作家でごはん!鍛練場
しまるこ

頭の悪いババアと頭のいいジジイ

1

『ボケはね、やかましくされるからボケてしまうんだよ。本人だって自分が悪いのはわかってるんだよ。だけど、言い合いもしたくないから、つんぼのフリをしてやり過ごす。それが一番早く切り抜けられるからね。でも、そうやってつんぼのフリをしているうちに、本当のつんぼになってしまう 中村天風』

これは本当で、自分のおばあちゃんや、よそのおばあちゃん達を見ていて漠然と思っていたことだが、天風先生が言語化してくれたことで、理解が進んだ。

だいたい、その人の顔を見ていれば、その人が理解しているかどうか分かりそうなものだが、これは仕事においてもそうだが、他人がちゃんと理解しているかどうかまで確かめる人は少ない。「今言ったこと、もう一度復唱してみて」と言うのは、相手を信用していないようで失礼に当たるからかもしれないが、おばあちゃん相手になら、失礼に当たらないと思う。

俺は理学療法士として、いろんな家庭を出入りして、おそらく200件以上の家庭を見てきたけど、老人が大切にされている家庭は一つもなかった。

本当に、どうしてあんなにガミガミ言うのだろう。言ったってわかりっこないのに。どこの家族も、ボーダーラインを高く見積もっている。俺ははっきりとおばあちゃんを下に見ていて、多分あれもできない、これでもできないと腹を括っていて、何もできやしないと諦めていたが(おばあちゃんからしたらその方が悲しいかもしれないが)、直系の子供にとっては、母親として、父親として、すべてのことから自分を守ってくれた、精神的な支柱だったあの頃の記憶がそうさせているのかもしれない。

マッサージのお出迎えのために、利用者さんの家に行くと、「先生来てるわよーーー!!!」「どうしてそんなに荷物がいるの!」「どうしてトイレ済ませておかないの!」「この時間に先生が来るのはわかりきってるでしょ!」と毎度のように怒っている。どの家庭も、俺が目の前にいるというのにお構いなしに怒鳴る。怒鳴ることが生活に溶け込み過ぎていて、俺の前で猫を被る理性よりも身体の反射が追い越している。俺は舐められているのか? ところがどっこい、俺の前だからこの程度で収まっているのだ。間違いなく、俺がいないところでは……もっと……、想像するのも恐怖でしかない。そりゃボケるわけだ。怒鳴れば怒鳴るほど自分の親が馬鹿になっていくのに気づかない。その後、にっこり笑って、「それでは先生、よろしくお願いします」と言われても恐怖でしかない。

こういう家庭であればあるほど、ボケの進行は著しい。「そんなに怒らないであげてください」なんて言おうものなら、俺は仕事を失うだけだ。自分の保身だけで言ってるわけではないよ。誰一人得をしない。救うどころか、余計にひどい目に合わせるだけだ。ドトールでも有線放送がかき消されるほどの大声で子供を怒る母親がいるが、あれも子供の頭を悪くさせる。仕事でも、みんな怒られると、つんぼのフリをしている。「はい! はい! わかりました!」と言って、怒られたくないから、早く会話を切り上げようとし、聞いているポーズに夢中になり、そして彼らもまた、そうしているうちに、本当のつんぼになっていってしまう。

「先生! これからは私たちがこちらで手渡しでお支払いします! 昨日も、財布からお金がなくなってるって、まるで私たちが盗んだかのような言い草で言うんですよ! もう母には財布を持たせませんので!」

万事がこの調子だ。人間、若かろうが老いてようが、気力が削がれることがいちばんダメで、そばにいつもガミガミ言う人間がいるだけで、できることもできなくなってしまう。この辺りはブラック企業や教育ママと同じだ。人生の最後の階段に、どのおばあちゃんもこの踏み面が用意されていることは本当に気の毒だ。俺も、「承知しました」と、ただただ首肯する他ない。どの会社でも、ここは同じだ。ドトールでもそうだ。こうして、この空気に丸呑みされていって、いちばんヒステリックでいちばんギャーギャー言ってる人間に周囲は丸め込まれるだけ。夫も孫も、お母さん側につくしかない。

うちの場合もそうだった。たとえば、ババアが朝、必ず雨戸を開けるのだが、「雨戸を開けるのだけはやめて! 落ちたら危険だから!」と母親は気狂いのように怒り、それだけはババアに約束させた。それでもババアは雨戸を開けた。「どうしてわかってくれないの!?」と母親はいつも泣きながら怒っていて、「開けるな!」という張り紙を窓に張っておいたにも関わらず、それでもやはり開けられていた。俺もそばで見ていて、「おばあちゃん、落ちたら大変だから、雨戸を開けるのだけはやめよう」と言ったが、ババアはうんうんと頷いて「わかった」と言うが、俺はその時ババアの顔を観察していたが、絶対に明日も開けるなと思っていた。

そしてまた次の日も、そのまた次の日も、やっぱり雨戸は開けられていた。俺がびっくりしたことは、雨戸が開いていたことではなくて、それに怒る母親の方に対してである。どうして怒れるのか、壁に向かって怒るのと同じだ。なんで怒れるんだろう? よく本気で怒れるもんだなぁ、といつも思っていた。こんなのは犬や猫に怒るのと同じだ(このくらいまで期待値を下げなければならない)。しかし、これがどこの家庭でも見られるのだ! 近所も全部そう。いつも怒鳴り声が聞こえてくる。四方八方、文字通り、右も左も前も後ろも、ババアが住んでいて、みんな怒鳴られている。実家に帰ると、昼も夜もずっと怒鳴り声が聞こえてくる。そして、見なくてもわかるが、ババア達はみんなつんぼのフリをしている。

まぁ、朝になって、ババアが庭に落ちて死んでいたら、悪いのはうちの母親ということになる。どうしてババアを一人にしたのか、家にいたのならどうしてババアを一人にしたのか、家にいなかったのならどうしてババアを一人にしたのか、ということになる。世間の声はうるさい。家で死なれるのは困るが、デイサービスで死なれるのはいいのだ。

俺はどちらかというと、母親の方が不思議でならなかった。どうしてボケ老人と約束を交わせられるのか。子供時代、あらゆることから守ってくれた、人ごみのなか、その背中を見失わないように、ソワソワしながらくっついていたあの頃の記憶がそうさせるのか。怒るということは、期待しているからだろう。信用しているからに違いない。「これだけは守ってくれるだろう」という消しクズのカスのような淡い期待さえ裏切られたから怒っているのだと思う。

俺からしたら、両方ボケてると思った。例えば会社においても、相手がわかっているかを確認しないで話を進める上司がいるが、仕事ができる人ほどそれをやることが多い。東大卒とか講師とか先生とかいわれる人ほど、大抵話していることはわかりにくく、書かれている本は読みにくく、覚えがよくて、物事を何でもスイスイと吸収できてしまえるから、頭の悪い人の気持ちがわからないのだと思う。物覚えが悪い人間の方が説明が上手いことが多い。自分がたくさんつまづいてきたから、他人がどこでつまづくのかよくわかるのだと思う。

放っておくこと、自由にやらせておくこと、料理を自分で作らせること、賞味期限が切れたものを食べていたとしても食べさせておくこと。うちの場合は、ババアの冷蔵庫の中が賞味期限が切れているものだらけになっていたことに母親が悲鳴をあげ、そこからババアの飯を作るようになった。当然、買い物まで母親がやるようになったが、そこから急速にボケていった。

賞味期限が切れたものを食ったって死にはしないし、死んだら死んだでしょうがない。一人暮らしのおばあちゃんでボケている人はいない。ボケてたら一人暮らしできないから当たり前だがな。90歳以上でも、一人暮らしのおばあちゃんはみんな頭がしっかりしている。それに反し、実家暮らしで置き物のように置かれ、料理も運ばれてきて、見てるだけで何も頭に入ってこないテレビを見続け、そんな生活をしているうちにすぐにボケてしまう。ボケは、家族が作っているのだ。



もう一つ、病院について。

さて、何の縛りかはわからないが、このような生活の中でも頻回にババアを病院に連れて行かねばならない。病院に連れて行かなくて済むババアはいない。ババアを病院に連れて行けば、だいたい3時間は待たされることになる。家族は(たいてい母親だが)、日中忙しく、イラ立っている中、もっとも一緒にいたくない相手と、「は〜いお薬出しておきますね〜」というセリフを聞くために、 3時間、待合室で待たされることになる。とうぜん、準備や行き来を加えれば、半日潰れることになる。若者に比べれば少し数値が高かったり低かったりするだけできまって薬が出される。医者の金儲けで終わっていればまだいいのだが、病院に連れていかなかったら世間がうるさい。連れていかなきゃ殺人と同じとみなされる。俺は連れて行かない覚悟を持っているけど、覚悟を持てる人は少ないだろう。ここでもソーシャルアプリのような、監視の目が働いている。

元はと言えば、病院に行かなければいいのである。薬を飲まなければいいのである。高血圧はその必要があって高いのであって、薬で無理に数値を下げたところで解決にはならない。下げた分は別のところで上げられ、今度はそっちを下げるための薬が必要になってくる。目薬ひとつとっても、余計に目を乾かせるだけだし、胃薬も同様。肺に水が溜まっていたら溶解剤は必要になってくるが、パーキンソンなり難病はこの限りではないが、本当に薬が必要なババアに出会うことは滅多にない。昔の人は浣腸を用意しておいて、だいたいの場合は浣腸頼みだった。

うちのおばあちゃんはどうみても健康だったけど、7種類の薬を飲まされていて、週に2回のデイサービスを利用していたが、それだけで保険費用が年間100万かかっていた。頭以外、ほとんど健康のうちのババアで、年間100万だ。とうぜん、若い人の毎月の給料から天引きされているわけで、「こりゃあ若い人が貧乏なわけだわ」と母親もたまげていた。



愛情について。

しかし、もうひとつ気になったことは、愛情についてである。

ボケても、好き嫌いや、愛情については、残るものらしい。

ある朝、ババアが、「靴がない! 靴を隠された! ○○(うちの姉)に靴を隠されたから外に出れない!」と騒いでいた。靴は、いつもと少し配列が違っただけで、2、3足へだてて普通に置かれていたのだが、ババアは猛烈に騒ぎ立てていた。母が靴を見せたら落ち着いたのだが、近所の人には、姉に靴を隠されて外に出れなかったと触れ回っていた。それどころか、俺が見つけてくれた、ということにまでなっていた。

姉はババアの前で悪口を言うことはなかったが、母に同調するときは、合わせる形で言っていた。こういうのは、本人の前で言わなくても、伝わってしまうものらしい。ボケ老人に対してでさえ。

愛情というのはやっぱり伝わるのか、俺は本当にババアが好きだった。俺は病院に連れて行ったり、料理を作ったり、何か一言、優しい言葉をかけてあげることすらしなかったが、心では、ババアのことが好きだった。ただそれだけである。それだけの仕事しかしていなかった。実際に、いつも、ババアの世話をするのはすべて母親で、病院に連れて行き、ご飯を作って、うんこが便器から外れていたら、戻すのも母親だったのだが、しかし、ババアは俺の前だと理性的になり、ボケをひそめ、いいおばあちゃんを演じ、どこで誰と会っても、俺を褒める以外をしなかった(なぜか俺が29歳なのに関わらず、ババアの中で俺は大学生で止まっていて、毎朝、東京の大学まで通っているということになっていたが)。

母も姉も、「男だからだね」と言って、「やっぱり女同士だとダメだね。デイサービスのお迎えにくるのが若い男だと、それだけで機嫌がいいもん」と言っていたが、さぁどうだろう。まぁそれもあるか。

そこで俺は友達に電話して聞いてみた。「というわけで、母親が全部やっているけど、何もやってない俺の方が幸福感を与えている。どっちの方が偉いと思う?」と聞いたら、「母親」と言われた。

しかし、それにしても、林真理子は母親の介護をしながら、一日に14000字を書いているそうだから、頭が上がらない。林真理子は母親にガミガミ言ったりするのだろうか? 人格を生業にしなければならない作家は、いったいどんな介護をするのか気になるところである。


2

ドトールには、勉強しにやってくる看護学生やら、高校生、レポートを書きにくる大学生、フリーライターやら、ノマドワーカーやら色々いるが、結局みんなすぐにスマホを見て手を止めてしまう。手を止めないのは、おじいさん達だけである。

ドトールにも小説家がいる。なんと二人いる。見たところ、二人とも80歳くらい。一人は痩せ型、一人は太っちょ。痩せ型の方が神経質そうで、太っちょの方が豪快で、ガハハハ! という笑い方をする。やはり心理学のいうように、体型というのは性格を表すのか。

二人とも、俺がデイサービスで見てきたどんな老人よりも頭がしっかりしてそうだ。議論したら負けるかもしれない。知性、英気がそこらのジジイと違っており、宮崎駿や養老孟司みたいな、ジジイだからといって舐めてかかれない雰囲気がある。羞恥心というものが根強く残っているようで、針で突っついたら、若者と変わらない敏感な声を上げそうな、シャイというか、10代の頃の感性を忘れないようにしているというような、生娘感。生々しい心臓の鼓動が伝わってくる。いまだに、初恋の人のことを思い出して、心や紙に書いたりしていそうだ。

そして二人とも毛量が多い。そこらの30代よりびっしり髪が詰まっている。小説家というのは、なぜかハゲが少ない(白髪の人は多いが)。五木ひろしは別格として、文章を書くことと毛根の血流は相関性があるのか? 画家や漫画家はハゲがいるし、スポーツ選手も結構ハゲが多いが、小説家だけは少ない。あ、意外にボディビルダーやウェイトリフターもハゲが少なく、活きのいい髪をしている。重いものをグオオっと持ち上げるときに、脳の血流を促進させるのか。

服装はというと、痩せ型は普通のきれい目なシャツ。太っちょは、泥棒のような、プールの清掃員みたいな格好をしており、いつもオレンジ色のポロシャツを着ていて、その上に黒いジャンパーを羽織っている。オレンジ、やはり年寄りは派手目な色を着た方がいい。寿命も伸びるだろう。太っちょの方が長生きすると思う。

文章なんて書いている輩は根暗と相場が決まっていると思うものだが、そういった例はむしろ少なく、快活の方が多い。彼らを取ってみても、他の同年代のジジイ達よりずっと快活で愛想がよく、とてもフランクに店員に話しかける。家族にもああやって話している様子がうかがい知れる。家族からも尊敬されているだろう。これはおそらく、文章を書いていると、愚痴など、溜まっていた精神の澱みが雲散霧消されていくからじゃないだろうか。手塚治虫も一週間に2、3日しか寝なかったというが、誰よりも快活だったとアシスタント達は話している。ボケ防止にも、これほど最適なものはないだろう。そして、知識がありながらも、話すときは短そうだ。大抵のジジイは話が長いが、このジジイ達はそういう塩梅をわかっている。だから家族からも好かれるのだろう。

二人とも午後3時くらいになると自転車でやってきて、ホットコーヒーをブラックで飲む。プリントアウトしてきたA4用紙の活字の山に、線を入れたり数行の書き込みをしたりしている。ここで初稿を起こすわけではない。自宅でプリントアウトしてきたA4用紙を校正するためにやってくるのだ。ここは二人とも一緒だ。時間もやることも飲む物も一緒。校正作業は家でやるよりも風通しがいい空間の方がやりやすいと聞いたことがある。

二人とも、ふでばこは持って来ず、胸ポケットに蛍光ペン、赤ペン、鉛筆、万年筆の4〜5点を引っ掛けており、胸ポケットをふでばこ代わりに使っている。書き込んだり、線を引いたりしているところは見るが、白紙の紙に初稿を起こしているところは見たことがない。

二人は、ここまでやることなすことが一緒なのに、会話しているところを見たことがない。俺がドトールに来る前からやって来ていることだけは確かで、ずっと長いことドトールに執筆しに来ていることだけはわかるが、なぜ話さないのだろう? 互いの小説を見せ合って感想を言い合えたら、良さそうなものなのに。もうその段階は過ぎたのか? 議論に白熱し過ぎて仲が悪くなってしまったのか? 過去に何かあったのだろうか? ライバル? こんなにやることなすことが一緒で、何十年?顔を合わせても、話さないなんてことがあるのか? いや、普通に考えて話さないものか。まぁいい。

太っちょの方がちょうど俺の隣に座っていたので、原稿をチラ見してみた。小説だったら縦描きでプリントアウトしそうなものだが、横書きでプリントアウトしてある。いちばん最初の書き出しが「人間とは〜」から始まっていた。人間とは〜? ってことは、論文かな? と思ったが、やたらと「」(カギカッコ)が多い。こんなにカギカッコ(会話分)が多い論文というのはきっとないだろうから、やっぱり小説だろう。小説だとしたら、「人間とは〜」から始まる小説か。そいつはずいぶん直接的な小説じゃないか! 直接的。もうこのくらいの老境に達すると、余分が抜けて、真に迫ったものしか書きたくなくなるのか。「ガハハハ!」と豪快に笑ってはいるけど、「人間とは〜」から始まる小説を書いている。本当は小難しいことを考える性格だけど、他人の前では愉快な態度を貫く。意志的。思想で生きている証左といえよう。

二人の間に意志が働いているように見えた。自分の内面がどうであれ、外側のすべてに対し意志によって明るい生命体を演じなければならないという、物書きというのは書斎で暗い生き方をしているようでいて、これを実践している人が多い。すべての最高の書物にはこの生き方が説かれているから、本から学んだのか、経験から学んだのか、どちらにせよ、二人は思想で生きているということだ。



この二人は、プロの小説家なのか? だとしたら印税は入っているのか? 年金に加えて印税が入ってるなら、そこらの若者より収入は上かもしれない。俺と違ってドトール代など痒くもないだろう。他にぜんぜん金を使わなそうだし、月に20万以上は入ってきてそうな感じだから、ドトール代なんてタダみたいなもんだろう。おじいさん達が書いた本は、本屋の一体どこのコーナーに置かれてあるんだ? 何部印刷されてるんだ? 読者層は? やっぱりおじいちゃん同士? 今、本屋潰れてばかりいるけど、大丈夫か? 

しかし、普通に仕事していたら、この時間帯にこういったおじいさん達がいることを知ることはできなかった。本当に、一切、手を止めることなく書いている。まぁ、たぶん校正作業ということが大きいんだろうけどね。校正作業はほとんど手が止まることがないから当然といえば当然かもしれないが。俺だって校正をしているときは止まらない。漫画家だって一度ネームができれば止まらないだろう。だが、俺は初稿を書きにドトールに来るんだなぁ。そこが反対だ。多分、おじいちゃん達は、初稿を集中して自分の部屋で取り組めている気がする。できれば初稿を起こしている時の方を見たいんだがなぁ。このくらいの年の人が、どれくらいのペース配分で文章を書いているのか、老人になってもやはり思うように進まないものなのか、初稿でないとわからないところだ。

不思議と漫画を描きにくるような人はいない。文章の方がカフェという形式と適しているんだろう。もう欲望という欲望は尽きて、最後に残った出涸らしみたいなもので行動しているように見える。まるで植物のようだ。これは望む望まないを問わず、ただ年月だけを必要とするもののようにも見える。余計な憂いも煩悶もこえて、楽しい楽しくないもこえて、この域に辿り着くには、あと何年必要なのか、それとも今可能なのか。

ちょっとYouTubeをひらけば、『生産性がアップする5つのツール! 決定版!」とやっているが、二週間もしないうちにまた決定版が出ている。その生産性というのは、生産性について生産する生産しかしていないようで、じっさいに何を生産しているのかは見えてこない。スタンディングデスクだ、かなでもののラバーウッドのテーブルだ、ゲーミングチェア、ウルトラワイドモニター、アルミ製のマウスパッドだの言っているが、結局のところ、それを使って、『生産性がアップする5つのツール! 決定版!』という動画を作っているだけだ。まぁ、役に立ったがね。

年を取ってもテレビ見て過ごすんじゃなくて、こういう趣味があるということはすばらしいことだ。俺もジジイになっても、こうして毎日ドトールに来て文章を書いていたいと思う。俺の成れの果て? というのは、少し失礼か。俺はドトールじゃないと初稿が書けず、推敲のためだけに来ている彼らと比べて負けが確定している。

気になっているのなら、声をかけてみれば? と思うかもしれない。本当に人柄が良さそうで、しょっちゅう店員とも気さくに話しているし、元来人間が好きそうなので、俺が話しかければすくに仲良くなれるような気がする。向こうも、若い人間と、書き物について話をしたい、という顔をしているような気さえする。

まぁ、話しかけないがね。

話しかけるわけねーだろ、バーカ。

本当に、毎日合わす顔だ。これまで書いてこなかったのが不思議なくらいに。向こうも飽きるくらいに俺のことを見てきた。4年かな。毎日だ。いつも午後になると同じ時間にペンを走らせ、知らない人が見たら孫がおじいちゃんに会社の仕事を手伝わせていると思うかもしれない。しかし、俺がジジイ達のことを書くことがあっても、ジジイ達が俺のことを書くことはないだろう。俺の方が遊び心は大きいかもしれない。単に暇なだけか。ジジイ達は今日も小説を書くが、俺はそれを書いているジジイのことを書くしかできない。俺がジジイ達のことを書いて、ジジイ達が俺のことを書いて、見せ合ったら、さぁ、どっちが上かねぇ? こっちだったら俺が勝つかもしれんぜ?

この爺さんたちは、俺のことをどう思っているかはしらないが、なぜ働き盛りの男が午後3時にドトールにいるんだろう? 仕事してないのか? ニートなのか? 学生? しかし、このジジイ達くらいになると、ブロガーやYouTuberについての文化も詳しいかもしれない。最近の若者の働き方改革云々をどこかで読んだことがあるし、ワシらの若い頃とは違うんじゃろう、ホッホ、という感じで、片付けられている気もする。



ちょうど俺が喫煙室でタバコを吸っていたら、太っちょの方が、トイレから帰ってきたその足で、ガラッと喫煙室の戸を開けた。びっくりした。喫煙室は1名しか入ってはいけない決まりなのである。向こうもびっくりした顔をしていた。その顔が人間らしくて、やっぱり物書きの方が人間らしい顔をするなと思った。ジジイは近くで見たらガマガエルみたいな顔をしていた。「ああ、ごめんなさい」と言って、ガフフと笑って、カエルが下唇を震わせるような動きをした。声が低く、老練のAV男優を思わせる、上品ながら官能的な響きを持っていて、ひょっとしたら官能小説を書いているかもしれないと思った(「人間とは〜」から始まる官能小説か)。古ぼけた洋館で、召使いの女を裸にして、「宝石みたいだ」と言っている姿がとても似合う、そんな声だった。俺は、「ははは」とニコッと笑って返した。

「「「「「僕がタバコ吸ってるのに、どうして開けるんですかぁ〜〜〜!!!!!!!!!!!!!」」」」」

なーんてこともありえるからな。俺みたいな奴の対応もわきまえてやがる。膨大な読書から得た引き出しの中に用意されてあるのだ。平日に関わらず毎日ドトールにやってくる男だもんな。そんな男に対しても、ぬかりなく、最大限の愛を実行する。ちょっと怪訝な顔をしただけで何されるかわかった時代じゃないからな。つーか、扉を開けたのはジジイだ。責任はジジイにあるが。

まぁ、俺はジジイ達と話すことはないだろうし、ジジイ達が書いた書物も読むことはないだろうが、せいぜい気になるのは、この文章をジジイ達に見せたら、なんて感想が返ってくるのか、ということぐらいだ。

やはり年寄りというのは、家に自分の書斎を持ち、蔵書に囲まれ、そこだけは家族が足を踏み入れるのに覚悟を要するような、侵しがたい威厳を放っていなければならない。「ダメ! そこはおじいちゃんの書斎でしょ!」という台詞は、もう長いこと聞いた試しがない。たまに孫を抱えて高い高いとやるのも必要だが、古代ローマのように、若者を切り株に座らせて叡智を説いた長賢のように、時代が時代だったらそういう立場にあっただろうジジイのように、本当は誰もがそんなふうに年を取らねばならないのだ。それは紛れもなく老人の品格であり、若者に舐められるでもなく、媚びるでもなく、人間がその時間分を生きた価値を問われるには、神と通じた絶対量において他はない。

頭の悪いババアと頭のいいジジイ

執筆の狙い

作者 しまるこ
133-32-176-151.west.xps.vectant.ne.jp

ババアとジジイについて思っていることを書きました。          

コメント

ラピス
sp49-104-13-147.msf.spmode.ne.jp

前半のお婆ちゃん部と、後半のお爺ちゃん部で印象が変わりました。
前半に比べて、後半は胸を打たない。
ですから、前半の感想になります。

私も母の介護をしてきましたが、耳が痛かったです。(いや、聞いたわけじゃないから目が痛いのか?)
イライラして、きつく当たってました。料理もさせなくなってから、母のボケが酷くなったから、好きにさせれば良かったと後悔しきりです。

(後年、懺悔小説もどきを書くに至ります)

私も以前は介護職でしたが、見たところ、金もあり精神的にも余裕のある家のお婆ちゃんは大事にされてて、長生きしてましたね。

●「そんなに怒らないであげて下さい」
ある家のお婆ちゃんは惨めに娘の顔色を伺っていたので、自分の後悔から、私は口走ってしまいました。汗。相手のご家族の方は、私に言われて怒りましたね。

ところで、

一人暮らしの老人はボケない、は違うようです。
私は今、独居老人を見守る仕事をしていますが、認知症が進んで一人暮らしができなくなった人を何人か知っています。

認知症は何故か、解明できたらいいですね。頭の良い人でもなるし、運動のできる人でもなります。

これからも、しまるこさんがお婆ちゃんの癒やしであって欲しいと願います。

タイトルは一考の余地があります。

中小路昌宏
124-241-080-003.pool.fctv.ne.jp

 理学療法士としての作者の観察眼が丁寧に書かれている秀作だと思います。文章を書くことに慣れていらっしゃる方だと感じました。
 普段考える機会の少ない老人問題を考えるきっかけにして頂きました。

 ただこれは、小説という範疇に含まれるかどうかについては疑問があります。

大丘 忍
p4183129-ipoe.ipoe.ocn.ne.jp

九十才近くの高齢になってみると、人間、誰でもこの歳になるとボケるんだなと実感します。もちろん、程度はあるでしょうが。
まず、記憶力が低下しますね。昔はよく知っていたことが思い出せない。特に人の顔をみても名前が出てこない。これには困っております。
そんな高齢者として面白く拝読いたしました。

しまるこ
157.140.5.103.wi-fi.wi2.ne.jp

おはようございます。ラピスさん。お久しぶりです。

>前半のお婆ちゃん部と、後半のお爺ちゃん部で印象が変わりました。
>前半に比べて、後半は胸を打たない。

ババアとジジイというだけの理由で、別々に書いたものを繋げたのですが、やらなかった方がよかったかもしれないですね(笑)

>見たところ、金もあり精神的にも余裕のある家のお婆ちゃんは大事にされてて、長生きしてましたね。

私もそう思います。その傾向は間違いなくありますが、それでもやっぱり、そういう家庭でも闇がないということはないですね(当たり前ですが)。深く関わっていけば、やっぱり深い闇が見えてきます。

>一人暮らしの老人はボケない、は違うようです。
>私は今、独居老人を見守る仕事をしていますが、認知症が進んで一人暮らしができなくなった人を何人か知っています。

ラピスさんのいう通りです。さすがに最後は認知症が進んでしまいますね。身体が先にダメになって施設に行かれることが多いですが、一人暮らしだって、やっぱりボケることはボケます。流れ的にセリフが飛び込んできたというか、断定口調の方が歯切りがよかったせいか、事実性よりもリズムを優先させちゃいました。

>タイトルは一考の余地があります。

ごめんなさい、馬鹿なのでついこういうことをやってしまいます(/ _ ; ) 一度思いついたら、なぜかこれしか付けようがなかったです。

お久しぶりにラピスさんとお話しできて嬉しかったです。ラピスさんも、ご健筆を!

しまるこ
157.140.5.103.wi-fi.wi2.ne.jp

中小路昌宏さん

おはようございます、中小路さん、初めまして。

文章はちょこちょこ毎日書いてますが、おっしゃる通り、小説とは言えないですね。書こうとすると、日記やエッセイみたいなものしか書けず、いつもここでは、ブログから引っ張ってきたものを載せています。面白さで小説らしさを乗り越えられるか、実験中です。コメントありがとうございました。

しまるこ
157.140.5.103.wi-fi.wi2.ne.jp

大丘先生。お久しぶりです。

この作品を書いているときに、大丘先生のことが思い浮かびましたよ。ドトールにいつも小説を書きにくる二人のおじいさんがいますが、彼らを見るたびに大丘先生のことも同時に思い浮かびます。先生ご自身ではご謙遜されていますが、私も仕事上、たくさんの老人と関わりますが、先生のお歳でそれほどの頭脳や良識を保っている老人はいませんよ。教養の土壌が違うとはいえ、文章を書いていることが、聡明でいられる一つの証左だと思って、先生の生き方に希望を見ている私がいます。コメントありがとうございました。

京王J
p1165143-ipoe.ipoe.ocn.ne.jp

読みました。

勢いがあって読み通すのに苦痛は少なかったです。

ただ、この作品はこのサイトでだけ読まれるタイプの作品だと思います。
(それが作者様の目的ならそれでいいと思います)

せっかく理学療法士の視点から語られているのですが、普通の人が知っている範囲からはみ出した内容がなかったので、それがかえってわかりやすかったです。
わかりやすすぎるくらいですね。

後半のジジイが云々の内容は、高齢者へのステレオタイプな決めつけを、勢いよく捲し立てる調子で、ある意味こちらもわかりやすいですね。
これは小説よりYouTubeでやったほうが面白いかもしれません。
作者様の強みは、いい意味での鈍感力にあるのかもしれません。鈍感力がわかりやすさを作っている印象です。技術があって上手く書けているからわかりやすい、というわけではありません。ある意味、天才かもしれません。

素晴らしい作品でした。

しまるこ
133-32-176-151.west.xps.vectant.ne.jp

京王Jさん。こんにちは。

わかりやすすぎる、鈍感。おっしゃっていること、わかるような気がします。京王Jさんの皆さんへのコメントは、的を得ていると思うことが多いので、きっとそうなんだろうなと思います。コメントありがとうございました。

22
116-65-221-192.rev.home.ne.jp

>子供時代、あらゆることから守ってくれた、人ごみのなか、その背中を見失わないように、ソワソワしながらくっついていたあの頃の記憶がそうさせるのか。怒るということは、期待しているからだろう。信用しているからに違いない。「これだけは守ってくれるだろう」という消しクズのカスのような淡い期待さえ裏切られたから怒っているのだと思う。

ココが良いですね。
全体的に文章がこなれていて、ちょっと流し読みのつもりが全て読んでしまいました。上手で羨ましいです。

(ちょうど上のコメントの、的を射るは鬼の首を取ったように非難する方が少なくないし、その場合ただそれだけで切り捨てられてしまうので、あぁお気をつけて……、と思いました。)

自分は女性なのでタイトルが少し悲しいです。

しまるこ
133-32-176-151.west.xps.vectant.ne.jp

こんにちは、22さん、二週間ぶりですね、また来てくれてありがとうございます、嬉しいです。

流し読みのつもりだったのに最後まで読んでしまったという感想は、面白いと言ってもらえる次に嬉しいですね(笑)

>的を射る

これも本当にありがたいです。自分のブログで発信しているだけだと、固定読者の人は言ってくれないので。

>自分は女性なのでタイトルが少し悲しいです。

そうやって優しく諭してもらえると、悪いことはしちゃいけないなって、素直に反省できますね。これは、私も他人へと還元していこうと思います。それでは!

エロイナンナ
M014009196000.v4.enabler.ne.jp

ロシアの声恋愛について絶対位置自由

久方ゆずる
240.133.31.150.dy.iij4u.or.jp

以前入院していた病院に、作家先生らしき男性が入院されていました。
スタッフさんに「先生」と呼ばれてらっしゃって、毎日の掲示板の日付を書き直されておられました。
8の字を一所懸命に書かれていて、その数字がとても綺麗だった事を覚えています。
そんな事を思い出させてくれました……(^-^)/

ご利用のブラウザの言語モードを「日本語(ja, ja-JP)」に設定して頂くことで書き込みが可能です。

テクニカルサポート

3,000字以内