作家でごはん!鍛練場
ドリーム

祭囃子

 深夜の公園で男と女が言い争っている声が聞こえる。ただ恋人同士ではなく父と娘の二人だ。いや一方的に娘の方が攻めたてる。
 「どうしてなの! 余りにも身勝手過ぎるわよ。もうあれから六年よ。私達がどんな思いで過ごして来たか考えた事があるの?」
 「……」
 「何故黙って居るの。言い返せないという事は自分の非を認めているからでしょう」
 「仕方がなかったんだ。もう俺の事は忘れてくれ」
 「忘れろですって? やっと探しあてたのに、よくも母さんや家族を捨てて言えたものね。それならキチンとお母さんに言いなさいよ」
 そんな言い争いが二十分ほど続いただろうか。騒ぎが聞こえた訳ではないだろうが公園に一人の女がやって来た。年の頃は五十半ばだろうか公園の街路灯にその顔が浮かび上がった。ぶ然とした表情で言った。
 「義彦さん、何をしているの、待っていてくれと言ってから四十分よ。誰? この小娘は」
  カチンと来た。この人は誰なのなら、まだ許させる。いかにも敵視した言い草だ。
 「小娘? 貴女は誰よ、勝手に小娘扱いしないでよ。そうかあんたが父の女なのね。私達の家庭を壊した張本人ね」
 「あぁあんたが義彦さんの娘か。でも父の女とは何よ、気が強そうね」
 「貴女ね、父をたぶらかしたのは。父を返してよ。お父さんいい加減目を覚ましてよ、こんなおばさんの何処がいいの」
 「言ってくれるわね、それ以上私を侮辱したら例え義彦さんの娘でも許さないわよ」
 「貴女に言われる筋合いはないわ。親子の間に口を挟まないでよ」
 慌てた義彦は二人を止めに入った。だが小娘に言い返され怒った女は小娘こと翔子に殴り掛かって来た。だが義彦は逆に女を殴りつけた。
 「何をそんなに興奮している。俺の娘だぞ」
 「なっ何をするのよ! 私とこの娘とどっちが大事なのよ」
 「そう言う問題じゃない。殴り掛かる事はないだろう」
 「だからって私を殴る事はないでしょう」
 変な方向に事が進んで行った。でも翔子は嬉しかった。まだ父の愛情が残っていたと確信した。その喜びも束の間、逆上した女はバックからカッターナイフのような物を取り出し父に切りつけた。

 突然の出来事に父は交わす事が出来ず頬を切られ血しぶきが飛び散る。父が殺されると思ったのか、慌てた翔子は女に体当たりした。フイを突かれた女は一メートルほど飛ばされただろうか、運悪く近くにあるベンチに頭をぶつける。女はギャーと悲鳴を上げた。見ると頭から血が出ている。咄嗟の事だった。父が刺されると思い、つい女に体当たりしたのに、簡単に転がって頭をぶつけたのか女は動かなくなった。
「おい、八重子どうした?   駄目だ、意識がない」
「えっ ?  まさかこんな事になるなんて……」
女がグッタリとして顔が半分血だらけになって青ざめている。
 「翔子、逃げろ。ここは俺がなんとかする」
 「なんで逃げるのよ。早く救急車を呼ばないと」 
 翔子はスマートフォンを取り出した。だが父は止めた。
「翔子は止めに入っただけだ。何も悪くない。あとは俺がなんとかする」
 翔子も判断がつかないまま、その公園を去って行った。とんでもない事になった。些細な言い争いからが、こんな事になるなんて。
 家を出て行った父と六年ぶりの再会だった。本当は文句をいうつもりはなかった。でも私や母や妹がどんな思いで生きて来たか、それを思うと怒りが爆発したのだ。
それがこんな事になるなんて、それでも父は私を庇って現場からは離れるように指示した。まだ父として心が残っているようだ。


翌日、翔子は複雑な思いで仕事をしていた。あれからどうなったか父から何も連絡はない。その翌日新聞に小さな記事が載っていた。
 『都内の公園で中年女性が頭を打って死亡しているのを発見、事故か他殺か警察では両面の捜査を進めている』
 そう書いてある。あれ以来、父と連絡が取れていない。父がなんとかすると言ったのに死んだ人をほったらかして立ち去るなん信じられなかった。あの時、救急車を呼んでいれば良かったと後悔した。翔子はやはり自首するか悩んでいた。とても仕事をする気分になれない。翔子は会社に数日間の休暇届けを出した。もはや自首するなんて無理、遅すぎた。これから逃亡生活を続けるのか不安が募る。翔子は三年ぶりに実家に帰った。本当は真っ先に父と逢った事を話したかった。あんなことが無ければ……

 ピーシャラピーシャラと神社ら祭囃子の音が聞こえて来る。今は七月末、お祭りの多い季節だ。普段は殆ど人も訪れる事がない田舎の神社も今日ばかりは大勢の人々が神社にやって来て鳥居から本殿に続く道の屋台に群がる。その神社の境内では喉自慢大会が行われていた。若い者は流行りの歌を唄い老人は自慢の民謡を唄う。そして祭のクライマックスは二つの神輿が担ぎ出され一つは子供用の神輿で幼い子供達が大人に混じりワッショイワッショイと楽しそうに担ぐ、そして大人用の神輿は一回り大きく神輿の上に一人乗り一際大きな声でワッショイワッショイと見物人に向かって煽る。見物人もそれに合わせてワッショイワッショイの大合唱だ。

多くの人が浴衣を着て、また提灯や祭りで配られたうちわを持っている。そんな中、祭りには相応しくない格好をした一人の若い女が人通りから少し離れ場所で神輿を担ぐ若者たちの姿を見ていた。特に何をするでもなく呆然としている。
「あれ? 翔子じゃないの。いつ帰って来た。三年ぶりじゃない。帰って来たら一言声を掛けてくれればいいのに」
「ああゴメン香奈枝、連絡しなくて」
翔子と香奈枝は中学時代の同級生だ。翔子達の同級生の殆どは都会に出ていて、香奈枝みたいに地元の住んでいるのは珍しい。
「元気ないじゃないの、せっかくのお祭りなのにどうしたの? ハハァ失恋したな。どう図星」
「……」
「もう立派な大人じゃない。失恋の一つや二つで落ち込まないでよ。良かったら同級生を集めて飲もうか」
「ごめん、今そんな気分じゃないの」
「分った。気持ちは分るよ。でも田舎には気分転換に来たんじゃないの? わたし三日間休みを取ってあるの、気が向いたら遊びに来てね。翔子はいつまで居るの」
「ありがとう。特に決めてないの。帰るまでに必ず顔を出すから」
香奈枝は分ったと言ってその場を離れて行った。
香奈枝は勝手に失恋したと決め込んでいるようだ。考えて見れば翔子は恋人さえいない。好き嫌いで悩めるならまだ救われるが、翔子は今や殺人犯で逃亡者? いやそうと決まった訳ではないが状況的にそれに近い状態だ。でなければ皆が楽しんでいるお祭り会場で伏せたりはしない。

翔子はスマートフォンの電源を入れた。ラインを開けてみるとメッセージが入っていた。会社の同僚からである。
『翔子、今どこに居るの、もう有給休暇使い切ったでしょう。このままだとクビになるわよ。会社の人達心配しているよ。連絡くれる』
気が付けば有給休暇を使い切っていた。それさえも気が付かなかった。休みを取ってそのまま実家に帰ってきたわけじゃない。途中二日ばかり鳴子温泉に泊って来た。でも気休めにもならずやっと実家に帰って来た。
翔子は見終わる電源を切った。顔は真っ青になって居る。実家に帰って来たのは昨夜の事だ。帰るという連絡もなしに突然帰って来た翔子に、母と妹は驚いたが歓迎してくれた。二人はお祭りだから帰って来たと思っているようだ。恭子は父と会った事も事件があった事も言わなかった。

翔子の家族は母と妹の二人しかいない。翔子の実家は小さな居酒屋を営んでいる。当時父は田舎では一際は大きな会社に勤めていたが事業拡張の為、東京に転勤を命じられた。最初のうちは毎日のように電話があったが徐々に回数が減り、やがて音信不通となり母は夫が勤めていた会社に電話したが半年前に辞めたという。それから六年、現在は行方不明状態だ。翔子は高校卒業と同時に田舎に農協に勤めていたが父が行方不明となり、東京に出て働きながら父を探すからと東京に就職して五年が過ぎ二十六歳となっていた。田舎の居酒屋だがそれなりに繁盛している。妹は翔子と入れ替わるように農協に入り働いている。祭囃子を聴きながらお祭りを見て居たら気が紛れると思ったが余計に不安が募って来た。仕方なく家に帰った。
「ただいまぁ」
だがお帰りという声は返って来なかった。母は友達と祭りを見に行っている。二歳年下の妹は農協の仕事で居ない、というか農協はお祭りの協賛を引き受けている関係でお祭りの裏方を手伝いに借り出されている。仕方なく翔子は居酒屋と同じ敷地にある家の裏口から鍵を開けて中に入った。かつて自分の部屋だった、今も出ていったままにしてある。いつでも帰って来られるように母の優しさが伺える。

翔子はスマートフォンの電源を入れ香奈枝にメールを入れた。
『ごめん急用が出来て寄る事が出来ない。ごめんね、また今度会おうね』
また電源を切った。別に電池の節約している訳でない。誰からか電話がかかってくるのが嫌だった。
翔子は部屋に置いてある便箋を引っ張り出してボールペンで書き始めた。
『母さん、陽子。ちょっと急用が出来たの。久しぶりに帰って来たのに御免なさい。ゆっくり話したかったけど留守中に帰ります』
翔子は旅行用のキャリーバッグを持って外に出た。家から駅までバスで三十分だ。翔子はバスに乗った。幸い知り合いの人とは会う事なく駅に着いた。自分はいったい何しに故郷に帰って来たのだろうか。勿論お祭りを楽しむ為ではない。故郷に帰ると気持ちが落ちつくと思ったからだ。だが実際に帰ったがまったく変わらない。それどころか母と妹に迷惑が掛かる。よく言われるが犯罪を犯した者は生まれ故郷に帰ると言う、恭子も同じ心境だった。
母と妹は此処で生活している。もし警察が来たら世間体もあるだろうし身内が警察沙汰になったら母も妹も立場がなくなる。そう決めて故郷を後にした。
家を出るときまた祭囃子に音が聞こえて来る。こんな事がなければ母や妹や友人と浴衣を着てお祭りを楽しめたものを。

その頃、東京渋谷区にあるトーレンコーポレーション十階建ての自社ビル七階にある総務課の課長は苦り切った顔をして部下の吉田を呼んだ。
「おい確か中川翔子は休暇日程が過ぎたのに出社してないじゃないか。一体どうなっているんだ。連絡はないのか」
「あっハイ、同期の佐々木加奈が電話したそうですが電源が切られていて出なそうです。またメールも同様返事がないとか」
「一体どうしたと言うのだ。無断欠勤が三日続けば解雇の対象になる事を知って居るのか」
「普段は真面目で仕事も良くやる子なのですが、まさか事故に合ったとか」
「仕方ない、あと三日待とうしかし其処までだ。その後連絡なければ解雇手続きをしたまえ」
翔子は岩手県一戸駅から電車に乗った。盛岡駅まで約一時間二十分。翔子は再びスマートフォンの電源を入れた。佐々木加奈からメールが三本も入っている。内容は全て同じだった。
『翔子、課長が怒っているわよ。これまでの功績を考慮してあと三日だけ待つそうよ。その間に連絡がなければ解雇手続きに入るそうよ。何があったか知らないけど、この就職難に仕事を捨てることないでしょう。連絡至急してね』
それだけ読むとまた電源を切った。暫くして電車は盛岡駅に着いた。東京行きの新幹線に乗るのかと思ったら下りの新幹線、新函館北斗駅に行きに乗った。勿論予定がある訳ではない、ただの逃避行だ。新函館北斗駅から札幌方面に行くかそのまま函館駅に行くか決めかねている。新函館北斗駅のホームに出ると数人の警察官が立って居た。
翔子は少し青ざめたが、此処で逃げれば怪しまれる。平静を装って改札口方面に歩く。
だが警察官二人が翔子の方へやって来る。心臓がドクドクと音を立てて聞こえるほど動揺した。
「もしもし、これからどちらまで」
「あっ私ですか、ええ函館市内へ行く予定です」
「予定ねぇ、ではまだ決めてないのですか」
「ええまぁ、気ままな一人旅ですから、行き当りばったりで、その都度決めるんです」
「ああ、なるほど。失礼しました。良い旅を」
「ありがとうございます。では失礼します」
 恭子はそのまま歩きトイレに入った。ドっと冷や汗が出てそのままへたり込んでしまった。これが逃亡生活、これからも警察官に合う度にハラハラするのかと思うとやりきれない。つい数日前までは普通のOLだった。父をやっと見つけて再会した矢先、思わぬ方向に発展した。父はやはり疫病神か、あんな刃物を振り回す女と出会ったのが不運なのか、父がそういう生活を求めたか定かではない。いずれにせよ家族を捨てた事には変わりはない。それなのに翔子は父が危険と察して女に体当たりした。それが運悪く女はベンチに頭を打って死んだ? いや死んだかどうか分からないが父に言われるがまま逃げた。何故逃げたのだろう。救急車を呼んで警察に事情を話せば、正当防衛または、情状酌量の余地があったかも知れない。やはり腑に落ちない。私が犯罪者になってしまったのか。

取り敢えず気を取り直して函館市内に行く事にした。しかしこの函館北斗という駅は何もない、周り民家より畑が多い。なんて辺鄙な場所に作ったのだろうか。函館市内に行くには函館本線に乗り換えて約二十分、しかもすぐ乗れば良かったのに駅を出て何をするでもなくボーとしていた。新幹線に合わせているのか電車は一時間に二本しかない不便さ。仕方がないので翔子は再びスマートフォンの電源を入れる。だが佐々木加奈からのメールは入っていなかった。母も妹も祭に行っているのかメールは入っていなかった。三十分待ってやっと函館駅行きの電車に乗った。駅で降りると外は賑やかだ。時期は今日から八月こちらもお祭りの当日らしい。沢山の浴衣姿の人達が歩いている。遠くからは祭囃子や太鼓や笛の音が聞こえて来る。だが今の翔子には無縁のものだ。ともあれ今夜泊まる宿を探さなくてはならない。市内の観光センターで聞いたが、残念ながら湯の川温泉は全て満室らしい。結局は函館市内のビジネスホテルに泊まった。

今の翔子には旅行を楽しむ気分じゃないから丁度良いのかも知れない。もう夕方だ。取り敢えず街に出て食事をする事にした。でも気持ちが落ち着かず食欲が湧かない、しかし昼も食べないし何かを食べないといけない。ご飯物ではなくラーメンを注文した。果たして食べられるのかと心配したが予想以上に美味しく、流石は本場の味だと思った。食べ終わって外に出ようとしたら同じ店に居た客に声を掛けられた。
「もし失礼ですが、一人旅ですか」
「ええ……そうですがそれが何か?」
「もし時間があるなら函館周辺を案内しましょうか」
これは完全になるナンパだ。とてもじゃないがそんな気分になれない。しゃくだからからかってやった。
「どうせなら警察署に案内してくれます」
「落とし物か何かですか」
「いいえ、もしかしたら人を殺したかも知れないので出頭しようかと」
「ええ~~~冗談を、じゃ失礼します」
その男はそそくさと逃げて行った。彼には悪いがスッキリした。

翔子はスマートフォンの電源を入れた。今度は妹からメールが入っている。
『お姉ちゃん酷いじゃない急に出て行くなんて、それはいいとしてもさっき警察の人が来たわよ。今何処にいるのか聞きたい事があるって? いったい何があったのよ。電話の電源は切れているし心配しているから、すぐに連絡してよ』
それを読んだ翔子は、もはや逃げ通し事が出来ないと悟った。もし逃げても母と妹に迷惑をかける。ただ指名手配されている訳ではなさそうだ。それなら自首する事もない。今夜は函館に泊まって明日、実家に帰ろうと決めた。それにしてもなんで北海道まで来てしまったのだろうか、心にやましい事はない……はずだ。あれは突発的な事故だ。そもそもあの女が逆上して刃物を振り回す父に切り掛ったのが発端だ。あっちが殺人未遂じゃないか。そうだ自分にも言い分がある警察でハッキリさせようと決意を固めた。

翔子は妹にメールを打った。きっと心配している。もはや父のとの出来事を隠しことは出来ない。出来るなら、あんな父は忘れて、もう父を見つけることが無理だから忘れてよと言いたかった。どうせ六年もの間、父の居ない生活を続けて来た。父が居なくても幸せならそれでいいと思った。しかし警察が絡むと隠し通せる事は出来ない。
『ごめん陽子、心配掛けて明日の朝帰るから、事情はその時に話します』
翌朝、翔子は早朝ビジネスホテルをチェックアウトして函館駅に着くと函館北斗駅から新幹線に乗り盛岡に到着した。そのまま電車とバスを乗り継いで実家に戻って来た。もう祭囃子の太鼓や笛は聞こえて来ない。昨日の夜で終わったようだ。家に帰ると母と陽子が待っていた。
「お帰りお姉ちゃん、早速だけど一体何があったの?」
「ごめんなさい。色々とあったの。実は父と会ったの」
すると母が驚いた顔をして聞いて来た。
「えっ父さん、生きていたの」
「母さん、生きてはいたけど忘れた方がいいよ。悪い事は言わない」
「……そういう事か。やっぱり女が居たのね。だいだい予想はしていけど私は裏切られたのか……そうか。そうなんだ」
母は六年間帰ってこない夫にそれでも一時の希望を抱いていたのだろうか、気の毒でならない。翔子は正直未練なんかなかった。だが夫婦は違うようだ。それが男と女と言うものだろうか。母をどうやって慰めればよいやら。わずかに希望を抱いていただろう。落胆した母の表情が痛々しい。
翔子はこれまでの出来事を隠さずありのまま話した。
母の表情は更に沈んでいった。母には酷だがキッパリ未練を断ち切って欲しいと思った。だが妹の陽子は怒り心頭だ。
「馬鹿な父さん、そんな女に引っ掛かって、仕舞にはお姉ちゃんまで事件に巻き込むなんて。それで警察が来たの? それにしてはお姉ちゃんが容疑者だなんて言ってなかったわ。家族だから遠慮して容疑者と言わなかったたげなのかなぁ」
「いいの、私もハッキリさせたいわ、それでも逮捕されるなら仕方ないし」
「翔子、馬鹿な事を言わないで、貴方が悪い訳じゃない。刃物を振り回した女が悪いのよ」
「母さんや陽子の気持ちは嬉しい。でももう逃げたくないの、今から警察を呼んで私を探していると聞きましたと。いま家に帰って来ましたと伝えて」

母も妹も仕方がないと納得してくれた。陽子は電話を取って警察にダイヤルした。
二十分ほどすると警察の車が来た。パトカーではなく普通の乗用車でやって来た。気を使ったのだろうか、二人の私服の刑事だろうか三十代くらいと五十代くらいの二人。
「あなたが中川翔子さんですか」
「はい、そうです。それでお話というのはなんでしょう」
翔子は自分から言うつもりはなかった。それにしても容疑者に対する態度ではないように思えた。それとも陽動作戦なのか?
「実はですね、中川義彦さんはこちらのご家族の方ですよね。申し上げにくい事なのですが現在、東京の病院で入院していまして」
「えっどう言う事でしょう」
「それが同居している女性に刺されたようでして。勿論その女性は殺人未遂で逮捕されましたが、それと中川義彦さんから預かっていたというか当人は刺されて、そのと時は意識不明ですから分かりませんが、当時事件を担当した警視庁の刑事が上着を調べたところ封筒が出て来まして。事件の手掛かりになると思い調べさせて貰いました。すると封筒が入っており、こちらのご家族に宛てたものと分かりました。事件が事件ですから、看護師さん立会の元で警視庁の刑事が読ませて貰ったそうです。それが内の署に送られて来たので後でお渡しします。今回の殺傷事件の前に翔子さんと容疑者との間で言い争いがあったらしいですね。ああ、心配には及びません。貴女の正当防衛は立証されています。ただ貴女とお父さんとその女性との間で何があったのか伺いたかったのです」
「はぁその前に父は助かるのですか」
「私どもが直接聞いた訳ではないので警視庁に問い合わせないとなんとも言えません。我々はあくまでも事件の裏付けを調べるのが仕事ですので、あっそうそう病院名と住所と電話番号はお伝え出来ますよ。一応お話は以上です。もしかしたら調書を作る必要があるので一度本署に来て頂きたいのですが」
「分かりました。あの日の事をお話します。詳しくはそちらの署に出向けば良いのですが。その後、父の封筒を頂けるのですね」
「ご足労ですが、お願いします」
二人の刑事はそう言って帰って行った。話は意外な方向へ進んでいた。あの女は生きていた。ではあの公園で中年女性が死んでいたのは? 翔子の早合点だったのか、公園名まで書いていなかった。それを同じ公園と勘違いしたようだ。それにしても強かな女だ。おそらくあれから父は頭を怪我した女性を連れて家に戻ったのだろう。それから更に言い争いになって包丁を持ち出したのだろうか。
冷たく言えば父の自業自得だろう。そんな女と一緒に暮らした罰だ。おそらく母も同情する気にさえなれないだろう。
その後、刑事から聞いた病院に電話を入れた。幸い命は取り留めたらしい。いずれ目覚めたら、これからどうするか自分で決めなければならない。しかし家族を捨てた父に今更手を差し伸べる事は出来ない。互いに別の道を歩むことになるだろう。
それにしても女が生きていると言ってくれれば良い物を、恨みたくもなるが刺されて入院していたのでは無理か。六年ぶりの再会だった。ただ一つ言える事は、あの女が殴り掛かって来たて、その女を逆に父が殴った。俺の娘に何をするだと言いたかっただろうか。まだ私を娘と思っていだだけで満たされた。許した訳ではないが恨みは消えた。

翌日、翔子は警察署に向かった。ひょっとして取調室に通されかと思ったら狭い会議室だった。翔子はホッとした。もしあの女が死んでいたら間違いなく取調室で厳しい尋問が始まっただろう。会議室に入って座ると、お茶とお菓子まで持ってきた。
翔子はその日の出来事を覚えている限り話した。
「我々は、貴女とその女性と何があったか知りません。つまりお父さんの愛人と言うか同居人だったのですね。貴女が彼女に文句の一つも言いたい気持ちは分かります。なにせ強かな女のようで、以前にも逮捕歴がありまして。お父さんがカッターナイフ切りつけられ、父が危ないと思い貴女が突き飛ばしたんですね。そして彼女は血を流し気絶した。警察に電話しょうとした貴女を事件に巻き込みたくない一心で、貴女にその場を離れるようにお父さんが言ったそうですが」
「その通りです。本当は後悔したんですよ。何故通報しなかったかと」
「なるほど、そのあと貴女は仕事が手に付かず会社を休み故郷に帰った訳ですね」
「申し訳ありません。逃亡してしまいました」
「彼女を事情聴取の結果、暫くして気が付いたらしく、頭が切れて血は出ましたが、たいした事がなく二人で家に帰ったそうです。処が彼女は怒りが収まらず二人は口論になり台所から包丁を取り出すて刺したという事です」
「そうだったんですか、私はてっきり死んだかと思い自首しようか迷いました」
「まぁ本来ならば自首するべきですが、私達は自首されても困りますが」
そう言って笑った。
「どうも彼女は短気なようで、何かと言うと刃物を取り出す悪い癖があったようで、お父さんも目が覚めるでしょう。ただ我々は貴方達家族の問題には介入出来ませんのでなんとも言えませんが、あぁお預かりした手紙と何故か貯金通帳が入っていました。貴女がお受け取り下さい」
翔子は封筒を受け取り実家に向かった。預金通帳は意外だったが。母が手紙の事が気になっているようだ。早く持って行ってあげようと急いだ。

 母と陽子は待ちわびて居た。早速母に手紙を渡した。
封筒の中には手紙の他、貯金通帳が入っていた。母は真っ先に出紙を読み始めた。
『昭子、そして翔子、陽子。今更詫びて済む問題ではないが申し訳なかった。都会に出て田舎者の私は有頂天になってしまったようだ。都会の女は確かに魅力的だった。これで俺も都会の人間になれたと。最初の内は楽しかった。だがその内に秘められた嫉妬心の強さに嫌気が差したが、彼女から逃げる事が出来なかった。もし私から逃げたらあんたの家族を襲ってやると脅かされて。勿論言い訳にしか出来ないが、お詫びとして貯めて置いた金を受け取ってくれ』
そのような事が書かれてあった。母名義の通帳には六百万ばかりが入っていた。更にカードと暗証番号が記されていた。
母は暫く何も言わなかった。多分金問題じゃない。何故私を捨てたと言いたかったのだろう。憎しみか悲しみか、それとも愛おしさか。
翔子と陽子は何も言いなかったが、変わりに二人で母の肩を抱きしめた。母も二人の手を取って握りしめた。

ともあれ翔子は犯罪者にならなかった。あとは会社だ。有給休暇を使い果たし無断欠勤しては、もしや解雇はまぬがれない。ともあれ会社に電話しなくてはいけない。その場で首を言い渡させるかも知れないが。翔子は電話を入れ詫びた。ところが予想外の返事が返って来た。素直に謝罪する気持ちがあるなら出張という事にしてやろう。ついでだから盛岡支社に寄って今回新しく提携する会社と話は進んでいる。盛岡支社の部長と一緒に行って話を纏めて来いということだ。総務課の課長が三日待つという期限の最終日に間に合ったようだ。周りは解雇するには惜しい人材だと言われたのが考慮されたようだ。
解雇されるどころか重要な仕事を任された。しかも支社とはいえ部長のサポートする役目だ。部屋の隅で電話していた翔子を母と陽子は見ていた。急に明るい顔になり電話口でペコペコと頭を下げている姿はキャリアウーマンそのものだった。
「翔子どうしたの? 嬉しそうにして良い事でもあったの」
「それが会社を首になると思っていたら新しい仕事を言い渡された。どうやら首が繋がったようだわ」
「そうそれは良かった。せっかく大きな会社に入ったのに心配していたけど、翔子は会社に必要とされている証拠よ。良かったわね」
「お姉ちゃん盛岡支社とか言っていたけど、盛岡に行くの、丁度いいんじゃない。明日まで、盛岡さんさ踊りをやっているわよ。見て行ったら」
「えっまだお祭りがあるの。陽子、ちゃんと仕事に行くのよ。お祭り気分に浸っていては貴女こそ首になるわよ」
「何よ、私は必要とされている優良社員よ。東北はお祭りが多いの。次は一緒に行こうよ。それとご馳走してよね。心配かけた罰よ」
「分かったわよ。約束する」
そう言うと皆で笑った。久しぶりに心の底から笑うことが出来た。
翌日、盛岡に向かった。陽子の言う通り盛岡はお祭り一色だった。駅を降りるなり祭囃子の太鼓の音が重低音で響き渡る。別にお祭りを見に来た訳ではないが、やはり祭囃子は心を躍らせる。母と妹と一緒にお祭りを見るのが楽しみだ。

祭囃子

執筆の狙い

作者 ドリーム
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家出した父と六年ぶりの対面も怒りで父を罵った。暫くすると父が女を待たせているようで、いつまで待たせるのとやって来た。翔子を見て誰? この小娘と。家族を壊した張本人を翔子は許せなく口論に、たが女は殴り掛かってきたが逆に父が、その女を殴った。逆上した女はカッターナイフを取り出し父の頬を切った。慌てた翔子は女を突き飛ばした。すると女はベンチに頭を打つ付け血を流し動かなくなった。父は私に逃げろと言う。翌日の新聞記事には女が公園で血を流し死亡とある。そして逃亡生活が始まるサスペンス。

都合上少し一人称と三人称が入り交じりました。ご了承下さい。

コメント

中小路昌宏
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一時はどうなるかと思いましたが、殺人の容疑も掛からず、父親の心情もよく分かり、母親当てに預金通帳まで送られてきて、しかも、会社も首になるどころか盛岡へ栄転とか・・・・

 ドリームさんの優しさが、最後はこういう筋書きに向かってしまうのですね。

ドリーム
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中小路昌宏さんお読みいただきありがとうございます。

本当は函館に行き何か別なエピソードを考えたのですが
ナンパだけで留めました。
題名も迷ったのですが逃亡者が良かったのも知れません。
ありがとうございました。

飼い猫ちゃりりん
123-1-111-26.area1b.commufa.jp

飼い猫です。

一人称と三人称を混ぜるなんてすごい発想ですね。ひにくではありません。楽しめたので。

ドリーム様の作品はいつもストーリーが練られていて楽しいですね。

(そー言えば、飼い猫もOLが大活躍する物語を書いたことあったな。思い出した。)

ドリーム様の作品は旅にからむものが多いから、その土地土地の風景を描写するとより美しく効果的だと思います。
火曜サスペンス劇場もそうですよね。しばらく見たことありませんが。

ドリーム
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飼い猫ちゃりりん様

お読みいただきありがとうございます。

>一人称と三人称を混ぜるなんてすごい発想ですね。ひにくではありません。楽しめたので。

内容から行く一人称が相応しいと思いますが、どうしても視野が狭くなり
三人称にしました。一般的にプロの作家は三人称ですね。

>ドリーム様の作品は旅にからむものが多いから

そう言われればそうですね(笑)
実は私は旅好きで国内で行った事がない県は奈良県ともう一県くらいで
後は全部行きました。とは言っても例えば鳥取なら砂丘を見れば行った事になります(笑)
今回の舞台の一部となった函館は5回ほど行きました。
あそこの朝市で食べたうに丼は絶品でした。

ありがとうございました。

えんがわ
KD106154142141.au-net.ne.jp

昭和のテレビドラマでありそうですよね。
逃亡中の主人公の心情は何か真に迫って、はらはらしました。
オチは強引と紙一重なのですけど、ドラマチックで、確かに楽しめるんですよね。
リアリティというよりも、物語として面白い。
発見でした。

お祭りのシーンは流麗ではないけれど、素朴に雰囲気が伝わる、情緒があるシーンだと思います。
なんか浸れました。
地元の花火大会、今年もコロナで中止かなぁ。なんかノスタルジーまで感じました。

気になったところは。
説明台詞が若干多いのと。
誤字脱字がちょっと目立っていたところですね。

ただ、そこを洗練しないからこそ、実直な味わいになっているのかもしれませんけど。

凛音
218-228-138-173f1.osk3.eonet.ne.jp

読ませていただきました。

とても感動的なお話ですね。
ヒヤヒヤしました。
読んでいて飽きない感じでした。
少し誤字脱字がありましたが、そこからドリーム様が夢中で描かれていたのかなぁ、と私は想像できました。

それと、名前(私の)は変えておりますが、(私の小説に)以前コメントしていただいてありがとうございました。

お疲れ様でした。
楽しかったです。

ドリーム
softbank126077101161.bbtec.net

えんがわ様

お読みいただきありがとうございます。

二時間ドラマにあるサスペンス的に作り上げました。
もっとも自分の思い込みとから始まったことですが。
新聞記事が決めてとなり絶望感からの逃亡劇。
お祭りの部分をふんだんに入れたのは題名の祭囃子のためもあります。

>説明台詞が若干多いのと。

少し諄くなりました(笑)


誤字脱字がちょっと目立っていたところですね。

これはほぼ病気ですね。何時も指摘されて気づく有様です(笑)

ありがとうございました。

ドリーム
softbank126077101161.bbtec.net

凛音さま

お読みいただきありがとうございます。

>とても感動的なお話ですね。
>ヒヤヒヤしました。
>読んでいて飽きない感じでした。

ありがとうございます。それが一番嬉しいです
ただ誤字脱字があれば駄作ですよね。

>それと、名前(私の)は変えておりますが、(私の小説に)以前コメントしていただいてありがとうございました。

そうなんですか、どんな作品でしたでしょう。気になります。
ありがとうございました。

夜の雨
ai192031.d.west.v6connect.net

「祭囃子」読みました。

サスペンスチックで緊迫感がありました。
特に導入部はよかった。
ラストまで読んでみて、主人公である翔子の父親ですが、彼女が頭を打って倒れたのを娘が死んだのではないかと心配しているのを知っていたはずですが、その後頭部は問題がなかったということで病院から二人して帰ったというようなことを、どうして翔子に連絡しなかったのでしょうね。
翔子と父親は公園で逢っているので、連絡はできると思いますが。
翔子に直接連絡ができないのなら実家(妻)に連絡すればよい。妻から翔子に連絡が行く。
トラブルになり女が頭部を打撲したが、大したことはなかった。
女は死んだのではないかと翔子が心配していたが、解決したので、その旨、伝えてくれ。
と、連絡しておけばよいだけの話です。
このあたりの設定が甘かったですね。

ほかのエピソードは問題なかったですし、よくできていて楽しめました。
● 視点については、気になりませんでした。

それでは、頑張ってください。


お疲れさまでした。

夜の雨
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再訪です、ドリーム さん、感想に対する返信がないですね。

再読しましたが、先にあげた感想と基本的には変わりません。
翔子の父親は愛人に刺されていて、連絡できなかったという具合に解釈してください、という事ですかね。
もし、そういう具合に解釈したとして。
そのあと、刑事が父親からの手紙と貯金通帳を届けに来ています。
ということは、刑事に「娘は女を殺したと思っている可能性がある」のでと、父が、説明するはずですが。手紙と貯金通帳を刑事に預けた時点までに。
要するに、女の頭は軽傷で問題がなかったのだから、刑事(警察)に嘘をつく必要はない。
警察を通して、翔子(母と妹)へ、女は無事だから心配は無用と、連絡ができるはず。

父は、その女と一緒に帰ったあと口論が続き刺されて、病院で入院している。そのあとで刑事に手紙と貯金通帳を渡した。遅くても、この時点では警察を通じて翔子(母と妹)へ、女は無事だから心配は無用と、連絡ができるはず。
父親は、娘が殺人を犯したと思い込んでいるはずなので、女は無事で何の問題もないという事を早く伝える必要があると思いますが。


以上です。

ドリーム
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夜の雨さま

お読みいただきありがとうございます。

すみませんコメントが入っているとは気がづきませんでした。
大変失礼致しました。

>女は死んだのではないかと翔子が心配していたが、解決したので、その旨、伝えてくれ。
と、連絡しておけばよいだけの話です。
>このあたりの設定が甘かったですね。

確かに詰めが甘かったですね。
無事だから安心しろと言う前に病院に行かず二人でアパートに帰り口論になり刺されて一時意識不明
ここまで良かったのですが(笑)逃避行がテーマですから勘違いだと分れば逃げなくても良い訳ですが。

手紙と貯金通帳は最後の最後にすれば良かったですね。
一番気の毒なのは母ですね。同じ家族で親と子、夫婦とでは愛の形が別ですね。
子供達はキッパリと未練を断ち切りましたが。

いつもありがとうございました。

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