満月
ジャングルの奥。
ヤリのような木が二本、星空に伸びている。
星々を背景に大きな満月が浮き出て見える。
上半身裸の祈祷師が口上を述べる。
「二本の神聖な木の間に満月が昇ったぁー」
人々はその口上に聞き入る。
「ただいまより、生け贄の儀式をおこなう」
この部族にはまだ生け贄の風習が残っている。
それはこうだ。
ヤリのような二本の木の間に満月が昇ったとき、その年に生まれた子の中で3という数字に関係する子を神にささげるのだ。3の関することがらが多いと神が喜ぶとされている。
「今年のいけにえはー」
母親たちは赤ん坊をしっかりと抱きしめている。特にまだ一歳になっていない子を持つ母親は気が気でない。
「この子だ!」
指をさされた母親は子どもをしっかりと胸にだきながら泣き崩れた。
「今年のいけにえは神様も特にお喜びになるだろう。なぜなら、この子が生まれて今日でちょうど333日目だ。このような縁起のいい赤ん坊はめったにない。みんなぁー、今年は食べ物には困らないぞぉー」
祈祷師がそう叫ぶと、人々の中から歓声が起こった。中には自分の子どもが選ばれなかったことで、まわりに笑顔を振りまく母親もいた。隣同士肩をたたき合う父 親もいた。年寄りたちは神様が喜んでくれることで食べ物には不自由しないことがわかって喜んだ。子どもたちは一年に一回のこの祭りに興奮している。
ただひとり、子どもを抱いてうずくまる母親……
この子が生まれたときから母親は今夜のことが気になっていた。それは今年子ども生んだすべての母親がもつ不安だった。しかし、この生け贄の儀式のことを口にすることは禁じられていた。神の罰を恐れたのだ。
子ども生んだ若い夫婦はふたりきりになって儀式のことを口にした。中には二本の神聖な木の間に満月が上がる日を数えてみるものもいたが、 その日は誰にもわからなかった。なんとか自分の子どもだけは生け贄を避けなければならない。それが子ども生んだ若い夫婦の共通の思いだった。
うずくまっている母親の胸の中で、生まれて333日目の子がすこやかに眠っている。
「お願いです。この子だけは……この子だけは。やっと生まれた子なんです……」
母親が必死に周りにすがる。
祈祷師がゆっくりと祭壇から下りてくる
観衆は静まりかえっている。
やがて祈祷師は母親に前に立つとすっと両手を差し出した。その手はもうすでに血でそまっていた。子どもの生け贄の前に、山羊を生け贄にしていた。その山羊の血が祈祷師の腕からすっと垂れた。
祈祷師はだまって両腕を伸ばしたままだ。「その内、見ている人々から声が上がる」と祈祷師は思っている。例年そうだ。少し間をおいて観衆の奥の方から声が上がる、太い声……
「みんなのためだぁー。みんなを救うためだぁー」
その声に呼応して、観衆が叫び出す。
「早くしろー、何をしているー」
祈祷師だけが、だまって両手を差し出している。
その時だ。
上の方でなにやら音がしたかと思ったら、いままで満月で照らされて白く光っていた祭壇がにわかに暗くなった。
観衆は何ごとが起こったのかと静まりかえった。
祭壇を包み込んだ闇は次第に人びとをも飲み込もうとしている。
静まりかえっていた人々が騒ぎ出した。
まず母親に抱かれていた赤ん坊が異様な泣き声を出しはじめた。その泣き声を聞いて、子どもたちが家の方に走りはじめる。老人は何かぶつぶつ言いながら目をつぶる。青年だけがカッと目を開き、そのだんだんと大きくなる闇を見つめていた。
「この子だぁー」と名指しされた母親とその子だけは、しゃがんでいるために何が起こっているのかわからない様子だ。
祈祷師が叫んだ。
「満月が、満月が……消えた……!」
いままで、煌々と輝いていた満月が忽然と姿を消していた。
人々はパニックとなり逃げまどうばかりだ。やがて広場にはうずくまった母親とその子だけが残った。
「もうだいじょうぶだよ」
その母と子にやさしく声をかける男。
父親だ!
手には長いツタと椰子の葉でできた大きな傘を持っている。
「あの高い二本の木の間にツタを張って、その真ん中までいってこの椰子の葉の傘で満月を隠したんだ。この子を救うために頑張ったよ」
父親はそう言うと、父と母は二本の高い木を見上げた。
そこには満月が金色に輝いていた。
母親に抱かれた子だけがすこやかに眠っている。
執筆の狙い
以前、このサイトに何回か書いていました。
PCの奥のファイルに童話みたいなものを見つけたので、アップしてみます。
これから少しずつアップしていきます。よろしくお願いします。