作家でごはん!鍛練場
そうげん

わかり合いたいんだ

「あと5分だけいいかな」
 私のお願いに、
「さっきも同じこと言ってたよ」と声のトーンを高くして冬華は応じた。
 服の上から伝わる相方のぬくもりにソファの上から動くことができなかった。
「――ちょっと、痛い」申し訳なさそうに冬華がつぶやいた。
「ごめん」
 気づかないうちに腕に力が入ったらしい。
「うん」
 冬華は息をついた。
「私を好きなのはわかるけどさ。ちょっとこだわりすぎじゃない」
「どういう意味?」彼女の言葉にむっとして返す。
 身体を離して冬華の顔を見る。
 彼女は、目鼻立ちの整った、左右対称の卵型の輪郭の、いつも名前を忘れてしまうけれど、美人で通用しているさいきんも売れている芸能人にも似た魅力的な顔立ちをしていた。容姿に惹かれた面もあった。でもそれ以上に、彼女には、内面において深くつながりを得たいと期待させる何かがあった。
「早く帰れと」
「そんなこといってない」
 彼女はちいさく首を振る。
 わかってる。そんなことを言いたかったわけじゃない。夕方からずっと彼女の部屋に一緒にいるのに、セックスだけして、そのままずるずると時間を過ごしてしまった自分がやるせないだけだ。
「なにか不満があるの? 辛い顔してるよ。何かあるなら言ってほしい。言ってくれないとわからないよ」
 彼女なりに何か察しているようだった。
 伝えたいのに伝えられなくて胸の奥でもやもやしていることを、自分はどう解きほぐして表出すればいいのかわからない。冬華はわかってくれるだろうか。頭が混乱しそうだった。
 こちらが見ているようでありながら、実際のところ、見ているのは冬華の方だったらしい。いつのまにか私は見られる側に回っていた。
「気づいてないと思う」冬華は言い出した。「抱き合ってるときも別のことを考えてるみたいで気持ちがふらふらしてる。私のことを見てくれてないのわかるんだよ。なにか不満があるの。私、将梧のこと、もっと知りたいよ。隠してることがあるなら言ってほしい。このまま今日、わかれるのいやだしさ」
 頭がくらくらしていた。言葉が形をとってくれない。いま頭の中にある要素をそのまま目の前の彼女の頭に移すことができればどれだけ楽だろう。でも言葉にしないと何も伝わらないんだ。
「なあ冬華。俺のこと好きか」
 とにかく確証が欲しかった。
「見たらわかるでしょ。好きに決まってるし」
「うん」
 私の短い返答に、彼女は言葉をかぶせてきた。
「いつも私のこと気遣ってくれるし、優しいし、いざというとき頼りになるし、ずっと一緒に居たいって思ってる。比べるの悪いけど、これまで付き合った人にそんな風に思わせてくれる人、いなかったし。私は将梧の彼女になれてよかったと思ってるよ」
 付き合って二か月。彼女にこんな風に言ってもらえてうれしくない彼氏などいないわけがない。それでもなお私は心にしこりを残していた。
 時間をおいて、ふたたび彼女の顔を視界にとらえ直した。
「ちょっと聴いてもらえるかな――」私は覚悟を決める。
 彼女は静かにうなずいた。真面目な話をすることがわかったらしい。
 私は息を整える。
「話してなかったけど、子供の頃に俺の家、一家離散してるんだ。両親ともに行方不明。俺と妹は二人兄妹だったけど、別々の親戚の家に貰われて行った。両親が行方不明っていうのもわからない話で、詳しく話を訊こうとしても親戚は口をとざしてなにも教えてくれない。ただ、噂で聞くところによると、お互いに世間様に顔向けできないようなことをしていなくなったらしくてさ」
 冬華は息をひそめて話に聞き入っている。
「それが犯罪なのか、不倫なのか、それ以外のなにかなのか、それもわからない。わからないから不安になる。俺も同じ血が流れてるんだって思うとさ。もしかしたら俺が知らないだけで、俺はいつか親と同じようにひどい理由で親しい人に寂しい思いをさせるんじゃないかって思えてきて、気が気でなくなってくるんだ。冬華のことは好きだけど、好きになったからこそ、いつかひどい思いをさせるようになるんじゃないかって思ったら、恐くなってきてな」
 私は話しながら冬華の目を見続けることができなくなった。視線が落ちてゆく。
 腿の上に置いている指が小刻みに震えているのがわかった。目頭が熱くなってきて必死でこらえる。泣くのはちがうとわかる。自分が泣くのはずるいことだ。
 長いのか短いのか、幾分かの時間が経ったのがわかった。
 視界の先から伸びてきたものが指に触った。柔らかく温かい彼女の指だった。しっかりとつかまれる。力が入っていた。私はされるがままになっていた。
「大丈夫だよ」優しい声が耳に入ってくる。「将梧は将梧だから。ね。お父さんやお母さんに何があったのかはわからないけど、いま私の目の前にいるのは将梧でしょ。お父さんやお母さんじゃない。私を見ていてくれればいいから。それに私だって褒められた娘じゃないし。父と母の反対を押し切って東京に出てきて、こうして大学に通ってるんだし。でも大学に通ったからこうして将梧と出会えたんだしさ。私たちは私たち。親は親。違う人間なんだからそこに囚われるなんて間違ってるよ。少なくとも私はそう思ってる。大丈夫。なんとかなるって」
 冬華の言葉を聞いても、私はうなだれるばかりだった。自分の内側に呪われた何かがあって、それが分かちがたく自分としていまも存在するように思う。
「親戚がいうんだ。あんたはお父さんにそっくりだ。人の言うことを聞かないで、失敗したらしたで人のせいにする。反省することがない。自覚がなくてもわかる人にはそう見えるらしい。父は失踪する前、子供の頃の俺にも何度も手をあげた。その度に腹が立ったよ。でもムキになってやり返そうと思っても力では絶対にかなわない。我慢するしかなかった。よくいうだろう。そういう子供は大人になってから、他人に危害を加えるようになるって。だから俺もそうなるんじゃないかって思うとかなり恐い」
「私を殴るの?」冬華がこちらを強いまなざしで見ているのがわかった。
「殴らないよ。殴るつもりなんてない。そんなことするくらいならもう冬華の前から永遠に消え去ってしまいたい」
 いまでは思ったことが口をついて出るようになっていた。
「強く思えば叶うっていうでしょ。それでは不安?」
 冬華の言葉が慰めに聞こえる。
「そうか。そう思ってたんだね」冬華はため息を吐いた。彼女は私の指から手を放し、両掌で私の顔を左右両方から挟みこむように優しく触れた。
 彼女の視線と私の視線が交差する。
 彼女の視線は私の瞳に吸い込まれ、私の視線は彼女の瞳に吸い込まれた。
「将梧。――将梧、大丈夫。私たちは親の子だけどさ、違う人生を歩み始めてるじゃない。ちがう道を歩んでるんだって。不安だったら私がいるしさ、私が不安になったら将梧が支えてくれるでしょ。一緒に歩んでいこうよ。できるって。大学卒業したら一緒に暮らすでしょ。なんなら私は今からでもいいよ。一人で難しいなら二人でなんとかしていこうよ。できるって、ね」
 私は冬華の顔をふたたび見た。彼女の両の瞳には涙が溢れていた。
 それを見て、堪えていたこちらの目からも涙が零れるのがわかった。
 声もなく再び冬華を抱きしめた。彼女も抱きしめ返してくれた。
 あと5分ともいわず、満足いくまで互いの体温を感じ合った。

 伝えたいことは伝えられた。
 部屋を出る。
 夜風は冷たかったが、いったん温まった気持ちは冷めることがなかった。

わかり合いたいんだ

執筆の狙い

作者 そうげん
60-56-45-165f1.shg1.eonet.ne.jp

実際にそういう会話をしていそうな臨場感を演出してみたかったのですけどどうでしょう。
実感はこもっていますか?
さいきん映画『ガールインザミラー』を見ました。
エディプス・エレクトラコンプレックスは作品を作るときの構図として言ってはあれだけど、
便利だなという気持ちは持っています。型に嵌めて物語を作るのは簡単で単純ですから。
でも、その構図だけでは溢れてしまうものはここに表出することはできてましたでしょうか。
なにかお気づきの点等ございましたら気兼ねなくご指摘していただけましたらと思っております。
よろしくお願いいたします。

コメント

大丘 忍
p4183129-ipoe.ipoe.ocn.ne.jp

満90歳を過ぎて、小説を書くのも読むのも困難になってきました。そんな私にも、この小説は読む気をおこさせ、すらすらと読むことができました。きっと良い小説だったからでしょう。具体的な感想を述べることはできませんが、そのように感じましたので……。

通りすがり
119-173-139-201.rev.home.ne.jp

そうげん様。
たまたま大丘さんのコメントが目についたので、
いま拝見しました。拝読じゃなくて、拝見。

ちゃんと読んだら感想いれますね。
「絵」として画面をスクロールしただけで、
ミス、エラーがないのがわかります。
大丘さんがおっしゃっている通り、
「読みやすい」のがわかります。

冒頭からカチコチの文章や、堅苦しい文字づかいのせいで
損をしている作品が多いと感じ、残念に思う事が多いので、
「良いお手本になる作品」が現れたと、感激中です。

同じサイズでプリントしてみたら、普通に
書店に並んでいるプロの作品群と印象が変わらないと
思います。

プロの文字づかいに近いと思いました。
もうすこし平仮名が多くてちょうどいいと思います。
冬華の方だった→冬華のほうだった
感じ合った→感じあった とか。

ラストは
心はずっと温かいままだった。とか、
もう少しストレートでもよいかなと。

夜の雨
ai226063.d.west.v6connect.net

「わかり合いたいんだ」読みました。

御作のタイトルは平凡だけれど、描かれているシーンの世界は小説創作の、よい鍛練になります。鍛練場の作品は鍛練目的で読んでいます。

>実際にそういう会話をしていそうな臨場感を演出してみたかったのですけどどうでしょう。
実感はこもっていますか?<
御作の導入部では一般的な恋人同士の会話かなと思っていましたのでタイトルの「わかり合いたいんだ」に、なるほどと思っていましたが。話が進むと、それが単純な内容でないことが伝わってきました。このあたりが臨場感をともなって迫ってきました。
将梧には、闇の部分があり、それが両親の行方不明と関連している。
そのあたり両親が逃走後、将梧と妹は別々に親戚に預けられたということで、周囲の者たちに迷惑をかけているが、どうして両親が逃走しているのかが、現段階では明らかになっていないので不安がよぎります。
このあたりの設定がうまいです。
恋人同士である将梧と冬華の絆は強そうですが、たとえば、御作をSFやミステリーにした場合などは、冬華の死などもアリかなと思いましたが。
このあたりはハリウッド映画並みの設定と構成になります。
いろいろとトリックを使う。
たとえば一卵性双生児の双子とか。
将梧にしてももう一人自分がいたとか。
それに気が付いていないので、自分が気が付かないうちに犯罪を犯していたと思っているとか。

型に嵌めて物語を作る  ← これは可能ですが、個性的な物語にならない可能性があるので、主要登場人物のキャラクターはしっかりと作りこんだほうがよいですね。
公募とかに出した場合は、選考委員は様々な物語やらを小説やら映画で知っているので、作者自身の物語の個性がないと、最後の一線は越えられないと思います。

今回の御作はよかったです。

それでは頑張ってください。


お疲れさまでした。

ドリーム
softbank126077101161.bbtec.net

拝読いたしました。

普通の若い男女がセックスした後の会話って。どういうでしょう。
「良かった」そんな単純ではないと思うけど。

>「気づいてないと思う」冬華は言い出した。抱き合ってるときも別のことを考えてるみたいで気持ちがふらふらしてる。

心がそこにあらず。これは失礼ですね。

将梧の過去に古傷に残っていて、それを彼女に聞いて欲しかったのか。
セックスした後の会話とかけ離れた内容ですが、それでも彼女は素直に聞いてくれた。
題名の通り、わかり合いたいんだ。納得です。
楽しめました。

そうげん
60-56-45-165f1.shg1.eonet.ne.jp

>大丘忍さまへ

作品へのコメントを下さり、ありがとうございます。わたしは結構長い間心苦しい思いをしていました。読んだ人が書かれている内容を素直に受け取ってくださる書き方を心掛けるのことが書き手の本文だということは常に頭の片隅に離れることなく存在していました。しかし過去に書かれた世間に流通している作品の中で、自分の頭ではとうてい考えないだろう様な構造の作品に出会うことがあってこういう作品を書いてみたらどうなるだろうと挑戦したい気持ちが大きくなって、自分でも理解が生半可なままに真似るようにして中途半端な理解のうちに書き綴る作品が連続していたことがありました。自分でも何を書いているのかわからないまま、ただこちらにある素材・技術でよくわからないものを相手取って縦横に切り結ぼうと試みた結果、多くの人には何が書いてあるのかわからない、書き手の真意など遠いどこかに隠れてしまっているような作品になってしまったかと思います。
わたしは今年45歳です(個人情報ですけどここにあきらかにしておきます)。40になったときに、ほんとに唐突に、孔子のいう「不惑」の意味がちゃんと把握されました。40年間の自分の軌跡が道となって、その過程とその先が概観できることによって、とりあえず「どうすればいいんだろう」「自分がこのままでいいんだろうか」という不安感から逃れることができたことを実感しました。この道が倫理に照らして正しいのかどうかはわからない。しかし自分の中のけじめみたいなもので、自身が辿った40年間は自分がこれからの生を生きるに当たって土台にするに足るものだとする確信が、向こうから飛び込んできた形でした。
当時ヤフーブログに40歳になった日にいきなりその境涯が生じたことを書いたものでしたが、もうその文章はサービス終了に伴って消えてしまいました。しかし孔子のいう【四十不惑】という言葉は実体験としてちゃんとこの身に収めることができました。
90才の大丘さまにとってはわたしなんてぜんぜんペーペーの若造なんでしょうけれど、40のラインをすぎて、ちゃんと自分も自分の道を生きてこれたんだという確信を得ることができました。
この小説(短編)は、特に、冬華の人物像、そしてそれと対応する将梧の言葉の多くは、かつてわたしが女性と交渉のあったときにこうだったらよかったのになという憧れというか希望というか、そういうものを色濃く反映したものになっています。
小説は作り物で、似非ものという人はプロにも多いですけど、実人生に重ね合わせて作品を見たくなってしまう、またそのように書きたくなってしまうわたしとしては、小説に書かれる内容もまた書き手の実体験から燻蒸されていくものという考えを捨てきれずにいます。
自分よりも上の世代の人、同じ世代の人、またそれよりもずっとずっと若い人がこの作品を読んだとき、二人のやりとりを通じてそこに普遍性を感じてしまうのか、それともどの世代にも通じる切実な感情を読み取ってくれるのか、そこに最大の関心がありました。
わたしは二十代のころに、村上春樹さんが書かれた『海辺のカフカ』を読みました。自分の親に当たる団塊の世代が書いた、自分よりも年の若い思春期の主人公を設定した作品を読んで十分にそこから多くの価値を汲みとることができました。自分とは違う立場の人が自分の書いたものに接してどのようにそれを受け止めてくださったか、そこにわたしの最大の関心事があります。
しかしひさしぶりに大丘さんにコメントを頂戴することができましたことは、こちらとしては望外の喜びでありました。
ありがとうございます。

fj168.net112140023.thn.ne.jp

拝読しました。
主人公の背景が曖昧で、最後までモヤモヤした気分で読了しました。
子供の時分(何歳?)に両親は失踪、それまでは虐待を受けていた。その後親戚に育てられるも失踪した理由は教えてくれない。が、親戚からは「あんたはお父さんにそっくりだ。人の言うことを聞かないで、失敗したらしたで人のせいにする。反省することがない」などと言われていた。このような背景に対しての主人公の現在が、ごく普通の大学生過ぎて物語に説得力が無い。心の荒みや憂いが感じられない。情報が氾濫するこの時代に独自で両親のことを調べなかったのだろうか、とか、こんな状況下(不満を持つ親戚に育てられ)で、よく大学生になれたな、とか……
また、彼女のほうにも主人公を好きだというリアル感が無いんだよね。口ではなんとでも言えるし、特に肉欲に目覚めた年齢だけにね。愛情が薄っぺらいんです。
結局、このような重いテーマの物語では、会話文重視の構成だと肝心なところまで読者に届かないということかな。

チャカポコ批評家
softbank060148240027.bbtec.net

そうげん様

読みました。
辛口批評させていただきます。

 文章は美しく整っていた。なにより読みやすく頭の中に文章がひっかかりなく自然に入ってくる。こういう自然さは地味だが高い技量なくしては成り立たないものに思える。また、雰囲気も完成されていた。
 一方で、描かれている心情については、「分かり合う」というテーマと主人公の身の上の重さに比して伝わるものが乏しかったように思える。総評としては、感傷の域を出ないものに思えた。主人公の心情もその身の上の重さを感じるようなぞくっとする表現がなかったし、深堀りできないところも感傷的に感じた所以であろう。また、台詞もいただけない。不自然に饒舌で説明調であり、作劇都合で処理しているという印象が拭えなかった。それから、彼女の聞き分けのよさは愛ゆえの懐の深さというよりは愛に溺れる蒙昧の都合のよさに起因しているように思われた。複数の角度での都合のよさが目立った。
 感傷とは結局のところ自分を癒す無意識の行為であるため、そこには自分都合のニュアンスが必ず宿ってくる。この作品が感傷的であるかどうか? それが良いことなのかどうなのか? について一度検討する価値はあるように思われる。

たびびと
om126158248032.30.openmobile.ne.jp

そうげん様。
拝読いたしました。二人が分かりあえて良かったです。

最後に将梧さんはどうして部屋を立ち去ってしまうのでしょうか。何かアルバイトとか用事があったのでしょうか。冬華さんも二人の関係に多少不安を感じていて、そこで今日初めて二人ともお互い本音で話せてやっと分かりあえたのですから、もう少し一緒に過ごせれば二人にとってなお良かったですね。

そうげん
60-56-45-165f1.shg1.eonet.ne.jp

>通りすがりさま

コメントをくださいましてありがとうございます。
7面・8面に入った作品を中心にコメントを残していってらっしゃる通りすがりさんでしょうか。こちらの作品に目を止めてくださってありがとうございます。とても喜んでおります。

文章はいいけれど、書いている内容はあまりよくないという意見も頂戴しています。読んでくださった暁にはまた何なりとお気づきの点等、ご指摘いただければと思います。

漢字のひらきについては、その視点でしっかり推敲できていなかったのでわたしの努力不足であったと思います。最近書かれている、青春小説の様な種類のものはあまり読んできていなくて、ふだん純文学か、SFか、洋物ファンタジーか、エッセイかというところでしたので、今回ものを書く指針としては、自分が書き言葉を意識的に書くようになったきっかけがインターネットで、そこで多くの人とやりとりしながら、どこまで口語に近づけながら、しかし書き言葉としての整った物を維持するかといった点に着目して、綴るような形になりました。

 昔の人の書いた小説では、女性の「~だわ」「~のよ」といった口調が用いられるものがありましたが、わたしはわたしで人物の語り口調で、男性ならこういう形で、女性ならこういう形でという方向性がやや決まったものがあります。現実に口に出してこういう台詞を言う人はほとんどいないでしょうけれど、書き言葉として記すときに、こういう書き方をするのがわたしはいいと思っている面があって、自分の中で独自進化している部分ではありました。

 そうですね。ラストの文はもうちょっとスムーズにわかりやすく、ストレートな方がよかったみたいです。ちょっとわかりにくくなってしまってました。

 ご指摘ありがとうございました。

通りすがり
119-173-139-201.rev.home.ne.jp

そうげん様。こんばんは。返信ありがとうございます。
そうです、基本、7,8面にいるほうの
通りすがりです。
HNのところにカーソルを合わせると
119で始まってrevと出るほうです(笑)

「ガールインザミラー」けっこう前でしたが、
Amazonプライムで観ました。
多感で難しい時期、友達との軋轢、家族関係などが、
よく描けている作品でした。

「~だわ」「~なのよ」は便利なので、
ついつい頼ってしまいますが、
最近は「ですよね」とか男性も使うし、
考え始めると、難しい。
考えはじめると、難しい。
考えはじめると、むずかしい。漢字と平仮名の配分も、しかり。

売れっ子で、かつ上手な作家は、つかみが巧みで、
いまパッと思い浮かべただけでも、
松本清張、森村誠一、五木寛之、井上ひさし、
有吉佐和子、山崎豊子、平岩弓枝、向田邦子、
他にも大勢いらっしゃいますが、文字の並びだけでも、
すでに見やすい、読みやすいと思わせますね。
音読、黙読しやすい文章の音感のほかに、
字面に対しても、視覚的なセンスもすぐれているんだろうなと。

各出版社ごとに、〇〇万部以上売れた文庫の、
冒頭見開き2ページだけとか企画で出してほしいと
思っています。ラスト2ページについては、
犯人バレ、ネタバレになるので、難しいでしょうけれど。

「たけくらべ」とか「野菊の墓」みたいのを
現代にリメイクするのを、お暇なときにぜひ試していただきたいなと
思います。

そうげん
60-56-45-165f1.shg1.eonet.ne.jp

>夜の雨さま

今作も読んでくださってありがとうございます。
今回のコメントの改作案。執筆の狙いに挙げた映画『ガールインザミラー』に合わせて考えてくださいましたか。一卵性双生児、実はもう一人の自分がいた、映画は明確な言葉となっては現れなかったけれど、冒頭のエコー検査の映像でもともと双子だった(?)という風に示されていました。わたしはこの映画では父と母と娘の三者の関係に着目して観ていました。ある程度定型に従って作品が作られているのかなと感じて。

今回の私の短編では、自然な雰囲気になるような会話文を心掛けるようにして見ました。地の文もさいきんわたしが書いているすこし口語を交えたような調子での日記分のくせ、ひらがなの開き具合のようなものも利用しながら、やはり読みやすくなるようにと心がけて文体を調整していました。

零visionの企画のときの短編「褪せ人」もそうでした。短い尺の中であまり変化をつけすぎるととても字数がおさまらなくてどうしようもなくなってしまいます。ワンシーンを書く。もし複雑に変化をつけようとすると、もともと長編を書きがちのわたしとしては長くなってしまわざるを得ない。一日で書ききれる分量というか、それも二時間程度で書けるボリュームでといったん決めて書いていました。

将梧と冬華という若い二人に登場してもらいました。もっと深い物語にしてみたらちがった局面をたくさん出せそうに思います。冬華にしても、なぜそこまで相手を受け入れようとするんだろう。相手を非難する局面を見せないんだろうという疑問は出るかもしれません。

昨日読み終えたドストエフスキーの『罪と罰』は、今回四週間ほどかけてゆっくり読んでました。この短編を書いたときは、ソーニャ、ドゥーニャという二人の女性がラスコーリニコフのことを思って、彼のために献身的に自身の良かれと思う行動をとっているシーンに差し掛かっていました。どうも冬華の台詞を書いているときに、この二人の女性の印象がわたしのなかで反映された面があったように思います。ドゥーニャであればもっと反発させるべきだったかもしれません。しかし内心傷ついている男性の心をほぐすためには、ソーニャの様なやり方で接して、その後に期待するしかないのではないか、みたいな感覚も手伝ってこのような二人のやりとりになりました。

昨日読み終えたと書きましたが、今回三度目(か、四度目?)の通読を終えてみて、刑期を終えたラスコーリニコフと、彼との絆を強めたソーニャの未来は、きっと幸せなものになってくれるだろうという期待感を胸に生じさせながらその読後感を楽しんでいました。良い作品ですね。いま再読することができてよかったと思ってます。

そうげん
60-56-45-165f1.shg1.eonet.ne.jp

>ドリームさん

お読みくださりありがとうございます。
閨のことは個人個人事情が異なるかとは思います。

若い時はいろんなことが気になるもので、自分は自分だからと思いきれるだけの心の強さというか、芯の強さが定まらないままでいる人もいるのじゃないかと思います。自分は普通なんだろうか、それともやっぱり他と比べてダメなんじゃないだろうか。そう考えてしまうとマイナスの材料について考え込んでしまって、作中の将梧のように自分はいつかパートナーを加害してしまうんじゃないかと悩んでしまう。

若いからこそ二人のやりとりは気を使い合うものになっていただろうし、冬華も正面からぶつかるようなことはいわず、相手のことを全面的に受け入れるような心づもりで返答をしている。たぶんそこで衝突させることになったとしたなら、人物の掘り下げ含め、とてもこの尺では難しい作品になってしまったと思います。

セックスをしてから結構時間が経ったあとというつもりでした。なので服を着ている設定になっているんですが、たしかに読者様にとってはそれが何時間前のことなのかはっきりしない。ただ帰る間際になってこんな大事なことを口にするかどうするか迷っているところに互いに対する行きすぎた遠慮もあったりする、そこが若さかなと思っている面がわたしにはあります。

本当は自分がどうしたいのか、何を伝えたいのか、話したところでどこまでわかってもらえるものだろう。悩みは尽きないところですけど、分かってもらいたいという気持ち、分かってあげたいという気持ち、その素直な衝動が描ければいいなと思って今作を書きました。

楽しめました、といっていただけで作者冥利につきます。ありがとうございました。

星をつぐもの
p6181130-ipoe.ipoe.ocn.ne.jp

そうげん様、拝読しました。
感想を述べさせていただきます。

女性の「将梧。――将梧、大丈夫。私たちは親の子だけどさ、違う人生を歩み始めてるじゃない」というセリフから、なぜか、この二人は子供の時に離れ離れになった兄妹で、妹だけがそれを知っでいる、というふうに妄想が膨らんでしまいました。
そうなると、実は両親も姉弟とかで、それが一家離散した理由だったのかな、親とは違う人生と言いながら、結局おなじことを繰り返しているのかな、と想像が止まらなくなってしまいました。

作者様の意図することとは別なところで楽しんでしまって申し訳ありません。

そうげん
60-56-45-165f1.shg1.eonet.ne.jp

順序飛ばしてしまってますが、

星をつぐものさんは、

https://sakka.org/opinion/thread/index.cgi?mode=view&no=1832

こちらのスレッドの「初心者」さんと関係ありますか?
接続先が類似しているもので気になりました。

星をつぐもの
ao249190.f.west.v6connect.net

そうげん様。

すいません、証明しろと言われても困るのですが、まったくわかりません。
私は、鍛錬場以外で作家でごはんを使ったことはないですね。5chも見てません。

小説家になろうで、そうげんと名乗る方に感想をいただいたことがあって、今回感想を書かせてもらったのですが、もしかして別の方でしたかね?
もし不愉快な思いをさせてしまったのなら非常に申し訳ないです。

そうげん
60-56-45-165f1.shg1.eonet.ne.jp

2019年にたしかにわたし、なろうで、星をつぐもの様にコメントを入れていましたね。
すでに退会してしまってますが、(実は新しいアカウントがあるのですが)作品を読んだ覚えはありました。
いえ。共通点はipoe.ocnだけなので、まったく言いがかりに近いようなものでした。
こちらの誤解だったようで申し訳ございませんでした。

コメントについての返信は、また順を追って書かせていただきたいと思ってます。
今回はコメントをくださいまして、ありがとうございました。

そうげん
60-56-45-165f1.shg1.eonet.ne.jp

>凪さん

お読みくださりありがとうございます。
周囲がおもんぱかって何も言わないケースはあるんじゃなかろうかと思うけれど、その割におまえは親に似ているということはいわれてしまっている。指摘されてみればたしかにちぐはぐです。
会話文を主体にこの話を描くのは難しいことだったでしょうか。
なにもかも説明する必要はない。ある程度は匂わせるだけでかまわないとは思っているところがあります。
どういうことなんだろうと想像してもらってある程度の処で妥協して読んでもらえるくらいでいいと思っているところがわたしにはあります。また冬華が将梧を全面的に受け入れようとするのは若さゆえのものという見方をしていただけると助かるのです。まだ20になったくらいの若造ですから。これが25や30それ以上であればそれくらいのようなことではないかとも思います。

コメント、ありがとうございました。

そうげん
60-56-45-165f1.shg1.eonet.ne.jp

>チャカポコ批評家さん

お読みくださりありがとうございます。

感傷が表に出過ぎていて、小説としての在り方、方向性としては間違っているのではないかということかと読み替えました。感傷であるからこそ、〈自分を癒す無意識の行為〉となり、〈自分都合のニュアンスが必ず宿ってくる〉。そうですか。わたしの感傷が作品に色濃く出てしまった。本当にそうなんだろうか。父と子、親と子ということを考えたときに、世間で言われる《親の因果が子に報う》ということから離れて考えようとするときに、優しいセカイにしてみたいと思ったところはありました。

長さを言い訳にしてはいけませんが、長いものを書くよりは、小説としての文章を書きたいことが先に立っていたのは事実です。その点、文章についてのご指摘には嬉しいものがありました。

彼女は若さゆえに、落ち込んでいるというか事情を打ち明ける将梧に対して全面的に受け入れるそぶりを見せますが、たしかにご指摘通り、〈彼女の聞き分けのよさは愛ゆえの懐の深さというよりは愛に溺れる蒙昧の都合のよさに起因しているように思われた。〉という面はあるかと思います。彼女の側がこれに反論・反発をすこしでもするようならば、この小説はもっと長くなったかとは思います。

コメント、ありがとうございました。

そうげん
60-56-45-165f1.shg1.eonet.ne.jp

>たびびとさま

 拙作をお読みくださりありがとうございます。
 ご指摘をいただきて、たしかにそうだと感じました。

 とにかく将梧はもう冬華の部屋をあとにしないといけない時間が迫っている。
 そのギリギリのタイミングで練り込み不足のまま、言葉を口にするという状況を作ったのでしたが、ここまで会話を続けたのだったら、部屋を去ることをキャンセルすることも当然考えの中に入れておくべきでした。

 将梧は部屋を去らねばならない、と決めてしまっていたところが著者にはありました。

 自分では気づけないところをご指摘いただけて本当に良かったと思います。
 ありがとうございます。

そうげん
60-56-45-165f1.shg1.eonet.ne.jp

>通りすがりさま(二度目)

>売れっ子で、かつ上手な作家は、つかみが巧みで、
いまパッと思い浮かべただけでも、
松本清張、森村誠一、五木寛之、井上ひさし、
有吉佐和子、山崎豊子、平岩弓枝、向田邦子、
他にも大勢いらっしゃいますが、文字の並びだけでも、
すでに見やすい、読みやすいと思わせますね。

上で挙げていただいた作家の方、この方々の小説をことごとく読んだことがありませんでした。五木寛之さんのエッセイであったり、井上ひさしさんの文章読本は読んだことがあり、向田邦子さんのエッセイも何冊かは読みました。しかし他の方の著作はまったくで。そんなわたしですが、先日、帝銀事件のことに触れられているYouTube動画を見たことをきっかけに、松本清張の『小説帝銀事件』をいまちょうど読んでいるところでありました。残り50ページくらいになってます。はじめての松本清張作品になりましたが、読みやすいですね。しかし一文のなかに、「~が、」という言い回しを二度使っていたり、ほかの接続詞で同じものを二度使っている一文が見つかったりしたので、そこについては頓着されない方だったんだと感じました。わたしはその部分には違和感を覚えるタイプなので、気になってしまいました。しかし全体的に読みやすくてわかりやすい文章でした。いま並行して読んでいる大江健三郎さんの『燃えあがる緑の木』に比べたら雲泥の差です。

「たけくらべ」は十五年ほど前、ネットでやり取りのあった中国人の方が、たけくらべを読んでいるとおっしゃっていて、日本人のわたしでも読んでないのに、海外で読まれているんだなと驚いた経験がありました。「たけくらべ」・「野菊の墓」、恥ずかしながら、まだ読んだことがありません。

わたしは中島敦の作品が好きで、日本語の扱いもこれくらい優れていればいうことはないなと思っています。身の回りに優れた文学者の作品がたくさんあって、創作者としてはたいへんな励みになります。

再訪、ありがとうございました。

たびびと
om126233138106.36.openmobile.ne.jp

そうげん様

返信いただき、ありがとうございます。

読み終えて、「伝えたいことは伝えられた」と立ち去ってしまっては、将梧さんは言いたいことを言えて満たされたかも知れませんが、冬華さん側にももっと伝えたいことや分かって欲しいことがあったのではと思え、少し冬華さんがかわいそうに感じて書き込みした次第です。

最後は二人で抱きしめあい言葉なく別れますが、冬華さんの言葉に将梧さんも何か言葉でも返してあげることができたなら良かったかなと。

今後、二人がどのように関係を築いていくのか、続きを知りたく思います。

飼い猫ちゃりりん
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そうげん様
今回は「よい感想を書くべき」と思ったんです。
でも猫の良心がそれを許さなかった。

日暮さんも、チャカポコさんも、ナギさんも、みんなこの作品の欠点に気づいてんでしょ? コメントを見てそう思ったけど。

ごちゃごちゃ言っても、そうげんさんは聞く耳を持たないだろうから、簡潔に改善案を言います。

①大幅に会話文を削って、主人公の地の文を増やす。2対8くらいでどう。

②冬香は、作者が語って欲しいことを語ってくれない女に、主人公は、作者が語りたいことを言えないキャラに変更。

③背景を地の文でしっかり描く。主人公たちに背景を語らせるから、安いテレビドラマみたいになるのです。
「なぜそうなるのか」にも、ちゃんと理由があります。

ただ今回のそうげんさんの文章には、好感を持てる部分がありました。
その努力が有効に活かされ、正しく報われることを願っています。

返信は要りませんよ。
飼い猫なんて嫌いでしょうから。

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