作家でごはん!鍛練場
コレゼン

とある対人恐怖症患者の告白動画

 それは何気なく見ていた動画投稿サイトで目についたタイトルだった。

『とある対人恐怖症患者の告白動画』

 サムネイルにはおそらく告白者と思われる男性が映っている。
 30代くらいの痩せた色白の男性だった。
 顔を隠すためにひょっとこのお面をかぶっている。

 その動画が自分のおすすめになぜ表示されているのか分からない。
 再生回数は数百回で勢いがあるという訳でもなさそうだ。
 
 物珍しさからかそのタイトルを何の気なしにクリックする。

 サムネイルの男性が和室の一室に座っている。
 おそらく畳と部屋の雰囲気から、築年数がそれなりにたった家に住んでいるようだ。
 もしかしたら実家なのかもしれない。
 蛍光灯の光が弱いのか、動画を撮ったビデオの性能が悪いのか、動画は白がかったようでぼんやりとして少し画質は悪い。

 一方の自分はというと実家の自室の中にいる。
 20代でまだ独り立ちできていない。
 動画を見ているのはノートパソコンだ。
 ベットに寝転がりながら動画を見ている。
 傍らにおいていたペットボトルのコーラを飲んで喉を潤す。

 男は最初、機材の調整などしている。
 その様子から動画撮影自体になれていなさそう見えた。
 彼は調整の後に告白をはじめた。



 どうもはじめまして、鬱太郎といいます。
 この動画のタイトルでは『対人恐怖症患者』となっていると思いますが、正確には『対人恐怖症患者だった』です。
 私は今、30代ですが10代後半から20代前半くらいにかけて重度の対人恐怖症患者でした。
 私には『許せないこと』と『みなさんにお伝えしたいこと』があります。
 その為に今動画を撮影しています。
 ただこの対人恐怖症というのがそもそも分からない人がいますよね。
 なのでまずはそちらについてから説明します。

 対人恐怖症ってその病名から人が怖いんでしょって思うかもしれないですが、ちょっと違うんです。
 基本的には被害妄想なんです。対人恐怖症って。
 自分のとある行為によって人に不快感を与えているのではないか?
 という被害妄想ですね。
 そのとある行為については人それぞれでいろんな種類があります。
 視線だったり、表情だったり、声色だったりと。
 その行為によって他者に嫌な思いをさせているのではないか?
 という被害妄想によって他者との間に緊張関係、ひどければ敵対関係が生まれます。
 おそらくここの部分をとって恐怖症という表現になっているのだと思います。

 さてこの対人恐怖症ですが、自分は重度の対人恐怖症でした。
 重度というのは被害妄想度が強いということです。
 この被害妄想なんですが、対人恐怖症者は軽度の場合は被害妄想に確信を持っている訳ではありません。
 もしかしたらそうなのかもしれないくらいの人もいます。
 重症度が高くなってくるとその確信の度合いが強くなっていきます。
 自分は正気(理性)と狂気(確信)のボーダーの辺りをウロウロしていた感じです。
 被害妄想について、そうなのかもしれない、そうに違いない。
 という状態とそれを理性が否定する。
 それが絶え間なく繰り返されているような状態です。
 これは経験した人なら分かりますが、一番苦しい状態です。
 精神的には完全に狂った方が楽です。
 私は完全に狂うまではいかなかったので想像になりますが。
 正気と狂気のボーダーにいると絶え間ない緊張状態により精神は疲弊します。

 正常な人は対人恐怖症者の【被害妄想を理性が否定する】ということができるのなら、なんで被害妄想に飲み込まれるの?
 と疑問に思うかもしれません。
 対人恐怖症は重度になってくると被害妄想自体が暴走してコントロールが全く効かなくなります。
 自分の意思とは全く別に被害妄想が自動で想起されて、それを理性が否定するようなイメージです。
 雑念が止められない、という感覚は座禅などをしたことがある人は分かると思います。
 あの雑念を止められないが、対人恐怖症の場合は被害妄想が絶え間なく勝手に想起されるのが止められない、というような状態です。

 発症は10代後半。
 発症の原因ははっきりと分かりませんが、おそらく自分の神経質的な傾向と、親子関係でうまくいっていなかった所などが発端になったのだと推測しています。
 まあその発端についてはどうでもいいのです。
 なってしまったものはしょうがないし、誰が悪いというものでもないと思うからです。

 この対人恐怖症により自分の青春時代は地獄でした。
 学生時代にほとんど楽しい思い出はありません。
 10代の後半、高校生くらいの時はそこまで症状は悪くありませんでした。
 それでも絶え間ない緊張により日常が地獄でした。
 たぶん同級生は私が対人恐怖症だったことに気づいていません。
 なぜなら私はオドオドするようなタイプではなかったからです。
 自分の普段の態度からは推測のしようがなかったと思います。
 みなさん、平静に見える人でも心の中には地獄を抱えていることがあります。
 自身が経験者であるからこそ分かりますが、他人というのは結局、他人の苦しみを真の意味で理解することはできません。

 高校を卒業して自分でバイトをして溜めいたお金で専門学校に通いますが、症状が悪化して通えなくなり自主退学します。
 その後、症状を騙し騙しアルバイト・パートの仕事をしますが、更に症状が悪化して仕事もできなくなります。
 この頃には被害妄想の幻聴が絶え間なく聞こえてきており、睡眠もまともに取れないような状態でした。
 脳も精神も心も疲弊しきっているような状態です。

 さてここで話が変わりますが、みなさん医療系でお医者さんを主人公にした漫画を知っていますでしょうか?
 医者のタブーに踏み込んだ漫画で話題になり、人気にもなりました。
 私もその漫画が好きで楽しんで読んでいました。精神医療編になるまでは。

 私はその精神医療編が許せませんでした。
 何が許せなかったのか?
 精神医療編なので当然患者が出てきます。
 その患者が私の目には【死にたがり】のように映ったからです。
 ただこれだけではそれの何が許せないの?
 というのがよく理解できないと思います。
 ここを説明する為に私が仕事を辞めた後に話を戻します。

 仕事を辞めた後に私はこの対人恐怖症と向き合うことを決意します。
 ぶっちゃけ、対人恐怖症というのは恥です。
 自分はキ○ガ○です、と宣言するようなものだからです。
 家族、親に言うのも非常に嫌でした。
 身内、しかも子供にキ○ガ○が出たと知るとどんな思いをするのか。
 実際、親に自分は実は対人恐怖症でそれを直したいと思っている、と告白したときは親身に心配をしてくれました。

 なぜ私はそんなカミングアウトをするのも嫌な対人恐怖症に正面から向き合い、治そうと決意したのでしょう?
 
 それまでなんとか治せないかと精神科に通ったりもしましたが、話を聞いて薬を処方してくれるだけでした。
 その薬、当時のものは全く自分には効きませんでした。
 薬では治りません。それでは精神分析では?
 これは試していませんが、試さずとも100%精神分析では治らないだろうと予測できました。
 薬もだめ。精神分析もだめ。後は精神科医からカウンセリングも受けていましたが、これもほぼ意味がありませんでした。
 後、対人恐怖症改善にどんな方法があるのか? 
 絶望の中、いろんな文献を読み漁りました。
 そんな中で私は一筋の光明となる書籍『ノイローゼの積○的解○』という本に出会いました。

 これは対人恐怖症などの神経症を起因とするような精神疾患の治療をしている精神科医の先生が出された本です。
 この先生は森田療法という治療を行っていました。
 この森田療法ですが、現代流にわかりやすくいうとマインドフルネスです。
 今でこそ禅的なアプローチが人間のメンタルにいい影響を与えるというのはマインドフルネスによって知られ、科学的にも証明されていますが、当時はマインドフルネスのマの字も一般には知られていなかった時代です。

 これだ! と私は思いました。
 これしかない! と。
 そもそも重度の対人恐怖症は理性で制御ができないのです。理屈でも無理です。
 森田療法は創始者の森田先生がそもそも精神疾患で苦しみ、それを禅的なアプローチで改善したところから生まれたのが始まりでした。
 薬もダメ、カウンセリングもダメ、精神分析もダメ。
 そんな中で見つけた森田療法は自分にとって光明でした。
 一筋の薄っすらとした微かな光明です。

 一応補足的に伝えて起きますが、当時は重度の対人恐怖症患者が薬だけで治るというのは考えられなかったのですが、現代では薬である程度はよくなるよう進歩しているみたいです。

 さて自分にとっての光明となった森田療法ですが、問題もありました。
 入院治療を前提としており、1日1万くらいかかるのです。
 そして入院治療は1ヶ月や2ヶ月くらいでは中々効果が出にくいとのことです。
 最低で3ヶ月間、入院したとしたら90万もかかります。
 当時の自分にはそこまでの貯金はありませんでした。
 ここで自分は死ぬ気になって、命がけで治療する心づもりで親に援助をしてもらう為に症状のカミングアウトをしました。

 再度の問いかけです。
 なぜ私はそんなカミングアウトをするのも嫌な対人恐怖症に正面から向き合い、治そうと決意したのでしょう?
 
 対人恐怖症というのはなった人間にしか分かりませんが地獄の苦しみです。
 私は仕事を辞めた時にこんな苦しみを抱えてこれから先、生き続けることはできないと思いました。
 今はまだなんとか自殺をせずに生きているが、今後もこの地獄の苦しみを抱えて生き続けることはできないと。
 なら死んだつもりで対人恐怖症に向き合い、命がけで治療するしかないと。
 
 カミングアウトするかしないか?
 対人恐怖症を治療するかしないか?
 ではないのです。
 そもそも生きるか死ぬか? 
 なのです。
 
 治療しないという選択肢をとると、地獄の苦しみを抱えて生きれないから結果死ぬ。
 だから生きる為に治療を選択したのです。
 重度の対人恐怖症は生きるか死ぬかの際に立たされます。
 その余りの地獄の苦しみにより。
 そして必死に生きるために治療という手段をとって戦っているのです。

 さて漫画の話に戻りますが、精神医療編の患者が私の目には【死にたがり】に映りました。
 あり得ません。患者たちは生きるか死ぬかの際で死なないため、生きるために必死に戦っているはずです。
 安易に死を選ぶなど、死にたいから自殺をしようとするなどあり得ません。
 もちろん突発的に死を選ぶというのはあり得ると思います。
 ただその漫画の描写はそれとも違うように私には写りました。

 これが私がその漫画の精神医療編が許せない理由です。
 率直に精神疾患で戦っている人たちの冒涜に映りました。
 命がけで戦っている人たちに対して唾を吐きかけるような冒涜です。

 ただ作者の方はそんなつもりは一切ないとは思います。
 精神疾患に苦しんだことがない人、多数派の人たちには別に違和感ない表現だろうとも思います。
 よって作者の人は何も間違っていません。
 ただ私は精神医療編は許せません。

 後、また話が変わりますが、自殺したらダメだっていう人いますよね。
 私はこれも無責任な話だと思っています。

 当事者が地獄の苦しみ、死を選択せざるえないような苦しみを抱えていたかもしれないのに。
 当事者が死ななかったとして、それを引き止めた人がその身代わりになることも、その苦しみを真の意味で理解することも決してできないのに。
 死ぬなって死にたくて当事者が自殺したとでも思ってるのでしょうか?
 死を選択せざるおえなかったような地獄の苦しみ。
 もしその苦しみを自分が負ったときに死なないとなぜ言い切れるのでしょうか?

 だから私は死ぬなとは言いません。
 生きろとも言いません。

 ただこれだけは言わせてください。
 
 私は生きています。

 重度の対人恐怖症から回復して社会復帰して生きてます。
 結婚はできていませんが、それなりに幸せに暮らしています。
 症状については今ではほとんど気にすることもありません。
 当時の自分には考えられなかったことです。
 ただただ私は光を目指してもがきました。
 もがき苦しみました。
 随分と長い間。
 永遠とも思えるような永い間。
 
 だけど私は今、生きています。
 今を生きています。

 

 そこで動画が途切れ、終了した。
 関連するおすすめ動画が複数、画面に表示されている。

 俺はその投稿者、鬱太郎のチャンネルページにいってみる。
 チャンネルページには今見た動画1本しか投稿していないようだった。
 商用のチャンネルではなさそうだ。

 2階の自室の窓を開ける。
 そしてライターでタバコに火をつける。
 タバコの煙を吸い込む。
 随分と久しぶりのタバコだ。
 禁煙してからどれくらいだろう。
 久しぶりのタバコはすぐに脳に作用して、ボーッとするような独特の感覚をもたらした。
 懐かしい感覚だ。

 夜闇にタバコの煙を吐き出す。
 少し前に救急車の音が近隣で響いていたが、今は無音だといっていいほど物音がしない。
 まるで自分以外の人間すべてが死に絶えてしまったかのように。
 タバコを一本吸いきり、吸い殻をペットボトルの中に灰皿変わりに入れる。
 こうして最後にやりたいことはすべてやってしまった。
 
 彼は、死にたがりは、ロープを天井の柱にかける。
 踏み台を持ってきてその上に上がる。
 そしてロープを首にかける。
 後は勢いよく、踏み台を蹴飛ばして、死ねる状況をつくるだけだ。

 死にたがりは勢いよく、踏み台を蹴飛ばした。

とある対人恐怖症患者の告白動画

執筆の狙い

作者 コレゼン
flh3-133-209-116-194.tky.mesh.ad.jp

いわゆる私小説のような……ちょっと前から書きたいと思っていた初期衝動があり、一気に書き上げました。

コメント

偏差値45
KD111239161120.au-net.ne.jp

『とある対人恐怖症患者の告白動画』を読んでみた。

とはいえ、専門的知識がないので、間違って解釈しているかもしれない。

>基本的には被害妄想なんです。対人恐怖症って。
 自分のとある行為によって人に不快感を与えているのではないか?
 という被害妄想ですね。

よく分かりませんが、
不快感を与えている、、、それって被害ではく加害ではないでしょうか。

>重度の対人恐怖症は生きるか死ぬかの際に立たされます。

であるならば、人と接触しなければ問題ないのでは?
家に引きこもれば回避できるような気がしますね。
対人恐怖症⇒苦しい⇒自殺 この流れは理解に苦しみますね。

>彼は、死にたがりは、ロープを天井の柱にかける。
 踏み台を持ってきてその上に上がる。
 そしてロープを首にかける。
 後は勢いよく、踏み台を蹴飛ばして、死ねる状況をつくるだけだ。

これは鬱太郎のことでしょうか。
一人称小説ですよね? 誰がこのシーンを見ているのでしょうか。

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