リフ・リフレクション
痛みを知らないひとがいる、危機センサーが壊れているからわたしがおびえて代わりに泣きじゃくる。たぶん自分は涙をながすことが好きなのだとおもう。
この世には思いがけない不幸がたびたびおとずれる。
B判定を取れていたのに落ちた試験。
過失ゼロの貰い事故で廃車になった原付、欠けた糸切り歯。
先月のカードの引き落としが信じられなくて、しばらくの間まなこを落とす銀行通帳。
もう慣れっこだ、とその都度いくら自分に言い聞かせても本質てきな解決にはならない。
それは季節のめぐりや、二つや三つのいろを絶えず周期する交通信号のようなただの摂理であり。わたしはもっとこのせかいに慣れなければいけないとその都度きづかされるのだった。
そうしてあるとき眠りから醒めると、感情がない人間が感情のない生物の死体を見下ろしている。あさというにもまだ早い未明。ガタゴトという物音にベッドを出るとキッチンのシンクには、きれいに洗われた水槽が雫もたわわなままで伏せ置かれていた。そこですでに或るていど予感はしていたのだ。居間のドアをあけて、彼がもう三年も水槽で飼っていたカエルが先ほどに死んだらしいことを知る。こういうときにはもう一度ベッドに潜り込むか、それが許されないならもうとっとと。すっぴんのままでいいから職場へウキウキとまろび出たくなる。いやいや職場がひらくのは数時間さきだし、寝不足で働くのはかったるいなあ。まだ有給あるしズルやすみしてしまおうか。そうできるだけ、目の前のじょうきょうと無関係なことばかり考るように努めるのだけど、いい加減がまんが効かない。ティッシュペーパーで包んだカエルの死体を、それを扱いかねるように見おろしているのをみて、わたしはなんだか泣いてしまう。あの名状しがたい感情におそわれてしまった。
わたしは泣くのが好きだ。だって、かわいそうなもののために涙を流すのは心地よい。其れはじぶんのために泣くのとちがい、あざとさや醜さをあまり自覚せずにすむ。
というわけで、あんなカエルなどたまに横めにその存在を認めていただけでまったく世話を焼いたわけでもないのに『まったく、いろいろ上手くいかねえな』というあのきぶんにすっかりなってしまったのだ。宿命的におとずれる悲劇、避け得ぬ運命ってやつに翻弄される『かよわい人間』というあまい陶酔と自己憐憫。それで、
ねえわたしも、もう死んだほうが良いのかな、といつも胸のなかでおまじないのように繰り返してる想念までもが思わずくちに漏れてしまう。それで、
え? と彼がこちらに向く。
あ、いやごめん言い間違え『そのカエルはもう死んでいるね』と言いなおした。
そんな言い違えってある? 彼はそう鼻白んで「でもって、なんであんたが泣いているの。」と問う。
なんで、って。
「一度もエサをあげたこともないのに」
そりゃ朝晩かおを見ていたし。
「それで見るたび、気持ちわるいって言ってたじゃん。」
そこはそこ、だってぬめぬめしているし、
「べつに触ったりしないくせにな」
触らなくても見るからにぬめぬめしているし、あっちもきっと触られることを望んでなんてなんていなかった。
「でももう、カエルの方は頓着したりしない。触ってみる?」
そう死体を乗せたティッシュのおくるみが差し出されるのに、おそるおそるとその白いおなかに触れると、皮膚の表面はすでに乾きはじめていた。死んでるね。そう感想を告げると「うん、」と納得したようにうなずいて、明日の可燃ゴミのごみ袋にそれを入れてしまうのにわたしはびっくりして、
つぎも飼うの? まるで思ってもみないコトをそう訊いた。
「わからない。」
「そうかじゃあ、記念にお墓に埋めてあげなよ。」だって食べ残した刺身と同じあつかいってどうか。
「それは人間の慣習だ、カエルはきっとそんなこと望んでいない。だいたい墓なんてどうするの。庭なんてないのに。」
「でも、もう三年じゃん。」人間と住むことを望んでいない生きものを三年も人間のつごうで飼っていた、じゃあ最後まで人間の作法でやるのがまっとうな傲慢さというものだ。
「三年」と驚いたように彼がいう。「そんなに経ったんだ」
そうだよもう、おまえがポスドクになってから。そして過去がどれだけ風化埋没しても目のまえのいちにちの長さは変わらない。さあ次の一日をはじめよう。わたしは手近なティッシュボックスから一枚を引いたが目もとはすっかり乾いており代わりに形だけで鼻をかんだ。そのパルプ繊維ごしに、死んだ両生類のすこし生臭いにおいが鼻さきを掠めた。
まだうす暗い河原にちいさな穴を掘る。園芸ようのスコップが土のなかの小石を押し分け草の根をブツブツと絶つ感触がひじに響いた。穴を掘るなんて久しぶりだし墓穴を掘るのなんてはじめてだった。
彼がいよいよ埋ずめるまえのティッシュのくるみから小石のようなものを拾って川へと投げた。
「えいまの、なに?」
「たぶん、タニシとか。そういう小さな巻き貝」買った水草かなにかに卵がくっ付いていたのか、ずっとあの水槽に居たらしい。「どうせ陸では生きられないから」カエルを埋める彼のかおはミレーの種まく人の農夫のように暗く逆光でかげって見透かせない。
「知ってる? どこから来たかもわからない生きものを放流しちゃあいけないんだよ。」
「知ってる。公共の土地にかってに動物の死体を埋めるのもいけない。」
「うんだから、ないしょだよ?」ああ、いいなあ。罪ぶかくって、葬式っぽくなってきたよっ。
死によって死をいたむときに特有な感情のポートがひらく、妄執と空想で満ちたあたまがやがて内圧を越えて、あっちがわに繋がる。もっと世話してあげれば良かったというありもしない悔恨とか、存在するはずもない感情の交流の記憶などが迷妄の回路をめぐりこの頬を生ぬるく濡らす。もちろん実際には、ああした虫のようなものと意志がかようわけはないのだ。まさか。そもそも犬や猫にだって感情があるというじっかんがないし、大半の他者についてもそうだ。なによりも、まずなにを置いてもこの自身についてーー
誰もいないうす暗い場所で余人に見せてはならないことをこっそり行ってときを進めていく。胸が昂る。ひと目につく明るみのなかではいつも空疎な、品行方正な振るまいだけを糸車のように回している毎日なのだけど。そんな日常が一旦そこで途切れ、わたしたちは共犯者として明け方の河原に墓標のない埋葬をおこなった。鏡ごしに手を触れたじぶんの像を撫ぜるようにして。
「気が済んだ?」彼がいう。
うん。わたしはうなずいて立ちあがる。作法、決まりごと、っていうのは斯うして少し欠けた人間でもそれを執り行えるようザツで荒いルールでつくられている。いちども真剣になったことのない人間が「フリ」だけでも、なにかをまっとうにこなしたという記憶をつくるためのおまじないなのだ。つまらない過去を後悔しないよう飾り付けるための。そうして形式は現実に拮抗する。しかしこんなのをあと何度くりかえすのか、このまま陽が昇らなければいいのに。
「そういえば、死にたいのですか?」かれが尋ねる。「さっきそんなコトを言っていた」
まさか、わたしはにまっと口もとだけでそうわらう。おまえだって、きっと最初からわたしと住むことを望んでいたわけではないのだろう。それとも此処でカエルのように死ねばきれいな思い出として弔って悼んでくれるのか。あるいは、それともいっしょにーー
川のさざめきに斜めに張りついていた陽に徐々に仰角がついてふ、とあるとき川底の石が透けた。あんまりにきらきらと澄んでおり護岸のふちに覗き込んでみる。すると生臭い、名もないただの河川だ。目を細くこらしても魚も巻き貝の一匹も見えない。指さきを鼻さきにあてるとあの死体のにおいはもう土に塗りつぶされてきえていた。
一日のはじまりだ。また一日がはじまってしまった。美しくみえていたのはせかいではなく視界をゆがませるこの涙のほうだったのに。
生きねば、生きるよ。きっととくに楽しくはないけれど、おや指のはらで閉じた目を鼻さきへ拭うと海水浴のあとのようにまぶたがすこしヒリヒリする。鏡むこうに赤くなった目じりを取り繕うのも自分のことをまっとうに慰めているようで嫌いではないーー仕事に出れば出たでからだが自動的に動いて人間を演じることに少しく感心する。
そしてつかれた。夜が来た。帰路は雨ふりで何処かで車に轢かれた生きものの腥いにおいがした。くるりと傘の柄を軸にからだを回すと跳ね飛んだ水滴が街路の油膜のような照り返しをさらに擾乱する。ほうらわたしはだいじょうぶ生きてる、生きてる。大丈夫。
きっとだれかのために泣けたからだ。三年飼ったペットがいなくなったときのあの姿に泣くことが出来たから。でもどこか物足りない、あの飼い主は涙どころか感傷さえみせなかった、もしかしてそれはわたしが、すこし率先してやり過ぎたためだろうか。どうしてまず彼がじぶんで悲しむまでわたしは其れを待てなかったのだろう。そう考えるとどこか後ろめたく、よし夕飯に好物でもつくってやろうとかんがえたのだ。しかし、きちんとギョーザの具材を買い揃えてきたハズなのに肝心の皮だけがどこにも見当たらない。最寄りのスーパーは閉まっておりコンビニにギョーザのかわだけなど売っていようハズもない。刻んだニラを豚肉に混ぜた餡をまえにわたしは途方にくれた。
やっぱいろいろと上手くいかねーですね。という感じでわたしは手を止めて立ち止まる。そうして『考える』ことをはじめてしまった。夜が進んでいく。もうつぎの明日が見えかかっている、
助けて。
まだ知らない。もしくはもう、わすれてしまった。じぶんのために泣いているこの少女を慰めるすべを。それを思い出すための糸口さえも。ああこんな夜が無数に待ちうけるのだな。死にたい。
どれだけ経ったのか、気づけばとなりにボウルで小麦粉をコネ始める彼がいる。
どしたの
「どうもこうも、ハラが減ったので」とその手を動かし続け「ギョーザの皮は、いぜん学校の実習で作ったことがある」
え、と。調理実習でギョーザつくったの? せっかくだから。もう少し映えるもん作らないとさー。
「まったく。そしてすごく面倒臭いから二度とやるものかと思ってた」
「ごめん」
「でも無表情に俯きつづけていられるのもいい加減めんどうだ」
そうか。じぶんもまた彼みたいに無表情な人間であることに指摘されるまで気づかなかった。そうして客観してみると。ふだんは無感動なまま折に触れてぶわ、と泣くなんて、タチが悪すぎだろ。ほおが熱くなった。
「カエルはもう寿命だしこんなあたりだろうな、って思ってたよ。」
「うん。それでもショックでしょ」想定外のことにびっくりして楽しみたいから生きものを飼うのであって、それは想定内の死を飲みこむための準備ではないはずだ。わたしはペットを飼ったことは無いが、もし飼ったとすれば其れが死ぬまえに世話するじぶんが死んだらどうか、とか想像してしまうに違いない。じじつ。いまじぶんが死んだらおまえはどうするのだろう、とやはりどこか考えてしまう。ひょっとしたら、そんな未来を心のどこかで待ち望んですらいる。
「あまり悲しまないんだね」わたしは言ってスプーンでボウルを浚う、スコップで土を掘るあの感触を手首がまだ覚えているが、あれよりはよほど滑らかでたやすい。しかし、ご存じだろうか、死んだカエルのはなしをしながらギョーザをつくっているといたく食欲が減退する。餡を包んだ皮があのまるく白い腹を連想させる。
わたしと彼は共同作業でアナロジカルな死体のやまを積み上げていく。フライパンに投入する、前歯と犬歯でざくざくに切り裂いた其れを舌で臼歯に運び擦りつぶして嚥下する。
おいしい、おいしいと囁きあいながら、時刻は日付をもうまたいでいる。死んだカエルはもう居ない。食感のつるりとした手捏ねのギョーザには酸味のつよいタレと多めの白飯がお似合いだ。道端で死んでいる生きものはあわれで気高いが、それを看取るものが居なければ価値はないのだろうか。死の価値はそれを悼むものがいたという結果論に担保されるものなのだろうか。ああやっぱり『死にたい』なあ。しかしわたしはもちろん、そんなコトくちには出さずに麦茶で飲みくだし、
「結婚しようか。」言って、それいじょう真剣さをたもつことが出来ずに笑ってしまう。だってだって、こんなタイミングでギョーザを食べながらそのように語りうる口が存在するのか? 果たしてそれは此処にあった。しかも「結婚しよう」と尚もそう繰りかえすため、これでは言い間違いや聞き違えなどを装うこともできない。
なんで。案の定かれはびっくりというか、すこしギョッとしたような顔をする。
「だって結婚したなら、死んだらちゃんと悲しんでくれるだろうし。おまえが死んだらそのときはきちんとじぶんのために泣ける気がする。」いつか過去を思いだして後悔しないように。作法でときの流れにあらがうために。形式は記憶に拮抗する。わたしがそう見つめると。
「いまやってる研究のはなしを、共産主義についての話をしてもいいかな。」彼がいう。
「どうぞ、どうぞ。このタイミングでそんな話題を持ちだす男はさいあくだと思う。」
「見解が一致して良かった。」彼はうなずいて、
「マルクスは、結婚という制度は女性がモノとして所有されるコトを正当化するための手段であると考えた。マルクスは国家を否定した、宗教を否定した、通貨を否定した、財産の個人所有を否定した。なので当然のように家族制度も否定する。家族制度こそが個人が個人を所有するという資本主義の原理のかなめであり国家の歯車の最小単位であったからだ。革命が真に達成されたあかつきには国も通貨も家族制度もそんざいしないのだと。でも彼自身は結婚して子もなしている。どう思う?」
「このタイミングでそんな話題を持ちだす男はさいあくだと思う。」わたしはそう繰り返す。
同意する、かれは言う。「そう。マルクスは、嘘つきだ。それは理想主義者だからだ。理想主義者は宿命てきに言行が不一致になる。ならざるをえない。現実に生きながら現実ではないことを語らなくてはならない。過去を刷新するものこそが未来であると考えるなら、未来を描くためにこれまであったすべてを否定するほかない」
「マルクスはもう死んでいる。」わたしは言った。「あなたの答えは?」
しかし彼のその、一片の感情もまじらない興奮のすがたをみてわたしの心は凪いで落ち着いていく。作りすぎたギョーザを冷凍しながら、食べるのは明後日かなだって、連日食べるのではスパンが早過ぎで気が進まない。だけどそれまでわたしは生きているだろうか、今日と明日とを隔てるあの河原の薄暮からそのような問いかけが降ってくる。
でもきっと、なんだかんだ言ってわたしが死んだら泣くのだろう? そんな泣き顔への予感が少しだけ、明日へのおそれを和らげてくれる。
命じたい、命じられたい。わたしはもうこれ以上わたしを所有したくない。奴隷でありたい、無責任な主人でありたい。このあたまのなかを空にしてくれるのであれば信仰でも思想でも構わない。ならそれが愛情と呼ぶことのできる何かであっても良いのではないかと思えたのだ。
この世には思いがけない不幸がたびたびおとずれる。
B判定を取れていたのに落ちた試験。
過失ゼロの貰い事故をして廃車にした原付、欠けた糸切り歯。
きちんとギョーザの具材を買い揃えてきたハズなのに肝心の皮だけがどこにも見当たらない買い物ぶくろ。思いがけない離別。わたしはきっと泣くことが好きなのだけれどじぶんのために泣くことのできた最後のときをもう、思い出すことができない。いつからわたしの涙はわたしのためのものでは無くなってしまったのか。それいぜんの自分はどう生きていたのか。ともあれ、もうその理由を覚えていないけれど、たぶん自分は涙をながすことが好きなのだとおもう。
感情のない人間が感情のない生物の死体を見下ろしている。あさというにはまだ早い未明。キッチンのシンクには、きれいに洗われた水槽が紅い雫もたわわなままに伏せ置かれている。こういうときにはもう一度ベッドに潜り込むか、それが許されないならもうとっとと。すっぴんのままでいいから職場へウキウキとまろび出たくなるな。いやいや職場がひらくのは数時間さきだし、寝不足で働くのはかったるいなあ。まだ有給あるしズルやすみしてしまおうか。
けっして眠ってはいけないタイミングの微睡みに身を委ねることほど心地のよい堕落はない。
かくしてきょうも訪れる幸福につぐ幸福、わたしはいつまで其れに耐えられるのだろう。
執筆の狙い
十五枚ほど。
この小説には物語がありません。空っぽです。やはりなにも書きたいものなど無かったのだと、そう感得するほかない。 忌憚のないご意見を賜れればさいわいです。