作家でごはん!鍛練場
m.s

444ドッペルゲンガー

4:31
「ねえあのウワサ知ってる?」
 知らない。
「そうさっさと話題を切らないでくれるかなあ。ネットにあるオカルトや怪談っていうのはさ、たいてい場所が遠いからじかに見にいけなくってもどっかしいでしょ。そこで近いのをもってきたわけよ。」
 近くってどこさ。
「ウズガミさま。」
 宇豆神社、通称ウズガミ様は祭りで餅まきなどが行われるこのあたりでいちばん大きな神社だ。この学区でそだった子どもなら知らないやつは居ない。そこで『宇豆神社0x20』で記憶からサジェストされた候補をつぶやいてみる
「宇豆神社ーーそれ、もしかしてウサギのはなし?」と訊くと、
え。と彼女が以外そうなかおをする。どうやら当てが外れたらしい。
「なんだ、逆立ちして歩くウサギのはなしかとおもった」
「なにそれ、いっけん可愛いけどよくよく想像してみたら気持ちわるい。」
「げっ歯類って後ろ足をつかってまえに進むでしょう。だけど遺伝で先天的に後ろ足をうまく運動と協調できないケースがあるのさ。すると前あしだけで動くために逆立ち歩きする個体が出てくることがある。もちろん自然界じゃあ生きられないから遺伝圧で産まれづらい。けれどウサギを神使として放し飼いする神社では近親交配が起こりやすい環境もあって『逆立ちの仔兎』がたまに生き残るんだ、て。で、そんな裏返ったウサギには逆子がえりの安産の加護があるとされていたらしいんだけど」
「ぜんぜん知らん話だが。そもそも宇豆神さまにナマのウサギなんていたっけ? ウサギの像とかはあったと思うけど」
 いまはいない。でも明治から戦前まではいたんだ。で、戦時中に肉に潰されたらしい。
「それは。かわいそうに」
「牛も馬も羊もヤギも犬もネコも、あるていどの数がいて人間ではない動物にとっては時代をこえて通底する光景だとおもいますけど」
「ありふれたものに心をうごかされることはおかしいか」
 さあ? そうしてこの年代の会話にふさわしく少し青くさく生臭いのを「よくわかりません」ぼくはそう切りあげる、「ほらウサギが逆立ちしているのってシルエットがべつの動物っぽくないですか、ぱっと見よたよた歩きの赤ちゃんみたいに見えるわけ。いつからか産まれなかった水子の化身じゃないかとも言われるようになったらしい。そっちの幽霊てきな意味合いでの逆ウサギを見たというウワサがいまでもたまにあるみたいで」
「あれ? ウズガミさまって安産や縁結びのご利益じゃなかった」
「もちろん安産祈願のウサギでもあるけど、水子供養も兼ねてるんです。あのなんでも、ウズガミをもじってウマズノカミって」
「節操ないな」
「ご利益に理念や信条をもとめたってどうしようもない」そもそも安産と水子はあまり違わない、ただ同じ原因から生じた別の結果だというだけで。ぼくはそう口には出さず「まあ神さまのせかいではそういう二面性があるのがふつうですからね、赤子を喰らう母親とかそういう矛盾したモチーフも珍しくないし」むしろそうした理解しがたい混乱を一個の人格状のものとして統合するときに人はそれを神と呼ぶのだろう。
「神さまってけっこう適当なのね」
 いやたぶん適当なのは人間のほうだと思いますよ、ぼくはそう応え。じゃあもういいかな、と帰路へつこうとすると。
「良くない、ちがうちがう。」と先輩はそうくびを振るう。「宇豆がみさまは宇豆がみさまだけどわたしのは、ぜんぜんちがうはなし。ゾロ目がそろったときにお参りすると願いが叶うっていう」
「なんですかそのパチスロみたいなおまじないは。ていうか、先輩なにか願いごとがあるんですか」
「きみには無いの?」
「うんまあ、今はべつだん」ぼくはそう思案して、「でもなんでこうして誘うんです? わざわざご利益のお裾分けとか先輩のなかにそういった発想があるとは思えないけど」
「ほら、それ。あなたの時計。」そう先輩が指さすさき、ぼくが入学祝いで買ってもらった腕時計に目を落とす。「秒針が見えるほうがどー考えたってタイミングが取りやすいでしょ。スマホの時計だとそーはいかない」と矯正器付きの歯を見せるので、いやアプリ入れればアナログ時計みたいにスマホでも秒針見れますし、なんだったら貸しますよ時計。そう申し出ると、
「わかった」とうなずいて背を向けようとするので、でも宇豆神社はそっちじゃないですよ、とちょっと追いかけ引き止めてそのツンとした横がおを透かし見る。するとなるほど、
「先輩にはちゃんと本物の願いごとがあるんですね」
「そんなん、誰だってそういうものでしょ」
「いや少し羨ましいです」先輩はだれしもが彼女のような核をこころに持って生きているのだとそう自明に信じているのだ。「行きましょう」
「え、いいの?」
なんだかぼくも自分の願いごとを叶えてみたくなったのだ。
「じゃあすこしだけ早足で行こう。四時四十四分にお参りするの。こっからだったら間にあうよ」
「はい。あとそれ、どうせネットロアや怪談の類でしょう? ネタの中身を教えておいてください。でないとフィールドワークにならない」
 文化人類学研究部、通称文人は来年の春にきえる。三年が卒業して部員のかずが部としての構成要件を満たさなくなるのだ。しかしいまのところ新会員がはいってくる様子もなく、先輩もまるで募集活動をおこなっていないので結末は予定どおりにおとずれるだろう。そのこと自体、べつに問題ではないのだけれど。
「ドッペルゲンガー」
 先輩はすこし掠れたこえでそう告げて口もとだけでかすかに笑んだ。「もうひとりの自分がこっちの自分のかわりに願いを叶えてくれるんだってさ」馬鹿みたいだろう、そう自嘲するようにするので。
 いやしかしオカルトにはまだ陽がはやい。もうすこし話しましょう。提案すると、
「だけどいまでちょうど良いくらい。もっと暮れたほうが本当はいいかもだけど、それだと、帰るころにはすこし遅い。」先輩が言うので、
 ならもっと早くに出た方がよかったんじゃ、そう訊くと
「でも三時三十三分じゃあ早すぎて学校からじゃ間にあわないし」
 うん
「五時五十五分だとギリギリになりすぎる。だから四時四十四分でちょうどいいわけ」
 なるほど、ゾロ目ーーそれが条件ですか、僕はうなずく。「六時六十六分なんていったらもう実在しないものな」
「うん、だから急ごう? さいしょから終電を狙うなんてバカみたいだし」
 そうして彼女はいつも口もとを噛みしめるようにして笑うのだがそれはべつに交戦てきなフリではなくただ、矯正中の前歯を隠したくてそれが癖になっているだけなのかも知れなかった。もちろん実際のところは本人でなければ分からない。そしてあんがい当人にも不明だったりするんだよ。だから他人の癖を話題になんてしてはいけない。そうしたところからふ、と入り組んだ話に踏みこんでしまったりもするからだ。

 さて、しばしば誤解されがちなことだが口碑や口承文芸においては時としてそこでなにが起こったかよりもいかにしてそれが起こったのか、という謂れや縁起のほうが重要とされる。たとえば、次のようなある非常に有名な怪談がある。
 ある商人が暗い夜道にひどく泣いている娘が居るので心配して声をかけると果たしてその顔には目も鼻も口もない。驚いた商人が暗闇のなかを必死に駆けるとやがて灯のひかりが見えてくる、それは蕎麦屋の屋台であった。駆け込んだ商人が理性も切れぎれに今しがたあったことを語ると蕎麦屋は、へえそれはこんなのでしたか、とその卵のような顔をなぜる。灯りは消えてあたりが真っ暗になった。
 ひどく短いがたしかに怖いはなしだ。しかしなにが怖いのだろう。のっぺらぼうという怪異の存在だろうか。しかし言ってはなんだがのっぺらぼうは不気味ではあってもそこまで怖くはない。街中で目にしたら驚愕はするかもしれないがそれをスマホのカメラに撮って動画をSNSにアップできるくらいの余裕はありそうに思う。
 あるいは怖いのは暗闇なのだろうか。たしかに闇はこわい。想像力をかき立てる、しかしこの物語は短く、闇の奥にひそむ恐怖に思いを馳せるほどのいとまはない。
 ここからはすこし個人てきな見解になるが、たぶん怖いのはのっぺらぼうではない。自分いがいの人間がどこにも見あたらないという恐怖だ。そして暗闇のなかにようやく見いだした人間も灯火とともに掻き消えてしまうという二段ぞこの喪失で途絶するので、読者へすぐには日常に戻ってこられない余韻をのこす。それは細部の要素にではなく巨視的な構造に宿るものだ。
 ちなみに物語のタネを明かせばそれは貉ーームジナ、狸であるらしい。つまりこれ、最後にタヌキに化かされた人物の話なんだってさ。なんだかもう、がっかりだよなだって。そんな<まっ平な答えは必要ない>のだ。
前言てっかい、やっぱり謂わくや経緯なんてどうでもいい。まったく文句なくただしいと思われる説明であってもそれでモノゴト自体への興味を失わせる気配があるようなら、ぼくらにはそれを無視してほかを当たる自由があるわけで。


4:44
 そうして帰り道にぼくは
壊れた時計をにぎって


4:58
 結果としてぼくらは宇豆神社に着いて無事かえってくることができたわけだが。それについてとくに感想や後日談はなく。あとから先輩とのあいだでそれが話題にのぼることも無かった。なぜならぼくらは、学校で会っても挨拶をするていどでとくに世間ばなしを交わすこともない。もうずっと、そのような間がらではないのだ。
 なのにあのとき宇豆神社に行くことになった理由も、その発端の遣りとりも、それがどんな巡りあわせから始まったものかもはや判然としない。たしか帰り道の途中にこえをかけられたのだったか。でも、それまで登下校路で彼女のことを目にしたことなどあったっけ? そんなコト気にしたことも無いし思いだせない。しかしまあ、その話題がオカルトだったというのは納得で、もとよりぼくと彼女にはそれしか接点がないのだ。おなじ文人に所属していたという関係しか。
 そもそも、入学当初のぼくはレヴィ=ストロースやフレイザーにすこし興味があったのでその門戸を叩いたのだが、書棚に月刊ムーしか並んでいないのを見て文人というのがオカルト専門であることを悟る。それでちょっとしたら部室にいくこともなくなり、やがてじぶんがその部に所属していることすら忘れてもう帰宅部のつもりでいた。
 あの宇豆神社いらいまた先輩との接触は途絶え、このさき関わりあうことも無いのだろうなと、どこかそう思っていた。じじつ、そこから数ヶ月もの間なんの音さたもなかったのだ。
 しかし気の早い五月病のおりその先輩から唐突な連絡があり、それでまだじぶんが文人に属していること、文人が正式に同好会に降格されたこと、じぶんのほかの構成員がもはや当の先輩である部長をのぞいて居ないこと、予算編成の月末までに活動実績の成果物を提出をしなくてはならないことを告げられる。つまるところ彼女の出した素案からそれらしいレポートをまとめて欲しい、とのことらしく。
「そんなの自分でやったら良いじゃないですか」
「きみ、つめたいな。あたし小論は壊滅的なんだよ。向いてないの。じつのところ活動報告のレポートがもう二回も返戻をくらってしまっている。けっきょく、一年間なにもやってこなかったんじゃないかと疑われてさえいるわけ。このままじゃ予算がつかない。」
「べつにそれでぼくは困りませんが。同好会に所属するつもりもないし」
「つめたいな。じゃ予算がついたら功績におうじて部外者にも何割か横領させたげる」
 なるほど。そこでレポートの草案を見せてもらうと、
 一つ目。近隣の高校生が誰とも知れぬ子を身籠ったところカエルみたいのが産まれてしまったので膾切りにしてタルにつめて近くの公園に埋めた。そこに生える木の芽を毟ると指の爪さきほどの眼球が出てくるらしい。われわれは真相を突きとめるべく最寄りの公園へと飛んだ。
 二つ目。学校と駅のあいだにある阿魏藻川には往来のため大小の橋がかかっているが、じつは箇所によっては浅瀬の石を渡って向こう岸まで渡ることが可能らしい。ただしそのばあい『微妙にちがう向こう岸』へと着いてしまう。そちらでの風景は見た目こちらと変わらないが人間がひとりもいない。これについては検証不能。そもそもいったら帰ってこれないので。
 三つ目。阿魏藻川の橋のしたの河川敷に菓子を持っていく。かりんとうを置くと足のない犬が芋虫のようにやってくる。金平糖を植えると目の無いネコのあたまそっくりな蕾をした草が生えてくる。ざらめを撒くとそれを食べようとして頭の欠けた甲虫が腹を地面に擦りよせる。そのすべてを揃えたうえで包装を剥いた菓子パンを片手にしばらくまつと、やがて一人の人物が現れてその生い立ちを語り出す。どっとはらい。これは出来なくはないが過程が不気味だし結末が不穏なので実践していない。
 ーーじゃあ、実際に調査したのは一つ目だけってことですね。
「ああ。まあ」
「なるほど。」しかし学生が、わざわざタルなんてレアな容れ物をどこから手にいれたのだろうね。ネットで探せばふつうに買えそうだけど、受け取りも輸送もひどく目立ちそうだ。
「思っていたんだけど、文化人類学研究部の活動報告は都市伝説のレポートじゃなきゃあいけない、って法でもあるんですか」
「いやでもまあ、だいたい文人って、そういう感じのやつじゃない」
「たしかに、怪異とかを零落したかつての神とみなして失われた古い信仰について考察したりはする。でもオカルトそのものが目的なわけじゃあないだろう」
「じゃあ他になにがあるの?」
「土着の古い風習や民話についてのフィールドワークとか」
「昔から残っているものが何かあるかなんて、そんなん誰にきくのさ、どうせだれもなにも知らないし」
「たし、かに。」古くからもともとこの土地に住んでいた人はあまり多くない。
 なんでも過疎化の進んでいたこの田舎に二十年くらいまえ、山を切り拓いた大規模な工業区域が立ち上げられた。しかしうわさやモノの本などによればじっさいにはその過疎化は“進んでいた”どころのはなしではなく植民の計画のころには既にこの土地にはひとはほとんど住まっていなかったらしい。そこに誘致された企業の社員や募集された工員の子どもがぼくらであり、なのでそのほとんどが判に押したように駅まわりに散在する築二十年の集合住宅に暮らしている。かようにこの町の地層はあさく、歴史は断絶しており、掘り起こそうとスコップを差し入れてもすぐにコンクリートの地盤に突き当たってしまう。駅も大型商業施設もマンションも学校もぼくらが日常に見るもの触れるもののほとんどは数十年まえに計画されたものが計画どおりに機能をしているだけの代物なのだ。おそらくは、ぼくら自身についてすら。
 なるほどだからみんな、都市伝説みたいなあやしげな話が好きなのだな。先輩はともかくぼくだって決して嫌いなわけではない。
 人工てきにつくられた町には民話がない。そこでフォークロア無き人びとが集団で帰属すべき物語をオカルトてきな形式に求めるというのは聞いたことのある展開だ。
「そうか先輩はただしい。」ぼくはそう断言する。「この土地にはそもそも歴史なんてないんだ。じゃあ土着の文化とか、はじめから無いものをさがしたって意味がないか」
「やひどい。そんな根っこから部の存在意義を否定しなくたってっ」
「でもーー、そもそも文化人類学ってなんだと思いますか」
「神話とか伝承とか、そういった古くからのものを集めて記録したり比較したりだとか」
 はい。今はもうかつてどおりには存在しないモノがもともとどのようなモノであったかを調査するのも学問のしごとだ。でも過去を扱うのならそれは歴史学や考古学とどう違うのか。
「え、と、それはね。そうーー文献や遺跡や発掘品みたいにかたちがないものも調べるわけ。口伝のウワサみたいなものまで」
 そうです。もとから形がないものを復元しようという試みですからね。でもフィールドワークを資料に説を組み立てるというのは社会学とはどうちがうのか。
「知らねーよ」先輩がそう、いつかのように鼻白む。「思い出した、あなたこういうヤツだったな。とっとと考えていることをぜんぶ言うように」
「古さや口承を重視するのは、きっと手段にすぎない」
「手段?」
「たぶんその最終的な目的は、時代をこえて通底する人類の種としての普遍的な要素を解き明かすこと。ただぼくらはこの現実のコトはある程度知っているけれどそれ以外の時間と場所についてはよく知らないでしょう? するとこのまま人類について思索してもそれは『今ここ』から見える人のあり様の平均てき類推にしかならない。だから人類に関する知見の比重を均すため神話とか口承や風習など『見えづらいもの』にも重心をかけてバランスを取るわけで、これが哲学とのもっとも明瞭な境界ではないかと思うのです。」
「あーもう。もとの話題がなんだったのか分からなくなった」
「歴史も取材も手段に過ぎないってこと。なら同好会の活動としてはオカルトの調査で相応しいのかも知れない。ほらどうせ、歴史もないのに在るべき歴史を掘り下げようとすると良くあるように偽史を捏造する結果になりますし」
「はあ」
「そうだぼくらのレポートの序文にはこのような議論をいかにも先行研究のまとめっぽく載せることで中身が都市伝説の与太話に過ぎないという反論を封殺しましょう。」
「なるほど」なんとなく納得したように先輩はうなずくが、じつのところそれでは都市伝説にすらなりきらないな、ごく近年かた田舎に開闢されたばかりのこの住宅街では都市というにもおこがましい。そして歴史のない習俗などーーもしもそんなものがあったとしてだがーー文化人類学としてはまるで無用ということになる。人類史に接続しない知見だからだ。すると実のところ、そもそもの間違いはやはり、こんなところにこんな同好会が存在してしまったという事実のがわになるのだろう。それはほんらい人間の死体が積み重なってできた土壌のうえで人類についての思索をするものなのであって、国際宇宙ステーションに科学者ではなく文化人類学者を放りこむバカは居ない。もし居たら悪いのはそのバカのほうで、こうやって宇宙船に乗せられたライカ犬には一片の罪もないのだ。

 ともかく方針は定まった。翌日のぼくはノートパソコンをかばんに入れて持っていくことにする。それで、スマホを買い与えられていらいは持ちはこぶということがなかったそれと学習机に敷かれたフィルムとのあいだに茶封筒が挟まっていたことにきづく。通学路のとちゅうになかを見てみると近所のショッピングモールに入っている時計屋の修理明細に領収書と預かり票だった。修理に出していたことすら忘れていたのだがなるほど。ぼくは自分がもう長いあいだ時計をしていないことに気づく。まあスマホがあれば要らないのだよな。でもすでに金は払っているようだし、催促の電話も記憶がないのでまだちゃんと保管されているのだろう。放ったらかしにしたてまえ少し気まずいが、さっさと取ってこよう。


5:00

「それで見つかったんですか? 眼球の埋まった不気味な木の芽とやらは。」レポートの序文を書き終えたぼくは仕事の本題にとりかかるべくそう訊ねる。すると
 ねえ本気。先輩は、まるで他人ごとのように冷めた目をしてそういった。もしそんなものが見つかっていたら、もっと大騒ぎになっていると思わない?
 かつて文人の部室であったその部屋の中央にはいまでも二掛ける二に長テーブルを並べた島があり、ぼくの使っている私用のそれのほかに二台のノートパソコンが墓標のように開けられることのない天板をさらしていた。もはや座るもののいないパイプ椅子がぐるりと取り囲んでいるのがいささか供儀や祭壇っぽい。
「わかりました。では、文人同好会がこの一年をとおして報告にあたいする活動をまるでしていない、というのはどうやら事実であるらしい。」でも事実などひつようないのだ。少なくともぼくがやるべき事にそれは含まなくていい。
 まあね。そうしてヒンジのバカになりかけたノートパソコンの一台を手術のようにうやうやしく開腹して先輩も、となりでぼくの書いた原稿をディスプレイに目でながす。
「じゃあ現実に起こった過去の出来事に関与したという風にしてしまいましょう。」
 そんなこと、できるの?
 まあまずはネタ探しです。ぼくはそう此処の地名で検索をかけてここ一年で話題にできそうなニュースを探す、と。
「あの部長。去年こんな事件あったこと、おぼえてますか?」そうスマホを差しだす。
「ええ、なになに」先輩はそれを覗きこんで、「ハブってこんな関東にいるものでしたっけ?」と首をかしげる。
 それは通勤路でハブに噛まれた人物が血清の投与で一命を取り留めた、という記事だった。まさか、な。自分で調べておいてぼく自身それをすこし疑ってしまう、虚構新聞かな。でもURLを確認してみてもちゃんと大手のニュースサイトのそれで、ーータイムスタンプが正しければ数ヶ月前にアップされたものだ、しかしまるで記憶にないぞ。ぼくはともかくこういうヘンなウワサの蒐集に余念のないはずの先輩がこれに気づかなかったなんてな。
「まあニュースサイト巡回が趣味の先輩ですら記憶にないほどなんだから、この事件をもう一回まとめ直せばなんとなくぼくらが調査とか活動とかしている体になるでしょう」
 そう言ってぼくは『阿魏藻川流域にハブ出現!? 温暖化熱帯化から本邦を護るには』という適当な、かつそもそも存在しないルポの再録と検証というていで報告を書いてみた。
 当局保健所にてハブの血清投与を行ったのか事実確認をする予定でありましたが、これは取材拒否されてしまいました。というオチで。
「いやくだんな過ぎるだろ。」仕事を丸投げしたくせにそう部長がダメだしをしてくるので、じゃあ、
 拒否されてしまいましたので、独自の取材による結果を報告させていただきます。
 と訂正書き添えする。と、
「いやそもそも保健所に取材とかしていないし、拒否されるいぜんにっ」そうやたらに真っ当なことを言うので、
「ジャーナリズムって結局はそういうものでしょう。部長よくよく考えてくださいね。これは同好会の来期の予算取りをするための資料であってそれ以上でも以下でもないんだ。沖縄にしか居ないはずのハブが人を噛んだと言う周知のしかし皆が忘れかけている事実をまとめ直してそれに少しだけプラスアルファすれば良いだけで。」
「うん、まあ、そうか」
「部長、もしかして本気だったんですか。」
「まあさ」
「カエルの赤子とか足のない犬とかも、もしかしてあれで本気だったんですか。」とぼくは繰り返して取りあえず先輩のくちを尖らせておく。そうやってその反論を封じたうえで『文人同好会としてはいずれこの被害者と接触することでさらに詳細な続報を出すことのできるよう働きかけている次第である。』とタマムシ色の展望で適当に閉じた活動レポートをさっさと学校に提出してしまう。それはさっそく翌月の学内誌の部活案内欄に掲載されるが文責はもちろんぼくではなく部長である。あんな頭お花畑な文章を実名でさらせるほどツラの皮が分厚くないのだ。なのでその唐突な来訪者はもちろん、ぼくではなく部長を訪ねてきたのだが、
「あれはあの人が書いたものです」と主筆の指さきひとつで売り払われてしまうのがわびしい。
 放課後に、せしめた部費で購入した書籍を部室で読み過ごしていたため、逃げようもなくそこに居合わせてしまった。
 あまり理解されないだろうが、目当ての本が数万円であったときそれを読むための手段は学生にとってそう多くないのだ。
 そんなものは図書館にリクエストすればいいと、ちゃんと最低限の暮らしをするためのインフラのある地域に住んでいる人間ならそう言うのかもしれない。たしかに仮にぼくが都心部に住んでさえいれば正解なのだが、文化的な僻地ではいささか事情がことなるのだといくら言ったところで理解はされまい。そうして叶え得ないすべての欲望はやはり大人になるまで待つべきなのだろうか。しかしそのときまでにぼくはいまのこの興味をうしなっているに違いないと確信があった。するとぼくにはじぶんでいま自身の望みを叶えるか、いつかの未来に先送りしてわすれてしまうしか手段が無いのだ。読書を邪魔されたぼくが「迷惑な」という目線をあなたに向けてしまったのも無理のないことと理解してもらえるだろうか。まあしてもらうほか、ないのだけど。
 その灰のパンツスーツの女は間違いなく生徒ではない、教師かPTAか、ともあれまず間違いなく要件はクレームだろう。ぼくがそう身構えていると。
「ハブに噛まれたものですが。記事で私に会いたいと書いてあったので、こうしてやって来ました」
 いや、たしかにそう書きはしましたが学内紙だし、ご当人がそれを読むなんて思ってなかったんです。ぼくはそう正直に告げた。まさかじぶんの学校の関係者に当該の人物がいるとは思いもしなかった。そもそも学内紙なんて当の生徒であるぼくですらまともに目をとおしたことが無いのに。
「なんだ。じゃ、取材はべつにいいの?」
「いやせっかくなので聞かせてもらえませんか」先輩の目がらんらんとする。そして「本州でハブが居るだなんてそれだけでけっこうなニュースじゃないですかあ? ちなみにハブってどんなでしたか」そう新興の食べ物の感想をねだるみたくしてきゃいきゃいするのだが、
 たしかに、すこし気になる。調べたところハブはあまりに危険な毒ヘビなので駆除対象であり、動物園などでみることもできない。かたやハブ酒やその皮による工芸品の原材料ともされており、現地ではそれを獲ることを生業とするものもいるらしいのだ。すると、それはきっと忌み嫌われると同時にアニミズムてきな畏怖の念をも呼び起こさせる存在であるはずである。
「あれは蛇には見えなかったよ。」彼女はいった。「ただ、なにかに噛まれたと思ったら足くびに二つ穴があいていた。出血がひどいので病院にいって。それでマムシ血清を射っても腫れが引かなかったのでハブ血清を射たれたらしい。そのあたりからもう記憶がない。生死のさかいを数日さまよったらしい。じゃあマムシでそこまで酷いことになることはまずないし、ハブだろうって。」
 それでハブなんているはずないのに、って大騒ぎになったんですね。先輩がいった。
「大騒ぎっていうか、あぜんというか、そんな感じだったね。ほら私もその『ヘビみたいの』は見ていないから」言って女性は立ちあがると窓をみて、見覚えのあるものを記憶とくらべるように校庭を見渡した。やはりここの既卒者なのか。
 先輩、もう止めましょう。そう耳打ちした。
 なんで。
 女性が少し右足を引き摺っていることに気づいたのだ。たしかハブや海蛇の毒は場合によっては後遺症を残すと聞いたことがある。でもそんなことまで視線でアイコンタクトできるほどぼくは先輩と通じていないので、
「止めときましょう」とそうはっきり口にすることしかできなかった。これはきちんとした倫理規範のもとにあるジャーナリズムや研究者が取りくむべきもので、ぼくらのような紛い物が手を出すべきじゃあない。
「わかった」と、先輩はそうこちらを後ろに流し見るがもちろん全然わかっておらず「じゃあ教えてください、どこで噛まれたんですか。あと蛇には見えなかった、とのことでしたが、じゃあいったいなにに見えたんですか」そう立て続け女に問う、と
「そうか、ありがとうーー」そこでなにかに気づいたかのように彼女がいった。
 はあ、と先輩がはかりかねたのかなま返事する。すると
「だからわざわざ、私のことを心配してくれてありがとう」とあらためてそうぼくに向かい、被害者の女はそういったのだ。


5:11 
 ねえやめときましょう。ツチノコじゃあるまいしハブを探しにいくなんてもう文人どころかオカルトですらない。それにだいいちーー
「だいいち?」
 本州でハブなんかに噛まれたくない。
「大丈夫だいじょうぶ去年の騒ぎのせいでこの辺りの保健所や公立の病院に血清が配備されているらしいし。」めずらしく先輩がそうあいその良い笑がおをするのだが僕はまるで安心できない。注意をすれば防げる危険を蛮勇で踏み抜いて医療機関に迷惑をかけるのもいかがなものか。
「だいたいさ、ほんとうに宇豆神社がヘビで危険なんだったらとっくに立ち入り禁止にでもなってるって。」
 じゃあいったい、ぼくらはなにを探しにいくっていうんだろう?
「さあいったい、なんだろうね、」先輩はくびをかしげる。
 ああ『ヘビには見えなかったもの』ーーか。どうせ見つかりませんよ。前回だってなにもなかったじゃないか。
「ええたしかにね、『なにもなかった』」先輩はそうぼくをじ、と見て「でも今回はちがうかもでしょ?」





3:34
 つまりものごとに例外を期待することがたいていの間違いのはじまりになるのだろう。「この人はじぶんの事が好きなのではないか」とかろくに話したこともない相手に期待をしたり、ごく少数しかしらない真実をじぶんは知ってしまった、と思いこんだりすることなどが。そして彼女はいつだってそんなのを探している。だから西に現実に起こりえないようなことをうわさに聴けば熱心に尋ねてまわり、それを世迷いごとと否定するひとが居れば東に出向いて即座に反論抗戦をする。まさに先輩は非日常の守護聖人だった。ふつう現実に起こり得なさそうなことで在りさえすれば何であっても常にこれを肯定し、それを否定する現実すべてを陰謀として糾弾するのだから、まず有り体に言って異常者だ。
 おおくの人はそうした迷妄が無知から生ずるとでも考えている。しかし彼女が常識に従わないのはなにも常識を知らないからではなく、陰謀論者にとって常識人など公知のウソに騙されている可哀想な人間に過ぎないのだ。つまりぼくらは彼女に舐められている。まあこっちの言うことなど聞いてくれるはずがないね。思うのだけど、対話でたがいの理解が深まるというのならその相手とはもともと言葉が通じあっていたんじゃないかな。
 というわけで先輩はけっして取っつき難いわけではないが付き合いの持続しずらい人物で、その社交性のなさにはパッと見では視認できず関係の破綻をもって漸くあきらかになるというタチのわるさがあるため、これを一度でも味わった人間からはとことん嫌われる。まだ面識のないうちからそうした評判については聞き及んでおり、ときおり当人が自嘲するようにけっきょく彼女はただの馬鹿なのではないかと、ぼくもさいしょはそう疑った。しかし少なくとも学校の成績はわるくはないらしい。するとあるいは家庭環境がもたらした歪みか。お前を愛していると語りながら暴力を振るう親でもいるのだろうか。しかし文化祭に見学に来られていたその一家は風貌も雰囲気もまったく、ふつう平凡なものであった。そしてようやく、どうやらじたいは想定の逆であるらしいと当たりが付きはじめる。つまり彼女は心身の全うすぎるため、不安や不穏の感覚が不確かなために、非日常との遭遇を試金石として望んでいるということだ。意味がわからないか? 安心してくれ、ぼくだってそうだった。それでも少しずつでいいから理解して許容しようか、信じられないような出来ごとがじっさいの事実としてあることを。
 このせかいは、驚きに満ちている。センス・オブ・ワンダー。
 さて昔むかしあるところにサナトリウム文学というものがあったらしい。サナトリウムとは当時特効薬のなかった結核の治療院であり、死ととなり合わせに生きる若者の恋愛もようや死と離別などのテーマがその文学性なるものの骨子であるとされた。しかし本当のところ、読者はその病人のはかなさをこそ愛好していた。結核は肺病なので、見た目は衰えないまま若くして夭折するというあたりがその嗜好のポイントなのだ。つまり、健康な人間が病の描写から現実に足りない成分を補完する、そうして想像上の死と縁遠い人間がフィクションの死に耽溺するのだから欲望と行為のあいだに歪みというものがまるでない。ほんとうに健全であるというのはきっとそういうことなんだ。

 かくしてこの世の中には頭痛や胃痛の経験すらない造り物のように頑丈な人間が実在する。先輩のことだ。あれは一年の春さき、まだ部活にかおを出していたころ。その日はなんだか落ちつきのない天気で昼まえに降った雨が出し抜けに晴れて、かわいた景色が夕方ごろにまた翳りはじめた。夕暮れを差し置いておとずれた夜のはしりみたいに重たい雲が地平向こうからそら一面を覆っていく。それできゅうに頭痛の兆候の出てきたぼくはロキソプロフェンをシートから剥きながら部室の窓をながめていた。するとそれをラムネ菓子かなにかと勘違いしたのか彼女がそれをねだってきたので、ああ先輩も痛みますか。ぼくがそう訊ねると、
 え、え? キミどっか怪我しているの? とパイプ椅子に座ったぼくのまわりをぐるり一周し、どうしたケガなんてしていないじゃないか、とそう口さきをとがらせる。揶揄われているのかと思っていたらどうやら本気らしく、
「よく見るとたしかに顔いろが良くない、寝不足?」そう覗きこんでくるさかしまな視線から目をそらして俯くと文字どおりに頭が痛くなり、まあそんなとこです、となま返事して会話を切り上げようとするが、もちろん逃してはくれない。
「不眠に頭痛、か。で、心当たりは?」そうまじまじと真剣なまなざしをするので、
「心当たりってーー」
「だって定番でしょそれ、霊障とか祟りでおなじみの、原因によって対処がちがうヤツーー」
「いえ、クスリ飲んでおけばだいじょうぶですので」
「え、そんなんつまんないコトやめなよ。ねえわたし、まだ頭痛ってなったことないんだ。いったいどんなかんじなの?」
 なるほどこれでは普通に複雑性のある人物と交友関係を築けなかったに違いないな。なにしろ『あたまが痛い』『胃がいたい』というのがただの慣用句てき表現でしかないと思っているのだから。その鈍感さと軽薄さで知らずまわりを虐げ、遠ざけてしまう。そうして当人は素知らぬかおをするのでまともな感性の持ち主はやがてそれを察してそ、と離れてゆく。
 ぼくだってそうしても良かったしそうすれば良かった。しかし物心憑いていらい瑣末な苦痛に慣れ親しんできたぼくにはその不公平がなんとなく許しがたかったのだ。それでつい、
「うるさい」と言ってしまう。
 いえ今のはですね。オマエ黙れとかそういう意味ではなくて本当に純粋にあたまが痛いんですよね。先輩、こえがおおきいから。いそいでそう言い訳をしたのだが、彼女はぼくの言葉を気にしたようすもなくスマホをたぐり、やがてその画面をこちらに差し出してくる。そして「どう、どう?」とこちらの反応をうかがってくるのだがいったいなにを期待されているのかさっぱりだ。とりあえず眼前にかざされた画面に紫の花の写真がうつされていたので、綺麗ですね花好きなんですか、とてきとうに水をむけるが「いやべつに」とにべもなく。ぼくのかおを見て、それよりあたまの調子はどう、とたぶんに誤解を招きそうな質問をするので。ーーああ、頭痛のはなしね。しょうじきもう気がまぎれて忘れかけていたが、「だからまあ痛いは痛いですよ」と応えると、
「そっかやはり写真じゃだめかあ」彼女がうなずく。どうにも、会話が噛みあわない。
「むかしから頭痛にはショウブが効くらしいんだよ。原理はナゾだけど。学校のどこかに生えてなかったっけね」
「そんなのがどうやったら頭痛に効くんですか」
「そりゃあ、さ。まあ薮にはいったりとか頭に巻いたりだとか」
「なるほど」そんなして泥まみれになるくらいなら痛みをがまんしたほうがマシだ。しかし怖いことに先輩は飽くまで楽しそうに真剣な眼差しており。どうやら、彼女に特別に与えられているものはなにも健全な身体だけではないのだとぼくは知る。
 ぼくがその実在をうたがわしく疑念するいくつかの思想にその頭脳はどっぷり侵されていた。都市伝承や陰謀論をはじめとしたありとあらゆるスピリチュアリズムに。瑞々しい精神にかぶさり満ち々ちた迷妄がほがらかにわらうさまを見てぼくは。なるほど頭痛も胃痛も知らないわけだ、と得心する。

 頭上には決壊しそうな曇りぞら、いまや前景の家屋もとおい山の稜線も灰にけぶって風景の輪郭があいまいだ。ありありとした驟雨の気配にグラウンドにいた運動部もみな体育館まわりの軒下や渡り廊下の屋根のしたに引き上げてしまったようで、校庭はしんと静まっていた。
 ありがたいことに校内のどこにも菖蒲なんて生えておらずぼくは先輩と校庭から校舎のうらの通路まで学校をぐるりと一周して部室棟にもどってくるとちゅうだった。
「じゃ、もういいですかね。クスリ飲んでも」
「え?」
 だって、飲んだらほんとうに菖蒲が頭痛に効いたかどうか分からなくなるじゃないか。
「ああそうだったね」ショウブが見つからなかったことですでに興味がうせたのか先輩がそう気のない返事をするので、ポケットのなか剥いたまま飲みそびれていたタブレットを指につまむと、
「ねえそれ、やっぱりわたしにも一粒ちょうだい。いままでに飲んだコトないんだ」
 ーーでしょうね。ぼくはうなずいて少し思案をし、「こんな話を知っていますか」とつぎのような話をした。

 ある文化人類学者がフィールドワークに行った異国で、壮年の女性が手づから独自の製法で痛み止めの薬を作っているのを記録した。その数年後にまた同地に訪問の機会があったため他の薬の製法も見せてもらおうとしたのだがすでに土着の製薬の習俗は失われてしまっていてそれは叶わなかった。がっかりですね。だってそれはなぜかと言えば、彼が本国に引き揚げるときに持っていった医薬品を現地民に譲り渡していたからです。そっちの方が良く効くとわかった現地民は交易で類似の痛み止めを仕入れるようになった。それでやがて医療というもの自体が独自の医術から西洋医学にシフトしたんだ。だから土着の痛み止めはもう必要とされなくなって消えてしまった。
「なにが間違いだったと思いますか」ぼくは訊いた。
「学者が現地の文化に干渉して変化させてしまったこと?」
 どこまでが自然でどこからが文化なのか。その境目さえ分からないなかで人間が人間に会いにゆくのに、自前の文化をいっさい排除してそれを行うのは不可能だ。フィールドワークさきとの関係をとりなすために当地には珍しい贈りものをするというのは良くあることですよ。習慣や風俗というものは異人との交流のなかで不可避に移ろい変容していく。
「でも、学者が研究の対象をわざわざじぶんで壊しちゃってることにならない?」
 学問の役割は文化の保存ではなく記録分類です。むかしは万博で植民地の現地民に土着の文化を演じさせたりもしていたみたいですけどね。戦前のはなしです。文明化の度合いにかかわらず人間というものはかしこいですからね。外部のもので共同体に良いと思われるものは取り入れて代わりに不要なものは捨てられる。そのときなにが捨ててはならない文化としてのアイデンティティでなにがそうで無いかを決めるのは学者ではなくその文化を生きる当人たちだ。そもそも研究対象が動物や植物あいてならともかく、フィールドワークで人間と人間が交流するのに学者だけは不干渉にあいてを一方的に俯瞰できるというのはけっこうな思い上がりではないですか。
「あなた、けっこう良く喋るんだね」
「ともかく。」ぼくは言った。「彼らはより良く効く薬を手にして慣習にそれを根付かせることを選択したわけだ、それは彼らにとっても悪い変化ではない。じゃあ学者はなにが間違っていたのか」
「痛み止めいがいの薬のことも最初にしらべておかなかったこと?」
 興味深い事柄をそれが失われるまえに全て蒐集しようというのは実現不可能な理想論です。
「もういいから、さっさと答えをいいなさいな」
 きっと。間違いがあったとすれば、医薬品を置いていくというとくに本質的に意味のない思いつきの行為で未来のじぶんを後悔させたこと。もしその行いがなければ数年後に訪れた村で取材が空振りしても『そういうものか』『今回はそうか』で済むだけのはなしだった。ーーだからぼくは、できるだけ無意味なことをしないようにしています。
「それで」
「つまり、何も痛くもない人に痛み止めを上げるのはやめておきます」
「たぶんわたし話をちゃんと理解できていないだろうけど、あなたきっと意地悪な人間だな。」
 タブレットを口に含んだあたりでいよいよ、目には見えない飛沫のようなものがほおに冷んやりとし始める。そうして不思議なことに、雨の降りそうなときは頭が痛くなるのにいざそれが降り始めると決まって痛みは消えてしまうのだ。
「ーーねえやっぱり一粒くれない?」
「先輩には不要のものですよ。」
「でもきみがいつか、後悔するところが見たいから」
「え」
「ウソ。ただバリボリ音たてて食べるからさ。なんだか美味しそうだなあ、て」
「こうした方がはやく効く気がするんです、おまじないみたいなものです」
 そっか、おまじない。頭痛って、ちゃんとそうしてすがりたくなるくらい痛いんだね。先輩はすこしほそめた眼差しでぼくのあたまの気持ち上方に不可視の痛みを見透かすようにする。うっすらひらいた口もとから矯正器の銀色のワイヤーがのぞく、内心を隠そうともせずに無防備に。そうやって他人の苦悩へ興味深げにあるいは、羨ましげに眺めいるさかしまな視線のうらがわで、自分に未知の感覚についていったいどのように想像しているのか。その空想のなかのぼくの痛みを空想してみる、それはきっとあたまに被さったクラゲみたいに知覚を半透明にして景色から現実感を脱色するのだろう。多くの人間はそんなノイズをあたまに抱えて生きているのだと彼女はそう信じているのだ。
 残念ながら現実にはそれはただ痛いだけで、クスリが効いてもうんざりとした気分まで消えるわけでもないのだが。知ればきっと先輩はがっかりするだろうか。そんなしてすこし後ろめたくなるのもバカバカしい。どうして他人からのかってな期待にぼくが自分で失望しなければならないのか。

 ぼくは先輩とまともに向きあうことをやめた。
 それはつまり怪異だ異言だガイアの意思だの言われるたびにいちいち反論をして冷笑を浴びせるということだ。彼女がおもに論の足場を置くロアやニューエイジカルトに対してぼくが持ち出すのはピュタゴラス教団やオルフェウス教やグノーシスなど、まあ二千年くらいじだいは先行しているがどちらも空々しい虚構の体系であることに違いはない。古ければただしいという理屈もない。ただ彼女の言っていることを否定するためにぼく自身がかけらも信じていないことばの羅列の弾幕で応じることにした。
「もうさ、キミはいいや」いいかげん彼女がそっぽを向くまでぼくはずっとそれを繰り返した。「だってキミ、わたしと話しててもつまらなさそうだもの。」
「じゃあ先輩はなんですか、そんな出鱈目なはなしばっかりして楽しいんですか」
「楽しいかどうか、か。そんなの、考えたコトもなかった」そうやってわらうので、
「馬鹿にしないでください」と咎めると、
「そっかあたしが笑うと、きみにはバカにしているみたいに見えるんだね」
 ちがう。ぼくは応えるのだが、否定できない。何故だろう、同年代の他人がじぶんよりも正しく思えるときにぼくは言葉が出づらくなる。

 あんな風にしたら先輩がかわいそうだ、だれかが言いはじめた、
 あれであのひとはかわいそうな人なんだよ、と。
 ぼくは部室に行くのをやめた。




5:20
 蛇をさがしに学校を出たのはすでに夕刻で、河川敷へとつづく公園のわきには草木の芽吹くあまくて辛いにおいがただよっていた。
 そうしてぼくと彼女はあの宇豆神社へ向けて河の堤防のうえの道路をあるいてゆく、そらは茜さしこちらを顧みる彼女のかおは逆光で翳っている。初春のことで宵はまだはやく、三年生はもう部活どころか学校にも来ることはない、そんな三月のはざまの薄暮だった。木立と灌木で切り絵のような真っ黒なかげが足もとの地面をまだらに染めており、そらを揺らすかぜはまだ肌寒くぼくらはコートに首もとをすくめた。
「ねえ文人に戻ってくる気はないの?」
 ない。  
「まあキミの言っていたとおりわたしはきっと、可哀想な人間のままなんだけどさ。」
 あのそれを言ったのはぼくでは無いです。ちなみにぼくは一度たりとも先輩のことを可哀想だなんて思ったことはない。ていうかむしろ今でもまだ怒っています。
 ひいい、と先輩はかおをしかめる。「キミみたいに無表情な人間がきゅうに怒るといろんな意味でかなりコワい、って憶えておいてな。」
 おぼえました。(ぼくって、無表情な人間だったんだ)
「で、なにを?」
 なにって
「キミはいったいまだ何に怒っているの?」
 忘れました。
「ふうん。」
 なんですか。
「ひとってそんなふうにして、器用に怒りつづけられるものなんだね。」
 知りませんでしたか?
 そううつむいて河川敷のむこうに煌めくみな面を見おろした。宇豆神社はそれを跨いだ向こうにある。堤防のしたの川べりにある石碑にも、コンビニのとなりにあるお堂にも、それら古くからある存在にはすべて縁起や謂れがあったはずなのだろうが、そのほとんどはふるくからの風景や住人とともに年月により一掃されていた。宇豆神社にしろ廃仏毀釈のまえまでは寺として仏を奉じていたらしいがその宗派や本尊すらもはやはっきりしない。
 この薄っぺらな現実を剥いたむこうにかつてなにがあったのか、もうだれもそれを知らない。でもそれではなんだか不穏なので上から既製品のクギで固定するように、あたらしい伝承で日常の足場を固めてしまう。たとえば逆立ちをするウサギだとか、本州にでるハズのない蛇だとか。そこに何があるのか何があったのか不明な土壌よりも怪異まみれでもいいから自分たちとじかに関係する縁のある土地のほうがまだ住むには適しているのだ。ただしそれは飽くまで急ごしらえの景色のため、こうして夕暮れどきになるとそうした構造の輪郭のフチから黒ぐろとした内実が染み出してくる。
 とたんぼくは自分がなにか忘れものをしてしまっているような気がしてきゅうに不安になったが、いったいそれがなんであるのかを思いだせない。ーーそういえば、時計はちゃんと持ってきているだろうか。そう西陽に左てをかざすのだが回転する日時計のように、文字盤のうえに物理の針とその影が十重二十重にてらうように見えて、おもわず外したそれを掌に見つめおろす。揺らして転がすと指の暗がりにちろちろと、裏蓋がまばたきのように反射した。
「どうしたの」そう、足をとめたぼくに振り返る先輩。
「いま、時計が妙なかんじに見えた気がして」
「ならそんなのもう、しまっとけば」
「でも時計がひつようだって言ってませんでしたっけ」
「どうして、なんのために?」なんだっけ? それはたしか
「だって。スマホだと秒針がないから」ぼくが言うと彼女がわらう
「意味がわからない」ぼくだってそうだよ、でも
「でもあなたがそういったんだ」
「そうなんだ」影に沈んだ口もとで他人ごとのように彼女はいった。
「物覚えがいいんだね。でも狂った時計なんて、そんなものならない方がマシだと思わない?」
 たし、かに。そんなものは害悪でしかないのか。ぼくは外した時計をコートのポケットにしまう。しかしおかしいな、時計屋に出したばかりなのに。保証書はどこに仕舞ったろう。そんなことを思案しながら目をあげるとさきをゆく先輩が、
「時計なんてもう大丈夫だって、だってはぐれなければ」と後ろむきの背中をくつくつと揺らす。「はぐれなければもう待ち合わせのひつようもないでしょう?」
 あれこれ、いったいなんのはなしだっけ?
「あの先輩これ、ぼくらいま何しに来ているんでしたっけ」え、とたしか。ハブをさがしに?
「困るねワトソンくん、いまさら惚けてもらっては」そう肩ごしにオレンジのそらへちらりとワイヤーをみせてすぐに噤む「答えあわせには気がはやい。まだなんにも始まってなんかないんだからさ」
 ああ、きっとあの日とおなじなんだ。先輩とぼくは神社へ向かっておりもう時計は壊れている。ぼくはなんだかふわふわと、自分のことを上空から見おろしているような気分になってきた。


5.46
 しかしあの女の人、宇豆神社の境内だなんて、どうしてそんなとこに行ったんだろう。くだんの社の石段のふもとで先輩がそう足をとめる。
「お賽銭でも投げたい気分だったんじゃないですか?」
 だいたい、じぶんがなにに噛まれたかも憶えていないだなんて。
「大きな事故やケガをするとそれ以前の記憶が数時間や一日ていど飛ぶことは珍しくないですよ。あたまのレコーダーが止まってしまうわけですね。」
 だけどさウズガミさまって、安産祈願の神さまだよーー
 先輩。とぼくは口をはさむ。そうした下世話は自分の品位を貶めるよ。
 ごめんなさい。
「いいんですこっちこそ」いけない、身近なたにんに高潔であって欲しいだなんてただぼくの願望の押し付けでしかない。知っている。ぼくらのあたまのなかが恋愛や性のゴシップではち切れそうなのをぼくも、ぼく以外のだれもが知っているのだ。外面だけ取りすましてみたところで滑稽だ。ぼくはそのことを意識するたびにいつもほおが熱くなる。なのでさきほどに先輩をいさめたのはぼくではない。あれはぼくによって理想化されたぼくの演技だ。しかし演じ続ければいつの日か、そちらのがわがするりと本質にすり替わるのではないかという期待をまだ捨てきれない。もちろん誰にも打ち明けたことはないが、たぶんありふれた願望だろう。だって一歳年上のこの女にくらべたら捩れがなさすぎて、きっと挫折や幸せなど何かささいな契機でぼくはぼくであることに苦しんでいたという事実をすっかり忘れてしまうにちがいない。えてして大人というのはそうした抜け殻だ。そしてなぜか、先輩がそうなるところが想像できない。するとつまりこの人は、まだ子どものうちに消えるか死ぬかするのだろう。想像を繰り返すうちそのビジョンにはただ予測や予感と訳すにはあまりにも確信めいた生々しさが宿り、ぼくにとって彼女はどんどん気の置けないあいてとなっていく。だってどうせ直ぐ死ぬんだもの。いずれ理想を忘れてしまったぼくの形骸が大人になったそいつと馴れ合うみらいを想像しなくて済むので気が楽なのだ。
 いちいち考えてみることも無かったのだが当時のぼくは何故か、じぶんの事を死なない存在と考えていた。周りの人間も家族も含めていずれ死ぬものと頭ではもちろん解っていたのに、具体的な死のイメージを投影することの出来る現実の存在が彼女だけだったのだ。そんな、生と死のあいまいな狭間のあわいにあの魔女はずっと巣食っていた。

「あ、わかった」めずらしく俯きかげんに黙りこくっていた先輩が石段を登って鳥居のまえでそうかおを上げる。
「なんですか、やぶから棒に」
「あの女、わたしの事がきらいなんだ。だから自然こっちもそーいう風に意識をしてしまうわけ」
 気のせいじゃないですか。だって、さっきすこし話をしただけなわけで。
「いや、こういう感覚はけっこう当たるよ。しかし、嫌いならきらいでもっと分かりやすく嫌ってくれればいいのにね。もっとあからさまに無視したり、引っ掻いたりとか」
 先輩じゃあるまいし、やらないでしょ。あーいうおとなの人が。
「言っとくがわたしだってやらないよ、やれない。まあだからやっかいなんだけどーー」
「それより時間はだいじょうぶですか?」ぼくはそう時計をしめす。「もうあと数分しかありませんが」じじつ、杜のふもとに着いたころに春のそらはもううっすらと暮れかけていた。
「時間? って、なんの?」
 え、となんの。だったっけか? ーーそうだ。
 たしか、願いごとを叶えるためのおまじないでしたか。これも先輩が言ってたことだ。
「そーいう願掛けっぽいの、キミにしては珍しいよね。っていうか願いごととかちゃんとあるんだ」
「いや、いまはべつだん。ただね、いまは先輩の言ってたこともちょっとわかります」
「そう。でもやっぱりあたしは、なにも言っていないと思うけど」
 それでぼくは、先輩のかおにまじまじと見いるがたしかにふざけた様子はまるでないのだった。そこで、
「先輩は、ドッペルゲンガーについてどう考えますか」と訊いてみる
「え、ともう一人のじぶん。見るとしばらくして死んじゃうやつだっけ」
「当人の主観から見れば。でも他人から見たときのそれはどうだろう。きっとあいての記憶が連続しないような現象に見えるのではないかな、とか」
 興味ぶかいけど、いまはいいよ。彼女はそうしてそのまま、境内へつづく一つ目の鳥居を越えた。それで、
 やめときましょう。ぼくは言った。「もう帰りましょう」
「なんで、いまさら」
 前々から思っていたんですが先輩は文化人類学のコトをなんか誤解してませんか。確かにフィールドワークはだいじですが、それは自分で体験するためではない、まあ風土に身を浸したり儀式に参入することも大事かもしれないが基本は取材による資料の蒐集が骨子です。自身が語り部になるのではなくその聴き手として記録者になるから研究なんだ。
「でもたしか、有名な学者だって言ってたよ! そーいう民俗の語り手という存在は特定の個人や集団ではなくあくまで文化的な概念なのでもちろん学者である自分じしんにもそういう要素は含まれているんだって!」
 たしか、柳田か。しかし先輩がそうしたものを引き合いに出すなんてな。
「だいたい語り部とか聴き手とかいう話でいえば怪異とかのハナシの最大の伝導者って研究者そのひとじゃん! じゃあそこで自分なりの解釈を混じえながらそれを紹介することと自ら怪異に身を浸すことのちがいはどこ?」
「先輩はいつのまにか、なんのために生きているのかを言葉にできるんですね。」
「うらやましい?」
「しょうじき。三日会わざれば、とは言いますが」
「なら半年も会わなかったあいてがすこしくらい変わっていても不思議はない。とはおもわない?」
「半年」まさかーー。でもあれ、この前に神社に来たきからそんなに経つのか。見た目はそんなに変わったようすはないのに、それとも話すことはなくても学校で彼女のすがたは見ていたろうからその変化が連続性にならされて、知覚にはのぼらないのか。
「先輩」
「はい。」
「ぼくはあの頃からなにか変わりましたか」すると
「きゅうに気持ちわりぃこと言うなし」思いきりかおを取り崩して、もしかして髪でもきった? 似あう、似あう、とちゃかす。「ごめん本当ははよくわからないな。せかいはあのころから何か変わったのかな。何ヶ月もまえのコトなんてもう忘れちゃったかも。では、これからあたしがあなたのことを、あなたがここからのあたしのことを記録していくというていでどう?」
 なるほど先輩がぼくの佐々木喜善になってくれるのですか。でもならば、なおさらに、このさきを一緒にはいけませんね。
「なんで」
 ぼくは、あなたのワトソンであるつもりがもう無いから。
「まあ、よく分からないけど。わかったよ。ここまで付き合ってくれてありがとう」そうあたまを下げた彼女がくるりナップザックをひるがえし境内にむかい入ってゆくので、
 わかりましたよ。とその背中にむかって言った。「でも、もう来年受験なんだし小論文もすこし鍛えたほうがいいですよ。」
「わかっているけどさ。もうわかってしまっていることをダラダラ書くの嫌いなんだ、だって無駄でしょ」
 でもこの世のなかのほとんどの人は自分のなかに起こったこと分かったことをどうやって伝えるかに苦心しているんだ。
「わかっている」と部長はうなずいて、「まったくこんなの、つまんないよなー」とそう繰り返し、
 ねえなんでまた置いていかないの、と言った。「それがつぎの約束だから? ただ、それだけのコトで」
 約束? 「いったい、なんのはなしだ」だいいち、今ぼくを置いていこうとしたのはあなただろうに。
「だけどね助手は探偵との約束を守れないの。なぜだかわかる?」
 いったいそれは、どんな偏見だ。世の中の助手に失礼だろう、そもそも、ぼくは彼女のワトソンではないが。「対等じゃないから、ですか。」
 そう。だからワトソンはいろんな理屈で主人にうそを吐く。
「ワトソンは医者ですよ。」
 じゃあなおさらだ、医者は患者にうそを吐く。患者のために。
 なるほど。たしかに。「でもぼくはちがう」
 きみがわたしのワトソンでないのなら良い機会だからあたらしい約束をしよう。
 なにを。
「嘘をつかないこと。おたがいにたがいの助手でも主人でも医師でもないこと、あいてのためを思って優しくだましたりしないことを。」
 いいですが、嘘をつかないなんて約束に意味があるのかな。だってそれではいつまで経っても果たされることがない、いつか破るために存在しているようなものじゃあないか。
「そうだよ、だからほんとうに信用しあっているどうしでは約束なんて安易にできないわけ。『こんなのは、信頼のできないあいてとだからこそ意味がある。』」先輩はじぶんにも言い聞かせるように記憶を暗唱するような棒読みでそう言った。
 しかし証人もいない。
「そんなのがいたら秘密にならない。」
 ーーなるほど、秘密の約束なんですね。じゃあ証文でも書きますか。ぼくは、ごっこ遊びに付き合うようにそう合わせるのだけど。
「そうしたらそれはもう契約になる。いつか忘れたり故意にやぶったりする可能性までふくめての『約束』なんだよなあ。きみもしかして友だちが居ない子だったろ。」
 居ましたよ、友だちくらい。
「ほんとうに? もしかしてそれは友だちじゃなくて親友や幼なじみだったりしない?」
 親友だって友だちでしょう。
「ちがう。ほんとうの友だちというのは、半年後にはあと腐れなく他人になっているかもしれない関係のこと、なんとなく話すようになったけどずっとケンカするほどの仲でもなくて『じゃあね』『またこんど』っていつもどおりに約束して別れるけどあるとき二度とどちらからも連絡を取らなくなったりするの。理由もあったりなかったり。そうしてじょじょに他人になる。
 そうやって、先触れもなくできてから壊れるまでが関係なんだ、じっぱ一絡げの他人をたくさん消費することでみんなじょじょに子どもではなくなっていくわけ。」
 なるほど。とぼくは思い当たり、
 それでですかだから先輩はいっつも、ずっと連絡もなしにきゅうに声をかけてくるんですか。
 あはは、あれおどろくでしょ、居心地わるいでしょ。彼女はそうにんまり笑んで、
「で、いま友だち何人いるの?」
 え?
「定義はきみなりの、親友でも知りあいでもいいから何人いるの?」
 だいじょうぶ秘密にするよう。約束にちかってうそは吐かない。そう断言するのだが、
 でも破るんでしょう、とぼくは言って「たぶん三人です。これは嘘じゃありません」そう答えた。「あと、ぼくはそんなに幼くみえますか」
「じゃあ今までに破った約束を思い浮かべることができる?」 
「言いませんから」
「それはざんねん。でもちゃんと秘密は守るよ、約束だからね」
「提案があるんだけど」
「はい。」
「秘密や嘘という言葉についてはこの先もうできるだけ省略しようか」
 わかった。先輩はそううなずいて、くちびるで歯をかくして、わらう。「ちなみにわたしは数えきれないなー。まだいきている約束を思い浮かべるほうがむずかしい」そういって古式ゆかしくみぎ手の袖を差し伸べるのだが、
 なんだよこのままごと遊びみたいのは、証人どころか証文の取り交わしもない、ただ互いのあいだの口頭で誓い立てられただけのひみつには、それを反故にできる証言も法文もそんざいしない、ただ、そのあっとうてきな脆弱さへの疑念がゆえ当事者がそれを忘れることはないだろう。
 なにしろぼくが守らなければ消えてしまう、それを忘れるだけで消えてしまううえ、破ってもなんの罰則もないのだから。そうしてだれにも知られない約束はだれも知らないがゆえティッシュペーパーのこよりのように意図せずかんたんに千切れてしまうにちがいないが、いざというときにはどうしようもなく縛るのだろう。

 指というのはなんだか不思議な形をしているのだな、いつもじぶんで動かしたりつめを切るときにはそんなことつゆ程も意識しないのに、こうしていざ夕暮れに向かいあったあいてと鏡像のように重ねてみるとその奇妙なまでの精巧さに気づかされる、まるでいま折り畳みの切り絵がふいに開かれてその図像があきらかにされたかのような。それですこしだけ、ほんのすこしだけだけど、ぼくはこのせかいに感心してしまった。
 でもせつな、その影絵のように複雑な輪郭はばらばらになりまた指は指に先輩とぼくはお互いがお互いに戻る。そうして約束は交わされたはずなのに。せかいはまた元どおりだ。
 じゃあ試してみようね。彼女がいう、
 わたしはきみの友だちだろうか。
 わからない、どうなんですかね。応えると先輩は「しょうじきだねもうさ」そうわらって黙って先ほどに費い終えた小ゆびを宙空にぷらぷらと揺する「でも大丈夫あたしがきみにちゃんと約束をやぶらせてあげるよ」

 ねえところでハブはいいんですか。先輩にたずねる。ぼくたちはこんなことをするために此処にいるわけではないはずだった。
「うん。あたしさ、じつはヘビとかカエル嫌いなの。」
 なら、はなから探索なんてやめとけばいいのに。
「でも、きらいなものも少しずつ食べられるようになっていったり苦手な人間とも仲良くなれたりとか、じゃあそういったのが生きる意味なんじゃあないのか、とか」
 先輩はーー先輩にとって人生はそんなに苦しいんですね。嫌いな食べ物や人物と関わり合いにならなくても誰にも文句を言わせないために、ぼくらはこれから一人前の大人になるんですよ。
 なるほど、キミにはもうそんな未来がちゃんと描けているんだな、先輩はそういった。想像してみて欲しいんだ、想像だけでもしてみて欲しいだけど、あるとき小学校の敷地の河原でおおきなお腹をした蛇がいっぴき眠っていた。
 それであたしたちはさあ、これはお母さんなんだって可愛がった。おなかが苦しそうであんまり身動きできないわけね。身体をさわっても頭を撫でても、コンビニの十円カルパスを目のまえにホラホラしてもなっがい舌をチロチロするばかりでさあ。噛まないの。
 でも殺されてしまった。残虐な男子が大きな石を投げつけてお腹が裂けた、すると溶けかけのなにかが出てきた。
 それでちょうどそのころ、ウサギ小屋からウサギが一匹いなくなってたのね。
 正しさなんてどこにもなかったんだ。いやむしろ悪なんてどこにもなかったっていうか。ただただすごくショックだった。ちょうど生理がはじまったころでね。じぶんのお腹を割かれることでなにかが暴かれるイメージが。そうじぶんの下腹部に触れるのだが、
 先輩は背がたかく痩せており、ねこ背だ。なのでそのすがたはよけいに痛ましくみえた。
 わたしは、
 はい。
 キミや皆んながえらいな、って思う。だってそんなに未来のこと、想像できないから。
 まあ小論かけなきゃあ推薦は受かりませんからね。そういう対策はいまにしかできませんよ。
 うん間違いない、えらい。えらい。なのにどうしてだろうーーわたしは。
 先輩はそううつむいた鼻さきから垂らしたしずくを拭いもせず「死にたい」とくしゃくしゃの笑顔でそう言った。まるでそれがこの映画に相応しいラストシーンであるかのようにして。
 なんだあの作りもののような健全さはやはり全てウソだったのか。よかった、どうやら思いがけず彼女の死ぬところに立ち会うことができそうだ。
「先輩はもうじゅうぶんに生きましたね」うん。うん、と泣きじゃくる彼女のかたに手を置いてぼくは「じゃあもう良いんですね」とさいごの確認をする。
 うん、もう終わった。彼女は平静なこえでそう告げた。いつの間にかぼくらは社殿の軒下にいる。その声ねは落ちついた様子だったがおたがい建物のしたに翳っており表情の仔細はうかがえない。しかし一歩二歩とあゆみ切妻の屋根の下からでたその顔にすでに涙のあとはなかった。
 どうしたんですか。
 帰るの。用事が終わったから。

 まるで編集のミスや役者の降板などの苦しいつごうであるべきシーンが欠けて展開が二段三段すっ飛ばされてしまったシーンのようにちぐはぐで。でもこれは映画ではないんだ。ないはずなのに、なぜだかすべてが嘘くさい作りもののように。理由もなく切実だ。
 そして既視感。
 あの半年と一時間まえとおなじように陽が落ちかけた境内に瑞垣から滲み出す黒とそこから伸びるぼくらの影が見るみる間に溶けあい広がってゆく。天頂から、風景の消失点まで、まつ毛から、足のうらまで、いつかあったことが繰り返され、また始まりを告げるようなデジャヴが外界のすべてを上塗りしてゆく。
 これまでとうめい柔弱であたかも自由に動きまわれることが自明なように見せかけられていた時空間は冷えたアクリル樹脂のように硬く不変で、宇豆神社の境内もぼくらもその底たに設置された模型に過ぎない。ぼくはうえを見あげてこの作りものの景色の向こうになにがあるのかを知ろうとするがもちろんその衝動は実現されず、そしてつい先ほどにじぶんがそのような思いを抱いたことにさえ実感が薄れてゆく。
 凍結された時空に閉じこめられたぼくにオーバーラップしてそれを他人事のように俯瞰するもうひとつの視線が目をひらいた。するとせかいというのはこれまで起きたこととこれから起こる事象のすべてが時間軸へむかい水晶のように累積した四次元のオブジェであった。ぼくはそれを眺めおろしその構造に出口がないこと、外部のどこにもつながっていないことを他人ごとのように確認する。そう仔細に点検をし終えた視界が外がわへのまなざしを閉ざすとせかいの結晶のうち側に囚われたぼくがまた目を覚ます。
 銀行のロビーで大理石の外壁に封入されたアンモナイトがふと意識を取り戻したらこんな感覚だろう。柱壁のなかにいる頭足類はたぶん知る、さきほどまで自由に泳ぎまわっていたかのような覚えのすべては過去であり今のじぶんはその残滓のもように過ぎないのだと。
 知らなかった、気づかなかった、自由であるつもりでいた。今だって、こうしてとうめいな時の石柱に封入された情操のスライスが順序だって連続して敷き詰められているその様はまるで、ぼくの意思にもとづく所作にしか見えないのだ。
 そうして感覚が、記憶が、展望が。すべてがさし示す、過去からこのいまに至るまで、ぼくは自由であると、これがぼくの自由であると。それが、あたかも自由であるかのようにして。
「待ってください」
 どうしたの? 夕暮れにその、線画のように精妙な輪郭が問う。
『待ってくれ』どうやらぼくが彼女にそう言ったらしいな、だってほかには誰もいない。そして、
「どうやら今回のぼくらは終電を越えてしまいました。」ぼくの口がそう告げて、先輩のコートのベルトを指さきでつまむ。
 そして六時五十九分五十九秒から一秒後、ポケットの時計が震えてうなって部品を嚙みこんだような金属音がひびく。取り出してみると秒針が徐々に斜めにかしぎやがて文字盤に食い込んででしまう。そのまま下向きへと螺旋を降っているのだろうか。おもって裏を見つめるがそれはつるりとした金属板のままだ。眼前に垂らした文字盤をあらためて見直すと分針もすでに潜ってどこかに行ってしまった。
 なるほどスマホでは無理なワケだーー時計の針と文字盤のあいだのすき間を喰いつくすことができないもんな。カラカラの喉でぼくは言ったが先輩からの応答はない。驚きのあまりうまくこえが音になっていなかったのだろうか。いいかげん時計から目を離して向き直るとそこにはだれも居ない。ベージュの紐だけがぼくの手のさきから地面にぺたんと落ちている。まさかぼくの持ったままのベルトを気づかせないように抜くなんて。フーディーニかよ。
 瑞垣の角で視野に境内はひらけている。いったいどこにいった? ぼくは二度、三度とまばたきをしてみる。先輩が消えた。まるでまぶたのなかに封じられてしまったかのように。

 そうして六時五十九分五十九秒から七分七秒後、またドッペルゲンガー現象が起こる。つまりは1の足し算もしくは引き算というその作用がここに顕現する。





4:213
 放課後にあのハブに噛まれた女性がまた部室を訪れるのだが先輩はやはり彼女のことが気に入らない様子で複数のアカウントでSNSをザッピングするノートPCから目を上げることすらない。しかたなくお茶を淹れるため給湯室に向かおうとすると、
「ちょっと」と先輩がドアまでかけてきて、「知らないひとといきなり二人きりにするなよ」とイスに座る女の後ろすがたを親指でしめす。
 なるほど普段の態度がやたらでかいからこの人が友達のいないコミュ障であることを失念していた。
 ダメですよいくら嫌いな人だからって他人のフリをしては、来賓に失礼があっては内心に響きます。
「じゃあ、あたしがお茶淹れてくるから適当にやっといて」
「そうはいかないどうせ、あの校内誌についての話に決まっていますからね、ここは部長に対応してもらわなきゃあ。」いちおう主筆はぼくではなくこの人であるという建前は堅持しなければ。
「もう部長じゃない。会長だけどね。」
 大丈夫そっちの方が普通はよっぽどうえの役職ですから。まあ鷹揚に構えていつもどおりてきとうに応えておいてくださいな。そう背を向けようとしたところで、
「お構いなく」
 室内からそう声がかかる。向き直ると、女性は長机にお茶のペットボトル三本とお菓子の袋を乗せてニコニコしている。
「それで、どういう御用向きですか」あからさまにしぶしぶ、と言ったようすで先輩が女性の向かいに座る。
「だってあなたたち、何故かは知らないが私を噛んだハブを探してくれているんでしょう? OBとしては手みやげもって表敬訪問でもしたほうが良いかな、って」
「お気づかい申し訳ありません、あいにくウチの部室棟、水筒いがいの飲み物はポカリいがい禁止で、お菓子なんてもってのほか。そのうちコカ・コーラが独禁法で訴えてくれないかって期待してんですけど」
「え、そうなんですか?」ぼくがそう訊くと
「ええどうも、らしいですよ」先輩が、ハイライトのない目でそううなずく。そして
「ちょうどいい」と女性は満面のえがおを見せる。
「じゃあみんなでルールを破りましょう? 昔からゆめだったのねーー堂々と校則をやぶるのって。見つかったら全部、わたしの所為にしてもらったらいいから。」
「そーいうわけにも行きませんよもう大人のかたには分かんないでしょうがあたしたちの世間にも仁義っていうものがあるんで」
『仁義』学校に本当にそんなものがあるかどうかは知らないがそれは部の降格という憂き目にあったばかりの会長とかがまっさきに破りがちなヤツだよな、そう考えているうちにも「まあまあ」女性はそうポケットティッシュを何枚か重ねたテーブルのうえでお菓子の小袋を開けるのだけどそれはかりんとうと金平糖が分包されたアソートで、ぼくはその組み合わせになんだか、あたまの底がちりちりとした。

 これは。すごく良いお菓子だ、とぼくの舌でもそうわかった。砕けた砂糖のザラみがサクサクと淡白なかりんとうの食感と相まってまるで、あさい新雪を霜ばしらごと踏み砕くような少し背徳的な楽しみがある。数種ある金平糖のいろも目にあざやかだ。
「なんだこれ、すごいおいしい」と知らずこえを漏らすと女性は「よかった」と息を吐く。「君たちはけっこう、こうしたものの品質には敏感だからね。さあ食べて、食べて」
「あの、どうしてぼくらみたいな子供にかかずらうんですか?」もらった緑茶を飲んでぼくがそう訊くと
「自分より劣っていて楽だから。」
 え。
「ううん、ウソわすれて。」
 そう、ですか。ぼくはたぶん憮然としたかおで応える。
 そう、そこそこそーいうところ。私がバカにしたら、そうやってちゃんと怒ってくれるのな。
 大人どうしだとこうはいかない。え、まさか。って聞き違えをうたがってみたり、後のちがめんどうだから感情を飲みこんで聞こえないフリをしたり。そうしてみんな他人の失礼をやり過ごすことに慣れてしまっているから、『ごめん』って謝ることもできないんだ。そうぼくのほおに左の中ゆびで触れる。「ほんとう『バカにしててごめんね』」
「それ、謝るたいどじゃないよ。」先輩がお菓子に汚れた矯正ワイヤーもあらわに歯をむいて、
「子どもにちょっかい出すような大人って碌なもんじゃないだろうとは思っていたけど、こんなものですか。」
「ざんねん。言ったでしょ、大人は怒らない。それを面前で怒らせるにはまだちょっと工夫がたりないなー」
「わたしの親や教師はけっこう子どもに怒りますけど。」
「あー、あれは。ごっこ遊びみたいなものでね。怒っているんじゃなくて役目として叱っているのね。子どもならまだ心を殴ることによってそれを整形できる余地があるから。
 でもだから、大人どうしはもう喧嘩しない。
 お互いにもう躾たって遅い領域にあることが自明なので互いに互いをあきらめている。腹をたてるだけムダだって。で、私はあなたになんの期待も興味も持っていないからわざわざ怒るつもりもないわけ。」
「驚いた、子どもっぽい人」先輩がそう心底あきれたようにする。
「ふふ。大人だったらだれも彼も、ちゃんとあなたを子供あつかいして叱ってくれるとは思わないことだ。」女はそう先輩の目をいちべつして
「ああ思い出した。あなたみたいに不名誉にいちいち目くじら立てる子ってクラスに一人くらいいるよね。孤立したり人気者だったり様ざまだけど。感覚でいえば義務教育で八割がたふるい落とされて、残りの九割も社会の入り口でドロップアウトするわけ。」
「残りは?」
「残りのニパーセントは生きてるよ。
 この人こんなんでどうやってここまで生き延びてきたんだろう、って人、たまにいるんです。不器用で自意識だけがヒーローの鼻つまみもの。その本性を知れば知るほど周りの人はこれに関わらないように離れていくのだから、まあ、例えればエアポケットみたいなものかな。空はどこも一様に見えるけどじつは気圧の穴があって、そこに入ると飛行機がガクンと落ちちゃうわけ。」
「わけがわからない。」先輩が言う。しかしどうやら、そんな少女のつぶやきを意に介する人物ではない。
「そんな女はだいたい孤独を愛しているつもりでいる。もともとひとりが好きなんだって思うことでしか自分を肯定できないんだね。」
 だからこうして、子どもにかまってんですか。少女の固いこえが問うのだけど、ぼくはなんだか二人が蹇々囂々やっているのを聞きながらたいへんに申し訳ないのだが、ひどく眠たくてたまらない。ここで目を閉じてしまったら両者から非難の矢おもてに立たされるだろうことが分かってはいるのに、どうもあらがいがたい。




41:45
 うんうんそっかー、わすれちゃったかあ! そう直視できないほど平らかなえがおで先輩がいった。
 しかしそう落胆されてもな「必要な持ちものなんてなにか言われてたっけ?」
 阿魏藻川の河川敷の遊歩道に待ち合わせたぼくと先輩はこれからたしか宇豆神社に向かう予定だ。もうそれが、何のための何度めなのかも定かではないが。
 それで言われてみればたしかになにか忘れものをしている気もする、のだが、いかんせん蝉ががちゃがちゃとうるさいせいか気が散ってうまく思いだせない。だいたいなんでこんな夏のさかりの真っ昼間に野外で考えごとをしなくてはいけないんだ。ぼくは河川敷の歩道をはずれて斜面の木陰にからだを隠す。
「忘れものをしたらどうすんの?」
「取りにもどるかな。」
「まずはごめんなさい、でしょ」先輩がそう嘆息する。
「でも、どこに置いてきたのかわからないんだ。」
「それはもう、忘れものではなく落としものだよね。じゃあどうやって探す? だってもうわすれてしまったのに。」
 それはーー
 まずどこでそれを無くしてしまったのか。さいごにそれを見たのがどこだったか思い出してみる。思い出せたら実際にそこにいってそのときにじぶんがやったコトをもう一度、じっさいにやって辿ってみるかな。たいていはそれでマットレスの隙間とか机に伏せてあった本の下とかから出てくるもんだ。
 そう、それ。ごっこあそび。か。ぼくの口がなにかに導かれるようにそう口ずさむと、
「ごっこ遊び?」なるほど、先輩はうつむいて。「きっとそれが正解なんだろな。忘れたものをもういちど思いだすってのは。じゃ、しましょ。これからドッペルゲンガーごっこをやるの。」
 蝉の唱和がふいに途切れる、せつな、青々とした草木をどこか見えないところで食んでいる虫たちのジギジギとした咀嚼音が聞こえた。
「ねえヒマなのですか。せっかくサボっているのに」
「ヒマを持て余してこそのサボりでしょう。サボりというのは、用事があるからするものじゃあないよね。そーいう区別というものは、ちゃんと付けなきゃあな。」
 そう木陰かららんらんと川を見る。陽を浴びて流れるみなもには皺のはいったアルミホイルを敷きつめたように人工的なつめたい光が張り付いていた。「だって年がいもなくごっこ遊びだなんて、暇つぶしとしてはさいこうの部類でしょ!」
 目の前で受験生が塾にもいかず夏期講習をサボっている、それにつき合っているとたしかに、入道雲の沸き立つ青空にみょうな解放感を感じるな。
「いえね、ただごっこ遊びってさ」きのうは親族の基本構造という本の下巻を読んでいたのだ。こっそり持出規定のない文人の本棚から失敬したのにいまだに読みとおせていない。というのも晴れた夏休みの日に自室で読んでいるとこれがじつによく寝れるのだ、とくにそれがベッドの上でだと段落たんいで熟睡してしまう。まあ学問なんて向いていないのだな、とぼんやり思う。もう二年の夏だしぼくも進路を考えなくてはいけないのだが進路調査票をいまだに出しあぐねていた。
「先輩はどこに行くんですか」
 わからない。
「じゃあまさか、就職とか」
 だから、まだ来年のことだからね。まだそんなさきのことを考える資格がない。
「なんか、分かったように言うな。先輩は二年のとき調査票はどうしたの」
「たぶん断ったんじゃないか、去年のわたしが」
「どうやって。」
「え。そんな、むずかしい? 期限に出さないっていうだけのコトが」
「ぼくの先生は進路調査票の提出期限の書いてあるプリントに進路調査『表』って誤記しているのを指摘しても意図が理解できないバカですよ。記述式のアンケでどこにも表の要素なんてないのに。伝票と図表のくべつも付かないんだ」
「ちなみにわたしもバカなのでハナシのオチがよく分かりませんね。でもさよかったじゃない。子どものうちに世間のそーいうとこに気づけて義務教育ばんざいじゃんね!」そう一しきり勝手にふざけたあとにあのさ、と取りすました顔で向き直る。「試験ってのはそれに落ちたがわだけがそれを憶えているんだ。すんなり通りぬけたのはそれに気づきすらしない。」
「それは、怖いな。せめてそれはどんなものだったか試験範囲をリークしてよ」
「だから無理だよそれに受かるがわには意識すらできないうちに過ぎさってしまうんだもの」

 見上げれば慣用句てきに、そらの青さが目に染みる。積乱雲というものははたから見れば綺麗なもんだ、その直下ではいままさに、壊滅てきな豪雨が降っているのだろうが。
 さあヒマを持て余すのにも飽きてきた。行こう行こう。逆光の影の輪郭がそう、組んだ両手をそらに向け長身をこれ見よがしに背いのびする。
 でもきゅうにごっこ遊びってさ。それいったいどんなのです。
「だから、ごっこあそび。ドッペルゲンガーのまねをする。そしてそれがニセモノがいる本物なのか、ほかに本物がいるニセモノなのかをたがいに当てあうゲーム。」
 二人で、ですか?
 そうぞうしてみて?
 さてお前もいっしょに想像してみようか。二人で人狼ゲームにきょうじているやつらのすがたを。
 ろくでもないなーー盛り上がりそうな予想がまるでつかないんだけど、
「まあ、間違いないです。せいかい。だけどきみはまだ、ドッペルゲンガーのことを思いだせないわけで」
それくらい、知ってますよ。
 じぶんにそっくりな人物が現れてそれを見ると死んでしまうやつでしょう。
「ハイすごい、すごい。せいかい。」
 そうバカにしないでください一般常識のはんちゅうでしょう、だいいち、曲がりなりにもぼくは文人の部員だったーーですからね。
「じゃあいつ、それをなんで知ったのか。憶えている? どこで、どうして、それを知って、いまも知っているのか。というもう忘れてしまったさいしょのところを。」
 ――それは。
「なのでじゃあもう一度、知らないフリして出逢いなおすことからはじめてみましょう。『ごっこあそび』それをいつ知ったのか知らなかったときの記憶から順にたぐりよせるように。無くしたものを思いだすために、それをさいごに見たときのことを思いだすのとは逆むきにして。」『無くしものはなんですか』先輩が、そう作り物めいたセリフを吐いて立ち上がる。「さ、そろそろ行こうかね、」
 どこに?
「ウズガミさま」
 そうだ、だったな。また宇豆神社、か。
「それいがいに思いうかぶ場所があるなら言いなよ」
 でもたしかにあの神社いがいにこれから行くべき場所を想像することが出来ないのだった。


<ゲームルール>
 ドッペルゲンガーとはある人物に瓜二つの他人が目撃されるという現象を呼ぶ。
 ドッペルゲンガーのドッペルとは英語でダブル、つまりそれは、もともと一つであった人物が二つにわかれてしまう現象だ、なので二つに分かれたそれぞれを便宜てきにオリジナルとダブルもしくはドッペルと呼ぶことにする。ただしこれは飽くまで便宜てきなものだ、というのも一つのものが二つに分裂したときそのどちらが本物で偽物かという議論の立て方がすでに間違っているということもあり得るため。
 じじつ、今のところの知見ではオリジナルとダブルに本質的な差異は見当たらない。
 ドッペルゲンガー現象においてもっとも有名な要素はオリジナルが当人のドッペルに出逢うと死んでしまうというものだ。しかしオリジナルとドッペルがほんとうに可換であり区別不能であれば次のようなパターンを想起できる。


1+1−1=1
等価な分裂と置換パターン。ドッペルに遭遇したオリジナルが消えたあともドッペルが存続するのであれば、ドッペルゲンガー現象がおこったことに誰も気づかない可能性。


1+1−1−1=0
対生成対消滅パターン。ドッペルに遭遇したオリジナルが消えたあとにドッペルが消失するのであれば、これもまたドッペルゲンガー現象が起きたことじたいにだれも気づかない可能性。


1+1=2
ドッペルゲンガー現象における三つ目のパターン。オリジナルがダブルと遭遇しない、もしくは遭遇まえにさらに新たな分裂を生じる様な想定を加えた結果、一人の人物が二人に分裂するという状態が一時的ではなく永続するケース。しかしこの③には根本的な問題がある。繰り返しの過程で無限が生ずること。結果が1+1になり得るのならそのあらたな1から1→1+1が無限に連鎖する。その確率がいくら低かろうが無限は無限だ。無限のせかいに偶然や奇跡はない、それが起こり得るならば無限に生ずるか、けっして起こり得ないので無であるか、そのふた通りしかないのだ。1=2の確率がいくら低かろうが起こるいじょういつかは起こって長い年月のなかでそれが累積していく。
 その実例としてトリプルアルファ反応が挙げられる。何十年かまえまでなんでこの世の中に炭素や酸素がこんなに多く存在しているかが謎だった。というのもビッグバンによる核融合ではリチウムよりも重い元素は作られないはずだからだ。それが実現される可能性としては三つのヘリウム原子核の同時核融合を想定せざるを得ない。しかしこの仮説は当初なかなか受け入れられなかった。何故ならこのせかいには炭素や酸素がこんなにたくさんあるのにそれがこんなにも低い確率でしか作られないとは感覚的になかなか受け入れづらい。だけど現実にはいくら確率が低かろうがそれが起こり得るのならば、長いときのなかではそれこそ無数に起こるのだ。しかし、そんな考え方を受け入れられない人たちの気持ちもわかる。だって、同じかおが見渡すかぎりいっぱいってのは想像するだけで気持ちわるいよな




42:17
「しかし、こうやって歩くの、ひさしぶりだね。」遊歩道を歩きながら、先輩がいう。
 そうかな。とぼくが応える。
「やっぱそうかな、もしかしてこれって、これもいつものとおりなんだろうか?」そう手のひらをはじめてみる模様のように見つめおろす少女。「見分けがつかないや、経験が記憶に汚染されているのかな。」
 意味がわからない。ねえ熱でもあるなら病院にかかったほうが。
「じゃあこんどは、ちゃんといっしょに行ってくれる?」
 冗談ですよね。
 それはもちろんですよ、とまた、なにかをマネるかのようになぜか敬語で彼女はいった。そして「ねえときどき、ぜんぶ偽物だっておもうことはない。」
 なにが
 いまのあたしとかさ、きみも全部ニセモノじゃないかとか。
 ぼくにはこの今のことが本当に思えている。と彼女にそういった。
「そりゃたいていそう言うんさ、ニセモノはいつもじぶんのことをそうおもっているから。でもじっさいにはいくつもあるウソにすぎない。とか。ここらでも一度じっくり考えてみようぜー。」
 もしかしてそれはあのジンクスっていうか、おまじないの話ですか? ーーゾロ目のドッペルゲンガー。もう一人のじぶんが自分の代わりに願いごとを叶えてくれるーー
「なんだちゃんと覚えているじゃん、嘘つき。」
 ついさっき思いだしました。
「たいへんに都合がいいね。きみの記憶は。」そう木陰にすわって粗雑に足を組むのだが丈のながいスカートのプリーツが放射状に広がったその圏内にぼくの居場所はない。
 ええ、じぶんでもイヤになるけど。
「しかしまあそんなもんかも、いちど忘れたコトを思いだすっていうのは。みっともなくて思いだしたくない、っていうのがそのうちに本当に思いだせなくなる。」
 なんのことかは分かりませんがぼくのコトを叱りたいならちゃんとそのようにやってください。
 先輩は答えず、立ちあがり、河川敷の歩道のわきで足くびくらいあるシロツメクサの繁みをぐじぐじとする。「であの、願いごとをドッペルゲンガーが叶えてくれるってやつ。あれがどういう意味だかはわかった?」
 さあ都市伝説ですからねーーそういう落としどころが不明なあいまいさも不穏なみりょくの一つなんですよ。まあすきに楽しめばいいんだ。
 先輩は「うん」とうなずいてしかし、どこかふざけた様子もなく、「ちょっと考えていることがあるんだわ」
「じゃあ聞かせてよ」ぼくは口ではそう応えながら内心でおもう。お願いだロアにそんなにまともに取り組んだりしないでほしいねなんだか、対応に困るから。
「もしかしてそれは先輩じしんの話になりますか」念のため、そう予防線を張ると。
「まさか」と先輩が口もとをほころばせて少し歯をみせる。「そんな興ざめな話はなしだよ」
「それはよかったね」いくら子どもだって年齢がぼくらともなればよく、自分の体験談を『友達から聞いた話』としてあいまいな匿名性のなかにひっそり発露するわけだ。しかしそうしたじぶん語りをどこかで聞き齧ったロアに仮託するのだけはゆめゆめ止しておくことだ。
 なぜなら口承にせよネット上の都市伝説にしろその肝要は作者がふめいなことで、それが『作品』であることを忘れておけるのはそのおかげなんだ。だから起承転結がはっきりしなくても、辻褄が合わなくても、理由もなくどれだけ奇抜であってもロアならばいいのだし、趣味なんて悪ければ悪いほうがよりいい。だってそもそも、作者なんていないのだから。そしてその不在がためにハナシじたいの出自も不明瞭になる。登場人物の氏名が明かされることはまず無い、さらに時や場所の具体性を欠くのもふつうで、むしろ時や場所や人物においてその一つが自明なときにはほかの要素は不明でなければならないとする不確定性の制約のようなものさえあるかのようだ。ぼくらがそうした欠陥を愛すべき美点として許容できるのもひとえに作者がいないためである。もしそんな人物がいるのだとすれば『もうちょっと設定を練れなかったの?』と文句のひとつも挙げたくなるにちがいない。

「あの、もう一人の自分が願いごとを叶えてくれるってやつだけど。あたしあれには少し思うところがあるんだ」先輩が言うので
「まあ無理もないよな」ぼくもそう同意する。
「え」
「ぼくも正直そのあたりもう少しどうにかならなかったのか、とか。おもうよ。設定があいまいで受けてにゆだね過ぎじゃない」
「あたしに、言われてもなあ」
「ま、ですよね」これがロアの良いところで、その物語にはどこにも責任者がいないので全員が苦笑いとあきれ顔でそれをいなすことができる。しかしーー願いごとか。ぼくはその単語をくちに転がして、「それ、やはり先輩についてのはなしですよね。」
「だから、ちがうって」
「賭けてもいい先輩はいまからじぶんの話をしますよ。先輩の願いごとのことを」
「でも」
「でも?」
「そもそも、どうしてあたしたちは、自分のはなしをしてはいけないんだろう」
「こうして目で見て触れられる表がわの裏に語りえぬ本質など隠れてはいないからだ」
 そうなんだろうか。そう先輩がまとわりつく羽虫を払うとまくれたそでに日焼けあとが、それでぼくは今がもう夏であることを意識する。
 焼けましたね。
「きみだってさ。で冬になればすぐに戻るし、見た目なんてどんどん変化する。」
日焼け止めも塗っていないのでその境目は皮の剥けかけたまだらになっている。じぶんのうでを見ると、もちろんぼくもだった。それをみにくい、と見るむきも当然あるのだろう。よろしい、ぼくらがみにくいのは周知のじじつだ。
「変わらない本質なんて裏にもおもてにもないんです。でもことばなら言えないところにそれがあるようにも言えるでしょう。誤解させるでしょう。」
 ふいに足を止めた先輩の手の甲にうでがぶつかる。こんがり焼けたその表層のおくにはすこしだけ冷えた草木の静脈のようなものが脈打っていた。
「そういえば覚えてる? わたし言ったよね、きみのことを後悔させてやるって。」
 きゅうになんの話ですか?
「まあ、いいや。それよりきみウソをついたろ。『願いごとなんてない』なんてさ」
 ウソは吐かないと約束したでしょう?
「約束ってさ、守るためにあるんじゃあなくて破ったあいてに痛みを与えるためのおまじないなんだ。それを破ることに痛みを感じるうちはまだ生きている。そしてあの約束は生きているつまり、きみが憶えていようがいまいがお構いなしにそれは発動する」
 あんまり舐めるなよ。そうふい、と川に目を向けてそのとおい対岸か水面をみるようすなので、
 わかった、わかったちゃんとゲームに乗るよ、そう諦めてぼくは嘆息する。ちなみにそのごっこ遊びではぼくはオリジナルですかそれともダブルか、どっちの役をやったらいい。
 そこ、たったひと言でゲームを終わらせようとするな。ほんとうに無粋なやつだな、先輩がわらう。
 そして川に向いて階段状の護岸をそのまま降り川面にひざまで浸かった足取りでさらに向こう側へとわたってゆく。数歩めできゅうに深くなったのか一気に腰まで落ちて風をはらんだ傘のようにスカートが水面に広がった。しかしそれもさらにつづく二、三歩のうちにすっかり沈んでしまいあとにはなにも無くなった。
 そうして目の前でひとが消えた。なんの痕跡ものこさず悲鳴のひとつも上げないままに。河原に腰をおろししばらく待った。夏の午後に陽はさんさんと照らし絶え間なくセミの輪唱するなかで散歩人が犬を連れて通り過ぎていった、それでいいかげん暑さに我慢できなくなったので帰ることにした。汗がひどく靴下までずぶ濡れの様子だった。

 その晩どうしても寝付けずにぼくは家から出て学校の部室で夜を明かした。へやの隅で物置きになっていたアールデコ調の刺繍のはいったベージュのソファからうえをどけて寝転んだのだがさいわい夏なので上着はいらない。しかし明け方になるととたんに耳が忙しなくなる、どうやら雨が降りだしたらしい。そして雨粒のあいまに足音とドアの蝶番の軋みが。
 もともと眠りは浅かったためすぐに身を起こす。するとゆらゆらと廊下に面した欄間から天井に漂っていたあわい光がいっしゅんゆらぎ、消えて、開いたドアの向こうからこちらに向けてもう一度明滅した。
先輩なら居ませんよ。暗闇のなか、きっとそこに居るであろう相手にそう呼びかける。すると、再びか細いスマホの照明が部室の床を照らす。床パネルの木目に沿ったニスの凹凸が呪術のようにあわく反射の紋様を浮かばせた。
 先輩なら居ませんが。もう一度呼びかけると、
 なら助手でもいいやそろそろ調査結果の報告をもらえない。それで君のボスはどこへ?
 きっとご存じでしょう? 昨日川で死にました。
 なのに助手はこんな所にいる。警察や消防に連絡しなかったの。
 だって、死んだといってもただのごっこ遊びですから。あとぼくは助手ではなくただの後輩です。
 おろかしいね
 そうでしょうね、言ってぼくは照明を点ける。
なんだやっぱり、あなたか。
「なんだとは失礼な、きみの振舞いのいかんによっては此処にいるのも私ではなく探しものの先輩だったのかも知れないのにね、しかし無理かーー」
 スーツの女はそうぼくの手に持つベージュの水引きを目にながす。
「そうやって未練がましく古いの依代を引きずっているようではね。」
 よく分かりませんが、明るくなってから出直してはもらえませんか。ぼくは言うのだが彼女は帰らず勝手しったる様子で壁付けの棚のひとつを開いて何かを取りだす。
 盗られるようなものなど無いだろう、そうはおもいつつも、勝手に持ってかないでくださいよ。とソファの上から一応そう声をかけるが、彼女は気にした風もなくそれを手にへや中央の長机二つ島に向かい、ノートパソコンに挿入する。と、そのチープなスピーカーから音がながれだす。クラシック、か。それは重々しくピアノが打つ沈鬱な曲で、こんな雨降りの未明に相応しすぎてよけいに気が滅入りそうだ。
 気づけばもう陽が昇っていてもはずなのに外の景色は真っ暗だ。だがこの部室棟は築二十年のため古い建材が湿気や音を吸い込んでしまうのだろう。ばらばらと十字窓に打ち付けてはぜる水滴のおと以外はそとの風景と隔絶されている。
 いったい何なんですか。ぼくがそう訊くと、
「プロコフィエフ、の『ロミオとジュリエット』」
 べつに曲名を聞いたわけでもなかったのだが、ここでモーツァルトとかの有名どころではなく、教科書にみた記憶すらないような音楽を持ってくるという面倒くささが如何にも『らしい』。
 ぼくは知りません、お詳しいんですね。なるだけ素っ気なく聞こえるようにそう言った。
「この年になるともう、あんまり他人といっしょに音楽を聞いたりしないわけ。誰かとコーヒーショップ待ち合わせしても、流れている音楽に水を傾けるほどの空きがない。もともと話すべきコトや行くべき場所を決めたうえで会っているわけで。
 どう。ヒマだからお茶で時間を溶かしたりだとか行く場所ないから部屋でいっしょに音楽きいたりとかさ、友達とちゃんとそーいうことできている?」
 できるわけが無いだろう。そう口には出さずに黙っていると、
「そういう贅沢なムダもちょっとで良いから齧っといたほうがいいよ。」
「そもそも友達がいません」しょうじきにそう言った。
「きっときみの友達が聞いたら悲しむよ」女は言って指さきで机に置いたジャケットを小突く「大人になるとさ、趣味は深まっていくけど自分の好きなものにしか触らないわけ。まあ、好きなものを理解できないとか言われて傷つくことも無いんだけどさ。」
 べつにきらいではないけれど『ロミオとジュリエット』にしては陰惨な曲ですね、ぼくは取り敢えずそういった。
 ははどうやら気を遣わせた、ありがとうでも、付き合ってくれるのはいいけど、付き合ってくれなくてもいいよ。きっと私とやっても意味がないし。彼女はそう呟いて、
「でもさ『ロミオとジュリエット』って、そもそもが陰惨なはなしじゃん。
 どこに救いがある? 太陽みたいな博愛主義者のロミオが絶望と暴力のとりこになるところ? 十三歳のジュリエットがちゃんと処女のまま死ぬところ?」
 ジュリエット、ぼくより年下だったんだ。知らなかった。
「ちな、シェイクスピアは読んだことある?」
 ありません。
「じゃあこんど読んでみなよ」
 なぜ?
たし、かに。彼女はそう、首をかしげる。「『おもしろいから。話しあいてができるから』人にじぶんの好きなものを薦める理由って、きっとそんなものかな」
 きょうは何だか、けっこうまともですね。
「そう?」
 まえはもっと、話にならない感じだったのに。
「そりゃしょうがないよ、だって」音楽が止まっていっしゅん静寂がおちたかと思ったせつな、部室は再び雨降りのなかに放り出された。彼女はそれ以上つづきを話すつもりも無いようで、停止したディスクを取り出すと元どおり棚にもどしにいく。
 横から覗きこむと棚のなかにはまだいくつもCDのジャケットが入っていた。こんなところにこんなものが、知らなかった、なんで知っているんですか?
「言ったでしょう、この学校に通っていたって、私にだって子どものころはあったんだ。」 
ふと手にとったジャケットを開けてみるとケースのなかがからっぽだ。
これ、中身がない。
「ああそれ、憶えているよ。私もここ居た。あのときあいつが自分のプレーヤーに入れて持ち出したんだ。そして戻ってこなかった。」
 借り逃げか、ひどいやつだな。
 きみもひとつ持っていきなよ。そうあの陰惨なロミジュリのCDを空のジャケットに重ねて手渡される。しょうじきそんなものを聴くような気分でもなかったのだがそのときのぼくには一いち断るほうが面倒に思えた。つぎに机の上にバッグを置いて中からなにかを取り出す。身なりはきちんとした大人なのにかばんにジャラジャラとたくさんの飾りをキーチェーンでぶら下げていた。
 見るとそれは十数個にはなろうかというウサギの飾りものだ。一つまみほどのビーズの編みぐるみ、ゴムで出来たゆび人形のあたま、荒い木彫りの根付もある、共通しているのはピーターラビットがジャケットを着ているような擬人化をほどこされたものは一つもない。どれも、愛らしいポーズをとってすらいない。まるで人のデスマスクをネックレスにした鬼神のようだ。
 あの、ウサギ、すきなんですね。ぼくがなんだか気圧されて、そうくちにこぼすと、
「すでに好きとかいう問題じゃないんだなー。きみにも一つあげるよ」そうほおを寄せてごそごそするので髪の感触がこそばゆいのを薄目で耐えていると右の耳たぶがチク、としたあとで熱くジンジンと疼きだす。
 なにをしているんだ、慌ててそう身を引き剥がす。
「これでお揃いだね」言って女がそう耳もとをかき上げると指さきほどの編みぐるみのウサギのピアスが揺れている。
 ちょっとちょっとちょっと、外してください。そう耳の飾りものに触れるとひどく痛むうえに化繊の感触が血でねとついている。右耳に血で真っ赤なウサギちゃんをぶら下げている姿なんて誰かに見られたら身と内申の破滅だ。
「あともうひとつ、これもあげる」そう粗い編みのニット帽を被せられる。「まあそれはもう君のだからいつでも外せばいいけど、ギリギリまでは止しておいたほうが良いと思うよ。」
 
 自室に戻ってスマホで音楽を聴く習慣になっていらいずっと使っていない。本棚のうえで埃をかぶったポータブルのCDプレーヤーを引っぱり出す。と、すでにもうなにかディスクがはいっている。
 再生ボタンを押すとまだ電池が生きていたらしく、ディスクがきゅるきゅると回りだす、イヤホンを刺してまだ無事な左耳にあてると、部室で聞いたものとは打って変わって雨垂れを追い出すことのない繊細なピアノの響き、平均律クラヴィーアだ。でもなんでぼくが、そんなものを知っているのだろう。
ふ、思いたってかばんからあの空のジャケットを出すとそのタイトルは平均律クラヴィーアだ。ぼくはプレーヤーから取り出したディスクをジャケットに収納する。なんだこの奇妙な符号は。偶然であるわけがない、そんなわけが。
 そしてもうひとつの符号が脳裏によぎる。
ーー噂によると阿魏藻川には大小さまざまな橋が架かっているが徒歩で渡っていける浅瀬があるという。ーー
 つづきは何だったろう。ずいぶんまえに触れたロアであるため定かではないがたしか、この世とはべつの向こう岸に行って帰って来られなくなるという『此岸渡り』タイプの類話だった。そうか。

 ぼくは一先ずもよりのコンビニで買い物したが品揃えが足りなかったため駅前のスーパーにも足を伸ばした。いまさら金に糸目はつけない。
 つぎに橋。レジ袋をさげて阿魏藻川に架かるなかでいちばん大きな橋のしたに入ると四車線の大きな高架の腹にそらがすっぽりと呑まれていく、とおい向こう出口を見通すことはできず行く先は闇にしずんだようになっている。
 振り返るとまばゆく地平にへばりついた薄っぺらな青空から光の波がゆらゆらと、わきの川面まで延びて揺れている。しかしそれはもうか細く、天地の裏がえったあの日暮れのようだ。


4:44
「触らないでください」
「だって震えているし、なんだか汗もさ」
「ぼく、ずっと先輩の死んだところを」
「え」
「その、いろんなかんじに死ぬところとか、死体についてとか考えて」
 それでことばが尽きた。もう無言でうつむいていると、
 お互いに無言でいるうちに先輩のかおがいっときを境に赤面する
「その、やっぱり。そういうときに想像するわたしの死体はやっぱりはだかだったりするんだろうか」
「まあつまり、そういうこともありますかね」
「ゆるせねえ」
「許すも許さないも、想像の話ですから」
「だけど、わたしは殺されたこともなければ裸を見られたこともないのに?」
「まったく理不尽でしょう? 誰よりもぼくがそう感じている。ごめんなさい」
「どうして殺したいの? なんのために?」
「ちょっと、じぶんでもわかりませんので。黙秘します。」
「うそつき」
「はい」
ねえ、死んだわたしはさ
うん
生きているわたしよりも綺麗だった?
 わかりません。
  きたなかった?
   解らない。
    いまいち煮え切らない。けどさ。まあ、いいや。
 それでまだ生きているわたしがこうして目のまえにいるわけだけど。
 ハイ
 さわりたい?
 まあ
 殺したいの。
 まあ
 くびに触れる。それは日に焼けてなめらかでよく見るとうっすらとうぶ毛が生えている。こうして触れなければ、ずっと気づきすらしなかっただろうに。
 しょうじきに言えば、死んでほしい。死んでいてほしい。
 一冊の本のように凍結したものを所有したいという欲がある、結晶化したときのループのなかで何度もこうして愛でるように。
 そうしてぼくは消えた。願いによって生じたドッペルゲンガーはそれが叶うと消えてしまうのだ。


42:54
 陽に背をむけたまま迷妄と空想をあたまに橋のたもとを歩みつづけるとやがてひかりが途切れて偽物の夜が訪れた。アスファルトの夜空がエンジンの排気音と振動でごうごうと鳴っている。
 光源のない、しかし闇というほどでもない無明のなかでビニール袋をあさって供犠を奉じる

 かりんとうを置くと足のない犬が芋虫のようにやってくる。

 ひざまづいて包装をあけたそれを打ちっぱなしのコンクリートに盛るとなるべく気配を感じないように薄目のまま急いで離れ、川に背を向けて駆ける。気のせいだろうが生暖かい吐息の散霧が何度か足くびにかすめる感触があった。途中で蹴つまづいてそのまま四つん這いに進み、地表の隆起のはじまりを確かめるとそこから身を起こして横ばいに護岸パネルの境目を探す。手探りに見つけたその裂け目に手芸用のスコップを縦に突き入れると、土を抉る感触があった。

 金平糖を植えると目の無いネコのあたまそっくりな蕾をした草が生えてくる。

 レジ袋の中身をさぐるが次の供物がみあたらない。まさかどこかで落としたのか、スマホで照らそうかとも考えたがすでに、辺りにはけだもの臭いにおいときしきしミシミシと何かが固く軋む気配が聴こえている。
 駆けながら律儀にしまい直していた菓子のゴミを一つ二つとそこらに棄てつつ袋をさぐり直す。ここはエコなんて一先ずさておこう。指に触れた袋を割くがこれは明らかにちがう、と指に触れた感触でそう知れたので一先ずくちに食んで、のこった一つを両手で力まかせに破裂させてバラまきながらそのままの勢いに駆ける。

 ざらめを撒くとそれを食べようとして頭の欠けた甲虫が腹を地面に擦りよせる。

 プールをモップで擦るような音が後方のそこかしこから迫ってくる。前方に光がみえた。あ、これ。いま振り返ると塩の柱になっちゃうやつだ、とふいにくだらない考えが降ってきてそれで、すこし頭が冷静になる。先ほどあたまの上でばら撒いたザラメがニットの編み目や衣服から溢れているのだ。酸欠にあえぎながら手と体をふるっているといつの間にかそこは陽のひかりの下だった。

 そのすべてを揃えたうえで包装を剥いた菓子パンを片手にしばらくまつと、やがて一人の人物が現れてその生い立ちを語り出す。

 良かった『向こう岸』だ、そうしてやはりここに居た。
 高架向こうの河原に立った先輩のまえで両膝をつく。そうして立ち止まったとたん呼吸器の負荷と酸欠の吐き気にえづいて菓子パンをじめんに落としてしまい、ああっ! と慌てて手にひろう。
「どうしたの服、どろどろじゃない」
 はい。
「手も擦り傷だらけのようで、」
 たしかに、ぼくはそう恥ずかしくなって身体をはたいたが状況はより悪くなるばかりだ。
「それにその耳」と問われる
 ああ、とぼくは右のみみに触れるとぬるり、とした血の感触だけであのウサギはどこにもない。騒動のなかで耳朶を引き裂いて落ちてしまったらしい。それでか、なんだかほおが濡れている。
「ごめんわたしの為なんだよな。」
 まったくだ、とぼくは言いたかったがしゃがれてなかなか声にならない。
「あなたは怖いひとだ。約束を本気で呪術として施行してくるんだから。もう二度とあなたと誓約を立てたりはしないッ」ぼくが叫ぶとなんだかきょとん、とした様子なので。
「ウソにまつわる約束のことです」と繰り返す。
「なにそれ、知らないよ」
「じゃあもうあれナシでいいですね。あと言っておくがぼくは嘘つきです、嘘をつきます。都合の悪いことには目を瞑るし先輩のようにしょうじきな人間ではない」
「分かったし、分かっているよ」
「じゃああとはもとの場所に帰れればもうこの、ぼくにかかった呪いはおしまいということで良いですね」
「はいなんだか、良くわからないけど」
「いいんですぼくさえそう納得できれば」そう泥に血の滲みたメロンパンをさしだす。
「これはたぶんヨモツヘグイならぬ
 いわばトコヨヘグイとでもいうべきもので
 食べればいちど常世へわたった先輩も今生へもどれるだろう」
「ていうか耳ダラダラ血出てるけど。大丈夫? 黄泉路を抜けてきたのは、どちらかといえばそっちに見えるんだけど」
「いいからこれ以上おかしなコトが起こるまえにさっさと食べてください。先輩がかけた呪いに比べたらなんてことはないんだ。まあ、ぼくがずっと口のなかに入れていたんで、あれですけどーー」
言い終わらないうちに先輩はそれをさっさとお口にモグモグして、唾液とかそういうのはともかくとして、ひどいなあ。土や小石とかジャリジャリしているし。でも、つまりそういうコトなのかあたしの願いなんていうのはーーなまぐさい、不味い、まったく不味い、でもわすれない。この空腹と満ちをあたしは。あたしは。
そうして蒼白かった先輩のほおに見るみる朱が刺すのをみて、ぼくは一先ず胸を撫で下ろす。
「なんかごめんなさい。666に行くためにはこうするしか無かったの。これまでにもう六回も願いを叶えてしまってね、この世のことわりを踏み越えてしまったから。」
 666ーーいやその終電マイナス1のアノマリーはあのとき宇豆神社の境内で越えたはずではーー、いな違うこの先輩はあの先輩とはまた別ものなんだ。もちろん定義どおりドッペルには見分けがつかないが、ただ辿ってきた歴史がちがうのだ。
 どうして願いごとのためにそんな無茶を。問うが、
「無茶かもだけど、だって、きみがこうしてどうにかしてくれるだろう? 現に今回も助けてくれたし。」
 平然とそう応えるてらいのないまっすぐなひとみ。
 水引きだけ残して消えた彼女は二の六乗つまり、六十四分の一をくぐれなかった先輩、そしていま目の前にいるのはそれすらももう越えてーー消滅の確率への恐れがすでに挫滅してしまっているのだ。二分の一のロシアンルーレットを回しつづけていることに違いは無いというのに。
 ちなみに前回はどういう願いごとを? と訊いた。
「それはわからない。ただ叶ったというだけしか。願いごとは叶うと忘れてしまうから」
 そうまでして叶えたい願いごとって、ぼくにはよく分かりませんね。正直にそう告げると、
それは幸せなことだよ、と少女はわらった。じゃあこうしてそうぞうしてみればいい、きみは病にかかったの、だからそれが治ることを願うんだよ。そうやって願いごとなんて選べるものじゃないんだ。そらに浮かぶ雲の影がピンク色になったり数学のテストの図形が目をこらすとすべて二重線で印刷されていたりだとか、そうして叶ったことが分かりやすく日常がすこしだけ楽しくなるようなやつだったらよかったんだけれど。どうやらわたしのは違うみたいーー
 病人にとっては病気がすべて、すべての病人にとってそうではないかもしれないが少なくともわたしにとってはそうなんだ。なのでわたしはいつも病気のことばかり考えているし其れが治ることがうたがいようのない幸せであると考えている。まったくほんとうに病気だよね? でも病人だから仕様がない。
先輩はそういってアスファルトの歩道を外れると木陰にいって、さきの明け方の驟雨にしなだれた葉桜のしげりにすっぽりとかおを隠してしまった。
 ホラもうわからないの、これは願いごとがかなったあとなのか、叶わないことをわすれてしまったのか。きのうまでとても大事だったことがきょうにはどうでも良くなってしまったというだけなのか。だから、叶えつづけるしかない。
 そうして血まみれのメロンパンのさいごの一片をくちにしたとたん先輩は消えてしまう。

 こうしてみるとあの先輩も呪いが怖い先輩と同じくらいヤバい女だったな。人間というものはぼくも含めて、可能性を掘り下げればああいうハイエンドな狂人ばかりなのだろうか。
 そしてそういえば、自分の帰る方法を忘れていた。あらためて辺りを見渡してみるとそらは薄暗く午前か午後なのかもはんぜんとしないがその他の風景はいつもどおりだ。ただ人がだれも見当たらない。河川敷から市街地にのぼってバス停に出てみるとロータリーの向かいによく使うコンビニがあったので押し下げたニット帽で右耳からくびにかけてを隠しながら入った。とりあえず耳をどうにかしたい。血を止めたいし生キズが目立ってしかたがない。コンビニの自動ドアがひらき聴き慣れた入店チャイムが響くがやはり店員ふくめて誰もいない様子で買い物かごを片手に立ち尽くす。カゴを置いて外に出てポケットティッシュを耳にあてるーー人がいない、風も吹かない、耳からは血が流れつづける。ぼくはなんだか息苦しく、鼓動がうるさい。
 気を落ち着かせようと駅前のベンチにすわり考える。おおまかにこれから行くべき場所が三つ思い浮かぶ。
 家、部室、そして宇豆神社

 きみの歴史、他人の歴史、土地の歴史
 どの道がいいか選ぶといいよ。

 書き割りの風景の一部のようにあった後ろのコンビニの自動ドアが開き女がそこから出てくる。まるでそれがありふれた日常の一部であるかのような仕草で会釈して。
「代わりに会計しておいたよ。セルフレジをつかえばいいのに」とレジ袋をこちらに差し出す。
「だって使ったことないし。カードなんて持ってませんから」
脱脂綿で耳をくるみデオドラントペーパーで血と汗を脱ぐってティーシャツを新しいものに着替えるとようやくひと心地がついて、ぼくは一リットルのスポーツドリンクのボトルをほぼひと息に飲み干してしまう。
「ありがとう御座います、助かりました」
「どういたしまして」
「助けていただいてなんですが、聞きたいんだ。あなたはぼくの敵なのか味方なのかどちらですか」
「分かりづらくてすまないね、でもこの世界のほとんどの人間はあなたの敵でも味方でもないんだ」
 なるほど。「分かりましたありがとうございます」ぼくは言って立ちあがる。
「まあ相変わらず短気だな、そんなにやさしく怒るなよ」女性はわらい、
「どうやら、私のあげた依代は役にたったみたいだね。」そうぼくの右みみを指した。
 ヨリシロ? あああの兎のことならすみません、もらってさっそく無くしてしまいました。
「御守りがきみの身代わりになったんだから私ではなくあの子に感謝するように。」
「じゃああなたは身代わりをいつもそんなにじゃらじゃら見につけているんですか。」大人げなくぶら下げた十数もの飾りものをぼくがそう示すと、
「大人になるって言うのはそういうことさ。掛捨ての保険にだっていくつも入りたくなる。不思議なことに未来が短くなるほど未来のコトが怖くてたまらなくなる。君からすればみっともない姿だろうが」そうくつくつとわらい。
「さあ選ぶといい。自分の歴史、他人の歴史、土地の歴史、どの道を通ってこれからお家に帰るのか。」
「しょうじきいまは、歴史なんて知りたくない。」
「だけど歴史を通じてしか現実には帰れない。エントロピーゼロの純粋状態から時間発展するときにそのたどる道の可能性は幾すじかある、が私はそれを観測するだけで道を選ぶことはできない。」
だからぼくに選択せよと? 「じゃあ神社へ。だってぼくはぼくの事をまだこれいじょう知りたくないし、他人の過去を覗き見するのも寝覚めが悪いから。」
「君だけがきみがそれを選んだと『決める』ことができる、ほんとうにそんな事が可能か否かはさておいて、この物語に製造責任者の署名をすることができるのはそれを置いて他にはいないのだから。で、あいかわらず、きみはちょっと格好いいな」
「え」
「じゃあこれからもぞんぶんに、その責任を負いたまえ」
 そうぼくの手の甲を外がわからもっと大きなてのひらが包みこむ。そしていざなわれるまま文字の歴史に迷いこむ。

 明治よりもまえ、宇豆神社がまだ兎頭天王寺と呼ばれていたころ、それは兎頭天王を本尊とする寺であり修験道の霊山地だった。しかし神仏判然令により太政官神祇省からいよいよその縁起を正されることとなる。
僧は帰農や復飾もしくは、神職として官位を得るほかない。そこで兎頭天王は記紀神話におけるクシナダヒメと同体であるという説がだされ兎頭天王寺はウズガミシャと名を変えた。
古代からウズさまと親しまれていた尊格であるがウズガミさまとも呼ばれるようになり。もともと子宝、安産、縁結びの神でもあったのだがそこから転じてウマズノ神という呼称や不妊願いのご利益が願われるようになったという。
 ともあれ明治以降の宇豆神社にはーーもともとその荘園にウサギがいたものを集めたーーウサギ牧場が拓かれ、繁殖の管理がザツだったせいか逆立のウサギが産まれたのだが、ザツとはいえ飼育環境下にあったためその血統も淘汰されずに保持された。
 くだって戦時中に食肉として供されることになったさいに、通常のウサギはみな喰われてしまったが、普段から手で歩いている逆立のウサギの何匹かは柵の格子をよじ登ってそのまま山へと逃げてしまったのだという。

 なるほど宇豆神社の神使がなぜウサギであるのか理由はわかった。きちんと理由はあったがそれは毀釈されて失われていたのだ。


 そう。そして本当かはしらないが神祇省によればさらに昔にはその祭神はもともとクシナダヒメだったんだ。女が文字でそう言った。ちょっと、疑わしいけれど。
 つまりウソなの?
 歴史と言ったって百年もすれば死んでしまう人間が言葉で編んだ物語だからね、でも比較対象がないからべつにそれで構わないんだよ。
 神話ではクシナダヒメは文字どおりに櫛に身を転じて素戔嗚にまとわれ、素戔嗚はそれをまとってヤマタノオロチを倒す。
 なるほどイモのチカラってやつか。
 そうそ、その加護もあってか見事怪物を退治した素戔嗚はクシナダヒメと祝言をあげて、あの有名な句を詠むのだけど、櫛になったクシナダヒメがもとに戻るという描写もない。
 分裂ーーと消費、か。
 そもそも櫛というのは歯を折られたり投げ棄てられることで呪力を発機するものだからね、つまりクシナダヒメはとらえ方によってはドッペルゲンガー現象の最古の記録とも解釈できる。願いごとで作った御守りはそれが叶うにあたりきちんと消えるべきなのね。
 櫛になったヒメと素戔嗚の妻になったヒメと、もともと、どっちが本物で偽物だったんだろう?
 ダメだよそんなに残酷なことをまともに考えては。彼女はそうぼくの手を甲のそとがわから包んでぎゅ、とする。
 最後まで生き残ったがわが本物に決まってんじゃん。そこを疑ってはいけない。ハッピーエンドの物語をわざわざ裏側から覗きこんだりするのはマナー違反です。

 文字から現実の現代の宇豆神社の風景がうっすらとにじみ始める。でも、そこにぼくは存在しない。無人の神社の映し出されたスクリーンの前に立つように、神社もぼくもたしかに同時にそこに存在しているのにうまく重なりあうことができないのだ。
 戻って来れたけどまだ余剰次元がズレているんだ。
 それは異次元空間とか、そういうオカルトてきなあれですか。
 いやこのズレはーーなんて言ったらいいかな。時間の次元のはなしになるね。今まで意識したことすら無いだろうけど、一般に流布した時計というものはすべて、時間が一次元であるという前提に依拠している。
変化が前にすすむか後ろにもどるかだけで横や上下にぶれたりしないということ。だから時間の経過はそのように、六十分割された数直線のうえで表現できる。
 ぼくは腕時計に目をやる。ぼくには二次元の平面に見えるけど。
 それは、欲深い人間が時が循環するようになんて願ったから、時の数直線を六十進法でちょうど一巡するように円環させた。それがなんど巡ってもいいように。一時間まえと一時間あとの区別がつく代わりに、午前と午後や昨日と明日を見分けることはできないけれど。それでも曲がりなりにも一次元の無限を手首の二次元に封入してしまった、これで時間を支配できた、と人間は無邪気にそう考えた。
 あなたには人間のことが何にみえているのですか。ぼくは訊くが、彼女はそれには応えない。
さてしかし、ほんとうに時間は前にしか進まないのだろうか。あるいは、進んだときと同じように後ろにしか戻れないのだろうか。その数直線の左右や上下にぶれたりはしないんだろうか。すなわち、それは可塑的に分岐したりはしないのだろうか。もし時間が本当はそんなものであるとすれば、これはもう二次元の模型に閉じこめることはできなどしない。そのせかいでは時計はいったいどんな形をしているのだろう? 少なくともそれは、人間が手首に持ち運ぶには適さないものにちがいない。
 さてここに次元拡張のかんたんな手法があります。複素数って知っている?
 たしか、二乗するとマイナスになるやっかいな数が含まれているあれですか。
 そうそ。その、まえまで時計だったやつのことだけどさ。言ってぼくの手のなかを指差す。耳にあてると深くで   
なにかが刻んでいるようすはあるのだがあいかわらず針の一本もない。
 時間が一次元から複素平面に拡張されたのでその模式図の現れかたも二次元から三次元に拡張されたわけです。
 平面で流れる時間なんて荒唐無稽な。
 そうかな。たとえばホーキングは宇宙のはじまったビッグバンより前には時間が虚数方向に流れていたのだと仮説をたてた。エヴェレットは時間発展とは世界が無限に分岐してゆく過程なのだと考えた。
 あのぼく、文系なのでそういうのはちょっと。よくわかりませんね。
 まあ時間はたっぷりあるんだ考えてみよう。きみにとってたぶん、二次元と聞いて思い浮かぶのはヨコをx軸タテをy軸にとったグラフでしょう? それは一次元の要素ふたつでもって平面が表現されるのだと感覚てきにわからせてくれる。xかyの片方をゼロに固定したのならそれがすなわち一次元なのだということも自明だ。
で、実数成分と虚数成分の含まれた複素数を感覚的に理解するためには同様に実数軸を横軸に虚数軸を縦軸にとった二次元グラフを想像してみればわかりやすい。複素数のことを複素平面と呼ぶのはそのためです。虚数成分をゼロに固定すれば実数せかいと等価となる。つまりこのせかいの変数が人間の感覚に反して複素数であったのだしても、虚数がみえないひとは実数の理論で考えればそれはそれで矛盾はないのだということ。
 つまり?
 現実に着地するためには時間の虚数成分を無視するひつようがあります。
 なんだか、すごく難しそうですが。
 それはいまのきみが複素平面の時間のありようをイメージできていないからさ。見えないものを無視することはできない。まずは見えたうえで見えないフリするしかないわけ。
 なるほど、分かったような、分からないような。でも、とりあえず考えてみる。しかし時間について想像をするとどうしても、時計の図像がわいてくる。
 しかし時計はもちろん時間そのものではない、時間の虚数成分の拡張された時空ではすでに用をなさない。手のひらに見下ろすそれは、時間に似せてつくられた模式だ。そのような模型や模造品と本物をどのようにして見分ければよいか。
 たとえばミニカーはいかにそれが精巧にできていたにしろ本物ではない。実物とはスケールが異なるからだ。では外見のみならず縮尺まで実物と一致したモデルガンや蝋人形ならどうだろう。モデルガンには機能がともなわない、実物どおりの中身がないので弾を込めることも撃つこともできない。蝋人形もそれは同様だろう。では内側まで正確に再現された人形ーーたとえば本物の死体を加工したプラスティテーションならばどうか。もちろんそれは本物ではない。それは生きてはいないからだ。しかしそれをいったいどのように確認できるのか。
 実物と似ているとはつまり実物となにかが異なっていることを言うのだ。見分けがつかないほど精妙である、というのはそのフェイクが本来の本物にだけそなわっていた要素を見るものから忘れさせてしまう力をそなえているということだ。まるで本物にしかみえない、とあなたが言うときにあなたは本物がどのようにあったかということを忘れかけている。
 かくして時計という時間のレプリカは時について人間にじつにおおくの事柄をわすれさせてきた。本物の時間には形がないこと、音がないこと、人間はそれに触れることもみることもできないこと。遡れないこと。溺れないこと。避けえないこと。T変換対称性が破れていること。ぼくがふだん時の性質だとおもっているもののほとんどは時計についてのことを言っているのだ。そうして時計はぼくが時についてなにも知らないことを忘れさせている。時計という模造品と時とのくべつをつかなくさせているのだ。
 では、拡張された時の時計は果たしてどのような形をしているのか、彼女はいった。しかし問いの立てかたをこう変形することだってできるはずだ、どのように試せばそれがニセモノであると示せるのか。と。つまりそれは時と似ておりかつ似ているがゆえにどこかで異なっているはずで、レプリカのレプリカとしての本質はその差異のなかにあるはずだ。
 従前どおり時計の例でいえばかんたんなことだ。半日のずれを表現することができない。なのでそれが午前か午後かがわからなくなったときには空を見上げるほかない。すると時計は時間と似てはいるが飽くまでその模式でしかないことがだれの目にもあきらかだろう。しかしそれが明け方や夕暮であったりしたばあい、時計も空もあまりに似すぎているということもあるかもしれない。場合によっては本物と模型はいよいよと区別がつかない。写真のなかではミニカーと本物のくべつがつかない。ショーケースのなかではモデルガンと本物のくべつがつかない。冷凍庫のなかでは死体と蝋人形のくべつがつかない。鏡のなかでは俺とお前のくべつがつかない。夢のなかでは友人と他人のくべつがつかない。記憶のなかでは思い込みと事実のくべつがつかない。願望のなかでは過去と未来のくべつがつかない。そうか、数直線でなくなった時のなかでは過去と未来のくべつがかない。平面を進む時間は進みつづけるなかで何度でも同じポイントに回帰できるからだ。

 あの不躾なお願いで申し訳ないのですが、口に触らせてはもらえませんか。

 願望のなかでは過去と未来のくべつがつかない。
 新しいときのなかでは過去と未来のくべつがつかない。
 つまり願望と時間はくべつがつかない、というのが新しいときの要件なのだ。数直線でなくなった時のなかで因果は時系列をはなれて願いによって起結する。しかし過去と未来のくべつがつく状況になればそれが投影されたレプリカにすぎないことがおのずと明らかになるだろう。
 あ、やはり不自然かな。女性がそう口をとざす。あのね、いまでもじつはまだ鏡に違和感あるんだ。じぶんの顔なのにどこか作りものみたいな。そう薄いネイルの人差しゆびで唇をむにっとして、いまでも鏡をみるとつい、じぶんの歯を確認してしまう。とごちるので
 いいえ、きれいですよ。ーーまるでもともとそうであったかのように。でも、だからこそ
 言いつつぼくは、できるだけ視線の焦点をぶらす。彼女をみていると、その調和があたかも時の経過がもたらす自然な帰結であるかのように衒わされるのだ。
 せっかくだからもっと普通にわらえばいいのに。
 無愛想でわるかったな、でもいまはこれが私のふつうなんだよ。
 あの、なんだかさ、あたりまえみたいに思ってしまったんですよ。歯並びが直るというのは時の因果にしたがってしぜんに起きることではないのに。気づいてあげられなくてごめんなさい。
 はい。いや、ううん。
もしかしてだれか、あなたのことを笑うひとがいましたか。それはもしかして、過去や未来のぼくのどれかですか?
 彼女はじ、と黙して答えない。
 時計はあなたなのですね。一方向にながれなくなった時のあたらしい模型。
かんたんなはなしだ。時計のせいで本物のときについて考えたり感じたりできないのであれば時計の針を止めてみればいい。このばあい先輩の歯並びの矯正の有無がそれだ。それは先輩の願望についてのはなしなのに、ぼくにはそれが時の、その存在や経過を示す本質であるかのようにみえてしまう。

 あたらしい時の概念図の完成とともに徐々に足もとに玉砂利のじめんのゴロゴロとした音と厚みが触れはじめる。その感触だけに感覚を集約するイメージで一次元の時間への近似が進みはじめる。
 いいよ触れてみなよ。大人になった先輩がそうぼくの手をとって口もとにいざなう。ぬめ、とした感触のあとに固くつるりとした前歯に指がふれる。すると彼岸の文字のせかいの前景ごと彼女が消えた。
 そうだすべてのドッペルゲンガーは願いごとによって生じ、それが叶うことで消えてしまうのだった、それは魔女でも例外ではないということか。
 彼女はそのどれが叶っても良いよう護符のようにたくさんの願いを、過去や未来のじぶんのレプリカを身につけていたのに。長く生きるうちにじぶんが何によって生まれたのかという願いを忘れてしまったのだろう。あるいは自身もまたレプリカであるという事実のがわを。
 あの、スマホのケースのストラップにジャラジャラとさせていた無数のウサギの根付。戸惑ったもの、食んでいるもの、眠っているもの、性交にて腰をふっているもの、四つ脚のいずれももがいて横臥しているもの。十はあったがすくなくとも、まだそれだけの先輩のドッペルがどこかに可能性として存在しているということか。
 少女は毎日まいにち架空のじぶんを殺すことで生きている。ぼくはそんな少女を殺すところを日々夢想している。取り敢えず昨日は誰も死ななかった、今日もだれも、平穏なかおをした日常が平穏なかおをして過ぎていく。けれどそれをいくつも繰り返したさきのどこかに必ず死はあるのだ。ではべつに焦るはなしでもないだろう。




2:71828182846
 あるとき昼休みに部室のパソコンで調べものをしていると、先輩が広告バナーをクリックしてしまい、フルスクリーンになったブラウザがはだ色の動画で埋め尽くされる。
 先輩の調べものというのは怪しげなサイトや掲示板を巡ってそのなかでもとくに疑わしいものをサンプリングするという最低なやつなので当然ADブロックなどは無効にしてあるし、プロキシを経由することで本来は学校のドメインからは閲覧できないサイトも見られるように細工してあった。もちろん音声はミュートである。
 なのに彼女が隣であわあわしているので、あらあんがいに耐性がないんだと思いESCキーを押してブラウザを閉じたのだが、その青ざめたかおがあまりに真にせまっておりぼくは不安になる。
 ここで先輩が倒れたりなんかしたら、ぼくが彼女にひわいなコンテンツを見せたのではないかと誤解されかねない。
 気分がわるいなら家に帰ってください、と言いつつクッキーや閲覧履歴を削除したうえで端末からプロキシの設定を消していると、
「ねえキミはああいうのどう思う?」
 と思春期の異性にはものすごく応えづらいことを聞かれるので、
「応えづらいことを訊きますね」としょうじきにそう言った。
「ごめん。でもああやって互いに気持ちよくしあうってなんか気持ち悪くない? まんま動物みたいで」
「そうやって急にふつうのムーブかましてくるの、やめません?」
 なるほどどういうわけか分からないが、自分たちのことだけは動物ではないとそう信じこんでいるらしい。
「動物はきらいですか?」
「かも知れない」
「ウサギは?」
「え、ウサギ? 身近に居ないし、あんまり好きとか嫌いとか考えたコトないかなー。鶏と豚だったらだんぜんフライドチキンのほうがすきなんだけどなー」
 そう並びのよい歯をみせて屈託なくわらう。
 午後の授業の予鈴が鳴りぼくがパソコンを閉じると先輩もごそごそと支度をする様子なので、ぼくはそれを見ながら考える。もしもこうだったら、もしも現実がこうではなかったら、そんな願いごとが叶ってしまったあとのせかいについて。
 そうして願望が現実になったとき、ぼくは自分がなにを願っていたのかをまず忘れてしまうのだろう、というか、忘却によって請願はようやく成就する。それを忘れることでぼくはそこにじぶんの願望が投影されていることをはじめて看過することができる。
 そうしてすべての願望はそれが叶うことでとうめいな現実になってしまうのだ。あの、とぼくは口に出して事実を告げる。
「先輩の卒業式が終わったのはもう二週間まえですよ。」
「うそだ。」
「ほんとうですよ」
終わりだ、もうおわりだ。先輩はそうかばんからなにか取り出して、そこにはいっていた体育着をさかさに空けると黒い巾着ぶくろを頭からすっぽり被った。
 ぼくはなにを言ったらいいかもわからず、なにも言えないままただ黙ってしまった。
 スポーツメーカーのロゴがはいった黒い覆面の女は先輩のうめき声のまま、四つん這いによたよたとあたりを手探りに動きまわっている。まるで、死にかけの虫が苦しみと区別のつかない衝動にさいごの瞬間まで突き動かされるようにして。きっと殺されることを望んでいる。ぼくは居てもたってもいられない、それに触れないままではいられずに、
「立ちましょう」とその肩にてをかけた。
「でもこの先どうしたらいい。」
 知るものか。「わかりません。でも一先ず、はやめにお風呂にはいって布団にはいるんです。眠れなくても目をつむって耐えていればそのうち朝になります。それを繰り返すんです。変わらない今日とあしたを。そのうち今日と明日との繰り返しのループとはあきらかに異なるあたらしい明後日が訪れるのかもしれない。訪れないのかもしれない。しかしいずれにせよそれは今日のさき、明日のさきにしかありません。」
 だけどなにも見えない、先輩の嗚咽がそう未来をつげる。てんでちがう時に朝をつげる盲いた鳥類のように、だけど太陽をわすれても朝をわすれることはできない。生き続けるかぎり眠りが目覚めと明日とをたたき出すというガラガラポンの抽選はまだおわらない。
 せつなの鳴き声のたびに幾度もかりそめの夜明けをつげる、狂った鳥のかたわらに座りぼくは、その黝くしゃりしゃりとした化繊のあたまにおそるおそると手をふれた。

444ドッペルゲンガー

執筆の狙い

作者 m.s
a172-225-124-240.deploy.static.akamaitechnologies.com

140枚ほど、題名はトリプルフォードッペルゲンガーと読みます。
だいたい数ヶ月まえに書いたものです。
WORDからテキストへのコピーで行頭の文字開けが上手くいかなくて、できるだけ潰したつもりですが行頭が詰まっているところがあるかも知れません。
忌憚のない意見を頂けましたら幸いです。

コメント

京王J
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読みました。

いかにも純文学新人賞の応募作品、という印象でした。
(実際そういう目的かは知りませんが…)

MS的「ナルシシズム」に溢れる作品で、一見きれいに書かれているのですが、読むのがしんどかったです。

作者だけが解けるパズルを延々と見せられた挙句、そのオチが「どうだお前らにはわからないだろう〜」では、あまりに露骨というか、素直な性格というか、なかなか興味深い、不思議な読後感です。

「2:71828182846」や文化人類学のくだりなど、MS的「こけおどし」が延々と続くため、「ああまたか…」と微笑ましい限りです。古い潰れかけの遊園地、と言えば伝わるでしょうか。そんなノスタルジーも感じました。
(要するに、面白いと褒めています)

非常に洗練された素晴らしい作品だと思いました。

月長石 -THE MOONSTONE-
n219100086103.nct9.ne.jp

画面あけて、とりあえずスクロールして・・


>2:71828182846

って何??


そこがもうなんか「とても美しくない」んで、ダメだった。


「2.71828 18284 5904……」は、文句なく「美しい」んだけども、

「2:71828182846」とか、全角だと目が滑ってださいのと、
「四捨五入で無造作に止めてる!」のが、許しがたい。。





読まんでコメントしてますが、

このへん(2:71828182846)、

たぶん前作の「無駄にえんえん演算するコンピュータ問題」からの派生で、
作者だけのこだわりってか「遊び」だと思うんだけど、


派生や連作でSFも書いてたワタシ的には「その原稿を単独で読んだ人にも分かるように」書くようにしてる。

月長石 -THE MOONSTONE-
n219100086103.nct9.ne.jp

森見登美彦、読んだ事ないんだけど、

このハナシはなんか、森見読者ならついてゆけそう??


画面見た感じ、唐突に出てくる「ドッペルゲンガー」が余計ってか、あんま機能してないような予感がして、

スクロールしてくと、

>そうだすべてのドッペルゲンガーは願いごとによって生じ、それが叶うことで消えてしまうのだった、

↑ で、前述の予感が当たってしまってるような・・??


『時間』と『時計』だけでも、紙幅とる大ネタだのに、
そこにクシナダとか日本神話まで入れ込むと、

アマチュアの手には余るし、

「紙幅足りない」でしょう。


そのせいで、たぶん・・ 説明に次ぐ説明、必要事項・設定の説明説明説明・・で、またぞろ行数かなり取られ、
その各所の説明も「すこぶる駆け足」になってる・・

んじゃないかな??

月長石 -THE MOONSTONE-
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「数直線」ってのが・・

時の流れを、ベクトルのように捉えてるのは、
10代・20代の学生の概念。

作中主人公(語り手)の年齢的には、それでいいんだと思うんだけど、


それ以降の年代からすると、「直線的には解釈してないのが、知恵」だと思う。
東洋、特に日本人は「そう」かなー、って。


西洋的な時間概念(って言うのか…?)と 東洋的な時間概念 との差異……

ビッグバン等の宇宙的な時間概念/数学的な概念と、地質学的な概念……

聖書の時間概念と、日本神話の時間概念……

↑ 「それぞれある」ように思うんで、

ビッグバンと数学と日本神話と産土様とドッペルゲンガー・・
その『取り合わせの是非』がモンダイ な気がする。



実際読めば「全体に整合性をもって融合し、えもいわれぬハーモニーを奏でている・・」んだったら、
読まんで憶測書いてて、ごめん。

月長石 -THE MOONSTONE-
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追記追記して悪いんだけど・・

最初のコメで言及してて、一旦遠慮してカットしたんだけど、


タイトルに掲げられてる『444』って、

SF&幻想系の読者は「どうしたって見るなり想起させられてしまう先行作がある」んです。
(『42』と言ったら『銀河ヒッチハイクガイド』のディープソート! なのと一緒で)


本文冒頭傍観して、「444」の理由を見たら、
「ゾロ目時刻に神社で願掛けすれば叶う、言い伝え」で、何のことはない「4:44」だった。

なら、小見出しと一緒に「4:44」表記にしててもいいかも。。

「444」の方がカッコイイから、その表記! なんだとは思うんだけど、
「444」と「4:44」では、持ってる意味が違うから。

m.s
104.28.99.158

京王J様

悔しいけれど、正鵠を射すぎていてぐうの音も出ない論評でした。
ナルシシズムという指摘のとおりに、これは私の書きたいものを偏愛てき露悪てきな態度でギチギチに押し込めた小説です。(好き)

こけおどしというのは言い得て妙で、ネイピア数もレヴィ=ストロースもその時たまたま興味をもって読んでいたものという以上に深い意味はありません。

じぶんの小説が「どうにも冗長で飽きられやすいのではないか、」という思いから「展開をコロコロ転がすための方法論」について考えていたように思います。
(まあ、プロットを立てない人間ですので。小説を『立たせる』ために構造としてのギミックに寄りかかることになる)

よそでも言っていますが『小説は面白くてなんぼ』という姿勢であるため、楽しんで頂けたのはなによりです。
まあ百枚いじょうのものを書けばイヤでも性格は透けてしまいますよね。

蛇足ですが、ブログ読みました。じしんの小説についてきちんと執心できる人物がなぜ、匿名の個人にそこまで熱中できるのかは分かりませんが。すごいな、とは思った。
もしやいずれ、ごはんWikiが開設されたあかつきには私もその登場人物のひとりになれるのでしょうか?
みんな、自分よりも他者に興味がしんしんなのですねーー

m.s
104.28.83.143

月さま

お読みいただけでありがとうございます。
ネイピア数について文中で、その超越数っぷりの描写がヘタレであるところは理解しました。
というか。みなさんネイピア数なんて、ちゃんとまだ覚えていてくれるんですね。そこが少し嬉しい。

しかし

> (多方面のネタは)アマチュアの手には余るし、

に関してはむしろアマチュアこそ其処で手控えしてはいけないのではないか。たとえば計算づくで書き切れてしまったものが評価されていればとっくにアマチュアではないだろう。冒険や野心を忘れてしまった趣味になんの意味があるのか。それはただ単に引退後の手慰めとか、そういったものに成り下がってしまっていはしないか。
それを否定するわけではないですが、あえて推奨するのも如何なものか。

などと思います。かたや

> 「紙幅足りない」「すこぶる駆け足」
の指摘に関してはまったくでして、毎夜ニチャア、と書き溜めていた文章がそろそろ形になるだろうまあ百枚くらいかな。と仕上げ始めてみたら全然たりない。
締切の十日まえで、これは二三百枚は必要だから今回は無理だやめよう、と思いました。しかし
今回の期を逃せば別にどこかで書き上げられるのか、お前にもう一度この小説に手を触れる覚悟があるのか、と自問した結果。とりあえずどのような形であれ人の目に触れ得るかたちで仕上げることに決めて、決めたからには仕上げようと。仕上げました次第です。これが当時の全力であり、それをどのようにお読みいただけるかに興味があったのです。

人物の年齢に関しては確定させると『〇学生は普通こうではない』的な反駁があるように思えたので曖昧にぼかして読者の主観でアジャストしてもらうことを期待しました。
テーマの一部として子供と大人の相剋を描いてはいますが『子供』『大人』という観念もまた相対的なものですから。


あ、すみません。『銀河ヒッチハイクガイド』まだ読めていません。


> 時の流れを、ベクトルのように捉えてるのは、
10代・20代の学生の概念。

はい。そのあたり、文系の作者が独学でやってきた弊害が出ております。
数ニBくらいやっているとグラフの軸に(t)の概念があった気がするのですが、気のせいかも知れません。これを機会に勉強しよ? というつもりではなく、アナロジーで何となく読み飛ばせるくらいの要素を入れたつもりでした。
いえなんでも、三角関数は役立たないらしいのでーー

浮離
KD111239131001.au-net.ne.jp

名探偵コナンみたいだ。

真っ先にあたしが思ったのはその程度のことで、その程度とは言いながらそれはあたしにとっては案外見過ごせないことで、性質の話と言ってしまえばそれまでのことには違いないんだと思います。

個人的にはこの手の話はちっともついていけないものなんですけど、だからってジャンルとかタイプみたいなこと、つまりは見覚えとか、そんな印象のようなことで分類することは大層つまらんことだなあ、ということだけは力一杯思いながら読み進めさせてもらったものなんです。


m.sなる“小説”の係累。


格好つけてしまった。
うまく言えそうにないからです。

例えば、“1×100=1“
それがm.sさんの“小説“という係累とするなら、

あたしの係累たる“小説“はたぶん、“1=−1の嘘つき“とかそんな感じ。

勝手にそんな感じがしている、ってだけのハナシなんですけど。


どこかのなにかの書評にありそうな例えば“衒学的“だとか、あたしはそれを“小説“っていう性格をなぞる一つの分類みたいに、見覚えがあるように迂闊に受け止めることには大層アレルギーを感じていて、だからこの前なんかも“脳波と相性がいい“とかなんか適当なことを言いたくなったりしてしまうんですけど、つまり個人的にはこの作品をジャンルでも性分でもなにかしらの類型に当てはめることにはどうにも付き合えないというか、それはあたしが何より苦手にしていることでしかない気がしてしまうんですよね。

あたしはこの作品、m.sさんの“小説論“だと思ってますから。

いつかあたしは“パース“っていうことをここで話したんですけど、つまりあたしは作品そのもののなにを信用したいのかというとやっぱり“パース“、物語そのもののことは案外どうでもよくて、その世界の見渡し方っていうその“作為“そのものこそを見通して見透かして、その種を摘むような信頼の仕方が好きで、そう言った意味でm.sさんに見る“パース“は常に極めてジオメトリックな、それは単にあたしが思いついたり見透かしたりするよりはむしろそのまったく逆、その世界を信頼したがるm.sさん自身による検査や検証、極めて重要な課題はきっと破壊試験で、その論拠っていう強度の運用適性を示すグラフがあたしにはなんだか見える気がするし、見えるだけでその意味はあたしのためではないからちっともわからない、あるいはそれを“ジャンル“とか“タイプ“なんて呼ぶのかもしれないんですけど、あたしはそれが“宇宙“ってことでも全然いいと思えるタチで、むしろそれをわざわざご丁寧に地上まで引き摺り下ろしてくれるな、なんて結構適当なことを思いがちですらあったりするわけなんですよね。

太陽系の広さなんてあたしにはわからん。
とはいえ、m.sさんは火星だったり金星だったり土星木星、もちろん海王星だか冥王星だかにも一先ず足を運んで、「知らん」という白状さえ理論づけたがる周到さを欠くことを断じて許せない清潔さこそを差し置いて“小説“なるなにやらかをなんとしたがるものか、なんていかちい気骨を端々に。
一杯引っ掛けながらとはいえ。

なんて、それはあたしの勝手なこじつけには違いないんですけど、同じ話をあたしでしたならあたしはせいぜい月まで、見たことないからって月の裏側だって月は月じゃんなに言ってんの、みたいなことばかりを本性みたいに決めつけて嘯くようなことばかりしか思いつけない思いつきたくない、っていうかその程度のことしか信じられないとかそんな軟弱さでしかなかったりするんだろなとか。


“1×100=1“

そんなパースがあたしの理解のせいぜいで、それぞれにとっての“小説“っていうその素性の違いをこれでもかってほど感じないわけないんですよね。
その上で、やっぱりこの手の質感を安易に“衒学的“だとか、ジャンルとして、あるいは傾向だとか、類推する何かみたいな付き合い方をするのがあたしはなんとも苦手というかやる気ないだけみたいな気がしてしまう分、むしろこんなくだらないことばっか書いちゃうんですけど、要するになんで、こんなに息苦しいんですかね。窮屈なんですかね。


このお話は難しいんですか。
それとも気難しいんですか。


あたしは単にこのお話のお話をするだけのことは、全然正確は話なんかじゃない気がする、ってことをたぶん言いたいだけなんだと思うんですけど、相変わらずなんか逸れてるし長いです無駄に。


よくわかんないお話を、どうして書くべきなのか。
それがあたしはお話したいし、それがこのお話にとってのお話であることが何よりの理由に近い気がするし、それがないことがあたしはなにしろ物足りないです。


うまく言えないですねすみません。



まあ、あたしもポツポツと書いてます。
手癖とか言われんのつまんないので、あたし的には大層つまらない書き方をしていてまったくつまらないんですけど、そのつまらなさをちゃんと証明しないと手癖とか適当なこと言いたがるばっかのつまらん諸君にムカついてるままでここの意味がまじで馬鹿のままみたいな気がしちゃうんですよまったく。


相変わらずです。
よくわかんないことばかりすみません。

お疲れです。

月長石 -THE MOONSTONE-
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>> 時の流れを、ベクトルのように捉えてるのは、
10代・20代の学生の概念。
>はい。そのあたり、文系の作者が独学でやってきた弊害が出ております。
数ニBくらいやっているとグラフの軸に(t)の概念があった気がするのですが、


↑ そういうこっちゃねぇんですよ。。

「数学」ではなく・・
地質学的時間とか、仏教的時間だと、「輪廻」があるでしょ?
そういう時間モデル。
天体の運行とか、宇宙も、直線では出来ていないし。

SFで時間を扱う場合「そっち系のモデルのが主流」な感じする。



タイトルだけ知ってる『時は純宝石の螺旋のように』・・

夢枕獏も萩尾望都も、「時間と螺旋」のハナシを書いていますし。

京王J
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でしょ様=浮離様と月婆様の読み方の「おかしさ」が、MS様の作品のおかげで現れているのでなかなか興味深いです。

要するに、書き手のほうがお二人より頭がいいのでしょう。書き手のほうが実力が上なので、結果として、作品の批評ではなく、お二人自身の立場の表明になっているわけです。

MS様のおかげで、古参ユーザーのお二人が実は書き手は大したことがないということが、この場で白日の元に晒されてよかったと思います。人は現実を見たほうが救われるはずですから。

また、MS様の作品はMS的「こけおどし」の効果として、「この作品に感想を言えないと自分はバカだと思われる」という人間の虚栄心を刺激します。
換言すれば、人に「わからない」と言わせない罠がMS様の作品にはあるのです。お二人と私は、見事にその罠に引っかかたわけです笑。 
(月氏の「時間物」に関する蘊蓄の披露は、その反応の見事な具体例です)

でしょ氏の反応は「頭のいい人に認められたい!」という素直な性格の現れでしょう。
意外と素直で単純な方だとわかり、かわいいと思いました。

この中では私が一番バカで下手なので、何を言っても許してください。

m.s
a172-225-124-241.deploy.static.akamaitechnologies.com

浮離さん

創作とはウソをウソであるという前提で他人に語るということで。
なのでそこに実利はなく、教訓もなく、見栄しかない。だからせめて面白くなければ存在する価値がない。それが存在していることを認知すらしてもらえない。
一年まえくらいからそんな事を考えるようになりました。(遅い)

本作の半年まえには絵画を諦めた少女がなんやかんやでバンド活動に勤しむという青春グラフィティを書いていました。でもやっぱりそういう方向性は埋没するよなあ、などと思い。
最近こちらに上げさせて頂いているようなあまり他人が書けない(書かない)ものをやっています。感情移入や読者の体験からの投影を安易に許さないような類いのものです。べつに義務てきに書いているわけではなく、もともと好みでもあるので楽しんで書いているのですが。

分かりにくい話であるのは、現実の要素を反映しつつもそこに本当の残酷さを描く覚悟が無いからだと思います。テレビ向こうの戦争で死体にいつもボカシが施されているように。でも、迷彩されてはいても『そこに何かがあるんだ』ということはきちんと示したいわけです。甘い。これじゃダメですね。もっとやれるように考えます。

> こんなに息苦しいんですかね。窮屈なんですかね。
たぶん私じしんが、息苦しく窮屈な現実を生きているという認識があり、小説をそこからまだ解放し切れていないのだと思います。いつかこの牢獄から出たあとの景色も書いてみたいです。

> 破壊試験
以前、このような事を考えて文体や視点をいろいろとチューニングしてみたり小説内小説を題材としてメタフィクションを入れ子式にやってみたりしたのですが『小説』は壊れなかった。
以来『どうせどうやったって、お前は小説になるんだろう。』という心持ちで書いています。

> まあ、あたしもポツポツと書いてます。
> あたし的には大層つまらない書き方をしていて

応援してます。きっとどれだけ作為を凝らしても必ず作風は滲んで来るし、自身の作家性について他人ごとみたいに気付かされるのも面白いですよ。また『つまらん諸君』の一員としては個人てきに、あなたが「つまんなさそー」に書いた小説にも興味があります。

それでは

m.s
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月さま

> 地質学的時間とか、仏教的時間だと、「輪廻」があるでしょ?

たしかにSFとかではそうした回帰的な時間の概念が主流かもしれませんが、本作ではもうちょっと離散的に、散り々りな感じでやらせて頂きました。
僭越ながら。過去の名作の読み味における既視感を再提示するのみが、新作の方法論では無いでしょう? それは確かに価値が分かり易いが、過去のみを憧憬するその姿勢ではいずれ自己模倣の縮小再生産の末に文化が死にますよ。

逆に、じぶんが好きに思い付いたアイデアが過去に前例のないものであったならむしろ其の偶然に喜ぶべきかと。
(本作はちがう。これはSFではないし、複素数時間というすでに議論し尽くされている概念を使わせてもらっただけです)

m.s
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京王J様

いやはや、慇懃無礼という言葉はあなたのためにあるのでしょうね。大したものだ。
たった四人しか居ないこの場ですら対立を産みいがみ合わせようとする積極性に、もう敬服すらしてしまいます。
まず、あなたはじぶんの事をバカだなんて口では言っても自身でそう思ってはおりませんし、私もまたあなたのコトをバカだなんて思いません。
読み手としてはひどく皮肉っぽいが、小説については真摯で(私の見たところ)創作も丁寧な出来です。おそらく目的はこのサイト自体の擾乱や消滅ではない。

つまりは、選民思想ですよね。あなたの主観において、この場に相応しくないと思われる人物の信用を毀損し影響力を低減、あわよくば排斥をしようとしている。
そのために人の感想欄の言葉尻に乗っかったり、作者を持ち上げたうえでその『他人の言葉の引用等』を以って『べつの他人を乏しめす』ことで他者どうしに疑心や確執を抱かせる。
こんなにもマイナーなサイトでなんでそんな、三国時代みたいな計略をやっているのか。その過去についてはいささか興味深いところではありますが。

少なくともこの場ではあなたが策を弄するたびに私がこうして調停しますのでお互いに無益なことは止めましょう。伝言板にお帰りください。

そうげん
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京王J=加茂ミイル、説、ありそうで面白い話。

浮離
KD111239125014.au-net.ne.jp

>迷彩されてはいても『そこに何かがあるんだ』ということはきちんと示したいわけです。

意外な返答に感じたのあたしの勝手なんでしょうかね、“きちんと示したい“人なのは知ってるんですけど、あたしはきちんと一つを示す感じの人ではないと思っていたからやっぱり意外というか、そっかこれは小説だ、とかそんな感じです。
どんな感じ?
よくわかんないです。

1×100=1

は、そういうあたしなりの馬鹿な言い方で、“きちんと“を“1“としたはずのところ、“100“を例えば衒学的なんていった趣向やら性質みたいな話に均すのはあたしには案外m.sさん的な感触ではなくて、明確な“100“を扱えることこそがあたしは案外信頼で、それを“わかんない“って言わせてもらえることにこそ例えば“ジャンル“とか、あたしは力の抜けた“好き“みたいな感情を小説なら小説に預けられる卑怯な素地を案外憚らないもので、冥王星は誰かに任せたいんですよ、っていうかそんなん手に余るわ勘弁して、って、

その代わり月の裏側で舐めたこと言いやがったら遠慮なくぶん殴ってやる、なんて。

あたしはそういう融通がちゃんと許せる上で厳しくもある人が好きだし、厳しさなんてものは所詮自分にとってのものでしかないから、やることやらない人がはっきりと嫌いなわけで。


余計な話になりそうだからやめておきまっしょかね。



m.sさんらしくもない語気にまあまあ拍手喝采。
でも迷惑になっちゃうと嫌だからお手本程度でちゃんとお礼言っときます。
どれだけの人に通じるかったら、期待は薄くて残念ですけど。

あたしはm.sさんみたいに他人を分析して弁えるより先にただの当たり前みたいな違和感のみではっきりと嫌ってしまうから、だから馬鹿をなお喜ばせちゃうんだと思うんですけど、でもその分析はあたしは親切すぎるってやっぱり思っちゃうんですよね。

まともな人は卑怯な言い草をちゃんと逆さまにして読めるもののはずですし、そうと思わないからあんな言い草が通じる気がして実際やらかしているわけで、それってつまり見る人を馬鹿にしているんだしそうして安く見積もった上で、自分とこまんまと2件だったりするんですよ。

まあ仕方ないや、ここの声なき常識にはその程度がせいぜいってことなら勘弁してやる。
とかまた何だか感じの悪いこと言ったりなんかしてですね。


ああいう馬鹿はですね、結局のところあたしになりたいんですよ、わかりやすく言ってしまえば。
羨ましいんですよ、狂おしくみっともなく。


この前言ってくれたじゃないですか、華があるって。
あたしはそれちゃんと真に受けますし、自分でも仕方ないですよわざとじゃないしただの授かりもんです羨ましいかよ馬鹿、なんてなおのこと追い打ちかけちゃうものなんですけど。

そんなあたしが、“何を言うかじゃなくて、誰が言うのか“なんて明らかすぎること当たり前に言っちゃうんですもん、そりゃ馬鹿にしたら絶望ですよ。

なんて。

だからって嫌ってみたところであたしはあたしでしかないしみっともないだけの馬鹿にはあたしになんかなれないし、どうせ気になるなら仲良くしておけばいいのにさっさと見抜かれて嫌われちゃってい結局、憎むしかなくなっちゃうとか生き方下手すぎ。
そういうストレスは普通なら小学生で学んで捨てちゃう黒歴史のはずなんじゃないですかね。

そういうの、あたし加茂で散々飽き飽きしてるから鼻ひん曲がりそうでなんかもういいや、なんてそんな感じなんですよ、ケーオーはあたしと仲良くしたかったんだけど、あたしは見えちゃうからダメだっただけではっきり「嫌いだから関わんないで」って言ったしそんな逆恨みでしょ、気持ち悪いですよ所詮見た目そのまますぎて。
見えるなりに優しく取りなす義理なんてないし、そもそもそんなもんこそ見くびらなくてどうするの? ってここはそんなことばっか付き合わす場所のはずじゃないんですか。

作品と感想で魅せるしかないから、楽しいはずなのにね。
もうなんだかめちゃくちゃですよ、それでもあたしは勝手にやりますけどね。


加茂京王子ってことにしてあげたらいいんじゃないですか女の子になりたがってたし、知らないですけど。

あたしはどうでもいいです、まじでどいつもこいつも一緒すぎてめんどくさいです。



誰に話してるのかわかんなくなってきたからやめますお喋りしてすみません。


色々わざと言ってますよ、念のためなんですけどいろんなレベルの人見てると思うので。
とはいえ結果、そうは見えないところがあたしの何よりの問題なんだろうし、馬鹿をイライラさせちゃうんでしょうけど、じゃあみんなが好きすぎるらしい“エンターテイメント“って、なんなんですかね。
あたし、感化されてる自覚ない人って嫌いなんですよ。
でも引っかかんのってそんなのばっか。
だから呆れられるんですかねかなしいなあ。
引っかかってもまともな人はあたしのこと警戒するばっか、気軽に声かけて仲良くしてなんかくれないしなあ。
まともな人には何にもなんないフックばっか強くて生きづらいですまじで。


関わんな、って言ってるのに粘着しないでいられない意識ぜずにいられないんですもん、よほどあたしのこと好きで仕方ないんですよ。

迷惑なのになあ。

m.s
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草原様ほか皆様へ

申し訳ありませんが、他人にあまり興味がないので、他人が他人について語るような話題についてのアクションは控えさせて頂きます。
(べつに、不快だとかやめて欲しいというわけではないし、情報として読ませてはいただきます)
またこれはウェブだから、このサイトだからとかではなく、実生活でもそのようなスタンスですので、悪しからずご了承ください。

m.s
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浮離さん

こんなコトを言ったらドン引きされそうですが、じつは私はこの度のような類の小説でも、けっこう普通に、情熱やあつい感情を伴いながら書いているのです。
『まあどうせ、分かんないだろうなあ!』という感じではあるのですが。それは間違っても、素直な姿勢ではないな。

さて。安易にあいてをバカと認定してしまうのはある種の思考停止に思えるのですよね。特に、自身を『一番のバカ』と僭称することで思考停止を促してくるような手合いについて言えば、なおさらです。
その行いが邪悪だと感じたので「バカ」などという一語で軽々しく侮蔑することで済ませ無い方が良いと思いました。

怒らせるかも知れませんが。あなたは複雑ではあっても素直な人間だと思います。だからウソを吐くひつようもない。
しかし思ったことを上手く口に出せない人間はウソでしか対話ができないのでどんどんと嘘が熟達していって、しまいにはウソでしかコミュニケーションをとることが出来なくなる。そうなると「嘘」も「嘘」で歪んだ鏡面のような固有の人格を取るようになる。

なにも今回の感想欄で思いたったわけではなく、これまでにも自分みたく『鏡像』で他者とのコミュニケーションを取るような人物と何人か会ったことがあります。
それはなんとなく、所作のパターナリズムにより察知されます。

私の場合は幸運にも私の嘘(他所向きの鏡像)が他者にたいして概ね融和てきなものであったため(じぶんで言うのもなんですが)、そこそこ上手く渡世できてきました。しかしあの人物はたぶんそうではない。揶揄ったり、関わりあいにならない方がいいです。きっと面白くもなりませんから。


ご健勝を

浮離
KD111239128026.au-net.ne.jp

>じつは私はこの度のような類の小説でも、けっこう普通に、情熱やあつい感情を伴いながら書いているのです。

ドン引きなんてしないですよ。
衒学的100じゃなくて、正確な100って言ってるじゃないですか。
あたしはそれを例えば“SF“っていうジャンルのことではなくて“m.s“っていうジャンルとして捉えることには“わからん“って正直に言える信頼を持てますよ当たり前に、ってただそんなこと言ってるだけです。
比較目線っていうのは、あたしは案外興味がないし信頼もしないタチなので。



“馬鹿“論

あたしはここで本当に頻繁に“馬鹿“って叫ぶんですけど、それってあたしは誰に言ってんの? っていう伝わらなさのことだと思ってるんです。

あたしはどっち向いて、“馬鹿“っつってんの? おまえらわかってんの?

そうやってわかりにくくていつだってあたしは嫌われてばかりなんですけど、所詮わかってないなら嫌われたって別にいいや、になってしまうんですよね我ながら乱暴で嫌になるんですけど。


なんで、嘘つかないといけないのか。
言われた通り、あたしには少しもわからないです。
むしろ、自分の中に嘘をつかなければならないような気がしてしまう何やらか複雑な気持ちがあることがわかっているなら、あたしはそれを信用して行動を選択することはただの間違いとか甘えでしかない気がしてしまうタチなので、恥ずかしくてなんか嫌ですそういう選択の仕方っていうのは。

馬鹿な人の行動の選択には、そういうつきまとう違和感みたいなものが必ず隠れてるんですよ。
あたしは何もかもわかるつもりなんてこれっぽっちもないですけど、そういうことばっかには万能の如く見えがちで、ちょっと気持ちが悪いくらい本当は他人のことが苦手だし疲れるし、基本的には冷たく呆れていたりさえする失礼ハンパなし人類なので、こっちこそドン引きされちゃうかもですね実際。


馬鹿なことを仕出かさずにはいられない人なんてあたしは当たり前に“馬鹿“ってみくびりますし、それをちゃんと表明することはむしろ愛かなんかしらじゃないかしら? くらいの図々しさと猶予みたいなものこそを伝えているつもりが完全にありますし、なにしろ誤解してほしくないのは、あたしはその当人に伝えたいんじゃなくてなにしろこういう場ですよ、正直な話、あたしが放つ“馬鹿“の大概の行方は、そんなやかましくて見苦しいばっかの顛末にこれっぽっちも関わりたくない見るだけでも虫唾が走るって、そんな見下すような高みの見物が疑いもなく自分自身の正確な判断だと信じきって疑うつもりなんて爪の先ほどもないただの一般無口な参加者閲覧者の皆さんにこそ向けて放ちまくっているつもりは極上すぎるほどのお節介ぶりにて散々ありまくるわけで、わかりますか? このまわりくどいどころではない執拗な言い草もそれ用のわざとなんですけど、なにせこういった場所ですもん、こんなんだってあたしは“エンタメ“してるつもりなんですよ雨上がりの日曜日退屈もてあましてこんなとこ眺めてるばっかの皆さん楽しんでもらえてますか? これってとんでもないここ住人でしょさん改め浮離(うきはな)さんからの招待状なんですよそんなばっかしててつまんなくないですか? って当たり前の話してるだけだから胸の奥正直に痛めつけとけだんまりばっかの一番の卑怯者ども、ってほらすぐそんなこと言うよな嫌いで結構あたしに触んなきゃここだって平和ですよもっと自由に簡単に正々堂々と楽しめいつでも待ってるからよっこらしょ。

なんてな。


見てごらんよ。

浅野の馬鹿のやつ、削除ですよ。
肝心なのは、ちゃんと観察するその理由と根拠を鍛えるってことなんじゃないですかね。

どんなやつばっかがヘラヘラ寄りついてますか。
わかるでしょ?
わざわざ見苦しい手間を割いて自らを貶めることに無自覚な書き手も読み手も馬鹿すぎないですか。


何しにきてんの?

あなたはそうしてどんなんに過ごしたいのここでさ? って意味においてただそんなんことばっかにおいて、あたしの見立てはたぶん神様級ですよちゃんと恐れるなら恐れてくれていいですよあたしはただ当たり前のこと感じるばっかなんですから言ってることわかりづらい気がしたならそれはあなたの腹の中を曇らせる嘘か臆病か卑怯かなんかが渋滞してるだけなんですよ正直に吐き出してあたしに怒られてみた方がいいんじゃないですか手っ取り早いんじゃないですかなんなら幸せくらい楽しいかもとかな。

ムカつきますか。

適当な嘘を反射で仕出かすただの馬鹿卑怯とどっちがまだマシだと思ってんの? って案外乱暴な話してますよそれが無茶だって思うならあたしになんか当たり前に当たり負けするからせいぜい気をつけた方がいいですいつでも待ってるけどねちゃんとお話しできるだけのただの人間性にさえ覚えがあるつもりならってことなんだけども。


何言ってんのかわかんなくなってきたしかも人んちなのに。
でもいいですm.sさんはあたしの大切なしこりみたいなもんだからまあまあ甘えてもあたしはしつこいから大丈夫でしょうごめんです師匠。


>揶揄ったり、関わりあいにならない方がいいです。きっと面白くもなりませんから。

それはただのだだっ広い社会のつまんない話だと思うんだけどもな、面白くなんないのはとっくの事実だから禿同ですとも。
さっきも言った通り、あたしのそんな“関わりあい“はそっちじゃない方に向いてる愛みたいなもんですから、それってあんまり正確なアドバイスなんかじゃないんだぜ、なんて突っ返して怒られてみよっかね、なんてな。


あたしは間違えないから、あんまり恐れないですよ。
嫌うのは勝手なんですけど、結局それを隠せない人たちが何してる? って見たらアタおかがどっちかなんて普通に丸見えのはずなんだし、わかりやすいですよ? 馬鹿が何しても伝言板冷え冷えじゃないですか。
何貼ってんの? アレって。
馬鹿かと思う。

あたしさえ黙ってれば、あんなとこつまんないばっかなんです。
あたしが騒ぐと、あっという間にわちゃわちゃになっちゃう。

なんでかわかりますかね。
結局、気に食わないばっかだからなんですか?

違いますよ、ただのエンタメ。
前に、“過給“って言ったでしょ。
あたしは面白くしたいだけで、ちょっと過剰なだけ。
だって、遅くてつまんないじゃないですか。
ただのハンドル世界でハンドルの内側の見栄つらつらと白状するばっかで一体誰が面白がってくれるつもりなんだか、あたしはちょっとその図々しさが理解できないし信じられるはずないし、だからつい、“過給“しちゃう。
だって、不器用すぎてみてられない。


“感化されてる自覚ない人って嫌いなんですよ。“って、言ったでしょ。


そんなのばっかが、見苦しく騒いでる。
それ許してんのも、黙らせるのも、あなたたちなんですよ。

きっかけくらいなら、あたしがいくらでもくれてやるっつってんの。



楽しくやろうよ。

京王J
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浮離 様

MS様は自分の感想欄に作品の感想とは無関係なことを書かれるのは、迷惑だとおっしゃっています。
(直接そうは言ってませんが、遠回しにそう伝えているはずです)

私も今、無関係なことを書いてしまっていますが、これ以上書くのはMS様に迷惑ですから、どうしても言いたいことあるなら、伝言板等に書き込んでください。

また、他のユーザーに対する誹謗中傷も含まれていますから、それもおやめください。

感想欄を汚してしまい、申し訳ありません。
失礼いたしました。

浮離
KD111239128026.au-net.ne.jp

おまえがそう思いたいだけのことでいちいちうろうろすんな2件


おまえなら、迷惑なの


あたしは、m.sさんに迷惑扱いされても平気なの。
あたしはそういう腹で付き合ってるし、あたしを迷惑扱いするかどうかはもちろんm.sさんの考え次第なんだけど、あたしをあしらうことはこの場所に限ってならたぶんm.sさんにとって損失にしかならないとあたしは思っているし、それだけの価値を提供できる存在としてお付き合いしてもらえるだけの感謝と尊敬を払っているし、あたしはそれを信頼することに疑いを持たないタチなんですよ。


大切なものに惜しまない気合と覚悟なめんなクズ



おまえにはわかんないの、ケチくさいから
おまえが強がって披露できるのは、ただの体裁以下のくそ建前

個人の価値も意味も生えない貧乏なだけの癇癪なの


おまえは迷惑


あたしは、価値なの。




勘違いすんな屁理屈クズ

消えろ見苦しい

チエル
sp49-105-94-206.tck01.spmode.ne.jp

面白かったです!!

京王J
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なんというか……

浮離様とMS様は何か現実的な「お付き合い」があるのでしょうか?実際にお会いになれたとかですか……?
それとも、元々何かのお知り合いとか?

それに、浮離様がMS様の思っていることを「MSさんはこう思っている!」と言い張るのは、まともな大人のお付き合いとして、いかがなものかと思います。
浮離様とMS様は違う人間でしょう。何か特別な関係性があるのでしょうか……?

「わたしのほうがMSさんと仲が良い。わたしとMSさんはわかり合っている」とおっしゃりたいようですけど、そういうお話ではなくて、単にガイドライン違反をやめてくださいと申し上げているだけです。

もしわたしに言いたいことがあるなら、ちゃんと適切な場所で、馬鹿だとか暴言を交えずに伝えることもできるでしょう?
もういい大人なのですから、言いたいことがあるなら、ちゃんと伝えてください笑。

京王J
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浮離 様

また文体が乱れていますが大丈夫ですか。

>>浅野の馬鹿のやつ、削除ですよ。

上記の「浅野」とは、このサイトのユーザーの浅野浩二氏のことでしょうか?

この書き込みは、浅野浩二氏への誹謗中傷に当たりますから、書き込みの削除及び浅野浩二氏へ謝罪されたほうがいいかと思います。
老婆心ながら申し上げました。

そうげん
182-166-172-59f1.shg1.eonet.ne.jp

●敬語の使い方もままならない加茂京迷語録「老婆心」

「老婆心ながら」

老婆心を使うときの代表的な表現として「老婆心ながら」が挙げられます。この言葉は言い換えると、「おせっかいだとは思いますが」「余計なお世話で、すみませんが」と表すことができます。

年上の人が年下の人に向けて使う言葉なので、「申し訳ありませんが人生経験が豊富な私の提言を聞いてください」という気持ちが込められています。

https://news.mynavi.jp/article/20210513-1880095/

京王J
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そうげん様

解説ありがとうございます笑

浮離
KD111239128026.au-net.ne.jp

はあ? なに言ってんのこっちは相手弁えて使い分けてるんだからむしろ適正なつもりなんだけど

っていうか建前ばっかでどうにかしたいばっかだからそういう頓珍漢なこと通じる気がしちゃうんですよ
おまえも浅野も、まともな弁えで付き合ってもらえる立場かっつうことなんですよね、これ当たり前の話

誹謗中傷? 
何言ってんの擦ってもらってむしろお礼言うのが当たり前なんじゃないのおまえも浅野も

自分じゃ何もできないハイエナは、傷つく権利も中傷嘆く資格もないこと承知の上でみっともないザマ晒せって、当たり前に思うんですけどどうなんですかね

ぐちぐち根暗な屁理屈ばっかで腐らせてないで、相手にしてもらえて嬉しいですってちゃんと言え馬鹿

ありがとうございますはどうした根暗


いちいち構ってんの、これ新設のつもりなんだけど、全然面白くなんないでしょ当たり前の話ばっかしなきゃなんないばっかなんだもん当たり前だよね
お猿の調教みたいなの、おまえと話してると

それをいちいち晒してんのなんでわかんないの?


つまんないんですよおまえみたいはとにかく
それバラしてるだけなの意味ないでしょまじで


もうやめるよ

じゃあな

京王J
p1165143-ipoe.ipoe.ocn.ne.jp

浮離 様

私は浮離様と「お付き合い」したいと言ってませんが…笑

建前も何も、ただ事実を指摘しているだけですよ。

m.s
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きょうは雨上がりの晴天だったので行楽地に出かけて日傘を手に紫陽花や湖を見てきました。木陰で、ハトがひとには見えないなにかを啄んでいるのを遠めに見ながら足もとに目を落とすと歩道では、名前のしらない甲虫が這ったり潰れたりしており、カナヘビがあまり人目を気にもせず往来を行き交っていました。
あ、こいつら人間を舐めているな、とおもって手を伸ばしたのですがトカゲというのは無茶苦茶すばやいのでもちろん接触がかなうハズもない。
まったく生き急いでいるなーまあ、すぐに死ぬしなー、と冷房の効いた小料理屋にはいって観光地価格の冷酒を啜りタブレットに手を伸ばす。
しかして、感想欄は動物園になっていました。
本日ご来園いただいた皆さまにおかれましては当園をこころ行くまでお楽しみください。
ただし、係員が配布したいがいの食べものを与えることはおやめ下さい。
柵から体を乗り出したり手や足をゲージの奥に突き出すのはたいへんに危険ですのでおやめ下さい。

やがて耳鳴りだろうか、遠くからサイレンの音のようなものがひびく。
夕暮れのサファリの地平線からそらへと野火の煙が細くすじを牽いて昇ってゆく。

m.s
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チエルさま

ご無沙汰しております。お読み頂けましてありがとうございました。
なんだか、治安が悪くて申し訳ないです。

浮離
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どうぶつ? こいつら?


了解です

m.s
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浮離さん

> どうぶつ? こいつら?

私も、あなたも。ほんらいは夜行性の動物だってけっこう、動物園では人間にあわせてスヤスヤしちゃうらしいし。

ひとまず一度眠りましょう。

浮離
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ああ、いいですいいです

所詮同じか穴のなんとかってことですよね
どっかの馬鹿と同じがどんなつもりか好きにしたらいいですよ、せっかくだからブランディングとかなんとかすり替えてあげましょっかね、ああいえばこういうって手口が一緒なら手懐ける相手間違ってると思いますよ


>たった四人しか居ないこの場ですら対立を産みいがみ合わせようとする積極性に、もう敬服すらしてしまいます。


逆手も逆手
敬服しますねまじで


ゴミクズの思い通りの片棒おつかれさま



見損なった
サヨナラ

m.s
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浮離さま

そうですか、わかりました。
これまで、あなたの友人でいたつもりでした。またどこかで会ったらお声がけしてしまうかも知れませんが、今後ともご健勝のほどを。

しかし、だ。

友人としてちゃんと『関わりあいにならない方がいい』と私は伝えましたね。案の定です。互いに煽り屋のうえに煽り耐性がない。私にはこのようにあなたに詰られる要素が見当たらない。何故なら、きちんと伝えました。そしてその結果です。
ここで失望されてもな、というところはある。私としてはその前に、別のルートを提示したつもりでいたので。
こうやって書いてもきっと想像がつかないでしょうが、『私はちゃんと傷ついた』ということだけは告げておきます。

お元気で

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