明かりなんていらねえ
今から百年前、スリランカ南部のボガラ鉱山の朝は真っ黒い男たちで賑わっていた。
ボガラ鉱山は黒鉛を産出している。黒鉛は鉛筆の芯になるあの真っ黒い物質だ。
男たちの顔は目だけが異様に白い。
「今日もしっかり頼むぞ!」
まとめ役の男が声をかけながら、鉱山の中で灯すランプを渡している。
このランプは水牛の乳から作るバターが燃えているだけで、強い明かりではない。
このランプはふたりに一個。
ゴビがランプを受け取る。ゴビと組むのはダル。ふたりとも三十歳くらいだ。
ゴビは背が高く、豹のように肩甲骨が盛り上がっている。
ダルは猪。ずんぐりとしているが力強い。
ふたりとも、黒く汚れているがところどころ青色が残る腰巻を巻いている。
上半身は裸だ。
ゴビは肩にツルハシを載せ、右手にはランプを下げて歩く。
ダルはスコップを入れた車を押している。車の車輪は木製で、ゴトゴトと音が響く。
鉱脈は横に伸びている。幸い坑道の傾斜はゆるやかだ。
入り口から二百メートルまでは坑道の壁にランプがかけてあるが、それから先はゴビが持っているランプの明かりが頼りだ。
指示された奥の切り場に到着すると、ゴビは持ってきたランプを邪魔にならない場所に置いた。
ランプの明かりがまあるく辺りを照らす。
ゴビとダルは最低でも一日に十回、鉱石を切り場から集石場まで運ばなければならない
切り場から集石場までは三百メートルはある。
この距離を石を満杯にした車を押さなければならない。
十回運ばなければ、歩合が下がる。つまりもらう金が少ないのだ。
早速、ゴビがツルハシを振り下ろす。
一撃で黒光しながら石が転がる。
二、三回、ゴビがツルハシで壁を撃ち砕いた後、ダルがそれをスコップですくって車の中に落とす。
一呼吸おいて、ゴビがまたツルハシを振りかぶり、打ち下ろす。
転がった石をダルがすくう。
これを何回か繰り返すと車に石が溢れる。
「行ってくるわ」
「頼む」
車についている小さなランプを取って、切り場を照らしているランプから火をもらう
ダルが車を押し出す。しかし、重くて動かない。ゴビといっしょになって押す。
ようやく動き出す。
ダルは右手を上げてゴビに礼を示し、車を押しはじめた。
車の先だけがぼんやり明るい。
集石場まではひとりで押すのは簡単ではない。坑道の路面はでこぼこだ。平らな場所を選びながら押す。
背中から汗が玉になって吹き出す。
腰巻の中に汗が入る。
ようやく集石場に着いた。
「ダルか、今日は遅いな。他の組はもう一回目は終わってるぞ。それに石の量が少ないぞ」
一回、一回の石の量も検査される。
「二回目は多めにしろな。少ないと差っ引くぞ」
量と回数で受け取る金が違うのだ。どの組も必死だ。
ダルは黙ったまま、車を一回転させた。
切り場に帰るとダルは
「さあ、頑張ろうぜ」
と元気に声を出す。
黒くなった布で顔の汗を拭いていたゴビが、ツルハシに力を込めて振り下ろす。
長い間ふたりでやっている仕事だ。息はぴったり合っている。
それからダルは四回運んだ。
ふとランプを見る。
やわらかい明かりを見ながら、深呼吸すると心が落ち着く。
「そろそろ、昼にしようぜ」
ダルがゴビに声をかける。
昼には地上に出ることもできるが、歩合でもらう金が決まるこの仕事、時間をかけてまで外に出る者は少ない。
多くの鉱夫が弁当を持ってきている。
竹で作った筒状の弁当箱を開ける。
中には炊いた米にカレーがかけてあり、ピクルスが添えてある。
ランプのやわらかい明かりに照らされた切り場に、カレーの香りが漂う。
スリランカの人たちが幸せを感じる香りだ。
竹の水筒から水を注いで右手を洗う。
その右手を竹の弁当に突っ込み、素手で器用にすくい、親指で口に押し込む。
「いつもながら有り難いことだよな。お前のところは母親、これはうちの奴が作ってくれたんだ」
ダルが弁当を食べながら話しかける。
「そうだよな。感謝しなくちゃな。ところで、奥さんはどうだ?」
ゴビはピクルスをつまんで口に入れながらダルに尋ねた。
ダルの妻は体調が良くない。疲れやすく寝込むことも多い。
生水が原因の肝炎だ。
肝炎になると目や爪が黄色くなる。
体がだるくなり、弱って寝込むようになる。
「よくなるといいが……」
ダルの言葉に力がない。
「ラクシミーは元気なんだろ。もう十歳?」
「うん、もう十歳になったよ」
ダルは結婚が早かったので十歳になる娘がいる。
「本当はこの弁当はラクシミーが作ったんだ。うちの奴、朝、起きれねえからな」
それからふたりは黙ってしまった。
ランプがふたりをやわらかく照らしている。
「あのランプ……」
しばらくしてダルがゴビに語りかける。
「ランプがどうした?」
「あのランプが消えたら、俺たちの命はないんだよな」
「どうして?」
「だってよ、ランプっていうのは空気がなくなると消えるんだよ。だからよー。ランプが消えたら空気がないってことだ。そうしたら死ぬよな」
ダルが珍しく感傷的になっている。
奥さんの状態が良くないのだろう。
坑道には送風管がめぐらされていて、地上から送風機で空気を送っている。
「じゃ、試してみるか。ランプが消えたら俺たちは死ぬかどうか」
ゴビはランプのところに行って、炎を吹き消そうとする。
「やめろー」
「ランプが消えても死にゃしねえよ。お前、この中に入って何年だ。もう五年はやっている。五年もこの穴の中で仕事をすれば、送風管の音を聞いていれば空気が来ているか来てないかくらいはわかるだろう。ランプなんていらないんだよ」
「だけど、明かりがなくちゃ……」
「俺はな、明かりなんかなくたって地上まで走っていけるぜ」
「じゃ、ランプはいらないってことか」
「そうじゃない。ランプに頼るな。明かりに頼るなってことだ」
「そんなもんに頼ってるから、感覚が鈍るんだよ」
「そうかもしれんな……」
「さあ、仕事だ!」
ゴビがツルハシを手に取って立ち上がる。
ダルも腰を上げる。
ふたりは午後も五回運び、今日一日の量はこなした。
坑道を出ると満点の星空だった。
ラクシミーが迎えに来ている。
「お父さん、今日はお母さんが元気になって、美味しいご飯を作って待っているよ。早く帰ろうよ」
と言いながら、ダルの真っ黒な手を引く。
ダルはラクシミーが持ってきた小さなランプを、口をすぼめて吹き消した。
「ゴビ、お前の言う通り、明かりなんていらねえや」
執筆の狙い
2700文字の短い物語です。長い作品ではないので描ききれていない箇所があると思います。
舞台はスリランカの鉱山。短いですから最後まで読んでみてくださいね。
次の点のご感想をよろしくお願いします。
1)テーマの選び方、2)登場人物、環境の描き方、3)構成、4)まとめ方