同然や。これは認めざるを得ないやろう。何しろ遺書にはっきり書いてあるんやからな」
京子は力なくうなだれた。
村山の顔が急に険しくなった。
「この償いはしてもらう。覚悟は出来ているやろうな」
京子は恐れと不安で思わず顔をあげた。
「一体、私をどうしようと言うの?」
「これからそれを決めるんじゃ」
村山は左右を見渡して、
「さあ、みんな、こいつをどうする。判決を聞こう」
「死刑、絞首刑や」
ユリが叫んだ。
「そう、春子を殺したんやから死刑が当然でしょう」
もう一人の女も叫んだ。
小屋の天井を支える梁が通っておりそれに縄がひっかけてある。その端は首を釣るための輪になっている。女はその輪を享子の首に引っ掛けた。
「お前は?」
村山が田口を振り返った。
「ユリがそう言うなら俺も死刑に賛成や。しかしその前に……」
「俺も死刑に賛成。全員一致で死刑や」
もう一人の男も言った。
村山は京子を見据えると、
「さあ、聞いたか。皆の意見は死刑や。何か言うことはあるか」
「死刑ってどんなことをするの」
京子は恐る恐る聞いた。不良グループの死刑ってきっと非道い暴行をするに違いない。
「死刑は首を釣って死んでもらうことに決まっている」
村山が平然として言ったので、京子はそれを冗談と思ったらしく、
「もうこんな冗談は止めて早く私を帰してよ。これだけ私にひどいことをすれば気が済んだでしょ」
と言いながら立ち上がって、首から縄を外そうとした。
村山は隠していた刃渡り二十センチの刃物を京子に突きつけた。
「おい、本気やぞ」
京子の目が恐怖で見開かれた。
「では、本当に私を殺すの?」
「当たり前や。これから死刑を執行する」
村山は刃物の腹で京子の首をペタペタ叩いた。
京子は恐怖で震えながら。
「殺すなんて嘘でしょ」とつぶやいた。
「ユリ、俺が合図をしたらその縄を引っ張て吊り上げろ」
ユリが縄を少し引っ張った。
「ねえ、ウソでしょ。冗談でしょ」
京子はあわてて村山を見あげた。
「死ぬのは怖いか」
村山は冷たい目で京子を見下ろしながら言った。
「怖い、死にたくない」
京子の声が震えた。
村山の表情にちらりと翳りが見えた。
「駄目よ。早く殺さなきゃあ」
ユリが村山の表情を見てけしかけ、京子の首の縄を少し引いた。
村山は迷っていたように京子を見ていたが、その顔がだんだん険しくなった。京子は恐怖の為に足が震える。
「助けて。殺さないで」
と泣き声で叫んだ。
「もうじたばたしても駄目や。いくら叫んでもここからは声は届かない。諦めることやな」
村山はナイフを引っ込め、椅子に坐った。
「これから春子と同じようにここで首を釣ってもらう。首を釣るのがいやなら、ここで絞め殺してから釣ってもいいんやで。それが嫌ならナイフで刺すか、錘をつけて池に沈めるか。どれでも好きな方法にしてやる。しかし、死ぬ前にやってもらうことがある」
「男に抱かれることよ。春子と同じ事をしてもらう」
ユリが傍から言った。
「いやよ、殺されるのはいや。命だけは助けてよ」
「春子を殺したんや。助けてやるわけにはいかない」
京子はユリを見て哀願した。
「ユリさん、助けて。今まであなた達を馬鹿にしたこと謝るわ。ごめんさない」
京子の泣き声を無視してユリは煙草に火をつけた。煙を京子に吹きかけながら、首に巻いた縄を持ち替えて、
「いくら泣きごとを言っても駄目よ。往生際が悪いね。さっさと諦めな」
と叩きつけるように言った。
「あなた達、私を殺したら殺人罪になるのよ」
「そんなこと、百も承知や。けど首つったのはお前の勝手やで。自殺やんか。自殺では殺人にはならんからね」
村山が平然と嘯いた。
京子の顔が青ざめた。
「私に服を着せて頂戴」
京子の声は先ほどの涙声ではなく、はっきりした声だった。
「服を着てどうするんや」
村山は意外そうに聞いた。
「首を絞めて頂戴。裸のまま死にたくないわ」
「そうか。やっと覚悟ができたか。だが服を着せるわけにはいかないんや」
「何故?」
「死ぬ前に男に抱かれると言ったやろう」
京子の顔が怒りで真っ赤になった。
「殺したきゃあ、さっさと殺しなさいよ。私を抱きたかったらさっさと抱きなさいよ」
「よし」
と村山が立ち上がった。
「おまえ、怖くないのか」
村山は不思議そうに言った。
「怖いわ。胸が張り裂けそうに怖い。だから殺すなら早く殺して頂戴」
京子は涙を流しながら村山を見つめる。
「同情したら駄目よ。それなら私が殺すわ」
ユリが叫んで京子の首の縄を引いた。京子の顔が真っ赤になりその手は首の縄をはずそうともがいた。
「そこまでや」
その時、充が部屋に飛び込んできた。
驚いて振り返った村山とユリを押しのけて充が京子の首の縄を緩め、かばうように立っていた。
「京子を殺すのは止めてもらう。それだけ脅せば充分やろう。どうしても殺すなら、俺が相手じゃ。お前らに俺の柳心流と命がけで戦う勇気があるか」
充は傍に落ちていた棒切れを手に取った。
「何でや。こいつは春子を殺したんやで」
「それは聞いた。だが京子は俺の幼馴染や。俺の目の前で京子を殺させるわけにはいかない」
村山と充は睨みあった。ナイフを持った村山の手が下がった。
「じゃあ、殺すことはやめよう。しかし、無条件で放免するわけにはいかない」
「どうするんや」
「男を知ってもらう」
「なんやて」
「こいつは春子を軽蔑した。春子と同じように男を知れば軽蔑できなくなるやろう」
「それを断れば?」
「俺と貴様が戦っている間に京子を殺す」
村山はナイフを構えた。田口が京子の縄を引いた。
充は思わず一歩下がった。
「京子が男を知れば、以後京子に手出しはしないのやろうな」
「それは約束する。木田充と命がけで戦うという恐ろしいことはしたくないのでね」
「男なら誰でも、つまり俺でも良いんやな」
「そうや」
充は京子の方を向いて言った。
「事情は分かったと思うが、俺が君とセックスをすることになった。いいかね」
「いや」
京子は首を振った。
「ここで俺とセックスするか、それを断って皆に輪姦された上で殺されるか、どっちを選ぶ?」
「どっちもいや」
充は笑った。
「そりゃあ、どっちもいやに決まってる。でもどっちかを選ぶならどうする? 俺とセックスするのが嫌なら俺はここから引き下がるがね。そうなると君は皆に輪姦された上で殺される。そうしたいならそうしたら良い。俺だって命がけでこの連中と戦いたくないからね」
京子は恨めしそうに充を見つめた。
「俺とセックスするんやね」
京子は頷いた。
「誰も居ないところでする」
「そうはいかんのや。ここで皆の目の前でして貰う」
京子は両手で顔を覆い、裸のまま床に横たわった。
その体に充が覆いかぶさった。京子の泣き声が高まっていった。
いつの間にか充と京子を残して不良グループは姿を消していた。充が強姦するのを確かめさえすれば用はない。ぐずぐずして充に復讐されては割が合わないと考えて逃げたのだろう。
充は京子の股間から流れ出た精液を拭こうとしたがその手を京子が振り払った。京子は大急ぎで身繕いをすると充をにらみつけた。京子の目からとめどなく涙が流れ出る。
「京子ちゃん」
と充が声をかけると、
「寄らないで」
と叫んで京子は顔を覆った。
帰り道、夕日の中を京子は黙々と池の土手を歩いていた。この池に身を投げたら屍体が上がらないという噂があった。土手に腰を下ろしじっと水面を見つめている。やがて小石を拾うと水面に投げ込んだ。水の輪が広まり消えていくのを見つめる。
充は言葉も無くその傍に坐った。
「許してもらおうとは思っていない」
「どうしてあんなことをしたの」
「そうしなければ君は奴らに殺される」
「殺された方が良かったのに」
京子は小声で呟いた。
「何やて?」
充が石を投げ入れようとした手を止めて京子の顔を見た。
「殺されていたら、今頃こんな惨めな思いをしなくてすんだのに」
と京子が呟いた。
「皆の前で強姦されるときの気持ちわかる? 本当に死にたいと思ったわ」
「けど、俺としなかったらあの連中とすることになるんやで」
充は黙って京子の顔を見ていた。京子は黙ってうつむいている。今まで高慢な女だと思っていたのに、急に可哀想な女に思えてきた。
「俺を訴えるか?」
強姦罪で訴えられても仕方が無い。それで少しでも京子の気が済むなら。
「訴えたって私の身体は元には戻らないわ」
京子は水面を見つめたままで石を投げ込んでいる。
「もう帰ろうよ」
充は恐る恐る声をかけて立ち上がった。京子は立ち上がると、後に着いてこないでと言って歩き始めた。
その夜、充が自室で考え込んでいると電話のベルが鳴り、父の驚いた声が聞こえてきた。来るべきものが来たと充の動悸が激しくなった。荒々しい足音に続いて父の隆造が充の前に立った。
「お前、京子ちゃんを強姦したというのは本当か」
父の声は信じられないことを聞くような不安げな声であった。
「うそでしょ。何かの間違いでしょう」
後について来た母の節子もおろおろ声で言った。その二人を見ながら、
「本当です」
と充は観念したように言った。
「やっぱり」
隆三は怒りも忘れてがっくりと肩を落とした。そして節子を振り返って、
「すぐ西島の所へ行く。支度しろ」
と言ってあわただしく部屋を去った。
充はじっと畳の目を見ながら、京子の裸体を思い浮かべていた。もうどうにでもなれという心境だった。
三人が西島邸に着くと、西島清は怒りの為に目を真っ赤に充血させており、妻の久代も瞼を腫らしていた。
隆造は肩を落として、
「すまん」と一言だけいって頭を下げた。
「充君、なぜあんなことをしたんだね」
清は怒りを抑えた声で言いながら充を見据えた。
「すみません」
充は小声で言って頭を下げた。
「君は京子が憎くてあんなことをしたのか」
「違います。そのときの成り行きであんなことになったんです」
充は声を上げて清を見た。
「一体どうしたんや。京子ははっきり言わないのでさっぱりわからんのや。詳しく説明しなさい」
清がいらだたしそうに言った。
充は、プレハブを覗き見してからのことを詳しく説明した。春子が自殺したことも、ユリが京子の首を絞めたことも。
「そうすると、君は京子が殺されると思ったんやね」
あまりのことに驚いたように清が言った。
「そうです。あいつらは本気で殺すつもりやったんです。あいつらは平気でそんなことをする連中です」
「まさか、信じられん」
清が首を振った。
「僕が京子ちゃんを抱かなきゃあ他の連中に強姦されて殺されるところやったんです。僕の目の前で、京子ちゃんが強姦されるのを見るにはとても耐えられません。どうせ強姦されるなら、奴等より僕の方が良いと思ったんです」
「どうして奴等と戦って京子ちゃんを助けなかったんや。お前には子供の頃から習った柳心流拳法があるやろう」
隆造が詰るように言った。
「京子ちゃんは人質に取られているんだよ。首に縄をかけて梁につるされているんだよ。僕が下手に動くと京子ちゃんがその間に殺されてしまうんや」
大人たちは腕を組んで黙り込んだ。
「お前が強姦すれば奴等は京子ちゃんを殺さないと承知したのか」
「奴等は、京子ちゃんの処女を奪うことだけで妥協した。どうせ処女を奪うのなら奴等より僕のほうがましやと思った」
清が腕組みを解いて言った。
「奴等も自分が強姦したら自分が罪に問われるし、充君がそれを許さないことを知っていたんでしょう。だから充君に罪を着せようとしたんやろう。今更言ったところで京子の体がもとに戻るわけはない。まあ、京子が生きているだけで幸いと思わなければならないようやな。問題はこれからの京子をどうしてくれるかと言うことや」
充は黙って父の顔を見た。隆造は黙ったままだ。
「京子はもう処女ではなくなった。まともなところにはお嫁にいけないやろう。京子の気性としてこれを隠して結婚する事はもう出来ない。それを思うと京子が可哀想や」
清が声を落とした。久代と節子が目頭を押さえた。
「すみません。僕に出来ることならどんなことでもしてこの償いをします」
充は小さい声で言った。
清が目を上げて充を見た。
「本当にどんな償いでもするんやね」
「はい」
「よし」
清は大きい声で頷いた。
「この償いは必ずやってもらう」
「どうすればいいんですか」
充が不安そうに尋ねた。
「先ず、これから勉強して医学部に入るんや」
「はあ? 医学部にですか?」
充が不思議そうに聞いた。
「京子は間違いなく医学部に入るやろう。君が医学部に入れば二人を結婚させる。これでどうや」
「僕が京子ちゃんと結婚するんですか」
充が不安そうに聞き返した。
「そうや。京子の処女を奪ったのは君やからな。京子が気兼ねなく結婚できる相手は君しか居ない。しかし、京子の相手は医学部出身でないと困るね。病院の跡継ぎだからね」
「本当に僕が京子ちゃんと結婚しなきゃあ駄目ですか」
「いやか? 京子が嫌いなのか」
清が怖い顔をした。
「嫌いではないけど、京子ちゃんと結婚したら一生頭が上がらないし……」
清の顔にふっと笑顔が浮んだ。
「京子にしたことを考えてみろ。一生、頭が上がらなくても当然やろう。それとも医学部に入れる自信がないのかね」
「大学受験のほうは大丈夫やと思います。僕も医学部を狙って勉強はやっておりますので」
「京子はね。気性は激しいが、根はやさしい娘やと思っている。その点は君が心配する必要は無い」
そして隆造の方を向いて言った。
「隆造、これで良いやろうな」
「良いとも、それで許して貰えるなら」
隆造は額の汗を拭った。
清は頬をゆるめてうれしそうに言った。
「充も京子も一人っ子で病院の大事な跡継ぎやが、まあ、構わんやろう。木田病院と西島病院が合併して木島病院という名前にしたらいい」
隆造の顔にやっと微笑が浮んだ。清も上機嫌で久代を振り返り、
「これで話は決まった。京子を呼んできなさい」
「私ならここに居るわ」
京子が戸の陰から顔を出した。
「話、全部聞いたわ」
京子は充の前に座って充の目をじっと見つめた。充はその目を美しいと思った。
「充さん、私に同情して義理で結婚するならこの話はお断りします」
充は思わず目を見開き、顔を火照らせた。
「本当のことを言えば……」
充の声は高くなった。
「昔から京子ちゃんの事は好きやった。大人になったらお嫁さんになってほしいと思っていた」
京子の口元がほころんだ。
「私も充さんは好きやったよ」
充は意外そうに京子を見た。
「京子ちゃんは俺なんか相手にしてくれないと思っていたのに」
「喧嘩ばかりする充さんは嫌い。でも本当の充さんは好き」
「俺はもう喧嘩はしない。これからは勉強に専念する。成績で京子ちゃんを抜いてみせる」
隆造と清は顔を見合わせて微笑んだ。
「学生の頃から俺とお前はライバルやったな。子供たちもライバルとして成績を争えば良い。きっと俺の息子の充が勝つやろう」
「何を言うか。娘の京子が勝つに決まっている」
二人は声を合わせて笑った。
翌日、学校で充が京子に話しかけた。
「二人を結婚させると言ってるけど、本当に君はそれでいいのか」
「だって、私の処女を奪ったのは充さんでしょ。だから充さんと結婚するしかないでしょ」
満は唖然としたように京子を見た。
「君、本気でそんなことを考えているの? 処女でなくても好きであれば結婚したらいいじゃあないの? 処女かどうかなんて問題にならないよ」
京子は黙ってうつむいた。
「充くん、あなた、本当にそう思ってるの?」
「当たり前やろう。今時、そんなことを思っている人なんていないやろう」
「そんならなぜ私と結婚することになったの」
「そりゃあ、両親がそういうから。両親は古い考えのようだからね」
「親の命令で?」
「本当は、昔から京子ちゃんが好きやった。京子ちゃんが僕のお嫁さんになってほしいと思ってたんや」
京子が微笑みながら言った。
「わしも充さんが大好きやったよ。でも喧嘩ばかりする充さんは嫌いやった」
「もうこれから喧嘩はしないと誓うよ」
「でももう一つ条件があるでしょ」
「条件?」
「充さんが大学医学部に入ること」
充がにやにや笑った。
「実はね。内緒だけど、今年の初めから塾に行っているんや。塾の模擬テストではA判定をもらっている」
京子は面白そうに笑みを浮かべた。
「まあ、充さんは子供のころから頭は良かったからね。これからは堂々と表で勝負しようよ。ライバルとして」
「僕が勝ってもかまわないのか?」
「かまわないよ。ライバルでも私の旦那様だもの」
「これから時々セックスしてくれる? 実は前から君とセックスしたいと思っていたんや。あんなことがあったから、君にはセックス嫌悪感が残っていないか心配でね」
「あなたがしたいとき何時でも言ってね。充君は私の旦那様だもの。旦那さんとならセックスするのは当たり前でしょ」
了
執筆の狙い
これは最近書いた小説で初投稿です。しかし、時代背景は昭和の終わりごろとなっております。私には令和時代の若い男女の考えは理解できませんので。