空に舞う花
大陸から離れて海に浮かぶ島の日本を襲った大地震は大地を激しく揺らした。揺れが収まり、人々は大きい地震なのに建物崩壊が少なく安心した。海岸は波が引き貝殻や海藻の横から小魚が飛び跳ねている。その浅瀬に遠く離れた沖合の海が小高い丘のように盛り上り、向かってきた。海岸近くにいた人達は興味本位に見ている。まだ事の重大さを感じていない。
道路では車の警告音があちこちで鳴りだした。同時に不気味な音を響かせたサイレンが鳴った。警察官や消防士、町の職員がハンドマイクを片手に必死で避難してくださいと叫びだす。
海を眺めていた人達はやっと異変に気付き急いで車に乗った。皆、焦っている。車のエンジンを掛けようとした。わずか五秒間でも長い時間だ。手が震えて思い通りにならないのだろう。後続の車が発進を急かす。その空白の時間がとんでもなく長く感じている。やっとエンジンの音が鳴った。思い切りアクセルを吹かす音が聞こえた。しかし道は車で渋滞して走れない。海岸から離れようとしても無理だ。
運転している人達が車から降りた。足元は海水で濡れだした。斜め後ろをみると海水が川を逆流して、小山のような塊で上ってくる。そして川と並行にある道路は海水でさっきより水嵩が増している。
一人が走り出した。それにつられてみんなが走りだした。車を放置して高い建物を探している。先に高台の公園に避難した人はその状況を見て、わあ、わあ、云いながら指を向けている。そこを曲がれ大きな建物がある。怒鳴っても聞こえない筈だが言葉に出してしまう。知らない人のことでも、間一髪、間に合って胸をなでおろす人もいる。
道路は川になるのに時間がかからなかった。やがて街は川のようになる。人々は次々と木造の建物が飲み込まれていく信じられない現実をみている。そして現実を受け入れるしかなく、物を何も持たなくビルの屋上や高台の公園に逃げて、切れかけた命を結んだ。四階建ての建物に逃げた人は屋上まで行ってかろうじて助かった。三階建ての建物に逃げた人は海水の中に引きこまれた。
大津波は海辺にある電力設備も破壊する。その設備は原子力を使って電気を発電する大規模な施設であった。その中で最も重要な場所が破壊された。予備の電源さえ故障して冷やされない核燃料は高温で金属の入れ物を熔かして炉心に穴が開き漏れ出した。竈に例えるなら鍋の底に穴が開き、炊こうとする米がこぼれていく状態だ。施設は安全を全面にだして厳重に管理されていた筈だった。国が後押しする施設所有者の電力会社は大地震に強く壊れない。と常に主張していた。燃料には天然ウラン235を使い核分裂をさせる。そのエネルギーで水を蒸気に変える。蒸気はタービンを回転し電気を作る。ウランは核分裂する時に、きわめて強い毒性がある放射能を放出する。通常は放射線を安全に封じ込めている。そのシステムが津波で機能しなくなる。放射線を帯びた燃料である超高温のデブリが制御できない状態になった。コントロールが効かないデブリの処理しだいで国家は存亡の危機に直面する。
人々は逃場を失いかけた。関係者の努力で電力設備の連鎖的破壊を食い止め危機を逃れた。しかし核物質は放射線を出し続ける。安全になるには千年、万年の期間が必要になる。
国は完全復旧のために特別な税を国民から集めた。金と人的努力を生かせなかった。年月だけが空しく過ぎて被害者は歳を重ねた。被害者でない人々の意識は薄れ、大事な教訓と重大な事故だった事さえ忘れた。被害地域に住んでいた人は自身が歩んだ暮らしを諦めるしかなかった。災難は続くものである。その後、世界的に毒性の強いウイルスが発生し重篤になれば死を宣告される病気が蔓延した。国は感染対策の研究所を持っている。即座に機能しなかった。対応が後手、後手と回り根本的な治療方法を確立できない。時間だけが過ぎて中途半端な対応しかできない。国民が莫大な医療費を使ってもその金が国内の薬品会社から外国の薬品会社に流れるだけであった。日本の薬品会社は商社的会社でもある。資金のかかる研究開発より手数料の方が確実に儲かるからだ。国の最終選択は根拠がないのにウイルスの影響が少なく終息しつつあると宣言して世界的規模のスポーツ大会を開催した。
人々は重大な被害を解決したような錯覚に陥り、責任の放棄を決定した国を容認した。今起こっているウイルスの脅威も過去に起きた大震災の教訓も放棄する国家であった。電力設備の安全性を担保しないで古い設備を再開する事は決定者の無責任さだけが残る。事の本質を解決しないと忘れた頃に再び重大な災難は来る。
症状が直ぐに現れ検査で目に見える強い毒性のウイルス。目に見えなくいつまでも消えない放射能。それらを他国に依存することなく自力で解決しなければならない。それが国としての責務である。国家として毅然とした意志がなければ負の連鎖が続く。
ウイルスで好調な世界経済は分断され縮小された。その影響は世界の国の国民に不安を煽り不満が爆発する。世界は経済摩擦が起きて不穏な空気が漂う。他国に依存ばかりしている国は国民の意志に反して戦争に巻き込まれる可能性がある。そして後戻りのできない核兵器の使用の被害国になる危険性もある。核戦争は勝利者のいない世界を作る。
思っただけでも恐ろしい世界が待っている。人々は過去の世界戦争の記憶が薄れる。その時、世界は本当に何かが起こる。
吹き荒れる風と雨、予想も付かない時期の嵐は地震で歪んだ大地に、想像上の魔物だが巨大な龍の爪痕を残すような被害を齎した。災害対策費の少ない過疎の地方は影響を受けやすい。社会資本が十分にある都会では影響が少なく、いつものような日常生活が始まる。報道番組で今日にも天候は回復すると言っていた。実際の天候は前線が停滞して時を刻むごとに目まぐるしく変化する。日付が変わるのを繰り返し、やっと嵐は吹き去ったようで静かになった。それでも空は雲が厚く覆い、急に雨が強く降りだして、まだ安定しない。今夜も星が見えない大地はたっぷりと水を吸っていた。深夜が終わる頃、昨日の強い雨が通り過ぎて、夜の空気が霧雨で濡れている程度になった。安全を優先し止まっていた電車が動き出す。近くの国道の交差点では信号が赤になる度に水をはじきながら、車が止まりライトで水たまりが映し出される。そこに公園の草むらから出てきた昆虫たちが跳ねて遊んでいる。
日の出が始まる時刻が近づいて雨が完全に止んだ。それでも空はまだ暗い。上空は風がない。雲は隠れ場所に行けないのだろう。少し時間が経ってやっと弱い風が吹いてきた。その風で雲の隙間は遠くの地平線だけが開いて薄いレースのカーテンが付いている窓に見えてしまう。太陽はそこから光をだそうとして昇ってきた。騒がしい地上の様子を覗いている。
街は広い海に接していた。空を覆っている雲は低く垂れさがつている。街並みは広い海と比べてバランスが取れなく狭く息苦しく感じる。雲から流れ出る霧状の胞子は建物を這うように包んでいる。その様子は人々の生活を包み消していた。霧がなくなると地平線の隙間から入ってくる光が夕日のように建物を赤く染めだした。建物は、はっきりした長い影を伸ばして浮かんでくる。やがて光は色を変えて大地を温め森の木は枝葉に露をつけて輝かせた。そして光の熱は少しずつ風を起こして地上のあらゆるものから水分を奪っていく。
地平線の薄い雲は水綿が剥がされたように消えた。そこに光が自らの力で道を幅広に開けだした。その道端には光の後を追って走りだそうとする厚い雲が強い風を待っている。大地に射す光は季節を変える程に暖かい。地上には蒸発した水分が白く漂い、土の上でないような幻想的空間を作っていた。その中に人が入りゆっくり歩いている。動くたびに周りが揺れて浮かんで水滴の粉を跳ね上げた。その水滴の粉が朝日の光にあたり黄金の色をつけ輝き始める。
生命のある者は絶対的に存在している空間にいる。今も昔も規則正しく整然としている空間の中だ。人類は誕生してからこの世を支配していると感じている時間は短い。空間と思われる宇宙は想像を絶する長い時間を存在している。広さも計り知れない。この世の生命は一瞬であっても常に存在しなければならない。空間は常でない。膨張も収縮もあって結果的に絶えず変化すると云える。生物は地球環境の変化に順応しているから命が宿っている。人の命は永遠に続かない。肉体は命の仮住まいだ。やっと手に入れた身体に宿る命は何を欲しているのだろう。人が欲を求め続けると限りがなくなる。でも人は社会の中では思い通りいかず個人の精神を否定されることもあるだろう。その軋轢でもがき苦しみ、そして生きていく。人の命は平等に授かり尽きるまで生きている。その意義を大切に思わなければならない。
生命がある体は皆、大地に足をつけ太陽の光を受ける。地球は暗い夜があっても必ず明るい朝がやってくる。そして人々は希望を持つことができる。
空は太陽がいつものように地上を明るくする頃に厚い雲が流れてあざやかな青に変わった。光の恩恵で広く長い大地の南から咲き誇った木の花は遠い北まで美しく飾りつけた。そして春が去っていくと散りだした。花の甘美な匂いを楽しむ時間はあっという間に消えていく。季節も変わろうとして本格的な梅雨に入るまでは暑くもなく寒くもない暖かい日が続く。
日本中の街は活気であふれ、小さな子供達がいる親は運動会の季節を楽しみに待っていた。子供達も待ち望んだ。運動会は昨日の雨で中止、と思う人がたくさんいた。朝早くから学校のグランドに砂を入れた先生達の努力で水気の含んだ砂混じりの土の状態がよくなる。さらに風が吹くと空はバン、バン、と花火の音を響かせることができた。
道路の車は信号が赤になる度にタイヤのブレーキの乾いた音をだす。もう道路の水たまりはとっくに消えている。人々は急いで朝食を終わらせて小学校の校庭に集まりだした。運動会の開始時間は少し遅れた。グランドの乾き状態を何度も確認し校庭では校長先生の挨拶が始まり元気な子供達の拍手と勧声があがる。副校長(教頭)が運動会の開始を宣言した。競技の準備で子供達が駆け足で移動する。競技が始まる前だが両親は大きな声で子供の名前を呼ぶ。祖父母はスマホを手に持ち、さらに熱くなり応援の声を張り上げた。競技が始まった。
祖父母が孫を父母が子を応援して勝って欲しいと願うのは人間の本能で誰も批判をできない。ルールに従ったスポーツの競い合いは戦いでない。勝つ者も負ける者も爽やかさを残しこれからの長い人生に役立だろう。太陽は季節の暖かさを加えて人間の生活に余裕と恩恵を与える。暖かい季節を感じていると冬のような厳しい嵐が来るとは誰も考えない。人々の住む街は今日も朝が来た。生活する人間がいる限り明るくない空は想像できない。
権力者が未必の故意で作る核の雲は絶対に要らない。季節はいつものように移り変わることが当然だ。しかし、自ら原因を作った予期もしない天変や地異で人間の運命は激しく変わる。運命の瀬戸際に立たされた人は苦難を克服しようと希望を持ち続ける。人が住むこの世界を守るのは子孫である。親は子供の成長を喜び楽しみにして、この世が安定的であって欲しいと願っている。
その気持ちを欲のために踏みにじる権力者が現われたなら世界はどのようになるだろうか?
欲だけの権力者は人の道から外れ正義という意味の言葉を使い悪気に満ちた人災を起こそうとするだろう。そして人々の未来が破滅する。
本来、人間は変転を望まない。それでも権力者は言葉の罠で敵を作り上げる。善良な市民は嘘を見抜くことができなく扇動される。結局、人々は騙されて悪意に満ちた人災に襲われる。天変地異より人間の悪意の禍の方がこの世界を壊すかもしれない。
長い人生は困難に直面する。普通の人はそれを乗り越えて静かな海の上で船を浮かべるように平穏でいたいと望む。争いがなく平和に慣れている国の人々は他国どうしが争っても終わりがあって、いつまでも続くと思っていない。自身に害を及ぼさない限り人災の禍は関係ない。他国の国どうしの戦いはテレビで放映されているドラマのようなものである。遠い地域の事であり自分達は平凡な日常を暮らしている。熱く憤慨する気持ちも時間が経てば直ぐに冷やされていく。
人々の感心がある無しに係わらず国の中で内乱がおこっている地域は悲惨である。同じ民族同士での争いはやり切れない。その内乱が国境を超えて他国へ飛び火をしなかったのは過去に世界戦争が終わって戦いの過ちを反省して検証したからだ。そして二度と過ちを繰り返さず平和にしようと努力した結果だ。大戦争を経験している人々の記憶が歯止めをかけているに過ぎない。誰でも平和が長く続くことを願っている。しかし大戦争の記憶が薄れてくると箍が外れ内乱を口実に隣国まで巻き込む戦争が始まる。そして故郷が廃墟となる。
戦争は先に攻め込む権力者が悪いと思える。しかし受ける方は百パーセント悪くないと言えない。どちらの権力者も戦争に勝てば英雄になれる。これが権力者の判断を鈍らせる。互いの兵には家族がいる。戦争は勝っても負けても犠牲者が出る。犠牲者は家族に哀しみを与える。家族にとって悪いのは国どうしの戦争である。兵士がいる家族は早く戦争をやめて欲しいと願う。戦争の犠牲者は一般国民である。
今までの世界大戦争は都市を廃墟にしたが復興できた。しかしこれからの戦争はより強力な武器の核や人が乗れない超小型の飛行機を使用する。核を使用すると大地は放射能に汚染されて復興できなくなる。人々の居場所は無くなり地獄のような地に死体の山ができるだろう。また、核を使用しなくてもゲームのような世界戦争が起こり、無人兵器のドローンがコンピューターに管理された宇宙の画像を使って敵国の人を次から次へと襲っていく恐ろしい世界が待っている。人は地上にいなくなり地下に潜る。地上に降り注ぐ太陽の光は人間の生きるための希望でなく殺人兵器ドローンの燃料になり人に絶望を与える。過去の日本は世界戦争を起こす当事者だった。国を牛耳る政治家、官僚、軍人は戦争を選んだ。
国民は戦争を選んだ訳でないが兵士として戦わなければならない。そして多くの犠牲者をだし戦争が終わり敗戦国になった。それでも復興できたのは核爆弾を落とす地域が限定されて致命的な状況にならなかった。もう二度と世界戦争の過ちを犯してはいけないと誓った。そして日本国民は長い間、平和を手に入れて安心して暮らしている。街には芝生が良く手入れされている大きな公園がいたるところにある。そこで人々は自身のために体を動かし健康に気を遣い生活を満喫している。運動をして腹が空いたら下町のささやかな暮らしを支える食文化にも触れられる。町には風神雷神を祭る赤い門があった。その場所を見学のため人々の肩がぶつかる。人で混みあっているが喧嘩にならない。庶民がありがたく信仰する浅草寺の総門の前だからだ。そこを囲むようにたくさんの店では忙しそうで活気に満ち商売人の声が飛び交う。
敗戦国でありながら平和の恩恵を受けて復興した街並みが海外まで有名になり世界から多くの観光客が訪れる。観光客は庶民が親しむ食の風物が目当てで焼せんべい、団子やご飯を甘いあんこで包むおはぎ、あんこを柔らかいネバネバした米で包み桜の葉をつける桜餅を食べてみる。焼き豚、その他、きりがない程の嗜好品や主食のおかずが山ほどある。これらの食文化は庶民の暮らしを支えている。
ここを訪れた海外の観光客は円安の恩恵で得した気分になり味を堪能し満足する。国内観光客は自国の旅行補助金を貰い各地を観て廻る。日本は極端な円安容認と遊ぶ人に金をだす珍しい国である。ありがたいことでこれが戦乱のない平和の国の日常生活だ。平和は物価を安定させ人々の生活を守る筈だ。その金は誰が払う。と考えると気が重くなる。まあ、世の中、平和だから良い、とする庶民が多い。
戦争は生活を破壊し人々の絆を断ち切る。やはり街は平和が必要で安心して歩けなければならない。有名な街の一角には今日も大勢の人であふれている。
その狭い道をぶらぶらと散策をしている男がいた。その男は白い帽子を被り革の靴を履いている。身なりは黒の革の半袖ジャケットでズボンも同じ黒革で装っている。背中側に縦に赤と金と銀の三本の細い線が伸びているので派手だ。よく見るとズボンからシューズのかかとに鞘が描かれている。ジャケットには刃物が描かれて帽子まで鋭い刃先が伸びている。顔にはサングラスのようにデザインされた金縁のメガネをかけていた。下町には不似合いで無縁の人に思える。その男は海外から六年ぶりに故郷へ戻ってきた。
大学生の頃に住み慣れた自国の街並が何も変わってないのを実感し、歩く度に懐かしさを思い出していた。その時、前の方から小柄な女が奇妙な物を首と腰にかけて、ゆっくりと向かってくるのに気がついた。服装は僧侶がきている纏織作務衣で藍染の青が目に焼き付く。
道は人で混雑している。大勢の人がいても、その女だけが気になり、いずれ側を通ると思った。女は特別に容姿が目立つわけでない。理由は分からないが、この男の直感で急に意識した女だ。男は女を求めるために偶然の出会いを装い一人で商店街を歩くわけでない。何かを期待することや仲間と一緒に遊ぶこともなく、ただ一人で街中を歩きまわるのが学生の頃からの癖だった。一人は自由に動けて気楽だが騒がしい団体に出くわしたら通る道筋を邪魔される。
男は団体を避けながら進むと女が視線から消えた。この道は有名店がたくさんある。昼の時間には店先に行列ができて混雑している。どこかのお店に入ったのだろうか?
何故、この女のことが気になるのか分からない。以前、会ったこと、ありそうだがやはり思い出せない。男は気にしても仕方がないとまた歩き出した。この歩道は昔も今も店の看板が入り口の横に置かれて歩くのにじゃまになるようだ。
学生の頃は酔って体が勝手に動き看板を蹴って逃げた事があったらしい。今は無茶できない。男は懐かしさを思い出しながら看板を避けようとした時に店から大勢の人が出てきた。男は団体をかき分け無事に通り抜けて歩くことができた。そこに消えた女が急に現れてぶつかってしまった。
「ごめん。団体を避けることに気を使い看板に足を引っかけて転びそうになり、あなたが出てきて体が当たったようです。大丈夫ですか?」男は立ち止まり、風体に似合わない声を出して転んだ女に手を差し出した。
女は男の手を無視して立ち上がる。
お互いの顔は正面に向き合い目と目が合っている。女は無言だ。男は気まずくなり目線を胸の辺りに移した。よく見ると木本ペンダントのような物を二つぶら下げている。男はこの女を気にした要因が何か分からないまま木本ペンダントに興味を持った。
うっかりぶつかったのはバツが悪いので「珍しい物を持っていますね。それは何ですか?」と聞いて事実を隠そうと尋ねた。しかし返事はない。相手の声はするが独り言のように何かを呟いている。
「珍しくても、あんたに関係ないだろう」一言目は何を言っているのか、よく聞こえない。二言目で、ようやく聞き取れた。女の口は自身の首にぶら下がっている木本に言っている。
「人害はなさそうだ。警告音が鳴らない」
男が木本をよく見たら子供の手のひらより小さめで古びた楽器に見える。女はもう一つ、腰から左にぶら下がっている木本を手に取ってパチパチと音を鳴らし始めていた。
「害亊ゼロパーセント。このおじさん、無害で大丈夫だな」男の口調で、ぶっきらぼうに言った。
男は老けて見えるがまだ若い。おじさんと言われて少し腹を立てている。
つづく
執筆の狙い
以前に投稿したことがある長編の初めの部分です。自由に書いて、良いできでありません。
何を書いているか私もわからくなる。ただ、戦争は嫌です。ガソリンと電気代と税金が高くなる。ひとり身ですが働いても暮らしが悪いと思います。補助金を使って旅行も時間がない。
夜も呼ばれて、くたくたになるまで走りながら働き、やっと家に帰っても寝るだけ。
私の人生、楽しい未来を考えつかない。世界も何か変な方向へ向かっているような気がします。そのような小説です。未来のことは誰も正確にわらない。そういう意味で書いても読んでも無駄だね。無駄とわかっていても挑戦すのが人かな?