作家でごはん!鍛練場
金川明

メイド喫茶に出会いを求める俺は間違っているのだろう。

「ここ、なのか?」
 都市部の街中で、スマホの地図を確認すること複数回。通り過ぎること一回。地図音痴の俺がようやくたどり着いたその場所は、何の変哲もない雑居ビルだった。飾りも看板もないせいで、周囲のビル群に完全に埋もれている。
 そんなビルの入り口は通路なしに直接階段とつながっていて、俺は一段一段が高いさびれた階段を手すりに手をかけながら踏みしめるように登っていく。
 途中、郵便受けらしき金属の塊を見かけたが、壁同様さびやらなんやらで茶色く汚れていた。洞窟の中にでもいるように薄暗いのは、昼間ゆえに自動照明が点灯していないせいだろうか。目的地の三階は、なんともシンプルで、飾り毛がなかった。唯一、黒地に金のつたが額縁型に這った看板が、この店の入り口であることを示していた。

『ヴァイオレット・ヴァレッタ』

 それがこの店の名前だ。下には禁則事項と称して、キャストにしてはいけないことがまとめられていた。触れることや誹謗中傷を禁ずるのはわかるが、どうもこの店では私生活や年齢をたずねることも厳しく禁じているらしい。世界観が壊れるからだろうか。
 まぁいい、入ろう……とは思うのだが、ここでためらいが生まれる。ドアノブに伸ばした手を虚空につかんだまま静止させ、脳内で会議を繰り広げる。
「いや待て、そもそもどうしてこうなった」
「決まっているだろう、最近はやりの電話できるSNSアプリ、ライフコードで知り合った変な外国人と意気投合してその場のノリで、だ」
「おかしいだろ、いろいろと」
「いいじゃん楽しいんだし、ゴーゴー!!」
「お前はさっきから例の外国人に影響されすぎだ!」
 などというように、不毛すぎる脳内会議が止まらない。そうして扉の前でドアノブに手を伸ばしたまま固まっていると、
「あ……」
 ふと声がする。脳内会議のそれではない。現実の、それも女性の声だった。
 振り返ると、階段の途中で全身黒のフリルでかためた黒ぶちメガネのなんともゴシックな女性が目を丸くしてこちらを見ているではないか。と、ここで、禁則事項その二が脳裏を過ぎる。

『二.キャストの出入りを待つ行為』

 お分りいただけただろうか。ここは店の前。そしてそこで、なんか変な体制で立ち尽くす危険人物が一人。はい、アウト。
 立ち止まっていた女性が、歩を早めてずんずんとのぼってくるではないか。
 まずいまずいまずい。脳内は緊急アラートが鳴っててんやわんやだ。この状況を打破する手立てはただ一つ。さっさと入ること。俺は意を決し、ドアノブを回した。
「「「いらっしゃいませにゃん!!」」」
 扉の向こうはホームページの設定にあった魔女のいた世界にふさわしい装飾で彩られていた。まず出迎えてくれたのはカチューシャの代わりに小さな魔女の帽子をかぶった三人の女性。おのおのがそれぞれのテーマカラーのメイド服を身にまとい、前髪を紫の髪留めでとめている。その背後でも魔女のほうきや分厚い魔法書、コミカルな目玉がつまったビンなど、ファンタジックな世界観が展開されていて、マンガやアニメの世界がそのまま飛び出してきたかのようだった。
 壁いっぱいをひび割れのようにつたうツタの装飾に感心していると、真ん中に立っていた赤いテーマカラーの女性が一歩前に出て、カウンターへと案内してくれた。
 着席すると、カウンターを挟んで向かいに立ち、ぺこりとおじぎする。毛先までむらなく染まった見事な赤い髪が揺れた。
「アカネにゃん。よろしくにゃ」
「……どうも」
 声優のようなよく通るアニメ声に驚いていると、残る二人も近づいてきて、順番に頭を下げた。
「カスミにゃん!」
「ミルクですにゃん」
 振り返って店の奥を見ようとすると、そこはトイレだった。入り口からはL字に曲がったカウンターしか見えなかったからわからなかったが、店の中はカウンター席だけで、お客は俺一人のようだった。平日の昼間とはいえ、都市部の喫茶店にしては少ない気がした。
「どうかしましたにゃん?」
「あ、いや、別に」
 カスミと名乗った茶髪を短く二つに結んだ女性に元気いっぱいにのぞきこまれ、思わずたじろぐ。さっきから女性女性と言っていたが、こうしてまじまじと見ると三人ともかなり若く、少女という方がしっくりくる。
「この店にくるのは初めてですにゃん?」
 長い暗めの茶髪をした女の子、ミルクちゃんが可愛げに小首をかしげた。みるからにおっとりとした優しそうな子だ。
「あぁ、はい、初めてです」
「名前を聞いてもいいにゃんか?」
「あぁ、えぇと、カイトです」
「カイトにゃんかぁ。こういうところにはよく来るにゃん?」
 カスミちゃんがメニューを差し出しながらたずねてくる。
「いえ、今回が初めてです」
「ほう。なるほどにゃん」
 カスミちゃんの横で意味ありげに笑うアカネちゃん。さっきから思っていたが、仕草がいちいち中二臭い。眼帯が似合いそうだ。
「じゃあじゃあ、ポイントカード、作りましょうにゃん♩」
 身を乗り出して今度は小さな白いカードを取り出すカスミちゃん。カードには青い魔法陣の装飾が列になって並んでいた。ここにスタンプか何かをして貯めるのだろう。
 カスミちゃんは身を乗り出したまま胸ポケットからペンを取り出し、名前の欄に手早くカイトにゃんと書いた。
 アカネちゃんが何事か言いかけたタイミングで、来店を示すベルが鳴る。
 仲良く一斉に振り返る三人。現れたのはさっきの全身黒のフリルで固めたゴシックメガネの女性だった。
 一瞬こちらを見た後、フリルの女性は店の奥へと消えていった。こちらはあらためてみても少女というほど若くはなく二十代前半くらいに見えた。
「あの人は?」
「あぁ、あの方は事務のクロさんですにゃん」
 ミルクちゃんが微笑みながら教えてくれる。
「へぇ。事務員さんもいるのか」
 個人的に一番タイプだった。今後通うことになったら、全力で推して行こう。
「この店のことはどこで知ったんですにゃん?」
「あぁ、家から一番近かったのと、雰囲気が良さそうだったので」
「ほほう」
 またしてもアカネちゃんが意味ありげに笑う。この子の性格上、かっこつけてそれっぽいリアクションをしているだけなのかもしれない。
「何を飲むにゃんか?」
 アカネちゃんが腰に手を当てて聞いてくる。いちいち仕草が大げさだ。
 三十分750円のフリードリンク制なのは知っていたが、どうやらそれは入場料もかねているようだ。タダで居座れないようになっているらしい。
 俺はメニューを軽く眺め、コーラを頼んだ。
「それにしても、お前は運がいいにゃん」
「というのは?」
「ここはかつて魔女のいた魔法の世界。人払いの結界が貼ってあるから、選ばれた人間しか入れないにゃん」
「へぇー」
 かなり設定を重んじるメイド喫茶のようだ。おそらく、はじめてきたお客さんを喜ばせるために全員に言っているのだろう。
「それなのにお前は……」
 言いかけて、カスミちゃんの咳払いがそれを制す。
「?」
「いや、なんでもないにゃん」
 カウンターにコーラを置く瞬間、アカネちゃんがこちらをちらりと見た。そこに笑みはなく、何やら真剣な眼差しをしていた。
 ここまでがワンセットのイベントなのだろうか。だとしたらずいぶん演技が上手い。
「普段は何してるにゃんか?」
「普段ですか? 絵を描いたり、音楽を聴いたりとかですかね」
「絵が描けるにゃんか!? すごいにゃん!」
 目をキラキラと輝かせ、ぴょんぴょんはねるカスミちゃん。
「ま、まぁ。そこまで上手いわけじゃないんですけど」
 その後は俺の趣味である絵や音楽の話で盛り上がった。そこはやはり接客のプロなので。合わせてくれたのだろうか。とにかく最高の時間だった。
 そしてあっという間に一時間が経った。特に一時間コースなどの指定があるわけではないが、なんとなくここらで帰ることにした。決してのめりこんでしまいそうだからではない。
「また来てくださいにゃん♩」
 ミルクちゃんに扉をあけてもらい、大満足で店を出る。しばらく歩き出したころ、今頃店では俺の愚痴大会が繰り広げられてるかもしれないと思ったが、そんなことすら気にならなかった。また来よう。絶対に。そう心に誓った俺だった。

   ★

 その後、唯一の客がいなくなった『ヴァイオレット・ヴァレッタ』では、アカネがカウンターで頬杖をついていた。
「見込みゼロにゃん」
「でも、良い方でしたね!」
 手を合わせるミルクに、カスミがため息をつく。
「それは人払いの結界があるから当たり前にゃん」
 先ほどまでとは打って変わって、だるそうに自分の肩をもみほぐしている。
「ま、ときたまいる、偶然たどり着いたタイプの、ただのいいやつにゃんな」
 バッサリ切り捨てるアカネ。これにはさすがのミルクも戸惑った表情を浮かべる。
「やっぱり、あたしたちだけで、どうにかするしかないにゃん。人間なんてーーーー」
 そこまで言いかけたところで、入店を示すベルがなる。カスミは途端にパッと元気な顔を作り、
「「「いらっしゃいませにゃん!!」」」
 二人に混じって愛想笑いを浮かべるのであった。

   ★

 はじめて『ヴァイオレット・ヴァレッタ』へ行ったその日の夜、俺は通話型SNSライフコードで例の変な外国人、キーンと話していた。
『ーーーー良カッタジャナイデスカ。ソンナニ気ニ入ッタナラ』
「まぁな。世界観もしっかりしてたし、何よりメイドさんたちが可愛かった」
『鼻の下伸バシテンナヨ』
「伸ばしてねぇよ! けど、料金も良心的だったし、本当にオススメだぜ?」
『ホウ。ソウイウコトナラ今度日本ニ来タ時オゴリマスヨ。一緒ニ萌エ萌エキュンシマショ』
「おっ、本当か? 助かるよ、金欠なんだ。」
『デモドウセ明日モ行クンダロ?』
「当たり前じゃないか」
 当然だった。
『シッカリハマッテンジャネェカ』
「そんなことねぇよ」
 そんなこんなで他愛もない会話を続けながら、俺たちは夜を明かした。


 翌日。俺は片道一時間かけて都市部へ出向き、メイド喫茶『ヴァイオレット・ヴァレッタ』へと訪れた。
「「「ようこそにゃん!!」」」
 扉をくぐると今日も三人の魔女っ子猫メイドさんたちが出迎えてくれる。メンバーは事前に『ヴァイオレット・ヴァレッタ』のSNSアカウントで確認した通りの顔ぶれで、アカネちゃん、コバトちゃん、オオヤギちゃんの三人だった。アカネちゃんはその赤い髪と赤いテーマカラーのメイド服から一発でわかったが、残るコバトちゃんとオオヤギちゃんはどちらがどちらかわからなかった。雰囲気的には小柄で低身長なうすだいだい色の方がコバトちゃんで、高身長でスレンダーな黒髪の子がオオヤギちゃんだろうか。だとしたらオオヤギちゃんはその身にまとう雰囲気からちゃんというよりさんづけの方が似合いそうだ。
 カウンター席に座るとほどなくして小柄で低身長な方の子が近づいて来て、大きく頭をふっておじぎした。
「あ、あのっ! この店に来るのははじゅ! 初めてですか!?」
 緊張しているのかかみかみだったが、それがまた可愛い。
「いえ、今回で二回目ですよー」
「あっ! す、すみません!! ありがとうございますにゃん!」
 またまた大きく頭を振っておじぎする。かぶった魔女のとんがり帽子が床に落ち、あわあわしていた。うむ。可愛い。
「オオヤギです。コバトはまだ新猫ですから、なにかと粗相(そそう)があると思いますが、よろしゅうお願いします」
 すっと現れおどおどしていたコバトちゃんの後ろに立つと、その肩に両手を置くオオヤギさん。発音に特徴的ななまりがある。
 テーマカラーは紫で、メイド服より着物の方が似合いそうだ。
「あぁそうなんですか。こちらこそよろしくお願いします」
「じゃ、あとは頑張るにゃん」
 オオヤギさんはコバトちゃんのほおを人さし指でつつくと、やさしくほほえんで店の奥へと消えていった。なんというか、姉御肌と言った感じの女性だ。一方コバトちゃんは、オオヤギさんに支えられながら頑張る妹ポジションと言ったところだろうか。
 見ていてほのぼのする関係性だ。
「カイトにゃん? は、普段何をされてるんですにゃん?」
 自身なさげな上目遣いでこちらを見つめるコバトちゃん。
「あぁ、俺は普段絵描いたり、音楽聴いたり、あとは、映画見たりしてますね」
「そ、そうなんですにゃんか!」
 ぎこちなくも必死に話を合わせようとする姿がなんとも萌えるが、やはり個人的に事務員のクロさんが最推しだ。
 それにしても二日連続でしょっぱな趣味を聞かれたあたり、メイドさんたちの間で趣味デッキは常套句なんだろうか。
「わわ、わたしも、絵を描いたりするんですけど、カイトにゃんは、どんな絵を描くんですにゃん?」
 どうも最初に趣味を聞いてそこから自分との共通点を見つけ、会話の糸口にしているようだ。緊張でガチガチなコバトちゃんにそこまで考えが回っているとは思えないので、マニュアルがあるのか、それともオオヤギさんあたりに教えてもらったのだろうか。
「そうですね、ファンタジー系とか、男女の恋愛模様を描いたりしてます」
 いいながらスマホを取り出し、普段描いた絵を載せているSNSアカウントの画面を見せる。
「おぉ、すっ、すごいですね!」
 両手をグーにしてわかりやすく喜ぶコバトちゃん。可愛い。
「キャッ!!」
 と、突然コバトちゃんが身をかがめて床にしゃがみこんだ。一体何がどうしたんだろうか。気づけば店の中が騒然としていた。
「今の音、なんですか?」
 お客さんの一人がアカネちゃんにたずねる。音? なんのことだ?
「ちょっと見て来るにゃ」
 慌ただしく駆け出すアカネちゃん。戻ってきていたオオヤギさんはコバトちゃんの肩をなで、大丈夫となだめつつ、
「心配ないにゃ」
 とお客さんたちに大人の余裕を見せる。
 その後、すぐにアカネちゃんが店の奥から顔を出し、
「大丈夫にゃ、なんでもないにゃ。大鍋が倒れただけにゃ」
 と店全体に聞こえる声で言った。
 大鍋? そんなものが倒れたなら確かに大きな音が立つのもわかるが、俺にはまったく聞こえなかったぞ? 首をかしげていると、コバトちゃんが立ち上がってスカートのほこりを払い、
「ご心配をおかけしましたにゃ」
 とややまだ不安そうな声で強がる。
 それでもオオヤギさんはもう大丈夫と判断したのか、他のお客さんを対応しに行った。
 なんだったのかさっぱりわからないが、店の中は早くも元の雰囲気を取り戻し始め、俺も単に聞き逃しただけかもしれないと思い始めた。頭の片隅に少しひっかかるものはあったが、そんなものはコバトちゃんと楽しく話しているうちにどうでも良くなった。
 そうしてあっという間に時間になった。前回に引き続き、今回も一時間で店を出ることにする。今回はたまたま手の空いていたオオヤギさんが出迎えてくれた。どうやら対応してくれたメイドさんが出迎えるというわけではないらしい。
「また来てくださいにゃん」
 大人びた艶やかな声に耳元をくすぐられ、思わずドキッとする。また来よう。今回もそう誓った。

   ★

 カイトが帰ってから数時間が経ったあと、ついに最後のお客さんが帰り『ヴァイオレット・ヴァレッタ』では閉店の準備が行われていた。
「それにしてもあのレベルの音が聞こえないなんて、見込みゼロにもほどがあるにゃん」
 カウンターの椅子を拭きながらため息をつくアカネ。
「困りましたね。近頃、見込みのある常連客はんたちの客足も遠のいてはりますし」
 グラスを磨きながらオオヤギがこたえる。
「なんだか最近、お客さん自体減って来てませんか?」
 戸棚を整理しながら、コバトは困り顔で二人の方を見る。
「その通りにゃ。このままでは、移転せざるを得ないにゃ……」
「「「テンさん!!」」」
 声の主の方に振り返る三人。入り口の扉から現れたのは、髪を暗い金髪に染めた細身の男だ。人間の耳の代わりに、茶色い猫耳を生やしている。
 ほおの大きな引っかき傷が痛むのか、よろよろとカウンター席によりかかる。
「どうしたにゃんか、その傷!!」
 慌てて駆け寄る三人に、テンは恨めしげに答える。
「心配ないにゃ。”ヤツラ”に軽くやられただけにゃ。共有地帯に足を踏み込んだのが間違いだったにゃ。”ヤツラ”め、話も聞かずに襲いかかって来て……」
 痛むほおをおさえるテン。引っかき傷からは血がにじんでいた。コバトが転びそうになりながら持って来たガーゼを受け取り、ほおに当てる。
「共有地帯の闘争が激しくなって来てるのは、魔物たちの侵攻が激しくなって来てるせいにゃ。じきに俺たちだけでは対処しきれにゃくなる。人間の力が必要にゃ」
「人間の、力……」
 息を飲むコバト。アカネはその言葉に目をそらす。
「手段を選んでいる場合じゃないにゃ。こうなったら、人払いの結界を弱めて、少しでも見込みのある人間を呼び込むしかないにゃ」
「でも、今でさえ見込みのある常連客が減って来てるのに、これ以上人払いの結界を弱めたらーーーー」
「今はこの店の存続の方が先決にゃ。結界を弱めて訪れる人間を増やし、新規の常連客を狙うしかにゃい」
「新規の常連客……」
「そうにゃ。その中から、少しでも見込みのある客を選抜して、協力してもらうしか、もはやては残されてないにゃ」

 数日後、テンの言葉通り人払いの結界は弱められ客足は増えたが、カイト同様見込みのない客ばかりが増え、新たに常連客となったのは、その間ほぼ毎日のように通い続けたカイトだけだった。

   ★

 都市部の駅から少し歩いて、例の如(ごと)く傾斜のきついさびれた階段をのぼり、扉をくぐる俺。
『いらっしゃいませにゃん!!』
 そんな甘い声に迎えられる、ーーーーはずだった。
「……?」
 誰の声も聞こえない。というか誰もいなかった。
 それどころか、
「どうなってるんだ!?」
 店の中がまるで大地震のあとのように散らかっていた。コミカルな目玉のつまったビンや、お客さんに注ぐためのワインやグラスは割れて床に散乱し、魔女のほうきや分厚い魔法書など、一部のアイテムがごっそりなくなっている。慌てて中へ駆け込むと、店の奥、バックヤードののれんの向こうから、薄く煙が上がっていた。火事でも起きているのだろうか。消化器を探してあたりを見回しながら、煙の出ているのれんの向こうへと急ぐ。
 そこにはーーーー
「ーーーーは?」 
 西洋の絵本にでも出て来そうな、不思議な部屋が広がっていた。丸太でできた壁に、木目状に凹凸のある木のイスと机。そして、一昔前の古びたキッチン。とてもメイド喫茶のバックヤードには見えない。煙は部屋全体に充満していて、どうやら奥の開け放たれた扉の向こうから漏れているようだ。扉からは同時に光も漏れていた。やはり何かが燃えているようだ。こげ臭い独特の匂いがする。
 急いで開け放たれた扉をくぐると、一気に視界がひらけた。
 そこには、
「ーーーーどうなってんだ?」
 草木のない荒涼とした大地が、どこまでも広がっていた。
 目の前には、煙の原因らしい燃え盛る大きな焚き木。そして、地平線と、空。振り返ると、俺が先ほどまでいたらしい丸太の小屋があった。どうみてもメイド喫茶ではないし、何より高さがおかしい。俺は先ほどまで三階にいたはずだった。なのに、どうみてもここは、
『オオオオォォーーーー!!!!』
 牛に似た、しかし決定的に違う何かの声が、地平線の彼方から響き渡る。
「にゃ!? お前、カイトか!? にゃんでお前がここに!?」
 どこからかアカネちゃんの声が聞こえる。声のする方に振り向くとなんとそれは上空だった。アカネちゃんだけではない。俺が通いつめていた一週間のうちに知り合ったメイドさんたちがせいぞろいしていた。そろいもそろってみんな当たり前のように宙に浮いている。服装はメイド服のままの子もいれば、動きやすそうな軽装に身を包んでいる子もいた。
 ちなみにメイド服の子達はそろってパニエをはいていたので、読者の諸君が期待するようなものは見えなかった。
「まさか、結界が……!!」
『グオオオオォォーーーー!!!!』
 コバトちゃんの声を遮(さえぎ)るように、再びの咆哮(ほうこう)。腹の底に響く低音に、体がぶるりと震える。さっきよりも音が近づいている気がした。
「なんなんすか、この鳴き声……!」
「危にゃいっ!」
 正面に向き直ると、拳の倍ほどもある岩石が音もなく飛んで来ていた。
 避けようにも間に合わない。思わず両腕で目元をガードした。が、
「ぐっ!!」
 次の瞬間、聞こえて来たのは男のうめき声だった。
『テンさん!!』
 上空に浮かんでいる女の子たちの声が重なる。
 テンと呼ばれた猫耳を生やした暗い金髪の男は、俺の方にばったりと倒れこんで来た。
「おい、大丈夫か!!」
 見ると、左肩が大きくえぐれている。それだけにとどまらず、体には古傷も含むいくつもの傷が刻まれていた。相当消耗しているようだ。
 倒れそうになるのをなんとか抱え上げ、下りて来たオオヤギさんと共に小屋の中へ運び込み、そっと床に下ろす。
「大丈夫か、しっかりしろ!」
 体を揺さぶると、オオヤギさんに止められた。
「テンさん、テンさん!!」
 オオヤギさんは体には触れずに声だけで呼びかける。
 しばらくして女の子たちが小屋の扉から殺到すると、男は辛そうにうめき声を上げ、上半身を起こした。
「テンさん、無理をしてはダメにゃ!!」
 オオヤギさんを片手で制し、テンは俺の方を見る。
「……カイト、と言ったか」
 痛む左肩を右手で抑えながら、テンは続ける。
「お前がここに来られたということは、お前にそれだけの”力”があるということだ」
「は? ”力”? 何言って……」
 駆け寄って来たミルクちゃんの手当てを受けながら、テンは苦しげに続ける。
「っ! 時間がない……お前に、俺の”力”の一部を託すにゃ。そうすれば、お前の”力”はブーストされる」
「託す? ブースト? さっきから何言ってーー」
「ーー聞けっ!! このままじゃ、みんな死ぬ!!」
 張りつめたその声に、空気がピシリと引き締まる。
「いいか、この先には集落がある! ここを突破されれば、そこの猫たちも、俺たちも、みんな死ぬ!! お前しか、いないんだにゃ」
 右腕で胸ぐらをつかんで引き寄せられ、ひたいとひたいをかち合わせた状態で怒鳴られる。その目は真剣そのものだった。と、同時に、人間のそれではないと、一目でわかった。
「あんた、その目の色……」
「そうだ、俺たちはしょせん猫だっ! お前たち人間にとっては、取るに足らない獣の命だ! だけどな、ーーーー俺たちだって、生きてるんだよ」
 ゴホッと深く咳き込むテン。口元をおさえた手が赤く染まっていた。よく見ると、その手も人間のものではなかった。それぞれの指が短く、肉球のような膨らみが浮き出ている。
『テンさん!!』
 悲鳴に近い女の子たちの声を制し、テンは必死に言葉をつむぐ。見ると、魔女のとんがり帽子を取った女の子たちの頭にも、みんな黒い猫耳が生えていた。
「人間。もしもお前に、情けがあるのなら、俺たちを救ってくれ……その命を、賭(と)して」
「は?」
 小屋の外から、先ほどよりもずっと近いあの鳴き声と、少しずつ迫る無数の足音が聞こえる中、俺は息をのんだ。
 命を賭けろって? 何を言ってるんだ、コイツは。そんなの、
「できるわけないだろ……」
 思わずこぼれたその言葉に、テンを取り囲む女の子たちの顔が絶望に染まる。
 やめろ。
 そんな顔、しないでくれ。
 命を賭けるなんて、そんなの、できるわけない。
「いいのか? でなければ、お前の大切なものが死ぬぞ」
 視線だけで女の子たちをさすテン。アカネちゃん、ミルクちゃん、カスミちゃんにコバトちゃん、オオヤギさん。みんな、みんな覚えている。だけど。
「なんでだよ? 集落とか、そんなの知るかよ。あんたらだけでも逃げればいいじゃないか!」
 しかし、誰も動かない。
「ーーーーお前は、愛するものを見捨ててまで、生きていたいと思うのか」
 その瞬間、空気が変わった。
 いや、正確には、俺の表情が、変わった。
「……そうかよ、そういうことなんだな」
 ゴクリと唾を飲み込み、俺は決意する。そして、立ち上がって顔を上げた。
「どうすればいい?」
「今からお前に、一つだけ質問をする。お前はただ、それに答えるだけでいい。自分の思う、自分の”答え”を」
「わかった」
 うなずくと、テンは重い体で立ち上がり、俺の瞳を正面から見据えた。
 猫特有の、縦に細長い針のような瞳孔が、まっすぐに俺を見据える。
「カイト。俺は戦士だ。ーーーーお前は、なんだ?」
 少し悩んだあと、俺は、ゆっくりと口を開いた。
「俺は、ーーーーオタクだ」
「そうか」
 目は真剣なままに、口だけで笑う。と、不意に、テンの瞳孔がカッと見開かれた。

 その瞬間体が光に包まれ、すべてが吹き飛んだ。丸太の壁も、床も天井も。
 とっさに閉じた目を見開くと、そこには無限に広がる宇宙があった。星々の散りばめられた壮大な宇宙だ。目の前には途方もなく大きい銀河の奔流(ほんりゅう)がある。その奔流はゆっくりとこちらに近づいて来て、やがて俺を飲み込んだ。
 視界を埋め尽くすほどの星屑が足元から頭上へと、ものすごいスピードで駆け抜ける。どころか、体をも駆け巡るような感覚があった。
 感じたのは、圧倒的な全能感。そこに恐怖などなく、すべてが自分の手の中におさまっているかのような錯覚に陥(おちい)る。何をどうすれば、どうなるのか、すべてが手に取るようにわかる気がした。
『…イト、カイト!』
 奔流の外から、声がする。振り向こうとしたそのとき、
「ーーーーカイト!!」
 ハッと、目が覚めた。
 見ると、アカネちゃんが心配そうにこちらを見ていた。そのとなりでは、テンが驚いたように目を見開いている。
「……見たのか?」
 その言葉に、さっきまでのあの圧倒的な感覚を思い出す。まだその余韻のようなもので、指先がヒリヒリと震えていた。頭が嫌にすっきりとしている。
「ーーーー神の領域(ゴッドフェイズ)を」
「神の(ゴッド)、領域(フェイズ)?」
 何度目かの咆哮(ほうこう)。
 そして、迫りくる足音の群れ。
「説明は後だ!」
 テンは俺の体を手のひらで押した。
「行ってくれ、カイト」
 その言葉に弾かれるように、女の子たちは一斉に扉から小屋の外へ駆け出す。
 俺もそのあとに続くと、荒涼とした大地に、黒い塊がぽつりと見えた。
 それは大きな土煙を立てながらものすごい勢いでこちらに近づいてくる。
 あれが鳴き声の正体なのか?
「総員、戦闘配置につくにゃ!!」
 かけ声を合図に、そこかしこでビュッと空気を切る音が鳴る。
 女の子たちがメイド服のミニスカートをはためかせながら空へと飛び上がっていく音だ。
 重要なことなのでもう一度言っておくと、全員パニエを履いているので、読者の諸君が期待しているようなものは見えない。
「それどうやってやんの!?」
「力を込めて、それを一気に解く感じです!」
「グッと溜めてドッカーンにゃ!!」
「頭の中で念じるにゃ」
 三者三様の返事が返ってきた。
「ーーーー頭の中で、グッと力を込めて、」
 言いながら、左足を後ろに滑らせ、クラウチングスタートのような姿勢になる。
「一気に、ドッカーンッ!!!!」
 立ち上がりながら右足で強く地面を蹴る。瞬間、ありえない力が出た。
「うわっ!?」
 風を切る音こそしなかったが、グンと力が入り、斜め上に跳び上がった。
 地面がぐっと離れ、束(つか)の間の浮遊感。
 しかし、
「ぐへっ!?」
 すぐに地面に引っ張られ、不時着。受け身も取れずに頭で地面にずつきしてしまった。
 それを見たアカネちゃんはすぐにみんなの方へ向きなおり、
「総員、カイトが慣れるまで足止めするにゃ!!」
 と声を上げると、黒い塊の群れに向かって両手を重ね、念じるように目をつむった。
 遠目からでも、アカネちゃんの両手に黒いエネルギーのようなものが集まっていくのがわかる。アカネちゃんは両腕を照準のかわりにして狙いを定めると、
「にゃ!!」
 なんとも可愛らしいかけ声とともにそれを前方に向けて放った。
 風を切りながら直進する黒いエネルギー弾をなんとか目で追う。
 それはこちらへ迫る黒い塊の群れの手前に着弾。小爆発を起こした。
『☆¥°>*+〒〆々^|:*・♪$ーーーー!!!!』
 黒い塊の群れが牛のような鳴き声で苦しげにうめく。若干進路がばらけたものの、なおもこちらに突っ込んできているようだ。
「にゃっ!!」
 続いてオオヤギさんの攻撃。
 手刀で素早く空を切ると、黒いエネルギーの塊が刃のように飛び出し、今度は群れの中央付近に落ちた。
 ひとかたまりだった群れが二手に分かれる。そのまんなかに、ひときわ大きな塊が残った。
 どうやらあの一体が群れを先導しているらしい。
「あの先頭のやつを狙うにゃ!!」
 アカネちゃんもそれに気づいたらしく、キビキビと指示を飛ばす。それに従って、黒いエネルギー弾や斬撃が次々に黒い群れへと撃ち込まれていく。群れはその度に牛のような不気味な叫び声を上げるが、その速度は目に見えては落ちず、あまり効いていないようだ。

 黒い群れとの距離が近づくにつれ、その姿が徐々に明らかになって来た。
 それは、牛から角やしっぽといった凹凸をすべて取り除いたかのような、寸胴に近い不気味な生物……いや、化け物だった。遠目からだったのでわからなかったが、その大きさは牛を優に超える。
 四本足で走っていながら人の背丈ほどもあるその化け物は、アカネちゃんたちの必死の攻撃にもまるでひるまず、ものすごいスピードでこちらに迫ってきていた。
 確かにあんな化け物が集落で暴れたら、ひとたまりもないだろう。
 それに、あの勢いでは小屋の中にいるテンさんさえ危ない。
 なんとかしなければ。けれど、ピンチだからと言ってそう都合良く力が湧き出たりはしない。
 何度も何度も、空高く飛ぼうとしては、
「ぐはっ!?」
 不時着を繰り返す。
 その間にも、上空ではアカネちゃんの指示が飛んでいた。どうやら倒すことはあきらめ、手前に着弾させて土煙を起こし、視界を遮る作戦に切り替えたようだ。
 不意に脳裏をよぎるのは、テンさんの言葉。
『ーーーーお前は愛するものを見捨ててまで、生きていたいと思うのか?』
「ーーーー嫌だ」
 ぽつりと吐いたその決意が、引き金となった。
「は!?」
 体が、ビュッと風を切る。跳躍(ちょうやく)というより、もほや飛躍(ひやく)だった。
 日常ではありえない、何かにつかまりたくなるような浮遊感が足下をすくう。
「うわぁぁぁーーーーーーー!!!!」
 一気に視点が高くなり、思わず手足を振り回す。しかし、息ができなるなるほど強い風が顔に吹き付ける中、なぜか姿勢だけは保てていた。
 これも魔法のおかげなのだろうか。というか、アカネちゃんたちの使うあれはそもそも魔法なのか。そんなことを考えてる場合じゃない!
 放物線を描きながらものすごい勢いで落下していく体。このままでは黒い化け物の群れの手前に落ちる。
 着地も魔法でどうにかなるのか、それともならずに爆散するのか。混乱が渦を巻いてめちゃくちゃになるなか、これはチャンスなんじゃないか、という謎の感覚が四肢を駆け巡る。
 そう、四肢を。頭ではなく、体がそう感じる。ボッと火がついて、じわりと広がるような。そんな感覚が全身を包む。
 頭の中で、エネルギーをチャージしていくような効果音が勝手に流れ出す。それが最高潮に達する瞬間、黒い群れの先頭を走る化け物の脳天に、突き出した拳が直撃した。
「オラァァーーーー!!!!」
 それはまさに、ドッカーンとでも形容すべき、爆発だった。
 真っ赤な閃光が視界を包み込んだかと思うと、次の瞬間には土煙の爆風に吹き飛ばされていた。

「ーーーーあれが、見込みゼロの人間の"力"!?」
 上半身だけ身をおこし、窓から様子を見ていたテンは、その爆発に感嘆の声を漏らす。
「やはり、アイツはーーーー」

   ★

 そのあとのことは、あまり覚えていない。ただ、あの黒い化け物の頭に拳をぶつけた時の、ザラザラとした感触と、その息づかいだけは、忘れられなかった。
 化け物だろうと、生きているのだ。俺はそれを、殺した。そんな奇妙な感覚が、ひやりと頭を横切る。染み付いたままの、感覚。
 虫よりももっと大きな、しかし、人間よりも小さな、けれど確かな命を殺したのだという感じが、拳にどろりとまとわりつく。
 それは何日かたった今もそのままで、なんとなくまた、『ヴァイオレット・ヴァレッタ』へ行かなくなっていた。
 そうしているうちに夏休みが終わり、大学が始まると、行く時間もあまりなくなり、いよいよ気持ちが離れていった。
 そんなある日、都市部の大きな本屋へ立ち寄った帰り。俺の足はなぜか、無意識のうちに『ヴァイオレット・ヴァレッタ』へと向かっていた。
 ちょっと前を通りかかるだけ。
 そんな気持ちで入り口へとつながる階段を横切ろうとしたとき、
「ーーーー怖くなったのか?」
 声がかかった。
 テンの声だ。
 見ると、階段を少し登ったところの壁によりかかっている。
「力がか? それとも、生命を殺す感覚がか?」
 図星だった。
「……どっちもだよ」
「そうか。ならお前は、大丈夫だ」
「は?」
「力にも、殺す感覚にも恐怖を抱けないようなやつに、"魔法"を使う資格はないからな」
「やっぱり、魔法なのか? あんたらの、あの力は」
「ありていに言えばそうだ。俺たちは黒魔法と呼んでる」
「黒魔法?」
「そうだ。そして、お前のはそれを凌ぐ力。人間だけが使うことができる、人間ならではの領域(フェイズ)」
「それが、神の領域(ゴッドフェイズ)?」
「違う。人間の領域(ヒューマンフェイズ)だ。その名の通り人間が出せる元々の力だ。俺はお前のそれを引き出したに過ぎない」
「つまり?」
「怖がることは大切だが、お前の場合は怖がりすぎだ。お前のはしょせん、人間が出せる領域の範囲内。俺たちよりも強力だが、それでもたかが知れてる」
俺は、あのときのあり得ない浮遊感と、黒い化け物と激突したときの爆発を思い出す。
「あれがか?」
「そうだ」
「……でも、」
 握りしめた拳が震える。
「怖いんだ。あんなものが、アカネちゃんたちに当たったら」
「死ぬだろうな。だが、お前が力を使わなければ、同じことだ」
「っ!?」
「ーーーー来てくれ。お前の力が、必要だ」
 左手を振り仰ぎ、こちらの反応も待たずに階段を上がっていくテンさん。
 ゴクリと唾を呑み込み、あとに続く。扉の向こうにどんな悲惨な現実が待ち受けているのかと思いながらドアノブをひねると、
「ようこそにゃん!!!!」
 そこには。
「もう来ないかと思ったにゃん」
 ニヤリと笑うアカネちゃんと、いつもの『ヴァイオレット・ヴァレッタ』があった。
 赤いツインテールと黒のスカートがふわりと舞い上がる。
「お前を待っていたにゃ」
「は?」
「お前が近くまで来ていることはわかっていたにゃ。そして、ここの目の前を横切ろうとしていることも。だからテンさんが呼び止めたにゃ」
「どういうことだよ?」
 思わず、身を乗り出してたずねる。
 別にその道のプロというわけでもないが、発信機をつけられたような覚えはない。
「そのくらい、お前の力が大きいということにゃ。ま、テンさんがブーストしただけあって、常人との区別ぐらいはつくにゃ」
 カウンターにコーラをおきながらさらりと告げるアカネちゃん。
「マジか……」
 なんだか誇らしかった。
「と言っても、お前の場合元が元だから、ブーストしてもまぁそこそこの力しかないにゃん。別に、お前がいれば百人力というほどでもないしにゃ」
「なっ……」
 思いっきり馬鹿にされ、ズッコケそうになる。
「……じゃあなんで俺なんかに頼ったんだよ。こっちは命がけだったんだぞ!?」
「お前しかいなかったにゃ」
 唐突に、アカネちゃんの口振りが真面目になる。それに押され、俺もそれ以上責める気にはなれなくなった。
「あのとき、見込みゼロのはずのお前が、ゲートをくぐってこっちへ来たのには驚いたにゃ」
「結界だって今日より厳重にはってあったし、偶然でも迷い込めるはずがないにゃ。にゃのに、お前は現れた」
 俺の目を真っ直ぐに見つめ、続ける。
「私たちのピンチに」
「……」
「だからテンさんはお前に賭けたにゃ。そして結果はお前も知る通り。瞬間的とはいえ、お前は内包する以上の力を出した。だからテンさんも私も、お前を待ってたにゃ」
「だったら、教えてくれよ。あの化け物のことや、アカネちゃんたち、それに、この力のことも」
「無論にゃ。はなからそのつもりにゃ」
 一息つくと、アカネちゃんは語り出した。
「ーーーーまず、私たちは黒猫にゃ」
「は!?」
「黒猫メイド喫茶を隠蓑(かくれみの)に、私たちはこの世界で見込みのある人間を探しているにゃ」
「この世界でって、まさか……」
「そうにゃ。私たちはこの世界の生き物じゃないにゃ。もちろん、あの化け物も。あいつらは、私たちの住む、"黒猫の王国"の外から来るにゃ」
「黒猫の王国?」
「猫の王国じゃなくてか?」
「かつて猫のすべての種が集まる王国があったなんて話もにゃくはにゃいが、神話上の話で、誰も信じてはいないにゃ。そのくらい、猫同士の対立は激しいにゃ。とくに、隣国の白猫の王国との仲は最悪にゃ。いつも隣接する国境の領土を争ってるにゃ。そして、それよりもっと深刻なのが、やつら魔物たちの侵攻にゃ。どこの領土からでもないどこか遠くから、やつらは来るにゃ。とくにここ最近は、この前みたいな群れが、包囲網を抜けて襲ってくることも少なくにゃい。だから、私たち以上の力を出せる、人間の力が必要にゃ」

   ★

「てことは、そっちの世界には人間はいないのか?」
「そうにゃ。私たち猫の各種属の王国があるだけで、この世界の人間ほどの知能を持った生物は他にいないにゃ」
「なら、なんで"猫"なんだよ?」
「にゃ?」
「そっちの世界の言葉では、自分たちのことはこっちでいう人間みたいな名前がついてるんじゃないのか?」
 意外な質問だったのか、しばらく考え込むアカネちゃん。
「……そう言えばそうにゃ。その昔、耳や尻尾を持たない、私たちによく似た生物が、自身を"人間"と名乗ったという伝説はあるにゃ」
「でも、私たちがにゃんで自分たちのことを、この世界で言う"猫"と称しているのかは、そういえば知らないにゃ」
「そういえばって……」
「考えてもみなかったにゃ、そんなこと。キャットフェイズの"キャット"も、この世界でいう猫のことらしいしにゃ」
「キャットフェイズ……それだよ!」
 コーラを口に含みながら何気なく流そうとして、思い出す。
「あのテンとかいう人は、俺を見て、"ゴッドフェイズ"がどうとか、"ヒューマンフェイズ"の範囲内だとか言ってた。そのなんとかフェイズってなんなんだ?」
 この際だ、わからないことは全部聞いてしまおう。
 しかし、聞かれたアカネちゃんは何やら渋い顔をする。
「……私もよく知らないにゃ」
「なんだよ……」
「ただ、知っているのは、キャットフェイズがヒューマンフェイズより範囲が狭いということにゃ」
「範囲が狭い?」
「そうにゃ」
「にゃんでかは知らにゃいが、人間の方が元々の力が弱い分、伸びしろが大きいにゃ。だから、人間の力をブーストすれば、猫よりも強大な力を引き出せる」
 聞きながら腕時計を確認する。なんだかんだでもう一時間たちそうだ。
「……あー、まだ聞きたいことが山ほどあるんだけど」
「どうしたにゃ?」
「そろそろ一時間たっちゃうんだよね」
「にゃにか予定でもあるのか?」
「いや、お金が……」
 そういうと、アカネちゃんはにゃははと笑う。
「今日は特別にゃ」
 言いながら、大げさにウインクしてみせる。その仕草に思わずドキッとなった。
「じゃ、じゃあ、もうちょっとだけいようかな」
 ごまかすようにコーラを飲み干し、おかわりを注文する。
「……それでいいにゃ」
 にやり、と歯を見せて笑うアカネちゃん。その瞬間、なんだかはめられたような気がした。
「まだお前の"これから"の話をしてないにゃ」
「……これからって?」
「ブーストしたお前の力を察知できるのは、何も私たち黒猫だけじゃないにゃ。隣国の白猫たちも、当然近くにいれば気づく。そうなれば、お前の力目当てに近づく猫が現れるのも必然にゃ」
「俺の力目当てに、近づく……?」
脳内で、甘ーい空間が再生される。
『私たちと組んでくれたら、とってもいいことしてあげるにゃ♡』
 清楚な白い水着を来た白い髪の白猫三人衆にゼロ距離で囲まれ、なんなら一人にまたがられて迫られる光景が半自動で再生されーーーー
「ーーーーいたっ!?」
「にゃにいやらしいこと考えてるにゃん!?」
 顔を真っ赤にしたアカネちゃんにほほを引っ叩かれた。
「は!? なんでわかっ……なことねぇよ!!」
「鼻の下が伸びてたにゃん!!」
「なっ!?」
「ともかくっ!! お前が私たち黒猫と組んでると知ったら、命を狙ってくる猫すら現れかねないにゃ!」
「ーーーーだ・か・ら、極力、とくに白猫カフェには絶対に!! 近づかないことにゃ。へなちょこなお前の力でも、半径1、2キロ付近を横切るだけでアウトにゃ」
「へなちょこは余計だろ」
 まだ痛むほほをおさえながら、俺はボソリとつぶやく。
「ーーーそれから、こうなった以上、お前には黒猫の王国を守るため、戦士として戦ってもらうにゃ」
 飲もうとしたコーラが喉につかえ、思いっきりむせる。
「はぁ!?」
「当然にゃ」
「テンさんに力をブーストされた今、お前はもはや常人ではにゃい。私たちの秘密も知ってしまった以上、後戻りは許されないにゃ」
「ーーーーそれを先に言えよ!!」
「さっきに言ったらお前は逃げるにゃ」
「このっ!!」
 わざとらしく憎らしい顔でこちらを見下ろすアカネちゃん。
 普段の厨二臭い雰囲気も相まって、なかなか様になっていた。
「あのな、命より大事なものなんてーーーー」
 そうだ、命より大事なものなんて、
「ーーーー協力するにゃら、客がお前一人のときは無料にしてあげるにゃ」
「そういうことなら仕方がない」
 あった。
「はやっ!!」
「いやーしかし、アカネちゃんにそんな涙ぐましい事情があったとはなぁ。これは見過ごせない」
「自分で言ってて白々しくないにゃーか?」
 アカネちゃんの蔑(さげす)む視線が痛いが、見る人が見ればご褒美だ。
 アカネちゃんは気をとりなおすようにコホンと小さく咳払いをして、
「まぁともかく、そういうことにゃ。明日からお前も、毎日ここに通いつめるにゃ。私がみっちりしごいてやるにゃあ」
「は? しごくって?」
「決まってるにゃ。お前を一人前の戦士に鍛え上げるにゃ」
「ーーーーいや、待ってくれよ。俺大学の単位やばいんだよ」
「三年生で頑張ればいいにゃ」
「なぜそれをっ!?」
「当然にゃ。お前のことなんて、とっくにリサーチ済みにゃ」
「くそっ!! 今のうちに多めにとって、三年で楽しようと思ってたのに……」
「その割には二年の前期で三つも落としてるにゃ」
 サッとどこからか取り出したボードの紙をめくるアカネちゃん。
「うるせっ!!」
「わかったら、今のうちに大人しく履修取り消しするにゃ。まだお前の大学は、履修申告期間のはずにゃ」
「そんなことまで調べてんのかよ!」
「当然にゃ。お前のような三流大学生とは違うにゃ」
 ドヤ顔を決めるアカネちゃん。女じゃなければ殴り飛ばしていた。
「あぁーーもうっ!! わかったよ!」
 ヤケクソで手に取ったコーラを一気に飲み干す。
「わかればいいにゃ」
「コーラおかわりっ!!」
「任せるにゃ」
 冷蔵庫へコーラをとりに行くアカネちゃん。そのごそごそやっている背中に話しかける。
「そういえば、アカネちゃんは普段なにしてるんだよ?」
 本来キャストさんのプライベートを聞くのは厳禁だが、俺の場合今更だろう。
「決まってるにゃ。トレーニングと周辺偵察、あとは連戦につぐ連戦にゃ」
 まるでルールを破ってプライベートを聞かれたときのためのセリフのようだが、今ならわかる。おそらく本当だ。
 さすがは戦士というべきか、男よりも男勝りな、ハードボイルドな生活を送っているらしい。
「てことは、他のみんなもそんな感じなのか?」
「いや、そんなことはないにゃ。みんにゃ召集がかかったとき以外は基本おのおのの生活を楽しんでるにゃ」
「そうなのか」

   ★

 土日が終わって月曜日。午後の履修を大方取り消したとはいえ、午前は普通に大学がある。
 夏休みがあけてもまだまだ暑い9月の電車内は冷房が効いて、ほどよくすずしかった。
「ーーーーあの、すいません」
 電車を降りて、大学までの道のりを歩いていると、背後から声をかけられた。
 振り返ると、なんとそこには、絹(きぬ)のように滑らかな黒髪に、真っ白な肌をした、同い年か少し年上かくらいの美人な女の子が立っていた。
「これ、落としませんでした?」
 差し出されたのは、見覚えのある革の財布だった。
「あ、えっと……」
 慌ててポケットを確認する。中はからっぽだった。
「多分、俺のです」
 あまりにも美人なので、手が触れ合わないようにドキドキしながら慎重に受け取り、中を確かめる。
 俺の学生証や定期券が入っていた。
「あ、やっぱり、俺のみたいです」
 言うと、美人の女の子は真っ白な細い手を胸に当て、
「良かった」
 と、ため息をついた。その仕草だけで俺の心臓はわかりやすくたかぶる。ごまかすように短くお礼を言い、立ち去ろうとする。
 しかし、なぜか女の子はそのまますぐ横を歩き出す。大学構内で拾ってもらったのだし、この子も同じ大学なのだろうから行く道がかぶるのはわかるが、それにしても近い。そう思っていると視線がぶつかり、向こうから話しかけてきた。
「一年生?」
「え? いや、二年生です」
「そうなんだ」
「じゃあ後輩か。私三年生なの」
「そうなんすか」
「私白雪京子。あなたは?」
 なんだろう。なんでこうも会話が途切れないんだろう。
「あぁ、えっと、カイトです」
 ごまかすわけにもいかないので、正直に答える。
「カイトくんか。ふーん」
 視線をそらし、横顔を見せる京子さん。
 肩の下まで伸びた美しい黒髪と、すじの通ったやや高い鼻。そしてガラスのようにきらめく瞳。
 うむ。美人だ。
 ……おかしい。
 警戒しすぎかも知れないが、こうも都合よくこんな美人の方から距離をつめてくることがあるだろうか。かつてあっただろうか。
 いや、ない。
「? どうかしたの?」
 しかし、京子さんのまさしく白雪姫のような美しい笑顔と、可愛らしい澄(す)んだ声に当てられ、心がぐらつく。
「いえ、なんでもないです」
『なんでもなくないにゃ。絶対おかしいにゃ!』
『いやでも、勘違いだったらもったいないし』
 脳内で、アカネちゃんと俺が喧嘩を始める。
『もったいにゃい? にゃーにがもったいないにゃーか。こんな出会い、はなからありえないにゃ』
『ありえない恋……ありだな』
『にゃ?』
 あきれ顔を浮かべるアカネちゃん。脳内シュミレートにてアカネちゃんの信頼を失ったが、これは俺の判定勝ちでいいだろう。
「そういえば、カイトくんはどこまで? 私はそろそろなんだけど」
 脳内でなおもギャーギャー騒ぐアカネちゃんを振り切ってこたえる。
「あ、俺はもうちょっと先っすね」
 この大学は山奥にあるだけあって敷地が広く、俺の場合正門から2番目に遠い棟にいかなければいけない。
「そっか。じゃあそろそろお別れか」
 京子さんがちょっぴりさびしそうに言う。
「ねぇ、良かったらなんだけど、連絡先交換しない?」
「え?」
 絹糸のような黒髪を耳にかけながら、切り出すように言われる。
「は、はい」
 断る理由がなかった。

 連絡先を交換して別れたあとも、頭の中は京子さんのことでいっぱいだった。
 午前の授業を終え、食堂に向かう途中、早速京子さんから着信があった。
『京子です。
 今日の授業は午前で終わりなんですが、午後から空いていたりしませんか?』
 どうもメールは敬語で打つタイプらしい。なんとも可愛らしい文面だった。
 『もちろん空いていますよ!』と返信すると、食堂で落ち合う流れになった。
 意気揚々と食堂へ向かうと、先に来ていた京子さんがこちらに気づき、立ち上がって手を振ってくれる。
 その仕草がまたなんともおしとやかというか上品というか。端的にいって好きだった。
 二人で向かいあって席につき、俺はカレーを、京子さんはサバの定食を頼んだ。
 そこで、流れで自然と互いの趣味の話になる。
「私ね、実は、オイルマッサージが趣味なの」
「へぇー。でも、オイルマッサージって結構高くないですか?」
「あぁ、される方じゃなくて、する方。だから、初期費用以外は意外と安いの」
「え? マッサージ師かなにか目指してるんですか?」
「うん。始めたのはわりと最近なんだけどね。それで、お願いがあるんだけど……」
 京子さんはこちらをうかがうように姿勢を低くし、上目遣いになる。
「ん? なんすか?」
「実はね、私、まだ男の人のマッサージってしたことなくて、良かったら、その、練習台になってくれない?」
「練習台?」
 頭の中で展開された妄想については、またアカネちゃんにはたかれそうなので割愛するが、鼻血が出そうになったとだけ言っておこう。
「ーーーーいいですよ」
「やった!」
 京子さんは心から嬉しそうに小さく飛び上がり、ガッツポーズをする。うむ、可愛い。
「じゃあ、どうする? そのままうちに来る?」
「そうですね。今日は荷物少ないし、そのまま行こうかな」
 なんと、今日あったばかりの女性の家にお邪魔することになってしまった。


「じゃ、暗くするね」
 京子さんの自宅の一室にて。
 俺は簡素な台の上に横になり、すっかりされるがままになっていた。
 薄い茶色の毛布を腰にかけられ、仰向けに横たわっている。
 上半身は裸だが、京子さんが明かりをオレンジの電球にしたこともあって、雰囲気にのまれてちっとも恥ずかしくはなかった。
 やがてアロマキャンドルに火が灯り、ーーーーやけに煙が多いな。
「ゴホッ、ゴホッ、京子さん? なんすか、これ」
「大丈夫。すぐに気持ち良くなるにゃ」
「にゃ? ーーーーって、あ……」
 知らぬ間に、体に力が入らなくなっていた。そのまま俺は、沈むように意識を失った。

   ★

「ーーーーイト、カイト、起きるにゃん」
「……ん? 京子、さん?」
 まぶたを開いても、視界がかすんでよく見えない。かろうじてわかるのは、俺の顔を覗き込む、赤いツインテールと、茶色い髪を下ろした二人の女の子の姿。あの絹のような黒髪はどこにも見当たらない。
「なーにが京子さん? にゃんか。まったく……」
「ホンマ、見張っとって良かったですにゃ」
「その声は、……アカネちゃんと、オオヤギさん?」
 ようやく視界がはっきり見えてきた。思った通り、声の主はアカネちゃんとオオヤギさんだった。
「あれ? オオヤギさん、髪染めたんだ」
 なんだか意外だった。
「髪染めたんだ、じゃないにゃ!! あーんにゃわかりやすい罠に引っかかるなんて、気が抜けてるにもほどがあるにゃ」
「罠?」
「落とし物を拾ったくらいで連絡先まで交換して、その日のうちに一人暮らしの自分の家に連れ込む女の子にゃんて、いるわけないにゃ!」
「いたっ」
 あおむけに台にのせられた俺のおでこにアカネちゃんのチョップが炸裂する。
「まぁまぁ。カイトはんやって反省しとるんやろうし、ここはおおめにみるにゃ」
 オオヤギさんに助け起こされ、辺りを見回す。
 そこは小さな物置部屋のような場所で、ただでさえ窮屈な薄暗い部屋のすみに、大きな檻がドンと置かれていた。
「白雪京子はお前の力を狙ってすり寄って来た白猫にゃ。変わりばんこでお前を見張ってて正解だったにゃ」
 言いながらアカネちゃんは俺の横を通り過ぎ、京子さんの入れられた檻の前に立つ。
「今回は命を狙って近づいたわけではにゃいようだから、まぁ見逃してやるにゃ。けど、」
 アカネちゃんの瞳がカッと見開かれ、猫のそれになる。
「次はないと思うにゃ」
 フシャーとでも聞こえて来そうな猫なりの恐ろしい形相を浮かべ、京子さんを威嚇するアカネちゃん。
 対する京子さんはまるでこたえていないようで、知らん顔をしている。
「許してにゃん♡」
 目があったかと思うと、こちらにウィンクしてきた。思わずドキリとしてしまう。
「やっぱり殺すにゃ! 三味線にするにゃ!!」
 暴れだすアカネちゃんをはがいじめにして取り押さえるオオヤギさん。
「まぁまぁ。京子はんもカイトはんに何か危害を加えたわけではありまへんし」
「でも気に入らないにゃ!! なんかムカつくにゃ!!」
 今日はやけに血の気が多いな。
「それにしても、一体俺を眠らせてどうしようと?」
「決まってるにゃ! 王国に連れて行く気だったにゃ!!」
 京子さんが答えようとするのを遮るように、アカネちゃん。
「王国に?」
「大歓迎のムードのにゃか、白猫の国王にでも合わせて、引き返せない雰囲気作って、無理やり騎士か傭兵にでもなってもらおうと思っとったんとちゃいます?」
「そんにゃことはしませんにゃ。世界を救う勇者として迎え入れるつもりだったにゃ」
「世界を救うって、そんな、大げさな……」
 俺がそうつぶやいた途端、水を打ったように静まり返った。
 そんな中、京子さんは檻の中でのんきに毛づくろいをしながらカラカラと笑う。
「まさか、何も伝えてないにゃーか? そんなんじゃあ、こっちの待遇の方がずっといいにゃあ」
 その言葉に、アカネちゃんは歯がみして京子さんをにらみつける。オオヤギさんはバツが悪そうに目をそむけていた。
「え? なんだよ、どういうことだよ。俺はちゃんと……」
「ーーーーそのことじゃないにゃ。まだ、話してないとこがあるにゃ」
「まだ?」
 京子さんがあざとく強調する。
「まず、魔物たちの侵攻は、カイトが思っている以上に深刻にゃ。実際、毎日少なくない数の猫が命を落としてるにゃ」
「毎日?」
 確かに、そこまでとは聞いていない。
「それだけじゃないにゃ。魔法と呼ばれる私たちの力は、命の源から生まれるもの。つまり、白猫と黒猫が争うということは、生命がぶつかり合うということに他ならないにゃ」
「つまり、どういうことなんだよ?」
「端的に言えば、私たちはみんな、命を削って戦っているにゃ」
「っ!?」
 命を削って戦うというその言葉の重さを、すぐには受け止めきれない。衝撃を受ける俺の顔を見て、京子さんはニヤリと笑った。
 だけど。
「だから、なんだよ?」
 強がりじゃない。本気だ。
「にゃ!?」
 豆鉄砲でも食らったように、目を丸くして驚く京子さん。
「俺はあのとき、テンさんの問いかけに答えた瞬間から、とっくに覚悟決めてんだよ」
 脳裏をよぎるのは、あのときテンと交わした言葉。

『ーーーーカイト。お前は誰だ?』
『俺は、ーーーーオタクだ』

 そう。俺はオタク。
 ただのオタク。だからこそ俺は、
「俺は、大切なもののために、命をかける」
「カイト……」
「カイトはん」
「カイト様ぁ♡」
「カイト様?」
 目をハートにして鉄格子越しにすり寄ってくる京子さん。主張の強い胸が格子に食い込んで目のやり場に困る。
「私、カイト様に惚れ込んでしまいましたにゃあ」
「え、えぇ……」
 清楚な見た目のままデレデレの様子でとんでもないことを言う京子さん。
「カイト様と一緒に暮らしたいにゃん♡」
「だっ、ダメに決まってるにゃ!! 年頃の男女が一つ屋根の下24時間一緒なんて、絶対ダメにゃ!!」
「いや、確かにそれも問題だけど……」
「アカネはん、つっこむところが違うんじゃありまへん?」
「おい黒猫、カイト様はいつもお前のカフェに通ってるにゃんね? 私もそこで働かせるにゃん」
「にゃあ!? それこそ絶対ダメにゃ!! なんたってそんな敵を匿うようなことをしなくちゃいけないにゃ」
「まさに匿って欲しいにゃ。カイト様を勇者として向かい入れる大任を仰せつかっておきながら失敗したとなれば、もう私は白猫の王国に合わせる顔がにゃい。最悪黒猫に手の内を明かさぬため、抹殺されるかもしれないにゃ」
「抹殺!?」
 当然のことなのか、驚いているのは俺だけだった。
「そんなの、知ったことじゃないにゃ。むしろいい気味にゃ」
 大げさな仕草でそっぽを向くアカネちゃんに、京子さんは目に大粒の涙をためる。
「お願いにゃ、この通りにゃ。私は、お前たちにどんな扱いをされても文句は言わにゃいし、どんないやらしい命にも従うにゃ」
 後半は俺に向けられていた。
「どんないやらしい命(めい)にも……」
 俺が何を想像したかについては、諸般の都合で割愛する。
「いった!!」
「何いやらしいこと考えてるにゃんか!?」
 顔を真っ赤にしたアカネちゃんにはたかれた。
「でも、このまま匿えないなら、京子さんはどうなるんですか?」
「カイト様♡」
 京子さんの熱い視線を感じながらアカネちゃんにたずねる。
「にゃんども言わせるにゃ。そんにゃの、知ったことじゃないにゃ」
 そっぽを向くアカネちゃん。
「そんな! 別に、僕を殺しに来たわけでもないのに……」
「だからなんにゃ? 敵は敵にゃ。一度情けをかけたところで、すぐこちらに寝返るようなやつは、またすぐ裏切るに決まってるにゃ」
「まぁまぁアカネはん。そうカッカしなはんな。ここは、カイトはんの優しさに答えてあげましょうや」
「オオヤギさん……」
「反対にゃ!!裏切られたら命に関わるにゃ」
「だから、『ヴァイオレット・ヴァレッタ』で新猫として住まわせてあげればいいにゃ。あそこならテンさんやみんながいつもおるから、京子はんもそう簡単には裏切れんのと違います?」
「なるほど! さすがオオヤギさんっ」
「ダメって言ったらダメにゃ!!」
「そんな……」

 あきらめなければいけないのだろうか。
 一つの命を。
 こんなにも、あっさりと?

「嫌だ……」
「にゃ?」
「そんなの、ダメだ!!」
自分でも驚くほど大きな声が出た。アカネちゃんも京子さんも、オオヤギさんでさえ、目を丸くして固まってしまう。
「なんでそんな簡単に見捨てるんだよ? 普段は、みんな他の誰かのために、命がけで戦ってるんだろ? なら、なんで見捨てるんだよ!?」
「……お前にはわからにゃいにゃ」
「私たちは、ーーーー黒猫と、白猫は、お前が生まれるずっと前からいがみ合ってきた。魔物たちの進行を、協力して食い止めようともせず。ただ自分達だけが生き残りたいがために、互いの領土を奪い合ってきたにゃ。そしてその過程で、こいつら白猫に、私たちの仲間は殺された。そんなやつらに情けをかけるにゃんて、散っていった仲間たちに、顔向けできないにゃ!」
「それは違う。だって殺したのは、京子さんじゃない、そうだろ?」
 京子さんに視線を向けると、ただ、すがるような目で見つめ返された。
「それはコイツが戦士かどうかの違いにゃ」
「戦士だったなら、殺していたに違いないにゃ」
「ーーーーでも戦士じゃない。そうだろ?」
 アカネさんの容赦ない視線が、真っ向からぶつかってくる。目をそらすわけには、いかない。
「国同士でいがみあって、戦争まがいのことしてるんだろうけど、それはお互い、愛するものを守るためだろ? 自分の種族の、愛するものを守るため、戦ってきただけなんだろ? だったら、どっちも、何も悪くないじゃないか。殺してないならなおさらだよ。俺はついさっき眠らされた。その前もずっと、無防備だった。今だってそうだ! けど、京子さんが俺に何かしたか? 」
「勘違いするにゃ。それはきっと、お前に危害を加えるなという命令だったからにゃ」
「でも、黒猫に危害を加えるなとは、言われてないんじゃない?」
「「!?」」
 ハッとなるアカネちゃんとオオヤギさん。
 その二人に、目立った怪我はない。
「いくら戦士ではないとはいえ、国に任命されるほどの猫が、弱いはずない。命までは奪えずとも、怪我を負わせて抵抗することくらい、できたんじゃない? だけどしなかった」
「それは……」
 言い淀むアカネちゃん。
「変だとは、思ったにゃ。ひっとらえたとき、コイツはまったく抵抗しにゃかった」
「カイトはんは、傷つけたくなかったからやって、言いたいんやろ?」
「そうです」
「……でもそれだけじゃ、わからないにゃ」


 翌日の火曜日、僕は午前の授業を終え、『ヴァイオレット・ヴァレッタ』へと向かう電車に乗っていた。
 結局、アカネちゃんのシフトを多めにして監視できる時間を増やすことを条件に、京子さんは『ヴァイオレット・ヴァレッタ』で匿ってもらえることになった。
 が、裏切られたとき、僕のような力を使いこなせないやからがいては足手まといになるということで、戦力の底上げも兼ねて今日から毎日みっちりトレーニングを受けることとなった。
 元々そんな話はあったけど、それよりもさらに厳しい、短期間で即戦力にまで鍛え上げるためのものだという。
 正直半ばやつあたりな気もしたけど、魔物たちの侵攻に備えるためにも力をつけなければいけないということはテンさんにも言われていたので、ここは従うべきだろう。

 ★

 電車を降り、『ヴァイオレット・ヴァレッタ』に着くと、出迎えてくれたのはミルクちゃんとカスミちゃんの二人で、店内にアカネちゃんの姿はなかった。
「あれ、アカネちゃんは? 今日からトレーニングすることになってるんだけど」
 昨日あったことを伝えると、二人は顔を見合わせ、クスリと笑う。
「アカネさん、それで昨日あんなに頑張ってたにゃんね」
「実は、あのあとアカネ、張り切りすぎたみたいで、朝から寝込んでるにゃん」
「え?」
「トレーニング内容も昨日徹夜して大幅に書き換えるって意気込んでたにゃん」
「言ってましたねー」
「でも、相当疲れてたみたいで、店の奥でそのまま寝ちゃったにゃん」
「おうちまで運ぶの大変でしたね」
「おかげで修正後の予定は誰も知らないにゃん」
「……え、ちょっと待って」
 触れていいものかわからなかったが、気になりすぎて話が入ってこないので、聞くことにする。
「ミルクちゃん、語尾はずれてない?」
「あ」
 しまったという顔になるミルクちゃん。しかしあまり深刻な様子ではなく、いつものふわふわした雰囲気は変わらないままだ。
「別に、ニャンって言わなくても普通に喋れるにゃん」
「え」
 さらっととんでもないことを言うカスミちゃん。
「な行が言いにくいだけで、語尾ににゃんってつけるのは、この店の方針が癖ににゃっているだけにゃん」
「マジか……」
 軽くショックだった。
「でも、言っちゃって良かったんですかね?」
「カイトはもう私たちの秘密も知ってるし、いいと思うにゃ。今日は他にお客さんもいにゃいし」
「ていうかカスミちゃん、そんなキャラだったっけ?」
「にゃ?」
「もっと明るくて元気な感じじゃなかった?」
「おかえりなさいませ、カイトにゃん♡ ……こんな感じにゃんか?」
 元気いっぱいの満面の笑みから、さっと引いて真顔になるカスミちゃん。なんならカウンターに頬杖つきだした。
「……ダルッ」
 信じられないかもしれないが、カスミちゃんのセリフだ。
「あのキャラ、疲れるにゃん」
 短い二つ結びの髪ゴムを雑に外し、頬杖をついたまま真顔で言う。
「ひょっとして、みんな、こんな感じなの……?」
 すがるようにたずねると、ミルクちゃんは背中を向けて冷蔵庫からコーラを取り出しながら答える。
「みんなお客さんに喜んで欲しくて、頑張ってるんですよ」
 曖昧な答えだった。
 さすがに当たりの強いアカネちゃんや姉御肌のオオヤギさんは素だと思うが、ひょっとすると、コバトちゃんのあのおどおどした感じは演技だったりするのだろうか。だとしたらもう何も信じられない。
 聞こうかどうか迷っていると、入店をつげるベルが鳴った。
「「ようこそにゃん!」」
「にゃ、クロさん……」
 入店をつげるベルとともに現れたのは、今日も全身黒のゴスロリ服を着込んだクロさんだった。髪の毛も長い黒髪で、肌の白さが眩しいほど目立っている。
 クロさんは無言でぺこりと会釈すると、そのまま店の奥ーおそらく事務室があるのだろうーの方へ入っていった。
「そういえば私、クロさんとあまり話したことないです……」
「みんなないにゃ」
「そうなんだ」
「オフのときとか、何してるんでしょう」
「さぁ」
 興味なさげなカスミちゃんによって、一度会話が途切れた。
 が、
「今度、クロさんも誘って、みんなでどこかへ遊びに行きませんか?」
 ミルクちゃんは興味津々のようだ。
「え、それ、俺も行っていいのかな?」
「もちろんです! カイトさんはもうお客さんって感じじゃないですし」
「ミルクちゃんもそう思ってたのか……」
「カスミさんもどうですか?」
 大きく開けた瞳をキラキラと輝かせるミルクちゃんに気圧され、たじろぐカスミちゃん。
「……ま、まぁ、別に構わないにゃ」
「ホントですか!? じゃあ、さっそくクロさんにも聞いてきますね!」
 心底嬉しそうに駆け出していくミルクちゃん。店の奥ののれんをくぐっていったかと思うと、
「ダメでした〜」
 がっくり肩を落として戻ってきた。なんともわかりやすい。
「え、ダメって、まだ日付決まってないのにですか?」
「付き合い悪いにゃ」
「きっと忙しいんですよ」
「……まぁ、いきなり遊びに誘われても、ハードル高いか」
「その通りにゃ」
「でもでも、せっかくですから、この三人で遊びに行きましょうよ」
 よっぽと行きたいらしいミルクちゃん。それにしても、いちいち仕草が可愛い。……演技ではないと、願いたい。

 ★

 そんなこんなで翌日の水曜日、僕らはデパートの入り口の前で現地集合することとなった。
 ちなみに、絶対行かせてもらえなくなりそうなので、アカネちゃんにはなにも伝えていない。
 京子さんも誘おうかと思ったが、自宅から『ヴァイオレット・ヴァレッタ』への引っ越しがまだらしく、めちゃくちゃ悔しそうに断られた。
 そして今度二人きりでデートにいきましょうと耳元で囁かれたので、もちろん承諾した。みんなには内緒である。
「……あ、ひょっとして、あれかな?」
 スマホから目を離し顔を上げると、二人組の女の子たちがこちらへ向かってくるのが見えた。
 一人は、短めの明るい茶髪を小さくふたつ結びにしていて、もう一人は長い暗めの茶髪をそのまま下ろしている。
 髪の色もそうだが、短髪の子の若干ダルそうな雰囲気と、長髪の子のものすごく楽しそうな様子から察するに間違い無いだろう。
 向こうもこちらに気づいたようで、暗めの茶髪の方がこちらに手を振って駆けよってきた。もちろん、もう片方の手で明るめの茶髪の子を引っ張りながら。
 思った通り、ミルクちゃんとカスミちゃんだ。
 ミルクちゃんはフリルのついた薄手の白い長袖に、濃い緑のロングスカート、カスミちゃんは薄茶色の、ドラマの刑事がかぶってそうな帽子にうすだいだい色のシンプルな長袖、下は薄茶色のガウチョと、イメージ通りのミルクちゃんとは違い、カスミちゃんのファッションは予想より大人びていた。
 ただ、唯一帽子だけ少し大きめなので、そこだけチグハグな幼さを残していた。
 ちなみに俺は、全身無地の安物だが、これしかなかったのでわかって欲しい。
「カイトさーん! 良かった、すぐ会えましたね」
 ニコリと笑いかけてくるミルクちゃん。うむ、可愛い。
「服ダサ。なめてんの?」
 対するカスミちゃんは、この口ぶりである。ひょっとしなくてもアカネちゃんより当たりが強い。
 というか、思ったことをはっきり口にするだけのアカネちゃんより、こっちの方がずっと棘がある気がする。意図的な悪意を隠そうともしていないような……
「もう。カスミさんっ、そんなこと言ったら失礼ですよ。急に誘ったんですから、選べなかったんですよきっと」
「まぁ、そんなとこ」
 『ヴァイオレット・ヴァレッタ』でもそうだったが、ミルクちゃんは基本的に人の意見を否定しない性格のようだ。実際、昨日の今日で魅せられるような服の持ち合わせがなかったので、助かった。
 今後もメイド喫茶の女の子たちと今日のように店の外で遊べるなら、多少の散財はまったく気にならないのでいくつか買うことにしよう。なんなら今日のショッピングで選んでもらうのもいいかもしれない。
「じゃ、行きましょうか」
「そうですね。ほら、カスミさんも」
「わかってるにゃ」
 そう、今日の目的はこのデパートでのショッピング。
 とくに何を買うとかは話し合っていないので、きっと歩きながらのんびり欲しいものを探すんだろう。
 カスミちゃんも一見面倒くさそうにはしているが、ファッションに気を使っているし、本来の集合時間より早く現れたあたり、それなりに楽しみにしてくれていたのだろう。
 自動ドアを2回くぐると、一気に視界が開けた。
 大規模なデパートにはエスカレーター付近が大きな吹き抜けになっているところが多いが、このデパートも例に漏れずそうなっているようだ。
「入ってすぐエスカレーターになってるんですね」
「いろんなものを買いに来る人がいるから、すぐに目的の階にいけるようになってるんじゃないすか? というかミルクちゃん、このデパートに来るのははじめてなの?」
「はい。この前カスミさんに話を聞いて、行きたいなぁって思ってました」
「なるほどにゃ。てことは、そのとき話してた髪留めとか服とかが欲しいにゃーか?」
「はい!」
 嬉しそうに大きくうなずくミルクちゃん。
「ふーん」
 喜怒哀楽がわかりやすいミルクちゃんに対し、カスミちゃんは終始不機嫌そうに見えるが、今は満更でもなさそうだ。
「あ、そういえば俺も、『ヴァイオレット・ヴァレッタ』のみんなと会うときようのオシャレな服が欲しいんすけど、よかったら選んでくれません?」
「いいんですか? 一度男の人のコーデ考えてみたかったんですよ」
「まぁ別に構わないにゃ。その代わり、今度会うときはちゃんとその服着て来いにゃー」
「決まりですね! じゃあ、私が欲しい髪留めや服も同じフロアだと思うので、まずはそこへ行きませんか?」
「そうするにゃ。これ以上、こんなダサい格好したやつと一緒にはいられないにゃ」
 煙たがるように手のひらでシッシと払われる。その様子にミルクちゃんがまたプンスカ怒りだしたが、どちらも本気ではなく、空気が悪くなるようなことはなかった。
 その後、目的のフロアへ向かうため三人でエスカレーターに乗り込むと、途中のフロアでミルクちゃんが意外な人物を見かけた。
「あれ、もしかして、クロさんじゃないですか?」
 ミルクちゃんの視線を追うと、2階のペット売り場に、黒髪のすらっとした女性が立っていた。店にいる時と違ってフリルがまったくついていなかったが、手の付け根までおおう長袖に靴までかかったロングスカートという、極端に露出度の低い点は同じで、雰囲気もクロさんそのままだった。
 二階でエスカレーターをおり、俺たちはクロさんらしき人物のいるペットショップの方を遠目で見る。
「クロさんっぽいけど、違ったら気まずいな」
「何言ってるにゃ。あの感じはクロさんに違いないにゃ」
「クロさん、予定があるみたいでしたし、声をかけない方が良いですかね?」
 一瞬シンと静まり返ったあと、
「でも、クロさんって、普段何してるんだろう」
 誰からともなく、そんな話題になる。
「まぁ、気にならないと言えば嘘になるにゃ」
 意地悪く、ニヤリと笑うカスミちゃんだった。


 変装グッズを買ってくると意気込んで百円ショップに入っていった二人を待つこと十数分。
「カイトさーん! お待たせしました〜」
 ようやくでてきたかと思うと、
「なんですかそれ」
「ヒゲです!」
 サンタクロースみたいな立派な白ひげを生やしたミルクちゃんと、
「完璧にゃ」
 丸メガネをかけただけのカスミちゃんが現れた。
「……はぁ」
 たしかに雰囲気は大きく変わった(とくにミルクちゃん)が、謎の大きなヒゲを生やした美少女と大人びた女の子というデコボココンビが誕生してしまった。
「ヒゲです!」
 そして、よっぽど気に入ったのか連呼するミルクちゃん。
「……ど、どう?」
 カスミちゃんにメガネ越しに上目遣いで見つめられ、思わずドキッとなる。
「え、に、似合ってると、思いますけど……」
「ヒゲです!」
 素直に感想を述べると、途端に真っ赤になって口を尖らせるカスミちゃん。
「そっ、そうじゃなくて!! 変装できてるかどうかってこと!」
「いったっ」
 強めにスネを蹴られた。
「ヒゲです!」
「う、うん、さっきより大人っぽくなってるし、印象もだいぶ違うから大丈夫だと思うよ」
「ヒゲです!」
「うん、わかったから。ミルクちゃん、ちょっとしつこい」
「え……」
 言いながらがっくりと肩を落とすミルクちゃん。
 そんなに気に入っているのだろうか。正直目立つので逆効果だと思う。
「てゆうか、ホントに俺は変装しなくて良かったのか?」
「さっきも言ったにゃ。どうせお前の顔なんて覚えられてないにゃ。お前みたいなさしてイケメンでもないやつの顔なんて、見分けがつかにゃいし」
「まぁそんなもんか」
 言い方はキツイが、実際そんなものなのだろう。
「そんなことより、気づかれる前にどこかに隠れた方がいいにゃ」
「あぁ、それもそうか」
 ものかげに隠れてクロさんの尾行を開始しながら、ふと、疑問が口をついて出る。
「あれ、そういえばカスミちゃんは普段どうやって見分けてるんだ?」
「大抵向こうから喋り出すから、それ聞いて名前と、前何を話したか軽く思い出すにゃ。顔なんて、よっぽどカッコよくなきゃ覚えてにゃいから、はなから見分けてないにゃ」
「マジか……」
 こちらから聞いたとはいえ、かなりぶっちゃけた話題だった。
「そんなことより、今はクロさんにゃ」
 ものかげから軽く身を乗り出すカスミちゃん。そうだった、クロさんの日常は俺もめちゃくちゃ気になる。
 ちなみにミルクちゃんはクロさんの日常を盗み見ることより、誰かをみんなで尾行しているこの状況を楽しんでいるようだ。
 ときおりものかげから顔を引っ込めて、俺たちの方へ振り返ってはなにやら嬉しそうにしている。
 クロさんはというと、ペットショップで売られている金魚鉢をじっと眺めているようだ。
 ガラス製のその金魚鉢は漫画やアニメでよくあるような形状ではなく、うきわの上半分をなくしたような不思議な形状をしていた。
「変わった金魚鉢だな」
「あれ、この前テレビで見たことあります! 確か別売りの水流装置で、流れるプール みたいにできるんですよ」
「へぇー」
「にゃるほどにゃ。たしかに普通に泳がせるより流れに逆らって運動させた方が、筋肉がついておいしそうにゃ」
「「え?」」
 俺だけでなく、ミルクちゃんまで目が点になっていた。
「にゃ? どうしたにゃ。カイトはともかく、ミルクも金魚食べるにゃ?」
「食べませんよ! かわいそうです」
 大きな白ヒゲをふがふがさせながら答えるミルクちゃん。
「やっぱり金魚食べるんだ……」
 子どもの頃、おばあちゃんちに現れた野良猫が庭で飼っていたメダカを襲撃しておばあちゃんの逆鱗に触れた事件を思い出す。
「だから食べませんってば!」
「なんでにゃ? おいしいにゃ」
「おいしいですけど、かわいそうです」
「食べたことあるんだ……」
 ドン引きする俺にミルクちゃんが必死に弁解してくれた。それによると、どうも黒猫の王国には観賞用と食用の金魚がおり、ミルクちゃんは金魚と知らずに食用の金魚を一度だけ食べたことがあるのだそうだ。
 そして、美味しかったのでなんの魚か聞いたところ、なんとその店の水槽で泳いでいる金魚だったのだという。
「なら、クロさんが食用の金魚自分で育てて食べてても別におかしくないんじゃない?」
「それは、そうですけど……でも、かわいそうです」
「にゃーにがかわいそうにゃーか。前連れてったときはあんなにおいしそうに食べてたじゃにゃーか」
 いや食べさせたのカスミちゃんかよ。
「あ、クロさん動き出しましたよ」
 隠れるのも忘れて言い合いをする二人を放置し、クロさんのあとを追う。
 いろんな種類の魚が入った水槽が並ぶコーナーに来た。当たり前だがどれも観賞用の小魚で、クロさんはどうも単に魚をペットとして飼うために来ていたようだ。
「あんなちっこい魚、小骨が多くて食べられたもんじゃないにゃ」
「いやあれは観賞用だよ。そもそもこの世界で食用の金魚なんて聞いたことない」
「そうですよぉ。かわいそうですし」
 まだ引きずっているようだ。
 目当ての魚が見つからないのか、クロさんは立ち止まらず、水槽を見比べながら奥へ進んでいく。
「あ、曲がってっちゃった。少し待ってから、追いかけるか」
「そうですね」
「きっと食用を探してるに違いないにゃ」
「だから売ってないって。多分」
「あの……」
「売ってるかもしれないにゃ」
「いや聞いたことないよ」
「そうですよぉ」
「あのー……」
「「「え?」」」
 声の主の方へ三人一斉に振り向くと、そこにはさっき曲がり角へ消えたはずのクロさんがいた。
「あ」
「どっ、どどど、どうしましょう」
「逃げるにゃ」
「いやなんでだよ」
「ぐっ、偶然ですねぇ……」
 この後に及んで偶然鉢合わせた作戦を決行しようとするミルクちゃんは無視し、素直に謝る。
「すいません、偶然見かけたので、つい」
「いえ、それはいいんですが……」
 クロさんの視線が、ミルクちゃんのヒゲに注がれる。
「あ、これですか? ヒゲです!」
「は、はぁ……」
 戸惑うクロさん。
 最推しのクロさんとのまたとない機会。俺は思い切って声をかけた。
「あの、もし迷惑じゃなかったら、一緒に買い物とかしません?」
「え?」
 突然の提案に、困惑した様子のクロさん。
「にゃに言ってるにゃーか。一回断られたんだから、無理に決まってるにゃ」
「いえ、そんな! こと、ないです」
クロさんは、ロングスカートをぎゅっと握って、絞り出すように言う。
「……むしろ、嬉しい、です」
「ホントですか!?」

 こうしてクロさんも加わり、俺たちは濃密な時間を過ごした。
 クロさんは口数こそ少なかったが、ずっとみんなとこうして遊んでみたかったのだと、心から喜んでくれた。
 年が少し離れていることもあって、普段はあまり会話することがないが、本当はずっと話したかったのだという。それを聞いてミルクちゃんも嬉しそうにしていた。
 みんなで互いの服を選んだり、小物を買ったり、最後にはゲームセンターで遊んだりもして、一気に距離が縮まった感じがした。
 そうして楽しい時間を過ごす中で、テンさんの言葉が、強く思い返される。
『ーーーーお前は、愛するものを見捨ててまで、生きていたいと思うのか』
 あのときは遠かった三人が、今はこんなにも近い。
 言葉の重みが、強まる。
「明日からは、サボらずにアカネちゃんに鍛えてもらわなきゃな」

   ★

 夜の繁華街の、あるビルの屋上。その縁に、たたずむ人影があった。人影は、鳴り出した携帯端末を取り出し、頭の上の猫耳に当てる。
『"スノウ"の連絡が途絶えた。わかっているな』
「はい。すでに、ニンゲンたちの街におります」
『お前らしいな』
「それで、いかがいたしましょう」
『もはや選択の余地はない。"勇者の芽"を、抹殺しろ』
「かしこまりました」
『ーーーー期待しているぞ、ワイツ』
 ワイツと呼ばれたその猫は、通話を終えると、自身の短く切りそろえた真っ白な髪をなで上げ、不敵に笑った。
 手元の携帯端末には、カイトの写真と、もう一つ。
「……白雪京子、ね」

   ★

「強化合宿?」
 大学を終えた午後、俺は『ヴァイオレット・ヴァレッタ』にいた。今日は大事な話があるとかで例の人払いの結界が貼ってあるらしく、客は俺一人だった。元々そんなに混んでない気がするが、潰れないのだろうか。
「そうにゃ。お前がサボったからっ! 本当は一昨日行くはずだったものが、お前がサボったせいで!! 今日からににゃっちゃったにゃ」
 大げさに台をバンバン叩きながら言うアカネちゃん。相当ご立腹のようだ。生え際から毛先まで真っ赤なツインテールが動きに合わせてぴょんぴょん跳ねる。
「だって、アカネちゃん、一昨日まで寝込んでたじゃん」
 指摘すると、顔まで真っ赤にして怒り出した。
「寝込んでないにゃ! ちょーっと寝坊しただけにゃ!!」
 L字のカウンターの曲がり角に並ぶオオヤギさんとコバトちゃんにクスクス笑われているのに気づくと、二人に噛み付くアカネちゃん。
「にゃんで起こしてくれなかったにゃ!!」
 ビクッと肩をすぼませ、震える声で答えるコバトちゃん。
「ごっ、ごめんなさい! 疲れてるみたいだったので」
「疲れてないにゃ!!」
「ひっ、ご、ごめんなさいぃ」
 フシャーとでも鳴きそうなレベルでにらみつけられ、今でも消え入りそうだ。
 視線の間にオオヤギさんが割って入る。
「まぁまぁ。実際、揺すっても起きなかったにゃ」
「甘いにゃ!! 突き飛ばすとか、そのくらいするにゃ!!」
「スパルタじゃないんだから」
 言いながらコーラを飲もうとすると、怒り狂ったアカネちゃんにコップの底を手のひらで押され、喉にコーラが発射される。
「ゴホッ、ゴホッ、気管に、入った……」
「だっ、大丈夫ですか?」
 カウンターから出てふきん片手に駆け寄ってくるコバトちゃん。そのまま背中をさすってくれた。
「コバトは甘いにゃ! 甘々にゃ!! カイトも、それが毒だったら死んでたにゃ」
「いや毒だったら普通に飲んでても死んでたっての」
「アカネはん、今のはさすがにかわいそうにゃ」
「オオヤギまでにゃに言ってるにゃ!! まったく、ドイツもコイツもなってにゃい。全員鍛え直しにゃ」
 怒りがおさまらないアカネちゃんによって、この場にいる全員(奥にいる京子さんを含む)強化合宿に連行されることとなった。
「でも、午前は大学がーーーー」
「そんなもん休学するにゃ。いやむしろ自主退学にゃ!」
「そんなぁ。俺の将来のことも考えてくださいよ」
「知ったことじゃないにゃ。そうにゃ、ちょうど次は私がお前を見張る番にゃ。一緒に大学までついてってやるから、とっとと退学するにゃ」
「いや、待ってくださーーー」
「ダメにゃ」
「にゃ? にゃっ……」
 みかねたのか、オオヤギさんがものすごい形相でアカネちゃんに迫る。珍しくたじろぐアカネちゃん。
「で、でも、こっちは命が……」
「中退したせいでろくな仕事につけなくなったら、カイトはんなんて生き地獄にゃ。アカネはん、責任取れるんか?」
「にゃ、それは……」
 ゼロ距離まで顔を近づけ、なおも迫るオオヤギさんに、アカネちゃんは後ずさりしっぱなしになる。
「さっきのもやりすぎにゃ。謝るにゃ」
「にゃ……で、でも、身内ではよくあるにゃ」
「あ・や・ま・る・にゃ」
 アカネちゃんの胸に人差し指でトントンやりながら迫るオオヤギさん。アカネちゃんはついに壁際まで追い詰められ、真っ青になる。
「ご、ごめんにゃさい……」
「私じゃなくて、カイトはんに謝るにゃ」
「ひぇっ」
 アカネちゃんの口元が引きつる。コバトちゃんもだいぶおびえていた。
「か、カイト、ごめんにゃ」
「ごめん、にゃ?」
 ギロリと、オオヤギさんの視線が鋭くなる。
「ご、ごめんにゃさい!!」
「それでいいにゃ」
 すっと真顔になり、アカネちゃんから顔を離す。
「……オオヤギさん、こぇ〜〜」
 思わず、小声で漏れてしまった。

 
 その後、オオヤギさんによって強化合宿は平日の午後と休日のみに限定され、平日はゲートをくぐることで遅刻することなく大学へ行けるようにするということになった。
 毎日となるとだいぶハードな気がするが、これでもオオヤギさんによってかなり緩和されている。トレーニング内容もかなりやさしめに改定されたようで、後半、アカネちゃんは半泣きになりながらほぼオオヤギさんの言う通りに書き直していた。そうして選ばれた強化合宿先はなんと、猫の世界の、とある浜辺だった。

   ★

 青い海、白い砂浜。そして、波打ち際でたわむれる、水着の少女たち。
「天国かよ……」
 止まらない鼻血をすすり上げながら、俺はさりげなくみんなの水着姿を目に焼き付ける。
「いつまで遊んでるにゃ! いい加減集合するにゃーー!!」
 いつもならうるさくて仕方がないアカネちゃんの怒号さえも、まとった赤いセパレートの水着によってまぶしく映る。
 赤をベースに、白い紐でかろうじてとめてあるだけのなんとも心許ないその水着は、しかし彼女の控えめな胸元を隠すには……
「にゃあん?」
 遮るようににらまれる。なんだろう。アカネちゃん、ひょっとしなくても俺の心が読めるのか?
「ほら、カイトもさっさと集まるにゃー!」
「そう言われても……」
「行って、しまわれるのですね……」
 腕に絡みついた長髪の黒髪美少女に上目遣いで見つめられ、たまらずゴクリとツバを飲み込む。
 やはりセパレートの、しかもこちらは一本の紐で繋がれただけの、大胆に開いた豊満な胸元を見せつけられ、やっぱり鼻血が止まらない。真っ白なビキニに、真っ白な肌が輝いていた。
「カイト様。戻ってきたら、そのときは、必ずっ、式をあげましょうね」
「京子さんそれ死亡フラグ」
 感極まって涙目になる京子さん。まったく話を聞いていないようだ。
 しかも、腕に絡みついたままかたくなに離してくれないので、こちらとしては抵抗のしようがない。いやだってほら、今下手に動くと、いろいろ当たって、……な?
「白猫っ!! カイトから離れるにゃあ!!」
 やけにムキになって怒るアカネちゃん。京子さんがこれみよがしにさらに身を寄せると、顔を真っ赤にして砂浜を踏みつけだした。
「カイトもカイトにゃ!! その女からとっとと離れるにゃあ!」
「そうですよ、カイトはん。あとで、私がたっぷり甘やかしてあげます」
 茶色ベースのビキニを着込んだオオヤギさんに悩殺ウィンクをかまされ、心が盛大にぐらつく。
「にゃ!? おっ、オオヤギまで何を言ってるにゃあ!!」
 オオヤギさんの後ろでクスクス笑うコバトちゃん。こちらは薄い黄色のスカート型の水着を着ていて、露出度は低めだ。
 というか、コバトちゃん以外の子たちの露出度が高すぎるのだ。
 眼福ではあるが、目のやり場に困る。
「そういえば、なんで海辺を選んだんですか?」
「にゃ? そんなこともわからないにゃーか?」
 大げさにため息をついてから、
「水はクッションになるにゃ。地面と違って、ある程度の高さから落ちても、安全にゃし。今回は魔法でやわらかくするから、なおさらにゃ」
「落ちてもって、何する気だよ」
「決まってるにゃ。お前はまだまともに飛ぶことすらできにゃい。だからその練習をするにゃ。飛ぶのは戦闘における基本中の基本。逆に飛べるようにさえなれば、そこまで足を引っ張ることもなくなるにゃ」
 うんうんうなずく一同。
「そういうもんなのか。まぁ、そういうことなら」
 こうして、真夏の陽気の強化合宿が幕を開けた。

   ★

 常夏みたいな日差しの中、さっそく飛べるようになるためのトレーニングが始まった。
 アカネちゃんが波打ち際に立ち、俺たちはそこから少し離れた場所に立つ。
「まずは手本を見せるにゃ。誰か、やりたいやつはいるかにゃ?」
「では、ここは私が」
 真っ先に名乗りを上げたのはもっとも際どい格好をした京子さんだ。アカネちゃんも、さすがにけげんな顔をする。
「お前、そんな格好で大丈夫にゃ?」
「心配入りません。カイト様のために、ゆーっくり飛んでみせますにゃ♡」
 後半は俺だけを見て前かがみになりながら言ってきた。
「にゃらさっさと飛ぶっーーーー」
 アカネちゃんの言葉を遮るように大きな水しぶきが上がる。アカネちゃんが丸ごと飲み込まれたかと思うと、しぶきの中からゆっくりと上昇する京子さんが現れた。
「あら、いたんですか? ごめん遊ばせ」
 お嬢様みたいな口調で煽られ、ずぶ濡れにされたアカネちゃんがカンカンになって怒る。
「お前……わざとやったにゃ!?」
「わざとじゃありません。あなたと違って、力が大きすぎましたにゃ」
「ふざけるにゃ!! 第一、こんなデカいしぶきをあげたら飛ぶところが見えないにゃ!!」
 正論だった。
「まぁまぁ。今度は私が手本を見せるにゃあ」
 仲裁に入りつつ、空気を変えるために自ら名乗りを上げるオオヤギさん。
 オオヤギさんもそこそこ大胆な格好をしている気がするが、大丈夫だろうか。アカネちゃんは全然気にしていないようだけど。
「カイトはんはまだ力を制御できないにゃ」
「私は、カイトはんが真似しやすいように速く飛ぶにゃ」
 そう前置きをして、クラウチングスタートの姿勢になるオオヤギさん。水着は肌にぴっちりはりついているのではだけるようなことはないが、なんだか危険な予感がする。まぁ止めないけど。
「はっ」
 凛とした掛け声とともにびゅっと風を切り一気に上昇する。水しぶきはまったく立たなかった。
「あれ、なんか、全然おりてこないな」
 京子さんみたくすぐにおりてこればいい気がするが、オオヤギさんはまったくおりてくる気配がない。むしろ豆粒大になるまで上昇していく。
「オオヤギー! そろそろおりてくるにゃー。浮遊はカイトにはまだ早いにゃー」
 アカネちゃんの声にびくりと過剰に反応したのがわかった。なんだかよく見えないが、もじもじしているような気がする。
「オオヤギー?」
「オオヤギさん、どうしたんでしょう?」
 心配そうに見上げるコバトちゃん。
 京子さんは俺にくっついたまま見向きもしない。
 察したのか、アカネちゃんが急上昇していった。オオヤギさんのそばまでいって、何事か話している。
 遠すぎて二人の表情はうかがえないが、なんだかオオヤギさんにしてはしおらしい様子だ。アカネちゃんの方はなぜかおなかをかかえて爆笑している。
 しばらくするとアカネちゃんだけおりてきて、何やら女子二人に合図した。俺も行こうとすると、
「カイトはダメにゃ!」
 とキレられた。
 女子三人で集まって、オオヤギさんがさっきいたあたりで身をかがめ、何やら探しているようだ。……うん、知ってた。
 と、不意に足元に何か生温かい感触が生まれる。見ると、何かが俺の足にからみついていた。拾い上げると、それは……
 それは……
 女子三人に声をかけようか。まだ捜索に夢中で気づいていないようだ。
 ふと、オオヤギさんの方を見上げると、遠目に目があった気がした。
「さ、さささささーーーー」
「さ?」
「触らないでぇぇーーーー!!!!」
 耳元まで真っ赤になった半裸のオオヤギさんが、胸元を隠しながら高速で突っ込んでくる。
 終わった。だが悔いはない。良い人生だった。
 チュドーンとでも擬音がつきそうな爆音が轟き、俺は肌色に染まった何やらやわらかい視界の中、意識を失った。
 ……良い匂いがしたとだけ、言っておこう。


「ーーーーカイトはん、カイトはん」
 後頭部に、なにやら生温かい幸せな感触があった。視界は、目の前にぶら下がった二つの何かにさえぎられ、よく見えなーーーー
「いった!?」
 誰かのゲンコツがふりそそぎ、飛び起きる。振り返ると正座を崩して座るオオヤギさんと、こぶしを振り上げたアカネちゃんがいた。
「なにすんだよ!?」
「お前が変なこと考えてるからにゃ!!」
 やっぱりアカネちゃん、俺の思考を読めるのか?
「カイトはん、大丈夫でしたにゃ?」
 上目遣いで見つめられ、
「えぇ、まぁ、はい……」
 気を失ってるわけだし、全然大丈夫なわけなかったが、そう答えるしかなかった。
「チョロいにゃ」
 アカネちゃんが何やらなまいきなことをつぶやいた気がしたが、今はあえて触れないでおく。

   ★

「最初からこうすれば良かったにゃ」
 その後、手本はコバトちゃんに見せてもらうことになった。
 コバトちゃんのは露出度の低い上下がつながった水着なので、万が一にも事故が起こることはない。
「あ、でも、あんまり見にゃいでくださいね。その、見えちゃうので……」
 言いながら、黄色いミニスートの水着を押さえるコバトちゃん。うむ、可愛い。
「にゃーに言ってるにゃあ。見なきゃ練習ににゃらないにゃ。しっかり見るにゃあ」
 胸を張り、堂々とするアカネちゃん。わかっているのかいないのか……
「え? み、見にゃいでくださいよぉ」
 赤くなって弱々しく反論するコバトちゃん。
「ダメにゃ。練習にならないにゃ」
「え、そんにゃあ~~」
 困った様子のコバトちゃんにオオヤギさんが近づき、なにやら耳打ちする。
「そっ、それなら……」
 コバトちゃんはそう返事をしたかと思うと、オオヤギさんと連れ立っていったん今日泊まる予定の小屋に引っ込んでいった。
「にゃ? どういうことにゃ?」
 ちんぷんかんぷんな様子のアカネちゃん。俺も二人が何しに行ったのかわからない。
 しばらくすると、オオヤギさんたちが戻ってきた。変わったことといえば、コバトちゃんの水着がミニスカートからスクール水着のようなワンピース型に変わっている。どうやら着脱可能なスカートだったようだが、脱いだらむしろ恥ずかしいんじゃないだろうか?
 しかし、コバトちゃんはさっきよりかは恥ずかしそうにしていなかった。
「これでいいにゃ」
 オオヤギさんが言う。はなからこうするつもりだったようだ。女心はわからない。
「パンツ丸見えににゃったら、むしろ恥ずかしいんじゃにゃいか?」
 首をかしげるアカネちゃんに、オオヤギさんのゲンコツが飛ぶ。
「にゃ、にゃにするにゃ!?」
「余計にゃことを……!」
「み、見ないでくださいぃ!!」
 真っ赤になってしゃがみこむコバトちゃん。
「コバト、さっきも言ったにゃあ。スカートを外したらそれはただの水着、見られても恥ずかしくないにゃあ」
 そういうことだったのか。
「ででででで、でもっ、アカネさんがっ」
「アカネはん?」
「ひぃぃぃ」
 ものすごい形相でにらまれ、萎縮するアカネちゃん。
 京子さんはその様子を見てニヤニヤしていた。
 結局コバトちゃんはオオヤギさんが地面に敷いていたシートで隠してもらいながら小屋に引っ込んだっきり戻ってこなかった。
「コバトちゃん、大丈夫ですかね?」
「小屋にはテンはんがいるとはいえ、そう言われると、やっぱり、心配になってきたにゃ」
 ママみが発動し、オオヤギさんまで小屋に戻って行ってしまう。
「ここは空気を読んで二人きりにして欲しいにゃー」
 京子さんがアカネちゃんに目配せしながら言う。と、
「……はぁ、なんかシラけたにゃ。休憩にゃ」
 疲れた様子でそういうと、本当に小屋に帰って行ってしまう。
「これで二人っきりですね、カイト様♡」
 京子さんが思いっきり胸を押し当ててきた。
「ちょ、京子さん、あんまりくっつかないで」
「もぅ。私のことさっきからチラチラ見てるの、気づいてますにゃ♡」
「え」
 ……ひょっとして、シラけたってそういう?
「にゃにイチャついてるにゃ! お前らも戻るにゃあ!!」
 プンスカ怒るアカネちゃん。見たところ落ち込んでいる様子はない。いつものアカネちゃんだ。
「気のせいか」
「では、私は先に着替えてきますね。カイト様、のぞいちゃめ、ですにゃん?」
 一緒に戻ろうとか言い出すかと思ったが、京子さんの方からそそくさと走っていってしまった。
「女の子って、わかんないなぁ……」
一人でトボトボ小屋に戻り、自室に向かうために廊下を歩いていると、リビングから話し声がした。
 オオヤギさんとコバトちゃんだ。何気なく、立ち止まって聞き耳を立てる。
「オオヤギー♡」
「もう、甘えん坊ですね、コバトはんは」
「ちーがーうーコバトって、呼んで……♡」
「ふふふ。コバト♡」
 扉を開けなくて正解だった。なんだこの百合空間は。
 バレないうちにそそくさと立ち去り、自室のある奥の曲がり角まで早歩きで向かう。
 ドアノブに手をかけたところで、ふと背後から大きなため息が聞こえた気がした。
 振り返ると、明かりのついていない薄暗い廊下の角で、赤いツインテールの女の子が体育座りしながらなにやらブツブツ言っている。
「……はぁ。私、リーダー向いてにゃいのかにゃあ。みんな全然言うこと聞いてくれにゃいし、白猫は真面目にやらにゃいし、オオヤギは脱ぐしコバトも脱ぐし、カイトはオオヤギの胸ばっかり見るし、オオヤギがいなくなったと思ったら、白猫の胸ばっかり見るしーーーーし?」
 気配に気づいたのか、顔を上げたアカネちゃんと、ばっちり目があってしまう。
 真っ青になったかと思うと信号機のように赤に変わる。
「いつ? いつから聞いてたにゃあ!?」
 胸ぐらをつかまれ、勢い良く前後に揺さぶられる。
「多分、ほぼ全部?」
 答えると、アカネちゃんの顔がいよいよ噴火したみたいに赤くなる。
「忘れるにゃあ! 忘れるにゃあ!!」
「ちょ、痛い、痛いって」
 赤ちゃんみたいに駄々をこねながらボカボカ強めに殴られる。
 たまらずアカネちゃんの両腕をつかんで押さえた。
「何するんだよ」
「こっちのセリフにゃ! せっかく頑張って、一生懸命考えて、こんな場所まで用意してもらって、なのに、お前ら、全然真面目にやってくれないにゃあ……」
 言いながら、グズグズ泣き出してしまう。
「ちょ、泣くなよ」
「泣いてないにゃあ!」
 ついにはワンワン泣き出してしまった。
 いつもはもっと強気なキャラな気がするが、普段は強がっているだけなのだろうか。
「ちょっと、こんなところで泣いてたら、みんな来ちゃうって」
「泣いてないって言ってるにゃあ……」
 こんなところを見られたらまずい。どのみち女の子をなぐさめるトークスキルなんて持ち合わせていないし。
「とりあえず、部屋、戻ろう」
 立ち上がろうとすると、アカネちゃんに上着のすそを掴まれた。
「……ひとりは、嫌にゃ」
 弱々しい声とともに、涙目で見つめられる。
「わかったよ」
 仕方なく、俺は一緒にアカネちゃんの部屋へ向かった。

 ★

 ぐすんぐすん泣くアカネちゃんをベットにうながし、俺はそのそばに腰かける。アカネちゃんは泣き腫らした顔が恥ずかしいのか、布団を顔までかぶって引っ込んでしまった。
「こんなはずじゃなかったにゃ」
「悪かったよ。きっとみんな、久しぶりの海ではしゃいじゃったんだろ」
「そうじゃないにゃ」
「え?」
「お前に、こんなところ見せるはずじゃなかったにゃ」
 アカネちゃんの方に振り向いても、真っ赤なツインテールがはみ出しているだけで、表情はうかがえない。
「そっか。でもさ、ずっと強がってたら疲れるだろ?」
「……」
「ーーーーそれに、普段のアカネちゃんもいいけど、さっきみたいな素直なアカネちゃんも、可愛いよ」
 突然布団の山がめくれ、泣き腫らした顔のアカネちゃんがむくりと起き上がる。
「ん? どうした?」
「出ていくにゃ……」
「え、何? よく聞こえなーーーー」
「出て行くにゃーーーー!!!!」
「うわっ」
 小屋中に轟きそうな大声にたまらず耳をふさぐ。
 出て行こうと立ち上がると、背中を蹴られてドアの向こうまで吹っ飛ばされた。
「なんだよ……」
 バンッと勢い良く閉まるドア。本当に、女心はわからない。

 ★

 扉の向こうでは、アカネが壁にもたれかかって脱力していた。
「こんなときに、あんなこと言うなんて、反則にゃ……」
 破裂しそうなほど高鳴る胸を、服の上からギュッと握りしめる。

 ちなみに、小屋は人数分部屋を用意できるほど広くはなく、二人一部屋である。そのため、空気を読んでクローゼットに隠れていた同室の白雪京子はこのあとアカネにボコボコにされるのだが、それはまた別の話。


 夕方。俺たちはリビングの机を囲んで夕飯を食べていた。俺とテンが早々に席に着いたあと女子四人がどこに誰が座るかでなぜか喧嘩をしだし、結局テン、俺、オオヤギさん、机を挟んでアカネちゃん、京子さん、コバトちゃんという並びになった。
 俺のとなりになったオオヤギさんは満足げに、そうでないアカネちゃんと京子さんはなぜか悔しそうにしていた。意味がわからない。
 少食で食べるのが遅いと話していたコバトちゃんをのぞいたみんなが食べ終わり、片付ける前に一服していたところで、アカネちゃんが急にキッチンへ向かい、陽気な様子で一升瓶を抱えて戻ってきた。
 一升瓶とは、二リットル近く入る主にビールなどを入れる瓶だが、まさか酒の類じゃないだろうな?
「お待ちかね、マタタビジュースにゃ!」
 その声に、俺以外の全員の猫耳がぴくりと反応する。
 ドンと机に勢い良く置かれたその瓶には、筆が暴れ回ったような字でマタタビと書き殴られたラベルが貼られていた。
 どんな飲み物かはよく分からないが、アカネちゃんが場を盛り上げようとしていることはよく分かった。
「昼間はいろいろあったけど、これでぱーっと水に流すにゃあ」
 一番いろいろあったのはアカネちゃんな気がするが、その上でこういう役をかって出るのはアカネちゃんの人の良さが垣間見える。
「でも、いいんですかにゃ? 一応、強化合宿にゃんじゃ」
 テンの方を見ながら首をかしげるコバトちゃん。即答するテン。
「……俺は一向に構わない」
 マンガみたいにヨダレがダラダラだった。普段はもっと堅物なイメージだが、意外と自分に甘いのだろうか。
「じゃあ早速飲むにゃあ~」
 終始笑みを絶やさずハイテンションな様子でコップにマタタビジュースをついでいくアカネちゃん。既に瓶が開いていたし、先に少し飲んだんだろうか?

「カイトも飲むにゃあ~」
「え、じゃ、じゃあ、ちょっとだけ」
 正直、ジュースとはいえ得体の知れない飲み物を飲むのには抵抗があったが、水をさすのも悪いので少し飲むことにする。
「なんにゃ? つれないにゃ~。お前にはほーんとに、ちょびっとだけにしてやるにゃあ。あとから欲しくなっても知らないにゃあ」
 コロコロ表情を変えながら、一口あるかないかくらいで止めるアカネちゃん。ぱっと見リンゴジュースのような色味のそれは、嗅いでみると薬草のようなキツい匂いがした。
「これ、本当にうまいのかよ……」
 ビールってこんな感じなんだろうか。大学生だし触れる機会もなくはないが、飲んだことはない。
「うまいに決まってるにゃあ。それ、かんぱ~い」
 ほっぺたが赤い。やはり取りに行った際に少し飲んだようだ。
「いや早いな!?」
 しかしみんな素早く反応し、コップを持って軽くぶつけ合う。俺も遅れて参加した。
 その後真っ先に口に入れたのはとなりのテンだった。グビグビ一気飲みしたかと思うと、
「クァァーーー!! これだよこれっ」
 完全にビールを飲むサラリーマンのそれである。
「なぁアカネちゃん、これ、未成年が飲んでも大丈夫なのか?」
「にゃーに言ってるにゃあ~。一人前の戦士は、みーんな飲んでるにゃあ」
 答えになってない気がするが、やはり一人前になった大人だけが飲める、人間の世界でいうビールのようなしろものらしい。
「カイトはん♡」
「ん? え?」
振り返ると、ほほを赤くしたオオヤギさんに熱い視線を注がれていた。目が半開きでかなり色っぽい。
「オオヤギー♡」
 その奥では立ったままオオヤギさんにすり寄るコバトちゃん。
 二人ともいつの間に飲んだんだ?
「カイトはん♡」
 俺の太ももに手を置き、顔を近づけてくるオオヤギさん。息がかかるほどの距離になると、目を閉じて口をすぼめ、なおも近づいてきてーーーー
「ーーーーって何やってんすか!?」
 マタタビ臭くなかったらうっかり誘惑に負けていたところだ。すんでのところで押し戻す。
「あぁん♡ カイトはんの、い・け・ず♡」
「オオヤギー♡」
 べったりなコバトちゃんに気づいているのかいないのか、無視して俺に熱い視線を送り続けてくるオオヤギさん。彼女歴ゼロの俺がいつまでこの誘惑に耐えられるだろうか。
「ニャハハハハハ!! ……ゲフッ」
「臭っ!?」
 俺の顔を見て突然大爆笑し、ゲップを吹きかけてくるアカネちゃん。もはやヒロインのカケラもない。
「カイト様ぁ♡」
「うわっ」
 後ろから抱きしめてきたのは京子さんだ。おかげで俺の背中にやわらかいものが当たって大変なことになっている。
「ちょっと、京子さんはまだ飲んでないでしょうが」
 京子さんのついていた席のマタタビジュースは並々と残っていて、まったく手をつけられていない。単にドサクサでくっついてきたようだ。
「いいじゃないですかぁ。カイト様ぁ♡」
 キス顔を隠そうともせず大胆に迫ってきた。その顔を、オオヤギさんがにらんで止める。
「カイトはんに抜け駆けしたら、許しまへんよ」
 どの口が言うのか。
 オオヤギさんは強烈なマタタビの匂いがするのでまだなんとか抑えられるが、京子さんの方はめちゃくちゃいい匂いがするので迫られると男としての本能が止めるなと叫ぶので困る。
「ガハハハッ、いい女がそろってるだろう? でぇ? お前は誰が好きなんだよ?」
 マタタビ臭い口で肩に手を回してダル絡みしてきたのは、テンだ。見た目は若いが、酔うと中年のオッサンみたくなるらしい。
「え、そっ、それは……」
 テンの問いかけに騒いでいたみんなが途端にしんとなる。
 俺の次の言葉を待っているようだ。
 気まずい沈黙がしばらく続いたあと、口を開いたのは京子さんだった。
「もちろん、私ですよね、カイト様♡」
「にゃに言ってるにゃあ。白猫の分際で」
「うわっ」
 机の下から声がして、思わず飛びのこうとすると、アカネちゃんが足に絡みついてきた。
「ゲフッ 私に決まってるにゃあー」
 俺の足にコアラのようにしがみついたままほほをすり寄せてくるアカネちゃん。
 当たるものがない分変な気は起きないが、それでも美少女がこんな近距離に迫って何も思わない男はいない。
「そうなんですか、カイトはん……」
「え?」
 あからさまにしょんぼりした顔でうつむくオオヤギさん。
「あぁあ、オオヤギー泣かないで……」
 別に泣いてないと思うが、落ち込むオオヤギさんを見て涙ぐむコバトちゃん。子どものようにぐずったあと、ワンワン泣き出した。
「にゃんで泣いてるにゃあ」
 爆笑するアカネちゃん。
 いよいよ収集がつかなくなってきた。
 どうしたものかと困っていると、となりのテンが不意に立ち上がった。
「んだよ、イチャイチャしやがって。俺はもう寝るっ!」
 構ってもらえずすねたのか、しかし部屋へは直行せずキッチンに向かうテン。
 なんだろうと何気なく目線で追っていると、冷蔵庫から長細い葉っぱの束を取り出し、軽く洗って鍋で煮込み始めた。
「何作ってんすか?」
「決まってんだろ、酔い覚ましだよ。酔ったまま眠ると疲れが取れないからな」
「酔い覚まし?」
 酔っ払って収集がつかなくなっているアカネちゃんたちを正気に戻すのに、これ以上のものはない。
「それ、人数分作ってくれないか?」
「言われなくてもやってるよ! コイツら、酔うとこれ飲むまで永遠マタタビキメてんだから……ったく」
「はぁ。これでなんとかなりそーーーー」
 惨状を見渡しながらオオヤギさんの方まで振り返ったところで、かたまる。
「オオヤギさん?」
 オオヤギさんとコバトちゃんが、がっつりキスをしたまま止まっていた。
「何やってんすか!?」
 慌てて引き剥がす。アカネちゃんの笑い声が止まらないなと思っていたらこれだったのか! 京子さんが真似をするようにキス顔で近づいてきたので手で押し戻しながらキッチンの方へ振り返る。
「テン、酔い覚めはまだなのかよ!?」
「あぁん? あと少しでーーーー」
「貸してくれ!!」
 急いでキッチンへ駆け込み、テンから鍋を引ったくる。
 ついでにお玉も拝借して、酔っ払ってる全員のコップに並々とついだ。
「ほら、アカネちゃん、いつまで机の下もぐってんだよ」
「にゃあ?」
「これ飲んで」
 湯気の立ったコップを突き出すと、露骨に顔をしかめるアカネちゃん。
「私は猫舌にゃ。冷めるまで嫌にゃ」
「ーーーーこのままぶっかけるぞ?」
「ひぇぇ……」
 しぶしぶといった様子で受け取り、氷を大量に入れてフーフーしながら飲む。と、
「げぇぇーーマズイにゃあ」
 すっと、赤らめた頬がいつもの色に戻った。
「ん? にゃにみてるにゃあ、気持ち悪い」
 効果は的面のようだ。
 オオヤギさんたちにも配って半強制的に飲ませると、各々正気に戻った。
「わ、私は一体何を……」
 約一名、顔を真っ赤にして机に頭突きし出したオオヤギさんを除いて。


 翌朝。
「うへぇー二日酔いにゃあ〜」
 朝食を食べるためにリビングへ向かうと、昨晩マタタビジュースを飲んだ全員がぐったりと脱力していた。
「情けないですね。ね、カイト様♡」
 飲んでいない京子さんが俺にすり寄ってめちゃくちゃウインクをしてくる。
 反応に困っているとアカネちゃんが机に両手をついて無理矢理といった様子で顔を上げた。
「にゃーに、私たちが二日酔いでも、カイトが酔ってなきゃ大丈夫にゃあ」
 言いながらよろよろ立ち上がり、バッと服を脱ぐ。
「わっ」
「カイト様、見てはいけません、目の毒です!」
 すかさず京子さんが俺の目を両手でおおう。
「誰が毒にゃ!! それに、男の前でいきなり下着ににゃったりしないにゃ!!」
「え?」
「なりませんカイト様、どのみち目の毒です!」
「だから誰が毒にゃ!!」
 アカネちゃんにつかみかかられ、京子さんの手元が狂った。
 開けた視界に飛び込んできたのは、昨日と同じ赤に白の紐がついたビキニ姿のアカネちゃんだった。
 確かに浜辺で見るより室内で見る方が目の毒ではある。深い意味はないが。
「さ、さっさと行くにゃあ」
 から元気で大股で歩きだすアカネちゃん。
「待ってくれよ、俺まだパジャマなんだけど」
「にゃあ? 男の水着なんか下着と対して形変わらないにゃ。そのまま脱ぐにゃあ」
「は? まぁ、アカネちゃんが気にしないならいいけどさ」
 下着のシャツごとまくり上げ、上半身裸になろうとすると、なぜか黄色い歓声が上がり、視線が集まる感覚があった。
「にゃ、ここで脱ぐにゃーーーー!!!!」
 顔を真っ赤にして叫ぶアカネちゃん。テンをのぞいた他のみんなも似たり寄ったりな反応だ。
「なんだよ、アカネちゃんが脱げって言ったんじゃないか」
「誰も今ここで脱げとは言ってないにゃあ!!」
「カイト様、やっぱりすごい筋肉ですねぇ♡」
 京子さんに腹筋を触られ、思わずビクッとなる。
「ちょっと、京子さん……」
「にゃに触ってるにゃあこのエロ猫っ!!」
「なんでアカネちゃんがマジギレすんだよ」
「さっさと行くにゃあ!!」
 耳元まで真っ赤にしたまま誤魔化すように出て行ってしまった。
 慌ててあとを追いかける。
「あぁん、カイト様♡ 私もすぐ向かいます!」

   ★

 着替えるために京子が自室へ戻ると、薄暗い部屋の奥に赤いツインテールの少女がいた。
「あら? カイト様と一緒に浜辺へ行くんじゃありませんでしたの?」
『安心したよ、"スノウ"』
「!?」
 それは紛れもなく、白猫の国の言葉だった。
『君だけは、あのマタタビジュースを飲まなかったみたいだね。有能な戦士たちには下手な毒よりも濃度を高めたマタタビジュースの方が効果的。毒なんて簡単に見抜かれてしまうから。そう教えてくれたのは君だったよね、スノウ』
「その声は、ワイツ!?」
『そうだよ。君と連絡がつかなくなって、殺されたか寝返ったんじゃないかってみんな騒いでいたところだ。でも、うまく溶け込んでいるみたいだね。僕の思っていた通りだ。敵に溶け込むのに、味方への定期連絡は邪魔になるーーーー君らしい考え方だね』
『なぜあなたがここに?』
 ワイツの魔法を駆使した変装技術は、京子のつたない色仕掛けとは一線を画す、戦うための技術。彼はその高度な偽装技術によって最小限の戦力で敵を壊滅させてきた。
 無論、奇襲とはいえ、一対多の戦闘技術も優れている。敵国に送る暗殺者として、これ以上の逸材はいない。
『上のお達しでね。命令が変わったんだ。"勇者の芽"を、摘み取らなければならなくなった』
 その言葉に、驚きを隠し切れない京子。
『弱らせてあるし、二人だけでもなんとかなるだろう。協力してくれるね、スノウ?』
 口元で不敵に笑うワイツ。その眼光が鋭く光る。獲物を見通す目だった。

   ★

 浜辺でアカネちゃんの指導のもと飛ぶ練習をしていると、小屋から二つの人影が出てきた。
「ん、あれは?」
 こちらに近づいてくるその影は、黒髪と黄色に近い茶髪。
「京子さんとテンかな? どうしたんだろう」
 珍しい組み合わせに目を奪われていると、テンらしき人影がこちらに手を振る。
「にゃ? 様子がおかしいにゃ」
 手を振り返すことはせず、顔をしかめるアカネちゃん。
「え?」
「テンさんらしくないにゃ。それに、テンさんがわざわざ小屋から出てくる理由がないにゃ」
「そう言ったって」
 顔がはっきり見えるまで近づくのを待ってみるも、やはり思った通りの顔ぶれだ。
「ほら、やっぱり京子さんとテンじゃないか」
「そういうことじゃないにゃ」
 身構えるアカネちゃん。
「大げさだな。おーい」
 らちがあかないので、手っ取り早く済ませるため、二人に駆け寄ろうと走り出す。と、
「ーーーー危ないにゃ!!」
 真横にほとんど瞬間移動のような速度で現れたアカネちゃんに横っ腹を蹴られた。
 華奢な見た目からは想像もつかない力で押され、勢いよく横に吹っ飛ぶ。
 次の瞬間、俺とアカネちゃんの間にできたわずかな隙間を白い光の筋が駆け抜ける。
 それは波打ち際に着弾したらしく、大きな砂柱を上げた。
『外したか。思っていたより勘の良いやつだな』
「何語だ?」
「白猫の言葉にゃっ!!」
 言いながら俺に抱きついたかと思うと、地面を蹴り上げ急上昇するアカネちゃん。
「うわっ」
 さっきまでいた地面が爆発した。今度は砂煙が起こる。
 すぐにテンたちの方をみやると、京子さん一人になっていた。
「テンがいない!? アカネちゃん!!」
「……重いにゃあ。このままじゃ二人ともお陀仏にゃ。あとは一人で飛ぶにゃ!!」
「は!?」
 言い返す前に空中に投げ出される。当然飛べるわけもなく、すぐに落下し始めた。
 風を切る音に見下ろすと、テンがものすごい速度で上昇してきていた。
「何してるにゃあ!? 避けるにゃあ!」
「そんなすぐ飛べるかよ!!」
 落ちていく俺。猛スピードで迫るテン。無慈悲にもその距離が縮まっていく。
 死ぬのか、俺。こんなところで……?
 考えたところで突然飛べるようになるわけもなく。テンが目前まで迫る。
 迎え撃つしかないっ!!
 飛ぶことはできなくとも、空中で振りかぶることくらいできる。狙いをテンの顔面に定め、拳を背後に振りかぶる。しかし、
「くそっ!」
 姿勢を変えたことでバランスが崩れた。テンの方に足が向いてしまい、狙いの定めようがない。
 そのまま回転して、ついにはテンの方に背が向く。
 体勢を変える暇もなく、そのまま距離がゼロになる。
 寸前、背中で爆風が巻き起こった。
「熱っ!?」
 ふわりと体が浮く。首だけで振り返ると、黒煙を上げながら落ちていくテンの姿。
「なんだ?」
「カイトっ、無事にゃ!?」
 文字通り飛んで駆けつけたアカネちゃんが、落ちていく俺を支てくれる。
「アカネちゃん!? アカネちゃんがやったのか?」
「間一髪だったにゃ」
「それにしてもテンが裏切るなんて……」
「なわけないにゃ!! テンさんは三毛猫にゃ。白猫の言葉を使う理由がないにゃ」
「じゃああれは?」
 落ちていくその姿はテンそのものだ。変装なら、普通マンガやアニメがそうであるように、敵とバレた瞬間に本来の姿へ戻りそうなものだが……
「白猫にゃ。おそらく、お前を殺しにきたにゃ」
「は? こ、殺すって……」
「でなきゃいきなり攻撃してこないにゃ。それより、覚悟はいいにゃ?」
「は? 覚悟?」
「あの二人を、殺す覚悟にゃ」
 アカネちゃんの言葉に、さぁっと血の気が引く。
 そうだ。おそらくは京子さんも、俺たちを裏切って命を狙っているに違いない。前回とはわけが違う。殺さない理由が、……ない。
「来るにゃ! カイト、私はアイツを止めるにゃ。お前は京子を殺すにゃ」
「そんな……」
 再び急上昇して迫り来るテン。京子さんは砂浜に立ったまま動かない。
 殺さなくちゃ、いけないのか?
 もし、本当に京子さんが裏切ったのだとして。京子さんを俺やアカネちゃんが殺したら。
 そうしたら、みんなで笑い合った昨日には、もう戻れなくなる。それどころかーーーー
ーーーー京子さんが、死ぬ?
 それはアカネちゃんにとって、至極当たり前の流れなのだろう。予想通りとすら、思っているかもしれない。でも、それでも。
「嫌だ……」
「にゃ!? 何言ってるにゃあ!! アイツはお前をーー」
「ーー京子さんは、俺が好きだって、たしかに、そう言ったんだ!!」
「嘘に決まってるにゃあ!! ためらうなら、私が京子もろとも殺すにゃ」
 テンが迫る中、アカネちゃんが俺を睨みつける。
「そんなことしたら、俺は、アカネちゃんを許さないっ」
「ーーーー勝手にするにゃあ!!」
 あきらめたように急降下し、テンに正面から向かっていくアカネちゃん。
 俺は飛行の要領でなんとか不時着。その様子を見守ることしかできない。
 アカネちゃんの手の中で、黒い球体が膨らんでいくのが見えた。
 激突する両者。激しい轟音と光。その中から、二つの人影が飛び出す。一つは真下の砂浜に降り立ち、もう一つは斜め上に吹き飛ばされた。
 砂浜の方をみやると、ぽつりと立つ赤い人影。アカネちゃんだ。
 アカネちゃんはすぐに向き直り、立ったまま動かない京子さんの方へ駆けていく。
「やめろ!!」
 間に合わないっ!
 そう思った次の瞬間、気がつくと俺はアカネちゃんに立ち塞がるようにして砂浜に降り立っていた。爆発するように上がる砂塵。
 それを纏いながら、俺はアカネちゃんを見据える。
「そこをどくにゃ」
「嫌だと言ったら?」
 どうしてか、一歩下がるアカネちゃん。
「カイト様……」
「なぜにゃ? どうしてその白猫を、そこまで信じられるにゃ」
「ーーーー俺は、ずっと一人だった。友達もネット越しで、大切な人なんていなかった。だけど!!
 アカネちゃんたちが一緒にいてくれて、京子さんが、俺を好きだって言ってくれてーーーー」
 寒くもないのに、声が震える。
「ーーーー俺にもやっと、愛するものができたんだ……」
「……」
 自然と、視線が京子さんの方に向く。
「この気持ちが、なんなのかはわからない。友情なのか、絆なのか、恋なのか…… でも、守りたいって想いだけは、確かなんだ!」
 不意に飛び込んできた白い光の球が俺たちの間に落ち、視界を埋め尽くすほどの砂煙が巻き起こる。
「なんだ!?」
「まとめて引導を渡してあげるよ」
 頭上から聞き慣れない声がする。砂煙が晴れず、何も見えない。
「カイト! 飛ぶにゃあ!!」
 アカネちゃんの声がのぼっていく。
「そんなこと言われても……」
「早く! 地面を蹴り上げるにゃあ!!」
 言われるがままに蹴り上げると、アカネちゃんほど速くはないが、意外にも飛ぶことができた。しかし、煙の中を抜け出して見回すも、京子さんの姿がない。
「京子さん?」
「カイト様。私は、ここまでです」
 煙が晴れ、見上げる京子さんと目が合う。
「何言ってるんだよ?」
「私は、自分の命が惜しくてカイト様を売りました。だから……ごめんなさい」
 涙ぐむ京子さん。その顔に影が落ちる。テンの姿をした敵が、急降下してきていた。
「京子さんっ!!」
 叫んだあとのことは、よくわからない。
 視界が一瞬赤く染まり、次の瞬間には砂浜に倒れ伏す白髪の男の上に俺が立っていた。
「どう、なってるんだ……?」
「カイト、お前……」
「カイト様?」
 二人も何が起きたのか飲み込めていないようだ。
 赤い光の帯のようなものが、ときおり視界の端にちらつく。
「なんだ、これ?」
 見下ろすと、それは全身から湧き出ているらしい。
「なんでお前が、それを……!!」
「アカネ、ちゃん?」
 その手から黒い球体が生まれる。京子さんに向けて、ではない。それはどうみても、俺に向けられていた。
 アカネちゃんはかつてないほどの鋭い眼差しで俺を見すえている。それだけで、ただごとではないとわかったし、手のひらの中のまがまがしい"それ"が放つすさまじい圧迫感が、俺に希望的観測を許さない。
 俺を睨みつけたままにじり寄ってくるアカネちゃん。あとずさる俺の足元で、白髪の男がうめきだした。
「アカネちゃん、京子さん、逃げろ!!」
 砂浜を蹴って跳躍する。京子さんも気づいてすぐに飛び上がった。
 直後、白い爆炎と砂煙がアカネちゃんを飲み込んで炸裂した。
「アカネちゃん!!」
 空中でなんとか姿勢を保ちながら、アカネちゃんのいた空間を見下ろす。煙が晴れると、呆然と立ち尽くすアカネちゃんの姿。
復活した白髪の男の前には、アカネちゃんをかばうようにテンが立っていた。
「何してる!? アカネ、早く逃げろっ」
 テンの叫ぶ声がここまで聞こえた。
 白髪の男は余裕のある表情で二人を見比べたあと、こちら(おそらくは京子さんを)一瞥して、右手に白く発光する球を作り出し、それを地面に振り下ろした。
 巻き起こったのは、衝撃波というよりも煙幕に近い。
 白髪の男を包み込むようにして広がったそれが吹いてきた一陣の風にさらわれると、もうそこには誰もいなかった。


 ”ワイツ”なるその白猫が逃げていった後、京子さんはテン達によって拘束され、その扱いについて、リビングで話し合うことになった。京子さんは逃げ出さないよう、テンのすぐ横の床に座らされていた。
「なんでこんなことするんだよ!? みんなおかしいよっ」
 声を荒げても、各々表情を硬くするばかりで、誰一人賛同してくれない。
 長い静寂の後、沈黙を破ったのはアカネちゃんだった。
「白猫は所詮白猫だったってことにゃ。白雪京子は敵の白猫に加担した。今後も、私たちを狙う白猫たちが現れるたび、寝返るであろうことは想像に難くにゃい。私たち黒猫にとって、白雪京子は百害あって一利なし。殺すべきにゃ」
「本気で言ってるのか?」
 アカネちゃんの目を見据える。どう見ても本気だった。
 そして誰一人、異を唱えるものもいない。このまま、京子さんは殺されてしまうのか?
 そんなの、
「ーーーーそんなのダメだっ!! おかしいだろ!? 昨日まであんなに、仲良くやってきたじゃないか!!」
「私は京子に片時たりとも気を許した覚えはないにゃ」
 真顔で告げるアカネちゃん。京子さんは俯いたまま何も言わない。
「カイトはんに嫌われたくはありまへんけど、私もアカネの意見に賛成せざるを得ないにゃ」
 オオヤギさんの言葉に、隣に座るコバトちゃんは目を見開いて顔を上げる。
「白雪京子は危険分子。今回だって、直接危害を加えてこそこなかっただけで、敵の作戦に協力したことに違いはありまへん」
「それは、そうだけど……でもっ」
「カイトはん」
 オオヤギさんの、凛とした声に制される。
「今彼女を殺さなければ、次に殺されるのは私たちです。白雪はんと、私たち。カイトはんは、どちらの味方なんです?」
 オオヤギさんの真剣な眼差しから、思わず、目をそらす。
「俺は……」
 アカネちゃん達と京子さん、どちらかなんて、そんなの決まっている。
「俺はっ、両方の味方でありたいっ!!」
 オオヤギさんとアカネちゃんの表情が、苦虫を噛み潰すような色に変わる。
「カイトーーーー」
 アカネちゃんにかぶせるようにして、たまらず叫ぶ。
「京子さんが俺を好きだって言ってくれて、アカネちゃんやみんなたちが、俺を歓迎してくれて、俺、嬉しかったんだ! 大切な仲間ができたって、今も本気で思ってる!! だから、
ーーーーだからどっちかなんて、そんなの無理だ。京子さんを殺したら、俺はみんなを許さないし、京子さんがみんなを殺したら、俺は京子さんを許さない。でも俺は、京子さんを信じたいんだ!! ワガママだっていうのはわかってる。でも、俺を愛してくれる人を信じて、何がいけないっていうんだよ!!」
 しんと静まり返る一同。口を開いたのは、テンだった。
「ーーーー俺はカイトに賛成だ」
「にゃ!? テンさん、一体、にゃにを!?」
 目を丸くして驚くアカネちゃんに、テンは冷静な口調で諭す。
「京子は確かに、俺に変装したワイツとともにカイトたちを襲った。だが実際、京子はほとんど棒立ちだったそうじゃないか。俺には白雪京子が裏切ったというより、裏切ったふりをせざるを得なかっただけのように見える」
「で、でも、今度また裏切って、誰かを殺しでもしたらーーーー」
「ーーーー誰も殺させはしない。そのときは俺の命にかえてでも白雪京子を殺す。だから、今は京子の処遇は保留にして、しばらく様子をみることにしないか?」

 この鶴の一声によって京子さんの拘束は解かれたが、アカネちゃんは京子さんを見張ると言い出し、一睡もしないと宣言した。

   ★

「テンさん」
 深夜。京子の寝る部屋の扉の前で、アカネはテンに呼び出された。
「アカネ、深夜遅くにすまいないにゃ。一つ、どうしても確認しておきたいことがあったんだ。ーーーーカイトのあの”オーラ”は、お前の仲間を殺したやつのそれと、同じ色だったんだな?」
「はい。”やつ”のものと同じ”オーラ”でした。間違いありません」
「そうか。……なら、今後カイトを敵に回すようなことは避けろ。アイツは、カイトは、もう、見込みゼロじゃない。”勇者”の卵だ」
「ーーーーだから白雪京子を許したんですか?」
「そうだ。カイトを敵に回せば将来的に数万の兵が死ぬことになる。自覚はないようだが、アイツはもうとうにキャットフェイズを凌駕している。安定させるには精神の安寧が不可欠だ。あまりカイトを刺激するな」
「わかりましたにゃ」

 そんな二人のやりとりを、京子は扉越しにひっそりと聞いていた。

   ★

 白猫の国の最深部、王の間の玉座の前に、ワイツはひざまづいていた。
「それで? のこのこ逃げ帰ってきたのか、腰抜けが」
 玉座のかたわらに控える幹部クラスの猫が、ワイツを鋭く睨み付ける。
「申し訳ありません。ーーーーしっ、しかし、やつはすでに、キャットフェイズを凌駕しています!!」
「ほう。この短期間でか。実に興味深い」
 玉座に腰掛ける白猫の王の声量は小さかったが、それだけで王の間の空気を震わすには十分だった。
「はい、その通りでございます。身に纏った赤いオーラを、確かにこの目でーーーー」
「無礼者っ!!」
 かたわらに立つ幹部クラスの猫が、ワイツの言葉を遮る。
「貴様ごときが会話していいお相手ではないっ!」
「申し訳ありません」
 ほとんど土下座に近い体勢で深々と頭を下げるワイツに、無慈悲にも幹部クラスの猫の指令が飛ぶ。
「連れて行け」
 その一声で、王の間の入り口の両脇に立つ二人の兵士たちは、表情一つ変えずにワイツを抱え込み、連行しようとする。
「お、お慈悲ぉーー!!」
 ワイツの叫びは、王の間の纏う静寂にかき消される。ワイツはそのまま何処かへ連行されていった。
「しかし、あの人間がキャットフェイズを凌駕したというのは紛れもない事実。はて、どうしたものか」
 大袈裟に首を傾げる国王に、幹部クラスの猫が応じた。
「国王様、私に考えがあります」
「申してみよ」
「魔物達の大群を、黒猫の王国に仕向けるのです」
「ほほう」
 身を乗り出したことで、国王の純白の毛並みが照明に反射して眩く光る。
「そうなれば黒猫の国の兵力の多くが魔物討伐に割かれることは必至。その隙に、手薄となった黒猫の国に少数精鋭で忍び込み、黒猫王の首を討ち取るのです」
「面白い」
 針のように細く鋭い立派な髭を揺らし、国王は笑みを浮かべる。
「お主に、できるか?」
「はい、国王様。我が身に代えても成し遂げて見せます」
 黄色に近い茶褐色の毛並みを震わせ、幹部クラスの猫はうなずく。
「ならば、そなたが黒猫王の首を討ち取った暁には、我が娘を結婚相手にくれてやろう」
「もったいなきお言葉」
 頭を垂れる幹部クラスの猫。下がれ、と王が短くつぶやくと、王の間をあとにする。
 扉が閉まり切ったのを見届けると、王の側近が慌てた様子で問いかける。
「よろしいのですか、国王様。あのものに、次期国王の座を譲るなどっ」
「ハッハッハ。誰も、そんなことは申しておらんぞ」
「で、では!?」
「きゃつには、次女のマリアをくれてやる。落ちぶれたあの娘をな」
 国王のたから笑いは、王の間を震わせた。

   ★

「ーーーーそれでさぁ。めちゃくちゃ気まずくて困ってんだよね」
 あの一件によって強化合宿が中止になり、『ヴァイオレット・ヴァレッタ』に行くまで少し時間が空いていたので、俺は通話主体のトークアプリ、ライフコードでキーンに近況を話していた。具体的な話をするわけにはいかないので適当にはぐらかし、今は一体複数で喧嘩になっていて空気が険悪で困っているという愚痴をこぼしていた。
「ソウイウ時ハホトボリ? ガオサマルマデ行カナイホウガイイデスヨ」
「いや、まぁ行くんだけどさ」
「手遅レダナホントニ」
 ネットだけの仲とはいえ、こうして悩み事も笑いあえるキーンが俺は結構好きだった。
「あ、そろそろいかなきゃ」
 用事があると言って通話を終え、俺は電車に乗って『ヴァイオレット・ヴァレッタ』へ。まさかさっきまでの話の流れで行くなんて言い出せない。
 とはいえ空気が険悪なのは事実で、最近は京子さんが奥に引っ込んだまままったく顔を出さないし、みんなもどこかよそよそしいので正直行きづらい。時間が解決してくれるものなんだろうか。
 『ヴァイオレット・ヴァレッタ』の扉を開けると、艶のある美しい黒髪の女の子が一人で店番をしていた。
「あれ、京子さん。今日は一人なんですか?」
「カイト様……お久しぶりです。待っててくださいね」
「え、えぇ」
 言うなり京子さんはすぐに店の奥に引っ込んでしまう。久々に話せると思っていただけに首をかしげていると、入れ替わる形でアカネちゃんが現れた。
 赤いテーマカラーのメイド服に、赤いツインテールの前髪を分ける紫の髪留め。そんな姿のアカネちゃんを見るのはいつぶりだろう。
「カイト。待ってたにゃ」
 口調は真剣そのものだった。店に京子さん一人だった時点で覚悟しておくべきだったのだ。
「黒猫の王国が魔物の大群の襲撃を受けてるにゃ。かつてない規模にゃ。お前の力が必要にゃ」
 俺は思わず固い唾を飲み込む。戸惑いを隠せなかった。
「そんなこと言ったって、俺はまだ、ろくに戦えないじゃないか」
 答えると、アカネちゃんは目を閉じて首を横にふる。
「いいにゃ。お前はすでに、キャットフェイズを凌駕できるだけの力を持ってるにゃ。強化合宿のときに出した、あの赤い”オーラ”を維持できるようになれば、お前は強大な戦力とにゃる。そのために、今から猫の世界に来て欲しいにゃ」
 アカネちゃんは苦い顔をしていた。苦渋の決断なんだろう。
「にゃにもいきなり前線に立てとは言わにゃい。お前にも生活があるのも承知の上にゃ。見返りに私にできることならにゃんでもする。だから、この通りにゃ」
 胸に手を当ててそう宣言したかと思うと、アカネちゃんはカウンターから出てきて床にひざまづいて頭を下げようとする。
「ま、待ってくれよ! そこまでしなくたって、協力するよっ。俺だってアカネちゃんたちの王国を守りたい」
「そうか……そう言ってもらえて、良かったにゃ」
 見上げるアカネちゃんの眼差しは、寂しそうな、切なそうな、複雑な色をしていた。
 店の奥ののれんをくぐると、猫の世界に出た。今回は森林の奥深くに繋げてあるようで、一面見上げるほどの大木に囲まれていた。ゲートの付近は背の低い草の原っぱが広がっていて、ちょっとした広場のようになっていたが、それでも歩きにくくて仕方がなかった。
「こんな動きにくいところで何するんだよ?」
「こんな動きにくいところだからこそ、できることがあるにゃ」
 言いながら、アカネちゃんは迷わず森林の深くへ足を踏み入れていく。
「どこ行くんだよ」
「いいからついてくるにゃ」
 歩いている間、会話はほとんどなかった。やはりあの一件依頼どこかよそよそしい。どうも距離を置かれているようだ。本格的に戦いに参加する前に、早いこと方をつけなくちゃならない。
「……なぁ、まだ怒ってるのか?」
 おそるおそる問うと、アカネちゃんが振り返らずに答える。
「なんのことにゃ? 京子のことなら、もう気にしてないにゃ」
「じゃあなんでそんなによそよそしいんだよ」
 思い切って指摘すると、ドキリと肩を震わせて足を止めた。
「そんなことないにゃ。お、お前とは仲良くやりたいと思ってるにゃ」
 がらにもなく体をすり寄せてくるアカネちゃん。こんな美少女に迫られていると言うのに、ちっとも嬉しく無かった。掴んできた腕を振り払い、俺はキッパリと告げる。
「そんな風にいやいや媚びを売られても、俺は嬉しくない」
「……ごめんにゃ」
 しゅんと肩を落とし、気まずそうに歩き出すアカネちゃん。
「どうしたんだよ? アカネちゃんらしくもない」
 本当に今日はらしくない。何かあるに違いなかった。
「お前には、わからないにゃ……」
 消え入りそうなその声に、これ以上追求する気になれなかった。

「あれだにゃ」
 長い沈黙を破ったその声に顔を上げると、木々に囲まれた草むらの上に鉄製の小ぶりな檻がぽつんと置かれていた。
「何するんだ、いったい」
「簡単に言えば、慣れてもらうにゃ」
「何に?」
「命を奪うことに」
 背を向けたまま檻にかけられた鍵を外すアカネちゃん。その顔色はうかがえなかった。
 アカネちゃんが片手で勢いよく檻の扉を開くと金属がぶつかりあう甲高い音が響いて、中から子犬が飛び出してきた。
「なんだ!?」
 子犬は太い金属の鎖に繋がれていて、よく見ると垂れた耳が異様に長く、逆にしっぽは極端に短かい。目は赤く充血していて、虹彩が紫に鈍く光っていた。毛並みこそ明るい薄茶色で前回戦ったどす黒い牛のような怪物ほどそれらしくはないが、この子犬もこの世界の魔物なのだろうか。
「今からこの魔物の鎖を外すにゃ。小さいとはいえ、成長すれば私たちを平気で噛み殺す立派な魔物ににゃる。怪我をしたく無かったら、”力”を使って一想いに殺すにゃ」
「は!? こ、殺すって、この子犬をか?」
 子犬は鎖が真っ直ぐに伸び切ってなお暴れ回ってちぎろうとしており、繋がれた首輪が痛々しく食い込んだままキャンキャン吠えていた。
「子犬? この魔物をお前の世界の愛玩動物と一緒にしにゃいで欲しいにゃ」
 アカネちゃんが嘲るように笑う。そんな表情を見るのはこれがはじめてだった。
「コイツの母親は私たちの仲間を食い殺してるにゃ。何の罪もない、幼い子どもの猫を、コイツの母親は噛み殺して、その遺体をボールみたいに弄(もてあそ)んだ。気づいた他の猫がその母親を残酷な方法で殺したのを、コイツは目の前で見てるにゃ。いずれコイツも、母親のように猫を襲う。見た目に惑わされるにゃ」
「そう、なのか……」
 言い聞かされても、そうすぐに納得することはできない。襲われた子どもはかわいそうだと思うが、それをしたのは母親であって、この子犬も子ども同様罪はないのだ。成長すれば襲うに違いない、そんな思い込みだけで殺す気にはなれなかった。
「にゃにぼーっとしてるにゃ。今からつないである鎖を外すにゃ。子どもとはいえ、お前の指を食いちぎるくらいの力はあるにゃ」
 苦しそうに吠えて続けている子犬の瞳は確かに、酷く充血していて、邪悪な紫色に光っている。けれど魔物らしいところといえばそれくらいで、激しく吠え続けている割に鋭い牙のようなものは見当たらない。
「いくにゃー」
「え? ちょっ」
 がちゃんと金属が擦れる音がしたかと思うと勢いよく飛びついてきた子犬が左手に噛みつく。
「いった!?」
 思わず左手を横なぎに強く振る。と、
『キャインッ!?』
 ものすごい速度で吹っ飛んだ子犬が木の幹に背中を打ち付けて気絶した。
 指がちぎれると聞いていただけあって半ばパニック状態にこそなっていたが、それでも今の速度は普段の俺の力からは考えられなかったし、子犬が叩きつけられた衝撃は両手を広げて抱え込むのがやっとの大きな木の幹が少し揺れたほどだった。
 噛まれた左手を確認すると、歯型がついて赤くなっているものの、出血さえしていない。
「なんだ、どうなってんだ?」
「予想通りにゃ」
 戸惑いを隠せない俺に反して、アカネちゃんは酷く冷静だった。
「お前の”力”はお前が本能的に身の危険を感じた時に発揮される。一回目の魔物との戦いでも、二回目のワイツとの戦いでもそうだったにゃ。そして、どうやら命の危険までは感じにゃくとも”力”は引き出せるみたいだにゃ」
「アカネちゃんたちが言う”力”って、結局何なんだよ」
「カイトの世界でいう魔法みたいなもんにゃ。ただし、詠唱もいらにゃいし、神や自然に頼る必要もにゃい。自分で自分の肉体的限界を超えられるエネルギー、それが”力”にゃ」
「エネルギー? 噛まれても怪我しなかったのはどう説明するんだよ」
「それは私が牙を抜いておいただけにゃ」
「なんだって!?」
 思えば、あの子犬の魔物はずっと苦しそうにしていたし、やたらと俺たちに吠えてきた。それが牙を抜かれたからなんだとしたら納得がいく。
「あの子犬は歯抜け。本当は指がちぎれるなんてあり得ないにゃ」
「なんで、そんな……!」
 こみ上げてきた怒りをぶつけそうになって、寸前で飲み込む。テンの言葉を思い出したからだ。
『お前は愛するものを見捨ててまで、生きていたいと思うのか?』
 アカネちゃんに言わせれば、この世界では可愛らしい子犬もいずれ仲間を襲う敵にすぎない。そうでなくとも、かつてない規模の魔物たちの大群の襲撃によって王国がピンチなんだ。愛するものを守るためには、手段を選んでいる場合じゃないということなんだろう。
「お前を前線に立たせて、王国を守るためにゃ」
 アカネちゃんの瞳は真剣そのものだった。俺も短絡的に怒ってる場合じゃない。
「……わかったよ。でも、もう二度とこんな真似はしないでくれ」
「にゃに?」
「俺は誰かを守るために、この”力”とやらを使いたいんだ。将来猫を殺しかねない魔物じゃなくて、今アカネちゃんの仲間を苦しめてる魔物たちと戦わせてくれ」
 俺はアカネちゃんの目を正面から見据えた。アカネちゃんも逸らさずに見つめ返してくれる。
「……わかったにゃ。どのみち時間は限られてるにゃ。お前には早いこと”力”を制御できるようになってもらう必要があるにゃ」
「わかってる。……どうすればいい?」
「ーーーー実践あるのみにゃ」
 アカネちゃんは得意げに笑っていたが、どうしてか、俺にはそれが強がっているように見えた。腰に当てた手は震えていたし、何かを恐れているのかもしれなかった。
「どこへ行くんだ?」
 幹と幹の間にゲートを開くアカネちゃん。ゲートはほんのりと色のついた赤紫の霧に覆われていて、実体は見えなかった。
「防衛線はすでに崩壊しかけてるにゃ。前線から漏れた魔物たちが避難が終わってない村や町を襲ってるにゃ。今から、お前と私でその村の一つへ飛んで侵攻を食い止める。わかってるにゃ? 今度のは牙なんて抜かれてないし、お前がためらえば目の前で猫が殺されることににゃる」
「あぁ、わかってる」
 うなずいて見せると、アカネちゃんは向き直り、ゲートへ飛び込んでいった。

 ゲートの先は緑を多く残した居住地で、立ち並ぶ家々は藁や木の幹を組み合わせて作られているのが素人目にもわかった。市場には屋根がなく、近くで取れたらしい魚や果物を剥き出しの状態で売りに出していた。村というより集落と言ったほうがしっくりくる様子だ。
 俺に猫耳がついていないからかすれ違う住人の猫たちから注目を浴びた。そして年配の猫からはときおり両手を合わせておがむような仕草をされることがあった。
「猫耳がないってだけで、こんなに目立つもんなのか?」
 正確には手や瞳の形も違うのだが、一番目立つのはやはり耳だろう。
「そりゃそうにゃ」
「それにしたって、さっきのおばあさん猫、俺に向かって拝んでなかったか?」
「それはこの世界に伝わる伝説のせいにゃ」
「伝説?」
「かつて世界を混沌の渦に呑み込もうとした”烏合(うごう)の王”っていう雑種の猫がいたらしいにゃ。それを倒したのが、お前のような人間だったにゃ」
「そうだったのか……だからテンもやたらと人間の”力”ってやつを頼りにしてたわけか」
「そうにゃ。お前たちのヒューマンフェイズは才能にかかわらずキャットフェイズを凌駕することができる。だからテンさんはお前に力を託したにゃ」
「そのヒューマンなんとかっていうのはよくわからないけど、なんとなく話が見えてきたな」
「っ!? 続きは後にゃ、早速お出ましにゃ!」
 突然駆け出すアカネちゃん。あたりは依然のどかな風景が広がっていて、広場では民族衣装を着込んだ猫の踊りが披露されたりなんかしている。
「お、おい、待ってくれよ!」
 アカネちゃんのあとを追って走ること数分、徐々に平和な景色が変わり始める。こちらに向かって必死の形相で逃げてくる猫たちがちらほらと現れるようになったのだ。
 アカネちゃんは遠くからその様子を見咎めたのだろうか?
 逃げ惑う猫たちの間を縫ってさらに走り続けていくと、住宅地を抜けた商店の並ぶ通りで茶色っぽいクマくらいのサイズの塊が暴れているのが見える。走る速度を上げようとすると、あかねちゃんが俺の前に腕を出して止めてきた。
「どうしたんだよ? 早くなんとかしないとっ」
 クマのような塊の方から、ときおり猫たちの悲鳴が上がるのが聞こえてくる。一刻も早く向かわなければいけないはずなのに、アカネちゃんは無言で俯いたまま動かない。
「その前に、お前の力を引き出すのが先にゃ」
「……どうやって?」
 俺の力は俺が身の危険を感じなければ引き出すことができないはずだ。
「お前の力は、突き詰めればおそらく感情の昂りによって引き起こされる。生きたいという思いと同じくらい強い感情を人為的に引き起こすにゃ」
 言いながらアカネちゃんは真正面に向き直り、俺の両肩をがっちりと掴んだ。
「それって? ……どうするんだよ?」
「こうするにゃ」
 目を閉じ、顔を近づけてくるアカネちゃん。
「ちょ、アカネちゃん!? こんなときに何を!?」
「お前も目を瞑るにゃ」
 痛いくらいバクバク高鳴る心臓を抑えながら、俺は目をつぶった。まさか、いや、そのまさかなのか!?
 こつん。
 ほっとしたような、残念なような。アカネちゃんは唇ではなく、ひたいを俺のひたいとくっつけた。
 その瞬間、俺の真っ暗な視界ーー閉ざされたまぶたの裏に、鮮烈なイメージが映像となって流れ出した。

 どこからか、幼い女の子の泣き声が聞こえてくる。
 どうしてか、俺まで強く胸が締め付けられて、泣きそうな気分になる。
 まるで自分の記憶を追体験しているような気分だ。いや、実際そうなのかもしれない。
 映像は泣きじゃくる女の子の視点で、目の前を赤い前髪がふらふら揺れている。そして、すぐ目の前では血だらけの男性が倒れていた。
 視線が上を向く。大きな穴が空いた建物の天井からは、場違いなほど綺麗な青空が見えた。のんきな雲が、微風に乗って流れていく。
 涙でかすむ視界の中、女の子は横たわったまま動かない男性を揺さぶり続ける。喉ががらがらにかすれて痛い。それでも、女の子は目の前の男性を呼び続けた。
『お父さん、お父さんっ!! 死んじゃ、やだよ……』
 幼い女の子の声は、どことなくアカネちゃんの声に似ていた。もしかしてこれは、アカネちゃんの記憶なのか? だとしたら、この目の前の男性は猫? 衣服も体もボロボロで判別がつかない。無惨なその姿を一瞥するだけで、心臓が苦しくなる。
『……すまない。救えなかった』
 近づいてくる足音に振り返ると、猫耳の、暗い金髪の男が立っていた。かなり若いけど、もしかしてこの人は、テン?
 テンらしき金髪の男は、ボロボロと大粒の涙を流していた。現在のテンからは想像もつかない。
『あと一歩、俺が駆けつけるのが早かったら、あと一分、一秒でも早く、俺があの魔物を倒せていたら、助けられたかもしれない。……すまない、すまない……』
 泣きじゃくる女の子はテンを攻めることはしなかった。そんな気にはなれなかったのだろう。深い悲しみと、やるせない怒りがぐちゃぐちゃに渦巻いて、吐き出してしまいそうだ。

 アカネちゃんのひたいが離れる感触にハッとなり、現実に引き戻された。
「今のは……?」
「私の記憶の一部を、お前に見せたにゃ。これでお前にも、少しは伝わったはずにゃ」
 鎮痛な面持ちで目を逸らすアカネちゃん。自分の辛い過去を俺に曝け出してでも、守りたいものがあるのだろう。俺がアカネちゃんたちを、守りたいと思うように。
「あぁ、伝わったよ。十分すぎるくらい」
 深く息を吸い込み、俺は宣言する。
「戦うよ、魔物たちと。もうさっきみたいな、半端なことはしない。誓うよ」
「カイト……」
 顔を上げたアカネちゃんの瞳は、記憶の中のあの少女のように、視界をかすませていた。
「急ごう!」
 駆け出そうとする俺の背中をアカネちゃんが呼び止める。
「待つにゃ。飛んだ方が早いにゃ」
「それはそうだけど……」
「今なら飛べるはずにゃ。やってみるにゃ」
「えぇっと、どんな風だっけ」
「足に力を溜めて、一気に解放するにゃ!」
 踏ん張るような仕草をしてから一気に体をぐんと伸ばし、アカネちゃんはメイド服を揺らして飛翔する。
「ついてくるにゃ」
 一刻を争うのだろう、スカートを翻して騒ぎの中心を向くアカネちゃん。
「わかった。……うわっ!?」
 同じ動作をして地面を力強く蹴ると、ふわりとした浮遊感と共に体がロケットみたいに飛び上がる。慣れていないせいかアカネちゃんよりも速度が出てしまい、制御ができない。
「これ、どうやって曲がるんだ!?」
「落ち着くにゃ!! お前の世界の乗り物と同じはずにゃ。体で腕を広げたり体を地面と垂直にしたりして速度を落とせば曲がれるはずにゃ」
 言われるがまま両腕を広げ、上体と起こすと空気抵抗もあってか徐々に速度が落ちていった。「ホントだ、曲がれる。こりゃあいいや」
 アカネちゃんより少しスピードは遅いが。頭を向けた方向に旋回できるようになった。
「ついてくるにゃ!」
 メイド服のフリルを羽ばたかせ、アカネちゃんは速度を上げて空を駆ける。俺も負けじと足に力を込め、曲がれそうな程度のスピードで後を追った。と言っても飛んでいるだけあって建物や道を無視できるので、移動はほとんど直線で、障害物といえば時折背の高い木を避けなければいけないくらいだった。

 ものすごい勢いで地面が後ろへ流れていく。良いそうなので正面を向くと、パニエを履いているとはいえアカネちゃんのはためくスカートの中が見えてしまって、状況が状況なだけに複雑だった。
「オオヤギ! コバト! カスミ!」
 アカネちゃんが前方に向けて呼びかけると、それぞれのテーマカラーを基調としたメイド服に紫の髪留めをした三人が振り向く。しかし三人は町の広場で焦茶色のクマのように大きい犬の魔物と戦っている真っ最中で、こちらを一瞬だけ向いてすぐに向き直った。
「アカネはん、カイトはんをうまく連れてこられたんやね」
「カイト、飛べるようになったんだ」
「住民の人たちの避難がまだ終わっていないんです! 手伝ってください!」
「わかったにゃ。カイト、私たちと一緒に魔物を引きつけて欲しいにゃ」
 言いながらアカネちゃんは手の中に黒い球体を生み出し、それを町の植え込み付近で暴れる魔物に放つ。
 オオヤギさんやコバトちゃん、カスミちゃんたちも手のひらから黒い斬撃を生み出したり、指先から黒い弾丸のようなものを撃ち出したりして各々魔物たちを攻撃し、逃げ遅れた住民から注意を逸らさせているようだ。
「それはいいけど、その黒っぽいのってどうやって出すんだ?」
 見る限りここに逃げ遅れた猫たちはいないようなのである程度適当に撃っても問題な左右だけど、そもそも出し方がわからない。
「お前の場合は感情を昂らせることが重要にゃ。まずはお前に見せたあの記憶や感情を思い出すにゃ」
「……わかった」
 目をつぶると、さっき流れ込んできた記憶はまだ強烈な形で残っていて、それが一気に呼び起こされた。
「なんだか、イライラというか、ムカムカする。それから、悲しくて、苦しくて……」
「わざわざ言わなくていいにゃ! ……言わなくていいから、それを手のひらの中に込めて、撃ち出すにゃ」
 幼いアカネちゃんとその家族を襲った魔物。それがどんな姿なのかまではわからないが、当時のアカネちゃんが何を思い、どうして今ここにいるのか、想像に難くない。
アカネちゃんはきっと、もう二度と、同じ思いをする猫が現れてほしくないのだろう。記憶が映像として流れ込んできたときの、底なしの深い絶望、怒り、悲しみ。それらを思い出して、手の中に込める。感情がごちゃごちゃに入り混じって、叫び出したくなる。
「カイト?」
 呼びかけてきたアカネちゃんと、記憶の中の女の子の、泣きじゃくる声が重なる。
「ああああぁぁぁぁーーーーーーーーーーっっ!!」
 それを、町の広場の中心に向けて解き放った。
 突き出した両の手のひらが熱い。ものすごい光だ。赤い、激烈な光が閃光のように瞬く間に視界を埋め尽くす。
「カイト、落ち着くにゃ!! カイトっ!?」
 肩を揺さぶられ、ハッとなる。
「こ、れは……」
 気がつくと、広場の中央に巨大なクレーターができていた。あたりには先ほどまで暴れていた数体の犬型の魔物たちが横たわっていて、どれも体の一部がちぎれたり無くなったりしていて、びくともしない。
「カイトさん……?」
 オオヤギさんの隣を浮遊するコバトちゃんが、おびえた様子でつぶやく。
「カイト……」
 あのカスミちゃんでさえ、それは同じだった。
「カイトはん……一体、アカネはんに何を見せられたにゃ?」
 オオヤギさんが、絶句した様子でゆっくりと絞り出す。
「……」
 教えるわけには、いかなかった。
「少し、やり過ぎたにゃ。……気をつけるにゃ」
 俺に言っているのか、自分に言い聞かせているのか。アカネちゃんの、無惨に転がる魔物たちを見下ろすその表情はうかがえない。
「ーーーーまぁとにかく、これでこの広場の避難はひとまず大丈夫にゃ」
 取り繕うように、努めて明るい声を出すアカネちゃん。しかし、みんな硬い表情をしていた。
「アカネはん。カイトはんに何をしたにゃ?」
「少し、見せてやっただけにゃ。私の過去を、感情と一緒に」
 空気が張り詰めるのがわかった。魔物を倒して、危機は去ったはずなのに。
「まさか、感情転移と記憶の投影を同時にやったの?」
 カスミちゃんの声色には棘があった。俺に対していつもやっているようなそれとは、比べ物にもならないくらい、鋭い棘が。
 アカネちゃんが、バツが悪そうに小さく、曖昧に頷くと、三人は目を見開き、息を呑んだ。
 中でも驚いていたのは、オオヤギさんだった。いつものオオヤギさんとはかけ離れた、怒りに満ちた表情で、アカネちゃんにゆっくりと近づいていく。
「魔物たちは、それこそ私たちだけでもどうにかできたにゃ。どうして、カイトはんにそんなことをしたにゃ!?」
「どのみち、いつかは必要だったにゃ。王国のために」
 バチン、と乾いた音が立つ。オオヤギさんが、アカネちゃんの頬を叩いのだ。
「……アカネとは、もう絶交にゃ」
 どうしてそんなに怒っているのか、まるでわからなかった。
 たしかに俺はやりすぎた。魔物どころか、広場をほとんど吹き飛ばしてしまった。けど、誰かが死んだわけじゃないし、力だって、慣れれば制御できるはずだ。

 このときの俺は、そんな甘いことを考えていた。

 気まずい沈黙を、鋭いホワイトノイズが打ち破る。
 気づいたアカネちゃんがスカートのポケットから無線機のような四角い機械を取り出す。機械からは猫の国の言葉が流れ出して、少し遅れて脳内で人間の世界の言語に翻訳された。アカネちゃんに魔法をかけてもらっておいて正解だった。
『緊急、緊急! 第五班、応答せよ』
「ーーーーこちら第五班班長アカネ。何があった?」
『ブラッタ王城が白猫軍の攻撃を受けている模様。人数は不明。ただちに現場に急行せよ!』
「了解」
 ブツリと通信が切れた。緊張した面持ちで顔を上げるアカネちゃん。オオヤギさんやカスミちゃんたちの表情も真剣なものに変わっていた。
「みんな聞いていたにゃ!? 今すぐブラッタ王城へ向かうにゃ!!」
 深くうなずき、一斉に飛び上がる三人。
「カイトもついてくるにゃ! 遅れるにゃよっ」
 言いながらアカネちゃんも急上昇していく。俺も空中を蹴り出して曇り空へ舞い上がった。

「ブラッタ王城って?」
 三人より速度を落として俺の少し前を飛んでくれているアカネちゃんの背に声をかける。
「黒猫国王様の住んでいる城にゃ!」
「じゃ、じゃあ、そこが襲撃されたってことは……」
「宣戦布告、どころの話じゃにゃい。……戦争にゃ」
「そんな……」 
 驚きを隠せなかった。先行するアカネちゃんたちの顔色はうかがえないが、さっきと同じかそれ以上に眉根に深くしわを寄せているに違いなかった。
 黒猫と白猫の戦争。黒猫の国が魔物たちの大群勢の侵攻を受けているこのタイミングで仕掛けてくるあたり、生半可な被害では済まないだろう。
 脳裏を過ぎるのは、『ヴァイオレット・ヴァレッタ』で留守番をしている京子さんのこと。取り返しのつかないことになる前に、聞かざるを得ない。
「なぁ、アカネちゃん」
「なんにゃ?」
「戦争が始まったら、京子さん、どうなるんだ?」
「…………」
 一瞬こちらに振り返ったあと、アカネちゃんは口をつぐんでスピードを上げた。
「待ってくれよ!」
 その速度に置いていかれそうになり、必死で追いつこうとする。
 同時に、俺は察していた。
 京子さんは、このままじゃきっと殺される。
 そうなったら、さっきの絶交どころの騒ぎじゃない。もう二度と、あの日常へ戻れなくなる。京子さんが殺された先に、幸せなんかあるはずないんだ。

 木々がまばらに植わった林の上を通りかかった時、事は起きた。
「にゃ!?」
 突然、前方から悲鳴が上がる。
「うわっ!?」
 尋ねる暇もなく視界のすぐ横を黄色いエネルギー弾が掠める。アカネちゃんたちが撃ち出す黒い弾に似ていた。間違いない、白猫から攻撃だ。
「攻撃にゃ! 総員、乱軌道にゃ!」
 飛行速度を上げてじぐざぐに旋回するアカネちゃんたち。どうもあの動きを猫の世界で乱軌道と呼ぶようだ。俺も真似して、左右に首を振って軌道をぐねぐねに曲げ、飛来するエネルギー弾を回避していく。
 エネルギー弾は下から打ち出されているようで、かなり遠くからくるのでなんとかかわすことができるものの、アカネちゃんたちより遅れを取ってしまっていた。
「カイト、もっと速度を上げるにゃ!」
 気づいたアカネちゃんの檄(げき)が飛ぶ。
「そんなこと言ったって!」
 速度を上げたくても恐怖が勝り、そばを横切るエネルギー弾を避けるのでいっぱいいっぱいだ。そもそもついさっき飛べるようになったばかりの俺に、いきなり速度を出しつつ乱軌道をしろなんて言うのが無理な話だ。下手にスピードを上げれば舵が取れなくなる。
「どうするの? アカネ!」
 先行していたカスミちゃんが不安げな顔で振り返る。苦虫を噛み潰したような顔でうんうん唸り、アカネちゃんは叫んだ。
「このままじゃ振り切れにゃい。撃ち落とされるのも時間の問題にゃ。こうにゃったら迎え撃つにゃ!!」
 アカネちゃんは縦に急旋回して一回転し、急降下し出した。わずかに戸惑いの色を見せたあと、残る三人もあとに続く。俺も体を折って飛び込み台から飛び降りるような感覚で下りていった。
 強烈な風が顔に吹き付け、何度も咳き込みそうになりながらアカネちゃんたちの背中を追う。
 その間もエネルギー弾は止まず、白いエネルギー弾と黄色いエネルギー弾が入り混じった弾幕の中、俺たちは豆粒大の敵影に突撃していった。
「にゃ? にゃんで白猫たちの中心に雑種がいるにゃ?」
 敵の姿が見えてくると、アカネちゃんが疑問を口にした。俺の視力でも毛の色くらいはなんとなく見える。確かに、数人の真っ白な猫たちを従えているかのような位置に、薄茶色っぽい髪を生やした男がいる。
「人間じゃなくてか?」
「そんなはずない。白猫の国に人間はいないはず……」
 とカスミちゃん。
「変ですね。雑種と白猫が共闘するにゃんて」
 コバトちゃんも心配そうに眉をひそめる。
「……」
 オオヤギさんはというと、さっきからずっと口を閉ざしていた。アカネちゃんもそれを茶化す様子はなく、無関心を決め込んでいるようだ。
「来るにゃ!」
 エネルギー弾を撃ち出すのをやめたかと思うと、敵の白猫たちが地面を蹴って一斉に浮上し始めた。中央の雑種らしき猫も少し遅れて離陸する。
 刹那。
「にゃ!?」
 ビュンと鋭く風を切って、突如目の前に人影が現れた。俺の方に振り返り、唖然とするアカネちゃん。他の三人はアカネちゃんの反応で気づいたくらいだった。
「ーーーーヤット会エマシタネ、カイト」
「……キーン、なのか?」
 薄茶色、こげ茶色、白の三色の髪の毛と猫耳を生やしたその男は、聞き覚えのある俺の世界の言語で笑う。
「ぐぁっ!?」
 呆気に取られた俺の頭に、振り上げられた踵が直撃した。ものすごい勢いで風景が目まぐるしく変わっていき、俺は受け身も取れずに背中から地面に激突する。
「……なーんてな」
 他の白猫たちに対応するのに手一杯で、アカネちゃんたちは俺のそばに下りてきた雑種の男を遠目に見守ることしかできない。
 上空で白猫たちとアカネちゃんたちの激戦が繰り広げられる中、雑種の男は俺の頭のそばに立って見下ろす。
「お前を選んで正解だったよ、カイト」
 頭の中が疑問符で埋め尽くすされ、何も返すことができない。すると男は聞いてもいないのに饒舌に語り出した。
「カイト、僕がなんに見える? あの黒猫たちは雑種だって笑うだろうけど、僕は三毛猫として誇りを持っていてね。プライド一つで白猫王直属の幹部にまで成り上がったんだ」
 地面に叩きつけられた衝撃で、体がビリビリと痺れて痛い。身動き一つ、取れそうになかった。三毛猫を自称する男の頭越しに、アカネちゃんたちは空中でエネルギー弾を撃ち合って激しく入り乱れている。
「そんな僕に任された大役。それは黒猫王国陥落のために、無能な勇者をあてがうことだった」
「……何言ってんだよ、お前」
 痺れる舌で、なんとかそれだけを口にする。
「まだわからないかい? カイト。君がなぜ、『ヴァイオレット・ヴァレッタ』へ行くことになったのか。なぜ、見込みのない君が人払いの結界を突破できたのか」
 三毛猫は、そこまで口にして、吹き出した様子でお腹を押さえ、背をくの字に曲げる。
「カイト、全部僕のおかげなんだよ? 無能で、見込みゼロな君を、黒猫王国の勇者に仕立て上げたのは僕なんだから」
 ハハハハハハ、と男は高らかに笑う。唾を飛ばして、汚く、醜く。
「それにしても、スノウはいい火付け役になってくれた。おかげで、君自身も勇者の自覚が芽生えたろ?」
「スノウ? まさか、京子さんのことか?」
「そうさ。彼女には嘘を吹き込んだ。黒猫王国が目をつけている人間を、こちらの国へ、勇者として引き込むように、とね」
「は……?」
「結果は大成功だった! 黒猫たちに、カイトは勇者なんだと印象づけさせ、無能なはずの君が、黒猫王国を救う勇者として扱われるようになった」
 一息で言い終え、三毛猫は不敵に眼光を光らせる。
「全部、僕の計画通りだったよ」
「お前が、僕を……? 京子さんを、僕に仕向けたのも、……お前?」
「そうさ。さぁ、立て」
 三毛猫が左手を下から上に掬い上げるように仰ぐと、俺の上半身が浮き上がり、強制的に立ち上がった姿勢にさせられる。
「いてっ!?」
 まだ節々が痛い。とても、動けそうにない。
「今更、新しい勇者を擁立するのは不可能だろう。あとはカイト、君を殺せばミッションコンプリートだ」
「……」
「カイト。馬鹿な君にも、わかるように教えてあげよう。お前はここで、死ぬんだよ」
 一瞬で距離を詰め、耳元で囁いてくる三毛猫。
「ぐぅっ!」
 ぐんと、手のひらで腹を押された。それだけで俺の腹部は大きく凹み、体がボロ雑巾のように吹き飛ばされる。
 滑りながら何度も地面に打ち付けられ、体はすでに満身創痍だ。
 勝てるわけがない。
「まだ死ぬなよ? お前はあの黒猫たちの前で、なぶり殺しにしてやる予定なんだから」
 恐怖と混乱に支配されそうになるのを、頭を振って必死に堪え、俺は思考する。
 落ち着け、落ち着け、落ち着け、落ち着け。
 この三毛猫の台詞通りなら、アカネちゃんたちが無事なうちは大丈夫なはず。
「きゃあ!?」
 図ったようなタイミングで女の子の悲鳴が上がる。見上げると、カスミちゃんが右肩を押さえていた。
「カスミちゃ……!!」
「よそ見するなっ!」
 遮るように拳が飛び、俺は数メートル先まで殴り飛ばされる。
「なめてるのか? 馬鹿にしてるのか? お前までっ!!」
 三毛猫が、突然気が狂ったように喚き出す。その声色に先ほどまでの余裕はない。
「雑種じゃないっつってんだろ!? 僕は、僕は三毛猫なんだ!」
 大声を張り、何度も何度も殴りつけてくる。どうやら雑種呼ばわりされることに強い劣等感を抱いているようだ。人間の世界でも血統種にこだわって雑種を馬鹿にする人がいるけど、猫の世界にも同じような差別や偏見があるのだろうか。
 とにかく、今はなんとかしてコイツの攻撃の手を止めさせなければ。そのためにはーー
「馬鹿になんかしてないよ、……キーン」
 痛む体を庇いながらよろよろと立ち上がり、俺は諭すように呼びかける。狙い通り、三毛猫の動きが止まった。
「俺がお前を馬鹿にしたことが、一度でもあったか?」
 そうやって会話を紡ぎながら、俺は頭をフル回転させる。
 多分コイツは俺を身動きが取れなくなるまで弱らせてからじゃないと白猫たちには加勢しない。けどこのまま時間稼ぎをするだけじゃ、先に上で戦ってる白猫たちがアカネちゃんたちに勝ったらアウトだ。形勢を逆転させるには、俺が合宿のときに引き出した、あの赤いオーラの力を使うしかないだろう。
 そこまで思考して、俺はアカネちゃんに見せられた記憶や感情を思い出す。
 辛いなんてものじゃなかった。悲しくて、痛くて、もうどうにもならないって、絶望すると同時に、あのとき確かに、ゆらゆらと燃えるものがあったはずだ。家族を殺した魔物たちや、そんな不条理を巻き起こした、世界に対する炎。怒りの、火種。
「……なんだよ、その目つきは」
 閉じていた目を見開くと、三毛猫はなぜか、俺を見てひるんでいた。
「僕に敵うとでも思ってるのか?」
 口調とは裏腹に、その声は震えていた。
「僕を、……僕をっ、馬鹿にしてるのか!?」
 アカネちゃんは言っていた。俺の力は強烈な感情によって引き出されるって。だったら、乗ってやる。
「そうだ」
「なんだと?」
「俺はお前を、馬鹿にしてるっ!!」
 叫んだ。叫んでやった。挑発に乗った三毛猫は髪を逆立てて顔を真っ赤にする。
「ふざけるにゃーーーーーーーーーーっっっっ!!!!」
 三毛猫の口調が崩れた。怒り心頭の様子だ。矛先が完全にこちらを向いている。これなら万一俺が戦闘不能になるようなことがあっても、しばらく時間を稼げるだろう。
「かかってこいよ、雑種!」
「にゃ!? にゃんだとぉ!?」
 フシャーと口を開けて鳴き、三毛猫は走り出す。怒りで気持ちが乱れているせいもあってか、その軌跡が今なら目で追うことができた。
 俺は感覚を研ぎ澄ましながら駆け出し、俺の中の炎を、右手の拳に集中させた。
「ーーーーお前は所詮、見込みゼロにゃんだよぉぉーーーーーーーーーーーーッッ!!!!」
 激情で茹で上がりそうな頭を、飛んでいる時みたいな勢いで吹く強烈な向かい風が冷やす。互いに猛烈に加速していく中、俺と三毛猫は真正面から激突した。

 衝突。爆発。真っ赤な閃光が迸り、俺は勝利を確信する。

 土煙が晴れると、立っていたのは俺だけだった。赤い奔流のようなオーラを纏った、燃え盛る俺が立っていた。
 その背後では、地面に突っ伏した三毛猫が伸びている。

 俺は、ーーーー勝ったのだ。

「っ、みんな!?」
 ふとアカネちゃんたちの戦う音が止んでいることに気が付き、上空を見やると、白猫たちとの激闘を終えたアカネちゃんたちが下りてくるところだった。
「白猫なんかに遅れは取らないにゃ」
「カイトも暴走せずに力を引き出せるようににゃったことだし、早く王城に戻るにゃあ」
 ニヤリと、オオヤギさんの方へ笑いかけるアカネちゃん。オオヤギさんは不機嫌そうにそっぽを向いたものの、さっきまでほどは怒っていないようだ。
「あぁ、行こう。ブラッタ王城へ」
 俺が意気込むと、オオヤギさんを含む全員がうなずく。
 空はまだ曇ったままだけど、俺の心は晴れ始めていた。
 どこかギスギスしていたみんなの心も、今は少し、ましになった気がする。


 俺たちの戦いは、まだ始まったばかりだ。

メイド喫茶に出会いを求める俺は間違っているのだろう。

執筆の狙い

作者 金川明
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ライトノベルのつもりで書きました。
話としてまだ完結していませんが、大きな区切りがついているため投稿させていただきました。
スランプなのかなんなのか、最近自分の文章に自信がなくなってきており、ここまでで一度皆様の感想を聞かせていただきたいと考えております。
よろしくお願いいたします。

コメント

ネッコ・フィリックス
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 読ませていただきました。
 
 一時期はライトノベルスも少し手元にあったのですが、本棚の模様替えで売却したり、友達にあげたりしたので、あまり役にたたないかもしれませんが、ご了承ください。

 まず、重要なのは読ませる力が作者さんにあるかどうかですが、ぼく個人としてはあると思います。ただ、世界観に特異性があるかといえば、ないと申し上げるしかないです。キャラクター造形も、紋切り型で突出したものがありません。

 STEINS;GATEというゲームだし、アニメになった作品がありましたが、猫耳メイドが登場するのですが、あくまでも職業的メイド喫茶従業員であって、シリアスな場面ではニャンという語尾を使ったりしないというメリハリがあります。
 四六時中ニャンニャン言われると、個人的にはなんだか疲れます。

 ただ、個人的にはキーンという、外国人がシニカルで良かったです。デュラララ!!という作品のサイモン・ブレジネフという登場人物を思い出しました。普段は温和なんですが、キレると怖い登場人物です。

 Fateみたいに、猫さんたちをサーバントのようにして、複数人マスターを登場させてみたらいかがでしょうか?
 群像劇にしてみるのも手かもしれません。

 ただ、BSでちらと観た、デート・ア・ライブという作品もあるようなので、キャラクター造形次第では、バケルかもしれません。

 個人的な趣味を押し付けてしまって、申し訳ありませんでした。

金川明
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ネッコ・フィリックス様、コメントありがとうございます。

>世界観に特異性があるかといえば、ないと申し上げるしかないです。キャラクター造形も、紋切り型で突出したものがありません。

おっしゃる通り、もう少しオリジナリティあふれる世界観や目を引く特徴的なキャラクターが欲しいところですね。


>シリアスな場面ではニャンという語尾を使ったりしないというメリハリ

考えてみるとキーンの『お前は所詮見込みゼロにゃんだよ』のにゃんなどが気になりますね。意識すればにゃんと言わなくても喋れるという設定ですし、にゃんと言わないキャラもいるわけですから、おっしゃられているようにメリハリをつけた方が良いかもしれませんね。


>個人的にはキーンという、外国人がシニカルで良かったです。

ありがとうございます。このようなコメントをいただけているということは、キーンは紋切り型なキャラクターに当てはまらないということでしょうか。他のキャラクターたちも彼くらい尖った一面が欲しいですね。


ここまで書いてしまったので今から世界観に大きな特異性を持たせることは難しいかもしれませんが、キャラクターに尖った一面を持たせることは一部を修正すればできそうですね。
参考にさせていただきます。ありがとうございます。

ネッコ・フィリックス
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 すみません、部分的には為になる文章があったのですが、全体的に流し読みしてしまったので、ぼくには感想を書く資格がなかったです。
 特殊設定の造語の類が苦手なもので、申し訳ありませんでした。
 細部が目を引いたので、自信は持っていいと思います。

金川明
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ネッコ・フィリックス様 

いえいえ、流し読みであっても、大変参考になるコメントであることに違いはありません。
ご指摘は的を射ているように思います。

ありがとうございました。

偏差値45
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>メイド喫茶に出会いを求める俺は間違っているのだろう。

『ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか』
これをもじった感じでしょうか。
でも、方向性が違うので、
「うーん」という感じですね。

一人称か、三人称か、という問題。
気にする人もいるかもしれないですね。

その為かな。
>アカネちゃんはその赤い髪と赤いテーマカラーのメイド服から一発でわかったが、残るコバトちゃんとオオヤギちゃんはどちらがどちらかわからなかった。

テーマカラーであることは、着用している者しか分からないので、
おかしいかな、と思えますね。

で、感想。
途中で挫折ですね。根性ないので悪しからず。
個人的には、刺さらなかったかな。

金川明
ac090152.dynamic.ppp.asahi-net.or.jp

偏差値45様、コメントありがとうございます。

>方向性が違うので、「うーん」という感じですね。

そうですね、本編の内容ともそこまで関係ないですし、このタイトルは適当ではないように思います。改題することにします。


>テーマカラーであることは、着用している者しか分からないので、おかしいかな、と思えますね。

ご指摘の通りですね。テーマカラーを配色に修正しました。


>途中で挫折ですね。根性ないので悪しからず。個人的には、刺さらなかったかな。

最後まで読んでいただけるだけの作品になるよう精進いたします。


ありがとうございました。

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