商店街シリーズ第3話《パンジロー》
パンジロー
一
≪パンジロー≫というのがドリーム商店街に新しく出来たパン屋さんの名前である。主人は秋山次郎、四十五歳だ。弟の三郎がこの商店街で魚屋をやっていて、貸店舗があると知らせてくれたのでここへ店を出すことにした。
次郎はパン職人ではない。パリのケーキ屋で修行を積んできたパティシエだ。だが、ケーキ屋よりはパン屋の方が、商売としてはうま味があると考えてパン屋の店を開く事にした。
店の名前についてはフランス語の名前をあれこれ考えて見たのだが、聞きなれない外国語の名前より、分かり易い、覚えられやすい名前の方がいいと思ったので、ちょっとダサいが、最終的にこの名前に決めた。
パンの種類は多い。人気のあるのはマヨネーズをたっぷり使って野菜やフルーツ、ベーコンなどと組み合わせたホットドッグ風の商品だ。ほかにはソーセージを使ったものや、サンドイッチもたくさんの種類がある。だが何より、彼の得意分野であるケーキをパン風に仕上げたものでほかの店との差別化を図ろうというのが彼の作戦だった。
スタッフは工房に斉藤純平と木平尚子、売り場には彼の妻を始め八人のスタッフがいる。
純平は三十五歳、真面目な男だが創意工夫に欠けたところがある。反対に尚子は常に新しい商品を考えてくれる。二人の対照的な職人がいるので次郎は助かっていた。尚子はまだ二十一歳。高校を出て三年目だが、モデルと言っても通用するような美人だ。工房にいるより、レジに立って客の相手をして貰えば、彼女目当てに買いに来るお客さんも多いと思うのだが、本人にはそんな気持ちは無く、パンを作っている方が余程楽しいらしい。
パン屋の朝は早い。次郎が五時に店に行くとすでに尚子が来ていた。
「お早う、早いね」
「お早うございます。はい、新しい商品を考えようと思うと朝しか出来ませんから」
「それで、今日はどんなものを作ったのかね」
「はい、シーズンのイチゴを使ったものを五種類ほど」
次郎は新作のパンについて、ああしろ、こうしろ、これは駄目だ、とは一切言わない。とりあえず売り場に並べて売れ行きを見ることにしていた。いいと思ったものが売れなかったり、予想していなかったものに、だんだん人気が出ることもある。最初は見た目で選ぶが、リピーターがつくのはむしろ見かけは地味な商品の場合が多い。
≪パンジロー≫は弟の魚屋とは五百メートルほど離れた場所にある。周囲にはユニフォーム屋さん、コインランドリー、歯医者、うどん屋さん、そして中華料理店などがある。そしてパン屋も次郎の店だけではない。すぐ斜め向かいにはジャルダンという古くからの店があり、少し離れた場所に、次郎の開店から少し遅れてポンパレモールという新しいパン屋も出来た。
一軒だったのが急に三軒にもなって大変だと思うかも知れないが、ドリーム商店街には素敵なパン屋さんが三軒も出来たと評判になって、わざわざ市内のあちこちや近くの町や村からも買いに来るという相乗効果によって三軒ともよく流行っていた。
二
開店から三か月ほど経って、ようやくスタッフ全員、仕事にも慣れてきたかと思った頃、とんでもない事件が起きた。
パンジローには店の前に向かい合って七台ずつ、合計十四台分の駐車場がある。朝と、お昼前の混雑時には満車になり、買い終わって出て行く車を道に並んで待っている車が何台も連なるときがあるが、お昼過ぎ、二時頃になると空いてきて二~三台だけしか停まっていない時もある。
そんなあるとき、工房でパン生地を練っていた次郎の耳にとんでもない雑音が聞こえてきた。
「ガチャーン、ドカーン、ギシギシ、ガタガタ‼ キャー‼」
表通りでタクシーとスポーツカーの衝突事故があり、跳ね飛ばされたタクシーが正面ガラス戸を破って店の中に飛び込んできたのである。店は道路から奥まった所にあるので、ここまで飛んできたという事はよほど激しくぶつかったようだ。
さいわい、空いている時間帯だったので怪我人は無く、タクシーの運転手が軽傷を負っただけだが、店の中は大混乱になった。すぐに店を閉め、商品は全部廃棄処分とするしかなかった。その後七日間は臨時休業として、突貫工事で修繕して八日目には部分的に営業再開したのだが入り口に近い部分だけは工事が続けられて、全面改修が終わったのは事故から二週間も過ぎてからになった。
大変な事故だったのだが、事件はそれで終わらなかった。
その騒ぎが収まって、二か月後、今度はどういうわけか夕方四時ごろ、八匹のサルの群れが突然店の中に乱入してきたのである。この近くには山は無い。一番近いところからでも五キロ以上は離れている。どうしてそうなったのかと専門家に聞くと、山にエサが少ないため、エサを求めて民家の畑などを探し回っているうちに、道に迷ってどんどん市街地に入り込んでしまったのではないか、そして次郎の店の前に来た時に、匂いに釣られて飛び込んできたのではないか、という事であった。
びっくりして逃げ惑うお客さんを尻目に、余程お腹が空いていたのかサルたちは手当たり次第にパンを食べ始めた。
警察や動物園関係者などを呼んで大捕り物になったが、またまた商品はすべて廃棄処分にせざるを得ないことになった。
「よりによって、なんでうちの店にばかり・・・俺、何か悪い事したのだろうか?」
「本当ね、三郎さんの勧めでここに店を出したけど、半年もたたないうちに、こんなことが二度も続くなんて・・・・・」
「でも仕方がないわ。社長、怪我人も無かったし、タクシー事故の方はお金も保険金で支払われるのだから、不幸中の幸いと考えたらいいんじゃないでしょうか?
明日からまた頑張りましょうよ」
と、尚子はいつも前向きだ。
三
サルの乱入事件のあと、店内を清掃と徹底消毒のため一日は休業したが、その翌日には営業を再開できた。事件を知ったお客さんが興味本位で集まって来たので普段にも増して店は忙しくなってきた。二度の大きな事件は新聞やテレビで大々的に報じられたので、いい宣伝になったようだ。
だが、またしても厄介な問題が起きた。
いつものように次郎が店に着くと尚子の様子がおかしい。
「社長、わたし今日、熱があるようなのです」
来店するお客さんには入り口で検温してから、入店してもらうことになっている。従業員も同じだ。計ってみると三十八度近くの熱があったそうだ。機械の調子がおかしいのかと思って何度も計りなおしたが何回計っても七度五分以下にはならない、という話だった。
「分かった。今日は休みなさい。今はコロナが流行っているから念のため、お医者さんに連絡して場合によってはPCR検査を受けた方がいいかも知れない」
「分かりました。でも私は毎日お店と自宅を往復しているだけですからコロナではないと思いますけど・・・・」
「うん、まあとにかく、今日は帰りなさい」
「分かりました」
と言って帰って行った。次郎としてはまさかコロナでは無いと思っていたのだが、お昼近くになって電話が掛かって来た。
「こんにちは、パンジローさんでいらっしゃいますか」
「はい。毎度ありがとうございます」
「いや、お客さんではないのですが、こちら福井市の保健所です。木平尚子さんというのはお宅の社員さんですね」
「はいそうですが木平が何か」
「はい、実は今朝、電話が掛かって来て、熱があると言われたので念のためPCR検査をしたところ先ほど結果が出まして、コロナウイルスの陽性反応が出たわけなんです」
「えっ、それは……、で、どうしたらいいのでしょうか?」
「はい。大変申し訳ありませんが今すぐ係員が参りますので、お店を閉めて頂いて、お店の方全員にPCR検査を受けて頂きたいのです。すでに木平さんのご家族には全員受けて頂いて、間もなく結果が出ることになっています。あと、お宅の社員の方も、全員濃厚接触者の可能性がありますので……」
「分かりました。それにしても・・・」
間もなく保健所から連絡を受けた医療機関の係員がやって来てスタッフ全員の唾液の採取が行われた。結果が出るまでに数時間かかるそうなので自宅に帰ってもいいが、外出を控え、なるべく家族とも接触しないようにという事と、仮に陰性であったとしても四~五日たってから陽性になる場合もあるので、最低一週間ぐらいはお店を休んでほしい、という話だった。
タクシーの事件と猿の乱入事件、それが終わったと思ったら今度は木平のコロナ感染、一体どうなっているのか、よくよく悪いものに取り付かれているのではないかと次郎は悩んだ。しかしとにかく、言われた通り店は休まなければならない。店の前には
・・・・・・・・・・・
《まことに申し訳ありませんが、このたびスタッフ一名のコロナウイルス感染が判明しました。つきましては六月三十日まで臨時休業とさせて頂きます。なお、六月十日以後にご来店になった方で、スタッフと濃厚接触があったと思われる方、または発熱、味覚障害などの自覚症状のある方は、速やかに、保健所に連絡して頂きますようお願い申し上げます》
・・・・・・・・・・・・
と、張り紙を出した。
四
さいわい木平尚子の家族からも、パンジローの他のスタッフの中からも感染者は出ず、尚子も軽症のままで間もなく陰性に転じた。尚子だけはさらに一週間自宅待機が続けられることになったが七月一日からは営業を再開した。しかし、店にはコロナ騒ぎを知らないお客さんが、午前中と午後にも十人ほどずつがパラパラと見えただけだった。
次郎にはこの店のある場所が、何か呪われた謂れのある場所ではないかと思ったので、前から住んでいる隣の歯医者さんに聞いてみることにした。
「こんにちは。お隣のパンジローの秋山です。お騒がせして申し訳ありません。実はちょっと先生にお尋ねしたいことがありまして、お時間の空いているときにお話を聞いていただけませんでしょうか」
と、その声が聞こえたようで、待合室まで出て来ると、
「いや、この度は大変でしたね。それにしてもお宅は次から次と難題が降りかかってきているようで・・・何でしょう、いまはちょっと時間が取れませんが、ゆっくりお話ししようと思うとお昼過ぎ一時ぐらいになりますが・・・・」
「はい、実は、余りにも次から次と厄介なことが続くのは、なにかこの土地に問題があるのではないかと思いまして・・・この場所の、前のテナントさんやその前に借りていた人の噂などをお聞きしたかったものですから・・・」
「分かりました。では十二時五十分ごろから三十分ほど空けておきますので・・・・よろしいでしょうか」
「ありがとうございます。ではその頃に参りますので、よろしくお願いします」
と言って、一旦帰り、コーヒーとパンを一口齧っただけの昼食を済ませて歯科医院の控えの部屋に入った。
出てきた先生は
「私からは営業妨害になるかと思ったので今まで黙っていたのですが、実はお宅の前の入居者が有川タクシーの配車センターだったのはご存じですね」
「はい。確か一年足らずで出て行かれたと聞いていますが……」
「実はここで客を乗せた運転手がしばらく走ると、乗せたはずのお客さんが消えてしまったという運転手がいたんですよ。それも一人ではなくて、何人もの運転手が同じような体験をしたという事で気味が悪いと言って出て行かれたようなんですよ」
「で、その前にも何軒かの店がここで店を開いて商売をしていましたけど、皆さん長続きはしなかったようで、その理由は私にも分かりませんので大家さんに聞かれたら如何でしょうか?」
「分かりました。ありがとうございます」
五
次郎としても、こんな話を聞くまでは、そして自分の店が次々と災難に見舞われるまでは、たまたま、不幸が重なっただけだろうと思っていたのだが、やはりなにか訳がありそうだと感じたので地主の斉藤家を訪ねた。すると、どうやら次郎の訪問の目的を察していたのであろう、斉藤家の当主は自分から話し始めた。斉藤家は昔からこのあたりに広大な土地を持っている大地主だ。ドリーム商店街で貸店舗と言えば半分近くが斉藤家の所有している土地に建っていた。
「戦前の話になりますが近くに大きな紡績工場があって、その女工さんの寮がちょうど今のお宅の場所辺りにあったらしいのですよ。まだ私の生まれる前の話で、親から聞いただけですが、戦争で各地にアメリカ軍のB-29が爆弾を落とし始めた頃ですから、女工さんたちも、ほとんどの人は田舎の実家へ避難したらしいのですが、中には避難するところも無く寮に留まっていたところで福井空襲となって、防空壕に逃げ込んだけれども、そこを狙って爆弾が落とされたものですから、四十人ほどいた女工さんたちは全員亡くなったという悲しい話なんですよ。
ですから私はその場所だけは誰にも貸さず、空き地のまま、子供たちの遊び場となっていたのですが、商店街が賑やかになって来て、そこだけが空き地として残されてしまったものですから、次々といろんな人がやって来て、私はそういう場所だからと言ってお断りしていたのですが、そんなことは全く気にしないのでどうか貸してくれと言われたので、昭和五十八年ごろに全国チェーンの洋服屋さんに貸したのが最初なんです。
ところが二年もしないうちに火事で焼けてしまって、また、元の空き地になってしまって・・・そのあと、今度も全国チェーンの「トマト屋」という雑貨屋さんが新店舗を建てると言って、その時も一旦はお断りしたのですが、どうしてもというので貸したら、また二年後にご承知のように倒産してしまったのですよ。 で、その後も二~三の業者が出入りしていましたが、建物はそのまま残ったので間に入った不動産屋さんがそれを有川タクシーに貸したところ・・・」
「あっ、その後のことは聞いています。・・・そうですか? よく分かりました。
ではどうですか、これはやはり何か、亡くなった女工さんたちの霊を慰めるための法要を営んで、その後に慰霊碑を建てるなどさせて頂きたいと思うのですが、駐車場の一画に慰霊碑を建てることをお許しいただけないでしょうか?」
「そうですか、いやそれは素晴らしいことだと思います。本来は、それは私がやらなければならない事だったのでしょうが、気がつかずにすみませんでした。それなら、どうかその費用だけでもぜひ、私に出させては頂けませんでしょうか?」
次郎はようやく、もやもやしていたものが取れ、肩の荷が降りた気がした。すぐに石工が呼ばれ、慰霊碑の工事が始まった。法要は女工さんたちの命日でもある福井市の空襲のあった日、つまり七月十九日と決まった。急いでやれば法要に引き続き、石碑の除幕式を行うことが出来るかもしれない。
次の日、次郎は弟の経営する秋山鮮魚店を訪ねた。
「三郎、お前が勧めたからあそこに店を出したんやけど、ひどい目に逢うたぞ。あそこがどういう場所だったのか分かっているのか?」
「いや、兄貴、俺はただ、あんないい場所は、なかなか無いと思ったから不動産屋に手を打ってすぐに兄貴に言うたんやが、なんか次々に悪いことが起きたんで、どうなったんかと思って……」
次郎が地主や歯医者から聞いた話をすると
「そうか、それは知らんかった。悪かった。そやけど、それならそうで、こんな話は商店街の人みんなに知って貰わなあかんのとちゃうやろか?
俺がとりあえずパンダギフトの社長や甚之助カフェのマスターに話してみるわ。法要や除幕式にはやっぱり商店街の人にも出来るだけようけ参加して貰ろた方がいいんやないかのぅ」
「うん、そうやのう」
六
と言って三郎が向かいの二人の店主に話してみると、甚之助カフェのお客さんから話が広まって、たちまち商店街のほとんどの人に知られることになった。
誰もがこの場所でそんな悲惨な出来事があった事など知らなかったようだ。斉藤氏もまだ若い。親から聞いていた話をそのまま話しただけだが、この町の繁栄の陰にそんな悲しい歴史があったことを知って、是非これは後世に伝えなければいけないと町中の人が考えた。
そして当日、近くの寺からお坊さんを呼んでお経をあげてもらい、除幕式を行ったのだが、地主の斉藤氏としては集まった人たちに手ぶらで帰って貰うわけにはいかないので、その後引き続き、秋山鮮魚店で一席設けて集まった人たちをねぎらうことになった。
コロナウイルスが大流行している。秋山鮮魚店では宴会はすべて断っていたのだがこれだけは断ることは出来ない。業者を呼んで、大量のアクリル板で一人ひとりの席を完全に遮断して対応した。宴席のいちばんの主役はもちろん、ようやくヨチヨチ歩きの出来るようになった、秋山三郎と泰子の長男の秀喜だ。自分の役割をちゃんと理解しているのか、一人ひとりの席を順番に巡り、愛想を振りまく姿に大盛り上がりだった。三郎は兄の次郎にさえ、秀喜が捨て子だったなどとは話していない。
「奥さん、やりましたねえ、こんなかわいい子をどうやってお作りになったのか是非秘訣を教えてもらいたいものですね」
「いや、それはだなぁ、この店のおやじさんのようにお母ちゃんを愛して愛して、愛しなければいけないんだよ、何なら俺が代わってじきじきおめえの母ちゃんを愛してやろうか?」
「ケッ、なんでおめえなんかに、うちの大事な大事な母ちゃんを……」
「あらあら、お恥ずかしいんですけど、秘訣も何もなくて……ただ、果報は寝て待てというじゃないですか? 奥様とは週に何回ぐらいアレをなさっているのですか?」
「あっ、そうか? アレをなさらなければ赤ちゃんは産まれないのか? それはうっかり……気がつかなかったよ」
・・・・・・・・・・・
と、だいぶ、場が乱れてきたので、そろそろ、頃合いかと思い、
「皆さん、宴たけなわではございますが、だいぶ時間も過ぎて参りましたので、この辺で中締めという事で」
と、次郎がドリーム商店街一番の長老である、中華料理店店主の岡田を指名してお開きとなった。お土産として一人ひとりにパンダギフトの包みが用意されていた。
もう、パンジローの先行きに全くの不安は無くなった。コロナの終息にはまだちょっと時間はかかるかも知れないが、これからは女工さんたちも安らかに眠ってくれるであろう。そしてドリーム商店街全体としても、今まで以上に発展を続けるであろうと、確信を持てるようになった。
執筆の狙い
コロナの流行が始まった最初の頃に書いたものです。書いたときは、自分では、まあまあの出来だと思っていても、後になって読み返してみると、下手くそだなぁ、とがっかりすることがあります。これはその中では、比較的、マシな方かな? と思っています。
前の2作の続きのようなものですから、「ヘボ将棋」と「魚屋の女房」をお読みいただいていない方には、ちょっと分かりづらいところがあるかも知れません。
よろしくご指導下さいますようお願いします。