作家でごはん!鍛練場
主夫

小説らしきもの

ええ、そうです。ぼくが彼を殺しました。なぜって。動機ですか?そんなことわかりませんよ。これから考えるんです。ええ、それはもちろん、仮にも人殺しですから。しかし、こんなことを申し上げると、また誤解されてしまうかもしれませんが、ぼくも被害者なのです。いえ、ぼくこそ被害者です。彼を殺す以前に、ぼくは彼に殺されたのです。ちょっと待ってください。そんなつもりはありません。ぼくは冷静です。罪はちゃんと償うつもりです。言い逃れもしません。あなたがたを煙に巻こうなんてつもりもありませんから。どうかしばらくの間、ぼくの話しに耳を傾けていただけませんか?どんな物的証拠も、ぼくの証言を裏付けてくれるはずです。必ず真相を明らかにしてみせますから。ええ、ぼく自身、さきほどからずっとこの度の事件について、記憶を整理しながら思い当たる動機を考えていたのですが、どれもこれも、殺意に及ぶまでの動機には思えないのです。こんな言い方をすると、また変な疑いをもたれてしまいそうなので、今一度念を押しておきますが、ぼくは至って冷静です。おかしいのは、ぼくではなく、彼です。ぼくは、彼がどの程度の作家だったのかは知りません。しかし、少なくとも彼は、人の話は聞かないし、自分の書いた物が認められないとわかるや、大急ぎで読者を批判する最低の人間でした。自分のことを棚に上げて、読者の無知について熱く語るんです。そうやって非凡人ぶって、周囲をあざむくことに一生懸命で、実際にまともな小説を書いた試しはないんです。ぼくの知る限り、彼を嫌っていない人間は一人もいませんでした。彼の親でさえもです。ええ、以前彼に、彼の父親を題材にしたものを読ませてもらったことがありましてね。あれはもう小説とはいえませんね。ひどい内容です。仮にも実の父親ですよ。あいつは人の子じゃないよ。あの本のせいで、彼の父親は早死にしたようなものです。とにかく一度読んでみてください。ほんとうにひどいですから。要するに、血も涙もないその彼が、ぼくのあることないことを小説にしたことが、この事件の発端なのです。彼は、ぼくという人間の真実を明らかにすることが、結果としてぼくのためにもなるし、大きくいえば人類のためにもなるとほざきました。バカですよね。きちがいですよ。でも、そうやって芸術家ぶって、自分の都合の悪いことから話をそらそうとするのが、彼の手口でもあるんです。ええ、実は、彼に三万円ほど貸していまして、その日に返してもらう約束だったのですが、まあそれはとりあえず置いておきましょう。そもそも、彼のいう「ぼくという人間の真実」なんて、小説にならないくだらないものです。確かにぼくは、彼が指摘したように、自分より頭の悪そうな人間や、あまり自己主張しないタイプの人間と付き合ってきた都合の良い人間です。しかし、そのほうが心もなごむし、プライベートも充実するのです。そうでない人たちと接するときは、謙遜しながら嘲笑するように努めてきましたが、それは彼にしても同じことです。だからといって、ぼくはそのことについて、あえて彼に言及したことはありません。そうでもしないと、人間誰しも破滅するってことは、もう何百年も前に、メチャンコロドリゲスという哲学者がすでに証明していて、誰だって知っていることですからね。まして、自尊心が強く、プライドも人一倍高いぼくが、三十歳にもなって、近所の弁当屋でアルバイトをしながら、その日暮らしの生活をしているとあれば、そうした人付き合いに偏るのは当然でしょう。芸術家とか、なにか夢のために生活を犠牲にしているのであれば、そんな生活にも少しはいい訳をする余地もあるでしょうが、しかし、そもそもぼく自身、学歴も人に勝る特技もなく、何事にも怖気づく凡人です。計画を立てても、それを実行できた試しはありません。唯一の特技といえば、なにかに挑戦する人間を白けた顔で眺めることくらいです。考えてもみてください。何もないのに、もったいぶった素振りをしているだけのぼくが、何かに挑戦することで、明確に自分の器を知ってしまったら、どうなると思います?死ぬしかありませんよね?だからぼくは、誰にでも勝ちたいと願っても、誰とも勝負はしなかったのです。そんなぼくが、人様にどうこう言える立場の人間でないことも知っています。けれどもぼくは、人を軽蔑することを好みますが、人に軽蔑されることには我慢ができない人間です。自分より知識のない人間に、知識をひけらかしたり、説教じみたことを言ったりすることに、大きな喜びを感じるごく普通の一般人です。そんなどこにでもいる人間を描いて、今更なんになるというのです?そんなものが芸術といえるでしょうか?ぼくはそうは思いません。なぜならそれは、当たり前のことだからです。刑事さん、あなただって、精神的に優れてさえいれば、金や名誉がなくても、面子を保てるとお考えでしょう?ぼくやあなたのように、謙遜を装いながら、実は大きく自信過剰な人間が、得てしてこうした観念にすがるのは当然のことです。精神的なものには基準がありませんから、希望ももてるし、自分の好きなように錯覚もできるんです。ちなみにぼくは、小学三年まで、クラスの中心人物ベスト3に入っていました。目がきれいだと誉められたことも過去に二回ほどあります。夢の中で風の神様に「お前ならイケる」と言われたこともあります。少なくともぼくの場合、これだけの条件がそろえば、精神的にも優れていて、成功する運命にもあると錯覚するのは朝飯前です。もちろん、自慢にはなりません。自慢にもなりませんし、いまさら注目すべきことでもないわけですから、書く必要もありません。そんなものを書いてもつまらないだけです。ぼくは中卒ですし、本も少ししか読んだことはありません。いってしまえば、芸術をしらない人間です。そんな人間が百も承知していることを、本にしたところで今更なんになるというのです?しょせん彼が主張する人間の真実なんて、誰もがすでに知っているし、自覚もしていますよ。あんな奴に指摘されなくても、ぼくは十二分に自分のことを理解しています。よけいなお世話だよ。死ねばいいんだ。ええ、だからぼくは彼を殺して・・・・いや、彼にいってやったんです。そんなわかりきったことは書かないで、誰でも楽しめる娯楽小説でも書いたらどうだってね。そのほうが売れるかもしれないし、売れたら少しは生活も楽になるじゃないかってね。そもそも小説は楽しむものですから。しかし彼は、書いたものが売れるにこしたことはないが、もう誰にこびる必要もなくなったと、またまた芸術家ぶって、ぼくを欺こうとしたんです。ええ、詳しくは知りませんけど、お金持ちのOLをつかまえたらしいですよ。いえ、会ったことはありません。それまでの彼は、風呂なしのアパートに住んで、生活を切り詰めていたとはいえ、借金がけっこうありましたからね。少しでも大衆向けの小説を書いて、借金を返済したかったらしいです。そのときに彼が書いていた原稿を幾つか読ませてもらいましたが、ぼく自身はけっこう楽しく読めました。周りの評判もそこそこ良かったみたいです。それが、生活を保証してくれる彼女ができた途端に、人間の真実はああだこうだ言いながら、人の悪口を書くようになったんです。言ってしまえば、彼の父親もぼくも、被害者です。ぼくはいいました。人間を描くなら、なにもぼくを題材にしなくても、自分自身のことを書けばいいじゃないかってね。実際に、自分のことを私小説として書く作家さんもいるみたいですから。しかし彼は、「お前のほうが未熟な人間だから、お前を書いたほうがおもしろい」と言ったのです。信じられますか?唖然としましたね。怒りというより、ここまで自分のことを棚にあげる人間がいることに、ぼくは心底驚きました。すでにご存知かもしれませんが、彼は、高校を卒業してからろくに仕事もしないで、消費者金融や友人から借りた金で生活をしてきた人間です。金融会社への月々の返済が滞ると、入院と偽って田舎の母に金を送金させたり、友人に無理やり服や本を高値で売りつけたりして、凌いでいたのです。しかも、いざ金を返してくれというと、「とりあえず一杯飲めよ」とかいいながら、ごまかそうとするのですが、その酒もどこからか盗んできたものだったりするんです。一度、ぼくの家にあったはずのワインを彼にすすめられた時には、本気で殴りそうになりましたよ。そうやっていつもその場しのぎでごまかして、親や親戚からの送金が見込めないとわかると、今度はその知人や友人に金の無心をして、平気で親の顔を潰すような真似をするんです。しかも結局、金策が尽きて、自己破産したのですから、目も当てられません。その後は、ようやく事務のアルバイトなんかもしていましたが、それでも週三日くらいで、いまの彼女と一緒になるまで、だれかれ構わず金の無心をしていましたからね。あと、そうそう、死ぬつもりなんか全然ないくせに、自殺をほのめかすような手紙を書いたりして、家族や友人たちから金を騙しとろうともしたんです。悪人ですよ、アイツは。たまに誰かに金を返したことを自慢げに話すほど、彼の金銭感覚は一般人とはかけ離れたものです。そんな人間に、お前のほうが未熟だなんて言われたら、笑うしかありませんよ。しかもぼくは、彼がいまの彼女と一緒になるつい最近まで、毎日ではありませんけど、弁当屋で残った惣菜なんかを、仕事帰りに彼のアパートに届けてやったりもしてたんです。もちろん、だからといって、彼の指摘した真実を、ぼくはただやみくもに否定しているのではありません。ぼくだって、二十歳のとき親に借りた十万円を未だ返済していませんし、また、これはたまたま彼が後からぼくに指摘してきたことで、ぼく自身もともと理解していたことですが、そもそも何もできないぼくは、世俗的な勝利を望んでいながら、それを嘲笑することで、自分の自尊心を支えているんですけど、そのことも十分承知しているからこそ、「お前はいったい何をしたいのか?」と聞かれれば、「成功して能書きをたれたい」と、自信をもってぼくはいうことができるのです。言ってしまえば、ぼくだって所詮そんな人間です。しかし、だからなんだっていうんです?ぼくはね、刑事さん。そんなことは言われなくてもわかってるんですよ。誰に指摘してもらう必要もありません。でもね、そんなぼくでも、ぼくなりにやるべきことは、きっちりやってきたつもりです。毎日欠かさず腕立て伏せと腹筋を50回ずつやっていましたし、部屋も綺麗に片付けて、有名な芸術家や著名人の言葉を集めた名言集も読んで、自身のふがいない心を戒めもしました。もちろん、他人からみればそんな苦労は滑稽にしか見えないでしょう。しかし、ぼくには、ぼくなりに努力をしているという自負があり、そのことで人からとやかく言われる筋合いはまったくないのです。だからぼくは、腕立て伏せを怠っただけで、いちいち自己嫌悪に陥りました。名言集を読み忘れたときもそうです。そんなぼくが、一年前、読書にしたしむきっかけを与えてくれた太宰治の「人間失格」を、実は十年も前から愛読している人間が身近にいたことを知ったとき、しかもそれが、毎日顔を合わせる弁当屋の同僚だったと知ったとき、どれほど絶望したかわかりますか?その翌日に、自分こそが「人間失格」を誰よりも深く読み込んでいるという自負を、自身にこじつけることに成功したから良かったものの、そうでなかったら、ぼくはすでにこの世界にはいませんよ。ぼくはね、刑事さん。いつも閉まりの悪い半開きのドアがちゃんと閉まっていて、そのおかげで部屋がいつもより温かいというだけで、幸福になれたりする人間なんです。そんな人間のことを書いてなんになると思います?こうした事実の一体なにが芸術ですか?ぼくが毎晩布団の中で、ぼくの思想、ぼくの判断が絶対とされている世界を妄想することにしても、なんの芸術性もありません。その世界では、すべての人間がぼくより劣っているからって、それが一体なんだっていうんです?そんな都合の良い世界にいても、ぼくはせいぜい一芸術家に甘んじる程度ですよ。成功者とその軌跡をたどっていくテレビ番組で自分の半生を紹介されても、ぼくは決して自身の能力を誇示したり、誰かを軽蔑したりすることはありません。番組の収録中に、関係者やスタッフが、ぼくの誕生日を祝ってくれて、ぼくがそれに驚いたふりをするからって、それが一体なんだっていうんです?六本木の高級マンションに住んで、コックを雇うくらいの人間になっても、好きな食べ物はなにか?と聞かれたら「納豆」と答えますし、レッドカーペットの歩き心地を聞かれたら「緊張してそれどころではなかった」と謙虚な人間を演じる自信があります。元モデルの妻へのプロポーズの言葉はまだ思案中ですが、芸術とはなにかと聞かれたら、極めて配慮の行き届いた笑顔で、「しいていうなら気まぐれでしょうか?」と答えるだけです。ぼくは、自分の成功を、田舎の友人たちと一緒に、近くの居酒屋で祝う程度の願望しかありません。そんなぼくが、来るはずもないこの勝利の日に備えて、カメラ写りのいい角度の研究に余念がないからって、それが一体どうしたっていうんです?「情熱大陸」と「トップランナー」に出演するときの衣装も、すでにそれぞれ用意していて、「波乱万丈」に出演するときに必要な幼い頃の写真も、すでにどれを番組側に提出するかを決めていることで、誰かに迷惑でもかけていますか?そんなぼくの妄想と、早まった準備が、そんなに芸術的でしょうか?バカを言っちゃいけませんよ。ぼくのような人間が、自身を誇張し、身のほどをわきまえない夢をもつことは、滑稽に思われがちですが、実は極めて自然なことです。繰り返しになりますが、そのことはすでに百年も前にメチャンコロドリゲスが証明していることです!ぼくはね、刑事さん。何事にも臆病で、行動できない自分が嫌いなんです。だから自分を憎悪するんです。でもね、「行動しないのではなく、慎んでいる」という都合の良い解釈が、いつもぼくを甘やかすんです。彼の言うとおりですよ。ぼくは凡人であることを認めることができないだけです。でもね、こんなぼくにも、人並みの結婚願望があります。ええ、残酷なことに、ぼくは面食いです。しかも、こんなぼくに、敬意を払える相手でなくてはいけません。金も名誉もないこの弁当屋のアルバイトにです!可笑しいですか?同情でもしてみますか?ぼくはね、こんな感じのロープで、こういうふうに・・・・彼の首をしめたんです!それでね、こうやって、机に頭を叩きつけてやったんです!大丈夫です。ええ、おかげさまで。すっきりしました。頑丈ですね。この机。ええ、大丈夫です。もう落ちつきました。落ちつきましたから、いい加減この手をはなしてくれませんか?泣いてなんかいませんよ。てんとう虫の幼虫が目に入っただけです。ええ、すいません。とにかくぼくは、自分が嫌で嫌でたまらなかったのですが、しかし、それでも、絶望を食い止めながら、それなりに有意義な人生を送っていました。いえ、繰り返される日々の絶望を必死に耐え忍んできました。とはいえ、平穏な毎日であったことは確かです。ぼくもバカじゃありませんから、一人の芸術家として、人間の真実を明らかにしたいという彼の言い分は、わからなくもありません。そして、それは一見正当な理由にも思えます。しかし、それ以上に、彼にとっては、ぼくのような人間が、芸術に関心があること自体、癪だったのです。おそらく彼は、ぼくを苦しめることを、生き甲斐としていたに違いありません。ぼくにはそれがわかります。証拠はありません。あっても提示することはできません。それは実在しないのです。ただ一ついえることは、彼は、ぼくの仕事のこと、ぼくが付き合っていた彼女のこと、ぼくの時事問題に対する考え方や、ぼくの趣味や生活習慣に至るまで、ぼくのことなら何でも知りたがりました。ぼくが口にする一語一句に聞き耳を立てて、ちょっと目を離した隙に、携帯電話やゴミ箱をチェックしたり、ぼくが名言集から書き写したノートを、こっそり棚から取り出してメモをとろうとする彼に、ぼくは恐怖すら感じました。いま思うと、この時すでに、彼を殺そうと考えていたのかもしれません・・・・いや、違う!ぼくはそれから考え直したのです。そうです。殺意なんてとんでもない!ぼくはこのときもまだ冷静でした。もし彼に、ぼくのほうが精神的に優れているということを証明できれば、ぼくのことを書くのはやめるかもしれないと、そう考え直したのです。ぼくがいかに自己の探求に余念がないか、そして、彼が考えるぼくという人間がいかに的外れで、軽率で、文学的にも無意味なものであるか、ということを彼に知らしめることができれば、きっと彼は、ぼくのことを書くのに白けて、別のものを書くに違いないと思ったのです。そのためにぼくは、彼が望むありのままのぼくを、あえて彼に説明することにしたのです。そう、ぼくは彼にすべてを打ち明けたのです。ぼくという人間が如何に無力で、そのための言いわけにどれほど時間を費やしてきたか・・・・自費で小説をはじめて出版した彼に、いいことを言いながら、実は密かに小説が売れなければいいと思っていたことや、その小説が実際に売れなかったことに満足したことも・・・・また、彼が中学のときにクラスの中心人物だったために、ぼくがジャイアントコーンを彼におごって、彼に近づき、自分の居場所を確保したことなどに至るまでのすべてを、ぼくは彼に打ち明けたのです。それこそ断腸の思いで打ち明けました。しかし彼は、笑いながら、そんな自己分析しかできないのかとばかり、「カメラは買ったのか?」といいました。ええ、ぼくは以前、何もせずにただアルバイトで生計を立てているだけの人間だと思われたくない一心で、実は写真家を目指している、と彼に嘘をついたことがあります。嘘ですから、写真家でなくても良かったのですが、彼の知り合いに写真家はいなかったので、都合が良かったのです。そうでなくても彼はぼくに、どういう写真を撮っているのか?最近いつ写真をとったのか?どこかのコンクールに応募するつもりはないのか?といろいろなことを質問してきた上、ある写真コンクールの紙切れを、ぼくに嫌がらせのように渡してきたのです。そうです。嫌がらせです。彼は、ぼくに行動させるつもりはちっともありませんでした。それは断言できます。むしろ逆です。どうせ何もできないだろうぼくを苦しめるために、ぼくの将来を危惧してはっぱをかける親友を装っていたに過ぎません!とはいっても、まんざらでもなかったぼくは、安いカメラを買って、風景写真などを撮っていたこともありました。そして、一度だけ、勇気をふりしぼって、神奈川のとある廃墟を撮った写真をあるコンクールに応募しましたが、見事に落選し、生まれてはじめての挑戦と敗北を同時に経験したぼくは、それ以来、カメラをもつことさえできなくなりました。おそらくぼくは、もう何事にも挑戦することはできないでしょう。しかし、それまで何事にも挑戦できずにいたぼくにとって、コンクールに応募したことは、まさに画期的な出来事でした。それはもちろん、一般的には大したことではないかもしれません。しかし、他人から見れば小さな行動でも、ぼくにとっては革命的行動でした。そしてそのことを、誰かにさりげなく吹聴する機会を、ぼくは見逃しませんでした。むしろそういう機会を自分から探しもしたし、つくりもしました。しかし、ありのままを伝えるわけにはいきませんから、ぼくは、一般に認められる程度にまで、事実を改竄しました。それは例えば、「コンクールに応募し、賞はとれなかったけど、ある有名な写真家に認められて、来週その人に会ってくる」というものだったりしました。そして、それはいつもさりげなく語られ、その場にいる誰一人として、ぼくが社会的成功を夢見ているとは思いませんでした。そのことをむしろ嫌悪している態度さえ、ぼくはとりました。彼らは一様に、可能性があるにもかかわらず、欲のないぼくに、大げさにいえば、尊敬の念をますます深めたのです。そういうふうにしてぼくは、野望がない人間を装いながら、自分の主張をことごとく肯定するよう彼らに仕向けてきたのです。そう、ぼくはすべてにおいて心得ていました。しかし、当然のことながら、彼に、そんな子供だましが通ずるはずはありません。彼はなんでも見抜きます。ぼくのことにおいては尚そうです。そもそもぼくは、彼にはすでに「写真家として活動している」と言っていたにもかかわらず、そのときになって「カメラは買ったのか?」と彼は質問してきたのです。つまり彼は、ぼくが何もせずにただアルバイトで生計を立てているだけの人間だと思われたくない一心で、写真家と偽ったことを、見抜いていたわけです。ぼくは、彼に釈明しなければなりませんでした。いや、いま申し上げた真実を、打ち明けなければいけない状況に追い込まれたのです。しかし、それは、深刻にではなく、なんでもないことのように打ち明けなければいけません。ぼくのこの真実が、芸術として成立する可能性を、彼に与えてはならないのです。ぼくは命がけで笑いながら、彼にこう言いました。「写真だって?この俺が?ははははっ、バカだなお前。そんなの、自分の名誉を守るための言いわけに決まってんだろ?俺なんかに、何かに挑戦する度胸なんてあるわけないだろ!」しかし、それは、裏目にでました。彼は「なかなかやるじゃないか」と微笑みながら、ぼくがよく旅をすることについての真実もぜひ語ってほしいと言いました。ぼくはもう後へはひけませんでした。そんなにぼくのことを書きたいのなら書けばいい。しかし、お前が書こうとしている真実は、すでに何年も前からぼくは承知しているし、今更そのことで、ぼくはうろたえたりはしない。そう、ぼくは観念したのです。旅の目的が、深みのある人間を演じるための手段であることも、だからこそ、観光名所をさけて、あえて普通のなんでもない繁華街や路地裏を歩き、放浪者を気取っていたことも、そしてそのことに、ぼく自身が誇りをもっていたことも、しかし、そうした観念に執着する自分が、ときに軽率だと感じて、観光名所をあえて楽しんだことも、そして、そんなぼくに、旅を純粋に楽しむ心のゆとりはなかったことも、それでも、一つの旅を終えると、何倍も成長したように錯覚できたことも、帰国後、海外へ行ったことのない友人を選んで酒を飲み、自分の成長を賞賛してもらうために全力をつくしたことも、そして、それがいつも成功したことも・・・・彼は子供のように僕の話に聞き入って、「自分探しちゃんとできているじゃないか!」と喜んでメモをとり始めました。最近では、旅の目的を聞かれても「自分探し」なんて言葉は使いませんが、二十歳のときに「自分探し」という言葉に大いに惹かれていたぼくが、当時その言葉を乱用していたことにかこつけて、彼はそういったのです。ぼくは、自分がどこまでも彼の手の内にいることを改めて思い知りました。しかし、彼にすべてを暴露したその日、ぼくは自分が身軽になった感じがしました。これまで誰にも話せないでいたことや、自分でも気がつかなかったことを全部はきだしたことで、怖いものがなくなったせいか、心地良い気持ちになったのです。驚くことに、彼に感謝したいとさえ思ったのです。そうなんです。殺意なんてとんでもない!ぼくは、自身にこうも厳しく対応することができた自分に、とても満足していましたし、そのきっかけをつくってくれた彼に、もっと協力したいと思い、去年まで付き合っていた彼女が、実は不細工だったせいで、誰にも紹介できずにいたことも、そして、実はぼく自身が二十五歳まで童貞だったことも、彼に打ち明けました。彼は、「卑屈になればいいってものでもない」とか言いながらも、ぼくがいったことを嬉しそうにメモしました。それから本が完成するまでの三ヶ月間、ぼくと彼は、ぼくが、いかに未熟で卑劣な人間であるかを、毎日のように語り合いました。ときにそれは、深夜おそくまで及びました。そうしてできた彼の本が「凡人が凡人たる所以」です。ぼくは、そのタイトルをストレートでなかなかいいなと思いながら、さっそくページをめくりました。そして、その文頭に書かれていた言葉に、言葉を失いました・・・・それは、ぼくの予想をはるかに超える、いわばぼくのすべてを否定する一言だったのです。これ以上、ぼくの名誉を傷つけるものが存在するはずもないと自惚れていたぼくは、呆然としながらも、その事実を受けいれようと努めましたが、しかし、どんなにそう努めても、それはますますぼくを絶望させ、気が遠くなりました。彼を殺そうと決意したのはまさにこの時です・・・・そうです!これが殺害の動機に違いありません!大変長らくお待たせいたしました!その小説は、こうはじまっていたのです。『イマイシンジは、軽いワキガだった』

小説らしきもの

執筆の狙い

作者 主夫
106154178071.wi-fi.kddi.com

狙いはとくにありません。                                                 

コメント

アン・カルネ
KD111239175031.au-net.ne.jp

ブラックだなあ、と思いました。
ちゃんと最後に見事に全部をひっくり返してきたなあ、という点では面白かったです。
きちんと『厭な物語』になってましたね。そこはお見事でした。主夫さん、意外と“鬼畜”だなあ(笑)。アキレス腱を切られた主人公に同情してしまったわ(笑)。

HC
p7606195-ipoefx.ipoe.ocn.ne.jp

 長い独白を文章の破綻なく書けているなと思いました。
 動機の結末までに持ってくるまでは長すぎなのではと思ってしまいました。

fj168.net112140023.thn.ne.jp

拝読しました。一部断崖の錯覚を彷彿させる表現もあり、文学的で面白かったです。二重人格者の話かと思ったら、違ってましたね。

浮離
KD111239116216.au-net.ne.jp

>狙いはとくにありません。

だから、こんな感じになるのだろうな。
というのが率直な、個人的な感想になります。

こういった形式、独白らしい“一人称“を装いながらその実、明かされない対話者への口述形式をとるいわゆる“二人称“だと思うんですけど、個人的にはこの手の形式を取るのはよほど“狙い“を持って意図された慎重な設計の上でなされないと、筆力のなさと書き手にばかり都合がいいだけの手抜き文章らしく見透かしたくなるものとして、感心させられるものに出会ったことはほぼない気がするというか、確率的にはほぼ100くらいに個人的には思ってます。

どうしてそんな酷いことがこ作品をつかまえて言えてしまうのかと言えば、

>そうです!これが殺害の動機に違いありません!大変長らくお待たせいたしました!その小説は、こうはじまっていたのです。『イマイシンジは、軽いワキガだった』

というオチに尽きるわけで、とはいえ勘違いして欲しくないのはこのオチが悪いと言いたいのではなくて、このオチに対してこの作品の紙幅は適切か? と考える上で単純に否と感じさせられるわけで、なおかつ先にお伝えさせてもらった“形式問題“という単純な印象から見通される書き手の“作為“という観察に然るべくすり替わる単純な“印象問題“ということに一読み手としてあたしの観察は何よりの根拠を見出したくさせらるわけなんです。

単純に、必要ですか? ということなんですよね。
こういったオチならそれに見合ったキレのある設計あってこその無責任譚として成り立つべき書き手の作為や観察を期待したいような気にさせられるのだし、

>狙いはとくにありません。

という申し開きにこそむしろ書き手の意図なり欲求なり、言い方は悪いんですけどこれは見た目に明らかなことだから腹を立てられても相手にする気もないんですけど、所詮腹の悪い言い憚れないだけの暗い魂胆を吐くためだけに必要な分量であったのだろうなあ、というある種の軽蔑に思い当たることなく読み進めることは当たり前の如く困難なことだったわけなんです。

書き筋として、全く感心も尊敬こそ思いつけないし、実際面白くもないです。


悪口を言っているのではなく、このお話の設計の悪さという話をしているだけなので、気を悪くするなら書き手の腹の悪さを指摘のままに白状することと変わらないはずと思いますし、あまりおすすめはしないです。


作品として不出来だと言っているのではなく、単純な設計の悪さかもしくは疑われがちな腹の悪い作為こそがみすみす腐らせているのではないのか、ということなんですね。
この作品を作品として清潔に適切に整えるために必要な条件は、必要な情報を精査して少なくとも現状の三分の一以下には切り詰められる真面目な作為、ということでしかない気がします。

もっと当たり前のことを言ってしまえば、オチももっと違うカタチになるはずだとか。
要するに、必要に正直な感情が機能していない気がするんですよね、この作品は。
多分ですけど。


あくまで個人の感想です。
気を悪くさせてしまったなら、上にお伝えさせていただいた通りです。

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