作家でごはん!鍛練場
飼い猫ちゃりりん

朝顔の涙

 (プロローグ)

 妻は仏壇に手を合わせると、少し涙をこぼした。
「あの子が生きていれば、もう子供がいてもいい年齢ね」
 娘が生きていれば、今頃は結婚をして、子供もいたのかもしれない。
 娘は十一歳の秋に、その短い生涯を終えた。
 難病を患い、太陽の光さえ耐えられない娘は、元気に駆け回る時期のほとんどを療養施設で過ごし、そこで亡くなったのだ。
 過ぎ去るために生まれて来たような一生だった。

 娘の部屋は当時のままにしてある。
 娘は幼い頃から絵が大好きで、部屋の壁にはクレヨンでかいた絵が、ところ狭しと貼ってある。絵の具でかいてくれた妻と私の似顔絵もある。
 それらの絵を見ていると、幸福だったころを思い出し、時を忘れてしまうこともある。
 娘は施設でも絵をかいていた。
 晴れた日には窓から見える景色を描き、曇りの日には屋外のベンチに座ってかいていた。
 娘は死の直前までノートに絵をかき続けた。
 ほとんど使うことのなかった勉強机の本棚は、娘のノートであふれ返り、収まらないものは箱に入れて保管してある。
 実は私も妻も、娘が施設でかいた絵を内心遠避けてきた。
 娘が描く風景には、外界への憧憬が痛々しいほど滲み出ているし、花壇に咲く花々の絵からは、生命への憧れがはっきりと感じとれる。
 施設に入れて本当に良かったのか?
 人生を施設だけで終わらせてしまった。
 可哀想なことをした。
 そんな思いに駆られてしまうのだ。

 しかし私も妻も、もう先が長いわけではない。だから二人で相談し、全ての絵を目に焼き付けておくことにした。
 全ての絵を持ってあの子のところへいけば、きっと喜んでくれると思ったからだ。

 どのノートにもベンチから見える山の風景や、花壇に咲く花々がびっしりと描かれ、その絵の下に添え書きがあった。

 今日から、みんな夏休み。
 でも、あたし夏がきらい。
 ヒマワリを部屋の中からかきました。

 今日は朝からくもり空。
 山が赤くてきれいです。
 ベンチに座って、いっぱい朝顔をかきました。
 楽しかった。

 今日は雪。
 あたし、雪が好き。
 雪はみんな真っ白にしてくれるから。
 白い山をかきました。
 少し寒いです。
 でも大丈夫だから、心配しないで。

 そのとき妻が目頭を押さえながら一冊のノートを差し出したのだ。
 箱の底に埋もれていたそのノートには、娘の最後の夏の景色が描かれ、やはり添え書きがあった。

 今日、ベンチで絵をかいていたら、しらない男の子に声をかけられました。
 びっくりして逃げちゃったけど、もどってみたら、あたしより弱そうな子で、かわいかった。

 今日、男の子とシーソーをしました。
 その子、あたしを山につれていってくれた。
 楽しかった。
 あの子、あたしのこと好きみたい。あたしも、あの子が好き。
 花火をみる約束をしました。

 何十ページにもわたり、少年と遊具で遊ぶ光景や、山路を散策する様子が描かれていて、草や花びら、木の皮や小枝などがのりづけされていた。
 最後のページには花火大会の様子が描かれていて、やはり添え書きがあった。

 今日、男の子と花火を見にいきました。
 大きな音にびっくり!
 あたし、あの子のよこで泣いちゃった。
 またあうことができたら、プレゼントを渡します。

 その添え書きの横に、折り紙で作られた小袋がのりづけされていた。そこには「アサガオのたね」と鉛筆で書かれていて、折り目を開くと黒い粒が沢山入っていた。
 娘は過ぎ去るために生まれたわけではない。あの子は恋をし、人生を謳歌したのだ。
 娘が愛した少年に会ってみたいと思った。

 私たちは娘が世話になった療養施設を訪ねた。
「すみません。電話をした者ですが」と受付の職員に言うと応接室に案内され、年配の職員から説明を受けた。
「療養記録は十年間保存して処分されます。まして二十年以上も前のこととなると、正直難しいです。当時の職員も、もうここにはいませんので」
 そのとき部屋の内線が鳴った。
 職員はうんうんと頷き受話器を置いた。
「当時のことに詳しい者が一人いるようです。間も無くここに来ますので、後は彼から聞いて下さい」
 そう言うと職員は退室し、その少し後に、土で汚れた作業服を着た青年が部屋に入ってきた。
 彼は、「すみません。こんな格好で。先ほどまで花壇の手入れをしていたのです」と言って頭を下げた。
 私は自分の目を疑った。
 どう見ても彼は三十歳位にしか見えないのだ。当時の職員であれば、五十を超えていてもおかしくないのに。

 彼に娘の最後の夏のノートを見せて、そこに描かれている少年のことが知りたい旨を伝えた。すると彼はじっと表紙を見つめてから、ゆっくりとノートをめくり始めた。
 やがてページをめくる彼の指が震え始めた。
 彼は最後のページに描かれている花火大会の絵をしばらく見つめてから、添え書の横に貼ってある小袋を開けた。
 彼は手に朝顔の種をのせて、それを固く握りしめると、絵の中の少年は自分であると言った。

 彼は出会いから花火大会の日までのことを鮮明に記憶しており、私は懸命に生きる娘の姿を思い浮かべることができた。
 彼の話を聞き、娘は幸福だったと、病に倒れたのではない、生き終えたのだと思った。
 私たちは青年に礼を言うと、娘の最後の夏のノートを彼に託して施設を後にした。

 それから一月ほど経った日の朝、彼から電話が入った。
「咲いたのです。今朝花壇に行ったら、咲いていたのです」
 施設に着くと、花壇の片隅に一輪の白い朝顔が咲いていた。
 後日、朝顔は翌朝までしぼまなかったと彼が教えてくれた。

 終わり

 いかならん 色に咲くかとあくる夜の まつのとぼその朝顔の花
 滝沢馬琴『兎園小説』第四集
 文宝堂(二代目蜀山人)の採録による「夢の朝顔」より

(本編)

 この辺りの天気は移り変わりが激しい。今朝は山腹に霧がかかっていたのに、今はもう空気が澄み渡り、野鳥の鳴き声が聞こえる。
 私は早朝から施設の中庭で花壇の手入れをしている。
 早起きをして手伝うと言う子供もいるが、病を抱える子供らに無理をさせるわけにはいかない。
 それに、私は一人での作業が好きなのだ。
 子供の頃から植物が大好きで、今も植物には心があると思っている。
 水滴が輝く朝顔に恋人の面影が重なり、つい話し掛けてしまうこともあるのだ。

 私は病弱な子供だった。喘息の発作に悩まされ、子供ながらに長くは生きられないと思っていた。
 その体質のせいか、圧倒的な太陽の祝福よりも、曇り空が織りなす淡い光の世界を愛した。
 曇りの日には一人で裏山を探検し、夏には高台から花火大会を見物した。
 しかし山奥まで足を踏み入れることはなかった。母から行ってはいけないと言われていたからだ。
 しかしその言葉はかえって想像力をかき立て、私は果てしない空想を思い描くまでになった。
 きっと山奥には弱くて優しい人々が暮らす集落があって、私はそこに住む少女と恋に落ちると……

 忘れもしない、それは小五の夏休みの初日のことだ。
 その日は早朝から曇り空が広がったから、私は母に何も言わずにそっと家を出た。
 草や小枝をかきわけながら山道を歩いていると、高いネットフェンスが行く手をふさいだ。金網がひどく腐食していて、所々破れて穴が開いていた。
 そこをくぐって更に山奥へ分け入ってゆくと、二階建ての白い建物が現れた。壁は薄汚れていて、所々ツタに覆われていた。   
 塀越しに敷地の中を偵察すると、広場にはシーソーやブランコなどの遊具があり、腐葉土が盛られた花壇には朝顔が咲いていた。
 しかし人影はなく、辺りは静寂に包まれていた。
 塀の隙間から侵入して広場を見渡すと、建物の片隅に置いてあるベンチに少女が座っていた。
 背筋を伸ばしてベンチに座る少女は、白いドレスを着た幽霊のような雰囲気を漂わせていた。
 引き寄せられるように彼女に近づき声を掛けた。
 女子に声を掛けるなんて初めてだったのに、なぜか緊張はしなかった。
「なにしてるの?」と声を掛けると彼女は驚き、手からノートを落として走り去った。
 
 年は自分と同じくらい。肌は花びらのように白く、線の細さが服の上から分かった。
 彼女が落としていった厚いノートをめくると、花壇に咲く花々が何十ページにもわたり描かれていた。
 花びらや葉が異様なほど丁寧に描かれていて、そこに本当に咲いているかのようだった。

 しばらくすると背の高い女性がこっちに歩いてきて、その後ろに先ほどの少女がくっついていた。
 女性は私の前に立つと、「僕はどこから来たの?」と言った。他にも色々尋ねられたがもう記憶にはない。
 ただ女性の影から私を見つめ、くすくすと笑っている少女の顔だけを覚えている。
 彼女は人差し指の爪を噛みながら、じっと私を見ていた。視線が重なると慌てて顔を隠し、また少しだけ顔を出して笑った。
 私が大胆にも、「また遊びに来てもいい?」と尋ねると、女性は呆れ返った様子で、「ここは公園じゃないのよ」と言った。
 私は普段臆病なのに、そのときは大胆かつ冷静だった。
 無言の抵抗を続ける私を、少女は真剣な眼差しで見ていた。
 根負けした女性がため息をついて苦笑すると、少女は女性の服を引っ張っり、身をかがめた女性の耳元で何かをささやいた。
 女性は私の方に向き直ると、「遊びに来てもいいけど、曇りの日にしてね」と言った。
 どうだと言わんばかりに少女の顔を見ると、彼女はまた顔を隠した。
 生まれて初めての成功体験、いや勝利と言っても過言ではない。
 意気揚々と施設の正門から出て後ろを振り返ると、女性の後ろを歩く少女の背中が見えた。
 すると次の瞬間、彼女はひらりと体をひるがえし、私に手を振ったのだ。

 しかし、いつまで経っても曇り空は顔を見せず、忌わしいほどの晴天が何日も続いた。
 巨大な力で私の邪魔をする太陽を憎み、いら立ち、喘息の発作と戦った。
 やっと曇り空が現れたかと思えば、近づく台風のせいで天候は荒れた。
 ついに私は強風の最中、彼女に会いに行くことを決断したのだ。
 病や自然現象は耐え忍ぶしかない運命であると、子供ながらに理解していた。しかしそれらは憎悪の対象であり、戦いの相手であることを、このとき学んだのだ。

 建物に着き、偵察してから敷地に入ると、ベンチには両手を重ねて座る少女の姿があった。
 強風に髪が乱れ、白い服が激しくなびいていたが、そんなことは関係ないとでも言いたげな表情が、彼女の意志の強さを物語っていた。
 その毅然とした表情に驚いた私は、彼女のそばに駆け寄り、「待っていたの?」と聞いた。
 すると彼女は、「うん」と小さくうなずき、「シーソーしよ!」と声をあげたのだ。
 無我夢中でシーソーをこぐ彼女の髪が強風に乱れ、たかがシーソーにそこまで夢中になれる彼女に狂気じみたものを感じた。
 彼女はシーソーにあきると、「隠れんぼしよ!」と声をあげた。私が目を閉じて、「もういいかい!」と声をあげると、「まあだだよ」が強風にかき消されて聞こえない。何度も「もういいかい!」と叫んでみたが、やはり何も聞こえない。
 私は彼女が本当に消えたような気がして、半べそをかいてしまった。すると彼女が物置の影から現れて、「ごめんね。怖かった?」と言って微笑んだのだ。
 私は顔が熱くなった。
 彼女の表情は悪戯好きの妖精と言った感じで、私はそんな彼女が可愛らしいと……いや正直に言えば、無垢な心は慾情に疼き、彼女を奪い去りたいとの衝動に駆られたのだ。
 
 私は自分の強みを活かすために、山で遊ぶことを彼女に提案した。
 彼女が不安そうに、「行ったことがないの」と言っても、大丈夫だと言って譲らなかった。
 彼女の手を引っ張って施設の敷地から抜け出すと、私は彼女を山に導いた。
 彼女の歩調に合わせて山道を歩き、ヒノキ林を抜ける自然歩道に到達すると、彼女は目を閉じて深く息を吸い、吐息を吐いた。
 彼女は何度も胸を膨らませ、樹木の香りを堪能していた。
 彼女は木や草花に興味津々で、慈しむように木の皮にふれ、草花に小鼻をよせた。
 私が大丈夫だと言えば山菜を喰(は)み、彼女が高所を見つめれば、私がその花を摘んであげた。
 私の読み物は植物の図鑑だけだったから、植物の知識は大人以上にあったのだ。

 岩間を落ちてくる七滝の前にたどりつくと、彼女は滝壺の縁に立ち、絹のような白滝に魅せられた。
 近づく台風のせいで水量が増した清流は、ふくらはぎの半ばに達するまでになっていた。
 勇気をふりしぼって石をつたい、川を渡り切ると、彼女はまだ川岸に立っていた。
 彼女の元に引き返し、流れに足を踏み入れて手を貸すと、彼女は石の上をゆっくりと歩いた。
 彼女は平らな足場でもなぜか何度もふらついたから、私はそのたびに彼女を強く抱き締めることができた。
 私はその汗の香りを今も覚えている。子供らしい汗の香りと言ってしまえばそれまでだが、私にとっては、忘れられない記憶なのだ。
 彼女が濡れずに清流を渡り切ると、私の靴下はびしょ濡れだった。
 彼女に、「怖かった?」と聞くと、彼女は、「うん。でも面白かった!」と声をあげた。
 嬉しくなった私は、彼女を高台に連れて行くことにした。
 高台へ続く石段はこけむしていたから、私は彼女の手をしっかりと握って石段を慎重に上った。
 高台につくと遠くの河原を指差して花火大会の話をした。
「あの河原で毎年やるんだ。すごく綺麗なんだよ」
「あたし、花火を見たことないの」
 私は花火大会の日の夕方に迎えに行くと、彼女に約束した。

 そのころ施設では、彼女の行方が分からず大騒ぎになっていた。
 母は私の手を引っ張って施設に行くと、職員たちに謝罪し、二度と行ってはいけないと私を叱りつけた。

 花火大会の日の夕暮れ時、私は迷うことなく彼女の元へ向かった。
 建物に着き、偵察してから敷地に入ると、彼女はベンチに座っていた。
 急いで駆け寄り、花火を見にいこうと言うと、彼女は潤んだ瞳で私を見つめ、「うん……」と小さくうなずいた。
 高台につく頃にはもう日が暮れていて、風に揺れる草の音と、鈴虫の声だけが鳴り響いていた。
 二人で草の生えた斜面に寝転がり、花火が上がるのを待った。
 ふと気づくと、彼女が私の顔をじっと見ていた。
 見つめ返すと、彼女は身を起こして真剣な眼差しで私の顔を見つめた。
「どうしたの?」と聞くと、彼女は私の頭に手をのばし、それを私の顔の前に差し出したのだ。
 その手には一匹のキリギリスがのっていた。
 彼女に虫の名を教えると、彼女はキリギリスの頭を人差し指でなでた。不思議にキリギリスは逃げようとせず、彼女に話し掛けるように、ギーッチョン、ギーッチョンと鳴き続け、やがて夜の帳(とばり)の中に消えた。
「早く始まらないかな」
「もうすぐだよ」
 その瞬間大玉が一斉に炸裂し、大輪の花々が夜空をうめ尽くした。
 彼女は花火に見とれていたが、私は彼女の横顔だけを見ていた。
「すごくきれい……」
 涙に濡れた横顔が、闇の中に浮かびあがっては消えた。

 母はまた私の手を引っ張って施設に行くと、職員たちに深々と頭を下げた。
 そして彼らの面前で私を厳しく叱りつけると、「もう会いに来ません!」と私に大声で誓わせた。

 秋になると、私はまた彼女に会いに行った。
 その日は朝から雨が降っていたが、それが止むと、すぐに彼女の元へ向ったのだ。
 しかし、ベンチにその姿はなく、雨に濡れた朝顔だけが、ただきらきらと輝いていた。

 終わり

 朝顔は いやつぎつぎに 朝ひらく わが少女子よ まなこを開けよ
『慕尼黑歌集』より

朝顔の涙

執筆の狙い

作者 飼い猫ちゃりりん
dw49-106-187-231.m-zone.jp

エピローグをプロローグに変更したら、ずいぶん景色が変わりました。

プロローグ(序章)と本編の2部構成です。
6300字です。
よろしくお願いします。

コメント

偏差値45
KD111239160248.au-net.ne.jp

(本編)は読んだことがあるような気がする。

(プロローグ)だけで、お腹いっぱいかな。
要するにA面、B面ということなんでしょう。
ストーリー的には良作なんでしょうけど。
A面だけでいいかな。
両面が合わせると、クオリティーが下がるような気がしますね。

飼い猫ちゃりりん
dw49-106-193-227.m-zone.jp

偏差値45様

 本編を覚えていてくれて嬉しく思います。

 プロローグでお腹いっぱいですか……

 結局、プロローグでひつの作品になっちゃっているのかなぁ。
 つまり、前菜にサラダではなく、コッテリ野菜炒めが出てきた感じですかね。

 だから、偏差値45様が言うように、A面B面又はB面A面と言うのが正しいのかもしれませんね。

 ありがとうございました。またお願いします。

南の風
softbank060091003055.bbtec.net

読ませて頂きました。 プロローグがとても良かったです。正直プロローグから先は飛ばし読みをしてしまいました。 プロローグは何回も何回も推敲されたのだろうと思います。文章が洗練されていて、使っている言葉もぴったりでした。 それにとても読みやすかったです。

多分、読んでいてプロローグから本編に移行するところが、スムーズに移行できなかったのではないかと思うのです。 文章はとても素敵でしたのでまた読ませてください。ありがとうございました。

飼い猫ちゃりりん
dw49-106-187-43.m-zone.jp

南の風様

お読みいただき感謝しております。

エピローグをプロローグにひっくり返して、もちろんそれなりに推敲したのですが、序章から本編への繋ぎが上手くいってないんですね。

まあ偏差値45様が言うように、A面B面と思ってもらってもいいのですが。

普通の時系列は序章から本編ですが、この作品は本編→序章と読んでいただいても結構です。

また推敲してみます。
ありがとうございました。

コウ
p3004-ipngnfx01kouchinwc.kochi.ocn.ne.jp

好きですね。透明感のある物語とその世界観には好感が持てました。

私もこれを読むのは2度目です。前回も気になっていたのですが、ご自分の書き癖に気づいていないのかな? それとも意識的なものでしょうか?

特に後半は顕著です。(前は前半がったかな?)もうほとんどが、動詞のあとに「と」を付けて区切り、相手にターンする。
たどりつくと、彼女は……。切ると、……。貸すと、……。聞くと、……。行くと、……。入ると、……。気づくと、……。返すと、……。教えると、……。等々

このワンパターンは、まだ多くあります。まあ、意識的だとすれば、ある種のリズムになっているとも言えなくはないですが。やっぱり――。

私には、これが文章を平坦で単調にしているような気がします。そこを意識して推敲すると、格段に良くなるのではないでしょうか。

ちょっとした矛盾も気になりました。
曇り空を待つ私に、晴天が続く。ようやく台風が近づき、曇り空が現れる。この時点で、大雨は降っていないのでしょう。ならば、「近づく台風のせいで水量が増した清流……」は変かな。

小説が芸術かどうか、私にはわかりません。そして芸術は造るものではなく、生まれるものだというあなたの主張も抽象的で無条件では同意できない。
この小説が、あなたの精神や感性によって生み落とされたものかもしれません。しかしそこには作者がいて、伝えたいことや構想があり、それに基づくストーリーがある。そしてそれを着実に伝える技術も必要です。
素晴らしい小説の中には、もがき苦しみ手垢が付こうが何度も書き直しながら作り上げたものもあると思います。

次回は、死にネタではない飼い猫ちゃりりんさんの世界を読んでみたいなあ。

飼い猫ちゃりりん
123-1-111-26.area1b.commufa.jp

コウ様

お読みいただき感謝しております。

そうですね……
「〜と」は少し意識してはいますが、それは飼い猫の書き癖というより、口癖なのかもしれません。

文章をもっと洗練する必要がありますね。もっと自然に流れる感じに。

確かに死にネタが多いですね。
でも前々回の投稿作品『憎しみの河』は違いますよ。
殺しネタです。苦笑

ありがとうございました。

ドリーム
softbank126077101161.bbtec.net

拝読させていただきました。

私も本編と繋げるのは無理があるような感じもします。
11歳で娘を亡くするのは、言葉て言い表せないほど辛いでしょうね。
可愛くてどうしょうもない年頃ですから。
まぁ何歳になろうと子供は可愛いものですが。
娘が残した絵、思い出、何一つ忘れられない。
そんな事が切々と描かれ読み手の心も悲しみ浸らせる。
作者の感情が伝わって来ました。

金木犀
sp49-98-216-163.msd.spmode.ne.jp

すいません。気になったんですが。
コウさん、台風が近づいている帆さんの描写は矛盾していると仰っているのですが、台風のせいで曇っているという叙述があり、強い風が吹いているのなら、台風が到着していることはちゃんと描写できてますよね。そのうえで台風が近づくのなら、中心が近づいていると読むのが普通だと思います。どこが矛盾していると仰るのですか?

金木犀
sp49-98-216-163.msd.spmode.ne.jp

失礼。

帆☓

飼い猫ちゃりりんさん○


すんません。つい。

飼い猫ちゃりりん
123-1-111-26.area1b.commufa.jp

ドリーム様
お読みいただき感謝しております。

やはり序章と本編のつなぎが乱暴でしたね。
プロローグは前回の投稿ではエピローグだったんです。
それを変えてみると、どんなふうに景色が変わるのか、実験してみたかったのです。
一種の光学実験のようなものです。

ガシャガシャッと、構成を変えたので、もっと丁寧に推敲するべきでした。

またよろしくお願いします。

飼い猫ちゃりりん
123-1-111-26.area1b.commufa.jp

金木犀様
少女と主人公が山を散策する場面では、キンモクセイの登場も考えたのです。でも、季節が台風時期ではちょっと無理があると思いボツにしました。

青井水脈
om126253244104.31.openmobile.ne.jp

金木犀さん。ちゃりりんさん、少年と少女のひと夏の話として投稿された、確かタイトルが「朝顔」だけのときに読ませていただいて、コメント欄で二十年後のお話も読ませていただいているので、感想はサラッとですみませんが。
冒頭で咲いた朝顔、回想シーンに入ってラストに出てくる朝顔と。構成を変えたら印象も変わりますね。


>やっと曇り空が現れたかと思えば、近づく台風のせいで天候は荒れた。

・"台風が近づいている"ために天候が荒れて、強風が吹いていることはよくわかります、強風と何度も出てきますし。

>近づく台風のせいで水量が増した清流は、

・だけど、この時点(台風が近づいていて強風が吹き荒れている最中に、少年が彼女に会いに行った時点)では、全然雨が降っていない、降っていなかったのでは?(この時点までも、晴天続きでしたし)という、コウさんの疑問もわかるんですよね。

細かくてすみませんが私も、矛盾というより疑問を抱きました。いつの間に雨が降って、川が増水したのでしょうか? 
雨台風と描写する……にも、作中の少女が雨の中遊ぶのはさすがに危ないですし。

飼い猫ちゃりりん
123-1-111-26.area1b.commufa.jp

青井水脈様
自分は子供の頃からよく山歩きをしていました。今もちょこちょこと出かけます。その時の印象で書いています。
実際の自然現象の科学的説明はできません。

ただ作者として言えるのは、読者が不自然と感じるなら不自然だし、自然だと感じるなら自然だということです。

ほかでも申し上げている通り、小説は論文ではなく、絵画だと思います。

金木犀
sp49-98-216-163.msd.spmode.ne.jp

ちゃ。

なるほど。言われてみれば違和感がありありですね。近づいているので、山頂ではすでに雨が降っているということだと僕は思いましたが、その後雨が降り出す描写もないですし、確かに気になるかも。

というか、前だとびしょ濡れになりながらシーソーやってなかったでしたっけ?
だから、気づかんかったのかも。

飼い猫ちゃりりん
123-1-111-26.area1b.commufa.jp

金木犀様
そーかー。やっぱり違和感があるんですね。
なら次は、ゴロゴロ、ピカ!ドカーン!を描写してみます。
主人公は危ないからもう帰ろうと少女に言います。
しかし、少女は帰りたくないといいます。少女にとっては落雷さえ新鮮だったのです。
てな感じで。

金木犀
sp49-98-216-163.msd.spmode.ne.jp

いや、僕は、山の天気なんてそんなもんだという認識があるから脳内変換で、映像はちゃんと変換されましたけどね。

山は局地的に降るとか書き加えないと、ちょっと言葉足らずかも知れない。

青井水脈
om126253224112.31.openmobile.ne.jp

>近づいているので、山頂ではすでに雨が降っているということだと

山の天気……。いや、なるほど。私はこちらに思い当たりませんでした。これが台風一過だったら、青空に川の濁流という、コントラストのはっきりした映像が浮かぶのですが。というか、コウさんのコメントがなかったらここまで考えなかったでしょうね。

>近づく台風のせいで水量が増した清流は、

近づく台風のせいで(その上、局地的に強い雨が降っていたために)水量が増した清流は、

一行でもあれば、矛盾と思わず最後まで読めると思います。

コウ
p3004-ipngnfx01kouchinwc.kochi.ocn.ne.jp

私が書いたことでお騒がせしているようですね。

森の中で滝があって、水量が増しても子供のふくらはぎ程度。歩いて渡れる。
これを読んで、私は森の中の小川をイメージしました。
そんな小川の流域は極めて小さい。おそらく1ヘクタール(10000㎡)から10ヘクタール程度でしょう。

10ヘクタールとしても、330m×330m程度です。
だからその最上流の天気と極端に違うことはあまりない。

仕事上こういう調査や解析を行うこともあるので、特に気になったのかもしれませんね。

金木犀
sp49-96-26-223.msd.spmode.ne.jp

へぇ、コウさんはなんの仕事をしていらっしゃるんですか?
また台風前の川を見たことはありますか?


最上流をイメージされたといらっしゃるのですが、子供が遊んでいける範囲なんて限られています。そんな険しい山を登っていけないのでは?

高台まで通じる道にある川です。なわけない。
森の中にいる川といっても、小川とは書いてませんから、石を伝って渡るわけですからコウさんが仰ってる川をより広いのは確かですね。

で、それでも矛盾していらっしゃると?

蛇行している川の水流ですからね。些細な雨でも変化するものですが、私の知識不足なんでしょうか?

金木犀
sp49-96-26-223.msd.spmode.ne.jp

や、10ヘクタールは広いですね。
そんくらいならイメージぐらいです。確かに。

コウ
p3004-ipngnfx01kouchinwc.kochi.ocn.ne.jp

金木犀さん

よくわからんけど、突っかかってきますね。

>へぇ、コウさんはなんの仕事をしていらっしゃるんですか?
>また台風前の川を見たことはありますか?

はい。河川改修設計もやりますし、現況調査も若いときはよくやりました。

>高台まで通じる道にある川です。なわけない。

河川沿いの道とは書いてないですね。川を渡った後、行ったのでしょう。高台に続く石段ですから、道と言っても人が歩ける道ですね。しかもしっかりと手を繋いで慎重に上っている。
「なわけない」の根拠を逆に聞きたいですな。

>森の中にいる川といっても、小川とは書いてませんから、石を伝って渡るわけですからコウさんが仰ってる川をより広いのは確かですね。

私の言った川より”確実に広い”と言えるということは、私の言った川は何mなのでしょう。
把握していると言うことですよね。

>」蛇行している川の水流ですからね。些細な雨でも変化するものですが、私の知識不足なんでしょうか?

完全に知識不足ですね。それに蛇行していると、どこに書かれているのでしょうか? 行間から読み取ったのでしょうか?

その地点における水量は、降雨量、流域面積、流出係数、流下時間によって決まります。
一方、水位は勾配、粗度係数、断面によって決まります。

通常、滝があるような地形は平坦部にはありません。山地部ですよね。通常蛇行するのは平野部の勾配が極端に緩い部分です。
勿論山間部でも地形に合わせて流路は曲がりますが、それを蛇行とは言いません。そして蛇行は水位変化のパラメーターにはなりません。

金木犀
sp49-98-38-142.msd.spmode.ne.jp

こんちゃ。
お騒がせして申し訳ない。でも、結構気にならないです?
今回の争点となる部分は、台風時における上流の描写です。
当然ながら、正確な知識を持っておくことに損はないことでしょう。


僕としては台風が進んでくる方向に合わせて雨が降る可能性は高くなっていくはずで、ならば山の中腹部分では雨が降っていなくても上流では振っていることもそれはあると経験上僕は思ってます。しかしデータを提示できない。あくまでも主観でしかないからです。
コウさんが専門家であり、データをお持ちなのであれば、よろしければ提示していただきたいですね。
専門家でないのに、ホラを吹かれて信じるわけにはいかないので、そこらへん申し訳ない。疑っておりました。しかし自分に知識は不足しているのは確かです。ご教授ありがとうございます。


>>『流域』1ヘクタールは狭いな、と思ったので、んなわけないやん、って書いたつもりでした。
しかし、すいません。これは僕の読解不足でした。10ヘクタールは広いですね。

僕も森の中にある川だと思っていました。山腹の、それなりの広さのある、ね。そこらへんの認識は一致しておりました。あくまでも流域1ヘクタールに反応したことです。そこは私の認識が不足ですね。すいません。

上流にいくと、傾斜勾配が激しいため、くねくねとまがっているのですが、それは専門的には蛇行とは言わないのですね。
蛇行して進むため、山腹の一部で雨が降るとき、蛇行面積が広いと雨の降る領域は広くなるので水位が増すと思ったんですが、そんな単純なものではないということですか。


いずれにしても、雨が降れば水量がまし、水位が上がるのは確かだとは思いますが。

コウ
p3004-ipngnfx01kouchinwc.kochi.ocn.ne.jp

金木犀さん

まず確認しますが、
「高台まで通じる道にある川」と書かれていますか?
「蛇行している川」と本文にありますか?
”確実に広い”と言えるということは、私の言った川は何mなのでしょうか?

きちんと読んでから絡んできたのでしょうか?


その地点に流れてくる流域10haなら妥当と思うなら、10haにしましょう。
流域は不定形ですが、330m×330mと仮定しましょう。
その場合、降った雨が最上流からその地点まで流れてくる時間は10分から15分程度です。
つまり、その時の水位は15分前に降った雨が主となります。

もちろんたくさん雨が降れば、山(木の根)や地下水の涵養量が増え、雨が止んだあとも多少水量は増えますが、大量の雨が降った場合です。

「本文には、忌まわしいほどの晴天が続いた」と書かれているから、それまではずっと雨が降っていなかった。
また、私も彼女も雨に遭遇していない。330mといえば、400mトラックの3/4ちょっとです。雨が降っている場所と降っていない場所の境目は必ずある。通常はグラデーションのように変化する。そんな小さな範囲で上流だけに水位の変化がわかるほどの大雨が降ることは考えづらい。

仮に降ったとしても、そんな大雨ならば清流も濁るでしょうね。

コウ
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追伸
この部分は本編の内容には大して重要な部分と考えていません。
だからこそ、「ちょっとした矛盾」と書いたつもりです。

飼い猫ちゃりりんさん
すみませんでした。

金木犀
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こんちゃ。

>>高台に通じる道にある川かどうか
→確かに文中では高台に通じる川とは書かれていません。しかし川で遊んだあと、高台に連れて行けるくらいの距離なので、僕はそう表現しました。
>>蛇行している川かどうか
→書いていません。しかし、山の中で遊びまわったことがある僕からすれば川の流れに沿って歩くと、くねくね

>>確実に広いかどうか
→あの、僕はあくまでも流域1ヘクタールに関してそれよりは広いと思うと書いたのであって、

金木犀
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こんちゃ。

>>高台に通じる道にある川かどうか
→確かに文中では高台に通じる川とは書かれていません。しかし川で遊んだあと、高台に連れて行けるくらいの距離なので、僕はそう表現しました。
>>蛇行している川かどうか
→書いていません。しかし、山の中で遊びまわったことがある僕からすれば川の流れに沿って歩くと、くねくねと曲がるもんだと経験上僕は理解しているので、山、川、とくれば、蛇行しているみたいなイメージがあるのです。
ためしに写真で山から流れてくる川を見てみてください。一つの蛇行区域に複数の瀬と淵があり、淵から瀬へ滝のように流れ込むのが基本です。僕は、それを当然と考えているので、書かれていなくても、山にある川と書かれていればそんなものだという認識です。

>>確実に広いかどうか
→あの、僕はあくまでも流域1ヘクタールに関してそれよりは広いと思うと書いたのであって、10ヘクタールくらいだったらそんなもんかしら、とは返したつもりです。さすがに滝つぼがあって、石を渡りながらあるくくらいの川の幅なら、1ヘクタールはあり得ないと思ったのです。
 しかし、それ以上ならば、まあご自身でもおっしゃっているように流域というのは不安定であることは前提の元、10ヘクタールくらいならそんくらいかな、と思った次第です。

きちんと読んでいます。読んだうえで訂正はしています。誤解されちゃうかもな、と10ヘクタールならそんなもんかもな、と返したつもりでした。が、それでも僕の方になにか考え違いがあるというのなら申し訳ない気づかなかったです。そもそもどこまでが流域とするのか、わかんないけどね。次の滝つぼがあるところかな、とかいう浅い知識で返しております。

しかし経験上、なのですがね。山のふもとでは雨が降っていなくて晴天でも、山の頂上では雲があるものですよね。ある程度の高さにある山で雲がないことってありますか?
山の天気がすぐに変わるのも、朝ふもとでは晴れていても、日中平地を温めてできる上昇気流により雲が発達しやすいからです。そのため山の頂上で発達した雲が降るというメカニズムなのではないでしょうか。山中や麓では降っていなくても、だから頂上では雨が降るのでは?

その上で、ですね。高台に通じる場所では晴れていたとしても、それは山の頂上で雨が降っていないということではない。また、台風が近づいて主人公がいる場所より上にあるところで雨が降り始め、水量が増えたのなら、『台風のせいで水量が増した清流は』と表現したとて、おかしくないことだと思ったのです。

大雨じゃなくても、上流で降ってたらそりゃあ増えるじゃん、って思うのですが?
15分前だかどっかはわからないけど、すでに曇っているのならいつ上で雨が降っていても気づかないんじゃないかと思いますけどね。

よって、僕は台風によって水量が増えて水かさが増していると書くこと自体は矛盾しているとは思えなかったのです。


けど、専門家がおっしゃるなら、僕が間違っているんだともいます。やはり自身の経験で、水かさが増した川を見たことがあることが偏見の元なんでしょうね。
そうか、台風のせいじゃないのかあ。

飼い猫ちゃりりん
123-1-111-26.area1b.commufa.jp

コウさま、金木犀さま、青井水脈さま。

雨が降る場面は絵になるので採用です。ありがとうございます。

描写とは、読者にその光景を思い浮かべさせることだと思っています。

どんなに合理的で、科学的に正確でも、読者が思い浮かべることができなければ、その描写は失敗です。

どんなに非科学的でも、読者がその光景を思い浮かべることができるなら成功だと思います。

今後はすべての人がその光景を思い浮かべることができるような描写をしてみたいと思います。

金木犀
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二重投稿すいませんでした。

気づかなかった( ╹▽╹ )

全ての人に伝わるのは難しいですね。認識というのは常に誤謬があるものですから。

僕も、別に些細な矛盾だとは思いますが、自分が書くときの役に立つ議論だと思い突っ込ませていただきました。

お騒がせしてすいません。

飼い猫ちゃりりん
123-1-111-26.area1b.commufa.jp

金木犀さま
確かに役に立つ議論でした。
コウさま、青井さまにも感謝しております。

金木犀
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あ〜、

淵から瀬ってなんやねん

瀬から淵ですね。すんません。

飼い猫ちゃりりん
123-1-42-138.area1b.commufa.jp

いえいえ。どーいたしまして。

金木犀
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 や、再訪です。
 飼い猫ちゃりりんさんに聞きたいんですが、この描写、どこまでが実体験入ってるんです?
 台風前に水位が上がった清流を見たとかいう実体験だったらさらにリアリティ考えれるからさ。僕も見たことあるんですよ。普段よりは濁ってるんだけど、透明で、まだまだ清流の上流をね。

 だから問題は水量が増えているかいないか、ではないんだと思う。普段より増えてるならそれは山腹では降ってなくても上流で雨が降ってるからに他ならないから。
 こんなことをくり返すと、なんかコウさんには『台風の雨なら清流にはならないだろ馬鹿か』と鼻で笑われる可能性はあるんだけど、じゃあなんで僕はしつこく水量は矛盾してないと指摘したかというと、どうすれば違和感がなくなるか、どうすればうまい描写となるかを話したかったからなんですよね。


 普段どれほどの水位がある川なのかは明示されてないから、ふくらはぎに達するってのは実は曖昧な表現ですよね。
 ここは意図してのことなんですか?
 どのくらい雨で、水が濁るかも、曖昧ではありますよね。
 事実、現実では台風が来て、水位が上がってもしばらくは濁らないタイミングもあるかと思います。(ちなみに僕は見たことがあります)
 ただ、やはり雨が激しければ激しいほど水量は多くなるし、濁る要素は加速度的に増える。土砂崩れなども起こしやすいはずで、読者からすれば違和感を感じる要素は増えると思います。

 じゃあどうすればリアリティって出るんですかね。説明を増やせば良いのでしょうか。いや、かえって野暮ったくなるし、言い訳臭くなる気もします。特に台風が来てるのに中腹はまだ曇りで、という舞台設定には作者の作為、フィクションを感じるから、余計に嘘くさく感じるかもしれません。

 だからなかなか難題ですね。
 ドラマチックかつ、リアリティのある描写を考えるのは。
 だからこそ僕は面白く感じてしまったわけですが。


 今回、僕にとっては上流では蛇行とはあんま言わないってのは収穫でしたね。これは知り合いの方にも確認しましたし、中流以降から明らかにしている形を指して使う表現、というイメージがあるみたいですね。


 僕なりに資料漁ってみたんだけど、蛇行の基本は高いところから低いところに水は流れるからで、その基本は上流でもあまり変わらない。曲がりくねる川の習性自体、上流下流の区別はあんまないように思う。瀬と淵の関係性も。もちろん地形は大いに関係してはいるんだけど、曲がりくねらない、ということはなく、川は蛇行するのが自然の形ではあるんだろうね。ただ、上流では蛇行ではなく、蛇行区間みたいな言い方で濁してる感じはあるのかな。

 ま、上流の水流は、蛇行してるかより、そのポイントとなる沢の合流してる数の方が大事になってきそうだね。ここは本当に僕の考え違いだったんだと思う。

 勉強になって良かったです。はい。

コウ
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>僕なりに資料漁ってみたんだけど、蛇行の基本は高いところから低いところに水は流れるからで、その基本は上流でもあまり変わらない。曲がりくねる川の習性自体、上流下流の区別はあんまないように思う。瀬と淵の関係性も。もちろん地形は大いに関係してはいるんだけど、曲がりくねらない、ということはなく、川は蛇行するのが自然の形ではあるんだろうね。ただ、上流では蛇行ではなく、蛇行区間みたいな言い方で濁してる感じはあるのかな。

蛇行は水の浸食作用や掃流力により形成されます。瀬や淵も同様です。当然水が流れていれば、上流でも下流でも同じ作用や力を有しています。だから世界に目を向ければ、上流域にも蛇行河川はあるでしょうね。

ただしその場合の条件には、浸食できる地盤と運ぶ砂や土が必要となります。堆積物(土等)が厚ければ浸食もできるし、小さな粒子であるほど水の力で運べます。

一方、日本はこの狭い国土に3000m級の山々を抱えています。急勾配の地面を支えているのは、浅い位置にある基盤岩です。この基盤岩や割れた転石が“私や彼女”のところにある滝も造りだしています。

蛇行とは蛇の走行状態やその軌跡からできた言葉ですよね。蛇は背骨があるから直角には曲がらず、常に曲線で形成されます。

中流域や下流域には、上流から長い時間を掛けて運ばれる間に細かくなった砂や土が大量にある。川は自らのダイナミズム(内的要素)によってそれらを浸食し、堆積して美しく蛇行しながら瀬や淵をつくるのです。

上流域においても川は曲折しています。しかしその過程は、中流下流域とは全く異なります。急流を流れ落ちる水は低いところを追い、その行く手にある基盤岩や大きな転石により強制的に曲げられる。つまり外的な要素によって流れる方向が変えられた結果なのです。

ですから、下流域の蛇行と上流域の曲折は見た目も大きく異なります。

金木犀
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要するに見た目的に蛇の形をしたような曲がりくねり方ではないのだから蛇行とは言わないということですよね。

補足ありがとうございます。

飼い猫ちゃりりん
123-1-42-138.area1b.commufa.jp

金木犀様

科学の問題は科学的に、芸術の問題は芸術的に扱うべきと思っております。

科学者と子供(芸術家)では真実へのアプローチの仕方が違うのです。
科学者は真実を求めるが、それはあくまで科学的真実です。

蝶の真実。
科学者は蝶を捕らえて、ピンでとめて研究したりします。
だから研究しているのは蝶ではなく、「蝶の死骸」だったりもします。

子供(芸術家)は戯れて、つまり一緒に生きてみて真実を学びます。
子供(芸術家)は命を求めているから、つまり定義(ピンどめ)をしないのです。

金木犀様もコウ様も青井様も、おそらく、「命の表現」に違和感を感じたのでしょう。
どこかで命が途絶えてしまったと。
つまり、この短編の中に流れている「水」は偽物なのでは、「どこかで命が分断されている?」という疑念が生じたのでしょう。

水、空気、土、火。
これらは全てに影響を与えるものだから取注なんです。
全てとは、芸術作品自体に、つまり命にかかわっている。

だから子供(芸術家)は自然と戯れて、つまり一緒に生きてみて、学ばなければならない。

京王J
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読みました。

作中の川について、コメントでいろいろ議論があるようですが、結局、書き手の飼い猫さんが、自ら描写した川について、どれだけ具体的なイメージを持っていたかに帰着するのではないでしょうか?

申し訳ないですが、私は、作中の川がどんな川なのか、読んでもよくわかりませんでした。

川や山のリアリティは、普通の人が読んで違和感がなければ小説としては問題ないと思います。
個人的には、科学者と芸術家の世界の捉え方の違いではなく、飼い猫さんの小説の作り方の問題だと思います。

失礼ながら、飼い猫さんは実際に書き出す前段階のところに「何か」あるような気がしてなりません。

川に対して科学的知識を持っていなくても、たとえば川の絵を手を動かして少し書いてみたりすると、いろいろ気づくことがあるような気がします。

偉そうにすみませんでした。
この作品は素敵だと思います。

飼い猫ちゃりりん
dw49-106-193-234.m-zone.jp

京王J様
いつもありがとうございます。

風景をイメージできない原因は主に2つ。

①文章が下手くそ。要はテクニックの問題です。

②作者自身がイメージできていない状態で書いてしまっている。
これが京王J様の御指摘です。

鍛錬中の身ですから①当然として、②について説明すると、やはりあるのだろうと思います。

脳内で作者自身がもっと鮮明に、「現実に体験する」必要がある。
作者は登場人物と感情を共有しなければならない。

そこで注意する点は、「川」ではなく、物語を体験する必要があるということです。
「川」だけを抜き出してイメージしても、あまり意味がないような気がします。
現実とは現実的な虚構のことであり、それは人間の感情と切り離して存在しているものではないからです。

またよろしくお願いします。

ひでぶ! アベ死!
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意外に思われるかもしれませんが、僕はこのタイプの作品が嫌いじゃない。
自分では書かないし書けないけれども、不思議なことに嫌いじゃないです。

飼い猫ちゃりりん
dw49-106-186-76.m-zone.jp

ぴでぶさま
嫌われなくて嬉しいです。
またよろしくお願いします。

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