作家でごはん!鍛練場
飼い猫ちゃりりん

知恵子

 私は鉄筋の五階建てが数十棟もある団地に住んでいた。
 その多くが二つの四畳半と水回りしかない手狭なもので、低所得者や片親の家庭は安い家賃で入ることができた。
 団地の中には八百屋や床屋などが並ぶ商店街があり、そこには小さな電気屋もあった。 
 団地の住民はその店頭に置かれたカラーテレビで東京オリンピックを観戦した。
 開会式の日は日本晴れとなり、国立競技場は大歓声に包まれていた。
 キューバの選手団が日の丸の旗をふって行進し、アメリカやソビエトの選手団が観客に向かって手をふっていた。
 赤いブレザーを着た日本の選手団の行進が終わると、陛下が開会を宣言した。
 ファンファーレが鳴り響き、一万を超える風船が放たれると、最後の聖火ランナーが163段の階段を駆け上った。
 小野選手の宣誓が終わって国家斉唱が始まると、電気屋に集まっていた団地の住民も君が代を歌い、感涙にむせび泣く者もいた。
 ブルーインパルスが青空に描いた五輪は、オリンピックの開幕と同時に、平和な社会の到来を宣言していた。
 その祭典は人々の心にくすぶっていた戦火をも吹き消し、戦争で傷ついた人々までも恍惚とさせた。
 もう「戦後」ではない。ついに平和を手に入れたのだ。明るい未来がやって来るのだと……
 
 当時、『上を向いて歩こう』という歌が流行っていたが、その曲は国内はおろか世界中で大ヒットしていた。
 しかし、私はその歌が嫌いだった。
「上を向いて」という歌詞をきくたび、上を向け、前を向け、強くなれという言葉が思い浮かび、やるせない気持ちになった。
 なにせ私は、いつも下を向いて歩いていたのだから。
 
 高度経済成長とはなにか。
 大人はそこに希望を見いだしていたが、子供は虚しさを感じ取っていた。
 やがてその虚しさは学生運動の心理的背景となり、浅間山荘や三島の自決を経て顕在化していったのだ。

 私の両親は、三種の神器(冷蔵庫、テレビ、洗濯機)と一戸建てを手に入れれば幸せになれると信じていた。涙ぐましいまでの倹約をし、貯蓄に心血を注いでいたから、家にはまともな家具さえなかったのだ。
 私はクラスメイトから「貧乏人」という仇名をつけられていたが、正しくは「ケチ」だ。
「貧乏人じゃない! ケチだ!」と言い返すのも滑稽なので、いつも言われっぱなしだった。
 ただ、下の階に住んでいる知恵子の家の貧しさは、我が家の比ではなかった。
 彼女の家は母子家庭で、母親が重い病気をわずらっていたのだ。

「遅刻するわよ!」と母に怒鳴られて、階段を駆け降りて顔をあげれば、二階の窓には知恵子の顔があった。
「知恵ちゃん。学校休むの?」
「うん」
「帰ったら呼びにいくから、また池で遊ぼうね」
「うん。わかった」
 彼女は、いじめられた日の翌日は学校を休んだ。つまり、休んでばかりいたわけだ。

 知恵子は中学一年の春に下の階に引っ越してきた。
 彼女はどこにでもいる普通の女の子に見えたが、どこか人を恐れているようなところがあって、逆にそれが私を安心させた。
 中学生の男子なら女子に興味はあるし、彼女は雲の狭間からのぞく太陽のように、明るい笑顔を私に見せることがあった。
 しかし母は、私が彼女と遊ぶことを良く思わなかった。
 彼女の母親はよく咳(せき)をしていた。
 夜にそれが響いてくると、母は、「あの子と遊んじゃだめ。父親が恐ろしい病気で死んだって噂なのよ。母親もきっとそうなんだから」と私に言った。

 知恵子はクラスで「ただれ」と呼ばれていた。
 長崎で被爆した母親が産んだ子だから、彼女の肌もただれているという馬鹿げた言い掛かりだった。
 ある日、数人の生徒が知恵子を取り囲み、「ぼろ雑巾みたいな肌を見せてみろ」と迫った。
「ぼろ雑巾じゃないもん!」と彼女が言い返せば、なら服を脱いでみろと彼らは言った。
 知恵子が机に突っ伏して泣き始めると、一人の生徒がその背中に、「ただれ」とチョークで書いた。
 すると傍観していた生徒たちまで一斉に吹き出したのだ。
 私は担任を呼ぼうと思い席を立った。
 すると、そこに担任が現れて生徒たちを叱った。
 担任は知恵子に休んでもいいんだよと言った。しかし、それは来て欲しくないという意味だったのだ。

 次の日の朝、いつものように階段を駆け降りて顔をあげると、やはり二階の窓には知恵子の顔があった。
「知恵ちゃん。学校休むの?」
「うん」
「帰ったら呼びにいくから、また池で遊ぼうね」
「うん。わかった」
 その笑顔は純真を物語っていた。
 しかし、彼女を汚い世間から隔離していたのは、団地のコンクリートではなく、差別という厚い氷壁だった。
 
 団地の中心部にはグラウンドや公園があったが、私たちがそこで遊ぶことはなかった。
 二人はもっぱら人目を避けるようにして遊んだのだ。
 当時は未開発の土地がまだ沢山あった。団地から少し歩けば鬱蒼(うっそう)とした茂みがあり、その奥に大きな池があった。
 晴れた日の朝は水が透きとおり、屈折した光の中にフナやカエルが浮かんでいるように見えた。
 池の周囲を歩いていると、青大将が二人の足元にあらわれて、知恵子が私に抱きつくなんてこともあった。
 そこは生き物たちのオアシスであるばかりか、二人の楽園でもあったのだ。

 夏休みに入ると私たちは早朝から池で遊んだ。
 二人は池の周囲を一周すると、そのほとりに座って休憩をした。
 並んで泳ぐ二匹のカエルが見えた。
 私が、「きっとカップルだね」と言うと、知恵子が急に泣き始めたのだ。
「知恵ちゃん。どうしたの?」
「みんながプールに入っちゃだめって」
 クラスの連中ばかりかその親までも、汚いから彼女をプールに入れるなと文句を言い、学校はその理不尽を受け入れたのだ。
 私は、「大きなプールができたから一緒に行こうよ」と彼女を誘った。そのプールには噴水や滑り台があり、女子と行った男子もいると聞いていた。
 しかし入場料が三百円もしたのだ。当時の私にとって三百円は大金であり、まして二人分の入場料を払えるはずもなかった。
 だが極貧にあえぐ知恵子に金を払わせたくはなかった。だから小遣いの増額を母に頼んだのだ。
 しかし母は、「気でも狂ったの!」と怒鳴り散らした。
 犯罪の誘惑に駆られた。
 犯罪の芽を育くむのは劣悪な教育ではない。悲しいまでの貧困なのだ。

 夏休みの出校日に、同級生の財布から金を抜くことにした。
 それを罪だと思いたくなかったから、「知恵子がプールに入れないのは奴らのせいだ」と念仏のように唱えていた。
 当時は気の利いたロッカーなんてなくて、荷物は教室の後ろの棚に置きっ放しだった。
 プールが終わって掃除の時間になると、クラスの連中は花壇の清掃に行き、私はその途中で引き返して教室にもどった。
 ところが二人の生徒が残っていたのだ。
 箒(ほうき)を持って彼らが去るのを待っていると、その会話が聞こえた。
 それは正に福音だった。駅前の商店街にある専門店で、クワガタを高値で買い取ってくれると言うのだ。
 私は勉強も運動も苦手だったが、虫捕りだけは自信があった。
「知恵ちゃん。プールに入れるよ。クワガタを売ればいいんだ」
 すると彼女は一緒にいくと言い出し、森は危険だと言っても聞かなかった。

 翌日の夜明け前に、公園の街灯の下で待ち合わせをした。
 クワガタは朝になると木の隙間から出てくるからだ。
 まだ星が輝いていて、新聞配達の自転車は電灯をつけていた。
 藪蚊(やぶか)に刺されると言ってあったのに、知恵子はすり切れた麻のブラウスに半ズボンという格好で現れた。
「それじゃ蚊に刺されちゃうよ」
「これしかなかったの」
 彼女は私の目を見つめてそう言ったのだ。

 森の奥にある寂れた神社の境内が目的地だった。樹液が流れ出ているクヌギがそこに生えていたからだ。
 小学生のとき、そこでオオクワガタを捕まえたことがあった。オオクワガタは「黒いダイヤ」と呼ばれ、高値で取引されることもあるのだ。

 冷気に満ちた森は静寂につつまれており、土を踏みしめる二人の足音以外は何も聞こえなかった。
 途中に苔むした墓石がならぶ古い墓地があった。
「怖くない?」と聞くと知恵子は、「うん。大丈夫」と言い、にっこりと笑ってみせた。
 しかし野犬の遠吠えが森に響き渡ると、私の手を強く握りしめた。野犬の声はだんだんと大きくなり、カサカサという足音が近づいてきた。
 知恵子が私に抱きつくと、私はしゃがんで静かにするよう彼女に言った。
「知恵ちゃん。じっとしてて。大丈夫だから」
「うん。わかった」
 私は左腕で彼女を抱きながら、右手に大きな石ころを握りしめた。不思議に怖くはなかった。むしろ冷静だった。
 やがて野犬は去っていった。
「もう大丈夫だよ」
「うん。ありがとう」
「怖かった?」
「うん。ちょっとだけ」

 神社の境内に着くころには空が白み始めていた。
 クヌギの幹にはカナブンなどの昆虫がむらがっていたが、肝心のクワガタがいなかった。
 でもよく観察すると、ぶ厚い木の皮の下に、クワガタらしき昆虫が見えた。
 喜び勇んで指を隙間に入れると、それは凄い力で指先を噛んだ。
「うわ!」と叫んで指を出すと、オオクワガタのあごが深く肉に食い込んでいた。
 指先に激痛が走り、私は腕を激しくふった。するとオオクワガタは羽を広げて森へ帰っていき、私の指先から血が流れ始めた。
 御影石でできた手水舎(てみずや)の水盤には湧水が勢いよく湧き出ていた。
(※ 手水舎とは、参拝者が身を清めるために手水を使う施設のこと。水盤舎とも呼ばれる。)
 知恵子は柄杓で水をすくって私の指先を洗うと、八重歯でハンカチを切り裂いて巻いてくれた。
 ふと気づくと何匹もの藪蚊が彼女の腕や脚にとまっていた。
「知恵ちゃん! 蚊が血を吸ってる!」
「ほんとだ!」
 彼女を御影石に座らせて靴下を脱がし、ふくらはぎに水をかけると、彼女は「冷たい!」と叫んだ。
「次は腕だよ」と言うと、彼女は目を閉じて腕をのばし、くすくすと笑いながら冷水に耐えた。
「ほかに、かゆいとこある?」と聞くと、彼女はブラウスの一番上のボタンを外し、胸元の赤い腫れを指差した。
「知恵ちゃん。服が濡れちゃうよ」
 すると彼女は二つ目のボタンを外した。
「誰か見ているかもしれないから」
「誰もいないよ」
 彼女が立ち上がって三つ目のボタンに指を掛けたとき、私はある恐怖に見舞われたのだ。
「だめだってば!」と怒鳴ると、彼女はぼう然と立ちつくし、「あたし、ただれてないよ……」と声をもらした。
 その瞳から涙がこぼれ、私は真実を知った。
 私は、差別する側の人間だったのだ。

 もう二階の窓から知恵子が顔を出すことはなかった。
 しかし、父の転勤が急に決まり、夏休み中に引っ越すことを彼女に話さなければならなかった。
 手紙なんかで伝えるべきではないと思った。私の心が、自分の口で伝えろと訴えていたのだ。
 だから毎日何度も二階の窓を見上げた。しかし、彼女の顔を見ることはできなかった。

 当時は今のような引っ越し業者はなかったから、家具を売り払ってから手荷物一つで移動するのが通例だった。
 私の家には家具らしき家具もなかったから、支度はすぐに済んでしまった。
 転居する前日の夕方に、親は私をつれて挨拶回りに出掛けた。
 同じ棟の人たちに、わずかばかりの粗品を渡し、「お世話になりました」と丁寧にお辞儀をしていた。
 しかし、知恵子の家の扉を叩くことはなかった。
 母に、「知恵ちゃんの家には行かないの?」と聞くと、「お前は黙ってなさい!」と母は怒鳴った。

 翌日は明け方から激しい雨が降っていた。
 私たち家族はそれぞれ手に荷物を持って静かに階段をおりた。
 私は建物を出たところで傘を差し、人気のない二階の窓を見上げた。
 歩きながら何度もふり返り、そのたびに、「前を向いて歩きなさい!」と母に怒鳴られた。
 結局知恵子の顔を見ることはできず、建物の角を曲がり、長い坂道を下った。
 ところどころで側溝があふれ、雨水が斜面を流れ落ちていた。
 坂道を下り終えて駅に向かって歩いていると、叩きつけるような雨音の中に、つっかけの音が響いた。
 ふり向くと、知恵子が豪雨の中で泣きじゃくっていたのだ。
「知恵ちゃん!」と叫ぶと、母が、「ほっときなさい!」と怒鳴った。
 ほっとくわけにはいかなかった。
 すり切れたブラウスがずぶ濡れになり、彼女の肌があらわになっていたのだ。
 駆けよって彼女を傘で覆うと、彼女は私の腕の中で泣きじゃくった。
「知恵ちゃん。俺……」
「知ってる。遠くに引っ越すんでしょ」
「でも、いつか会いにくるから」
「うん。わかった」
 
 これが私の初恋である。今日は午後に予定があるので、恥ずかしい話はこれで終りにする。
 定年退職してからは仕事もしていないので、健康管理も兼ねて妻と一緒によくカラオケに行く。
 でも機械の操作が苦手なので、いつも妻に頼むのだ。
「またあの曲を入れてもらえるかな」
「はいはい。またいつもの歌ね」
 私は上を向いて、涙がこぼれないように歌う。
 彼女と過ごした夏の日の記憶をたどりながら。

 終わり

知恵子

執筆の狙い

作者 飼い猫ちゃりりん
dw49-106-193-198.m-zone.jp

 この前のオリンピックはどうでした? 感動しましたか?
 なんか、なーんも記憶にないんだけど。
 んでもって(森島さんみたい。笑)1964年の東京オリンピックの開会式をYouTubeで見てみたんです。
 ありゃスゲーな。

 5300字の推敲作品。
 よろしくお願いします。

コメント

チエル
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おもしろかったです!!

偏差値45
KD111239161188.au-net.ne.jp

>この前のオリンピックはどうでした? 感動しましたか?
なんか、なーんも記憶にないんだけど。

北京オリンピック……、羽生なんとかさんが失敗した。
それしか記憶がないですね。てか、それほど興味がなかったわけで……。

さて、感想です。
ノスタルジーかな。
時代背景は頑張って書いてあるけど……。
僕は産まれていないのでよく分からないですね。

>「だめだってば!」と怒鳴ると、彼女はぼう然と立ちつくし、「あたし、ただれてないよ……」と声をもらした。
その瞳から涙がこぼれ、私は真実を知った。
私は、差別する側の人間だったのだ。

このシーン。なんとなくは、こんなことを書きたいんだろうな、とは理解できるけど。
理屈としては分からないですね。
言わば、主人公との共感が出来ていない為に折角の盛り上がりが空振りに
なっているような気がしましたね。

>これが私の初恋である。今日は午後に予定があるので、恥ずかしい話はこれで終りにする。

ここで現在に戻るわけですが……。ちょっと唐突過ぎる気がしますね。
冒頭で現在について書いていないので、なんとなく空振りのような気がしますね。
つまり、現在⇒過去⇒現在。このパターンの方が分かりやすいかも。

それで回想シーン。
主人公が「私」ですよね。これがちょっと不釣り合いに思えてしまいますね。
少年時代は、やはり「僕、俺、オイラ」その方がしっくりきますからね。
子供の頃に、「私」なんて言う人はいなかったですからね。
言ってしまえば、臨場感を失くして気がしますね。

ストーリー性があって良かったのですが、
面白いか? と言えば「いいえ」かな。
女の子とプールでイチャつきあいたくて、
お金を盗もうとしたり、クワガタを獲りにいって失敗した話ですからね。
男のカッコ良さ、誠実さがないですからね。おまけに差別主義者?
キャラクター的にどうか? という問題があるわけです。

飼い猫ちゃりりん
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チエル様
ありがとうございます。

飼い猫ちゃりりん
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偏差値45様

北京オリンピック? ああ冬季ね。トーキ。トーキは冬季オリンピックって方がなじみがあるので、一瞬わかりませんでした。

ひとつ質問していいですか?

回想は現在から過去を語るから、
「私は子供のころ電気屋でオリンピックを〜」
となると思うんですけど……
回想するときだけ「僕」に変身は、変じゃないですか?

ありがとうございました。

偏差値45
KD111239161188.au-net.ne.jp

再訪失礼します。

>回想するときだけ「僕」に変身は、変じゃないですか?

正解は分からない。
自分ならば、ずっと「僕」で通すかな。
わたし、、、これは大人なんです。ビジネスマンが使うわけです。
そういう教育を受けている。
そう言わないと、ダメな人と思われてしまうからね。
で、公式の場所では、わたくし、、、これが正しい。
自分の場合はそうな感じで使い分けているのですよ。

で、この主人公は
>定年退職してからは仕事もしていないので、
となっているので、特別、わたしにこだわる理由がないかな、と思った次第ですね。
その辺の言葉のセンスが問われるかと考えますね。

飼い猫ちゃりりん
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偏差値45様
そーいう意味だったんですね。
丁寧に解説して頂き、ありがとうございます。
個人的に自分を「僕」っていう60〜70歳くらいの老人と遭遇したことがないもんで。
でも50代なら結構いる感じですね。

上松 煌
111.85.0.110.ap.yournet.ne.jp

飼いネコさん、こんにちは

 拝見しました。
第1回東京オリンピックの時代から高度成長期にかけて住宅困窮者住宅に住んでいた男の子と女の子のお話ですね。
でも、ここの背景となる場所はどこなのでしょう?
被爆者の子供がいるところを見ると広島かな?

 と、いうのは義父に聞いてみると、東京住まいの彼は、
「冷蔵庫、テレビ、洗濯機は美智子さんの成婚時に普及したから、自家用車・一戸建て・あとなんとかが三種の神器では?」
と言っていました。
東京はなんでも普及が早いので、地方なら時間的ズレがあるため東京より遅れますよね。
あなたの実体験の気がするので差し支えなければ、どこの話か地域指定があれば具体的になります。

 おれもクワガタが売れる時代なら、自家用車・一戸建て・あとなんとかが三種の神器じゃないかなと思います。 
それから、引越しですが引っ越し業者はフツーにあったそうですよ。
いくら物のない時代でも引っ越し荷物を手に持って、って戦後の混乱期かよ。
その混乱期でも大八車やリアカーがあったようなので、このお話の時代だと『夜逃げ』に感じてしまうのね。

 ま、本当のことなら、ごちゃごちゃゴメンなさい。
お話の着眼点はあるあるテーマですが、良いと思いました。

飼い猫ちゃりりん
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上松 煌様

 いえいえ。実体験ではありません。
 1964東京オリンピックなんて、まだ生まれていません。

 この短編は、全部YouTubeやWikipediaなどで得た情報のみで想像を膨らませて書いた作品です。

 舞台となった地域は飼い猫の脳内ですが、大阪〜名古屋くらいでイメージを膨らませました。

 丁寧に調べさせてしまい恐縮です。(汗)

 でも上松様から教えて頂いた情報を元にまた推敲してみたいと思います。

 ありがとうございました。(ペコリ)

大丘 忍
p0197167-vcngn.oska.nt.ngn2.ppp.ocn.ne.jp

いじめを題材にした話は、読んでいて哀れな感じがしますね。私も戦時中に神戸の小学校(当時は国民学校)から尼崎の農村の学校へ転校したときにいじめに遭ったことがあります。それだけに「いじめ」という行為には最も下劣な感じを抱いております。
本作は、想像で書いたとしても、いじめの実感は出ているかなと思いました。弱い者いじめ。これは下劣な行為であると思っておりますが、現在でも会社に就職すると上司が部下をいじめることがあるのでしょうね。私はそれが嫌で、上司にいじめられることのない道を選んでのですが、今になって見れば正解であったと思っております。
いじめは、自分が弱いからこそ自分より弱いものをいじめることで鬱憤を晴らそうとしている卑劣な行為であると思っております。このサイトでも時々いじめ的感想が述べられることがありますね。

飼い猫ちゃりりん
123-1-120-7.area1b.commufa.jp

大丘 忍様
弱い者イジメはなくなりません。
それは人間が下劣な下等動物であることの証左です。
猫は縄張り争いで喧嘩はしても、弱いものイジメなんてしません。
猫は高等動物。

夜の雨
ai226197.d.west.v6connect.net

「知恵子」読みました。

推敲前の作品にたしか感想を書いたような気が(笑)。
それでこちらの作品ですが、なかなかの感動作でした。

導入部の鉄筋コンクリートの団地にからめてカラーテレビとか当時の東京オリンピックの模様を描きつつ、本題の「知恵子」と主人公の「わたし」の話が始まるのですが、時代背景があるので場面がイメージできてよかったです。

主人公の貧しさを三種の神器(冷蔵庫、テレビ、洗濯機)と一戸建てを手に入れれば幸せになれると信じている両親の節約という「ケチ」の話と対比して、「知恵子」の貧しさを描いているところは、うまいですね。知恵子の場合は、貧しさ以上に周囲から差別されているところが、読んでいて寂しさと怒りみたいなものが感じられましたが、主人公には彼女を助けられない「無力感」のようなものがあったのでしょう。
主人公と知恵子との交友が上のような設定から盛り上がっていくわけですが、プールにいくために級友から金を盗もうとするあたりの主人公の行動は演出的によかったです。また、盗まなくてよかった。これは上に書いた主人公の無力感が行動へと変化していて、これがクワガタへとつながるのですが。知恵子と一緒に森へ夜明け前から獲りに行くエピソードもよかった。
そこで主人公も気が付かないうちに、差別発言につながっているところが見せどころでした。
なかなかうまいです。ここの部分は重要ですので、もっと書き込んでもよいかな。

そのあと、知恵子は顔を見せなくなった。
そして主人公の引っ越しという展開は見せ場ですね。

 >手紙なんかで伝えるべきではないと思った。私の心が、自分の口で伝えろと訴えていたのだ。
 >だから毎日何度も二階の窓を見上げた。しかし、彼女の顔を見ることはできなかった。
この「手紙」のところですが、ふつうは、手紙を書いて、知恵子がそれを読んで、二人で話すという事になると思います。
まあ、知恵子が手紙を読んでいるはずなのに、顔を見せないという演出はありですが。
その手紙を書かなかったので、主人公は後半の引っ越しの雨のエピソードまで知恵子に逢えなかった。

ラストの定年退職後の主人公と妻の話ですが、そこで『上を向いて歩こう』という当時の流行歌をカラオケで唄うところは、締めとしてはよかったのでは。

ちなみにこの定年退職後のラストシーンを描かないで、知恵子との雨の別れシーンのあと、「青年」になってから、主人公が彼女に遭うシーンで続きを書けば、それはそれで面白くなるのではと思いました。

あと、主人公の名前はわかるようにしておいたほうがよいですね。
両親でもよいし、知恵子でもよいので、主人公と話をする過程において、主人公の名前を出せばわかると思います。

それでは、頑張ってください。

お疲れさまでした。

飼い猫ちゃりりん
123-1-120-7.area1b.commufa.jp

夜の雨様

 また読んで頂けて嬉しいです。

 主人公の名前と、知恵子への手紙の件は正にそのとおりだと思います。

 上松様からも有益な御指摘をいただいておりますので、合わせて推敲したいと思います。

 森田さんの歌(みんな夢ではありました)の件といい、いつも良いことを教えていただき感謝しております。

 またよろしくお願いします。

 

飼い猫ちゃりりん
123-1-120-7.area1b.commufa.jp

追伸
 偏差値45様の御指摘にも感謝しております。
 特に導入の部分の指摘は、なるほどと思いました。

アン・カルネ
219-100-29-138.osa.wi-gate.net

うーん…。
ふと思う事はなぜ主人公は知恵子の事を思い出すんでしょう。そしてまたなぜ最後にきらいだったはずの歌を歌うんでしょう、というところでしょうか。
私が思ったのはまず構成として現在・過去・現在とサンドウィッチ形式になっていると良いのかな、ということでしょうか。
思うんですけどね、この話を読むと真の主人公は知恵子で副主人公(語り手)が「私」というふうにも読めるんです。実際、タイトルも「知恵子」ですしね。
で、導入の部分で知恵子の事を思い出すきっかけが描いてあると良いのかな、と。
例えば中学校の同窓生の名簿を整理する委員から連絡を受けた。その時、知恵子さんが既に亡くなっている事を知らされた。確か、喪主は息子さんだったと思ったよ。なんでも東京の東証1部上場企業の人とかだったから葬儀は盛大だったらしいよ。とふっておく。
それから過去が語られてゆく。するとラストで、導入でふってある彼女のイメージと過去の不遇のイメージのギャップから、でも彼女のその後の人生は何があったにせよ、結婚し、子育てには成功し、実り多い人生を手に入れたんだな、と想像させられるようにしておく。そうすると、そう想像させられたとき、「上の向いて歩こう」が効いてくるように思うのです。
「しかし、私はその歌が嫌いだった。「上を向いて」という歌詞をきくたび、上を向け、前を向け、強くなれという言葉が思い浮かび、やるせない気持ちになった。」そのやるせなさから語り手も知恵子も昭和という動乱期を生き抜いて穏やかな現在を手に入れたんだな、と想像させられるわけです。そういうカタチを作っておいたらいいんじゃないのかなあ、と思わされました。
初恋の彼女、自分が知っている彼女は幸せじゃなかった。でもその後で彼女は幸せをちゃんと掴んだんだ、その彼女の一生への賛歌であり、自分への賛歌でもある、そういう歌に変化したんだね、という終わりへ持ってゆくと良いんじゃなかったのかなあ、と。そんなふうに思ったので。あと「彼女が立ち上がって三つ目のボタンに指を掛けたとき、私はある恐怖に見舞われたのだ」ここね。「私」はある意味、性の目覚めってところなのかな? と思わされるのですが、知恵子ちゃんの方は「ただれてないよ」と、ここのギャップとその後の「私は、差別する側の人間だったのだ」は実にぐっとこさせられる良いシーンだなあとは思うんですが、ちょっと気になるのは果たして中1の女の子がこう無防備でいるのはどうだろうってことなんです。というのも「中学生の男子なら女子に興味はあるし」「その笑顔は純真を物語っていた。」「彼女は私の腕の中で泣きじゃくった」これらがある為、知恵子ちゃんも「私」に対してはただの好意だけではなく男子として意識した淡い恋心的なものであったろう、と思わされるわけですよ。そういう下地の上に立った時、ブラウスのボタンの3つ目を外そうとする中1の女の子って思うと、ちょっと頭のネジがどこか緩んでないかい? と思わされなくも無いんです…。純真さが悪い意味でのイノセントに取れてしまうって言うか…。そこちょっと気になりました。後は「私」の母親の描き方も要再考じゃないのかなあ。被爆2世、3世の差別っていうのは私も聞いた事はあるんですが、職場の60代、再雇用の方の中に広島出身者がいて、その方は被爆2世では無かったですが、小学生、中学生、と過ごす中では白血病で亡くなった同級生も数人いたそうですから、やはり作品化する時は細心の注意がいるところではないかなあ、と思わされました。同級生たちに「ただれ」と言わせているわけですから、母親の方はもう少し、露骨さを控えておく方が良いんじゃないのかな、と。彼女の心の中には知恵子母子を恐れ嫌う部分があっても、それを息子にストレートに伝えずに、しかしやんわりと彼女と距離を取って欲しいという言外のメッセージを含めた物言い、ですかね。だからこそ、大人の嫌らしさを見せる、そういう一工夫が欲しいかな、と思わされました。

飼い猫ちゃりりん
123-1-120-7.area1b.commufa.jp

アン・カルネ様

 偏差値45様からも御指摘を頂いているのですが、やはりサンドウィッチがいいのですね。

 女子中学生がこうも無防備だろうか? という御指摘については、飼い猫の表現力が甘く、読者に伝わっていないことがわかりました。
 ありがとうございます。
「これしかなかったの」か、
「これしかなかったの……」
のどちらにしようか迷ったんです。
 飼い猫は基本的に、「……」の多用は下手くそのすることと思っているのですが、そこは「……」を使うところなのかもしれませんね。

「私」と「知恵子」のどちらが主人公なのか?については、どちらでも良いと思っています。

 母親の差別的な言葉が辛辣すぎる件については、昔ならよくあることかなぁと思っていました。

 アン・カルネ様の御指摘のおかげで、さらに問題点が明確になってきました。

 ありがとうございました。

アン・カルネ
219-100-29-35.osa.wi-gate.net

ごめんなさい。再訪です。
服装が無防備なのではなく、ブラウスのボタンを外す、3つ目の胸元のボタンを外すという行為が無防備すぎると…。

飼い猫ちゃりりん
dw49-106-186-233.m-zone.jp

アン・カルネ様
 知恵子は恋心を持っていたのです。
 だから、自分が綺麗な肌を持っていることを恋人に知ってもらいたかった。
 でも、いくらなんでも自分から裸になるわけにはいかない。そんなことをすれば嫌われてしまう。
 そのあたりの心理描写をもっと上手く描きたかったのですが、作者の力不足でした。
 結局最後は豪雨が知恵子の肌をあらわにしてしまうんですけどね。

中小路昌宏
124-241-080-052.pool.fctv.ne.jp

多くの方がコメントしていらっしゃるので、いちいち繰り返して申し上げる事はご遠慮させて頂きます。

プロの作家の作品ではないので問題点があるのは当然です。ただ、作者が言おうとしている事は何となく伝わってきます。多くの人が意見を述べられているという事は、それだけ関心が高いという事ですから、さらに研鑽を積まれれば、より洗練された作品を描けるようになると思います。

飼い猫ちゃりりん
sp49-98-131-9.msd.spmode.ne.jp

中小路昌宏様

ありがとうございます。

コメントをしてくれた全ての人に感謝しております。

作品も喜んでいることでしょう。

産みの親としては、感謝の気持ちしかありません。

ご利用のブラウザの言語モードを「日本語(ja, ja-JP)」に設定して頂くことで書き込みが可能です。

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