胃の中の蛙
海を見に来た。
判で押したような毎日の中で、ここだけが俺の気持ちを楽にしてくれる。
子供の頃からずっと大人には
「絶対に海には近づくな」
と、飽きる程に言われ続けていた。
そして高校生の頃に、よくある大人への単純な反抗心に支配されて近づいた海は聞いていた通りに酸に満ちていた。
でもそれがどこか美しくて、不思議と吸い寄せられるようだった。
何もかもを溶かし尽くしそうな海を見ていると、自分の存在や反抗心なんてなんてちっぽけなものに感じてしまって、その時からつまらない反抗もやめるようになった。
砂浜に着くと、いつものようにリルがいた。
「アシド、今日も大学サボったの?」
「あんなつまらない所に行くのなんて最低限でいいんだ」
リルのお決まりの問いかけに、そう答える。
「リルこそ、今日もずっとここにいたのかよ」
リルと出会ったのは初めて海を見た時。
砂浜に腰かけながら、俺を魅了した海を時間を忘れてずっと見ていた。
そんな時だった。
「あなた、こんな所で何をしているの?」
「分かるだろ。海を見てるんだ」
「もしかして、海には近づくなって言われてるの知らないの?」
「キミみたいな高校生がこんな所にいたら、危ないよ」
「お前、何なんだよ」
背後から聞こえた声に、また自分を叱りつけるような下らない大人に、何か言い返してやろうと思って弾みをつけて振り返った。
でもそこにいたのは、人形と見間違う程に美しい|女性《ヒト》だった。
俺よりも少し低い背丈で、絹のようになめらかな青いロングヘアーを携えて俺を見つめていた。
どこか、人間離れしたその雰囲気に圧倒された。
「あのさ、そんなに私のこと見つめてどうしたの?」
「もしかして私に一目惚れしちゃったりとかして?」
「そ、そんなわけないだろ」
意地の悪い笑みを浮かべる彼女に、俺はなんとかそんなぎこちない返答を返すことしかできなかった。
「人に海は危ないとか言うけど、お前はどうなんだ? なんで海にいるんだよ」
「お前じゃなくて、リル」
「は?」
「リル、私の名前。あなたは?」
「アシド。そんなことより、結局どうしてここにいるんだ」
彼女はゆっくりと目を閉じて、しばらく黙っていた。
漂う気まずい雰囲気に耐えられなくて、何か言おうと口を開こうとしたその時だった。
「わたしね、海に憧れてるの。小さな頃に読んだ絵本に描いていた、青い海が忘れられなくて」
少しうつむいて、恥ずかしそうに微笑みながら彼女はそう言った。
「全然青くもないこんな海だけど、見つめていたらいつか青い海になるんじゃないかって。降る雨も、あんな酸の雨じゃなくなるんじゃないかなって期待してるんだ」
「高校生にもなってこんなこと考えてるのは子供っぽい、ってよく笑われるんだけどね」
正直な所、結構驚いた。
まず彼女が自分と同じ高校生だということにも、そしてこんなことを口にしたことにも。
大人っぽい彼女とは真逆の言葉だったから。
「そんなことないさ。俺だって――」
俺だって、小さな頃は同じように憧れていた。
青い空に。
でも小学生、中学生、そして高校生と、大人へと近づくにつれて、そんなことは頭の中から消えていって、忘れ去ってしまっていた。
いや、むしろ自分で自分に蓋をして、そんなことを考えているほど俺はもう子供じゃないんだと意地を張ろうとしていたのかもしれない。
「俺だって、青い空に憧れてるよ」
彼女のどこまでも素直な目に見つめられて、自然とそう言った。
「あなたも、意外と子供っぽいのね」
そう言って彼女はくしゃりと笑って、それがなんだか気恥ずかしくて、俺も笑った。
ポツリ、ポツリと酸の雨が降り始めた。
雨が降ったときには外に出てはいけない、そう言い聞かせられて育った俺には初めて見る本当の雨だった。
「傘、持ってるよね? 差さなきゃ、危ないよ」
「持ってない。なんなら、外で雨を見るのも初めてだ」
「傘がないのに海に来たの? 自殺願望なんかでもある人じゃなきゃ、そんなことしないよ。わたしの傘大きいから、入れてあげる」
そう言って彼女は俺の隣に立った。
しばらく、雨でジュージューと周りの物が溶けるのを見ていた。
初めて見た雨は、理不尽に全てを溶かしていて、まるで最初からこの世界になかったものにされるような気がして、リルの傘がなければ自分もこうなっていたと思うと恐怖すら感じた。
「この世界って、何なんだろう」
「まるで人間って存在をなかったことにしようとしてるみたいなこの雨と海。神様はどうしてこんな残酷な世界を作ったんだろうね」
彼女の横顔は、どこか寂しそうだった。
「ねえ、聞いてるの?」
「うおっ、そんなに顔近づけて喋らないでくれよ。お前、顔だけはとてつもなく良いんだから。びっくりするだろ」
「はぁ? 顔も、性格も、でしょ?」
「そんなことより、私の話も聞かずに上の空でなに考えてたの?」
素直に言うのも何だか気恥ずかしくて、少しおどけることにした。
「リルと初めてここで会った時のことだよ。今と比べると、すごく静かだった頃のね」
「アシドだって、今よりかっこつけだったじゃない」
「お互いに、面の皮が剥がれたみたいだな」
「そりゃそうよ。だってもう何年も一緒にいるんだもの」
「たしかに、そうかもな」
――ズバーン
沖の方で、大きな水柱が上がったのが見えた。
「アシド、何あれ」
「わからないけど、あんなのは今までに見たこともない」
水柱は衰えることなく、むしろ大きくなり続けて俺たちの方へ近づいてくる。
「リル、逃げろ! 巻き込まれちまう!」
リルの右手を引いて必死に水柱から逃げる。
大学生になってしばらく運動もしていなかった体は突然の酷使に悲鳴を上げているだろうが、そんなことを気にする暇もなく走り続ける。
それでも水柱との距離は縮まるばかりで。
水柱はとんでもない速度で背後から無情に迫って来て、とうとう俺たちはそれに飲み込まれてしまった。
「リル!」
「アシド!」
喉が枯れるほどの大声で互いの名前を叫ぶ。
掴んでいたはずの手はいつの間にか離れてしまっていて、どんなに手を伸ばしてももう届かない。
俺は、こんな所で終わってしまうんだろうか。
そんなことを思いながら水柱の勢いと共に打ち上げられ続けて、自分と言う存在が全て溶けてしまうような今までにない痛みを全身に感じながら、ついに俺は意識を手放した。
執筆の狙い
高校生という若輩者ですが初めて小説を書きます。
20万字くらいの長編を描きたいと思っていて、これはそのプロローグとして書いたものです。
すごく大まかにいうと、ファンタジーな冒険物語にしていくつもりです。
そのプロローグとして、読む人を惹き付けるような文章が書けているか教えていただきたいです。
何か質問があれば聞いてください。
評価よろしくお願いします。