極道の娘
坂崎彩夏(さやか)は小学校に入学して間もなく、普通の家庭と違う事に気がついた。幼稚園の頃までマンションに父と母と三人暮らし、何処にでもある普通の家庭だと思っていた。
暫くして彩夏家族は引っ越しことになった。敷地面積五百坪あり、その一部が敷地の奥には大きな屋敷がある。豪華な作りの敷地は百坪ある家で、大きな建物で豪華な造りだ。
そこは彩夏たちの新しい家である。家の近くには車が五台ほど置けて、入口は大きな駐車場とは別な入口がある。同じ敷地の中に屋敷の表通り添えには五階建ての建物がある。そこが父の職場、いや父の城と言っても良い建物がある。父は父さんの会社だよと言っているが、其処で働く者は殆ど男性で、とても普通の会社員とは思えない者たちばかり。何故かと言うと刺青を入れたものが多く、強面の者ばかり。
新しく引っ越した屋敷は彩夏と父と母が住んでいる。他に年配の手伝いさんと若いお手伝いさんが住んでいる。
父が会社と言う敷地の入り口付近は駐車場になっていて三十台も置ける。彩夏の家は五階建てのビルとは離れて居て家とは仕切りもあり普段は誰も入って来ない。それでも同じ敷地で、時おり彩夏と顔を合わせる事がある。でも合うと誰もが怖い顔を恵比寿顏にして彩夏にこう言う。
「やぁお嬢さん、元気」
それを知った父は、あまりあっちの方に行って駄目だよと言う。
「お父さん。どうしてあちらの大きな建物に方に行っては駄目なの」
「あっちはお父さんの会社だから、子供は入ってはいけないんだよ」
「ふ~ん。どんな会社なの?」
「……ああ、子供は知らなくていいの」
子供の頃は父が何をしているか余り考えない事にしたが、それでも他所の家とは何かが違うと思っていた。そしてついに知ってしまった。隠し通せないと父と母が相談して打ち明ける事にした。なだめるように母は彩夏に説明した。
「ごめんね。彩夏には普通の子に育てたかった為なの。お父さんも教育上知らせなかったの。世間で言う極道の家系なの。でも悪いことばかりしている訳ではなく、近所の人や町内会には多大な寄付をして平和を保っているのよ」
小学校に入ったばかりでは分かる訳がない。しかしいずれ綾香も思い知らされることになる。彩夏の家は極道一家、いわばヤクザの家である。屋敷と云う名に恥じない豪華絢爛な贅を尽くした造りの家であるが、家だけで判断すれば裕福な家庭のお嬢様の彩夏であった。
父の源三郎は坂崎一家五代目組長であり、今では珍しい仁義を重んじる古き伝統的な極道である。戦前のドサクサでテキヤを中心として伸し上った極道の組織で、源三郎は先代の父の後を継いで六年前から五代目を襲名していた。主な仕事は露天業、屋台イモ、屋台ラーメン、不動産業、イベント業、更に傘下にはフロント企業もある。源三郎が一番気を使っているのは警察に目をつけられない事だ。この業界も年々厳しくなっていて恐喝なんかしたら一発で潰される。
とは、言え荒くれ者どもを束ねる長としは気を許せない。それだけに組に迷惑かける者は即,破門される。それを監視させるのは若頭を始め幹部が目を光らせている。
そんな怖い父も彩夏は源三郎にとってたった一人の子供である。おそらく彩夏が男だったら六代目にさせようと思ったのだろう。「こいつが男だったら……」が源三郎の口癖だった。
彩夏は幼稚園の入園式、小学校の入学式といつも母ばかりが出席していた。
それから彩夏が小学五年生の終業式が終わるころ母が病気で他界してしまった。其の時の葬儀は盛大なものだった。広い敷地が埋まるほどの弔問客の車と何千人もの弔問客で表通りまで人と車の列、警察が警備に出動するほどだった。如何に父の会社(組織)は凄いか彩夏は思い知らされた。
母は優しくて、父兄の間でもごく普通のお母さんにしか見えなかった。学校でもそれまで彩夏の家が極道とは誰も知らなかったが、父の職業は自営業として学校の保護者欄に登録されていたからだ。母が亡くなり学校の行事には母の代行として数人いるお手伝いさんが学校の行事に出席していた。しかしいつまでも代行と言う訳にも行かず子煩悩な源三郎は彩夏の為に、一度くらいは父親らしい事をと。学校の行事には出たくはなかったが娘の為に決意した。
極道でも自営なのかは定かではないが、六年生になり進学相談で父が初めて学校に来た。私は極道で御座いますと言わんばかりの、風体に怖そうな顔は誤魔化すようがなかった。担任の先生は一瞬、凍り付いてしまった。源三郎がどんな笑顔を作ろうが無駄であった。無理して笑う顔は余計に凄みを増して見えるのだ。
そんな噂が広まるのは早い。それから先生の態度や、同級生の態度が変わった。友達もいつの間にか離れていった。彩夏は思った。やはりこう云う事になるのだと父に詰め寄った。
娘のためにと思い学校に行ったのが、やはり間違いだった。同じく彩夏も悟ったはずだ。何故父は一度も学校に来てくれなかった理由を。
「お父さん。もうヤクザなんか止めて! 友達が怖がって寄り付かないわ」
「馬鹿なことを言うじゃない彩夏、それにヤクザと言うな。五代も続いた極道の血筋なんだよ」
「ヤクザと極道とどう違うの、同じじゃない」
「彩夏、極道と漢字でどう書く」
「極める道……それがどうしたの」
「そうだ道を極めると言う意味だ。つまり正しい道を行くと言う意味だ」
「でもみんなは極道とヤクザは同じだと言うよ」
「まぁ世間は同じと見ているだろうな。それが残念だ」
「どっちにせよ、私は極道の娘と思われている。私はどうなるの、先生も私を避けているようだし友達も離れて行った。もう嫌!」
「そう言うな、お前に六代目を継げとは言わない。普通に幸せになって欲しい」
「どうして普通になれるのよ。家には沢山の怖い人たちが出入りし、みんな私に、お嬢さんと頭を下げるの? 小学生がそんなに偉いの?」
彩夏が父へ対して最初の反抗だった。無駄な抵抗だと分かっていたが、言わずにいられなかった。
それからと言うもの、学校の行事には父が出る事はなかった。全て中年の手伝い(酒井陽子)に任せた。中学校、高校も酒井ばかり、知らない人は彩夏の母と思っているようだ。
彩夏は極道の娘と言わるのが、嫌で家を出たくても一人で生きて行けず、年が流れて行った。父の源三郎は中学から私立に入れた。普通に市立中学校に行けば、地元の生徒も一緒に進学すると、常に極道の娘として知れ渡る。そのために誰にも知られない私立に入れたのだ。こうして彩夏が極道の娘と知る物は居なくなった。大学卒業まで普通に暮らし事が出来た。ただ送り迎えは常に源三郎が手配した若い衆が運転して送り迎えをした。
彩夏は普通に電車やバスで通学したかったが、有名な極道一家の娘、いつ襲われるかも分らない。その代わり運転手は極道に見えない顔立ちの者、時には女性が運転する事もある。
特に注意したのは彩夏や周りの者に知られないように、彩夏を警護することだ。
彩夏は知らないが常に二-三人の警護がついていた。
そんな日から十年の月日が流れ、彩夏は二十三歳となり今は大手の企業に勤めている。
彩夏も年頃、恋もしたいだろう。会社にも馴れて社会生活にも余裕が出来た頃、同僚の先輩と恋に陥ってしまった。しかし心配事がある、やはり極道の娘と知ったら彼はどう思うだろうか。
そんな心配が的中してしまった。彩夏には常に組員の見張りがついていたのだ。
もちろん源三郎が若い者に命令したものだ。だが彩夏はそんな事は知らない。
職業柄、何かと狙われやすい極道の親分。その娘も同じ宿命だろうか。それ以上に、たった一人の家族であり溺愛する我が娘は源三郎の最大の弱点である。そんな娘に男が居るという情報が父の源三郎の耳に入ったのだ。するとその日の内に彩夏の彼は(彩夏に近づくな)と脅かされていた。彼は翌日から彩夏を遠ざけるようになった。彼を問い詰めたら白状した。彩夏は父を激しく罵った。
「お父さん! 私のプライベートまで監視しないでよ。私は人形じゃない!!」
源三郎はその時は分かったと彩夏をなだめたのだが、数日後には、彼は袋叩きにされた。
勿論二人の仲は壊れてしまった。
そんな事があって一年後、ついに彩夏は家出をして二人目の彼と、父に見せ付けるように彼のマンションで同居を始めた。子供じゃないから独り住まいまでは多めに見ていたが、同棲したと知り源三郎は逆上してしまった。たった一人の可愛い娘を傷ものにされたと怒りまくる。組員への手前もあり娘の醜態はみせたくない。一人で彩夏の居るマンションに乗り込んだ。時刻は土曜日の夜九時頃、彩夏の彼は風呂から上がりビールを飲んで居た時だ。インタホーンが鳴った。その彼は彩夏がコンビニから帰って来たと思い確かめもせずにドアを開けた。すると見た事がない中年の男が、いきなり入って来た。
「なっ! なんですか貴方は?」
「何ですかじゃないだろう! 彩夏は何処にいる?」
「貴方は彩夏のなんなのですか?」
「うるさい!! テメィかぁ娘を傷ものにしやがったのは!」
「じゃあ貴方は彩夏のお父さん?」
「じゃかあしい! この野郎が!」
源三郎がいきなり彩夏の彼を張り飛ばした。彼は茫然とした。これが彩夏の父なのか怖い人だと聞いていたが、ヤクザとは問答無用で暴力を振るうのか。そこへコンビニから帰って来た彩夏がドアを開けて驚く。
「お父さん! 何をするのよ。帰って。いま私の一番大事な人はこの孝則さんなの帰って」
「なんだと! 久し振りに会った父にいう言葉かぁ」
「もういや!! 貴方なんか父じゃないわ。もう私の人生を奪わないで」
娘にそこまで言われては流石に冷静でいられなくなったのか、生まれて初めて娘を殴ってしまった。その勢いで彩夏の彼を張り飛ばしてしまった。
堪りかねた彩夏は、恋人が殺されると思ったのか、キッチンから取り出した包丁で源三郎を刺してしまった。源三郎は腹に手を当てると、真っ赤な血が滴り落ちた。我に返った彩夏はハッとして包丁を手放した。慌てた彩夏の彼氏は驚き狼狽える。
「彩夏! なんて事を……自分のお父さんだろう」
「ごめんなさい、お父さん。刺すつもりはなかったの、ただ彼を守りたかったの」
慌てた孝則はスマホを取り出し救急車を呼ぼうとした。すると源三郎が叫んだ。
「駄目だ! 呼ぶな。救急車を呼んだら警察も来る。彩夏が犯罪者になる絶対に呼ぶな」
確かにそうだ。親子だろうと刺せば犯罪だ。源三郎は自分の体よりも彩夏を心配したのだ。
そう言って腹を押さえながらスマホを取り出し何処かに電話した。我を失った彩夏は、自分の行動に驚き彩夏は泣き出し源三郎に何度も詫びていた。それから十五分、数人の若い者と医者らしき者が来て応急手当をして車で源三郎を連れて行った。この業界ではよくあるヤクザ専門のモグリの医者だ。勿論医師免許を持っている者もいるが、何かの間違いで剝奪された医者もいるらしい。勿論、警察には電話はしない。モグリと言っても難しい手術も出来る。外見は少し大きな家であるが、医院とかそんな類の表札はないが手術の出来る設備は整っていて、看板を掲げてないが立派な医院である。ヤクザ社会にはなくてはならない医者がいるのだ。
彩夏の彼、孝則は付き合って間もなくの頃、聞かされていた。
「ねぇ孝則さん、覚悟して聞いた欲しいことがあるの」
「えっ? なんだよ、急に改まって。まさか重い病気があるとか」
「私の父は極道の親分なのよ。だから別れるならハッキリ言って私も覚悟しているから」
一瞬驚いた孝則だったが孝則も本気で彩夏に惚れていた。相手の親が誰であろうと愛を貫き通す、と彩夏に誓ったのだ。彩夏もいつまで意地を張っていないで父に告白しようと思っていた矢先だった。父も彩夏が同棲している現場を見て逆上してしまったのだった。
それから数日後、彩夏と一緒に見舞いに来て居た孝則に源三郎が言った。
「すまなかったなぁ、俺はご覧の通り極道だ。つい冷静を失い乱暴したが娘を思ってのことだ。こんな父親が居る娘だが、付き合いを続けられるのか?」
「先日、彩夏さんからうち開けられました。例え殴られようと愛を貫くと誓いました」
「そうかそれほどの覚悟があるのなら反対しない。だが娘の幸せが一番大事な事に気がついた。俺はこれを機に極道から足を洗う。それと言っちゃなんだが娘を幸せにしてくれんか」
「お父さんがそれほどの覚悟なら、僕も彩夏さんを生涯大事にします」
約束通りに源三郎は先代から受け継いだ一家を、若頭に譲りヤクザ社会から身を引いた。
孝則は、最初は驚いたが父を刺してまで自分を守ろうとした彩夏を愛おしく思った。
例え父が極道だろうが、彩夏の愛に報いたい。何よりも娘の為に極道を捨てる覚悟の親心に胸を打たれた。彩夏は泣いた。みんな極道と聞き怖がって去っていたのに、孝則さんだけは受け入れてくれた。
源三郎は彩夏の手を取り、そして孝則を呼び寄せ二人の手を硬く握った。
「なぁ彩夏、こんな極道の父だけど先祖から続いて来た一家だ。役目柄、組員にも飯を喰わなくてはならなかった。俺らは世間から嫌われているが、弱い者には手を出さないのが一家の仁義だった。だがその俺が、お前の彼氏を力で捻じ伏せようとした。仁義を自ら破ってしまった。これでは仁義を重んずるご極道の道から外れる行為だ。だから身を引いた」
一家は若頭に六代目として譲ったが極道の仁義だけは守れと言ってある。それが代々続いた坂崎一家だったが、血筋は変わっても伝統と仁義だけは守らせる。それが極道の道だ。
彩夏は凄いと思った。ただのヤクザだと思った父こそ本物の極道だと。
道を極めると書いて極道。聞こえは悪いが、そんな意味が込められている事を改めて思い知らされた。
それから数年、彩夏は結婚して子供が生まれた。しかも男の子だった。源三郎は嬉しくて孫を異常なほど可愛がった。彩夏はどうも怪しいと思って訊いてみた。
「お父さん、まさか鉄太郎に七代目を継がせようと考えてないでしょうね」
「それは絶対にない、が…鉄太郎の弟なら七代目にいいだろう」
「もうお父さん、絶対にさせないわ。どうしても欲しいなら、再婚して子供に継がせたら」
「へっへへ再婚はしないし、子供は彩夏一人でいいよ」
極道社会ではあるが一時代を築いた豪華絢爛な坂崎ファミリーから身を引いたが、坂崎ファミリーは源三郎の仁義を守り、成長していったのだ。
執筆の狙い
極道の世界を描いて見ました。
しかし組長でありながら娘思いの父。
娘は余りに監視が厳しく父に反抗し彼と同棲してしまう。
怒り捲った父は娘のマンションに乗り込む。