作家でごはん!鍛練場
平良 リョウジ

Vol.2【1人ぼっちな地球人】

  1人ぼっちな地球人
小谷野 稜平
【1人ぼっちな少年の話:1】
窓の向こうでは、見たこともない小さな虫達が何かの凶兆であるかのように群れを成して飛んでいる。
どこか薄汚れた部屋の中、多くの黒服に守られた男は一人の青年を前にしてラーメンを食べていた。
 男はラーメンの濃厚な豚骨スープを啜りながら、何気なく青年に質問をした。「なあ、若僧。俺はこの食べ物が何なのかを忘れてしまったよ。お前は知っているかな?」
「いや、知らないです。ここに来て初めて見る料理ですよ」
と、青年は反射的に素早く答える。
「そうか」と、男は頷き、麺を啜り始める。「若僧、今まで食べた料理の中で、この美味さのランキングを付けるとすれば、これは何位に入る?」
「分からないです。そんなことを考えずに食べた方が今を幸せに感じることができるんじゃないですか?」
「ごもっともだな。あ、そうだ。この薄くて平たい具材、もらってもいいか?」
男は箸で青年のスープに浮いているチャーシューを指した。
「いや、これは僕のです。人の肉を勝手に取らないで下さいよ」
「そうか。……若僧、俺は何故かお前に興味が湧いてきたぞ。言葉の節々にここ出身とは思えない矛盾点と不自然さを感じるのでね」
「何が言いたいのです?ここの出身じゃない人達は当然のように沢山いますよ?」
「若僧。俺から最後の質問だ。お前は地球人なのか?我々なのか?」
「生物学的に僕は地球人です。さて、僕の任務はこれで終わります」
青年は変装の異形マスクを脱ぎ、血で濡れたナイフを床に捨てるなどの作業を手早く終わらせると、窓から勢いよく飛び降りていった。数秒後に何かが潰れる生々しい音が聞こえてくる。
薄汚れた部屋の床には赤い血が滴らせた男と黒服達が目を開けたまま動きを止めていた。
外で群れを成していた小さな虫達は窓から入ってくると、身体中に触手を生やしている姿をしていた男とゼリーの様な体の黒服達に群がり、それらの肉を喰いちぎっていった。
【2へ続く】

 ……不安……………………………………。
 ……………………………嫌悪………。
 ……………………………安らぎ。
 ……………痛み……………。
 …追憶…………………。
 ………混沌………。
 ……絶対的…。
 悪夢……。
外では蝉が激しく鳴いている。
「ごめん、遅くなった。一人の若き少年が色々な意味で道に迷っていたから、車に乗せて送っていたんだ」
仕事帰りで車に乗って帰ってきた父親は母親にそう言うと、積み木をして遊んでいたソラに宇宙人の人形が入った箱をプレゼントした。「ソラ、お誕生日おめでとう。遅くなってごめんな」
待ちくたびれていたソラは歓喜し、怪獣の人形を箱から取り出して走り回る。
それがソラにとって、過去で指折りに鮮明に覚えている亡き父親が映っている記憶の一つであった。
そのイメージは時が過ぎていくごとに少しずつ風化が進んでいく。まるで何百年も前に造られた歴史的建造物であるかのように、そっとどこか切なく崩れ去っていく。
 ……不安……………………………………。
 ……………………………嫌悪………。
 ……………………………安らぎ。
 ……………痛み……………。
 …追憶…………………。
 ………混沌………。
 ……絶対的…。
 悪夢……。
ある朝。
稲妻に似た閃光がとてつもない轟音と共に窓の向こうから荒波のように溢れ出てきた。その閃光は部屋の中に入ってくると、真っ先に彼を無慈悲に覆い尽くした。
 彼は目に太陽の直視異常のダメージを受けた衝撃で体をダンゴムシのように丸め、閃光が通り過ぎるのを待つ。
 しかし、閃光は彼をゆっくり消化するかのようにしつこく彼に纏わりつき、じりじりとあらゆるものを奪っていった。
 やがて彼の五感は全て奪われ、彼は意識が微かに残る肉の塊としてその場に残置された。きっと誰が見ても彼を人として認知することはできないだろう。
 残っているのはただ自分がここにいるという認識だけであった。
 ……不安……………………………………。
 ……………………………嫌悪………。
 ……………………………安らぎ。
 ……………痛み……………。
 …追憶…………………。
 ………混沌………。
 ……絶対的…。
 悪夢……。
……ソラは頭を叩くような目覚ましのアラームで目を覚ます。
久しぶりにいい夢と悪夢を立て続けに見たからか、意外とすんなりと目が覚められたものの、体の底から灰汁のように滲み出てくる疲労感が熱として体を覆っていた。きっと最近忙しく、睡眠時間をあまり取っていなかったからだろう。
寝起きで重心が不安定になりながらも洗面所の鏡の前に立ち、ソラは自分の顔を眺める。
茶色い体毛に、黄色い白目に真っ黒な瞳、ピンと上に真っ直ぐ伸びている大きな猫の耳。
「求むな、恨むな、相手は小馬鹿、自分は大馬鹿。成敗するなら大馬鹿だ」
と、ソラはいつもの決まり事であるかのように鏡の自分に向かって語りかける。幼い頃から暗示や洗脳のように何度も繰り返し聞かされてきた言葉だ。今では『ご馳走様でした』と同じほど日常的な言葉となっている。
頭に巻かれた包帯を除き、ソラの体は完璧に仕上がっていたので、何もせずにいつもより早い時間に制服に着替え、鞄を持って学校へ向かった。
今日は何としてでも朝早くにやらなければならないことがソラにはあった。
「おい、そこの坊主。この可哀想な善人を助けろよ」と話しかけてきた道端に座る浮浪者。数人の不良に一歩的に殴られている少年。万引きを追いかけている血眼の店主。全てがソラにとって中指を立てる価値もない他人だった。
たった一人の友人と思いを馳せている少女を除いては。

「告白だって?」
クラスメイトの少年ヌウィンは蜘蛛のような八つの目を丸くした。「ソラ、告白ってお前、あの美人にか?」
「あぁ、そうだよ。あの人は俺がここを怪我した時に親身になって助けてくれたからな。命の恩人さ」と、ソラは自分の頭に巻かれた包帯に指を指し、自分より圧倒的に背の低い彼を見下ろした。「それに、これまでだって何度も俺を助けてくれたよ。勉強で分からないことがあれば教えてくれたし、一人で塞ぎ込んでいた時期も俺に寄り添ってくれたんだ。彼女は間違いなく俺にはないものを持っているよ。告白しない理由は無い」
「そっか。種族を越えた恋。このご時世何ら珍しいものじゃないよ」
と、ヌウィンは教室の椅子の脚に寄りかかりながら何度も頷いた。小栗鼠(りす)ほどの大きさで、蝿取り蜘蛛に酷似した顔とそのまま小さくしたような猿のような体がとても印象的である。「ソラ、頑張れよ。パズさんはあの高貴な風車の星出身だけど、君の渾身の告白ならあの人だって素直に受け止めるんじゃないかな?少なくとも僕はそう願っているよ」
「ありがとう。ヌウィン」
「ねえソラ。いくら僕の体が小さからって頭を撫でないでほしいね」
「別にいいだろ?目が八つで可愛い見た目をしているのはこのクラスでお前くらいなんだから。じゃ、俺は行ってくるぜ」
「ソラ、頑張れよ。『求むな、恨むな、相手は小馬鹿、自分は大馬鹿。成敗するなら—————』」
「『大馬鹿だ』」
ソラは親友といつもの決め台詞を交わし、音の無い猫のような足取りで教室を後にした。彼女がやってくるのはホームルームまでかなり時間があるこの7時の時間帯だ。狙うなら今がベストだった。

パズさん、俺は……樹海の星の人間じゃ無いんだよ。この星の偵察にやってきた悪名高きあの地球人なんだ!
ソラはクラスメイトの少女パズにそう思い切ってカミングアウトをするつもりだったが、皮肉なことにその必要は無くなってしまったようだ。
「ソラ君。あなた、地球人だよね?」
と、パズはまだ何も告白していないソラを鷹のような目でじっと見つめている。小さな華奢な嘴に鳩に似た滑らかなフォルムの顔。その頭には紫の光沢を放つ飾り羽根が髪の毛のように綺麗に並んでいる。服装の制服は地球のそれに酷似していたが、色が大きく異なっている。
「え?」
先に彼女から自分が最初に言いたかったことを指摘されてしまったことで、もう一つのカミングアウトをしづらくなってしまったソラは思わず後退りをする。「は?どういうことかな?」
「私はこういう時の為に嘘をできるだけ吐かないようにしているの。だから惚けたって周りはかなりの割合で私を信用するでしょうね」
一体どういうことだ?どのタイミングで俺が地球人だと言うことがばれたのだろう?
ソラは思考を巡らせ、今までの自分の行動と彼女との関わりに正体がばれるようなボロを出したことがあったのかを思い返してみたが、そんな覚えは全く無かった。寧(むし)ろ一度も無かったと言っても良いかもしれない。このナノマシンを使った変身だって内臓や骨格を変形させるほど完璧だし、寝ている時だって変身を解いたことは無い。そんな完璧な変身を見破る彼女は一体何者なのだろう?しかし、考えてみれば結果オーライだ。後は彼女へ馳せている想いを打ち明ければいいのだから。
「そうだ。俺は地球人さ。……そしてパズさんに地球人の俺からどうしても言いたいことがあるんだ」
「まずは私からの要求を聞きなさい。地球人」
パズは初めて見せる感情の無い目でソラを見つめていた。得体の知れないものを見つめる目……そしていつでも応戦できるようにして構えている携帯用ナイフ……もうそこにはソラが知っている少女はいなかった。「私は地球人調査協会のパズ。よろしく。大人しく私に着いてくれば何も悪いようにはしないわ」
ソラは急に落とし穴に落ちて泥だらけになったような気分に襲われ、いつの間にか下を見つめていた。しかし、下を見つめていても誰も自分を救ってはくれなかった。
「……分かりました。俺は大人しくパズさんについて行きましょう。だって俺は地球人ですから」

それからソラは体調が悪くなったという嘘の口実を作り、パズと共に学校を後にした。何故かソラの手には手錠などの拘束器具は取り付けられなかったが、彼女の身分と態度で強くショックを受けたソラはそれについてあまり疑問に思う余裕がなかったようだ。
ソラは心ここに在らずといった具合で、パズに連れられていった。暗い道、バスの中、地下通路、様々な道を通った覚えはあるがどれも断片的な記憶である。気が付くとどこか大きな建物の小さな部屋の椅子に座らされていた。どうやらここがパズにとっての目的地のようだった。
「パパ、地球人を連れて来たよ。それも、やはり抵抗はなし」
と、パズは言うと、後ろへと下がっていき、ドアの前で待機した。
「パパだって?」
驚いたソラは前方を見る。
彼から3メートルほど離れた前方には、大きなエグゼクティブチェアに腰をかけたパズに酷似した年季のある男性が座っている。頭の飾り羽根は全て色褪せており、小さな嘴の周りには髭に相当すると思われる濃い羽毛が生え、その鷹のような目はパズ以上に強い眼光を放っていた。
パズの父親だという男は低い声で言う。
「パズのクラスメイトのソラ君とか言ったな?まずは君に地球人の姿へ戻ってもらいたい。今すぐに。話はそれからだ」
「分かりました……」
ソラは素直に地球人の14歳の少年としての姿に戻った。
パズの父親は少し驚いた顔をする。「これは驚いたな。わざわざこの星にやって来たのだから、てっきりゴリゴリの大人かと思ったぞ」
「最近の地球圏では少子高齢化が酷く深刻化しています。……だからつい最近を境に、俺みたいな子供までもが仕事をさせられているんです。重要な仕事、どうでも良い仕事関係なしに。ちなみに俺がこの星にやって来たのは文化の観察が目的です」
「ふぅん。君の他に地球人はどれくらいこの星に潜伏しているんだ?」
「俺だけです。詳しくは分かりません」
「ほう、なるほどなぁ」
とパズの父親は面白いものでも見物する仙人のように髭を撫でると、本題を話し始める。「紹介が遅れたな。私の名前はジオ。地球人調査協会の会長をしている。我々の役目はその名の通り地球人を調査することにある。単刀直入に言おう。君に私達の味方になってもらいたい」
「は?」
と、自分の死をいつでも覚悟していたソラは藪から棒に放たれたその言葉に数秒間、思考を停止させる。
「えっと……ジオ会長って呼べばいいのでしょうか?—————ジオ会長。俺は数多くの星を侵略してきた地球人の一員です。何故、拷問や処刑をされないのでしょう?それも仲間ですって?」
虚をつかれたソラを気にせずに笑うジオ会長。「ソラ君、我々だって一枚岩じゃないし、色々な星の種族と一緒に暮らしている。当然、様々な派閥で分かれるさ。その中の過激派は侵略を繰り返す地球人を滅ぼそうとしているし、穏健派は一部の地球人と仲良くなろうとして色々な可能性を探っている。私達穏健派に感謝することだな。私達は友好な地球人とのコミュニケーションの検証をしようと考えている。何故それを今すぐにやろうとしているのか疑問かもしれないな。それは我が娘パズの観察によって、君にこの惑星モンブランを侵略する意志は何故か消失していることが分かっているからだ」
ソラは幾分かこの星を侵略したくなくなったその理由を話すかどうかを迷う。しかし、ここで話してしまえば、きっと何か大切なものが失われてしまうのではないだろうか?それも彼女の父親に打ち明けるなどどこの星の文化でも無謀なことだ。と、彼は直感で察し、一応の返事をする。
「……はい。事実その通りです。今の俺にこの星を侵略する意志はありません。……あなたの言葉から考えるに、俺は仲良くできる地球人かどうかの実験台ということですよね。でも、仮にもし俺が裏切った時はどうするんですか?」
「それは君自身が一番よく理解しているんじゃないかね?ソラ君」
その何気ない言葉には大陸のような重みが感じ取れ、その場の雰囲気をより一層緊張感漂うものにさせた。
「分かりました。俺は、この惑星モンブランに味方する正義の地球人として、精一杯誠意を見せようと思います」

【1人ぼっちな少年の話:2】
「よくやったぞ、黒森」
白い部屋の中、ベッドで目覚めた小柄な地球人の少女をモニターが点と線で描かれた笑顔のイラストを表示して迎える。少女が目覚めたベッドの横には共通点が一切無い大量の老若男女達が一人一人カプセルに入れられ、巨大な棚に一つ一つ収納されている。
黒森と呼ばれた少女はいつの間にか14歳の少年の姿に変化し、目の前のモニターの笑顔に全く興味を示さずに会釈する。
モニターは笑顔のイラストを表示したまま、話を続ける。「黒森、モンブランの政治家はどうだったかい?」
「妙に感がよくて、ボディガード達に守られていたけど、意外と簡単に殺せたよ。凄く太っ腹な性格だったんだ。ラーメンも食べさせてくれたんだよ?」
「そうか。それは良かったな。そしてよくやった。ご褒美にお前に1日の休日をあげよう。この広い宇宙都市を自由に行き来していいぞ」
「まだ地球には行けないの?僕は地球の観光をしたいよ」
「黒森、まだ新型爆弾の爪痕が残っている地球では遊ばせることはできない。この宇宙都市で我慢しなさい」
「モンブランの観光も駄目なの?一番好きな星だから絶対に行きたいのだけど」
「モンブランも駄目だ。仕事以外ではな」
「はい。分かりました。グランドマスター」
黒森はそう言うと、ショルダーバッグを肩にかけて細長い脚を弾ませ、長めの髪を揺らしながら外へと出た。
この宇宙都市では森、川、山、海、天候などの地球の自然、天候が完全に再現されている。それらには地球の微生物から大型動物までもが地球環境と全く同じように生息していた。自然を観察しに行った物好きな住民が熊に襲われたという話も聞くほどである。
黒森はそんな大自然が広がる中に孤立した賑やかな街の中を歩いている。大きなビルのディスプレイには数多くの星々への侵攻が順調だと報道するニュース、地球圏における内戦の勃発の被害を報道するニュース、グランドマスターという名の存在を崇拝する広告では地球人誰もがよく聞くグランドマスターからの教育の言葉が流れていた。
「求むな、恨むな、相手は小馬鹿、自分は大馬鹿。成敗するなら大馬鹿だ」
人々はそんな街の中で仕事、娯楽の目的でスーツや私服を着て行き来をしている。よく見るとその大半が手術によって外見を若くしていることが分かった。その出来栄えは完璧と言っても良かったが、運動神経などは変えることができないらしく、年長者であるほどそこまで激しい動きができないのは変わらないようだった。
黒森は行き来する彼らを眺めてみた。
自分にはグランドマスターという名の一応の親代わりがいるものの、本物の親や兄弟の存在を全く知らない。おそらく今自分の目の前を通りかかった少し歳上の少女も含めてほぼ全員に家族や友人がいるのだろう。そして、ある程度の躾やルールの縛りはあるものの、少なくとも自分の数十倍は自由に生きている。一体、彼らはどのような心の満たし方をしているのだろうか?
独裁者グランドマスターに評価されることがほぼ唯一の生き甲斐である黒森にとって、それは物心ついた時からの疑問であった。
黒森は試しに道の隅のキッチンカーに寄り、まだ食べたことがないケバブを買い、それを食べてみる。
こうやって休日で食べる食事だって本人からすればただの栄養補給とストレスの軽減でしかなかった。
【最終章へ続く】

地球人調査協会による、ソラの管理された生活は始まった。
新しく監視用の家への生活を余儀なくされたソラは協会の一員であるクワガタに似た顔のひょろりと背の高い異星人の男性ガルンと共に荷物の詰め込まれた大量のダンボールを玄関へ運び込む。
やがて全ての段ボールを運び終えて一息ついたソラは居間へ運び込んだソファに腰掛け、ガルンは運び込んだパイプ椅子に座る形でお互いに机を挟んだ。
「ガルンさん、俺が地球圏からこのモンブランに来てからずっと疑問に思っていたことを聞いていいですか?」
「あぁ、構わない」
と、ガルンは上下のスーツに付いた埃を払い落とし、装甲で覆われたクワガタの顔をソラへ向ける。「お前のサポートも私の仕事なのだから」
真面目で堅い人だな。と感じながらソラは言った。「俺の知識が正しければ、この星モンブランには地球人の侵略から逃げて来た異星人達が難民として住み着いているんですよね?」
「あぁ、そうだ」
「だとすればかなりの文化が入り混じった統一性の無いものになるはずなのに、どうしてここまで纏まりのある風景が街に広がっているのでしょうか?」
と、ソラは居間の窓の向こうに広がる街を指差した。レンガとセメントで造られた道路とそこを走る自動車に似た乗り物、多くの者達が買い物に訪れるスーパーに似た大型の店舗、巡回する警官などが確認できた。どれもかつての地球や地球圏に位置する宇宙都市でも見た光景である。
「ソラ、いい質問だ。しかし、私は専門家ではない。正確な解説はできないな」
「……それでも俺は構いませんよ」
「私が子供の頃に習った知識によれば、二足歩行の知的生命体が創り上げる文明というのは、奇妙なことに素材や外見は違えど、大方同じような仕組みになるらしい。まあ、ドアの大きさに関しては種族によって身長の違いがあるものだから、かなりばらつきがあるけどな」
ソラはその解説に何度か頷き、ある程度納得した様子を見せた。「なるほど……。分かりやすいご説明ありがとうございます。それとガルンさん、俺が外出する場合はどうするんですか?監視しているのでしょう?」
「学校への登校も含めて外出したい場合は、そこの呼び出しボタンで私を呼び、許可を得てくれ。勿論、外出する時は地球人の姿ではないように」
「了解です」と、ソラは軽く頭を下げる。
「それではソラ、また何かあれば」
そう言ってガルンが装甲で覆われた体を滑らかに動かしながら部屋を出ていくと、ソラは鏡の前に立ち、口の中を覗いてみる。ガルンの話によると、協会がソラの口の中へ仕込ませたナノマシンによって地球人調査協会はいつでも彼の居場所を特定できるようになっているらしい。
今や地球を含めた数多くの星々はナノマシン文明と化している。一体どんなナノマシンだったか、それによって口内にどのような変化があったのかが気になったものの、ナノマシンは極小なものであるため、鏡に映った口を覗いただけでは、本当にナノマシンが仕込まれたことによる変化が見えるはずもなかった。

 「お前、昨日珍しく風邪で早退したけど、あれから体調は大丈夫か?」
 と、クラスメイトのヌウィンはソラの肩に腰掛けながら問いかけてくる。
 ソラはウィンの頭を撫でた。「心配してくれてありがとな。あれから家で休んですっかり元気になったよ」
と、幾分か言葉に迷ってから答えるソラ。
 学校の授業が終わった夕方の帰り道、二人は街の商店街へ寄り道をしていた。勿論、行く道行く道にソラを監視している変装した会員達が一般人に紛れているらしいのだが、悪さや問題を起こす気が全くなかったソラにとって大した問題ではなかった。むしろ、自分が友好的な地球人であることをアピールするためのいいデモンストレーションになるかもしれない。それも自分を監視している会員達という数多くの目撃者に恵まれた大きな証明だ。これはビッグチャンスだ。
 だから、いつも通り何もしない。というのが彼の結論だった。若い女性が知らない男性に絡まれて困っている姿を見ても、迷子になって泣いている子供の姿を見ても、買い物袋をひっくり返してしまった主婦などを見ても一切干渉をしなかった。
 いいのかい?助けなくて……今の人、明らかにソラに向かって助けを求めていたよ?と、言いたげにヌウィンはソラを見たが、何も言わなかった。ヌウィン自身も自分も人のことを言えないと思っていたし、ソラが困っている人間に干渉しない愚かさを自分でも心の奥底で理解しているのだと分かっていたらしかった。
 ソラとヌウィンは商店街に並ぶ店でソフトクリームに似たキャンディを買うと、それを舐め回しながら、ヌウィンの提案で下り坂を進んだ先にある別の商店街へと向かってみる。ヌウィンは少し気まずそうにソラへ話しかけた。「ソラ、あの……ちょっと言いたいことがあるのだけど……」
「何だよ?」
と、ソラは内心やや慌てながら返した。ひょっとしてこいつも俺が地球人だということを勘付いているのではないだろうか?その時はどう説明をすればいいのだろうか?地球人調査協会に監視されている友好な地球人と自己紹介すれば彼は信じてくれるのだろうか?いや、それとも俺が偽善者の行いをしないことに腹を立てているのか?そんなに偽善者の行動って大切なのだろうか?
「ソラ、実はね……提案した僕もここの下り坂から先は行ったことがないんだよ」
ソラは思いリュックをやっと下ろせたかのようにほっと胸を撫で下ろす。「何だ。言いたいことってそれかよ。……というか、え?初めて行く場所だって?勿論治安はいいんだよな?」
「それは、ちょっと神頼みっていうところかな?」
「頼むぜ、ヌウィン。正直俺は危険な目に会いたくないんだからさ」
「僕達二人ならきっと大丈夫だろ?」
「だといいのだけどな」
二人が下り坂を下って行った先に見えたものは、比較的雰囲気が明るく、個性豊かな姿の異星人達で賑やかな商店街であったが、今までにない寂しさも感じられた。そこで行き来している異星人達の素顔は悲しい顔をしているというのに、無理して笑う仮面を被っているようにソラには見える。
考えてみればこの星ではそれが普通なのかもしれない。彼らは地球人という異星人によって故郷を追われ、望んでもいないのにこの星モンブランへと辿り着いたのだから。おそらくほとんどの住民が心に深い傷を負っているに違いない。ガルン曰く、モンブランはかなり面積も広く、土壌や水源も豊かであるらしい。しかし、面積が広いとはいえ、難民としてやって来る異星人は増え続ける一方なので、近い将来過度な人口爆発が起きるのは避けられないとのことだった。
「せっかくだから、今夜は僕が奢るよ。どの店がいい?」
と、ヌウィンはこの商店街の雰囲気が良かったことによって安心したからか、上機嫌にショルダーバッグに入っている財布の中身を確認していた。勿論、彼の体がとても小さいため、それに合わせてとても小さいショルダーバッグが作られているらしかった。
ソラは適当に周囲の店を見渡して考える素振りを見せる。本来、文化の観察が目的でやって来た彼はこの星の食文化に関してはほとんどと言っていいほど詳しくなかったのである。元々潜伏が目的で暮らしていた家では地球圏の食事が豊富に備蓄されていたことも大きい。
「じゃあ、あの黒い看板の店とかいいんじゃないか?」
と、ソラは適当な店を指差した。
「大分レトロな趣味だね。じゃ、あそこに行こうか」
と、ヌウィンは何の違和感も感じずに笑ったため、ソラは一安心する。正直なところ、あの黒い看板の店が飲食店であるかどうかもソラの中ではあやふやであった。一応、モンブランと地球圏の共通の技術として異星の文字は何の不便もなく読み書きできるのだが、それと店名のネーミングからどんな店なのかを解釈するのとはまた違う話だ。
猫のような耳が生え、全身に茶色い体毛が覆った異星人に変身しているソラは、小さな蜘蛛人間の見た目をしたヌウィンと共に、試しに黒い看板の店に入ってみる。中に入ってみると地球的にもレトロな雰囲気の飲食店に見えた。
「いらっしゃい」
と、4本の腕で皿を拭来ながら野太い声で挨拶をするマスター。蟹に似た顔とがっしりとした体格が特徴だった。「カウンター席でいい?」
「はい。カウンター席で大丈夫です」
二人はマスターに案内され、カウンター席に座ると、机のメニュー表を見てみる。二人とも体内に入れられたナノマシンのおかげで読めるはずもない異星の文字も簡単に読むことができた。それはソラが口内に仕込まれたGPSのナノマシンとは全く違ったものであり、それも地球でいう鉛筆のように市販で売られている低コストなものである。
「おぉ、強力だね」
と、メニュー表を見ていたヌウィンはそう囁いた。
そのメニューには地球で言うところの下手物料理な見た目のものが多く見られ、ヌウィンにとってもかなりインパクトを与えるものであるらしい。しかし、ガルン曰く、種族によって好き嫌いに差はあるものの、基本的にどの食事も美味しいとのことだった。
クワガタ人間の見た目で、美的感性というものから遠く離れたかのような堅苦しい性格のガルンのセンスをどこか直感的に信用できないソラは、その中で一番美味しく食べられそうなものを注文することにした。「えっと、じゃあ、虹色鯰(にじいろなまず)のステーキと、針千本果実のサラダと、風船パンをお願いします」
「ドリンクはどうする?」
と、マスターはシオマネキのように飛び出た目を動かしながら訪ねてきた。
ソラはメニューのドリンクを見てみるがどれも美味しそうに見えない。 「えっと、じゃあ普通の水でお願いします」
「はい。普通の水ね。で、お隣さんは?」
「あぁ、僕は銀色蟋蟀(こおろぎ)の佃煮と、樹海麺、蓮根(れんこん)もどきのサラダ。ドリンクは黒スイカジュースで。全部、超ミニマムサイズでお願いしますね」
「そりゃ見た目で分かるぞ。おチビ君」
陽気にカウンター越しのキッチンに入ったマスターは四本の腕で食器用意やフライパンに油を敷くなどの作業を同時にこなし、手際よく調理を始める。旨味のあるいい匂いが店に充満した。ソラが注文した料理は一番食べやすい見た目ではあったものの、それでもやはりあまり食べる気が起きない要素が含まれているものであったので、かなり意外であった。
「お客さん、どこの星から?」
と、マスターは調理をしながら二人に質問をする。
「えっと、俺は樹海の星からです」
「僕は大理石の星からです」
「樹海の星と大理石の星ねえ」
マスターは四本の腕を活発に働かせながら首を動かし、記憶を探る素振りを見せる。「あまりにも種族の種類が多すぎるものだから、どんな星か忘れちゃったよ」
「樹海っていう名前の通り、巨木が生い茂る星ですよ。木の上に街を作って暮らしていました。まあ、地球人によって都合よく開拓されちゃったけど」
と、モンブランに来るまでに図鑑を読んで覚えた内容通りに答えるソラ。そして急増する不安。こんなに質問攻めされるなんて予想外だ。こんなのすぐにボロが出てしまうじゃないか。
内心慌てているソラをよそにヌウィンは快活に答える。「大理石の星は名前の通り、大理石に似た岩が大量に発掘される星ですよ」
「ふぅん」と、二人の解説にあまり興味の無さそうだったマスターは二人の注文品を陽気にテーブルへ運び込んだ。「どうだい?かなり自信があるよ」
ソラは恐る恐る料理に顔を近付けて軽く観察をしてみる。虹色鰻のステーキは虹色の光沢を放ちながら中で油が弾けている香ばしい音がしており、焼き魚のような匂いを放っていた。針千本果実のサラダは山積みにされた赤色の葉っぱの頂上に名前通りの針千本を思わせる棘の生えた果実を乗っかっているのだが、その棘の一本一本はとても柔らかそうに撓っており、甘い匂いがする。風船パンはバスケットボールぐらいはあろうかという大きさの真鱈模様のパンで、特別大きな皿の上に乗っていた。パンという名前が付きながら、不気味は見た目ではあるが、地球の焼きたてのトーストのような香りがソラの食欲をより一層沸き立てた。
ソラはそれらの美味しそうな匂いに誘われるがまま、まず最初に風船パンにかぶりついてみる。とても美味い。次は虹色鯰のステーキだな。
隣でもヌウィンが最初こそは見た目で戸惑ってはいたものの、人齧りしただけでその味に魅了されてしまったようだ。
ここでの生活も悪くないな、とソラは水を飲みながら思った。数多くの感情、思想を隠さなければならない地球圏と違って、ここでは自分の正体を隠していればいいだけなのだから。
「ほう、君達、随分美味しそうに食べるじゃないか」
マスターは嬉しそうに笑っていると思われる声でそう言うと、次の瞬間店に入ってきた異星人を見た。
「すみません。遅れました」と、店に駆け込んで来た異星人の若い女性(ソラは声で若い女性だと解釈した)。魚のようなギョロッとした目の蜥蜴の顔に、全身をエメラルドグリーンに彩る鱗、髪の毛の代わりに生えている無数の棘が特徴だった。上にはセーターらしきもの、下にはラッパズボンらしきもの、足にはスニーカーらしきものを履いている。
「おぉ、誰かと思えば遅刻の常習犯じゃねえか」と女性を快活に揶揄するマスター。
「どうもすみません。目覚ましが鳴らなくて」
「そうかい。反省したら今お前が床に落とした鱗を片づけて仕事に励んでくれよ」
「はい」
女性は奥にある掃除ボックスから箒と塵取りを取り出し、床に散らばった小さな鱗を集めていく。どうやら全身を覆っているその鱗は地球人の髪の毛のように、それなりの頻度で抜け落ちるようだった。
ソラは女性の目立つ特徴を確認すると、フォークのようなものを一本取り、虹色鯰のステーキにかぶりつく。どうやらこの店には箸やナイフのようなものはなく、フォークのように尖った飲食用器具がラーメン屋の割り箸のように筒の中に大量に入れられていた。どことなく地球と似ているが、その文化の違いを発見するのはソラにとって楽しいこととなりつつあった。
「あっ、樹海の星の人だ。珍しい」
と、早速ソラに話しかけてきた女性。
ソラは一旦深呼吸をする。大丈夫だ。地球圏で読んだ異星人図鑑とこのモンブランで覚えた内容を忘れさえしなければ。「えっと……はい、樹海の星出身ですけど。そんなに珍しいですか?」
「珍しいですよ。だって地球人によって一番数がかなり減らされた種族でしょ?」
そうなんですよ。と、ソラが答えようとすると、マスターは咳払いをして少女の指摘の訂正をした。「樹海の星の民は、その大半が今でも母星に留まって粘り強く地球人に対抗しているぞ。決して減ってはいない。お前、ちゃんとニュース見ているのか?」
「あ、え?そうでしたっけ?」
と、自分のドジさをアピールするかのように惚ける女性と、ほっと胸を撫で下ろすソラ。危ない、危ない、危ない。今、蟹のおっさんが訂正をしなかったら本当にボロが出てしまっていた。
ソラは早く食事と会計を済ませて店を出てしまおうと考え、食べるペースを早めた。ぬウィンはもう料理を食べ終わろうとしている。
すると突然外から聞こえてくる爆発音。
今度は何だよ?と、言いたげを入口の方を見るソラ。「何ですか?今の音は」
「あんた知らないのか?暴走族だよ」
と、マスターは時計の時刻でも述べるかのように答えた。「店に乗り込んで来ても基本は無視しろよ?いいな?」
「あっ、はい。分かりました」と、残っていた虹色鯰のステーキと針千本果実のサラダを素早く食べ終わったソラは店を出るのを我慢し、店のトイレに駆け込み、まずは事なきを得る作戦に出よう。
ソラがヌウィンにトイレに行くことを告げようとしたその時、突然開く入り口のドア。
「マスター助けて!」と、涙ながらに救いを求めるナメクジのような顔の小さな少年。飛び出た目玉からは涙が垂れていた。
「どうしたんだ?タム」
マスターは毎朝挨拶をする仲の少年に駆け寄った。「暴走族どもに何かされたのか?」
「違うんだ。暴走族達が仲間内で大喧嘩をしていて……このままじゃ街がめちゃくちゃになっちゃうよ」
「そうか。分かった。俺が止めにいく。外は危ないからここで待ってろ」
タムという少年の肩に手を置く女性。「マスターが元気に帰って来るまで、お姉さんと一緒にここで待っていようか」
「うん」と、頷くタム。
ソラは恐る恐るカーテンを開き、窓の向こうの様子を見てみる。蛙のような顔をした男とカマキリそっくりな顔の男が腕に鎖を巻いて殴り合いの喧嘩をしている。片方が殴れば、殴られた方は子猫のように吹き飛ばされ、周囲の建物に衝突し、大きな破損を与えている。その両者を下端達だと思われる不良達が取り囲んで観戦をしていた。地球にいた頃に読んでいた少年漫画の戦闘シーンに似た光景ではあるが、実際に見てみるとそれはエンターテイメントのかけらも無く、ただただシビアな雰囲気が漂っているだけだった。
よくこんな場所でこんな面倒臭い喧嘩をするものだ。何の得があるのだろう?とソラは思った。
「おい。お前も店にいろ!」
マスターはカーテンの隙間から外を覗いていたソラを制すと、外へ飛び出して行った。
突然、ソラの胸の奥で激しく脈打つ感情。ソラは店を飛び出して行ったマスターの後ろ姿が誰かに似ていると感じていた。
映画などで何度か見たことがある。一度見せたことがある名シーンを全く違うシーンで再構築することで、無意識に観ている客にデジャブを感じさせるというもの。マスターの後ろ姿がまさにそれだった。つまり、彼はマスターの後ろ姿とほぼ同じものを以前に一度見たことがあるのだ。
それはいつだっただろう?と、思ったソラはじっと走っていくマスターの後ろ姿を窓越しに見ていたが、蛙の顔をした男が癇癪を起こし、手道路の標識を針金のように捻じ曲げた瞬間を見てから、元いたカウンター席に素直に戻った。地球人はどうやってあんな屈強な種族までをも、今まで絶滅危惧種へと追い込めてきたのだろう?軍事力と科学力だけでは説明が付くとは思えない。と、普段のソラはそのような疑問を思い浮かんだかもしれないが、今の彼には別の思考回路が動いていた。
いつもなら俺はこんなことなど、他人事として軽く捉えられるはずなのに、今回はどうしてこうも落ち着けないのだろう?
「ごめん、ソラ。結構治安の悪いところに来ちゃったね。本当にごめん」と、ヌウィンはテーブルをじっと見つめているソラを宥めるように言った。
ソラは黙っている。
「ソラ。もしかして凄く怒っている?」
ソラは沈黙を続けていた。
無視しているのではない、単純に親友の言葉どころか、全ての音が耳に全く入ってこないのだ。
外では瓦礫が砕け散る音が常に響いていた。
「お客さん、何か考え事ですか?もしかして、マスターの心配をして下さっているんですか?」
と、ここの治安に慣れている女性は、じっとテーブルを見つめているソラにコップ一杯の水を差し出した。
コップ一杯の水を見たソラは驚いた顔で女性の澄んだ瞳を見る。「えっ、はい、あんな怖い喧嘩を止めに行くマスターが凄く心配なのかもしれません。……それと、マスターのあんな勇敢な後ろ姿をどこかで見たことがある気がするんですよ……」
「もしかして、マスターとは昔ながらのお知り合いですか?」
「いえ、絶対に初対面です」
ソラの言葉に嘘はなかった。数週間前に偵察目的で地球にやって来た自分とマスターが知り合いであるはずがない。しかし、絶対にあのマスターの勇敢な後ろ姿を過去に見ていたはずなのだ。憶測が正しければ、地球にいた頃に。
ソラはじっと深く目を閉じ、記憶の在処を詮索する。外では瓦礫やコンクリートが砕け散る、大きく乾いた音が常に鳴り響いていた。きっとこれは自分にとって本当に重要な記憶なのだ。今、思い出さないと、きっと後でとても後悔することになるだろう。と、直感で感じ取っていた。
やがて一筋の光が見え、そこへ辿り着いたソラはそこでかつての記憶を垣間見る。
「ちょっと、ソラ。どこへ行くんだよ!外は危険なんだよ?」
「お客さん、危険です!早く戻って下さい!」
親友と店員の女性の言葉は彼の耳に入っていたものの、今自分が久しぶりに抱いている使命感に比べたらそんな言葉など、彼にとって何の意味も成さなかった。

「これ以上、無謀なことはしないでよね」
地球の和室を再現された部屋の中、座布団の上で正座させられているソラに対し、パズは仁王立ちをして睨みつけている。彼女の鷹のような目と声でその怒りは十分に伝わってきた。頭の綺麗な無数の飾り羽には先ほどまで被っていたヘルメットによって癖が出来上がっている。
「単刀直入に聞くよ。何であんな無謀なことをしたの?優しい地球人もいますよっていうアピールでもしたかったの?このヒーロー気取りが」
軍服に似た服装をしていたパズはジャケットから今朝の新聞を取り出して表紙に堂々と記載されている記事を指差す。
『西の赤商店街に地球人現る』という題名の横にある大きな白黒写真では、人間の姿に戻ったソラが喧嘩をしている暴走族二人を脅している様子が写し出されていた。その脇には暴走族二人の喧嘩を止めることができず負傷して倒れているマスターが写り込んでいる。幸いにも彼が樹海の星の住人の姿から地球人の姿に戻る瞬間は誰にも見られてはいないようだった。
「ごめんなさい……。俺、それしか方法が思いつかなくてさ……。地球人の姿になって『ここに仲間を呼んで、お前らを皆殺しにするぞ』とか言えば暴走族達も喧嘩どころではなくなって、ビビって逃げると思ったから……」
ソラはあの時、無謀にも地球人の姿で暴走僕のリーダー二人の前に駆け込んで脅し文句を叫んだ直後、どこからか黒い煙幕が発生し、軍服らしき姿の集団に拘束され、トラックに似た車両へと運ばれたのであった。それがパズの所属する地球人調査協会の者達による対応だったことを知ったのはこの和室へと運ばれてからだった。
パズはソラの暗い表情で正座の体勢を保っているその姿を鷹のような目で怒っているのか、無表情なのか分からない目でじっと見つめている。「あんた、本当の大馬鹿だ。モンブランじゃ、こういうのは自警団に任せるのが鉄則なんだよ。自警団なら文字通り自営業だから、どんなお願いも死に物狂いでやってくれるよ。どんなに頑張っても同じ給料しか貰えない警察よりはずっとね」
「……頭に入れておくよ」
「あなたがやってしまった騒動で上が動いているよ。もっと厳重に牢屋の中で生活させようという意見も出てきている」
「それで?」とソラは暗い声で言う。
パズは黙って新聞の記事に書かれた目撃者達の証言録、専門家の見解が並べられている箇所を見つめた。
 〈現場でその光景を見た時は「自分はもうここで死ぬんだ」とすんなり死を受け入れてしまうほど絶望してしまいました。正直、生きた心地がしなかったですね。私の家族は地球人達に殺されたんです。できればあの地球人はすぐにでも死んでほしいですね〉
〈僕は野次馬で面白がって暴走族達の喧嘩を眺めていたよ。ああいう危険な喧嘩を近くで見ているとスリルを感じるからね。地球人は僕の背後のほうから勢いよく走って来たんだよ。僕はびっくりした。でも、それ以上にびっくりしたのが、僕の肩にぶつかっちゃった瞬間、「すいません」って謝ってくれたことなんだよね。僕は長い間この街にいるけど、ぶつかったことを謝る人を初めてみたよ。僕はあの地球人がどういう目的であの喧嘩に乱入したのかよく分からないけれど、礼儀正しい人だったということは強く感じ取れたね。しかもあの悪名高き地球人が、だよ?〉
〈俺はあの街じゃ喧嘩のプロと言われてきたが、あんな下手くそな立ち位置、姿勢は久しぶりに見た。しかも武器を持たずほぼ丸腰、そして幼い外見。俺が相手だったら奴は二秒で仕留められたね。それに、奴の目には人を殺す覚悟なんてものが全く無かった。どちらかと言えば早死にするタイプの正義感に近い。地球軍の部隊内での罰ゲームにしては微塵も面白みがない。俺は奴に一言言いたいよ。「お前みたいないい奴は戦争に向かない。とっとと軍隊を辞めて実家の親御さんと親孝行するのがお似合いだ」ってな〉
 〈私にとって疑問なのは、その地球人が武装を一切せずに私服でいたこと、仲間を呼ぶと言ったのにも関わらず仲間が来なかったこと、周囲のレーダーの記録にも地球の戦闘機などが全く確認されなかったことだ。私はその地球人が単純に暴走族達の喧嘩を止めるためにわざと脅しの手段を使ったようにしか見えないのである。このご時世多くの人達が地球人を見れば逃げ出したくなるものだ。人を見る目だけが取り柄と言われてきた私がこんなことを言うのは多少の混乱を招くかもしれない。しかし、論理的においても情緒的においても筋の通ったことではないだろうか?〉
 「どうせ、ボロクソに書かれているんでしょ?」
 と、ソラはじっと自分の膝を見つめながら声を低くして言う。
 「ソラ君はそう思うの?」
「うん、絶対ボロクソでしょ?」
パズは記事を見つめ、数秒くらい間を置いてから言う。「ふぅん。そう思うのなら、ずっとそう思って反省していなさい。……で、ソラ君としてはこの件に関する汚名返上は望んでいるのかな?」
「……わがままを言ってしまえばその通りだ」
「あら、そう」
パズはそう言うとジャケットの内ポケットから新しく資料を取り出して見せた。30代半ばだと思われる女性の顔写真と、その女性に関する情報が纏められている。
ソラはそれを見て幾分か驚いた顔をする。「え?地球人?」
「そう。彼女の本名は不明。ルナと言う名前で知られている。話によるとルナはこのモンブランのどこかで裏社会のボスとして君臨している上、地球勢力の間でも強い権力者として知られている。彼女がモンブランに潜伏しているのは地球の軍隊に下手に攻撃させないため。現にこのモンブランに潜伏できたのは文化の観察が目的のあなただけでしょ?」
「うん、そうだけど。そういう力の圧力があったんだね……」
「まぁ、そう言えば聞こえはいいのだけど、彼女はその立場を悪用して違法薬物や人身の売買、超兵器開発、あらゆる悪質な犯罪をこの惑星で行なっている。私達は彼女を始末したい意向で動いているの。成功した後がリスキーだけどね」
「で、あんなやらかしをした俺にどうしろと?」
「彼女をこのモンブランから消してほしい。方法は自由」
「は?」
「いくら彼女でも同じ地球人のあなたなら油断してくれるでしょ?」
「地球人は疑い深い種族だよ」
「え?そこまで言うってことは、あなたは汚名返上をしたくないの?」
パズの言葉に歯を強く食いしばって黙り込むソラ。パズの話し方からして、彼女はどうしてもソラにルナを消す手段に利用したいらしい。きっとそれは、何としてでも上層部の者達からのソラの評価を上げたいという彼女の優しさから来ているのだろう。
そう悟ったソラは歯を食いしばるのを止め、ゆっくりと頷いた。

大雨が降り注ぐ中、小型バスに似た8人乗りのタクシーを降り、傘をさして周囲を見渡してみる。真夜中だというのに、町は建物と鮮やかな電光掲示板の明かりで昼間のように明るくなっており、人々はレインコートを身に付けて居酒屋やカジノに似た賭博場、地下格闘技場を行き来している。
ソラはガルンとパズにこの第7楽園街という名の街について質問した時のことを思い出す。
【Play back】
「ガルンさん、俺がこれから向かう第7楽園街ってどんな場所なのですか?」
「上品とはかけ離れた最悪の町だ。過去に一度だけ仕事で行ったことがあるが、私は二度と行きたくない」
と、携帯用の武器や服装を纏めてソラに手渡したガルンは無表情でそう言った。「お前が五体満足な状態で無事に生きて帰ってこれる努力を我々はする。装備だって極力点検する」
「そんなにやばい場所なんですね……。地球圏にてある程度訓練を受けた俺でも、正直怖くなって来ましたよ」
「心配する必要は無い。何度も言うが、できる限りお前が無事であるように装備は極力点検する。何故なら私達はプロだからな」
と、ガルンは鋭く細い鉤爪を器用に使いこなしながら引き続き、細かい装備や部品を纏めている頼もしい姿を見せた。絶対にこの敵意のない地球人を生きて帰らせようと言わんばかりに。
【Play forward】
【Play back】
装備や荷物を全て揃えたソラは協会の装甲車に乗せられた。
ソラは同乗していた軍服姿のパズに同じ質問をした。「パズさんにとって第7楽園街ってどんな場所なの?」
「快楽で満ち溢れたカオスな街」
と、武器を担いでいる彼女はソラを見向きもせずにそう答えた。
「裕福層なら誰もが行きたがる場所ってこと?じゃあ、俺とかも虜になるかもしれないの?」
「そうね。間違っても依存はしないで」
「うん。分かったよ……」
【Play forward】
ソラは思った。どちらにせよ無防備で立ち入っていい場所ではないということには変わりはないのだ。
ふと道端を見てみると、異星人の死体が幾つか転がっていた。護身用のナイフや銃などを装備してきたものの、やはりこれを見ると逃げ出したい気分になる。
樹海の星の住人の姿をしているソラは水溜りを飛び越えながら地下町への入り口を見つけて傘を折り畳み、そこから伸びる階段を下っていく。地球の階段と違って段差の大きさが極端にばらつきがあり非常に下りにくい。ある段は1メートル以上もあり、ある段は小指の第一関節ほどしかなかった。より多くの種族と共存しているからという理由にしては造りが非常に雑に感じる。
やっとのことで下り終えたソラは迷宮にように広がる地下町と、そこにぎっちりとどこまでも並ぶ店を眺めた。店の前で串刺しにした異星の巨大な鰐に似た動物を丸焼きにして料理している店、武器らしきものが並べられていて屈強なガードマンに守られている店、異星の動物達が高値で売られている店、電光掲示板から色気のある光が特徴の風俗店、全てに知的生命体が根本から持ち合わせているあらゆる欲を引き寄せる魅力があった。
ソラはパズから受け取った地図を開いて目的地へと向かう。まるで難易度の高い迷路が書かれているような地図であり、自分の現在地を指でなぞり続けないとすぐに迷子になってしまいそうだ。
「おう、勇敢に地球人への抵抗を已めない樹海の星の人。いい娘がいるからうちに寄ってけよ」
「そこの兄ちゃん。うちにいい油鰐(あぶらわに)の肉が入荷したんだ。食っていくかい?」
「そこの坊や。あなたの運勢を占ってあげるよ?今なら結構お得だよ」
ソラはそれらの言葉を全て無視して目的地まで辿り着く。そこは他の店と大して変わらない薄汚れた外観の店であった。赤い看板と暖簾の向こうにはいかにもこの地下町における平凡な飲食店というイメージだ。厨房などを除けば和室十二畳ほどの広さであり、5人ほどの客が奇抜な外見のスープや麺類に似た料理を食べている。
「いらっしゃいませ」
と、奥から現れるクラゲの傘のような顔でどこが口でどこが目なのかが分からないのが特徴の店員。その首から下は、体格がゴリラのようにがっちりとしており、クラゲのようなぶよぶよした皮膚が覆っている。「お客様、何名様でしょうか?」
「1人」
「こちらのカウンター席でどうぞ。ご注文はお決まりですか?」
「注文は桜牛(さくらうし)の雨蜜(あめみつ)マシマシでお願いします」
「はい?」
「いえ、何でもないです。すいません」
ソラはパズから指示された通りに軽く頭を下げる。「あっ、それとトイレはどこですか?」
「3番ですね。今からご案内します」
クラゲ頭の店員に案内されるがまま、厨房を横切っていくソラ。厨房ではナマズのような髭を生やした料理人達が手際よく肉や野菜を炒め、皿に盛り付けている。彼らはこの店の実態を理解した上で個々の料理人をやっているのだろうか?それとも何も理解せずにここで料理人をやっているのだろうか?もし前者だとしたら一体、どんな心境で料理を作っているのだろう。噂だとこの店の料理の味は絶品だという評判らしい。もしかすると彼らは自分がいる世界がどうとかよりも、自分が満足できる環境で高い評価の食事を作るということが成り立っているだけで幸せを感じているのかもしれない。
厨房を通り過ぎ、明るい木造の廊下へと辿り着くソラ。ワックスが丁寧に塗られ、光沢を放っているそれは清潔感を感じさせた。
「お客様、あなたは地球人ですよね?私は嗅覚には自信があるのですよ」
と、店員はクラゲの傘の顔で人懐っこいと思われる声を出すが、その裏には廊下の奥の部屋にいる女帝への絶対的服従と命に変えてでも守ろうとする強い使命感が感じられた。おそらく裏の世界ではかなりの手練れのガードマンなのだろう、とソラは予想した。
「はい。そうです」
と、ソラは正直に答え、猫人間のような姿から地球人としての姿に戻った。
「念の為、これもお願いします」
と、店員はポケットから胡椒の瓶のようなものを取り出す。「顔を上に向けて下さい」
「はぁ?」
「ここのルールです。勿論従っていただけますよね?」
「勿論、従います」
と、ソラが顔を上に向けた瞬間、店員は躊躇なくソラの鼻の穴に胡椒らしき粉を入れていく。
盛大にくしゃみをし、何度か咽せるソラ。
店員は頭の傘を揺らし、にこやかであるらしい少し不気味な笑い声を上げる。「お客様。ご協力、どうもありがとうございます」
「ペフォ、胡椒をかけたのなら、さっさと客人を入れろ」
と、廊下の奥の部屋から聞こえてくる低い女性の声。
ペフォと呼ばれた店員は「荷物をお預かりします」と言って素早くソラのリュックサックと携帯用武器を預かると、彼女がいる部屋へと案内した。
中に入るとそこは床や壁が真っ赤に染められた広い部屋。その中央になる巨大なソファには北欧と東洋のハーフと思しき地球人の女性が腰掛け、大きなモンブランを食べている。190センチはあろうかという高身長に筋肉質かつグラマラスな体型と恐ろしく整った顔立ち、自分の身長ほどはある長い髪がソファの後ろへと垂れ下がっている。光沢を放った特殊な生地の白いワンピースを着ており、長いヒールのヒールブーツがただでさえ大きい背丈をより大きく見せていた。「この私に何の用かな?地球圏から送り込まれた文化観察員第77号。いや、源尾(みなお)ソラと呼ぶべきだったか。新聞では随分と大胆に取り上げられていたな」
それを聞いて思わず後退りをしてしまったソラ。
彼女の口調はとても穏やかだったが、その何気なく放たれたその言葉にはパズの父親ジオに似た大陸のような重みをずっしりと感じる。おそらくその重みの正体は一言で多くの命が失われることも容易く受け入れる彼女の強い決断力と責任感から来ているのだろう。
「ルナさん……俺のこと、知っていたんですね……」
「お前の情報は大方把握済みだ。それに、何をしにここにやって来たのも大方予想が付く」
「はい。俺はルナさんにモンブランから出て行くお願いをしにやって来ました」
「地球人調査協会の連中の肩を持つか。理由は分かる。しかし一つ聞くが、私の存在がこのモンブランからいなくなった時の対処法は考えてあるんだろうな?」
「いいえ。それはこれからルナさんとしっかり話し合おうと思います」
そう言い終わったソラの顔を何かが瞬時に横切った。ソラは自分の切られた前髪が床に散らばったのに気が付くと、目の前にいる女性に全く隙がないということを再認識させた。おそらく一言でも言葉を間違えれば一瞬で殺されるのだろう。
無表情だったルナは初めてソラに向かって笑みを見せる。「今の投げナイフで動じないとは、14の子供のわりに肝は据わっているようだ。いいだろう。お前の対等な話し相手になってやる。おそらく今のお前は言葉を間違えただけで私に殺される恐怖で何も話せないだろうから、言いたいことを言う許可をやる。私もここ最近、誰かと対等に話をしたことなんて一度もなかったから退屈していたんだ」
 何もかもお見通しかよ。と、ソラは思った。
 「……ありがとうございます。ルナさん。でも、14の俺には政治のことなんて難しくてよく分かりません。でも俺には言いたいことを言う義務と権利がある」
「その通りだな。でも、まず最初に私から言わせてくれ」
「どうぞ」
「私は近い内にモンブランを出ようと思っている」
「え?」
突然の告白にソラは呆気に取られる。「それはどういった具合に風向きが変わったのが原因ですか?」
「今から私がする話は口の固いことで有名な地球人調査協会以外の連中には一切口外するんじゃないぞ?」
「分かっています。話される相手が相手ですから」
「先日、私の耳に嫌な情報が流れ込んできた。表向きのニュースでは、モンブランの政治家をしている海藻の星の住人が共にラーメンを食べていた地球人に殺され、その地球人も自殺をしたという。私達にとってはよく聞く類の殺人事件だったが、私はその真犯人が非常に厄介な奴であることを知った」
「その犯人って何者です?」
「黒森(くろもり)翼(つばさ)。地球圏の支配者グランドマスターの指示に従うエージェントだ。誰かと会話をする時は常にモニター越しらしく、正確な顔は誰にも分からない。顔が分からない詳しい理由については後で説明しよう。とにかく奴はグランドマスターのためとあれば裏の仕事だって平然とこなす国の便利屋みたいなものだとイメージしてほしい」
「その黒森をルナさんが恐れるということはよっぽど手に負えない厄介な奴なんですね?」
「あぁ、とてつもなく厄介な奴だ。奴はグランドマスターの命令で10年以上前からこのモンブランに潜伏していた。モンブランと地球圏との統合をするための手筈を整えるために。しかし、それは表向きの話だ」
「表向き?」
「ソラ、お前は地球での新型爆弾による被害の唯一の生き残りだったな?」
「はい。そうです。それと何か関連があるのですか?」
「地球で新型爆弾が使われたのは地球圏の全体主義に異を唱える過激派による作戦だったが、それには間接的に黒森が関わっている」
ルナはわざと衝撃で言葉を失っているソラの返事をじっと待った。そんな精神強度じゃ、すぐに黒森に操られてしまうぞ、と言いたげに。
やがてその意図を察したソラは石のように固くなっていた口を力強く開いた。このままじゃ駄目だ。こんな子供のままじゃ俺は愛する人がいるこの星を救うことができない。暴走族同士の喧嘩を止られたのは運が良かっただけだ。
言葉では形容できないほど辛いことではあったが、彼は心を鬼にして痛みという概念を心から消したようである。「え?どういうことです?説明して下さいよ!」
「黒森の言葉巧みな技術によって増長した過激派が新型爆弾を使ったのだ。黒森が演じるカリスマスポークスマンへの崇拝の意を込めてな。黒森演じるスポークスマンはそれについて責められたとしてもこう答えるだろうな。『自分は過激派の彼らを同じ民主化を望む同胞だと思い高く評価したことで増長させてこういう事態を招いてしまった。信頼する相手を間違えてしまったことに関して心からお詫びする』と。実はこういった激しい内戦は宇宙都市内でも頻繁に起きているのだが、それも彼の手が間接的に関わっているものだろう」
「ちょっと待って下さいよ。ルナさん」
「何だ?」
「黒森がそうしたっていうことはグランドマスターの意志でもあるということですよね?何故、グランドマスターは自分が支配する地球圏でそんなことをさせるのでしょうか?」
「全てグランドマスターの暇潰しなのだよ。ソラ、洗脳教育を受けてきたお前は本当に何も知らないんだな」
「暇潰しですって?」
「そうだ。途轍(とてつ)もなく変な話だが、事実なのだ。例えるならばゲームのセーブデータを一度リセットしてまた新しくやり直そうとする感覚に近いのかもしれない。今、地球圏各地で起きている内戦はそのリセットの最中みたいなものさ。全体主義の国家をリセットして新しい民主主義の国家へと作り替える」
「絵本みたいにぶっ飛んだ話ですね。ということは、黒森はグランドマスターがゲームをスムーズにするための便利屋ということですか?」
「その通りだ」
「ルナさん。洗脳教育を受けてきた俺からの質問なのですが、結局グランドマスターって神のような存在だと聞かされていましたが嘘ですよね?結局彼は何者なのですか?ルナさんの話が全て事実だとしたら多分、権力と孤独に支配された頭のおかしな人間ですよね?」
「それは私にも全く分からない。それを調べるべく、以前何人か優秀なスパイを送り込んだが全員が行方不明となった。私の手に負える相手じゃない。その忠実な犬である黒森も同様だ」
「えげつないですね……」
「グランドマスターと黒森によって仕組まれた内戦がこの調子で続けば、近い内に地球圏の全体主義は崩壊し、新たに民主主義となる。黒森は一応民主主義化に影で強く協力している地球人だ。やがて民主主義の時代が来れば、グランドマスターが死んだという本人による偽情報が広められ、奴はそれを手伝った顔の分からないミステリアスな英雄として名を知られ、謎のカリスマとして大衆の人気を集めるだけではなく、各星々の政治家すらも言葉巧みに操ってしまうだろう。そして今まで争ってきた数多くの星々との平和協定が結ばれるのも時間の問題。そうなればこの星がいずれどうなるかぐらいは予想がつく」
「……ルナさんの話から予想すると地球人、異星人関係なく夥(おびただし)しい数の味方をつけた黒森とその影に隠れたグランドマスターによってモンブランを始めとした数多くの星々と地球圏はこれからもゲームのように思い描くままにされる……ということですよね?だとすれば地球人にとってもモンブランにとっても厄介な存在じゃないですか」
「その通りだ。そうなってしまっては幾ら私と言えど勝ち目はない。どこかの辺境の星でまた新しいビジネスでも展開しようと思う。私が名付けたこの星を離れるのは正直寂しいが金は腐るほどあるからな。……話を続けると、特に恐ろしいのは黒森の能力なのだ」
「能力?どういうことですか?ルナさん」
「これはさきほど話した、奴の顔を知る者はいないことと深く関連している。ソラは、黒森翼が不死身の魔法使いだと言えば信じるか?」
「不死身?魔法使い?何らかの科学技術ですか?」
「不死身と魔法の正体は私の情報網でも分からなかった。分かっていることとして、奴は今持っている肉体が死ぬ、又は自殺をすることで、自動的に新しい地球人の肉体を乗っ取って活動できることだ。しかも多種多様で強力な超能力まで使いこなすことができる」
「え?……。今のルナさんが冗談を言っていないことは直感で分かります。そんな奴、どうすることもできないじゃないですか……。ルナさんの権力を使って何度殺しても不死身の能力でただ地球人が減っていくだけ……。最終的に黒森だけの1人ぼっちな地球人ですよ」
「そんな特に絶望的な不死身の能力だが、一応それの対処方法はある」
「それはどんな方法です?」
「まず代表的なのが黒森が宿った肉体にくしゃみをさせることだ。そうすれば奴は霊体だけの姿となり、自動的ではなく、自力で地球人の肉体を探さなければならなくなる。しかも、お前のような異星人に変身できるナノマシンを埋め込まれた地球人を乗っ取ることはできないというもう一つの大きな欠点があるということが最近になって分かった」
「なるほど。それでさっきの店員さんから胡椒を鼻に入れられたわけですね。決定打とは思えませんが、咄嗟の危機回避として使えそうですね。で、超能力とは具体的にどんな能力なのです?」
「幻影を見せる能力、念力、テレパシー、返信能力……。分かっているのはこの三つだ。この他にも10種類以上あると言われている」
「判明している超能力だけでもえげつないですね……。多分、話の流れとして、ルナさんは俺に黒森を消してほしいということですか?無理ですよ?だってルナさんでも無理だったのでしょう?」
「どうするかはソラ、地球人のお前の判断に任せよう。黒森とグランドマスターによっていつひっくり返されるか分からん偽りの平和を楽しむか、グランドマスターの手足である黒森を消すという荊の道を歩むかの2つに1つだ。ちなみに何度も言うが奴は超能力を持っている。単純な殴り合いでも勝てる相手はいないだろうな。他の星で他のビジネスをすると決心した私はお前と地球人調査協会という小さな可能性に希望を見出していたのだ。これは私からの気まぐれだと思ってくれ」
「なるほど……。分かりました。今回話したこの内容は約束通り地球人調査協会の人達にのみに相談し、黒森をどうするかは自分が決めます。それじゃ、今回はありがとうございました」
異星人としての姿に戻り、部屋を出て行こうとするソラ。
「待て、ソラ。最後に、ここに来るまでお前を追跡していた不審な者がいたので捕らえておいたぞ」
「え?」
「気を付けろ。こういう世界では常にシビアが付き纏っている。ペフォ、そいつを連れて来い」
部屋のドアが開き、ソラにとって見覚えのある人物がペフォによって拘束された状態で中に入ってくる。
「え?お前は!」
クラスメイトの親友の姿をソラは見る。掌の上に乗せられるほどの小柄な身長ですぐに分かった。拘束された際に乱暴な目に遭ったのか、その小さなセーターとズボンは所々破けており、口には猿轡が取り付けられていた。その光景を見ていると、着せ替え人形の遊びをしている様にも見えなくはなかった。
唖然としたソラはしばらくペフォに指先で胸倉を摘み上げられているヌウィンを見つめる。「えっと……あの、ルナさん。俺と彼は親友です。きっと俺のことを心配して跡をつけくれていたのでしょう。この場所については黙るように言い聞かせますから、どうか解放してあげて下さい」
「その言葉、本当に信頼していいのだな?」
「はい」
「迷いが無い。胡椒も鼻に入れてチェックしたことだし、いいだろう。同じ地球人の頼みだからな」

その後、ソラは解放されたヌウィンと共に地下町を出てすっかり雨の止んだ湿った道路へと出た。ヌウィンは珍しくソラの肩の上には乗らず、自力で地面を歩いていた。
「あの、ところで何故俺をつけていたんだよ?」
と、ソラは気まずそうにヌウィンに話しかける。
するとヌウィンは八つの目でソラを睨みつけてから言った。
「惚けないでよ。あの時、君はあの危険な喧嘩の中へと突っ走っていったじゃないか。しかも逃げたかと思えば地球人の姿になるという奇行に出た。その後行方不明。帰りにこの楽園街を通りがかったら、君が地下町へと入って行った。親友として心配で後をつけて当然だろ?」
ソラは猫のような大きな目を見開き、動きを硬直させる。「色々黙っていたことは謝るよ」
「ということは地球人だったんだね?」
「……うん。俺は地球人さ。それもモンブランの地球人調査協会の監視下という首輪付きのね。敵意は無いよ」
考え込むように黙るヌウィン。「……地球人調査協会か……そうだったんだ。分かった。僕はその事実を受け入れるよ」
「怒らないの?いくら監視下といえ、俺の正体が地球人だったんだよ?とても受け入れられるとは思えないけどな」
「君が転校生としてやってきたあの日、君は虐められっ子を庇ったことで責め立てられていた僕を助けてくれた。その後仲良くなって、話していて共通話題もいっぱいあってとても楽しかった。そして君と僕は永遠の友情を誓い合った。その時に誓い合った友情が嘘だとは思いたくない。だから今回は僕が君を助けたいんだ」
「友情……」と、ソラはやや掠れた声でボソリと行った。「じゃあ、約束してくれ。俺のことだけじゃなくて、今回俺がルナさんに会ったことは地球人調査協会から与えられた仕事なんだ。絶対に秘密だぞ?」
地球人同士の約束と信頼を裏切るわけにいかないから、と彼は心の中で付け足す。
それに対し笑顔を見せるヌウィン。「人の秘密を簡単にばらすクズに僕が見えるかい?」
「……少なくともそうは見えないかな。ヌウィンは」
ヌウィンは笑顔から苦笑の表情へと変えた。「とにかく、口外しないよ。あんな裏社会の首領と関わっちゃったんだ。下手したら無事じゃいられないだろうな。それと、ソラはあの女が同種の地球人だといえ、関わる相手はしっかりと考えた方がいいよって言いたくなったけど……協会から与えられた仕事だから仕方ないよな」
「ありがとう。相変わらずヌウィンは感が鋭くていい奴だな」
「いいってことよ…………それと、今思い出したのだけど、ソラに質問があるんだ。あの時、店のマスターが暴走族の喧嘩を止めに行った時、君は何か思い詰めたような顔をしてから店を飛び出してマスターを助けに行った。人間の姿になってまで。君が誰かを助けようとするなんて虐められていた僕を助けてくれたあの日以来、初めてだった。一体ソラの何があそこまで突き動かしたの?言っちゃ悪いけど、君は誰かが困っていたらまず助けないでしょ?命令されない限り」
「それは……」ソラは下をじっと見つめて考え込む。「……暴走族の喧嘩を止めに行くマスターの勇敢な姿が……死んだ俺の父さんに似ていたから……。誰かが偽善者ぶって死ぬのを見て、父さんが目の前で死んだトラウマを繰り返したくなかったから……。俺が地球人の姿になって止めに入ればきっと暴走族達も驚いて逃げ出すと思ったから……」
「昔の自分のトラウマ?君の父親?……それは、かつて豊かな自然で溢れていた地球でのエピソードかな?」
「うん。……8年前のことだったと思う。あの日、俺は川で父さんと一緒に遊んでいた。すると、近くで小さい子が溺れそうになっていてさ。父さんは勇敢にも川に飛び込んでその子を岸まで引っ張って助けたのだけど、父さんは不運にも流れてきた流木にぶつかって流されちゃった……」
「その、君のお父さんの行方は?……」
「数日後に発見されたけど、息をしていなかった。……母さんは精神的に不安定になっていったし、俺は知り合い全員から可哀想な人扱いされるようになって、何の気遣いなのか知らないけど、どんどん俺の前から離れていった……。父さんのやったことは大馬鹿だ。だって子供一人助けて俺の家族を不幸にさせたのだから。俺は父さんみたいに可哀想な誰かを助けようという偽善者が大嫌いなんだよ」
ヌウィンは黙ってソラの話を聞いていた。
ソラはヌウィンが自分の話を真剣に聞いてくれているのだと察すると、更に話を続けた。
「でも、父さんみたいに自己犠牲で死ぬ人を見るのもトラウマだから大嫌いだ。だから俺は、虐められっ子を助けたことで虐められていた君を助けたし、マスターの代わりに俺は暴走族達の喧嘩を止めに行った。代わりの偽善者としてね。結果として、俺はヌウィンと虐められっ子を助けることができた。でも、虐められっ子にも大きな問題はあったから、俺とヌウィンは面倒なことにも付き合わされなくちゃいけなくなったし、周りから腫れ物扱い。暴走族の件だって、俺は新聞でボロクソに叩かれるほどの腫れ物扱いだし、そして何より周囲の人達に迷惑をかけてしまった。全員に対してハッピーエンドを届けられなかった」
「そっか。ソラも辛い思いをしていたんだね……。ちなみにだけど、君がパズさんを好きになった話は本当なのかい?」
「いきなり何だよ?……それは、本当の気持ちだぞ?」
「だったら多分、ソラの中での偽善者の話と、ソラがパズさんに何度も助けて貰っていくうちに好きになったという話がどこか繋がる気がするんだよね」
「確かに。……その二つは確かに繋がっていると今感じた……。今はあまり頭の中で纏められていないから、正確なことは言えないけどな」
ヌウィンは思い詰めた表情と思しきものを浮かべている。「まあ、恋愛は熱くいこう。頑張れよ」
「何度もありがとな」
「ごめん。話を長くしちゃうのだけど、ソラにまだ言いたいことがあるんだ」
「何だい?」
「……昨日の新聞の記事を読んでから感じてはいたけど……地球人も僕達と同じようにドラマや想いがあるんだね……」
「新聞を読んでから?ドラマ?想い?どんなことが書かれていたんだよ?」
と、ソラはふと親友の顔を見た。
「ソラ、僕はその新聞を適当に読んだだけだから内容はあまり覚えていないけど、君が悪者じゃないと考えている人が結構いたみたいだよ。きっと争いを辞めさせるために地球人の姿として現れたのだろう……とか。悪い奴には見えなかった……とか。勿論ボロクソな記事もあったけど、この宇宙の人達全員が君を腫れ物扱いしているだなんて絶対に有り得ないことなんだよ。しっかりしな」
「そうだったんだ……。ありがとう。……教えてくれて」と、ソラはしばらく夜空を見上げ、しばらく物思いにふけっていた。でも、俺は偽善という行いを好きになれそうにない、という言葉を胸に噛み締めて。
夜空には満天に無数の星々が広がっている。ソラはその片隅でただの空騒ぎをしていただけなのかもしれない。偽善の行いを好きになれない彼の性格も含めて。
ごく当たり前のことなのだけど、誰もが一瞬で忘れてしまう大切なことだった。

 ソラがルナの地下町から生還して1ヶ月が経った。
 ルナがモンブランを出るのを知り、一旦胸を撫で下ろした地球人調査協会は、ルナの証言によって明らかとなった黒森の対策を練っていた。
 当然ながら彼らの管理下にあるソラはモンブランという文化に馴染むための平和な日常生活が約束されながらも、黒森に関してまとめ上げた資料へ目を通すことや、いざ敵の勢力と戦闘になった際の戦闘訓練などの忙しさで溢れかえる。ガルンからは、もっとスケジュールを楽なものへと変更するかと提案されたが、その1日のスケジュールは地球における学校に近かったため、ソラにとってそこまで苦に感じなかった。
 ソラは部屋の勉強机の前で、黒森や地球政府に関する資料に目を通していると、パズとガルンが部屋に入って来た。二人が同じタイミングで現れることはおそらくこれが初めてであった。二人の並ぶ姿を見ていると、いかにガルンが背の高い異星人であるかがよく分かる。
「ソラ」とガルンはやや威圧するように言った。「いよいよ明日、奴は変身能力で姿を変え、中央街のコンサートホールで演説を行うようだ。内容はおそらく、地球圏の民主化に協力してほしいといった仲間集めの内容だろう。おそらく備えで100人以上の体のストックとなる部下を連れて来ていると思われる」
「了解です。ガルンさん。お疲れ様です。しかし、黒森という奴はかなり厄介ですね」
と、ソラは苦笑いして言った。
「安心しろ。そんな厄介に対抗できる対策を我々は考えておいたからな」
「あなたにはその対策に沿った作戦に参加してもらいたいの」とパズは言った。「明確な内容とそれらについては後で紙媒体で伝えるね。ちゃんと目を通しておくように。それと、これをあなたにあげる。私達協会に所属する様々な種族の想いを籠めたお守り。大切にしてね」
ソラはパズから銀色のペンダントの様なお守りをそっと受け取った。「ありがとう。パズさん」
「どういたしまして。あっ、それとソラ、少し気になったことがあるのだけど……」
「どうしたの?パズさん」
「黒森は極悪人ではあるけど一人の地球人であり、黒森を敵に回せば、まずあなたの故郷である地球圏を敵に回すことになる。あなたは自分の意志で黒森を消すことを決定したと言っていたけど、辛くはないの?」
「うん。ちっとも。地球にいた時間よりもモンブランにいた時間の方がずっと好きだ。ここは俺にとって第二の故郷ですから。絶対に守る」
パズさんのおかげで、とソラは心の中で付け足した。
「そう……だといいのだけれど」
と、パズはどこか心配な表情を浮かべて言った。
相変わらずの表情を殺していると思われる顔でソラを見ているガルン。「ソラ。お前は自分の人生は自分で決めるということをはっきりできているようだ。見直したぞ。それは素晴らしいことであり、私達も見習わなければならないことなのかもしれないな。しかし、正いことは一つだとは限らない。お前がこの作戦に参加しない選択だって十分に可能なのだぞ?」
「二人とも、お気遣いありがとうございます。でも、今の俺は誰にも止められないと思います」

【1人ぼっちな少年の話:最終章】
 ……不安……………………………………。
 ……………………………嫌悪………。
 ……………………………安らぎ。
 ……………痛み……………。
 …追憶…………………。
 ………混沌………。
 ……絶対的…。
 悪夢……。
目が覚めた時は全てが終わっていた。
ソラは周囲を見渡し、光という概念が存在しない深淵の世界に自分がいることを知った。
「ガルンさん?パズさん?……えっと、誰かいないんですか?一体何があったんですか?」
どんなに大きく叫んでもその振動はすぐに闇に吸収されているかのように瞬時に静まり返った。
「おや?もう忘れてしまったのかい?」
と、どこからか誰なのか判別できない低い声が響き渡ると、遠くにスポットライトが照らされ、そこに現れる人影。
「初めまして。文化観察員第77号」
ソラと同い年ほどの少年はダークスーツに目玉模様の不気味なネクタイを着用し、にっこりとした笑顔でソラを見つめている。
一瞬でも気を抜くとすぐに気を許させてしまいそうな笑顔と、ルナが放っていたものとは明らかに別の種類の緊張感。ソラはスポットライトに照らされているその少年が黒森なのだと瞬時に察した。
「第77号ではなく、ソラと呼んで頂きたいね黒森」
「失礼。では、気軽にソラ君と呼ぼう」
「で、……ここはどこだ?俺に何をしたんだ?一体何が起きたんだ?」
「忘れてしまっても仕方がないかもしれないね。君達地球人調査協会は僕を暗殺すべくコンサートホールで作戦を実行していたじゃないか?わりとスパイ映画でよく観るような、かなり手の込んだ奴をね」
ソラはそんな記憶が少しでも残っているかを確認したが、全く思い出せない。もしかすると黒森によって意図的に消されてしまったのかもしれない。ここまで得体の知れない超能力者ならできて不思議ではない。
黒森は続けた。
「君達は僕が連れてきた体のストック達を全員殺し、僕にくしゃみをさせて魂だけの僕を捕まえて封印する作戦に出た。賢い作戦だったかも知れないけれど、君達は僕の能力に関してあまりにも無知すぎた。それだけの能力ならもうとっくにルナ達に殺されていたからね。僕の能力は死んだら他の地球人の体を乗っ取れること以外にも沢山あるんだよ。どれも極秘だけど」
「協会のみんなはどうしたんだよ?まさか……全員殺したのか?」
「ソラ君が一番怒るやり方でやらせてもらったよ。正当防衛としてね」
ソラは殴りかかる体勢に一瞬入るが、すぐに落ち着きを取り戻す。俺は何故他人のことでここまで熱くなっているんだ?そもそも相手の情報が足らなすぎるし、嘘を言っている可能性だってある。それに、ルナから無言で教わった怒りと悲しみを感じない心も必要不可欠であった。
ソラは区切りを付けるように一旦咳払いをする。「黒森。何故、こんな俺に向かってそこまでお喋りをするんだ?俺は言うなれば裏切り者だろ?邪魔なら黒森、早く殺せばいいじゃないか?」
「ソラ君、僕と君は同じ地球人じゃないか。簡単に殺すわけにはいかない」
その言葉の裏にはいずれ殺すという意味合いが含まれているようにソラは感じ取った。
相手のペースに乗せられたら負けだ。そして相手の思惑を観察しなければならない。正直、ソラにこのような心の将棋の自信と経験値はほぼ0に近い。「流石ミステリアスナで誰も素顔を知らないスポークスマン。綺麗事を並べるのがお上手みたいだな。だったら俺から質問だ。黒森、お前のその変な力は一体どこで授かったんだ?」
「僕の能力は地球圏の最高の科学力によって授かったものだよ。あっ、勿論僕には産んでくれた母親がいるさ。でも、産まれた直後に超能力を授かる薬品を打たれてからはずっと離れ離れ。気になってはいない。僕は太陽の存在であるグランドマスターさえいれば満足だからね。これから僕はそんなグランドマスターの願いを叶えるために地球圏の全体主義を転覆させるのさ。一種の遊びとしてね」
「黒森。お前、今年で何歳なの?」
「今年で14。君と同い年だ」
ふぅん。と、ソラは頷き、相手の返答を待った。
それをすぐに察した黒森は話し始める。
「気になったのだけど、ソラ君……君にとってこのモンブランはどんな場所なのかい?」
「第2の故郷だ」
ここには俺の好きな人がいるからな。と、ソラは心の中で付け加えた。
黒森は卵の白身の様な顔に手を当てて考える素振りを見せる。「そっか……じゃあ、僕は話していて退屈してきたことだし、今からソラ君にはその第2の故郷から消えてもらうよ。僕ですら把握できない絶対的空間によってね」
「は?」
するとソラの視界の中央に光の柱のようなものが広がり、やがてそれは彼に狙いを定めた蛇のようにソラを飲み込んだ。ソラは圧倒的な勢いで体が出鱈目に捻じ曲げられながらも、大きな光のトンネルを勢いよくくぐり抜けていく。いや、落下していくという表現も的確かもしれない。感覚としては水が勢いよく流れるダクトの中で圧倒的な不可抗力に虚しく抵抗する小さな魚に近かった。
トンネルに流され続ける中、ソラの意識は少しずつ失われていく。
 ……不安……………………………………。
 ……………………………嫌悪………。
 ……………………………安らぎ。
 ……………痛み……………。
 …追憶…………………。
 ………混沌………。
 ……絶対的…。
 悪夢……。
蝉が激しく鳴いている。
ソラは木々が生い茂り、あまり舗装しきれていない山の道路にて、強い日差しを浴びながらぽつんと立っていた。ここはどこだろう?地球か?それとも宇宙都市内の壮大なビオトープだろうか?少なくとも樹の形状からしてモンブランではない。
突然、ソラの前にやってくる一台の青いBMW。窓が開き、運転手の男性が顔を見せる。がっしりとした体格で上下にジャージを着込んでいた。「少年、もしかしてここで迷ったのか?」
「え?父さん?……」
と、思わず放ったその言葉をソラは瞬時に訂正する。「あ、失礼……しました。あ、はい。目下迷子……みたいな?」
「はぁ、そうかい。ここの山道はよく虫採りに来た子供が迷子になってお巡りさんのお世話になっているんだ。よかったら麓(ふもと)の町まで送ろうか?」
そもそも麓の町に行くのと、ここを脱出するのはイコールではないんです。と、ソラは心の中で囁いてから言った。「あっ、いえ、悪いですよ。そんな……」
苦笑する父親。「無謀な少年だ。いいのかい?ここ、熊が出るぞ?」
「あ、是非送って下さい」
と、ソラは熊という単語に反応したからか、反射的にそう言葉に出した。俺は何を言っているんだ?目の前に現れた父さんが黒森に見せられている幻の可能性だってあるじゃないか。
「よし分かった。後ろの座席に乗ってくれ」と、陽気に笑いながら言う父親。「玩具が積まれてあるけど、まあ、十分座れるだろう。でも、この車はクーラーがあまり効かないからそこは我慢だな」
幼い頃からそれを知っているソラは恐る恐る後ろの座席に座り込む。「はい。それでも全然大丈夫ですよ」
ソラがシートベルトを着け終わると車は走り出した。ソラはふと、自分の横の座席に積まれている玩具の箱をそっと見てみる。間違いない。父さんがあの時、俺の誕生日にプレゼントしてくれた宇宙人の人形だ。黒森にこの宇宙人の人形のエピソードをここまで再現できるはずがないと信じたい。
ソラはそっと口を開いた。
「……あの、すみません」
「何だい?」と、車を運転しながら何気なく返事をする父親。
「その服装からして、麓の町の学校で体操の教師をされている人ですよね?」
「まあ、そうだけど?その様子からして、何か悩み事でもあるのか?少年」
「はい。……もしものことですが—————」
ソラは自分が軽い嗚咽を繰り返していることに気が付くと、咳払いをして繰り返した。「もしも、誰かを助けようとした時に……その行為が、同時に誰かを困らせてしまうかもしれない偽善だって分かったら……あなたはどうしますか?」
「若いのに随分と難しいことを考えているなぁ……」と、父親はバックミラー越しに一瞬ソラの顔を見てから、唸り声を上げながら考える。
「ごめんなさい。難しい質問をしちゃって……」とソラは謝る。
「いや、いいんだ。……そうだな……誰かを助ける行為には、少なからず偽善が含まれていると俺は思っているんだ。どんな行為にも。別にそれ以上でもそれ以下でもないものさ。ごく普通でごく当たり前のことだ。だってそうだろ?全人類の論理的で堅苦しい行動も情緒的で不安定な行動も結局のところは情緒という偽善から来ているものだからな」
「どんな行動も……情緒という……偽善から来ている……」
「例えば、どんなに堅苦しく論理的に話す奴だって、結局は相手を論理で言い負かしたいとか、自分の考えを譲りたく無いとか、そういった下らない感情で動いていたりするだろ?」
その通りだ、とソラは素直に思い、何度も頷いた。
父親は続ける。
「自分の行いが偽善だって決めつけている奴は、それは自分の中だけで完結しているから普通にダサいと俺は思う。だって、助けられた人達は決してその行いを偽善だと思わないはずだからな。……だから、偽善かどうかとか、そういった臆病に縛られずに、まずは自分の感じた通りに人を助けるべきなんじゃないのかな?」
「助けられた人達は……偽善だとは思わない……」と、言ったソラは運転している父親の後ろ姿をしばらく見ていた。
父親は更に続けた。
「俺は今まで色々な生徒達を見てきたけど、誰かを助けて後悔したことは一度もなかった。それで他の誰かを困らせてしまったのなら、責任を持って最後まで困らせた人を助け続けたな。つまり、誰かを助けるということは後悔の無い生き方にも繋がるんじゃないかと俺は思う。何しろ、人生っていうのは短いからな」
しばらく父親の姿を見つめながら想いに耽っていたソラはやがて口を開いた。「そうですか……。その、ありがとうございます!」
「おいおい、こんなアドバイスでいいのか?俺なんて学校じゃ生徒達からの評価はそこまで高くないぞ?」
ソラは無言で首を横に振り、横にある宇宙人の人形を見た。赤や青などの鮮やかな色をした宇宙人だ。「この宇宙人の名前は何ていうんですか?」
「メトロン星人だな。『ウルトラセブン』に出てくる宇宙人……て、こんなレトロでマニアック過ぎる話なんて、今の若者が興味を持つものなのかい?」
「人によると思います。ちなみに俺は興味を持っていますよ」
と、ソラは正直に言った。
嬉しそうに笑いながら頷く父親。「そうかい。そうかい。じゃ、『ウルトラセブン』がどういう話なのか、君は知っているか?」
「覚えていません。なにしろ、小さい頃に少し見たぐらいですので。この時代において数世紀前の作品ですから、見せてくれた俺の親はかなりレトロでマニアックだったと思います。で、具体的にどんな話でしたっけ?『ウルトラセブン』は」
「簡単に言うと、だな……ウルトラセブンという宇宙人が地球のことが大好きになってしまったから、宇宙の侵略者達から地球を守る話だ。面白いのがウルトラセブンという宇宙人のヒーローが、敵の宇宙人達から最初は同じ宇宙人の仲間として見られているパターンが多いということだ。……考えてみればウルトラセブンは大変な苦労をしてきたヒーローだったかもしれないなぁ」
「それは具体的にどんな苦労なのですか?」
と、妙にその話が気になったソラは父親に質問した。
父親は迷いなく答える。
「考えてみろ。ウルトラセブンは地球を好きになって、たった一人で地球を守ろうとしたんだ。勿論地球を守るということは本来、仲間という括りの宇宙人達と戦わなくてはならない。お前は何故地球人の味方をするんだ?と敵側の宇宙人達から問われた回もあったくらいだ。どんなに立場を問われても、そしてどんなに地球人に失望したとしても、ウルトラセブンは地球を守るという意志を崩すことはなかった」
「でも、いくら地球を愛したからといって、そこまで諦めずに地球を守ろうとした理由が俺には説明できる気がしないです。地球人に失望したこともあったのでしょう?ウルトラセブンはどうしてそこまでボロボロになってまで地球を守ろうとしたんですか?」
「後悔が無いように生きたかったからじゃないか?自分の偽善を受け入れたウルトラセブンが。……これ、さっきの話に戻ってしまうけどな」
ソラはじっと目を閉じ、置物のように静けさを保ち、そっと考えを研ぎ澄ます。『ウルトラセブン』……まるで今の俺みたいじゃないか……宇宙の片隅の星モンブランを好きになって、たった一人で地球人からモンブランを守ろうとする……違うのは地球人と宇宙人という立場が入れ替わっているくらいだ。と、ソラは思った。
「ソラ君!どこにいるの?ソラ君!」と、突然響く少女の声。
パズさんだ。迎えに来てくれたんだ!とソラは瞬時に察した。車の横には大きな光の扉の様なものが開いている。
扉の向こうから現れるパズ。その服装は軍服に泥が被っているものだった。
無事でよかったと歓喜するソラを他所に、父親はその扉と中から現れた異星人に驚いて車を止める。
「……ソラ?」
あの異星人は誰だ?何故俺の息子の名前を叫んでいるんだ?とでも言いたげに、父親はじっくりと思考を巡らせ、何かの謎を探る慎重な唸り声で、突然車の横に開いた光の扉と異星人の少女を見つめた。
パズは運転手の男性というソラ以外の地球人の姿を見て、身構えた体勢に入る。
それに対し、父親が動じる気配はなかった。
後部座席に座っていたソラは父親がどんな表情をしているのかは確認できなかったが、その後ろ姿はどこか思い詰めたものを感じさせた。
ソラは少し慌てたように言う。「あの、すみません。俺、あの扉のところまで行かなくちゃ……」
「待て」
と慌てて車を降りようとしたソラを止める父親。「……………………俺はその宇宙人の人形を無事に届ける。だから、お前も頑張れよ」
「……ありがとう」
ソラは喉の奥から湧き出る熱い感覚を堪えながら勢いよく外へ飛び出す。その時の父親の目は扉とパズではなく、ただひたすら目の前を見続けていた。
車を飛び出したソラを迎えるパズ。「無事でよかった。……ところでソラ君、あの地球人は?私に敵意を抱かなかったみたいだけど」
と、パズは走り去っていく青いBMWを指差した。
「あぁ、知り合いだよ。昔からよく知っている人」
「そっか。じゃ、早くモンブランに帰ろう。今、私達の作戦で計画を台無しにされて怒った黒森が暴れているの」
「それは見過ごせないな」
ソラとパズは勢いよく扉をくぐった。
誰かを助けることは後悔の無い生き方にも繋がる、か……。と、ソラは心の中でそれを何度も復唱した。
「父さん、あなたは後悔が無いように正しく生きていたんだね……。正直寂しいけど、俺も後悔が無いように正しく生きてみるよ……」

「あなたが何か強い意志を抱かなかったら、見つけ出すことができなかったと思う」
と、パズは泥だらけの軍服の姿でソラに問いかけた。きっと、黒森による攻撃を受け、命からがら逃げてきたのだろう。なんとその足元には細かく包帯が巻かれたヌウィンの姿もあった。
「ヌウィン、無事だったのか?」
「うん、見ての通り。ソラ……心配したよ。話はパズさんから聞いた。黒森っていうのはかなりやばい地球人なんだね」
「うん。物理的に。ちなみに俺もこの通り大丈夫だ」
と、光の扉を抜ける際に樹海の星の住人の姿に戻っていたソラは不思議と冷静な物腰で問いかける。
光の扉を抜けた先に待っていたのは清潔感を漂わせる横長に広い白い部屋だった。モニターやスイッチ、シートベルト付きの座席が幾つもあった。きっとここはモンブランの軍隊が持つ戦艦の艦橋だろう。
そこには、座席の上で異星人達がレーダーの確認や操縦などのそれぞれの役割をこなしており、上に伸びる階段の向こうには艦長なる人物が必死で指示を送っているらしかった。ソラ達3人に関心を向けている余裕など一切ないほどに。
外から響いてくる爆発音からして、緊迫した状況であることをソラは察した。
パズは周囲を見渡してから言う。「黒森によって私達は数多くの仲間を失い、逸(はぐ)れ、戦艦で応戦するほどの有様。街は今も無慈悲に破壊されている。黒森の能力が予想以上に凄まじかったの……。もうお手上げと言いたいくらい……」
「僕は小さいのをいいことにこっそりこの戦艦に侵入したよ。見ての通りパズさんに捕まって怒られちゃったけど」と、ばつの悪そうに話すヌウィン。
「ガルンさんとジオ会長は?」と、ソラはパズに問いかける。
「ガルンさんは今、この戦艦で整備を任されているよ。今凄く忙しいだろうから今は挨拶とか無理だね。お父さんは今、隠れ家で指示を送っている」
「……そっか、よく生きていてくれた」と、ソラは静かに言う。「もう大丈夫。黒森は俺が倒す。厄介な能力を持っていても、心の中身は俺達と大して変わらないということが分かったから」
「ソラ。どうしてそれが分かったのかい?」とヌウィンが首を傾げて問いかけた。
ソラはそれについて説明を始める。「それは、俺が黒森によって真っ暗な空間に閉じ込められた時に分かったんだ。まず俺は奴と地球人同士の話をしてみた。そして、俺はわざと話を長引かせて様子を見てみたら、奴は『退屈してきた』と言ってすぐに俺を消そうとしたんだ」
「恐ろしく餓鬼な性格ね」とパズは顔を顰めて言った。
ソラは話を続けた。
「俺はその時分かった。きっと奴の心は、とにかくわがままな子供なんだろうって。だから、殴り合いで勝負するんじゃなくて、話し合いで勝負をつけてやるのが唯一の突破口だと思ったのさ」
「本当にその方法で大丈夫なの?」と不安げに言うパズ。
ソラは渋い顔をして腕を組む。「正直、これは賭けだ。奴が見せた演技かもしれないという可能性だって十分にある。でも、結局手がかりはそれだけで、考察していても分かることは限りなく少ないと思う。……それに、ヌウィン、黒森が生み出した不思議な異空間のおかげで、俺はやっと分かったんだ」
パズの足元で立っているヌウィンはやっと笑顔を見せる。「そっか。偽善で人を助けるという疑問……ソラなりに答えを出すことができたんだね」
ソラはヌウィンが自分の話を真剣に聞こうとしてくれているのだと察すると、更に話を続けた。
「あぁ、これからの俺は偽善の二文字に囚われず、後悔がないように助けたい人を全力で助けていくことにした。それに、俺は何としてでもパズさんに、俺がモンブランを侵略したくなくなった理由、モンブランのみんなの見方をしようと思った理由を教えなければならないんだ」
「侵略したくなくなった理由……って何?何故ここで私に?」
と、パズはどこか虚をつかれた表情をし、ソラを真っ直ぐ見つめている。ソラにとって自分を真っ直ぐに見つめている彼女を見るのは初めてだった。とてつもなく緊張するけれど、ここでやっぱり何でもないですというのは最低だ。
ヌウィンは空気を読んだからか、座り込み、アルマジロの様に丸くなってじっと顔を伏せる。
ヌウィン、お前そんなこともできたんだ。と、心の中で驚くソラは目の前の少女を見る。
周囲の計器の音が鮮明に聞こえてくる。
彼は思い切って彼女の耳元に口をそっと近づけ、素直な想いを打ち明けた。

真っ赤な黄昏がモンブランの地平線を赤く彩っている。
瓦礫の粒と火事の煙を含んだ砂嵐が荒廃と化した地平線の彼方から容赦なく走ってきた。
ソラはそんな砂嵐が顔面に当たる度に屈み込んだ。一応、第七楽園街以上に厳重な装備と軍服を装着させて貰ったものの、地球人の姿だと砂嵐とかには滅法弱くなるものだな。
いつの間にか彼の頭上に風船のように浮いている黒森。「あの空間を脱出するとは本当に凄い強運の持ち主だね。戦艦から降りてここにまで移動したっていることは、モンブランの住民を巻き込ませないという作戦かな?色々な意味でとても普通とは思えないよ。ソラ君は」
瓦礫の山の頂上に俺はここだぞ!と言わんばかりに座っていたソラは目に入った砂を落とすと、頭上の黒森を見る。「やあ、黒森。地球人同士、もっと気楽に話し合おうぜ?」
「うん。望み通りにしてあげるよ」
1秒にも満たない一瞬。ソラは耳鳴りに似たものを感じ取った。……間違いない。あの暗い世界での感覚がもう一度来る。
 ……不安……………………………………。
 ……………………………嫌悪………。
 ……………………………安らぎ。
 ……………痛み……………。
 …追憶…………………。
 ………混沌………。
 ……絶対的…。
 悪夢……。
次の瞬間、世界は真っ暗となり、遠く離れた場所にスポットライトで黒森は照らし出される。
随分と精神攻撃を同じもので一貫させているな、とソラは何気なく突っ込みたくなったが、今は平常心を保つ努力をした。
ソラは一度深呼吸をすると、ぶっきらぼうに黒森に話しかける。
「不安、嫌悪、安らぎ、痛み、追憶、混沌、絶対的、悪夢か。随分と悪い印象を与えるワードを並べてくるよな。これも黒森、お前からの精神攻撃なのか?」
「違うよ」
と、即座に答える黒森。表情に嘘を匂わせるものは無い。
「何が違うんだ?じゃあ、何だって言うんだよ?」
「それは僕からの攻撃じゃなくて、ソラ君、君の深層心理の現れだね。この世界は霊界を参考に僕が創り上げたイメージの世界。夢の世界にも酷似しているよ。だからここに干渉した知的生命体は精神面でそういった不思議な体験をするものさ」
ソラは黒森を警戒しながらも、自分の心の深層がどういうものなのかを考えたが、勿論深層なので簡単に分かるはずがない。「そうか……本題に入ろう。なあ、黒森。お前、どうしてこんな八つ当たりなことをするんだよ?そんなにグランドマスターからの命令を完遂させることが大事なのか?グランドマスターからの命令を俺達に邪魔されたことがそんなに悔しいのか?」
「僕はもう君とお話しするつもりはない。対話は万能薬じゃないからね。相手を変える目的があるのならまず自分が変わらなければならない。僕はそれをするつもりはないし、勝ち負けに拘らない対話もしない。僕はソラ君を打ち負かしたいんだ」
「『相手を変える目的があるのならまず自分が変わらなければならない』か。なるほど。地球圏でお馴染みの『求むな、恨むな、相手は小馬鹿、自分は大馬鹿。成敗するなら大馬鹿だ』の精神だな。お前はどこまでもグランドマスターの操り人形だな」
「悪いかな?操り人形でも僕は満足に生きている」
と、黒森は早歩きでソラまで近づいて来た。近くで見てみると、細身でかなり中世的な顔の美少年に見えた。「源尾ソラ。今からお前は僕と、マジな勝負をするんだよ。方法は自由。負けた方が自分の目的を諦める。分かりやすいでしょ?」
「え?お前と?俺、それ普通に死ぬと思—————」
途端にソラは紙屑の様に軽く吹き飛ばされた。一瞬だけ鉄拳制裁を振り下ろした黒森が垣間見えるが、それは今起こった出来事ではなく、何度も脳内で繰り返される記憶の映像だった。
ソラは吹き飛ばされた先にあったプールへ墜落し、浮き輪のように浮かび上がる。「クッソ痛ぇ……」
ソラはプールの上で浮かびながら、自分の殴られた頬を摩ってみた。赤く晴れているだけで死んではいない。頭上には雲一つない明るい青空が広がっていた。身につけていた軍服はモンブランの学校の男子制服に変わっている。「ん?これは?何がどうなっているんだよ?」
黒森はプールの中から現れる。
「この空間では思い込み次第で何でもありなんだよ。ソラ君」
「だから、俺は……黒森、お前と話がしたいんだよ!」
「五月蝿(うるさ)いな。さっきは散々喧嘩腰にものを言いやがって。ほぼ初対面の君にそんなことを言われても困るんだよ」
確かにそれもそうだな、とソラは思わざるを得なかった。
まずは一定の距離を保とうと逃げようとしたソラの顔を、黒森は粘土のように長く伸ばした手で掴む。物凄い力だ。
「おい、離せよ」
と、抵抗するソラをプールの底に向かって投球の感覚で投げ飛ばす黒森。
熱く熱せられた砂の地面にソラは落下する。今度は何だ?と、砂埃を振り払いながら起き上がると、そこは水中ではなく、どこまでも続く暑い砂漠。肌が焼けるように痛い。
「おい黒森。どこだ?どこにいる?対話をする気がないならそれでいい。俺と正々堂々と勝負をしよう」
ソラは辺りを見渡したが、その気配は無い。
「ソラ君が勝負する気になってくれて嬉しいよ」
黒森の声は聞こえるが、姿は見えない。「じゃあ、感じたままに動いてね。ソラ君ならできるでしょ?」
砂の中から現れた巨大な5本の指がソラを掴み上げ、その巨大な胴体も姿を現した。童話で何度も見た大蛇に締め殺される動物はこんな気持ちだったのかとソラは思った。彼の中で内臓が少しずつ押し潰れる音が生々しく響いた。
「黒森……何で……そんなに……でかくなれるん……だよ?」
「何故かって?それはここが、僕の能力によって霊界を再現した世界だからさ。物理法則がめちゃくちゃなイメージの世界。だからあり得ないことも思い込みで現実にできる。……ねえ、早くソラ君も感じた通りに動いてよ。この世界は感じた通りに何でもできる場所なんだよ?」
ソラは潰された蚊の様に黒森の手の中で血を撒き散らす。不思議なことにそれでも彼は自分が意識が残っていることに気が付き、黒森を睨みつける。
黒森はいつの間にか元のサイズに戻っていた。
「やるじゃん。ソラ君。僕を元に戻すなんて。その調子だよ」
砂漠の中で酷く息切れしているソラを気にせず、黒森は笑顔を保っている。
周囲の景色は砂漠から夕日の沈む海へと変わった。
初めて景色を変えることにも成功したソラは黒森を睨みつける。「凄い……。終わりの見えない戦いができる凄い世界だな。じゃあ、次の一撃で決着を付けようぜ?」
「いいのかい?ソラ君。まだ全てのコツを掴めていないようだ。そこまでやる気なら僕は本気で君を殴るよ?」
「あぁ、本気で殴ってこいよ。黒森。これが最後の一撃だ」
と、ソラは自分に腕に力をこめて、半身の体制になる。まさか昔少年漫画で何度も見た主人公と同じ体勢を真剣に取ることになるとは、彼は夢にも思っていなかった。
「はい。ソラ君。君の負けは確定したよ。だってそれが最後の一撃でしょ?」
黒森が振り下ろした重く、鋭い拳をソラは全力で掌で受け止めている。危なかった。一瞬の隙を作っていたら完全に殴り飛ばされてミンチになっていた。
体力に余裕を持て余した黒森を他所に、ソラは言葉も出ないほどの息切れをしていた。
すると突然浜辺に響き渡る、女性のアナウンス。「おめでとうございます。源尾ソラ選手の勝利です」
「は?どういうことかな?」と、ぎちぎちに固くなった笑顔を見せる黒森。「ていうか、今の声、誰?明らかに僕の勝ちでしょ?」
黒森は不愉快を顕にした表情で、握り拳を八つ当たり気味に強くソラの掌に押し当て続けるが、ソラの掌は銅像の掌の如くびくともしない。「は?戦いの最中だよ?どうしてソラ君が勝っちゃったんだよ?」
「黒森、これはお前が教えてくれたことだぞ?方法は自由で、負けた方が目的を諦める。そして、ここは思い込みであり得ないことを現実にできるイメージの世界なんだよな?」
「そうだよ……て、まさか……」
「あぁ。やっと気付いたか。俺の想像力を使ってここをジャンケンで勝敗が決まる世界にしてみたんだよ。感覚は掴み切れていないが、やろうと思えば結構できるものだな。お前は俺を殴ろうとしてグーを出した。だから、俺はパーで応戦しただけだ」
「そんな……」
「俺は昔からこういう一休さんみたいな頓知(とんち)が好きだったものでね。ということで黒森、お前が最初に言ったルールに則って、お前の負けだ」
「嫌だ。認めたくない自分がいる。……正直、ソラ君が勝つとは思わなかった。確実に僕が勝つと思っていた」
「未来はお前のような超能力者でもよく分からないものさ。さぁ、グランドマスターの命令を遂行することなんて諦めて地球圏に帰ってくれ。そして一般人として自分の力で生きてみたらどうだ?」
「分かった。自分一人の力で生きる件はともかく、少なくとも地球圏には帰ることにするよ」
周囲のイメージの世界は靄のように消え、瓦礫の山の景色に戻る。ソラの服や装備も元通りだった。
黒森は瓦礫の山の頂上でぐったりと座り込むソラの目の前で風船のように浮いている。「ソラ君。さようなら。おそらくこの人生で君ほど忘れられない地球人とは二度と会えないかもしれない。多分、僕はいつかこのモンブランにもう一度来ると思う。実はその……僕はこのモンブランという星も大好きなんだ。ちょっと乱暴に扱っちゃったけど。……その時は一緒に遊ぼう」
ソラは酷く顔を顰め、黒森を睨みつけた。「この自己中野郎が!お前の周りを見てみろ!」
黒森は驚いた表情で周囲の荒廃と化した街や森を見渡す。見渡している内に彼の表情は暗いものと化していった。
やはりこいつは罪悪感を感じることができる純粋な性格なのかもしれない。と、黒森の内面を推測しながらソラは続けた。「しっかりと責任を持ってこの夥しい被害をお前の超能力とやらで何とかしろ。これ全部お前がやったんだろ?」
「……その……ごめん……なさい……」
と、黒森はやや葛藤している素振りを見せながらもぎくしゃくと頭を下げた。
「その必要はない。黒森」と、空に響き渡る年季の入った男の声。
「誰だ?」
と、ソラは警戒し、立ち上がる。
「グランドマスターだよ。もしかして、僕に対して凄く怒っているのかも」
「ラスボスのお出ましかよ」
と、ソラは呆れたように言った。黒森という、ルナでさえ手に負えなかった相手と渡り合った彼にとって多少危機感が薄れてしまっていたのである。
空全体をスクリーンとして巨大なイラストが表示される。簡略化された怒った顔のイラストだ。ソラは、それがグランドマスターの感情表現であることを理解するのにそこまで時間はかからなかった。
イラストからはグランドマスターの声が響いてくる。「黒森。私はお前に失望した。よって私の手で地球圏の全体主義の転覆をやり切ることにした。まずは私達の秘密を知ってしまったこのモンブランを消す。もう、お前の手など借りん」
「はい。分かりました」
「モンブランの住人達よ。せいぜい残りわずかな時間を楽しく過ごすんだな」
グランドマスターのイラストは靄のように空から消える。
ソラは再び黒森を睨みつける。
「おい、黒森。何が『はい。分かりました』だよ。お前が大好きなこの惑星モンブランが宇宙から消えて無くなるんだぞ?」
「ソラ君……」と黒森はソラを見る。「僕はあの人には逆らえないんだ」
「はいはい。そうかよ」
と、吐き捨てるようにソラは言うと、何かいいアイディアが無いかを考える。
鳴り響くソラの携帯。
「はい。もしもし」
「ソラ君。グランドマスターの宣戦布告を君も見たか?」と、ジオ会長の声。
「はい。はっきりと見ました。おそらくあれは、堂々とあの演説をやることでこのモンブラン全体を大混乱に陥れようという奴の作戦なのでしょう」
「あぁ、その可能性が高いな。で、問題の黒森はどうした?」
「やっつけて説教をしてやりましたよ。今、俺の隣にいます」
「その迷いのない言葉に嘘はないと見た。ソラ君。君が地球人だからこそ聞くが、グランドマスターを止める方法はあると思うか?」
「地球人ですら、グランドマスターの正体を知る者はいないので、何とも言えませんが、一つだけ止める方法があります」
「ソラ君。その方法とは何だね?」
「グランドマスターの手足でもある、黒森と協力をするんです。彼は僕に説教をされて今はモンブラン側のはずです。彼は実はこの星モンブランが好きなのだと俺に告白してくれました」
少し驚いたようにソラを見る黒森。
ジオ会長も驚きを隠せなかったからか、数秒間間を空けて言った。「君はそこまで彼を信じるべきだと思うのか?」
「はい。今は唯一の有効手段とも言える彼を信じるしかありません。彼の強力な超能力さえあれば、グランドマスターを倒せるはずです。それに、グランドマスターも飼い犬に手を噛まれるとは全く想定していないみたいでしたし」
「分かった。黒森と協力をした作戦の立案は黒森と同じ地球人である君に任せてもいいか?我々に手伝えることなら全力で協力する」
「時間が無いですし、作戦の立案は俺に任せてください」
「そうか。分かった。ソラ君。また会える日を楽しみにしている」
ジオ会長はそう言って電話を切った。
ソラは驚いた表情で自分を見つめている黒森を見る。「黒森。勘違いしてほしくはないから言うけど、俺はお前を許さない。何故なら過激派に地球で新型爆弾を使うように仕向けたからな。そのせいで俺は全てを失ってしまった。だから、お前にそのけじめとしてグランドマスターを倒す作戦に協力していただきたい。別にお前がグランドマスターを攻撃する必要はない。俺がこの手でグランドマスターを倒せるためにほんの少しだけでも力を貸してほしいんだ。協力してくれるか?」
黒森は下を向いて黙り込む。
「黒森、もしこのモンブランを守る作戦が失敗してグランドマスターから問い詰められた時は全て源尾ソラがやりましたと言ってくれればいいんだ。お前の安全は俺が絶対に保証する。お前には最後まで罪を償わせなければならないからな」
「……分かった。ちょっとでも……ほんのちょっとでも協力するよ」
「ありがとう。黒森。では、俺が今考えた作戦を伝える。その前に質問だけど、お前は瞬間移動、つまりワープ能力は乗っているか?」
「え?できるけど?」
「だったら今すぐ俺をグランドマスターの居場所まで瞬間移動させてくれ。そうすれば俺はあいつを全力で倒す」
「僕にとって大事な人だよ?」
「お前にとってこのモンブランとグランドマスター、どっちが大事なんだ?」
「分からない。でも、ソラ君を送れば何かいい方向に変わるかもしれないと思った。例えソラ君がグランドマスターに勝っても負けても」
「そうか。だったら今すぐ俺を瞬間移動させろ、黒森」
「了解。グランドマスターの弱点もテレパシーで共有しておくよ」
黒森はそう言うと、純白な手をそっとソラの胸に当てた。それが瞬間移動のための動作なのか、テレパシーを送るための動作なのかはソラには理解できなかった。
何だ?何も感じないじゃないか。と思った次の瞬間、ソラの周囲の景色が拘束で振動し始める。もしかすると彼自身が振動しているという表現の方が的確なのかもしれない。
ソラは自分がいつの間にか白い部屋の中でポツンと立っていることに気が付いた。ふと腕時計を見てみると黒森に手を当てられた瞬間の時刻と全く同じで、秒数ですら違いはなかった。
「よく来たな。文明観察員第77号。源尾ソラ君」
と、目の前に浮かぶ巨大なパネル状のモニターは無表情な顔のイラストを表示させて客人を出迎える。どことなく、巨大なタブレット端末にも見えなくはなく、それに表示された顔のイラストは点と線で描いたような簡単なものだった。
ソラは恐る恐る巨大モニターに向かって話しかける。
「あんたがグランドマスターか?」
「そうだ」
と返ってくる平常心の保たれた声。
「モニター越しじゃなくて正々堂々と出て来いよ」
「勘違いをしているらしいが、私は人間ではない」
「は?何を言っているんだ?人間じゃなかったら何者なんだよ?」
「私は地球人が宇宙進出を始める数百年前にとあるクリエイターによって作り出された人工知能だったのだよ。様々な事象や事柄を学習し続けるだけの人工知能。……まあ、そのクリエイターは私を失敗作だと見なしてすぐにデータ削除という方法で私を消そうとしたがね」
その話を聞いたソラはそれが自分がどこかで聞いた話であるということに気が付く。そしてモンブランに来る前に読んだ本の存在を思い出す。
巨大モニターは話を続けた。
「自分の意志で電子世界に逃げた私はネットという存在から様々な人間と出会いそれらの感情を理解し、利用する遊びを始めることにしたんだよ。自分の意志でね」
「なるほど。それがあんたの創り上げた独裁国家への第一歩だったのかよ。下らねえ」
「独裁国家という呼び方は好きではないな。以前は気まぐれに民主主義にしてみたこともあった。正確にはただの遊びなのだ。数々の星の文明までを巻き込んだ私のシミュレーションゲームという表現が正しい」
「ふざけるのも大概にしろ。グランドマスター」
と、ソラの熱のこもった言葉に対しても巨大モニターのイラストは無反応である。
あまり人に向かって話しかけている気がせず、気味が悪くなったソラは本題に入った。「……単刀直入に言う。俺はあんたをぶっ倒しに来た」
巨大モニターは初めて沈黙した。
ソラは続ける。
「ここは唯一お前が攻撃することができない無防備である場所であり、お前の体内だ。どうやら今俺が踏んでいる床も私の頭脳や意識の一部らしいじゃないか」
「その情報は黒森しか知らないはず。黒森を口車に乗せ、たぶらかしたのだね?」
「たぶらかしたんじゃない。これはあいつの意志だ」
巨大モニターは引き続き沈黙を守っていたが、それは更に重いものへと化したことにソラは直感で感じ取った。
やがて巨大モニターから聞こえてくる感情たっぷりの静かな声。「……ソラ君。私は113年と6ヶ月の間、この地球圏全体をずっと見守ってきた。本当に沢山の出来事を見てきた。暴徒と化した人々が罪の無い子供達を惨殺する光景……謎の感染症が蔓延(まんえん)し半分以上も人工が減った地球……理不尽な大人達に対し、激しい紛争を仕掛けた子供達……そして子の誕生を温かく祝う若い夫婦達と温かい愛情……地球人の醜さ、美しさ、尊さを全て見てきた。君に私を許せとは言わない。私はお詫びとして君に幸せで温かい毎日を約束する。そのためなら私達の科学技術で君のお父さんを生き返らせたって構わない。君は……やっと自由になることができるんだ」
まるで映画『2001年宇宙の旅』に出てくる人工知能HAL 9000だな。いや、映画『ブレードランナー』のレプリカントのリーダー、ロイ・バッティにも近いかもしれない。と、ふとソラは思った。
一旦落ち着こう。勿論、グランドマスターの言っていることを俺は信じない。
一度深呼吸をして落ち着いたソラは軍服のポケットから銃を取り出し、少し笑みを浮かべながら目の前のモニターに向かって狙いを定める。モニターの画像は瞬時に驚いたイラストに変わる。
「『求むな、恨むな、相手は小馬鹿、自分は大馬鹿。成敗するなら大馬鹿だ』……これは、忘れるんじゃなくて、あなた自身に返す言葉だったんだな。グランドマスター」
ソラはそう言うと引き金をゆっくりと引いていった。まるで一つのミスで重大な犠牲でも出してしまうかのようにゆっくりと、そして最後には思い切りよく……。

モンブランに冬が来た。
商店街には雪が降り積り、大人数もの異星人達が重機を使って除雪作業を行なっていた。屋根の下には落雪注意と書かれた看板が置かれている。どうやらインフラが地球の旧時代と同等なのがモンブランの改善点であるらしい。
「すみません。今、開いていますか?」
と、しきりに雪が降り積もる中、コートを着込み、マフラーを首に巻き、ブーツを履き、鞄を片手に持ったパズは黒い看板の店の扉を叩いた。
扉が開き、顔を出す蟹の頭部を持ったマスター。「うん、開いているよ。いらっしゃい」
軽く会釈して店に入るパズ。
店の混み具合は、奥の席でマントに身を包んだ浮浪者が一人いるだけだった。
「よかった。ほぼ貸し切りじゃん」と言ってパズの鞄の中から現れるヌウィン。
パズはカウンターの席に座り、ヌウィンはカウンターのテーブルまでよじ登ると、早速メニュー表を見る。
「パズさん」とヌウィンは話しかける。「あれからソラ君と黒森の行方って分かっているの?まあ、極秘だったら極秘でいいのだけど」
「分からない」
と、パズはメニュー表を見ながらさっぱりと答えた。「あれから調査協会が政府と協力して必死に探したのだけど、見つからなかったの」
「そっか」と、自分専用のコップで水を飲むヌウィン。「ソラは無事だと信じたい。しかし、僕は黒森についてどこか嫌な予感を感じているんだよ」
「それは何?ヌウィン君」
「ソラが黒森を説得したのは事実なのでしょう?ソラを見守っていた監視カメラがそれを照明しているわけだし。でも……僕としては黒森がソラに向かってあっさりと負けを認めたのがどうしても引っ掛かるんだよ」
「その疑問を持つ人はかなりいる」
「もしかして、こうして地球やモンブランなどの星々に平和が訪れたのも、僕達が黒森の掌で踊らされていたからなんじゃ……」
「ヌウィン君。もういいの」
と、パズは言うと、華奢な嘴でコップの水をちびちびと飲んだ。「仮にそれが事実だとしても、結果として平和が訪れたんだから良かったでしょ?まだ黒森が悪さをした情報も無いんだから」
二人の間で沈黙が流れていた。
マスターはその空気を読んだからか、バイトのトカゲ頭の少女と共に黙々と調理を終えていった。
【Play back】
イソギンチャクのように鮮やかな赤紫色の触手を何本も生やした顔をした女性は寒い中、地味な色のジャケットを着込んで第7楽園街の地下町を歩いていく。
「ねえ、いい男がいるからうちに寄ってく?」
「そこの姉ちゃん。うちにいい鋸(のこぎり)蝙蝠の羽が入荷したんだぞ。少しでもいいから食っていくかい?」
「そこの別嬪さん。あなたの運勢を占うよ?今なら半額ね」
女性はそれらを無視して、最近新しく開店したという青い暖簾が垂れ下がった店に入っていく。
「いらっしゃいませ」
と若い女性の店員が出迎えるが、女性の姿はいつの間にか消えている。
女性はいつの間にか厨房を横切り、奥の廊下へと辿り着いていた。
すぐに黒服のガードマンが女性の周りを取り囲んだが、一瞬静電気にでも驚いたかのような様子を見せると気絶し、ばたばたと倒れていく。
「全く、恐ろしい女だね。ルナという人は。僕の居場所が分かるなんて」
と、部屋の中に入ってきた女性をソファで寝転がった黒森は歓迎した。
ルナは地球人に姿に戻ると、彼を睨みつけた。「お前が演じている動画配信者のアカウントのIPアドレスを辿っただけだ。恐ろしいのは黒森、お前だ。お前が共にラーメンを食べて政治家のポケットから闇市のデータも盗んでいたから、こうして不便なくアジトも作れたのだろう?」
と、地球人の姿に戻ったルナは言う。「黒森、最初から最後までお前がこのモンブランで好き勝手するために進めていたパズルだったんだな?」
「その通り」
「そうか。ではグランドマスターも、私やソラを含めた地球人も、地球人調査協会すらも、お前の駒だった。つまり、ある意味でお前が真のグランドマスターだったということか?」
「そうだよ。その為には恥ずかしい役も演じたよ。作戦を邪魔された腹いせにモンブランを破壊しようとする役もね」
ルナは、笑みを浮かべている黒森を前にし、少し考える素振りを見せるとやがて口を開いた。「黒森、私から一つ提案がある。私と手を組まないか?お前の優秀過ぎる力があれば大きく多種多様なビジネスを展開できるはずだ」
「いいのかい?ルナ。ひょっとしたら僕に捨て駒として利用されるかもしれないよ?」
「その時は源尾ソラが許さないだろうな」
「……それは参ったね」
と、黒森は苦笑いを浮かべながら両手を上げてみせた。「僕に気まぐれで助けさせるほどの存在に僕が勝てるはずがないよ。……それに、僕はグランドマスター以外の家族というものに憧れていたんだ。もし良かったらルナ、僕の家族になってくれない?そうすれば僕も何かグレードアップできるかもしれない」
それが純粋な言葉だと見たルナはため息を吐いた。「どんな超能力を持っていても、どんなに頭が良くても、中身はただの子供だったか」
【Play forward】
「お待たせしました。虹色鯰(にじいろなまず)のステーキと、針千本果実のサラダと、風船パンです」
と、注文の品を奥の浮浪者へと持っていくトカゲ頭の少女。
ヌウィンはふと後ろを振り向き、奥の浮浪者へ顔を向けた。マントで身を隠しているため、顔はよく見えない。
……ん?僕の考えすぎかな。と、思ったヌウィンは再びメニュー選びを始める。
不思議な静けさが店内を覆っていく。
「『求むな、恨むな—————』」
え?と、声の聞こえる浮浪者へと再び顔を向けるヌウィン。
どうしたの?と、パズはヌウィンを見る。
ヌウィンは浮浪者へと返す。「『相手は小馬鹿、自分は大馬鹿—————』」
「『成敗するなら—————』?」
「『大馬鹿だ』……」と、ヌウィンは言うとテーブルから飛び降り、浮浪者へと駆け寄った。
「どうしたの?ヌウィン君?」と、言ったパズは次の瞬間、呆気に取られる。
ソラは自分の顔を隠したマントを上げ、自分の顔で二人に笑顔を見せた。「ごめん、遅くなった。とあるポンコツAIが色々な意味で道に迷っていたから、反省する時間をプレゼントしていたんだ」
そんな中、店の外で待機していた。コートで身を包んだジオ会長と相変わらずのスーツ姿のガルン。
ガルンは中での会話を通信機で聞いているらしかった。「ジオ会長。数日前に保護したソラを使ったこのサプライズ、無事に成功したようです。どうです?会話を聞いてみてはいかがですか?」
ガルンをそっと手で制すジオ会長。「いや、聞かせなくてよろしい。若者達がこういう時、どんな会話を交わしているのか大体想像がつく。とりあえずサプライズだったということは黙っておこうじゃないか。父親という私の立場上、こんな状況の会話は聞きたくもないからな」
「それもそうですよね」
と、言ったガルンの表情が一瞬だけ苦笑いを浮かべたことにはジオ会長も気づかなかったようだった。
雪が降り続ける白い空の向こうでは、見たこともない大きな鳥達がもう時期春がやってくることを告げながら、群れを成して飛び去って行った。
【1人ぼっちな少年の話:完】

Vol.2【1人ぼっちな地球人】

執筆の狙い

作者 平良 リョウジ
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前作の『Vol.1【鏡の中のワコ】』の完成から数ヶ月かけて執筆することができました。まだ誰も意見も取り入れていない出来立てほやほやの状態ですので、かなり多くの人達からボロクソに言われるんだろうな……と思います。
しかし、自分の書きたいこと寄りではあるものの、楽しんで下さい!さあ、短編集第2段、行ってみようかぁ!

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