作家でごはん!鍛練場
標識

みんな死んでく

 夏休みを控えたある日。
 ぼくの通う小学校では、全校生徒の六分の一ほどが一度に集団自殺を遂げてしまった。
 さすがに後始末が大変だということで、その日はお昼前に下校、という形になった。
 きょうび自殺なんてありふれているけれど、さすがに六分の一、というのは行きすぎだったのだろう。また、いつもと比べて数がけた違いであったことから、周りの人の自殺に慣れ始めてきた先生や生徒達の心に、多かれ少なかれ傷を与えた、というのもあるのかもしれない。死んだ中に大切な人がいた、なんてこともいつもより多くあるだろうし。
 かくいうぼくも、その出来事が原因で、いつもふとした時間に考えていたとある疑問を加速させることになった。
 “人はなぜ自殺をするのだろう?”
 大前提として、ぼくは『生きる』ということと『死ぬ』ということのそれぞれの意味を、あくまでも言葉の上で、何となくとではあれ理解しているつもりではあるけれど、しかしそれでも、その内のどちらかを選択しなければならないということには、納得することができないでいた。
 別に生きていなければならない、という必要性は感じない。死んでも良いんじゃないか、という気分でさえいながら呼吸をしている。でも、だからって積極的に死にたいという風にも思わないのだ。今継続して生きているのだから、そのままでいいんじゃないか、という惰性的な適当さ。
 ふわふわと漂うかのようなぼくの意識は、生きているというにはあまりにも死んでいるかのようで、死んでいるというにはあまりにも熱があって、中途半端だった。
 降り注ぐ陽射しからは日陰に守られているも、熱気は感じる。眩しさの中、耳障りなセミの声をBGMに、ぼくは思考する。
 自然、ため息が溢れた。自分のめんどくさい考えに対する呆れからだった。
 今この世界では、原因不明の自殺増大化が起こっている。
 通称“自殺ブーム”。
 夏の空気はこんなに煩わしいのに、世界は日に日に静かになっていく。
 年間自殺者の数が例年の数万倍にはね上がり、数年後には自殺による文明の終末が予想されているほどだ。
 新種のウイルスだとか、某国が開発した精神操作兵器だとか────色々噂は飛び交っているけれど、原因は全くもって不明。少なくとも公表されていない。ただ、自殺者の数が異常なほど増えているという事実があるのみだ。
 町では自殺が溢れて、目の前で人が死ぬ様を見ることがしばしば起こるようになった。
 ────でも、それでも、ぼくは何度も死を目の前で見ても、生と死のどちらもよく分からず、選ぶことができずに、停滞している。
 ミーン、ミーン……。
 うー……、ん。
 初夏だけど、暑さは真夏日並。
 セミの声が煩い。
 ここは畑に囲われてポツンと建つ、駄菓子屋の前のベンチだ。駄菓子屋というのはお小遣いにも優しく、自然と重宝せざるを得ない。
 目の前には、ぼくらの住む住宅街からこちらを線引きするように流れる“付撰川”と、その上を走る橋。そして、川の手前まで続く中途半端な田舎風景が伺える。
 そんな中でぼくは考え続ける。いくら考えても明らかになることは何もなく、中途半端であるということだけが浮き彫りになっていく。
 右手にべたついた冷気を感じたので見てみると、持っていたソーダ味のアイスキャンディが溶け出していて、ベンチに水色の水溜まりを作っていた。嘘臭い色だ。
 ぼくは慌ててアイスを一口分欠けさせた。
 冷たい固まりに触れた歯が痛みにも似た感触を受ける。同時に、清涼感が顔の中心から刺さるように侵入してきて、お腹の奥に沈んでいった。
 一瞬だけ、頭全体を靄がかかった膜に覆われて、それからゆっくり薄まっていくような心地。
 日陰なのに、過剰に温まった空気の匂いを、色濃く感じとる。夏の空気。
「ひさくーーーっ」
 と。
 セミの声しか聞こえていなかった聴覚に、女の子の声が割り込んできた。
 視線を前に向けると、橋の方から友達の牡丹(ボタン)が駆けてくるのが見えた。
 右手をブンブン振りながら。一歩ごとにふたつくくりにした髪が揺れる。
 約束もしてないのに放課後に会うなんて奇遇だな、と思った。
 学校が休みの日は、何となくとここで集まるような習慣があったけど…………まぁ、今日も半分くらいは休みみたいなものか。
 ぼくは牡丹が座れるよう、尻の位置をベンチの中心から左端に寄せてやる。その際に先ほどできたアイスの水溜まりがズボンを濡らして、思わず顰めっ面になった。
 そして顔を上げると牡丹はぼくを素通りして、後ろにある冷凍庫の中からアイスを選んでいるようだった。うーん……僅かな空振り感。
 背後で冷凍庫の蓋が開閉する小気味良い音とアイスの袋が擦れる音、駄菓子屋に入店する牡丹の足音が続く。今日も店主っぽいお爺さんは眠っているように反応がなかったから、十円玉を四つ、カウンターに置くだけだろう。
「こんにちはーこれくださーい、ありがとー」
 それでも律儀に声をかけて、店を出てくる。そこでようやくぼくと牡丹はちゃんと対面した。
「よっす、久作(ヒサク)」
「よっす、牡丹」
 適当に挨拶して、ぼくの横に座る牡丹。
「いやー、あっついね今日も……はむっ、」
 彼女はさっそくアイスを一口かじって、パタパタと服の襟らへんを扇いだ。彼女のこういう流れるような行動には引っ掛かりがなくて、ぼくはどこか安定感を覚える。
 それからしばらく、ぼく達はいつものように他愛のない話をして…………そして会話が一段落すると、牡丹の方から、今日起きた本題のような出来事を話題にしてきた。
「それにしても、ビックリだったね。まさかヤイチくんまで死んじゃうなんて」
「…………、だね」
 その頃ぼくはもうアイスを食べ終わっていて、木の棒を奥歯で噛みながら相槌を打った。
 ヤイチくんというのはぼくらのクラスの学級委員で、活発で誰にでも優しい、俗に言う『すっげぇイイヤツ』だ。そして、彼も今日学校で自殺した人の中の一人だった。
 教室では彼の死を憂いて泣く者が多かった。本気で悲しんでいた者と雰囲気に釣られていた者と半々くらいだったように思うが、それでも、自殺に慣れきったこの世界では、前者の数は多い方だったろう。
「牡丹は、泣いた?」
 不意に、訊いてみた。何となくの質問だった。
「ううん。だって、あんまり喋ったこともなかったもん」
「そっか。そうだろうね」
 ぼくは曖昧に相づちを返す。
 牡丹の答えは、期待通りのものだった。何をどう期待していたのかは、よく分からない。けれどぼくは、何かに満足していた。
「──でも、変なの。何で死んじゃうんだろう……わたし、自分で死んじゃう人の気持ちって分かんない」
 牡丹は、どこか遠くを見るような目で呟いた。それはぼくが日頃感じている疑問と同じで。でも、彼女は、『生きていたい』という前提の元その発言をしていた。それがぼくとの違いだった。
「こうしてる間にも、物凄い数の人が、自殺してるんだね」
「なんだか不思議だね」
「久作も、自殺したくなる時ってある?」
 訊かれて、ちょっと間が空いた。
 胸の内側に彼女から向けられた言葉をグッと刺して、探るイメージが浮かぶ。何かに当たるような感触はあったけど、それはまるで気体のようですぐに通り抜けてしまう。いつもと同じだ。
「今のところ、積極的にそう思ったことはないかな」
 取り敢えずそう答えておいた。誤魔化すような言い方になってしまったけど、本心を曖昧に言ったのではなくて本心そのものが曖昧なのだから仕方ない。
「そっか」
 牡丹は言って、
「……………………わたしも、いつか自殺しちゃうのかな……」
 彼女の目に、不安の色が混じるのが分かった気がした。ぼくからすれば、自分の知らないところで途方もない出来事が起きていることよりも、彼女が考えていることの方が不思議だ、と後出しジャンケンのように思った。
「牡丹に限って、そんなことはないように思うけど」
「……そんなの、分かんないでしょ。この調子で自殺する人が増えたら、数年後にはほとんど全部の人が自殺しているだろう、なんて言われてるし」
「…………」
「うーん……やっぱ、死にたくないなぁ」
 牡丹は、ため息をつくように呟いた。
 ぼくは何かを言わなきゃいけないような衝動にかられた。
「もし、牡丹が自殺したくなったら……」
 ────そのときは、ぼくが君を守るよ。
「────それでも、ぼくは最後まで君と一緒にいるよ」
 言おうとしていた言葉を押し退けて、別の台詞が口を出た。何でだろう。
「…………」
 牡丹は一瞬目を見開き、それから呆れたような、いぶかしむような表情になった。
「久作ってさ、時々すっごい恥ずかしいこと平気で言うよね」
 気のせいか、僅かに頬が赤い。ちょっと恥ずかしそうだった。
「…………そうかな?」
「……そうだよ」
 本当は、もう少し恥ずかしいことを言って、安心させてあげたかったんだけど。
 そういうものでもないのかな?
 どうやら、心にもないことを平気で言うのが得意になりすぎてしまったらしい。
「でも────そうだね」
 牡丹が言う。
「ずっと一緒にいられたら、良いね」
 牡丹が笑う。
 ぼくも笑い返そうとしたけど、あまりうまく笑えなかった。
 やっぱりこの表情はまだ苦手だ。
「ありがとね」
 それでも、彼女はまだ笑ってくれていた。
 彼女は、溶け出したアイスを大きく頬張る。
「あ────やった! 当たりだ!!」
 ただ、幸せそうだなぁ──と思った。
 それだけだ。
 彼女がぼくの隣で『生きる』ことを肯定してくれているなら、それをぼくの生きる理由にするのも良いかもしれない。


   ◆

 ぼくはヤイチくんが苦手だった。
「皆さ、色々諦めが早すぎんだよ。魂抜けたみたいな顔してさ……不安になってたってしょうがないだろ? いつか死ぬかもしれないなんて、そんなの“自殺ブーム”が起きる前からかわんねぇんだしさ!」
クラスで文化祭の準備をしているとき、ヤイチくんが皆に向かって言ったことだ。
 その頃はもう皆、誰かが自殺するのに慣れ始めてーー適応していっていた頃だと思うけれど、ヤイチくんから見れば、それでもまだ『魂抜けてるみたい』だったのだろうか。
「おい久作、聞いてんのか!? 特にお前だ! お前に言ってんだぞ!」
そして、大体いつも、ぼくが特に怒られていた。
「ぼくは別に、不安な訳じゃないよ」
「そうかもしれないけど、この中じゃお前が一番やる気なさそうだから言ったんだ。
なんかお前、最初から色んなもの諦めてるような感じがしてさ、皆より一層性質(タチ)悪いように思うんだよ」
 ぼくはヤイチくんが振りかざす一般論が嫌いだった。
 ぼくはヤイチくんの大きな声が嫌いだった。
 故に彼はぼくの中で話したくないタイプの人間に該当していた。
 だがまあ、幸いにもヤイチくんはぼくなんかとは違って友人の数に恵まれていたから、休み時間にぼくと会話する機会なんてほとんどなかったけれど。
「何でお前はそんな、死んだみたいに抜けたみたいな顔してるんだよ? 不安なのは皆同じだろ? 一人そんなだと、皆が余計に不安になるじゃねえかよ」
「うん、そうだね。今度からもっと気を引きしめるよ」
「頼むよ、ヒサク。……なあ、俺だって何も、お前が嫌いだからこんなこと言ってるんじゃないんだ。お前だってクラスの一員なんだからな、そういう意味で、もっと協調性を────」
 ぼくはヤイチくんの振りかざす一般論が大嫌いだった。


 明くる日。クラスメイトの一人が死んだ日、誰もが悲しげな顔をした教室でのこと。
 この上なく窮屈な空間でのこと。
「タカシの葬式、お前も来るよな?」
 ヤイチくんはぼくにそう訊いた。ぼくは行かないと答えた。行く理由がなかったからだ。
 ヤイチくんの顔が見るからに曇った。
 そして、まるで連動しているかのように一斉に、クラスの誰もがぼくを責めるような視線を向けてきた。
 誰もが悲しげな顔をしていた。
 何もかもが疑問だった。
 ふと、ぼくは振り返って、斜向かいの席に座る牡丹の顔に視線を向けてみた。そこには他とは違う、彼女固有の感情──苛立ちが浮かんでいた。



 また明くる日。文化祭の準備が長引いて帰りがけ少し遅くなった昨日のこと。ヤイチくんは別れ際、
「じゃあな、久作。自殺すんなよ? 俺もしないから、お前もすんなよ。約束だからな」
と挨拶した。
 ぼくは、
「うん。また明日」
と返した。
 その翌日、ヤイチくんは自殺した。
 ヤイチくんが死んでしばらくして、ぼくの頭の中には時々、ヤイチくんが浮かんでくるようになった。『彼ならこう言うだろう』というような予測が無意識に働いて、勝手に指摘するのだ。鬱陶しいことこの上ない。
 死して尚、亡霊みたいにぼくを指摘し続ける。
いくら指摘されたところで、ぼくの中には生きる意味も死ぬ理由も、見つからないというのに。
 ────でも、そうだ。
 ぼくの中は空っぽだから、外側に見い出すのも良いかもしれない。
 たとえば、牡丹とか。
 今年は、いつもより楽しいことをたくさんしてみよう、と思った。


   ◆

リビングルームにて、冷房の風が直撃する位置でうつ伏せになって寝ていると、
“せっかくの夏休みなんだ。そんな時間の使い方でいいのか?”
 また、ぼくの思考の中の住人が話しかけてきた。
 頭の中にノイズが走るみたいで、正直あまり好きじゃない。
「別に、どう過ごそうとぼくの勝手だろうに」
 ぼくは答える。
 聞こえるのは自分とヤイチくんの声、そしてエアコンの音だけ。
 何だか──暗くて何もない空洞の中を、底へ底へと沈んでいくような感じがする。
「お前、今死にたいか?」
「別に?」
 下らない質問と、下らない答えだった。
 ぼくは自分の重さが僅かな痛みとなって顎や肩に蓄積されていくのを感じる。
「……あーあ」
 ひっくり返って、仰向けになってみる。身体の前面に集中していた負担のようなものが逆向きになっていくのを感じる。そして、いつもより遠くに白い天井が見えた。
 しばらくジッと見ていると、別にアレが床で、ぼくが寝ているのが天井だったとしても、あまり大差はないように思えてきた。
 …………うーん。
 しばらく待ってみたけど、ぼくが視線の先に落ちていくことはなかったので、肩透かしを食らったような気分になる。
 と。
 インターホンが鳴った。
 …………から出た。
『ヒサクーーー!』
「やあ」
 牡丹の声だった。
“来たみたいだな”
「そうだね」
“早くいかないと……待たせると悪いんじゃないのか?”
「分かってるよ、そんなことは」
 ぼくはリビングを出て、廊下を歩きながら、吐き捨てるように言ってやった。
「君は本当に大したことを言わないな、ヤイチくん」
“……何だと?”
 玄関扉を開けるとヤイチくんはどこかに消えた。
 そして扉の前には牡丹が立っていた。
 白いワンピースを着て、大きめのボストンバッグを両手に持った牡丹。
「久作、やっほー」
「やっほー」
 今日も今日とて外は熱気に満たされていたけれど、牡丹は笑顔だった。
 だからぼくも、笑ったような顔をしておいた。
「おじゃましまーす」
「うん、いらっしゃい」
 ────夏休みがやって来た。
「……さて。じゃあ、何かして遊ぼっか」
「うん」
 今年も、牡丹と遊ぶ夏休みだ。
 女手一つで娘を育ててきたという牡丹のお母さんはしばらく、出張で北海道まで行かなければならないらしく、その間牡丹をウチで預かることになっている。別に家ぐるみで付き合いがあったわけじゃないけれど、牡丹の家庭には親しい親戚などもおらず、また、ぼくと牡丹の仲はどちらの家でも公認のものだったので、何かうまい具合に話が転がったらしい。
 そんなわけでまあ、ぼくと牡丹は普段にも増して一緒にいる時間が増えたのだ。
 午前中は、バンディクート目の少年が二足歩行でリンゴを食べながら冒険するアドベンチャーゲームの三作目を交互にプレイしてタイムアタックを競ったり、父さんの『コレクション』の中からクトゥルー神話のルールブックを引っ張り出して、ネットで一人でも出来そうなシナリオを探してプレイしたりして、遊んだ。
 昼食は買いだめしてあったインスタント食品で済ませた。ぼくらはどちらも料理が不得手ではなかったけど、何となく今日はそういう気分ではなかったから、怠慢してしまった。
 午後は室内での遊びに飽きてきたので、外に出ることにした。目的地は駅の近くにある公園。牡丹は昔から、あそこにある『滑車の先にぶらさがったロープに掴まり、ワイヤーに沿って滑車をすべらせる遊具』を気に入っているのだ。
 二人で並んで、日光によって熱されたコンクリートの上を歩く。
 刺すように降り注ぐ日差しはえげつなくて、数歩進んだだけで汗が吹き出してくるみたいだった。
 そして相変わらずセミの声がうるさくて、人の声は全然聞こえない。この住宅街にも随分空き家が増えてきたから、当たり前か。
 いくつかの角を曲がって、商店街を抜けて、ぼくらは駅の見える通りに出た。
「あ」
 そこで、牡丹は何かを発見したような声を出し、足を止めた。
 彼女の視線を追うと、道路の隅に大きめのセミが落ちていた。
 牡丹はそれに近づいてかがみ、観察する。そしてそれが生きていることを確認すると、無邪気そうに笑った。
 苛めっ子の表情だ。
 牡丹は手に持っていた赤のセカンドバッグの中から小さい筆箱を出し、さらにその中からハサミを取り出した。
「ごめんね、ちょっと持ってて」彼女はセカンドバッグをぼくに持たせると、まずハサミを使ってセミの足をチョキチョキ切っていき、それが六本分終わるとおしりの方からセミの体を少しずつ刻み始めた。
 バラバラ殺虫ショーだ。
 ハラリハラリと羽が落ち、二枚重なって、その上に汁が滴っていく。
「生きてるって良いね、凄いよね」
 牡丹は楽しそうだった。
 セミは苦しいんだろうか?
 正直見ていて気分の良い遊びじゃないが、別に批難するつもりはない。これは多分彼女にとって必要なことなんだろうから。
 でもずっと眺めてるだけというのも手持ちぶさただったので、
「悪趣味だね」
 一般論を述べてみた。
 するともの凄い剣幕で睨まれたので、冗談はそれくらいにしておくことにした。
 不機嫌さを滲ませながら、牡丹が言い返してくる。
「コミュニケーションをとってるだけだよ、わたしは」
「ふうん。セミくんは何て?」
「泣いてる。助けてーって。……生き物ってかわいいね」
「…………そうだね」
「久作は、全然泣かなかったよね」
 牡丹は笑ったまま、思い出すような口調で呟いた。
「だから、笑わせてみることにしてみたんだっけ」
「うん。まだ、あんまりうまく笑えないけどね」
「大丈夫大丈夫。笑ってさえいれば、幸せな気持ちなんて、後から勝手についてきてくれるものだから」
 と。
 牡丹が言い終わった直後のタイミングに、肉の潰れる音が響いた。
 ぼくらの向いている方角、少し先の位置に人がうつ伏せになっていた。
 五階建ての雑居ビルの真下。
 首が惚けたようにあらぬ方を向いていて、顔には赤黒い亀裂のようなものが走り、そこから同色の液体が溢れ地面に広がっていく。
 今しがたの音と照らしあわせて、『落ちてきた』と考えるのが自然だろう。
 多分自殺だ。
「うげっ」
 牡丹が嫌悪のこもった声をあげる。セミの中身は平気でも人間のはダメなのか。
 ……うーん…………、
 まあぼくの方も、少しキツイものがないわけじゃない。見慣れていたと思っていたが、やっぱり近くで見ると気持ちの良いものじゃないなーーとぼくは思った。
 こういう場合は110番か119か、どっちだったか────ちょっと迷ったけど、すぐ向かいの角に交番があることを思い出したので、(駅の隣に位置する)そこに行った。
「サトイさん、」
 中には顔見知りのお巡りさんが一人いるだけだった。
「おぉ、君か。どうしたんだ?」
 ぼくは死体のある方角に指を指して用件を口にする。
「さっき人が落ちてきたんですけど……多分死んでますよ。ほら、向こう」
「ん? あぁ、あー……あぁうん。本当だねぇ全然気付かなかった。……気の毒にね」
「まあ、ついさっきのことなんですけど……でも、暑いから、早く片付けないと腐っちゃいますよ」
「うんそうか、そうだなぁ。うん。わざわざありがとうね」
 おじさんはそう言うと受話器をとった。
 何だか全てが白々しく思えた。
 ぼくは牡丹のいるところに戻った。
 牡丹はジッと、死体を睨み付けるように見ていた。
 そして、ぼそりと呟いた。
「…………何で、自分で死んじゃうのよ……」


   ◆

 お泊まり二日目。
 ぼくらは室内で、概ねだらだらしていた。
 どれくらいだらだらしているかというと、ぼくは果汁グミを食べながらアニメを観ていた。一方の牡丹は、キッチンで何かしているので、そこまでダラダラしていないかもしれないけど。
 水の音がテレビの音声を掻き消していく。
“…………お前、何してんだ?”
 ヤイチくんの声が聞こえた。
 ……………………………………………………はっ、しまった!
 ぼくは『はっ』とした。
 楽しいことしなきゃ。
 楽しいと思えることを。
 昨日はあれから、(主に牡丹が)遊ぶような気分じゃなくなり、すぐ家に帰ってきてしまった。ぼくの家に母親はおらず、父さんは仕事が忙しいらしく昨日は帰ってこなかったので、それからは何事もなくだらだらしているだけだった。
 夏休み、楽しいとおぼしきことをたくさんするって決めたのに。
「どっか行く?」
 ぼくの思考が声に出ていたのか、
 キッチンの水道にて、どこからか捕まえてきた蟻を鉛筆キャップに閉じ込めて中に水を注ぎ込む、という遊びに興じていた牡丹が抽象的な誘いを口にしてきた。
 それにぼくは頷いた。
「…………うん、そうだね」
 それからぼくらは外に出た。
 そして取り敢えず、いつもの駄菓子屋へ向かうことにした。アイスでも食べながら何して遊ぶかを考えるという算段だ。
 外は相も変わらず、熱気に満ちた──どころか、熱気が溢れ出さんばかりの猛暑だった。住宅街を、二人して歩く。
 東の方に向かうと、ここらの住宅街に沿って“符撰川”という川が流れていて、駄菓子屋はその上に架かる橋を渡った先にある。ぼくらはそこに向かって歩いている。
 テクテクと。
 角を二つほど曲がったところで、視界に死体が飛び込んできた。
庭で、首を吊っている、子どもとその母親とおぼしき女性、父親とおぼしきオジサン。
一家心中、か。
「──おっと、」
牡丹はそう言うと、ぼくの手を引いて。来た道を引き返す。多分、遠回りをして目的地に向かうつもりなのだろう。
「危ない危ない……間一髪、厭なもの見ずに済んだね」
「いや、バッチリ視界におさめてしまったんだけど」
「だ、大丈夫だよ。三秒以内だったから……」
 ……三秒ルール?
「通報、しとこうか」
「しなくて良いから」
 ぼくの提案は強い口調で却下された。
 ……あくまでも、死体から目を逸らして、
 ぼくらは、歩いていく。
 まだ死んでいないから、歩くことが出来る。
 抵抗も、逃避も、あまり意味があるとは思えないけれど──牡丹がそうしたいというのなら、死なない内は、そうするのも良いかもしれない。
 嬉しいことも、楽しいことも、悲しいことも、本当はよく分からないのだけど、
 少なくとも、『生きるか死ぬか』という二択において、ぼくは暫定的にとはいえ前者を選んでいるわけだから、その理由を見つけなければいけないと思う。
 そう思った。

「プールとかどうかな」
「わたし、泳げない」
「……そっか、そうだったね」

 せめて、この季節が終わる前には、一つくらい見つかれば良いな、と思う。


   ◆

 ──やがて、
 それは、およそ考えうる限り最悪の形で見つかった──見つかってしまった。

 命が過疎化した夏──日が過ぎるごとに、町の静寂は加速していった。毎日多くの人が自殺して、今では外で知り合いと顔を合わせることもほとんどなくなった。
 それでもぼくらは、夏休みを謳歌していた──そういうつもりでいた。
 牡丹と過ごす夏休みは、もう終盤に差し掛かっている。
 その日もぼくは彼女に手をに引かれ、夏の田舎道を走っていた。
 どこを目指していたのか、今ではもう覚えていない。あるいは初めから、目的地なんてなかったのかもしれないが──それでも牡丹の足取りは確かなもので、楽しそうだった。
 ぼくと彼女は走りながら、何ごとかを話していた。
 そして、ある交差点に差し掛かったとき、角の手前でそれは起きた。
 ぼくの真ん前を、トラックが横切ったのだ。
 牡丹がいるのと重なる位置を。
「───ッ、」
 決して彼女が飛び出したわけではなかった。到底想定し得ない無茶な角度で、トラックが突っ込んできたのだ。
 音圧──鼓膜と脳の許容力を越えて叩きつけられた膨大な情報に、主観から音が消え失せる──同時に衝撃。視界がかき乱され、目に見えない何かに散々身体をもみくちゃにされた後、気づくとぼくは地面に倒れていた。
 何かを考えるよりも前に、起き上がらなければ──と強く思った。肺から空気がすべて吐き出され、全身を激痛が走っていたためかなりの時間を要した。
 身体の異変を無視して、上体を起こした姿勢を維持したまま強引に目を開けた。視線を移し、状況を確認する。
 トラックはそのまま進行方向にあった民家の塀に突っ込んでいて、その地点までの路面には血の跡が続いていた。
 頭の中が真っ白になる。
「……牡丹?」
 不意に溢れたはずの呟き──何も聞こえない。
 何も分からない。
 起こったことを理解するのを、脳が拒否しているようだった。


















   ◆





 事故が起きた日から先、どのように過ごしたのかほとんど記憶がなかった。ただ、気付いたら夏休みは明けていた。
 教室にはいると、前学期にはガラガラになっていたはずの机がすべて埋まっていた──ただ一つを除いては。
 牡丹以外の誰もが学校に来ていた。
 誰も自殺なんてしちゃいなかった。
 意味が分からなかった。
 ただ一つ座る生徒の欠けた机の上には、花のいけられた花瓶が置かれている。大方誰がやったのかは、想像がついた。
 ぼくはいつもの癖で何となく筆箱を取り出す。ジッパーが開いていたようで、いくつかのペン類やカッターナイフなどの文房具が机の上に転がった。それらを見ながら、少し記憶をたどってみる。
 覚えていること──牡丹の葬式。ぼくたち父子は牡丹のお母さんに追い出された。彼女は牡丹の死をぼくのせいだと思っているようで、激怒していた。
 覚えていること──牡丹のお母さんの悲憤に満ちた表情。そして声音。鍵がかかったように、浴びせられた言葉の内容までを思い起こすことができなかった。
 覚えていること──会場の重々しい空気。どんな人が何人いたのかも覚えておらず、あの雰囲気だけが頭に残っている。何もかもを白々しく感じていた。
 覚えていること──父さんの言葉。何の慰みにもならない諭すような言葉。
 ──いいか? 別に本当にお前が悪い訳じゃない。ただ、牡丹ちゃんのお母さんは悲しみをぶつける相手が必要なんだ。でも、轢いた運転手が死んだから、責める相手がお前しかいなくなってしまったんだよ。……なあ、お前は不本意だろうが、今日はもう帰ろう。そんな顔するな。気持ちは分かるが……ああいう人は、下手に刺激しちゃダメなんだ。こういう時は、大事にならないうちに大人しく引き下がるべきなんだよ。分かるか? 理不尽でも、他人に合わせなきゃいけないことも──
 ──全然分からなかったし、馬鹿馬鹿しいと思った。
 雑音が耳に入ってくる。
 ぼくは机上から目を逸らし、改めて教室中を見回してみた。
 ヒソヒソ、ヒソヒソ、ヒソヒソ。鬱陶しい雑音が教室を満たしている。誰もが群れて、何かを話している。きっとみんな、牡丹の死を憂うような内容のことを言っているのだろう。泣いている子までいた。馬鹿じゃないのかと思った。牡丹はクラスに馴染めておらず、仲の良い友達なんてこの中ではぼくくらいしかいなかったのに。
 教室には重苦しい空気が満ちていて──この場所には死者を想う雰囲気が完成されていた。多分、葬式の会場とそう大差はなかった。
 こういう時は悲しまなければならない。周りから逸脱してはならない。教室を締め付ける痛々しい集団心理。皆それに合わせるのに必死だ。息を潜めて、周りを気にして、面白くもないのに笑って、悲しくもないくせに泣いている。そうやってどいつもこいつも、周りに合わせて少しずつ自分を削って、少しずつ死んでいくのだ。自分で自分を殺していき、周りに自分が殺されていく。
 某国の兵器やら未知のウイルスやら、とんでもないでたらめだ。ぼくらを殺していたのは、他でもないぼくら自身だったのだ。
 ここにいるのは、死人ばかりだ。自分を削るこいつらも、それから目を逸らして停滞していたぼくも。
けれど現実問題、生物学上ぼくらは生きていて、誰よりも生きていたかったはずの牡丹は死んでしまった。
 意味が分からなかった。
「なあ、ヒサク──」
 と。
 いつの間にか近付いてきていたヤイチくんがぼくに話しかけていた。どんなことを言おうとしているかなんて想像がつくが、ぼくの口は考えるよりも前に動いていた。
「何で、お前みたいなのが生きてるんだ?」
「……は?」
 ヤイチくんは一瞬、驚いたように目を見開くと、数秒後、相手を安心させるように微笑みながら、弁解でもするようにまた話し始めた。
「おい、何言ってんだよ。あのな、ヒサク。俺はただ────」
「何で生きてるんだ?」すかさず問いただした。「君は自殺したはずだ。自殺ブームで……他のみんなだってそうだろう?」
「何のことだ? 自殺ブーム? ……おいおい、俺が死んだなんて、こんなときに変な冗談言うなよ」
 “こんなとき”に──彼は誤魔化すような笑顔を浮かべてかぶりを振った。頭がおかしくなりそうだった。
 ヤイチくんはいかにも心配そうな表情で、ぼくの顔を覗き込みながら、また口を開いた。
「なあ、ヒサク……お前──」
「うるさい、喋るな」
「────っ、」
 ぼくは問答無用で彼を遮った。
 何がどうなっていて、何がどうならなかったのか。さっぱり理解できないが、もはやそんなことはどうでもよく思えてきた。呼吸をしていようと、心臓が動いていようと、彼らが『死んで』いることには変わりがないのだから。
 何にせよ、もう我慢の限界だった。
 ぼくは席から立ち上がり、彼の目を見ながら、ゆっくりと話し始めた。
「もう、この際だからはっきり言わせてもらうけど……君の言うことは全部鬱陶しいんだよ。君の言うことなんて、誰もが分かっていることなんだ。敢えて言う必要性なんて何もないんだよ。そんなことをグチグチグチグチ耳にタコができるほど聞かされるこっちの身にもなってくれ。なあ? ヤイチくん。頼むから、もう、どんな状況だろうと、金輪際ぼくに話しかけないでくれよ。分かってるから。あと単純に声が大きくてうるさい」
 教室を満たしていたざわめきが消えていた。代わりにぼくの声だけが響いていた。目の前のヤイチくんは目を丸くして驚いていた。
 胸に込み上げる憎悪と、陰湿な快感を同時に自覚する。そさてそれらとは全く別の次元で、悲しみが心の中の何もかもを台無しにしていく。
「ヤイチくん、良いかい? 君は、ただ声がデカいだけの馬鹿なんだよ。君は自分が何か重大な事実を悟っている偉い奴とでも思っているのかもしれないが、そんなことは決してない。君の発言は全部、一般論に基づいたごく基本的な良識を推奨してるに過ぎないんだ。君の言葉なんて廊下に貼られたポスターの校則遵守推奨標語並みの重みもありゃしない。君が何も言わなくても、誰もがそんなこと分かってて、そしてそれに苦しめられてるんだ。いくら声だかに御託を並べて『自分は生きてる』ってアピールをしても、君も周りの死人たちと変わらないんだよ。『自分は違う』なんて思ってるんじゃねえよ」
 ぼくは一息に今まで思っていて言わなかったことを吐き出した。
 ヤイチくんは困ったように言い返してきた。
「さっきから何を言ってるんだ? 俺もみんなも、こうして生きてるじゃないか」
「いいや、君らはみんな死んでいる」
 ヤイチくんの表情がどんどん曇っていく。
「君らはみんな一般論という鎖にがんじがらめになった、協調性の奴隷だ。絞め殺されるのを待つだけの囚人だ。そんな奴らは死んでいるのと大差ない。ぼくには君らが、好き好んで自殺してるようにすら見えるよ」
 そこでぼくは一度口を閉じ、周りを見回してみる。誰もが呆然としていた。構わず、ぼくはヤイチくんに視線を戻すと、続けて言ってやった。
「それでも──ヤイチくん。少なくとも君が生きていたいと思っているのはよくわかるよ。でもね、君がどう思っていようと、ぼくから見れば君は立派な死体なんだ。自分自身に殺されて、自分が死んだことにすら気付けずに腐敗しきった哀れな肉屑だ。そんな君が一丁前に生を主張してるんだ。滑稽きわまりない……まるでゾンビが『生きたい生きたい』って駄々をこねてるみたいで、気味が悪いよ。それならいっそ、本当にくたばった方がすっきりするんじゃないか?」
 ぼくはどんどん早口になりながらも、淀みなく話し終えることができた。
 ……話しながら、ぼくは泣いていた。頭の片隅ではずっと牡丹のことを想っていたのだ。
 胸が痛かった。ぼくは長らく感じてこなかったその感覚を懐かしく思った。学校──集団生活。刻み付けられた同調圧力の基盤。誰もが思考停止して自分を削る無痛化された社会で、死んだように生きていればこんなもの縁がなくなる。ぼくは生きることも死んでいくことも選ばずすべてを受け流していたつもりでいたが、結局はそれも死と同義だったのだ。
 強迫観念に包まれて、ぼくらはみんな死んでいく。上部だけの善意──冷たい麻酔薬に溺れながら。 
 冗談じゃなかった。
 無数の死者の目がぼくらのやり取りを見守るなか、彼らの代表格たるヤイチくんはごく自然な動作で、慈しむようにぼくの肩に手を置いた。すぐに振り払った。ヤイチくんが悲しそうな目を向けてくる。胸の内に怒りが湧き、それは慢性的に心を締め付けていた悲しみと混じり合い、涙がよりいっそう流れ出てきた。
「ぼくをお前らのそれに巻き込むなよ。ぼくは本当に悲しいんだ。頼むから一緒にしないでくれ。ぼくはお前らとは違うんだ!」
 クラスの全員に言ってやったつもりだった。けれどみんな何も言わずに、脇目も振らずただぼくらを見続けている。透明な瞳で。
「何なんだその目は? どいつもこいつもいい加減にしてくれよ。……なあ、ここに本気で牡丹の死を憂いている人間なんてぼく以外に何人いるっていうんだ? そんな奴は本当はいないんだろ?」
 誰もが顔を見合わせ、困ったように各々の表情を窺っていた。
 彼らはみんな、そうやって死んでいく。
 だが今のぼくは、彼らとは違う。ぼくは生きているのだ──生きていたいのだ。
 あれだけどうでも良かった自分の生死なのに、ぼくは自分なりの生を渇望している。
 ぼくは牡丹と一緒に生きたかった。
 これが他でもないぼく自身の願いなのだ。これかぼくなのだ。ぼくは自身の固有の願望を見つけたのだ。ぼくはもう死人ではないのだ。
 でも皮肉なことに、大切なものに気付いたときには既に、自分が自分として生きる道はなくなっていた。
「牡丹──」
 口から溢れた短い独白。虚しく響いた。……否、あるいはぼくは彼女を呼んでいたのかもしれない。だとしても、返事なんてあるはずなかったけれど。
 目的に対する衝動だけが昂っていく。けれど、その手段は皆無だった。
「ふざけるなよ……こんなことがあってたまるか!」
 ぼくは叫んだ。全部嘘だ──そう思いたかった。
 直後、本当にそう思えてきた。……気がした。
「牡丹が死んだなんて……そんな馬鹿なことあるはずがない。こんなでたらめがぼくに通用すると思ってるのか!?」
 言葉が胸に沸き上がる。そして、喉にせりあがるまま吐き出していく。
 ぼくには抗うことしかできなかった。目前に立ち塞がる途方もない現実を、ひたすらに否定するしかなかった。
「ぼくは、今年も牡丹と夏休みを過ごすはずだったんだ。それは当然のことだったんだ。もっともっと楽しく遊ぶはずだったんだ! ぼくは今年こそ、少しはまともに笑えるようになったかもしれなかったんだ……!」
 牡丹に会いたかった。
 ぼくは牡丹の席に足を向けた。そこへ行って何をするつもりなのか、何がしたいのかは分からなかった。だが、足は勝手に動いていた。
 ──死んでたまるか。
 ──殺されてたまるか。
 ──死なされて、たまるものか。
 衝動が高まり、広がっていく。
 ぼくはぼくでいたかった。
 何かをどうにかすれば彼女に会えるような気がした。
 具体的なことは何も分からぬまま、ぼくは曖昧で途方もない期待に身を任せてしまっていた。
「おい、どこに行くんだよ!?」
 ヤイチくんはこともあろうにそんな心配そうな声をかけながら、ぼくの手を掴んだ。
「うるさい!」
 ぼくはそれを振り払い、机の天板に無造作に転がっていたカッターナイフを掴むと、ヤイチくんの目に突き立てた。
「──死人は死んでろ」
 一瞬の静寂を挟み、教室のあらゆる方角から思い思いの悲鳴が湧き上がった。
 それらはお互いがお互いをかき消すように奔放で、統一性がなく、彼らが心の底からの、思い思いの感情を吐き出しているのが分かった。
 凄まじい音圧──ある種の暴力性すら伴いながら聴覚が蹂躙された。だがぼくは、耳鳴りと目眩に犯されながらも、先ほどとは打って変わって、この場に心地好さを感じていた。
 死体の群れから解放された安心感。
 彼らは今、生きていた。この瞬間、みんな思い思いに、自分自身を恐怖に載せているのだ。
 仲間を得たような気分になった。陶酔が胸を突き上がり──けれど直後、気付いてしまった。
 ──きっと、この状態は長くは続かないだろう、ということに。
 恐怖が去れば、きっとまた彼らは元に戻ってしまう。彼らはぼくとは違い、内面に何か変化があったわけではない。死人はそう簡単には生き返らないのだ。
 ならばいっそ、このままぼくが彼らをきちんと正してやるのはどうだろう?
 ヤイチくんの体液が滴るカッターナイフを持ったまま、ぼくは足を進めた。
 視野に収まっているのは、何もかもが反転した世界。歪んでいる世界。
 自分で死んだはずのコイツらが生きていて、牡丹が死んでいる──そんなのは間違っているのだ。
 間違いを正さなければならない。それは必要なことだ。
 カッターナイフを掲げる。生きる屍たちの顔色がどんどん濁っていく。
 ぼくは今まで間違っていた。
 11年間何も見つからなかった──そんなふりをしていた。
 大切なものを見続けていれば、いつか傷つかなければならないということに気付いていたからだ。ぼくにはそれが面倒で、そして何より怖かった。
 この世に好きなものなんて何もないという顔をして生きてきた。
 でももう違う。
 もうぼくは大丈夫なんだ。
 これ以上失うものなんて何もないのだから。
 カッターナイフを振りかざす──振り下ろす。
 はやく牡丹のところへいかなければ。
 ここから、早くでなければ。
 悲鳴による不協和音の中を進んでいく──進路をカッターナイフで凪ぎ払いながら。
 目的地なんて分からない。けれど、ぼくは確かな足取りで駆けていた。
 まるであの日の牡丹のように。
 希望──不思議とそんな言葉が脳裏を過った。
 鮮血が視界を舞っていた。


   ◆

 みんな死んでく。
 ぼくは、生きる。

みんな死んでく

執筆の狙い

作者 標識
182-50-214-97.cnc.jp

【あらすじ】夏休みを控えたある日──ぼくの通う小学校では、全校生徒の六分の一ほどが一度に集団自殺を遂げてしまった。
 きょうび自殺なんてありふれているけれど、さすがに六分の一、というのは行きすぎだった。

 通称“自殺ブーム”。今この世界では、原因不明の『自殺のパンデミック』が起きている。
 夏の空気はこんなに煩わしいのに、世界は日に日に静かになっていく。
 そして、“人はなぜ自殺をするのか”という、以前から抱えていたぼくの疑問が解消されることのないまま、夏休みは訪れた。
 今年も、幼馴染みの牡丹と遊ぶ夏休みだ。


 よろしくお願いします。

コメント

浮離
KD111239123187.au-net.ne.jp

このお話の破綻の最たる要因は“一人称“であることに尽きるはず、ということは読者の誰しもが明確に思い当たることではないかもしれないんですけど、語り手が十一歳の小学生であることからすでに、語り手としての呪縛であったり自ずと発生する制限が強まることくらいは誰もが当たり前に理解予測することは当たり前で、つまりそんな上でも読み手はその情報の不確実さを前提に読み進めなければならないというこのお話の何よりの性格を一番理解していない、意識の端にもなく付き合っているのが他でもない書き手自身であることが“破綻“の根本であることを理解するべきだと思うんですね。

ただ勘違いして欲しくないのは、“破綻“というその性質がお話の構造的な相性だとかそんなロジック以前に、単純に技術的な未熟さ、理解の不足が明らかにするだけの事実であることこそを、明らかに理解するべきだと思うんです個人的には。


とはいえあたしはこの書き手の前作に、

>“書く“という機能や労力、つまりコストパフォーマンスとして案外集中が低いというか、水準的訴求力がかなりカジュアル
>近頃のあらゆるクリエイティブコンテンツに言われがちな“説明しすぎ問題“だとか、ちょっとニュアンスが違うんですけど要するに、書かれていることでしか融通しない“付き合わされ感“
>読めばいいだけのお話ってつまんないでしょ、ってことだと思うんです。想像する必要がない。

ざっくりとなんですけど、抜粋するとそんなことをお伝えしたわけなんです。

とはいえ、書き手はつけ上がる性分そのままにスルーした結果のこの有り様、ということを個人的には当たり前に思う、ということをこのたびはスルー前提が明らかとなったことを承知の上でむしろ遠慮なくお伝え出来るものなんです。
要らぬ気を遣って我ながら気の毒なことでした。



何にも、成長してないです。
前々作まで確認した上で前作へ感想を投げたわけなのですが、全然成長していないというのが何よりの印象、感想なんですね。

“一人称“ として理解も感度も誤解が多すぎて、情報としてまともに付き合って読み進めることが出来ません。
時制、視点、距離という情報の基礎から曖昧であることは明らかで、その上で“一人称“のつもりらしく観察して語られる感情や思考の“長閑さ“はつまり、十一歳の語り手としてある意味適切であることをせめてもの共感として読み進めることはむしろこのお話のいちいちを伏線として、真に受けない態度で読み進めることは読者として当たり前に差し出す許容の態度のはずで、その上で平坦すぎる“伏線“という物足りなさを押し殺しつつ付き合わされる“自殺ブーム“というあっけなく覆される“ミスリード未満“の末に明かされる“なにごともなくそのまま“というほぼ勘違いに近い結びに辿り着かされる不毛さを、書き手は全く理解していないはずなんですねこの有り様を見るには確実に。


細かな設定の不確実さとか、その辺の指摘はほぼ意味がないと思うので他の読み手にお任せしておきます。


語り手として十一歳がもたらす十一歳らしい青臭く未熟な誤解はある意味このお話のなによりの根拠として、勘違いの多い父親のもとで育った勘違いばかりの十一歳がこのお話の性格になるより他にまともな付き合い方はないはずで、実際に身もフタもない形で閉じられていることも事実なんですけど、書き手が想定して書き散らしたつもりの展開と結末はその意識の欠片もないことこそ読書という当たり前の感度として身もフタもなく明らかされてしまうことを誰よりも書き手自身が口惜しくも素直に理解するべきだと思うんです。

思うだけで、そういう態度のない書き手であることはとっくに承知しているのでこれはこれを見るその他の参加者への確認の意でしかないので書き手は余計な態度を思い付きたがらないことお薦めしておきます。


“一人称“ という観察や感度をもって示されるべき情報や表現や機能性、つまりそれを選択する目的からそもそも全く理解していない。
もちろん技術的に未熟がゆえに適性がないことこそ明らかなはずなんですね。

とはいえ、ならばこれを三人称なり神視点なりに易く書き換えたがったなら少しはましなものになる世界かと言えば先に指摘した通り、そもそもの観察や表現の視点がおごった欲求を憚りかねる書き手の性質ゆえかあまりにも直裁的にすぎることへの懸念や、読書に耐えうる作為としてのプレゼンスの平坦さだとかつまり、

>“書く“という機能や労力、つまりコストパフォーマンスとして案外集中が低いというか、水準的訴求力がかなりカジュアル
>近頃のあらゆるクリエイティブコンテンツに言われがちな“説明しすぎ問題“だとか、ちょっとニュアンスが違うんですけど要するに、書かれていることでしか融通しない“付き合わされ感“
>読めばいいだけのお話ってつまんないでしょ、ってことだと思うんです。想像する必要がない。

といった以前に指摘させてもらった観点においてやはりその適性の程度は明らかな不足を感じさせるもので、“たかが人称“らしくどうあったところで書き手都合のいちいちを不毛に噛み殺しながら付き合わされる退屈な紙芝居的な何かになり落ちるしかないことは明らかすぎる、そんな性質の露呈になり落ちることが当たり前に予見されるばかり、のはずだと思うんですね。
その程度は明らか、という意味で言ってます。


わかりやすく説明できる箇所をいちいち抜粋して指摘するべきですか?
その価値も甲斐こそない書き手であることは明らかなはずなのでもちろんそんな不毛なことはするつもりもないですし、そんなことこそいちいち言わずにおけないのは書き手に対してではもちろんなく、これを見ているその他の参加者の皆さんへの提案だとか要求のつもりなので各々で観察して考えてもらいたいですし、そんな機会にあってやっぱり書き手は余計なことを思い付きたがらないこと、変なハンドルこそ思いついて面倒な場所で手癖の悪さを露呈させないことお勧めしておきます。
これ、結構な親切のはずなので、身に沁みて自覚して感謝しておいた方がいいんじゃないですか。



間違ったことを間違ったこととして書くなら、その根拠を背骨として行き渡らせる正確さを強力に間違わせて操ること。
その強度が見受けられないどころか、その作為は明らかに誤解に向かってズレた都合とおしゃべりにうつつを抜かしてばかり、というこのお話の世界に誰よりも不明瞭な認識で濡れ衣を正体としてごり押しを図りたがる書き手自身を、その未熟な思い上がりこそを馬鹿馬鹿しく見下すことを明らかにお伝えするものなんです。


ろくなものにならないですよ、そういう根性のままでは。

もちろん、そのままであろうことも承知しているので今後の活動はかなりの高確率でためにならない面々ばかりのお相伴に塗れることになることは免れないはずですし、よかったですね、あたしこそ愛想が尽きたので今後関わることはないので安心して鍛錬に励んでください。


おめでとうございます。

偏差値45
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この種の場合、より軽く読ませることが重要のような気がしますね。
どうでもいいことに文字数を投入しているので、その分、損をしていると思いましたね。
それが面白いと評価されるといいんですけど、個人的にはNG、愚作の部類に入るかな。
 これに読むだけの価値があるのでしょうか?
大文豪であったり、有名な作家さんならば、きちんと読むでしょう。
ネットで落ちている作品なんて、そんなものですよ。
その上での感想です。
しかも、無料の感想なのですからね。
気軽に書いているわけです。言わば、暇つぶしですね。まあ、僕としては楽しんで感想文を書いているわけですね。
鍛錬?というよりも趣味みたいなものでしょうね。

 そんな簡単な理屈が分からないのか? と感じますね。

 面白いか? と言えば、ストーリーが未熟そのものなので
なんとも言えないけれども、
今後の創作で言えば、期待値は高くはないです。興味が薄いです。
余程の上手な展開でもしない限り、幾度の挫折を回復できない気がしましたね。

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