作家でごはん!鍛練場
中小路昌宏

ヤブ医者

ヤブ医者

「先生、お願いします。」
 診察室から声が掛かった。諸岡医院の自宅と診察室は廊下を隔てて五メートルほどしか離れていない。
院長の諸岡達三は、ときたま診察開始時間になっても、新聞を読んでいて気がつかず、うっかり遅れてしまう事があるので、十分前になっても行かなければ呼んで貰うことにしていた。
土曜日はいつも込み合う。仕事の関係で土曜日にしか来られない患者がいるのと、十一時半には受付終了となっているからだ。
その日も診察開始の九時前にすでに十二人分のカルテが出ていた。今はどこでも電子カルテが普通だが、諸岡はパソコン操作が面倒なので昔ながらの紙のカルテを使っている。最初の患者は初診の五十代男性だった。そして三人目のカルテを見て、おや? と思った。碁仲間でもある片岡修三だったからだ。いつも片岡が来るのは診察時間終了間際だ。診察後に碁を一局か二局、ビールを飲みながら対局することにしていたからだ。
最初の患者は、近くにある旅行代理店の支店に最近赴任してきた営業マンだ。高血圧と糖尿病の薬が欠かせないと言って、前任地の医者が書いた診断書を持ってきたので血圧を測って採血をした。薬はまだ一週間分ほどはあるという事なので、血液検査の結果を見て来週もう一度来てもらって、薬を処方することになった。
その次に馴染みの高齢患者の診察をして片岡の番になった。
「おや、片岡さん、今日はどうしました?」
「なんかよく分からんのやけど、胃がキリキリと痛むんですよ」
「いつから?」
「夜中の三時ごろからかなぁ」
「昨日は何を食べましたかね?」
「昨日は金曜日やったから友達と飲みに行って、なんや色々食べましたよ」
「刺身なんかも食べましたか?」
「うん、肉も刺身も天ぷらも食べました」
「ほう、だとしたら食べ過ぎかな?」
「けど先生、俺今まで食べ過ぎてもこんなに胃が痛くなったりしたこと無いんやけど」
「そら今まではそうやったかも知れんけど、あんたももう歳やから胃が弱くなっているのかも分からんですよ・・・・心配やったら胃カメラ飲んでみますかね?」
「ええっ、食べ過ぎかどうか、胃カメラで分かるのですか?」
「いや、そうじゃなく、アニサキスかも知れんからですよ」
「ちょっと待ってよ。胃カメラはどうも・・・・」
「じゃあ、しばらく様子見て見ますかね? アニサキスやったらもっと激しく痛むはずやから、たぶん、ただの食べ過ぎやと思うけど、消化剤出しとくからそれ飲んでしばらく横になっていれば・・・・たぶんそれでお昼ごろには楽になると思いますけどね」
「分かりました。ところで先生、今日は、診察は午前中だけですね? もし治ったら午後に一~二局どうでっしゃろ?」
「ええっ、そんなに元気なら大丈夫や。いいとも、二時過ぎたらいらっしゃいな」
「いや、明るいうちの対局やったら俺のうちへ来ませんかね」
「おっ、それはいいな、お宅の庭を眺めながら打つのは最高や。でも、ビールは駄目ですぞ。四~五日は胃を休めないとね」
そうして片岡修三は帰って行った。

片岡はメッキ工場を経営していた。今は息子が社長をしていて修三は息子の邪魔にならない程度にときどき顔を出している身だ。彼の大きな屋敷にはよく手入れされた広い庭があり、池には鴨が泳いでいた。アルコール臭い診療所の応接室で対局するよりはずっと気持ちがいい。
「顔色も良くなったし、やはり、食べ過ぎによる胃の疲れだったようですね。もう、すっかり楽になりましたかね?」
「すっかり、という訳ではないけど用心のためお昼はそば一杯だけにしておきました」
「そうですか? で、今日は私の白番でしたね」
諸岡と片岡は、棋力はほぼ拮抗していたので、いつも一番手直りで打っていた。互先で対局した場合、勝てば白石を持ち、負けた方は、次は黒を持つ。さらに負ければ二目の置き碁となる。
その日の片岡は強かった。お腹が空いているときには、頭は冴えてくるようだ。長考の末、結局、二連敗した。
「いやあ、今日は完敗や。悔しいけど、でも楽しかった。元気になってよかったですね」
「先生、大丈夫ですか? 今度行った時、痛い注射をするなんてことは無いんでしょうね」
「おっ、その手があったか? うん、その手を使わせてもらおうかな?」
「冗談言わないで下さいよ。いや、注射は看護婦さんに打って貰うからいいけど」
・・・・・・・・・・・・・
達三が諸岡医院を開業したのは三十年前、彼が三十三歳のときだ。だが今も開業当時のままの、看護婦三~四人だけの小さな診療所だ。地元密着の内科医院として定着し、通ってくる患者が増えてきた。しかし彼は、自分ではヤブ医者だと言っていたし、事実そう思っていたので、診断の難しい患者には県立病院か大学病院など設備の整った大病院を紹介してきた。これ以上患者を増やしたくはなかった。
患者にとっては謙虚にヤブ医者だと自認する諸岡の方が、安心できるようだ。
彼には患者を増やして病院をもっと大きくしようという考えはない。息子は東京の大病院に勤めているが達三の後を継ごうという気もないらしい。七十歳ぐらいまで続けたら、病院を閉めるつもりだ。だからこれ以上患者を増やしたくない。

次の週の木曜日の朝、片岡から電話が掛かって来た。木曜日も午後は休診にしている。
「先生、こんにちは。今日は木曜やから午後はお休みですね。よかったらうちへ来ませんか? 紹介したい人もいるんですけど」
「そうか、じゃぁ寄せてもらうかな?」
昼食を終えて、ぶらぶら歩いて行った。片岡邸は諸岡医院から歩いて十分ほどの距離だ。
行くと二人の見知らぬ男がいた。
「先生、紹介します。こちらが小説家の遠藤さんです」
遠藤と呼ばれた男は
「いや、二冊ほど売れない本を書いただけで、小説家なんて言うもんじゃないですよ。ニセ小説家の遠藤です」
と言った。
「それからこちらは俺の後輩で建築設計の仕事をしている加藤君です、加藤君は強いですよ。俺は大体二目置いて打っているんやけど、それでも三回に一回ぐらいしか勝てないんですよ」
「そうですか? 私はヤブ医者の諸岡です。よろしくお願いします」
「二人とも木曜日の午後は大体いつでも空けられると聞いたので、先生も交えて四人で木曜碁会というのをやろうかと思ったんやけど、どうですか?」
「そうか、いいね。この、片岡さんの座敷で庭を見ながら打つ、というのがいいわ。四人で一局ずつ打てばみんなが三局ずつ打つことになるというわけですね。・・・二時ぐらいから始めると終わるのは五時ぐらいか? だったらどうですか? 星取り表を作って毎月の優勝者を決めて、それをもとに手合い割を決めて打ったら面白いと思いますがね」
こうして毎週木曜日の午後は片岡邸で碁を打つことになった。最初のスタートは片岡の提案で、加藤が四段、諸岡と片岡が三段、そして遠藤が二段ということになった。
その数日後、市の医師会の例会で二人の碁仲間に声をかけて見た。ひとりは諸岡医院と同じ木曜午後を休みとしている埼玉医院の埼玉寛之だ。そしてもう一人は県立病院勤務の大井田勉だが、診察のシフトを調整すれば木曜日の午後に休みを取ることが可能だ。埼玉は初段、大井田は四段と言っているが諸岡は対局したことは無く、噂では相当強いらしい。
諸岡は次の木曜碁会に二人を連れて行って皆に紹介した。こうして発足間もない木曜碁会はたちまちメンバーが六人となり賑やかな例会になった。参加者みんなが例会の日を待ちわびる楽しい碁会となった。

木曜碁会が始まって二か月ほど経った。参加者は皆、この日を楽しみにしていて、休む者はほとんどいなかった。他の者はよく似た棋力だが大井田はやはり強かった。今はここでは五段として打っている。
その日三時ごろ、盤面を睨んでいた仲間たちの耳に消防車のサイレンが聞こえてきた。サイレンはだんだん近づいてきた。片岡邸の前を通り越して諸岡医院の方へ向かっているようだ。
諸岡はちょっと心配になって来た。今日は、妻はゴルフに出かけている。月に一度の仲間との例会日だそうだ。だから家には誰もいないので、出る前に厳重に火の元を点検し、戸締りもしっかり見てきた。自分の家が燃えるはずは無いと思っていたが、
「なんか心配なのでちょっと見てきます。どうもうちの近くが燃えているんじゃあないかな。・・・何ともなかったらまた戻ってきますから遠藤さん、この盤面はしばらくこのままにしていてくれませんかね」
と言って足早に自宅へ向かった。ところが、行けば行くほど自宅に近い場所が燃えていることが分かった。まさかと思ったが燃えているのは隣家の魚屋だった。魚五というその店では店の前にバーナーを出して客の目の前で魚を焼いて売っていた。どうやらそのバーナーのプロパンガスが爆発したらしい。
炎は激しく燃え上がっていた。火の勢いが強いので諸岡宅にまで延焼し始めていた。何とかカルテだけでも持ち出そうと思ったが消防士に止められ、目の前で自宅の焼け落ちるのを見ている事しか出来なかった。
木曜碁会の仲間も、どうやら燃えているのは諸岡医院らしいと聞いたようで、みんな集まって来た。
「いやあ、大変なことになりましたなあ」
「ほんと、まさか先生のところまで焼けてしまうとはなぁ」
「けど、先生も奥さんも無事やったんで、これは不幸中の幸いというべきなんかな」
「幸いなんちゅうたらいかんわ。明日からここの患者さん、行くところが無くなってしまうがな。それと、隣の魚屋さんではご主人が大やけどしたらしいんやで」
諸岡の自宅兼医院はほとんど全焼といっても良かった。何本かの柱は燃え残っていたが家具類は激しく燃えた上に水を被っていて、廃棄処分するより仕方がないであろう。五時頃には鎮火したが消防士の検査が終わるまで、中に立ち入ることは出来ず、水浸しになったカルテを探し出すのは翌日となった。
取り敢えず今夜だけでも、という片岡氏の好意でその日は片岡家で泊めてもらうことになった。翌日からはアパートを借りるにしても家具も着替えも何もない。しばらくはホテル暮らしをしなければならない。

翌日、家が焼けたと聞いて東京の息子が帰って来た。
「父さん、これからどうする? 病院を続ける? それともどこかの勤務医になる?」
「ワシは、あと十年ぐらいは続けて、それで引退するつもりやったんやが、いまさら病院を新築してもなあ・・・だから少し早いけど、この機会に引退してしまおうかな」
「そう言うと思ったよ。いや実は俺の友達で佐々木っていうのを知ってるだろ? あいつは、今は北海道の病院にいるのやが、いつか自分の生まれたこの町で開業したいと言っていたんだ。だからもし父さんさえよければここで病院を新築して、父さんが理事長になって、佐々木を院長にして開業したらどうかと思うんだけど、どうだろう? 父さんにその気があるのならすぐ連絡してみるけど」
「うん、それはいいけど、ワシはもう、あんまりあくせく仕事したくないんや・・・身体もだいぶ弱って来たし・・・」
「まあ、それは佐々木とも相談して決めればいいけど、ただあいつには病院を新築するほどの金は無いと思うから、建物は父さんが建てて病院へ貸す、という事になると思うんだが、それはどうだろう」
「そうか、お前に任せるよ。だがくれぐれも言っておくけどワシの診察はせいぜい週三日か四日ぐらいにしてくれんかな?」
翌日、数軒先の空き家を借りて、水浸しになった診察室から取り出したカルテを運び込んだ。片岡も手伝ってくれた。びしょびしょのカルテを元通り復元できるかどうか危ぶかったが、大体の記載内容は記憶していた。訪ねて来る患者もいたが診察の道具はすべて焼けてしまったのでそこでは診察は出来ず、希望を聞いて近くの他の診療所を紹介した。患者の状態によっては直接その病院へ電話で知らせた。

息子の紹介を受けて、北海道の大学病院に勤務していた佐々木が、打ち合わせのために帰って来た。彼はこの町の米屋の次男坊だ。彼の兄貴が米屋を継いだが、今はもう、米屋は廃業してアパートを経営していた。
佐々木のことは子供時代からよく知っていた。息子のところへ遊びに来ていたが、なかなかのやんちゃ坊で、近所を走り回って、いつも擦り傷を作っては諸岡が薬を塗ってやっていた。
「先生、お久しぶりです。昔はお世話になりました」
「おう、佐々木君か? すっかり変わったね? 今は北大病院だとか? 専門は整形外科かな?」
「はい。ですが内科と小児科もやります」
「君は確か・・・海山学院の医学部だったね、新しい大学だが、なんであそこを選んだのかな?」
「はあ、それは、高校の推薦で奨学金が出たからです」
「ほう、しかし奨学金と言っても返済しなければいかんのじゃないかね」
「ええ、ですけど無医村の僻地の島で3年間勤務すれば免除になるんですよ・・・それで、北海道の安満尻島という人口わずか220人の島で、インターンのあと3年半勤めて、それから今の北大に変わったんですよ」
「安満尻島かぁ、それは大変だったなあ、けど、いい勉強になったじゃろ」
「ええ、そりゃもう、内科だ、整形外科なんて言っている訳にいかず、歯科と眼科以外はなんでもやりました。急に産気づいた人もいたのですが、逆子だったんで産婆さんでは手に負えず帝王切開の手術までやりましたよ」
「えーっ、そんな事まで・・・・よく出来たね」
「はあ、今思っても冷や汗が出ますよ。産科の教授に電話でひとつひとつ聞きながらするんですが、幸い看護婦さんは前にも立ち会ったことがあると言っていたので、産婆さんとの三人掛かりでどうにか無事取り出せました。
「そうか、しかしいい経験になったね」
「はあ、それはもう・・・・」

佐々木が考えてきた設計図によると、今の諸岡医院兼自宅の敷地300坪のうち60坪を使い、2階建ての中規模の病院を建てようというものであった。当初は内科だけで開業し、ゆくゆくは整形外科や他の診療科目を増やして行く予定だが、資金面については全面的に諸岡が頼りという事で、建物や駐車場整備などで七千万円、医療機器や備品などは最低でも一億二千万円ぐらい必要なので、出来れば二億五千万円ぐらい用意してもらえないかという事であった。
火災保険が五千五百万円下りるのと彼自身の定期預金が一億ほどあったので、借り入れは多くても一億ちょっと、土地を担保に入れれば無理のない金額と思われた。
計画が本決まりになったので、佐々木は、北大病院の退職の手続きをして帰って来た。そして実家のアパートに空室があったのでそこに住むことになった。病院経営が軌道に乗るまではアパート住まいを続けるという。
工事が始まった。七千万の予定が少し増えて七千五百万円ほどになったが、佐々木も、北大病院からの退職金もあって二千万円だけは用意出来たので、建物の建築資金だけは保険金を使えば賄えることになった。
1ヶ月ほどは休んだが、その後再び毎週木曜日の午後には片岡邸での木曜碁会に参加するようになった。
木曜碁会にはその後さらに一人増え、佐々木もまだ初心者だが参加することになって八名になった。病院が開業すれば佐々木は来られなくなるだろうが、それは仕方がない。
秋になった。基礎工事が終わり、柱が建てられ、屋根が葺かれた。屋根さえ出来れば、この後は天気に左右されず内装工事を続けることが出来るので、予定通り、翌年五月ごろには開院できる見通しとなった。
一方、その頃、木曜碁会で喜ばしい出来事があった。ニセ作家と言っていた遠藤の短編が東南新聞社の文学賞に入選したというのである。
「トーナン新聞社? なんだそれは? なんか盗まれたのか?」
「いや、その盗難でなく東南、つまりM県かどこかの小さな地方新聞社らしいんですよ。だから大した賞ではないんやけど、そのことが今朝のF新聞に出たもんやから、今まで発行した二冊の単行本が急に売れ始めたという話なんですよ。今日の例会を休むって言ってきたから、なんで? と聞いたらそういう訳だって言うんですよ」
「ほう、それは目出たいじゃないか」
遠藤は一回休んだだけで翌週の例会には顔を出した。
「文豪先生、凄い評判なんだってね、こんなところに来ていていいんですか?」
「からかわないで下さいよ。たまたま新聞に名前が出たので本屋さんが気を利かせて、前に書いた二冊を店頭に山積みすると言ってくれただけなんですよ。それで慌てて自宅に残っていた三十冊ほどを持って行ったという訳です」
「なるほど、でも、それが売れるきっかけになるかも知れませんね」
「そうなるといいんですが、そんなうまい事いかんでしょう」
「それで、その入選した作品というのはどんな小説なんですかね」
「いや実はお恥ずかしいんですけど、『ヤブ医者』というタイトルで、この木曜碁会の様子を少し、面白おかしく変えて書いたんですよ」
「へえ、それは面白いね、じゃあ、私らもその中に登場するのかね?」
「はあ、諸岡先生の代わりに服部先生という、ちょっとスケベな先生を主人公にしてあります」
「おいおい、ひどいなそれは?」
「大丈夫ですよ。誰も先生のことだとは分からないし、この服部先生というのも凄くいい先生で、親身になって患者さんの悩み相談にも乗ってくれている名医なんですよ」
「じゃぁ、スケベというのはどういう事なんだ」
「はあ、この先生はいつも、あいさつ代わりに看護婦さんのお尻をペロッと撫でる癖があるんですよ。実はそれで看護婦さんがキャッと叫ぶのを見て、患者さんがにっこり笑って元気が出るという、そういう事までちゃんと考えてやっているという訳なんですよ」

諸岡医院の跡地に建てられることになった太陽病院は、予定通り、火事から一年半経った翌年五月に完成した。最初は内科だけだが、一年後ぐらいには整形外科も診察開始出来るように、リハビリの部屋を用意し、機器類も備えた。明日から診療開始という日、病院前には多くの花輪が並んだ。医療機器や薬品会社から十数社、院長の前任地の北大病院の職員一同、出身校である海山大学医学部、それにどこで聞きつけたか、安満尻島の住民一同からの花輪まである。
木曜碁会の連中もお祝いに来ていて、諸岡理事長から最新式の設備の説明を受けてしきりに感心していた。

開院当初、日曜日と祝日以外は休まず、土曜日は午前中だけ診ることにした。最初は外来だけだが、いずれは入院患者の受け入れも必要になってくるかも知れないと思って二階に入院用の病室も用意した。院長の佐々木は毎日出勤するが、諸岡は月水金の週三日と決めた。ただし、混み具合によっては木曜と土曜日も、午前中だけ診察する場合もある。もちろん、木曜日の午後は、余程のことが無い限り碁会の方に出掛ける。
昔からの患者は諸岡の診察日に合わせてやって来るので、月水金はなるべく休まないようにしなければならない。

諸岡には病院開設と同時に計画していることがあった。建物も医療機器も、ほとんどは諸岡の出資で開院を迎えたため、諸岡には家賃ほか医療機器の使用料、そして彼自身の診療報酬も入る。そこから借入金を返済しても手元には月々百万円以上残りそうな見込みだ。彼と妻との二人だけの質素な生活では有り余る金額だ。
そこで社会福祉法人を設立登記して専任の担当者を常駐させて、病院内の1室で、医療や福祉、介護、子育て相談や高齢者の生活相談など、さまざまな福祉活動の無料相談窓口を設けようというのであった。
諸岡医院が火事で焼けてしまったときには、もう引退しようかと思っていた諸岡だったが、病院経営に対する佐々木の情熱にほだされ、周囲の人々の期待の声を聞くうちに、もうひと頑張り、地域の人たちに役立つ活動をして見ようかという気持ちになったのであった。

ヤブ医者

執筆の狙い

作者 中小路昌宏
124-241-080-125.pool.fctv.ne.jp

 医学会のことも、病院経営のことも、何も知らずに書いているので、大丘先生から見ると、これはオカシイ?と思うところがあるかも知れません。

 お目に留まったらひとことコメントをお願いできませんか?

コメント

大丘 忍
p4183129-ipoe.ipoe.ocn.ne.jp

拝読しました。良かったですね。諸岡先生、私から見れば良い医師人生を送られておりますね。金儲けに拘らず、医師間の出世競争にも惑わされず、悠々自適の医師生活。これは私も願ったことでした。
今から五十年昔、大学の指令に従って大病院に勤めるか、それとも研究室に残って研究者になるか。随分迷いましたが、結局同級生と現在のクリニックを始めることにしました。それからはのんびりと開業医を五十年務め、近隣の患者から慕われておりましたが、さすがの八十台も後半になると耳も遠くなり、現役の医師は困難で引退を考えました。しかし、事務長から「何もしないでよいから毎日顔を出すだけでよい。先生の顔を見るだけで安心する患者が沢山いるんですわ」といわれ、毎日送り迎えしてもらって出勤?しております。そんな私の環境を思い出してほほえましくなりました。
医療内容など特におかしいところは無く私は面白い作品だと感じました。続きがあれば又書いてください。

中小路昌宏
124-241-080-125.pool.fctv.ne.jp

 有難うございます。

 実はこっぴどく叱られるのではないかと、覚悟していました。以前私も参加していた碁の会は半数ぐらいが高齢のお医者さんで、その時の雰囲気を思い出しながら書きました。

 続きについては、今は全く構想が浮かんでいませんが、そのうち・・・・考えて見ます。

南の風
softbank060091003055.bbtec.net

読ませていただきました。後半は少し専門的なお話もあり、飛ばし飛ばし読みましたが、なかなか素敵なお話でした。 以前住んでいた家の近くにも地域の医療に貢献して、高齢になってもみんなから慕われた女医さんがいました。

私自身、この作品に登場する人物ぐらいの年齢になると、地域のために地域の人々に貢献するお医者さんのなんと素晴らしいことかと感心します。幸い今の私の主治医の先生は高齢ですが、後継者はとても優しく好評です。

ちょっとだけ残念なのは、地域の人々に評判のいい医院はいつも賑わっていて、待ち時間が長いことです。この二律背反は仕方がないことだと思っています。 素敵な作品を読ませていただきました。ありがとうございました。

中小路昌宏
124-241-080-125.pool.fctv.ne.jp

 南の風さま、ご講評、ありがとうございます。専門外の、お医者さんを主人公にして書いたので、皆様からどう評価されるかも分からず、ここは辛口のコメントを頂くことが多いので、首を竦めて、次は何を言われるかと、ビクビクしながら様子を窺っていました。

 大丘先生からもお墨付きを頂いたようなので、機会があれば、またこういう作品にも取り組んでみたいと思っています。

ドリーム
softbank126077101161.bbtec.net

拝読させていただきました。

ヤブ医者、こだけで親しみを感じます。
自分でヤブ医者というから良いのでしょう。
つまり庶民的な医者と言う事ですね。
ちょっと駄目なが患者を待たせること(笑)

私が以前通って医院は、予定時間になっても診察しないです。
散々待たせたかと思うと患者には口が悪く最初は我慢してましたが
オラこんな田舎は嫌だじゃなくオラはこんな医者は嫌だでもう行きません。

碁が好きで仲間も多く良い人生を送ってると思ったら貰い火話は一転
再建築するか否か、医師の手配と資金のソロバン勘定
人情長屋ならぬ実業家魂が出て来たと感じました。

中小路昌宏
124-241-080-045.pool.fctv.ne.jp

 はい。私は小売人上がりですから、ついそっちの方向に行ってしまいます。

 アニサキスの話とか、帝王切開の話とか、適当に想像しながら書いただけなので、何か言われるかと思っていましたが、なんとか受け入れて貰ったようで、ホッとしています。

 コメント有難うございました。

ご利用のブラウザの言語モードを「日本語(ja, ja-JP)」に設定して頂くことで書き込みが可能です。

テクニカルサポート

3,000字以内