作家でごはん!鍛練場
塗装屋の兵たち

菅野國彦

1生い立ち
 昭和48年3月にこの世に誕生した。
横浜生まれ横浜育ち
幼少期から亡くなったオヤジの血筋で
手癖が悪く、頭も悪かった。
よく金を盗っては頭を引っ叩かれていた。
私としては小遣いをくれないから
盗っていた。
サッカー部にもいてボールと友達だった。
日が暮れてもボールを蹴って遊んでいた。
しかしサッカーボールが切れたりして
パンクしても新しいボールは買ってはくれないからサッカー部のボールを盗って名前を書いて自分のものにしたりした。
O中学に入学し
入学式の時だった。
体育館で式が行われ校長が式辞を
読み始めた時にゴリラ50ccで吹かしながら
体育館にパンチパーマの先輩が乗り上げてきた。
更に階段をゴリラでのぼり
校長のマイクを取り上げ
「オレが三年の○○だ、よろしくな!」
とデカい声で叫び体育館内を3周ぐらい
ゆっくりと自分たち父兄のあたりをフカしながら
走り回り去っていった。
案の定、ロケット花火が静かな体育館内に
打ち込まれ爆竹も鳴っていた。
帰ってから晩御飯時に
あの中学校は悪のマンモス学校だと親から教えててもらい知った。
通学していて分かり始めてきた。
チャリ通学は当たり前、車で通学する
先輩方もいた。
改造した単車もよく校門のところに
停まっていた。
入学した当時は積み木くずしとスクールウォーズをたしてニで割ったところを妄想して頂けたら
嬉しく思う。
私が一年も終わる頃、女子で一番目立つ存在だった麻紀が不登校で先輩たちとシンナー、社部などで泊まり遊び妊娠もしていた。
施設へ送致されて全く存在感が無くなっていった。
そんな頃私共友達三人も不登校で麻雀、ポーカーゲームに明け暮れていた。
やがてファミコンが流行り出し、金持ちの友達の家でドンキーゴングや魔界村、スパルタンXにハマり遊びまくり毎日の様に焼き鳥を食わせて頂き
出前もとってくれたりした。
その頃、珍歩の痛みにうすうす感じながらも
ファミコンに集中していた。
しかし日に日に小便する度、珍歩の先が痛み
やがて我慢出来ない痛みに襲われ膿も先から
出ていた。
慌てて病院へ行き泌尿器科の窓口で痛みを
告げ看護婦が便所を指差し私はガラス板の上に
精子を出してくる様に言われた。
真夏の病院の狭い便所で岡津無しでマスターベーションするが熱さに負けて息切れして
しまい、休憩を挟みあとは、何を妄想したのか
やたら時間をかけて板上精子をのせて看護婦に差し出した。汗だくになりこの便所で罪悪を感じ苦労して出した結果は、淋病だった。
思い当たるは、施設へ送致された麻紀の存在だった。むしろそれしか原因が無かった。
その日から抗生物質の薬で投薬治療を受けて一週間程で治り元気になった。
当時、自分の部屋の天井に西村知○や島田奈○の
ポスター週間少年ジャンプ付録を貼り、友達たちとゴロンと寝転び、マスターベーションを一生懸命して天井のポスターに届くかと、飛ばしっこをよくやっていた。床は精子まみれになるが、
後にティッシュで拭けばオッケーだった。
かなり撒き散らした事を覚えている。
煙草に火を着けて罪悪にかられ、シンナーを吸い
麻雀、ポーカーゲームをし、腹が減ったら中学校近くの駄菓子屋でどこからか盗った金で駄菓子を買い食いしながらテーブルゲームに明け暮れていた。
しかし三年の先輩たちから逃げる様に遊んでいたある日の事だった。
○○連合のパー券の付き合いや恐喝、呼び出しなど
やたら金のかかる学校で、賢く金を盗っては
先輩に渡す日々が続いた。
渡すはずの金が無かった日には、真夏の教頭の自家用車のトランクに入れられ監禁されたものであった。車で引きずられたり色々と大変な思いもした。
ボンタン(制服ズボン)も伊勢崎町で新調し解禁シャツも何枚か買いシャツの中には、赤や黒のTシャツを着て格好つけているつもりだった。
しかし喧嘩や先輩からの揺りなどで、身につけているものは、破かれたり盗られたりと忙しかった。
横浜駅西口五番街によくいるチョン(朝鮮人)ともよく喧嘩もした。
「殴りこみだ」とチャリを連ねてGジャンGパン姿で、手にはナックル、三節棍、警棒を持ち立ち向かって行ったのを、覚えている。
何とも若気の至りである。
近隣の中学校とも喧嘩した。
M中やN中はしょっちゅう揉めていた。
授業で勉強などした記憶が無かったが
そんな私も受験となると焦り真面目に勉強していた。しかし出席日数が足りずY高校の定時制に
補欠で入学出来た。
良かった。私もいよいよ高校生か、嬉しくてたまらなかった。
高校へ進学した私は、日中、現場で仕事(塗装)に
励み夜は学校で給食を食べて授業を受けた後は部活で卓球をしたり野球したりしていた。
初夏に入り夏休み、仕事などそっちのけで遊びまくっていた。
何気に意気投合した同級生の香織出会った。
学校帰りも送ってあげたり込み上げる性欲で満ち溢れていた私は夜の海の公園に誘った。
人工の砂浜海岸に着くと海の家へ忍びこみ
ジュースを勝手に飲みながら話しが熱を帯びた。
砂まみれの畳に香織を、押し倒し行為に及んだ。
聞こえてくる波の音に香織の喘ぎ声、というより
「痛い」「痛っ」「つつ」と言う香織に余計に興奮してしまい切磋琢磨していったのであった。
処女で血がヌルヌルに変わり更に激しく私は
ピストンした。
しかし立膝が擦り剥けて出血していた。
そんな事もお構いなく膣内で発砲した私は
天に感謝し夜空を見上げて暫く放心していた。
二回戦、三回戦も勝ち誇った私は、香織が
本気で好きになった。
まだあどけなさがあって少女なんだと感心していた。ソバージュの髪からいい匂いがして畳みに腰掛け抱きしめた。しつこいくらいのチューに
舌を絡ませべろべろと啜っていた。
胸も淡いピンク色の椎茸がツンツンとしていた。
まるで子供の様に椎茸を吸い上げ、もんもんと
マッサージし続け最後に押し倒しとどめを刺した。息を荒げ乾いた喉に冷えたサイダーを盗り二人で煙草を回して夜の海に乾杯した。
汗だくで闘った代償は膝から出血した私と
処女を一般解放して出血した香織との盃であった。
打ち寄せる波の音に私は香織の膝枕で私は静かに眠った。夏の夜明け、なんとも清々しく感じた。香織に「帰るか」と見ると香織も眠っていた。疲れちまったんだと逆に香織を眠らせておいて座布団を掛けてあげた。暫くすると「ねぇ寒い」と言い起きて朝焼けが映す波を二人で見ていた。お母さん香織帰ってこなくて心配してるじゃん、と切り出し手〜握ってお越して、
盗ったバイクで香織の家に送り
帰宅した私は朝方の空気とシンナーをビニール袋で呼吸して眠りについた。
そんな夏休みも終わり、仕事をして
登校が始まった。
遊びすぎた夏休みの余韻があって下校時間も関係なく学校横の川で似た類の仲間たちとシンナーを湿らせたティッシュを握りバイクを乗り回し遊んだ挙句、K警察署の巡回にパクられて学校も退学となってしまった。
鑑別所送致となり香織とは消滅した。
Y鑑別所ではブッチャーという幅のきかせた
オヤジがいた。
風呂の時など担当していたブッチャーは
風呂を時折デカい棒で掻き回し
聖徳太子の様に風呂全体を見下ろしていた。
「5分前〜」
急いで風呂桶に浸かり温まっていた。
「出浴〜」「終わり」などデカい太い声でブッチャーは言う。
房では、家族への思いの絵を書いたり、折り紙ちぎって貼り絵をしたりした。
皆少年の為、性欲は無駄に有り週間少年ジャンプからちぎり岡津としてオヤジに見つからない様に
便所でマスターベーションし、
何も無かった様に便所から出てくる。
そんな一か月を過ごして娑婆に出ると
真っ先に帰宅しビニール袋を持ち養分を吸い上げていた。
ある日友達の紹介で美栄を知りすぐさま付き合いが始まった。
ワン連ボディコンの美栄は美しかった。
野毛のマンションで同棲生活が始まり毎日の様に
SEXしていた。
タイプであった美栄はバス、電車では
必ずと痴漢に合う事を悔やんでいた。
丁度その頃、仕事の先輩の誘いで某会系右翼団体に入社したのである。
美栄の困った顔を見た私は、戸塚駅から横浜駅に向かう電車にミニスカートの美栄と乗り、痴漢にあったら吊り革握る指を立てる事として私は
少し離れた場所から美栄の手だけを見ていた。
電車が走り出し数分たたないうちに美栄の指が
上がった。
人をかき分け様子を見ると確かにオッサンの
手が美栄の尻に当たっているのを確認した。
その手首を捻り上げ横浜駅で引きずり降ろし
とりあえず二、三発殴り「誰の女に触ったんだ?」と問い詰めるとそのサラリーマンのオッサンは平謝りしてきたから、胸ぐら掴んで、
背広に刺さってる会社のピンバッチを取り
財布を取り上げ金だけ抜いてぶん投げた。
「もうやるんじゃない」と蹴り飛ばし
横浜駅でランチを食べながら
美栄は気持ち悪かった〜と呟き
悪かったな、と金を分けた。
しかしあの美貌で肌を露出しミニスカートだったら私なら押し当ててると思った。
それからというもの仕事をしながら
右翼活動をし事務所当番もあった。
定例街宣の日と当番の日は仕事を休み
その合間に美栄と会っていた。
平凡なある日、シンナーが元から切れた日かあり
新宿へ友達四人を車に乗せて走らせた。
新宿に着いて草の茂みからC瓶五本を取り
車に乗り走りだし五分程した信号待ちで、
急に車のガラス部分に外から毛布をかけられ身動きがとれなくなりH警察署にパクられた。
運転していた私が罪を被り、N鑑別所へ送致された。昔のN鑑はかなり厳しく蹴り上げられたりした。直ぐにY鑑別所に移送されまたかと一か月程収監され娑婆に出たら美栄は男を作ってどこかへ行った。数年後中華街で偶然会ったがお互いに連れていたからじゃあね、だった。
その頃18才の私は西谷の先輩に社部を、打ってもらったりしていた。当時の社部の純度に勝るものは無いくらい良く出来ていた。
髪の毛は逆立ち身体が中に浮き凄物だった。
誰もがやっていた。幸せの前借りと言う。
スプーンに社部を少し入れてポンプに吸った水を針先からぴゅ〜と出し爪楊枝でぐるぐるとかき回して社部を溶かす。溶けた溶液をポンプで吸い上げ入った空気を爪でポンポンしながら押し出し
ピュッと溶液を出す。
腕を固定しゴム管などで締めてうっ血させて
血管を出し針先からゆっくり刺していいとこでとめてポンプを引いて血をみる事になる。
そしてゆっくり戻す。
飲んだり吸ったり舐めたり自由だが
やはり直血が効くらしい。
昔ならこういった話しをしただけでスイッチが入ってしまうところである。
そのタイミングで社部を味わった私は完全に虜になっていった
グロリアY30ブロアムVIPのシルバー色、シャコタン、燃費が悪く一日二回燃料を入れていた。
夜中のコイン洗車場で投光器を照らしながらいじっていた。
兄貴と私のY30でちょいぷらしていた時の事である。コンビニ前でたむろしてる原付二人が視界に入った。「いいもんあるょ!」と声かけたら
反応したのを見逃さなかった。
Uターンして横付けするとやる気まんまんだった。
いわゆる昭和の難破はこんなものである。
その二人組の一人早苗を知ったので付き合いが始まった。
シンナー好きで、置き場所に困った一斗缶を
早苗の家に置かせてもらっていた。
やがて結婚して子供三人授かり家庭らしく
私は起業し塗装屋をやっていた。
家は家賃15万円の借家に車は新古車でセルシオやマジェスタを好んだ。
その頃、アストロが流行り出し車贅沢三昧だった。
家庭がうまくいってるのに、社部は切れなかった。毎朝の事だが一発いれての出勤姿を今思えば
結婚しているのだから、家族を一番に考え爽やかな汗をかいて仕事を真っ当にするのが私の仕事だった。
しかし大回りして気がついた時には手遅れで後に
精神病になり難病になって命の大切さを
知る事になる。


と束の間、パクられてしまった。
S刑務所に一発でイッてしまったのである。
出所しても癖が治らず、精神病院に
ダルクも入寮した。
夜勤の多いガソリンスタンドの塗り替えの仕事が主だった。
殆ど仕事になってなかったと思う。
やがて精神的な病にかかり社部を入れないと
仕事にならなかった。五年後内定入っていたのも
知ったのにも関わらずガサが入り再びパクられて
T刑務所へ移送される事になった。

嫁が勝手に離婚届けを出し条件つきで
離婚となった。
私は本当に申し訳なく思い刑務所から週ニで嫁子供に信書を発信していた。
勿論、返信は無くてでも出所間際まで発信し続けていた。
こんな形で終止符をうった訳たが元嫁、子供たちを本当に愛していた。
精神薬を飲んでいたので工場には出してもらえず
独居の同じ机の定位置に同じ座る場所、窓から
見える建物の裏側の同じ景色でずっと書き続けていた。謝罪を意味する書面だったと思う。書く事か小説を読む事だけ許されていた。だから私は家族の名前の練習やノートの下にアンパンマンが載っていた新聞紙をかまして薄くなぞってアンパンマンを描いていた。子供が少しでも喜ぶかなと思いながら書いていた。夜は天井から聞こえてくるラジオを聞いたり、15分毎に巡回オヤジの目を盗み何かをおかずに珍歩をつまみマスターベーションしたりしていた。とにかくやる事が無くある時は珍毛を結び繋げて遊んだり眉毛を抜いたりしていた。見つかった時には懲罰房いきだった。
出所する時、カビ臭いボストンバックと何やら紙袋をオヤジが手渡した。
なんだろと見ると今まで書き続けていた信書が
どっさりと入っていた。
ああ、と思い鉄の扉をくぐると雪が積もっていた。駅の方角を指差すオヤジの方へ積もる雪の中
駅に向かい歩いていった。
途中、田舎すぎてよくわからなくても
オヤジの指の方向へ向かうが倒れて雪に埋もれた。出所して嬉しいはずが、悲しく涙した。
辺りは深雪で静まり返っていた。
駅から特急で京都駅までいった時、ドコモショップで携帯を買った。アンテナが無い事に驚いた。
新幹線で東京駅に着いた。
家に帰ってみようと思い帰るとそこは空き家だった。
東京駅で行き交う人々を暫く見ていた。
ここ東京でも悪行に手を染める人間は
枚挙にいとまがない。

2精神病院、ダルク、

懲役で変な薬を飲まされていた為、
具合いが悪い状態で務めていた。
東京駅に着いても具合いが悪くて精神病院へ行って普通の精神薬を貰おうと思った。
まずは、在監証明があるから免許証の再交付に
行った。
そしてヤサをおく為、千葉の寮つきの塗装屋に
面接に行った。
事務所に着いて辺りを見回すと汚いオヤジが
ペンキの下げツボを掃除していた。
「面接にきました。社長いますか?」
と言うと「オレがそうだけど?」
正直驚いた。この汚いオヤジが社長。
挨拶を交わし椅子に腰を掛けた。
すると社長が「お務めご苦労様でした」
と言った。
私がルイ・ヴィトンのボストンバック一つ持って
この容姿から察したのか
「はい」と頷いた。
直ぐさま、事務員の姉さんに社長は
「飯だ、風呂だ、布団を用意せい」
と言ってくれたのだ。
寮に案内されて見たら廃墟と化した
ポンコツアパートだったが、
有り難く思い
ありがとうございます。
と深々と礼をした。
役所へ行き住民票を移動して
国民健康保険証をもらった。
具合いが悪いままだったので
千葉県の精神病院へ行き
診察を受け入院する事になった。
まずは薬の調整をした。
刑務所の医務の出す薬は
ガンころ一つみたくわけのわからない精神薬だった為、ずっと具合いが悪かった。
下総精神医療センターという
指折りの精神病院だった。
まだその当時、男と女共有で生活し
寝るベッドだけ別れていた。
入退院を繰り返していた私は
それほど変わりはないとソファーに腰かけて
本を読んでいた。
何気に隣の人が気になり
「何読んでるんですか?」
と聞くと表紙に野草を食べよう、
と書いてあり、あ〜そっちか、と理解した。
この病院は薬物治療専門だったので
同じ類の匂いのする人間がかなりいた。
生活していくうちにちぃと言う女性と出会った。
むしろ逆ナンだった。
年は20才そこそこでショートの似合う
可愛らしい女性だった。
生活するにつれ仲良くなっていった。
一緒に過ごす時間が長くなり
私の熱した珍ナビはちぃの方に射程を保っていた。
その晩、就寝が夜21時でTVも消えて消灯時間になった。
一度部屋へ帰り戻ってTVの前のソファーに座り
煙草を吸っていた。
するとちぃも隣で煙草を吸い果子を食べていた。
人影も無くなった頃、防犯カメラに映らない
死角に二人で移動しダンボールを敷き
ぺろぺろと舐めていき押し倒した。
シャツを脱がせサーモンピンクの椎茸を
舐めては吸い上げていった。
そして行為に及んだ。
誰にも見つかっていないであろうと
思いペロペロしていた。
満臭事変だったからやみつきになり
ベロベロと舐めまくった。
ちぃは風俗で働いているだけあり
しゅっぽりとした。
眠くなり部屋に戻ってベッドに横になりと
突然大男が現れて私を見下ろしていた。
薄暗い中よく見ると同じ病人だった。
どうやらちぃとの仲を勝手に嫉妬して
この野郎といわんばかりに見てきた。
「なんだよ」と聞くと何も言わずに去っていった。
その後も毎晩カメラの死角で行為に及ぶが、
ある朝、ちんころで職員にバレてしまった。
追求はされなかったが、ガッチャン部屋に
暫く入れられていた。
精神病棟など出会い場所みたいで
男女間の問題も多々あった。
そのうち外泊許可をもらいちぃと一日ずらして
娑婆で会い風俗の寮のマンションに案内された。
女二人で生活していたらしく部屋は散らかっており掃除を始めた。
千葉駅から近くて便利な場所だった。
一晩泊まり一発行為し辛抱たまらなく
中で射精した。
なんだかんだ一か月程の入院生活も終わり退院し
私も仕事復帰してちぃも仕事に戻っていった。
現場で外壁塗装していると電話が鳴り出ると
キマリすぎた声でちぃが、「たすけて」と
言ってきた。
社部が入っている口調で何か言ってるから
わからなくて、察するとどうやら不良の家で
ずけられていたらしく勘ぐりと奇声で
よくわからなかったがやった後で死にそうだと
言いたかったんだろう。
つーかやりすぎたのだろう、意味不明で
聞き取れず、呆れて電話を切った。
その一週間後くらいにまた電話がしぃという病人からあり、「助けて」だった。
どうしたんだ?と聞くと同じ病人の伊勢崎町に住む人間とやりずけられて、その病人がキマリ過ぎてI警察署にネタと包丁を持ち出頭したと言う事であった。
私はそこの部屋があぶないと思い車を飛ばして向かった。
部屋には狼狽えたしぃの姿があった。
来る!と思い道具などを探していた。
風呂の天板の裏に道具があり回収して何もない事を確認し部屋をしぃと出た。
その日は仕事だったが市原までしぃを送り
現場へ戻った。

後にまた具合いが悪い日が続き
前にも尋ねた横浜ダルクに入寮する事になった。
職員から説明を受け定員オーバーの為、
北九州のダルクへ飛んだ。
そこでも説明を受けたが具合いが悪くて国立の精神病院へ移った。
知らない土地の病院で暫く養生した。
一週間程で退院し北九州ダルクへ
戻った。
日中はミューティングに運動をして
寮に晩帰った。
おのおの買い物をしに近くのスーパーに食材を揃えに行った。
一食600円程の食糧を買い寮に戻り
調理を始めた。
四人分の調理を、手伝い晩御飯を食べた。
なかなか美味しく頂きました。
何気なく便所にいき用をたしてふと小窓から
下を、見ると使用済みの道具が散乱していた。
これじゃ意味がないと思い逃げる様に横浜へ
飛んだ。
その寮の建物には某会の事務所も入っていた。
ダルクは職員も行為に及んでしまう話も
聞いた事があった。
次第に少し改善したので
結局、千葉のあの社長の元で
感謝しながら働いていった。


3 欲望
 二年程お世話になった社長に
横浜で仕事があるからと挨拶して車で
横浜へ向かった。
会社が変わる度、社部ヅラしている私は、そこの社長に初めて会った日から社部検査が必ずある。
朝の出勤はもちろん帰りまで現場で作業及び休憩に昼飯に様子見がある。朝の顔と帰りの顔を比べてみたり、昼飯時車の中で何をしているかなど
コンビニなどに知らない人間を使い様子見に必ず来る。
また帰ってからも改造携帯で私生活を様子見する。かなり何かの疑いか何か知らないがあるらしく、念入りに様子を見てくるのが痛い程わかりすぎる。
仮にそういう悪行していたら、こういった実話は綴れないと思うし、私が思うに逆におかしいのは
あんたたちだよと通年思っている。
疑いは私の容赦、形から思うらしく私はいつも晒されている様なものだ。
私はただ普通に仕事をしたいだけなのに、勝手に勘違いをして怒ってみたり、普通に挨拶しても
何も言わなかったりしても私は私で挨拶する。
日本人らしく感謝の言葉や秩序や節度があり、
人は成り立っているのだと思っている。
急に真面目な話しをしてしまったが、
同じ日本人としての最低限のルール、マナーだと
思っている。
折角、日本人として生まれてきたのなら
見た目、容赦で100%決めつけるのでなく
その人間性や心から話してみたいと思っている。
確かに価値観や自分のものさしはあるが、
それで物事を決めつけたり人を見下してみたり偏見な眼差しで見ないで欲しいところである。
まだまだ日本人はそういうところが多く見受けられます。
こちらも真面目に病気でもやっているのだから
軽々しく見ないでもらいたいですね。
本音を思わずこぼしてしまったが
わかる人にはわかってもらいたいところである。
後々

ポンコツアパートを借りて仕事に従事する事にした。
主に住宅の塗り替えだが、工務店の社長に
ご挨拶してリフォームに伴う内部の塗装の仕事をしていた。
そのポンコツアパートの二階の真ん中の部屋に住み着く事にした。
ある日曜日の休み、季節は夏、蝉がうるさい程鳴いていた。ポンコツアパート二階左側は女子大生、右側はポン中が住んでいた。
ポンコツすぎて料理すり気にもなれなかった。
静まり返った日曜の昼間右側からゴトゴト、バキバキ、音がしてきた。
聞いてると音が近くてもしかすると、ポン中が…
押し入れの天板を外し天井裏に登ったと察した。
この暑い中天井裏からか〜と理解できた。
ミシミシ、ギシ、ギシ、バキッ、と音が私の部屋上を通過して左側の女子大生の方へバキバキと
梁を歩く音がしていた。
女子大生の部屋上あたりに着いたらしく
バキバキ音がとまりズズーと天板を開く音がした。やがてパタパタパタパタとマスターベーションする音がしてきた。
この、暑い中天井裏は猛烈に暑いはず、水分とれょ、と願い様子見ているとだんだんバタバタシュシュシュと激しくなってきた。
おっいよいよか、と待っているとクライマックスに達したらしくバタリンコと息も荒々しくハァーハッハァーハァーフックックーとむしろ騒音なみになっていた。南極に到達したらしく、大丈夫か?と心配になった。暫く休み、バキバキ梁をいわせながら自分の押し入れに戻っていった。
女子大生が声を上げない訳もわかった。
眠らせていたのだと思った。
もしかしたら、と心配になり私の、ところへ来たとしてもいいようにベランダからの逃走経路も考えてみた。寝る時も靴を履いて眠りについた。
全く迷惑な野郎だと思い暫く便所の小窓から様子を見てると朝バタンと家を出てコツコツと会社へ出勤する模様に見えた。
しかし通り過ぎて階段を降りて会社へ出勤スタイルで見えなくなり15秒くらいすると曲がり角から
戻ってきて静かに階段を登りしゃがんで私の部屋の前を通過して静かにパタン。
またやるのかょ、と思った。
気持ちはわかるが被害被るのは私なんだ。
車でちょいぷらする事にした。
暫く具合いが悪くて再度入院する事になった。
何度目だろうと無駄に考えたりしたが、
毎度10万払うのも疲れてきた。
車で行く訳だが見つかると面倒くさいので
職員駐車場のハジにこそっと車を停めた。
病院に入り手続きを済ませて一服する。
喫煙室で天井を見上げて、仕事の事と母の事を
心配に思いながら途方に暮れていた。
すると女性二人が喫煙室に入ってきた。
見ると30代そこそこの可愛らしい女性が片方だった。
晩御飯時話してLINEを交換した。
○○らという笑顔のかわいい女性だった。
就寝間際、LINEでピンポンしていて
思わず告ってしまい返事はOKだった。
付き合いが始まり職員の空き見て外出して
ドライブがてらちょいぷらしていた。
何でもファンクラブがいるらしく
かなりしつこい野郎もいた。
退院してから引っ越しするつー事で色々と手伝い
大変だった。
背中に和彫りがはいっていて刺青をペロペロしたりした。
入口は狭く困難を極めた。
ある日、私のアパートで行為に及んでいると
○○らは「死んじゃあう、死んじゃあう」と叫ぶものだから隣のパートのおっかさんが丁度二階の隣の部屋で掃除しており、壁を掃除機でドンドンバンバンと騒音を撒き散らしてきた。
昼間やしなにやっとるんじゃい、と言わんばかりにドンドンしてきた。
室温は18℃、気にしないで頂きたく思うもそれどころでは無かった。
こっちは忙しいんだからよ!若気の至りである。
しかし生理でもパンツを履かない人だった。
おかげさまで私の車の皮シートの目地に
血痕が残されたままでしまいには拭いても取れなくなっていた。
掃除するのに困難を極めた。
次第に仕事か○○らの疲れからか私が大鬱になり再度入院となり別れる事になった。
考えるとメンタルな女性とばかりの付き合いに私はなっていた。
メンタル持ちはちょっぴりの理解がとても嬉しく思うものである。
わかってあげれば必ずわかってくれると言った方がわかりやすいと思う。
そもそも精神科医がわからないのだから
同志がわかってあげないととどまることを知らない。
医師はただ自分の経験、学んできた勉学、知識を元に精神薬をポイポイ処方しているだけである。
それが仕事だが、銭金も相当回っている、決して表には見せない面々があり夜は何をしているのかわからないところだと思う。
だから我々精神に病んだ人間なんて知ったことではないのが本当のところである。
故神山先生にお会いして話しをしました。
精神の病とは仕事上の過剰のストレス、人間関係で添い合わない環境下で溜まったストレス、又悪霊に取り憑かれている場合もある。
化学では解明できない病気、それが精神病といわれる。
解明、明確にわかっていない病名に対し紐付けて
精神科医は、製薬会社と裏でガチガチに組み薬価の高い薬を処方する事で病院は成り立っている。
又、本当は精神病でもないのに病院の固定資産として何十年も入院生活を送り、家族や身内にハメられた話しで銭金が流れ、死ぬまで固定資産として置かれてしまう場所もあると言う。
精神科医皆汚れた医師では無いと思うが
精神病院の闇は深く信じがたいもので治る病気も治らないのも言語道断である。
精神科医がポンと処方した薬に頼ってしまいがちだが、故神山先生は医学博士でもあり、自分の心の傷の深さは自分で知るべく、様々な精神薬を一粒ずつ飲んで
その薬の効用、効果、を確かめ組み合わせ調節するものです。又、クリニックなどを増加してカモを集めて精神薬で付けてしまう医師にも気おつける様に教示なされた。
しかし日本人は初めに感じたものを
信じてしまう人間性が備わっており、
医者が正しいと思ってしまうのである。
精神科医は鬱病でも発達障害でもないのに
何故病人の心の病がわかるのか見解を聞きたいところだと思っている。
メンタルの深さは人それぞれ違うものだが
皆同じ土俵で必死に日々と闘い続ける。
暫くして旧芹が谷病院へ移った。
待ち合い室で順番待ちしていると金髪ショートの和美がチョンと隣に座り「あの〜社部売って下さい」ときた。私は首を回して、どうしたのか聞いた。
何でもお母さんに会いたいから、と言う。
その晩和美のアパートへ向かい着くと迎えに来た。入れてみたがよくわからないみたいだった。
晩御飯を、ご馳走になり話が弾み仲良くなり付き合いが始まった。
仕事帰りに寄っては晩御飯をご馳走になり、わるいと思い服を買ってあげたりした。
暫くすると兄から電話があり、「あいつやべーぞ」と言う。ピンときた私は急いで和美の部屋に行った。
すると本人は居なくて床は畳がひっくり返して
床板がぶち抜いてあり壁に穴が開いており
部屋はめちゃくちゃだった。
本人はどこへと思い探してみたがいない。
仕方なく帰宅した。
次の日、現場で屋根を塗っていると、兄から電話でなんでも赤坂の交番に和美が保護されてるから
迎えに行ってくれと言われ晩に言われた交番へ迎えに行った。
交番お巡りに事情を聞くと皇居の門で和美が
「お母さんに会わせろ」と叩いていたと言う。
その前には地元のヤクザ事務所に入り社部売れょ、と叫び、驚いた若いのが110番したらしい。
私は、迷惑かけましたね、と下がり、帰ってから
事務所へいき、ご迷惑をお掛けしました。頭を下げて帰りに栗田精神病院へ行った。
結果、統合失調症と言われ入院となった。
洗面道具に風呂の道具を用意して金と一緒に差し入れした。
帰り道、罪悪にかられやるせない思いで
悲しみに包まれた。
後の兄から電話でもう和美に近づくな、と
言われしけた。
暫く横浜の現場にいたが
また千葉のあの社長の
とこに戻る事になった。
横浜から千葉県まで車で1時間半程だ。
一般住宅の塗り替えが殆どで、
リフォームもやっていた。
その会社の営業マンで草田という
中年の独身である男がいた。
パチンコが大好きで、
借金してはパチンコに全てを費やしていた。
油っこい草田は豚骨ラーメンにチャーシューが
好きだった。
仕事柄、人当たりが良くて皆に好かれていた。
ある日暇すぎて出会い系を私に
教示してくれた。
ある意味変態だた草田は
出会い系で遊びまくっていた。
ギャンブルと女遊びが度を超えてしまい
借金だらけの生活を送っていた。
そんなある朝、電話で金貸してくれと
きたから電話を切った。
どうしてもその日五万円作らないと
やばいと言ってわ○わ○メールという出会い系に
「何でもしますからお金下さい」
と投稿した。
すると三件程ヒットしたらしく
行ってきます、と事務所を出ていった。
話だとある商店街の中の魚屋の婆さんらしく
約束通り商店街に着くとシャッターを
半分開けて「こっちこっち」と手招きされて
魚屋に入ったという。
居間に通されて草田に
「ほんとに何でもしてくれるのけい?」
と言われなんでもします、と答えた。
すると部屋明かりを落として
「最後までいかせておくれよ〜」
と迫ってきたという。
草田は泣き泣き時間をかけて
昼間の魚屋の居間でいかせたと泣きながら
誇っていたという。
貰うもの貰ってシャッターをガラガラと
開けて帰った。
しかし次の日草田が死んだと告げられて
少し驚いた。
何でも電車にひかれて亡くなったらしい。
事故、変死扱いだったが
どうやら金貸しに返せなかったらしい。
後から聞いた話だと殺られて、
線路に置かれ始発の電車にひかれて
小指だけ見つからないらしい。
私はああと思った。
致し方ないと思って
忘れた頃に草田の墓へいき
チャーシューをお供えして手を合わせた。
同じ頃、田部という○東会の人間も自殺してしまった。
亡くなる前には田部の彼女が人工透析してる田部の居る病院へ行くガソリン代が無いからお金を貸してほしいと私のところへ来ていた。
気の毒にな、と思い返さなくていいからと
足代を渡した。
その彼女も車上生活を余儀なくされていて道の駅などで寝泊まりしていた。
道の駅で洗髪をし寒い時でもエンジンをかけないで辛抱していた。
それでも田部のところには必ず車で迎えに行き
透析の終わった田部を車に乗せて帰っていた。
無償の愛とはその事を言うんだろうと思った。
しかしある日、社部の量を間違えたのか
自殺して去ってしまった。

社長は某組織の親分と仲良く
本部や事務所に連れていってもらった。
正月には門松をやらせて頂いた。
若頭の胸には○○命と彫りものがある
その親分は肝のすわった人だった。
しかし私の親友と組織的に合わず
次第に親友側に立っていた私は
とばっちりにあい会社を辞めた。
その頃付き合っていた美穂を守るように
引っ越しして新たな塗装屋の外注として
働き始めた。
その会社にも色々な人間が交じっていた。
岩木さんという親子が会社の前のアパートに
住んでいた。
察すると発達障害に気づかないまま
生きている人間で正直汚いの一言だった。
一か月以上風呂に入る事なくその日暮らしの
岩木さん親子は、一本の煙草を回して吸う
親子に脱帽でした。近寄ると足臭く岩木さんの
作業車はとても臭かった。
たまに仕方なく岩木さんの作業車に乗り
帰り道、ギアをニュートラルから一速にいれて
走り出すと岩木さんも「ぶーんぶんぶー」と
口にしてしまう人間だった。
かなり蛾が強くて個性的である。
現場へ行きたくない朝、出勤してこない岩木さんがおかしいと社長が岩木さんのアパートに行った。
すると誰もいなく、土足であがりふすまを
ガラッと開けると岩木さんが小さく
隠れていた。たいがいにせーよと言われていた。
これだけではおさまらなく、息子の彼女が
泊まりに来た夜、彼女が寝たのを確認して、
襲って犯してしまい、次の日社長が警察に
呼ばれて行ったという。
彼女の通報により発覚し、結局罰金刑80万円
社長が建て替え釈放された。
息子の彼女もそうとう怖かったらしく
顔も見たくないと言われて嫌われた。
そりゃそうだ。
凄く怖かったんだと思う。
そんなことでこの会社も人の出入りが
激しく仕事も糞忙しかった。
外注としてやっていたが、多忙な為
私は疲れすぎて血中のckの数値が爆上がりして
具合いが悪く動けなくなり再び精神病院に
入院した。川崎の精神病院に入院し
養生した。
そこでは、カズという人間がいた。
同じ年くらいで直ぐに打ち解けていった。
なんでもアンナカの株らしく
ある場所に大量にあると言う。
その前にこれ見てと珍歩を見るとそこには
無かった。
いや、どうした?と聞くと
阪神・淡路大震災で嫁子供が亡くなり
どうしてもやるせない思いだったと言う。
嫁子供の眠る墓前で本当に愛していたのだろう、
「オレの人生お前らだけやー」と叫び
珍歩をその場で削ぎ落としたという。
男らしく勇ましいカズは本物だと思った。
トイレでもう一度よく見るとやはり無くて
ツルツルになっていて*がありそこから
放尿すると言う。オムツして何とも無残な姿
だったが同じ男として本心で嫁子供を
愛し、もう必要なくなったんだと心を打たれた。
退院してからも親分衆宅に粗品を一緒に届けに
行ったりした。
しかしパチンコでほぼ消えてなくなり
ドヤ街に住んでいた。
ドヤに遊びに行くと独居程の部屋にカズは
品物を量っていた。
詰めてみてああと思った。
東京の指折り精神病院に一緒に行った時、
裏に神社がありお参りでもするのかと
思ったが、賽銭箱に手を入れたりした。
当たり前だぐらいだったカズがかわいく思えた。
関東をぐるぐるして足代をもらいさらばした。
実家が茨城県にありたまに泊まりに行く日があった。
丁度その頃、海外からバス塩が日本に上陸した。
早速、情報が入り千葉のハーブ屋に問い合わせるともう入ってますよ〜いつでもどうぞ、との事だった。早い事後輩と向かった。すると先客が3g程バス塩の入った小茶ずつを三つ買い店を出て行った。
店の人間もあの人大丈夫だろうか、と心配していた。まだ日本に上陸したばかりで合法だった。
とりあえず二つ買いコンビニの駐車場に車を停めて肘掛けに下敷きを敷いてバス塩パウダーを一列にこそっと出し鼻から吸いこんだ。
痛いというのが本音だが、粘膜なので効いてきた。後輩の女も吸い込み暫くしてから、「何が〜」とキマっていた。パキパキになりホテルで休んだ。後輩の女は「ナニコレ〜」「ヤバい」とか言いながら私の珍歩を次の日に渡り放さなかった。しゃぶりっ放しで私の珍歩も痛くなってきて
もう放せよ、と言っても咥えたままで色々と闘っていた。そのホテルは市原のオッケーホテルで有名だったから大丈夫だった。
しかし副作用として妄想が凄く残りすぎて安定剤飲んでも全く効かないものだった。
当時の社部以上効果がありいっ時社部が売れなくなったらしく徐々に浸透してきて乱用が始まった。死者や事故で怪我、色々とTVで報道なされていたが後の祭りであった。
私は考えた、この品物はどうやって精製しているのだろう、原材料はなにか、ネット上では最も危険な薬物です、というがそう言われてたら余計にやりたくなるのが行動心理学である。
ある日、バス塩でいつも通りキマりすぎて
夜に空飛ぶ飛行物体に向かって空気銃で乱射したりロケット花火を打ち上げたりしていた。
あまりのヘリの数と音が妄想となり、航空隊に電話を入れた。
すると「今は何も飛んでません」と言われ電話を切った。
よく後になって思えば夜空に星が輝いていた。
しかし私の妄想はエスカレートして車を出して間もなくヘリに追われているといった妄想にかられた姿が不自然な形に見えたのだろう、本当に赤灯に追尾されていた。
利根川沿いの道に入り頭の中で考えたが、この道の先の方で赤灯が見えた。挟まれたと思い脇道を探すがなかなか無く仕方ないから利根川へガタゴトと降りていき喉が乾いてどうにもならないから
車を利根川に停めてエンジンをきり川の水を手で掬って飲んだ。う、うまいとおかわりくんしているとアレが後ろから押さえられた。
完全にアウトだった。
後の事はあまり覚えてないが気ずいたら川崎の病院のベッドに縛られていた。
私は何か必死に叫んでおり、その横でアレがろくろくして私の様子を伺っていた。
物珍しそうにメモをとっていた。
そして留置3日後釈放されて自宅アパートへ戻った。
私は少年期に勘当されたので家族はいなくて
帰った私は貯め込んだバス塩を取り出しまたおもいっきり鼻から吸い込んだ。
マックのストローの先を斜め切りにして一本線を引いて吸い込むのであった。
はたまたキマリすぎて記憶が無く少し寒くて意識を取り戻したら全裸で冬の真っ暗な部屋に横になっていて動けなくて、ああ、これで私も終わりだと思い携帯に手を伸ばし取って119番した。
電話の向こうから「お名前は?」と聞こえるが
名前が言えなくてボソっと言いかけて気を失った。どのくらいたったのか救急隊がドアロックをぶっ壊してなんとGPSで救助されたのだった。
毛布に包まれて担架で運ばれていた記憶が最後だった。夢か現実か暗闇の中でふわふわと誰かと進んでいき薄明るい所へゆっくりふわふわと降りていった。大きな男が二人いて赤い門があり川か流れていた。私はその川を渡ろうとすると、女神様の声で「あなたは死にません。何故なら魂が宿っているからです」と聞こえて急に身体が暖かくなり目を覚ました。
すると母がこたつに毛布を何枚も掛けてくれていて、出た言葉が「お母さんありがとう」だった。
周囲の状況から理解して涙した。
助けられたんだ。と三途の川の事を母に言うと
そうだったろう、と頷いていた。
その母の背中を見たら涙が止まらなかった。
暫く休養して仕事復帰した。
ここで塗装屋の隠語を知ってほしい。
しゃぶい=薄い、アホ、
給料=お湯
SEX=研ぐ
一回塗り=ピン
二回塗り=リャンコ
晴天=ピーカン
舐める=刷毛でなでる 
痛い=雑、適当、
ブランク=懲役
煙草を吸う=つける
塗る=いれる
酒=ガソリン
など色々な隠語があるから
お客さんにはまずわからない言葉を使い
現場で作業している。
また、世間では塗装職人とは
真面目だというイメージがあるらしいがとんでもない。中には何を喋っているのかわからない人や個性が強すぎて私は一緒に仕事は到底出来ない。
本当に真面目な出来る職人は一割だと
私は通年思っている。
今の60代70代の職人は娥が強くて、少し前まで
玄関前で立ち小便したり、その小便で水性の塗料を薄め混ぜて塗っていた。
残り九割がたは変態、発達障害、ポン中、薬中、
アル中、他である。
愉快な塗装業だが、水もので流れやすい仕事である。

そしてまた仕事に戻りその会社の後輩のションが出張ってきた。なんでも○し屋、○盗の窃盗集団だと言う。
昼顔は塗装屋として働き夜は違う顔がある。
一時私はセンチュリーを作業車にしていた。
トランクは広く一斗缶が沢山積めるが
皮シートで塗料が付着すると最悪だった。
改造携帯を私のセンチュリーに一度忘れていった
から直ぐにわかった。
見た目は普通のスマホだが違和感があった。
昼職中でも耳にBluetoothをつけて淡々と作業していた。
○○詐欺も得意としていた。
千葉の台風被害が出た次の日もションは被災地にいた。
梯子を積み朝待ち合わせした場所にきたションは笑みを浮かべていた。
車から住宅の屋根材、コロニアルの破片を持ち出し片っ端から被災した住宅へピンポーン。
○○ルーフの屋根屋ですが、お宅の下に
屋根材の破片が落ちていたのでお声をかけさせて
頂きました、と客が扉を開けるとションは破片をちらつかせて「ちょっと大屋根見させて下さい」
と断り梯子をかけて登り、ちょっと待ってて下さいと大屋根の様子を見渡すように消えていった。
下から見えない所のコロニアルを破りポケットから霧吹きを出し破ったとこへ水を霧吹きして
写真をとりションは降りてくれなり客に
「やはり強風でコロニアルが飛ばされてました」
と写真を客に見せて説明していた。
この際ですから保険で屋根を張り替えましょう、と提案するも客は雨漏りなど心配し
99%イエスだった。
そんな日は次から次へと契約を取り入れ食いだと
高笑いしていた。
同じ会社で一般住宅の塗り替え塗装工事を共にしてきた同じ年のおどんには明るい家庭があった。
口だけ達者で朝の挨拶帰りの報告などはおどんに任せていた。
しかし2面性の顔がありお客さんにはこれでもかという程、吐きそうなセリフを淡々と並べてお客さんを、うん!と言わせてしまう男であった。
そのスマイル顔にハキハキとした喋りで、ある日かなり大きな住宅に車はレクサス、奥さんと打ち合わせをおどんはしていた。
なかなか外壁のツートン色が決まらず、とうとう奥さんのラインを聞き出し夜になると色の勉強と称しおどんと奥さんは夜な夜な図書館へ行くようになっていった。
実際、本当に色の勉強をしているのかわからないが、かなり接近してフォバーリングしていた。
奥さんは30代半ばというところ。
その住宅の作業では換気扇の外付近で暫くというよりずっと塗って匂いや会話を確認していたと思えた。奥さんがゴミ出しの日には持ちますょ、と進んで手伝いゴミを置いた場所を確認して後で持ち帰るゴミ屋のお手伝いもしていた。
持ち帰ったゴミから個人情報を漁ったり色々楽んでいる様に思えた。
そのくせ自分の家ゴミは隣のゴミ集積所に持っていったり現場に捨てたりしていた。
かなりの変態だが、家でも自分の珍歩を掃除機の穴や風呂釜の穴、ラップの穴という穴に突っ込んでしまう。
全く不自然な男だった。
結局、社長と喧嘩して辞めてしまった。
後に千葉県の上の方の田舎無人駅前マンションを
借りてまた新たな塗装屋に外注として入った。
マンション三階で両となりも誰だかわからないマンションだった。
新居で部屋に居ても何か視線を感じる落ち着かない部屋だった。
寝そべって天井を見上げてみる。
ジプトーンで小さい穴がぽちぽち開いてる天井板に違和感を覚えた。天井を見上げたタイミングでミシッ、ミシミシと必ず音がする。
私の直感だけで、持ち前の脚立を部屋に持ってきてジプトーンの天井板をインパクトドライバーで一気にビスを外していった。二枚天井板を外し脚立に登り天井裏を見回すがとくに境界壁は以上なしだったが、曲がり角の死角があるところに私は手を伸ばし確認した。
すると腕が入るくらいの穴が開いていた。
やはりと思い携帯電話で写メを穴に向かって撮り確認すると隣の部屋の明かりが見えていた。
その穴から電気コードをまとめる1センチ程のパイプが向こうの部屋から穴を通してこっちにきていた。見るとファイバースコープを通すパイプで私の部屋の天井裏まで伸びていた。
なるほど、隣の変態な夫婦はこれで私の部屋を覗き見していたんだと確信し、大家に写メを見せて説明したところ、知ってか知らずか平謝りしてきた。
それでは部屋を借りてる意味が無い為、貯まっていた家賃と猶予一年つき無料一般解放する事で話しがついた。
ラッキーだぐらいに思い壁をトントン叩いたり
付き合った女の喘ぎ声を聞いてもらったりした。
後で聞いた話しだとその変態夫婦は辺りで有名だった。
ある朝先輩から電話があり、
車出せ、と言われどこへ行くのか知らないが
迎えに行った。
千葉の上の方まで私と先輩と先輩の連れ三人で向かった。
途中の話しで霧とりだと気がついた。
着いた一軒家を見ると部屋の灯は真っ暗で居ないんだと思った。
しかし、2階の窓が少し開いてカーテンが揺れていた。
先輩がよしいくぞと玄関扉をゆっくり開けて音たてないで二階へ階段で登ろうとしたら二階からポン中が日本刀を振り翳しながらだだだと降りてきた。
もみくしゃになり私の車のトランクから木刀を
持ってきてフルボッコにした。
居間には葬儀だったのか棺桶があり、仏さんが眠っている横でタイミングが良く半金取れた。
朝方の帰り道、難破しながら帰った。
しかしその日は仕事で現場へ向かう途中機動捜査隊のパトカーに停められ職質をうけた。
車を見せていてトランクから血痕のついた木刀が出てきたが話しで処分廃棄の書面にサインして
オッケーだった。
セーフティーだと思った。

4 紫電改
 いつの日からか警察の動き、航空隊、ポン中の考えそうな事がわかる様になっていった。臭いやタイミング、空気が一致した時に感じる。底辺ばかりの私は実は職質対象者の頃があって一日に二回職質にあう日もあった。一番やられたのが日曜日の朝方交差点の信号待ちの一台の私の車の真横斜め後ろあたりから白黒が視界に入りスーと静かに真横づけにきたパトカーには驚いた。一番嫌なタイミングで視線をどこにおけばいいのかわからなくなったりした。その仕草はある意味紛れもない勘違いだが、完全に私狙いだとわかり、ホテルで剃ってきた顎髭をルームミラーを見ながら手でスリスリとするのが私の万が一のスタイルだった。ルームミラーを見る事で完全に視界から外れ不自然ではないと思っていたからだ。
暫く並らんで走り出して後ろにつかれるのを嫌うパトカーは横道へと入っていった。
今この時代、どこにでも防犯カメラがあるからすぐに足が付いてしまう時代になった。
ラブホやビデオBOXのTVには防犯用のカメラがだいたい内蔵されており、モニターを裏で管理している者がチェックしている。
居るんじゃないかと思う毎朝寄るコンビニの中の中列に変なのがやはりいた。朝からあの風貌の男がコンビニの中列に何の用があるんだ。しかもその目はかすかにこちらを見ている。コンビニでよく煙草を吸ってるが不自然な形に見える。
信号待ちのタイミングに合わせて後ろから前から
バックミラーごしに様子を見る。私は先回りして
所轄の警察署の裏駐車場でナンバーチェックしているし、車種などからフィルムの濃度や車の洗車の仕方などから特定できる。身バレだけは避けてるが朝8時45分に所轄の○課に用がありドアを開けて辺りを見回すと皆振り返り驚いた。
振り向けば横浜だった。



こう綴ってみて実話でリアルな話だけを
私の記録、塗装業の裏側として理解してもらえたら
私は嬉しく思います。
塗装屋の職人もただの人間であり
さまざまな人間関係によって成り立っている
極めた職人たちである。
お客さんに綺麗になりました、ありがとう。と
言われたら嬉しい!と思うし、汚いと思えば
綺麗にして明るい暮らしがそこにあればそれでいいと思っている。
新たな気持ちにお客さんがなってくれたら職人は皆嬉しく思うものである。
明るい暮らしのために…

菅野國彦

執筆の狙い

作者 塗装屋の兵たち
h212211.f.east.v6connect.net

塗装屋の裏側を知って頂きたく
綴りました。よろしゅ〜

コメント

偏差値45
KD111239160080.au-net.ne.jp

ネタは良いとしてもつめ込み過ぎのような気がしましたね。
で、内容を自分が体験したことだけで述べたらいかがでしょうか。
その方が感情移入がしやすくなるかもしれません。

>塗装屋の裏側を知って頂きたく
綴りました。よろしゅ〜

気持ちは分かりますが、やり過ぎかな。
必要最低限のことだけ、書いたらいかがでしょうか。
その上で掘り下げて書くことかな。(と偉そうに言ってみる)

で、全体的にカタイ文章になりがちです。
内容は逆に緩い感じなのでちぐはぐな感じを受けますね。
この場合、友達に語るような文章で書くといい味が出るかもしれませんね。

上松 煌
111.85.0.110.ap.yournet.ne.jp

塗装屋の兵たちさん、こんにちは

 文章はかなり読みやすく、マトモなものに近くなっています。
ごはんのみんなの意見を聞いてガンバったのですね。
間違いなく、以前より良くなっていますよ。

 ひとつ言えば、あなたの第1作ですでに指摘されていた『社部』はセー剤の古い言い方のようですが、ふつーにシャブでいいのでは?


 ただ、内容はあきれ返りました。
刹那的で享楽的、流されるままの浮き草人生、女も男もそのへんの犬畜生のようにくっついたり離れたり、知性のかけらもない、まさしく底辺そのものの人生でした。
こんな人間以下のあなたをおれは軽蔑します。

 ですから、あなたのラストの記述、
   >>塗装屋の職人もただの人間であり、さまざまな人間関係によって成り立っている
極めた職人たちである。お客さんに綺麗になりました、ありがとう。と言われたら嬉しい!と思うし、汚いと思えば綺麗にして明るい暮らしがそこにあればそれでいいと思っている。新たな気持ちにお客さんがなってくれたら職人は皆嬉しく思うものである。明るい暮らしのために…<<
    ↑
 が、非常にウソ臭く、浮いてしまっている。

 あなたの書いた台風一過の『屋根瓦サギ』は現実に社会問題になり、TVでサギに引っかからないように、という警告が報道されたくらいです。
きっと、世間一般の人々は、あなたの 
  >>極めた職人たちである<< 
という1節に、
「なにを極めたんだ?? 客を客とも思わずぬサギ三昧のくせに、な~にが極めただ? 犬畜生のようにどこにでもションベンぶり撒くことか?」
と、反発するでしょう。

   >>新たな気持ちにお客さんがなってくれたら職人は皆嬉しく思うものである。明るい暮らしのために…<<
    ↑
 にも、
「大きなお世話。ふざけるな!耳当たりのいい御託並べて儲けようと思いやがって」
 と、逆効果になるでしょう。

 あなた自身は心からお客様のためになりたいと思っているかも知れませんが、ここに書かれたあなたの人生を見ていると、その思いが額面どおり伝わるでしょうか??
そして本当にお客の明るい暮らしを願っている塗装人が現実として何人いるのでしょう?
ここを良く考えてみてください。
カッコつけて教訓的なマトメにしなくていいのです。
おれはバカでマヌケでアタマの悪い底辺で、ろくな人生を歩めず、人様に迷惑ばかりかけてきたけれど、それでも心ひそかに思うのは、
   >>綺麗にして明るい暮らしがそこにあればそれでいいと思っている。新たな気持ちにお客さんがなってくれたら<<
ぐらいに留めておいたほうが謙虚で美しいし、頭も良く見えます。

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