夢の傷跡
東京五輪、高度経済成長、ビートルズの来日。よど号、浅間山荘、三島の自決。
狂った光に満ちあふれた時代だった。誰もが恍惚(こうこつ)として生きていたような気がする。私自身、大切なものを見失っていたような気がする。
私の両親は、豊かなら人は幸せであり、人の価値は学歴で決まると信じていた。だから、先々私の首にぶら下がる「値札」のことばかり気にしていた。
私は親の望む大学へ進学するため、高校生活の全てを受験についやした。女子との恋愛なんて夢のまた夢だったし、男子の友達さえ一人もいなかったのだ。
東京の大学に進学し、緑につつまれたキャンパスを歩いていると、「新入生の方ですか?」と女性に声を掛けられた。
小百合は三年生で、溌剌とした若さに満ちあふれていた。
恋愛経験のない私は、自分にも青春がやって来たと思わずにはいられなかった。
私は小百合たちに誘われるまま、学生集会や反戦デモに参加するようになった。
左翼思想に傾倒していたわけじゃないが、守るべきものは確かにあった。同志たちは、そのためにベトナム戦争に反対し、安保闘争を繰り広げていると思っていた。
しかし今思えば、当時の若者を突き動かしていたのは、救いようのない虚しさだったような気がする。
私は講義にも出ず、大学から歩いてすぐの所にあるアジトにいつも篭(こも)っていた。アジトとは、神田川沿いにある借家の二階の六畳間のことだ。
古びた木造家屋の前には舗装された道路が通っていたが、当時は車も少なく、その界隈は情緒をたたえる下町だった。
アジトで「革命戦士」らがしていたことは、闘争の準備と言いたいところだが、昼間は麻雀と煙草、夜はスルメと熱かんなんてことも珍しくなかった。
同志たちは酒が入ると、革命にはゲバルト(暴力)が必要なんだと熱く語った。私は自分の思いをひた隠し、うんうんといつも相槌を打っていた。
同志たちは酔っ払うと、プロレタリアートを鼓舞する古典『同志は倒れぬ』を合唱することもあった。
私はブルジョアに復讐を誓うその歌詞が嫌いだったが、悲壮なメロディーだけはいつも心に響いた。
私は一人で神田川の土手をよく散歩していたが、幹部の連中が顔を出すときだけは率先して議論に加わった。幹部と一緒に訪れる小百合に、いいところを見せたかったのだ。
大学二年の秋の日のことである。
小百合と幹部たちが正午すぎにアジトに現れると、私は食料の調達を先輩の同志から頼まれた。
私が買い出しに出掛けると、小百合が「一人じゃ大変でしょ」と言ってついてきてくれた。
食料はいつも近所の八百屋で調達していた。大型店舗の脅威にさらされていた八百屋の店主は、学生運動を影で応援してくれていたのだ。
八百屋に着くと、小百合は自分の財布から小銭を出して、棒のついた飴玉を買った。
革命家が飴玉?
「それも必要なんですか?」と聞くと、彼女は「これは違うのよ」と言って笑った。
食料をリュックサックに詰めて川沿いの道を歩いていると、小百合が、「ちょっと休憩しない? たまには息抜きも必要よ」と言った。
私は胸が高鳴った。それは私が待ち望んでいた瞬間だったのだ。
二人で土手に腰を下ろして景色を眺めていると、小百合は黒髪を風になびかせながら、「紅葉が綺麗ね」と声をもらした。
「でも神田川はどんどん破壊されています。大切なものが失われているのに、世間はへっちゃらなんです」
彼女が強引な開発に反対していることを知っていたから、そう言って見せたのだ。
「真剣なんだね。高橋君は」
小百合は私を見つめた。その凜とした表情に私は一瞬たじろぎ、うまく運びすぎる展開に戸惑った。
と、そのとき、カランコロンという下駄の音が響き、「お姉ちゃん!」と女の子の声が聞こえた。
振り向くと、みすぼらしい格好をした女の子と一匹の野良猫が走ってくる姿が見えた。
女の子は私たちのそばに駆け寄ると、嬉しそうに小百合の顔を見上げた。
「かよちゃん。元気?」
「うん!」
「タマは?」
「タマも元気!」
「これ、かよちゃんに買ってきたから」
「やったー!」
小百合から飴玉をもらった女の子は満面の笑みを浮かべた。
「このおじちゃん、誰?」
「お姉さんの友達よ」
小百合は「お姉ちゃん」で、私は「おじちゃん」だった。
かよちゃんのことを小百合に聞くと、「この近くに住んでいるの。いつも一人ぼっちだから、たまに遊んであげているの」と教えてくれた。
その年の冬、私は多くの同志たちと共にある学生集会に参加した。その集会には有名な作家が招かれていた。
社会主義に夢を馳せる学生たちは、皇国を愛するその作家を敵視し、論破して壇上で切腹させると気炎をあげていた。
作家はそれを承知のうえで、千人を超す学生が待ち受けるなか、単身で会場に乗り込んできたのだ。
彼は天皇制や自衛隊について持論を展開し、全共闘のリーダーが反論しても、不敵な笑みを浮かべて紫煙をくゆらせていた。
討論は白熱したが、私は何も頭に入らなかった。当然のことだ。隣にいる小百合の横顔だけを見ていたのだから。
私はペンの後ろで彼女の二の腕をついた。
「小百合さん。今度映画でも行きませんか?」
「聡(さとし)君。真面目に聞かなきゃだめよ」
その頃にはもう、彼女は私を下の名で呼ぶようになっていた。
「小百合さんって化粧しないの?」
「ばーか」
「紅を引くって言葉を知ってますか? 紅を引いた小百合さんを見てみたいな」
「革命に化粧は必要ないの」
「なら映画はいいですか?」
「大事な訓練があるから、だーめ」
「その後ならいいですか?」
彼女はついに笑みをこぼした。
最後に作家が言った。
「私は君たちを認めない。君たちとは敵同士だ。しかし、君たちが闘っているということだけは認めよう」
学生たちは闘ってなどいなかった。遊んでいただけだ。でも小百合は違った。彼女はある過激な分派の訓練に参加したのだ。
そのメンバーは後に社会を震撼させる大事件を起こし、その直後に彼女は消えた。彼女はその事件に関与しており、公安の追跡をかわすために潜伏したとの噂もあった。
私は何人かの同志に聞いてみたが、消息を知る者は誰一人いなかった。同志たちは公安のスパイ活動を警戒し、情報共有には極めて慎重だった。安易に情報を漏らせば、自分の身に危険が及ぶことさえあったのだ。
小百合がいなくなると、私はだんだんと無気力になり、学生運動も面倒になっていった。
やがて私は役立たずとみなされ、時間を持て余すようになった。
私はそれを良いことに、神田川を眺めながら無為な日々を送っていたのだ。
真っ昼間に二階の窓から顔を出して煙草を吹かしていると、近所の交番の若い巡査が、自転車で通り過ぎることがあった。
お疲れ様と上から声を掛けると、彼は顔を上げて、「こんちわ!」といつも挨拶をしてくれた。
颯爽(さっそう)と自転車をこぐその姿は、数少ない美しい思い出の一つだ。
その頃にはもう私の相手をしてくれる人間は、その巡査とかよちゃんくらいだった。
窓から顔を出して煙草を吹かしていると、かよちゃんはいつも、「おじちゃん!」と言って手を振ってくれた。
彼女はいつも下駄をはいていたから、借家の前を通ればすぐに分かった。カランコロンという音が響いて来れば、「はーるよこい。はーやくこい」と唄声が聞こえた。
彼女が通るたびに二階の窓から声を掛けた。
「かよちゃん。今日は学校でなにをしたの?」
「そろばん!」
「そろばんができるんだ! すごいね」
「さんたすさんは、えっと……ろく!」
「すごい!」
彼女は満面の笑みを浮かべた。
「おじちゃん! お姉ちゃんは、いつ帰ってくるの?」
「たぶん、もうすぐ帰ってくるから」
「わかった!」
「車に気をつけて帰るんだよ」
「うん!」
彼女は手をふりながらタマと一緒に帰っていった。
タマは彼女に追いつくとその場でとまり、彼女が振り向くのを待っていた。
彼女が歩き続ければ、タマは又追いついてはそこで止まった。
彼女が振り向いて両手を広げると、タマは彼女に駆けより膝に飛び乗った。
彼女はタマを抱きしめて頬ずりをしていた。タマさえいれば幸せなのだ。
神田川の桜が散るころ、また彼女に声を掛けた。
「かよちゃん。今日は学校でなにをしたの?」
「習字!」
「習字もできるんだ! すごいね」
「おじちゃん! お姉ちゃん、帰ってきた?」
「それが、まだなんだ。でも、もうすぐ帰ってくるから」
「あたし、お姉ちゃんと遊びたい!」
かよちゃんは、神田川の土手で小百合に遊んでもらったことがあったのだ。
「なら、お姉ちゃんが帰ってくるまで、おじちゃんが遊んであげる」
「なにして?」
「じゃあ……明日、そこの川原を散歩しよう」
「そんなのつまんない!」
「なら、なにがいいの?」
「戦争ごっこ!」
翌日、角材を二本持って神田川の川原で待っていると、「おじちゃん!」という声が聞こえ、振り向くと、土手を駆け降りてくる彼女とタマの姿が見えた。
「危ないよ!」と叫んだ矢先に彼女はころんでしまった。
「かよちゃん! 大丈夫!」
駆け寄って抱き起すと、彼女は私の腕の中で泣いた。痛い痛いと泣いた。すりむけた膝(ひざ)に血がにじんでいた。タマは心配そうにうろうろとしていた。
「かよちゃん。今日はおうちに帰ろうね」
彼女は泣きながら首を横にふった。
「でも、帰って傷の手当てをしないと」
「お母さんが、夕方まで帰っちゃだめって」
「どうして?」
「わかんない」
「じゃあ、また転ぶといけないから、今日は隠れん坊をしよう」
「うん!」
当時の神田川はまだ整備が行き届いてなくて、川原には草木が生い茂り、大きな岩なども転がっていた。川沿いの道路には車が走っていたが、川原に降りれば、水鳥の鳴き声と川のせせらぎしか聞こえなかった。
私が、「もーいーかい」と声をあげると、草むらの中から、「もーいーよ」と声が聞こえた。
いくら隠れてもタマのしっぽが見えているのだ。
私は、「どこにいるのかなぁ」をくり返した後に、「ここだ!」と言って草むらの中をのぞき込んだ。
彼女が笑いながら草むらから飛び出すと、今度は鬼ごっこが始まった。彼女を追っかける私をタマが追っかけるという珍妙な鬼ごっこだった。
「かよちゃん。いっぱい遊んだから、そろそろ帰ろうね」
「もっと遊ぶ!」
「明日は戦争ごっこをしてあげるから」
かよちゃんの家は、アジトから歩いてすぐのところにあった。川沿いにぽつんと建つ平屋のバラックが彼女の家だったのだ。
なぜ子供が夕方まで帰ってはいけないのか、不思議でならなかった私は、彼女を引き戸の前まで送りとどけると、遠くからその様子をうかがった。
彼女が母親を呼んでも引き戸は開かず、五分が過ぎ十分が過ぎた。
しばらくするとバラックの裏口から、背広を着た中年の男が出てきた。彼は肌けたワイシャツのボタンをとめると、周囲を見渡してからその場を後にした。
すると、かよちゃんを叱る母親の声が聞こえた。
「夕方まで帰らないでねって言ったじゃない。あら大変。どうしたの? その傷」
「戦争ごっこ、しようとしたら……」
「戦争ごっこ? 仲間に入れてもらえたのね」
着物姿の母親が、娘を抱きしめて泣いていた。
翌日は新たな戦術のことで議論が白熱し、川原に向かったときにはもう夕暮れが近かった。
二本の角材を持って土手を降りて行くと、うずくまって泣いているかよちゃんの姿が見えた。
「ごめんね。遅くなって」
すると彼女は大声で泣き始めた。彼女はタマを抱いていた。タマは目を閉じていた。彼女が抱きしめても、泣き叫んでも、タマはぴくりとも動かなかった。
「タマ、どうしたの?」
「車が……」
川原には冷たい風が吹きすさび、白い桜が雪のごとく散っていた。
私は角材を使って桜の木の根元に穴をほると、タマを抱きしめて泣く彼女を説得し、その亡骸を穴の底にねかせた。
土をもどす彼女の瞳からは、とめどもなく涙がこぼれ落ちていた。
それからしばらくすると、かよちゃんは急に姿を見せなくなった。彼女の家を見に行くと、平屋のバラックは跡形もなく消えており、その辺りの土地は綺麗に整地されていた。
その数日後、幹部の連中がアジトにやってきて、同志たちに大胆な計画の実行を指示をした。交番を襲撃し、拳銃を奪えというのだ。それは私に挨拶をしてくれる巡査がいる交番だった。
あの純朴そうな青年を、鉄パイプで滅多打ちにするのかと思うとぞっとした。
結局その計画は、他の闘争が持ち上がったことで実行はされなかったが、もう私は革命ごっこに嫌気が差していたのだ。
もともと学生運動に熱意があるわけじゃないし、学生を続ける気も失せた。
小百合のことが心残りではあったが、彼女とは目指すものが違うと諦めた。
私は学生課の窓口に退学届をおくと、その足で上野駅に向かったのだ。
今年の春先に同窓会の案内が届き、四十年ぶりにその地に戻った。
宴会場は大学のそばの料亭の大広間だった。
私はその末席から、座敷に現れる顔ぶれに注目していた。小百合との再会だけを楽しみにしていたが、彼女が現れることはなかった。
宴は昼食を兼ねて正午から始まった。
乾杯をしてビールでのどを潤すと、思い出話に花が咲いた。
相変わらず話題はブルジョア批判やあの作家の悪口で、カラオケは『同志は倒れぬ』ときたから、他の客が聞いたらさぞ驚いたことだろう。
私は小百合のことを当時あまり喋ったことのない連中にまで酒をつぎながら聞いてまわった。しかし消息を知る者はやはり一人もいなかった。
自分の座椅子にもどって手酌で飲んでいると、白髪の男性が私に酒をついだ。
「小百合さんのことを知りたいのですか?」
全く知らない人物だった。
「初対面ですよね?」
「こちらの方々とは共に闘ったことがあるから、今日は呼んでもらえたのです」
「なぜ彼女のことを?」
「小百合さんが例の訓練に参加していたからです」
「あなたも参加していたのですね……」
私は報道の範囲でしかそのことを知らなかったし、警察は関係者の身の安全を確保するため、事件の詳細をマスコミに伝えてはいなかったのだ。
そもそも彼の話は報道できる内容ではなく、その実態は凄惨を極めた。
「山岳ベースでの生活は過酷でした。食事は粗末で寝床は寒く、誰もが睡眠不足でした。女性も十人ほど参加していましたが、小百合さんは輝いていましたよ」
「彼女は有能でした」
「いや、そういう意味ではなく、女として輝いていたと言ったのです。要するに美人ですよ。
最高幹部の男は革命家の子孫を残すべきだとか言って、小百合さんに肉体関係を迫ったのです。でも彼女は拒否しました。あの男はそれを怨んでいましたね。
もう一人の最高幹部だった女は、女性の美しさは反革命的だと主張し、小百合さんのことを影でプチブル(小市民)と呼んでいました。
ある日の夕食後のことです。あの女は突然小百合さんの荷物を検査しろと同志たちに命じました。すると、リュックの内ポケットから口紅が見つかったのです」
「口紅が……」
私には心当たりがあったのだ。
「そうです。理由は分かりませんが、小百合さんは高価な口紅を持っていました。
女が理由を問うと、小百合さんは変装用だと答えました。しかし女は、交際相手を言わせようとしたのです。でも小百合さんは何も答えませんでした。
すると女は、『このプチブルめ!』と怒鳴り散らし、精神が腐っているから総括をやれと同志たちに命じたのです。
それは酷いリンチでした。小百合さんの顔はドッジボールのように腫れあがり、さらに木の棒で彼女の局部まで。
助ける勇気が、闘う勇気が私にはなかった。そればかりか私は……」
涙をこぼす彼に、「あなたは何をしたのだ?」と聞く気にはなれなかった。私に彼を責める資格など微塵も無いのだから。
「それで、彼女はどうなったのですか?」
「小百合さんは針金で木に縛られ、雪の降る屋外に放置されました。しかし夜中に脱出し、登山客に保護されたのです」
「なら生きているのですね!」と私が声をあげると、彼はうつむいて黙り込んだ。
もう一度、「生きているのですね?」と確かめると、彼は重い口を開いた。
「総括を主導した連中が全員逮捕され、学生運動が収束すると、私は小百合さんの実家を訪ねました。彼女の兄とは大学の同窓生で、仲の良い同志でもあったのです。
私は彼に全てを話し、玄関の軒先に手をついて謝りました。すると彼は、小百合さんが人里離れた施設で療養していることを教えてくれました。
私は許しを得て施設を訪ねました。小百合さんはトラウマに悩まされていると聞いたので、身分を隠して、ひっそりと訪れたのです。
その施設は山の中腹辺りに建っており、花壇のある広場からは遠くの山々を一望することができました。
彼女は広場の片隅にあるベンチに座り、ぼんやりと景色を眺めていました。黒髪がそよ風になびき、紅の引かれた唇が綺麗だった。あんな美しい女性を見たことがない。
それからも私は施設に足を運び続けました。面前で話ができる日が、いつか来ると信じていたからです。
しかし、それは叶わぬ夢となってしまいました。
最後に彼女を見たのは秋の日の夕暮れでした。
夕日を見つめるその横顔を、今も鮮明に憶えています。
彼女はその秋が過ぎる頃、二十七歳の若さで生涯を終えました。
その日の朝も口紅を引き、それから首を吊ったのだと聞いています」
私はただじっと天井を見つめた。
しばらくすると同志たちの声が聞こえた。
「過ぎ去りし青春さ」
「懐かしいなぁ」
「夢だったのさ」
「宴たけなわではございますが、そろそろお開きに。最後は一本締めで」
拍手が鳴り響いた後も、同志たちの昔話は尽きなかった。
白髪の男性は、「じゃあ、私はこれで」と言って静かに宴会場を去っていった。私も幹事に挨拶をしてからその場を後にした。
私は久しぶりに神田川の土手を歩いてみることにした。
土手に着くと椿が咲乱れていて、枝垂桜が川面(かわも)にふれんばかりだった。
アジトだった借家は跡形もなく消えており、根元にタマが眠る桜の木もなくなっていた。
私は水道橋を経て隅田川まで歩き、橋を渡って元の場所まで戻ってきた。
川沿いはどこも綺麗に整備され、古い景色は全て消えていたが、神田川のせせらぎだけが当時の面影をしのばせていた。
終わり
ちはやぶる 神田川こそかなしけれ いくよふるともしづまぬ玉の
あの神田川ほど悲しいものはない。何年たったとて、鎮められない魂が、沈まぬ玉のようにたゆたっているのだ。
『慕尼黑歌集』より
執筆の狙い
どうしても納得のいかないところがあったので、また推敲しました。
約7600字です。
よろしくお願いします。